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前編

【1】


 目を覚ました京香が最初に感じたものは頬に触れたコンクリートの床の冷たさだった。


 状態を起こして周囲を見渡す。どうやら自分は薄暗い倉庫のような空間に寝かされていたようだ。倉庫とはいえ保管されているものは多くなく殺風景で、薄ら寒ささえ感じた。


「京香……」


「やっと起きた」


 京香の傍では親友の綾音と結衣が不安そうに彼女を見つめていた。


「ここは……」


 京香は鈍い頭痛に頭を抑える。自分がどうしてこんなところにいるのかわからない。直前の記憶がないのだ。


 二人とも制服を着ているのを見て、自分も彼女らと同じ制服を着ていたことに気付く。直前まで学校にいたのだろうかと記憶を辿ってみると、うっすらとだが蘇ってくる。


 帰りのホームルームが終わった後だった。担任に呼び止められた京香は空き教室に向かうよう指示された。行ってみると、いつもつるんでいた綾音と結衣の姿もあった。


 友人と揃って空き教室に呼び出されるというシチュエーションから、なんらかの注意を受けるのだろうかと考えていた。思い当たる節はいくつかあった。三人とも律儀に校則を守るタイプではない。スカートは定められている長さよりもずっと短く折っているし、ピアスも開けている。見た目を美しく着飾るためなら校則を破ることなど厭わない。それが教師の目に着いたのかもしれない。きっと生徒指導の教師から逸脱した服装についての指導を受けるのだろう。他の二人も同様の考えだったようで、教師が来るまでひそひそと愚痴を言い合っていた。


 しかし――そこからの記憶は混濁して曖昧なものだが――その後の展開は三人の予想を大きく裏切った。生徒指導の竹田という男性教諭がやってきたかと思えば、血走った眼で唐突にスタンガンのようなものを当ててきた。教師は単独にも関わらず手慣れた所作で二人を気絶させ、京香が悲鳴を上げるよりも早く、彼女にもスタンガンを押し当てた。


「――っつぅ」 唐突に首元に刺すような痛みが蘇る。「竹田の奴、なんのつもりなの」


 京香が首筋を抑えて苦々しそうにつぶやく。


 綾音と結衣も直前の記憶が戻ってきたようで、次いで現在の状況を把握しようと周囲に気を配り始めた。


 立ち上がって部屋の中を見回してみる。外に出る扉は一つだけ。ためしに開けようと試みるも、案の定びくとも動かない。窓はいくつかあったがどれも外からシャッターが下りており、内側には鉄格子が嵌められている。天井の蛍光灯が弱々しく部屋を照らすものの、いくつかは切れかけでちかちかと明滅している。部屋全体を明るく照らすには心もとない。そのほかに部屋にあったものと言えば、木の机が一つと、椅子が二つ。スタンド型のライトが机の上にあって、スイッチを押すと光が付いた。コードはなく、電池式のものであるようだった。


「……ちょっとやばくない、これ」


 結衣が小さく声を震わせた。


 彼女の言う通り、京香も現状の異常さを理解し始めたところだ。学校での記憶と、現在置かれている状況を鑑みて、明らかに法を逸脱した環境に自分が置かれているとしか思えなかった。


 そうなると次に覚えるものは身の危険である。京香は全身が粟立つ思いがした。女として生まれて十数年、十代後半の女が持つ性的価値については痛いほどよくわかっている。


 そうでなくとも、三人とも同世代の女子の中ではとりわけ容姿に恵まれていた。


 明るい性格の綾音は一番派手な見た目をしている。髪は明らかに染めているのに地毛だと言い張って譲らず、化粧も派手。目付きはあまりいい方ではなくて、一見すると異性から敬遠されがちではあるが、持ち前のコミュニケーション能力で誰とでも簡単に打ち解けられる。男子はもちろん教師相手でもすぐに軽口を言い合えるくらいの関係性を築くことができる。


 結衣は派手さこそ控えめなものの、異性を虜にする小動物的な愛らしさを持っている。背が小さく、やや抜けているところがあり、保護欲をくすぐられる。それでもおどおどしたところはなく、異性との会話も積極的。そこに加えて胸が大きいというギャップを持っており、一部の層から密かに熱烈な支持を受ける人気っ子だ。一方で恋多き乙女でもあり、最近失恋したばかりだった。


 最後に京香だが、彼女は三人の中ではもっとも男っ気の薄い生徒だ。そこまで異性との会話に興味がなく、男子も敬遠してあまり話しかけてこない。いわゆる高嶺の花である。自分で意識したことはないがクールな大和撫子といった雰囲気を纏っているようだ。二人とは違って成績も優秀で教師との関係も良好。それだけにいくら彼女がスカートの短さやピアスで校則を逸脱したとしても教師は注意しにくそうにしている。


 三人とも見た目のタイプは異なるが、同学年の男子生徒の人気を三分するスクールカーストの頂点であることは間違いない。異性に困ることはないどころか、言い寄られることが多すぎてむしろ困るくらいだ。そんな彼女らが、クラスが違ったとしても、対等でいられる友人として仲良しグループになることは必然だった。


 そして、そんな異性からの人気に溢れる女子高生らが誘拐されて倉庫のようなところに監禁されている。彼女たちの脳裏に性犯罪がちらつくのは至極当然である。


「スマホは……やっぱ取られてるか。それに、こんな倉庫の中じゃ今何時くらいかもわからないな」


 綾音が制服のポケットをまさぐりながら毒づいた。


「あんまり遅くなっているようだったら、親たちが警察に捜索願出してくれているとは思うけど」


 京香は努めて冷静な口調を装ったが、発言自体は願望に近かった。


 唐突に、倉庫の戸が開いた。しんとした屋内に響いた騒音に三人は弾かれたように振り返る。


 入ってきたのは5、6の人影。それぞれ別種の動物の覆面を被っており、顔を見ることはできなかったが、見るからに大柄な体格からして男性であるように思われる。皆黒いロングコートを羽織り、物々しい雰囲気を醸す。京香は肩が強張るのを感じた。


「こ、怖いよぉ……」


 もうすでに結衣は泣きべそをかいている。目元を手で覆い小さく嗚咽を漏らす。大丈夫、と背中を摩る京香の声も上擦っていた。


 遅れて、ウサギの覆面を付けた男に突き飛ばされるような恰好で覆面を付けていない男性が倉庫に倒れ込んだ。


「ぐ、ま、待ってくれ! 話が違う!」


 声の正体は生徒指導の竹田だった。教師は尻もちをついたままウサギの男から後ずさりつつ、大人の男性に似つかわしくない情けない悲鳴を上げた。


 体育の教科担任の竹田は一般的な成人男性と比較してかなり大柄な部類に入る。学校の中で生徒や教職員と並んでも頭一つ抜き出るくらいには目立つ。しかし、覆面の男たちと並ぶとまるで子供のように小さく見えた。


「ちゃんとお前たちの要望通りの生徒を連れてきただろう?」


 竹田に手を向けられ、三人は身を寄せた。


「これで俺の仕事は終わりのはずだろ!」


 駄々っ子のように喚く竹田を、ウサギの男が容赦なく蹴っ飛ばした。竹田はひい、と情けない声を上げると、えずきながら嗚咽をこぼす。


「ああ。よくやってくれたよ」


 覆面の中に変声機を仕込んでいるようだ。男の声は、テレビで顔にモザイクをかけられた犯人のように無機質な音声に変えられていた。


「お前の仕事は終わり。お疲れ様」


 ぱすん、ぱすん、と間の抜けた音が二度響いたかと思うと、竹田の体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


「――っ」


 声が出なかった。京香は目を見開き、手で口を覆って茫然とその光景を見ていた。


 覆面の男が持っていたのは拳銃のようなものだった。先端に筒のようなアタッチメントが付いていたので、おそらくサイレンサーなのだろう。竹田は恐怖に引きつった顔を浮かべて硬直し、床に赤黒い水たまりが広がっていく。


 映画やドラマでしか見ない光景に言葉を失った。


 すぐ隣で鈍い音がして、我に返る。


 結衣が腰を抜かしてしまったのだ。彼女は口元をわなわなと震わせ、無言で涙をこぼしていた。


「ほ、本当にやばいよ、これ」


 いつも勝気な綾音でさえ、青ざめた表情でか細い声を震わせた。綾音と見つめ合った自分も同じ顔をしていただろう、と感じた。


 今しがた目の前で起きたことを現実のことと思えなかった。覆面男の人差し指のわずかな動きだけで、竹田の命がいともたやすく失われた。半袖Tシャツをズボンの中に入れるという時代遅れの恰好をして、時折女子生徒に嫌らしい目を向けていると生徒から不評だった竹田が、二度と彼女らの前で教鞭を取ることはない。そんな男はもうこの世に存在しない。


「う、あ」


 膝がすくんで、立っていられない。心臓を冷えた手で鷲掴みされているような心地だ。それほど寒いわけでもないのに全身の震えを止められない。それなのに、粘っこい汗が止まらない。歯をカチカチと鳴らしながら、万力の力で結衣を抱きしめた。気づくと綾音も京香の動きに倣っていた。


 覆面の男たちが三人の方に向かってくる。


 逃げなければ。本能的に察するも、体が言うことを聞いてくれない。立ち上がることさえできず、友人の肩を抱いて声を殺して泣くことしかできない。


 神様、お願いします。どうか助けてください。


 京香はこの時ほど強く神様に祈ったことはなかった。


 ライオンの覆面を被った男が一歩進み出て、少女らに話しかけた。


「そのまま静かにして、話を聞いてください。叫んだところで誰も助けには来ませんが、うるさいのは嫌いなので。叫んだ人は――ああなります」


 作られた無機質な声。嫌にポップな動物の覆面も謎の丁寧語も、すべての要素がちぐはぐで吐き気すら催した。


「これからあなたたちにはとある遊戯に参加してもらいます。……命を懸けた、真剣な遊戯に。勝てばここから無事に帰してあげましょう。二人一組で挑む単純なゲームです。もちろん、完全に公平なゲームですから、誰にだって勝ちの目は十分にあるので、現状に悲観しないで前向きに頑張ってください」


 ライオンの男は半身になって片腕を奥の方に伸ばす。その先には木の机と椅子がスタンドライトに照らされて浮かび上がっているように見えた。


「ルール説明はあちらで行います。プレーヤーは速やかに移動してください」


 そう言われても、京香はしばらく自分たちのことだとは気づかなかった。茫然としていると、意外にも隣の結衣がライオンの男に向かって発言した。


「ちょっと、待ってください。二人一組って……」結衣の荒い吐息が京香の頬を湿らせる。「今、三人いるんですけど……」


「そうですねえ」ライオンの男は今気付いたと言わんばかりの大仰な演技を見せる。「このゲームは二人用。残念ですが、一人には消えてもらうしかないですね」


 ライオンの男はそこで間を置いた。覆面の顔は変わらないのに、京香はその顔が悪魔さながらの邪悪な笑顔を浮かべているように見えた。


「では、まず最初に、あなたたちで決めてください。消える一人を」



 【2】


 30分後に帰ってくるから消える一人を決めておけと言い残し、覆面の男たちは倉庫から出て行った。


 中に残されたのは怯える少女三人と、死体が一つ。


 誰も何も言えないでいた。


 ――決められるわけ、ない。


 京香は独り言ちる。


 当然ながら自分が犠牲になりたいわけがない。しかし、だからといって他の二人のうちどちらかを指名することなんてできるはずがない。そんなの、自分が殺したようなものだ。


 もやもやとした思いが胸の中で燃え上がっていく。それは他の二人も同じようだ。特に綾音は覆面がいなくなってある程度状況にも慣れてきたようで、落ち着きなく動き回っては誰にでもなく悪態を吐いている。


 一方の結衣は憔悴しきった顔で項垂れている。無理もないことだ。京香の知る限り、結衣が三人の中で一番精神的に脆い。彼女が寄り添う恋人を常に求めているのも精神的に自立できていない証拠だ。


「大丈夫、きっとみんな助かる。今ごろ警察が私たちを捜索しているはずだよ」


 京香は結衣の肩を抱いた。


 結衣はなにも言わず、京香の胸に顔を埋める。彼女は声を殺して泣いていた。結衣のしゃくりあげる音と、京香の鼓動が交互に響く。


「綾音も、こっちに来て。話し合おうよ」


 殺気立つ少女に声をかけるが、綾音の反応は芳しくはなかった。


 彼女はこちらを鋭く睨みつけると、不満そうに鼻を鳴らす。


「話し合う? まさか本気であいつらの言うとおりに誰かひとりを殺す話し合いでもする気なの?」


「そんなつもりじゃない。でも、このまま黙っていたってなにも変わらないでしょう? みんなで考えて、どうしたらみんなで生き残れるか相談しようって言ってるの」


「いいや、違うね」


 綾音は京香を真正面から見据えたままこちらに肩をいからせて歩み寄る。あまりの眼力に京香も気圧された。


「な、なにが違うって言うの」


「そうやって会話の主導権を握ることで自分が殺されるのを防ごうとしてる。口先で『みんなで生き残る方法を――』なんて言ってるけど、そうならなかったときのために今から予防線を張ろうとしてるんだ」


「はあ?」京香は思わず失笑した。「話が飛躍しすぎでしょ。今の流れのどこをどうとったらそんな解釈になるわけ? 綾音、ちょっと頭冷やした方がいいんじゃない。結衣もそう思うでしょ?」


「ほら、そうやって結衣を味方に付けようとしてる」


「違うって言ってるじゃん!」


 京香は思わず怒鳴り声を上げた。目を見開き、綾音と真っ向から対峙する。拳に力が入り、わなわなと震えだした。


「なに? 図星だった?」綾音は腕を組んでにたにたと狂気じみた笑みを浮かべた。「京香っていつもそんな感じだったよね。上から目線で、常にうちらをコントロールするのは自分だって思ってたっしょ」


「そ、そんなこと……!」


 思ってないと、心の底から言えなかった。学校生活で確かめられる様々な格付けを通して、三人の中で比べたときに京香は総合的な能力で間違いなく一番だと自他ともに認めざるを得ない成績を残していた。


 学力に関しては他の追随を許さないくらい良かったし、運動に関しては綾音の後塵を拝するもその他の技術教科において二人に劣ることはなかった。三人とも異性からの人気は同程度に高かったが、二人の人気は男子に媚びた結果であって、我が道を貫いてもなお同等の人気を博する自分の方がポテンシャルは上だとも感じていた。


 たまたま学校内でカーストの頂点に君臨する三人だったため一緒につるんでいたものの、他の二人と自分を比べたときに自分は遥か高みの存在だという矜持を持っていた。


 不意に自分でも自覚していなかった驕りを指摘され、京香は真っ向から言い返せずに言葉を濁すこととなった。


「で、でも、仮に私が綾音の言うようなことを企んでいたとしても、綾音の態度は無意味に場を荒立てるだけだと思うけど」


「じゃあ逆に聞くけどさあ、あんた、具体的にどうやってこの状況で全員生き残れると思ってんの?」


 綾音の目は据わっていた。


「そ、それは……」


「ただでさえ体格でハンデがあるうえ、相手は銃を持ってる。ウサギの人以外もどうせ持ってるんでしょ。対する私たちは丸腰。反抗的な態度を取ったら殺される。どう見たってプロじゃん、あの人たち。こんな状況でどうにかなると思える? どうにもなるはずないじゃん、こんなの……!」


 最後の方は涙に呑まれて上手く聞き取れなかった。自分を抱きしめるように両の手で反対側の肩を抱き、小刻みに震えながら綾音は小さくうずくまった。


「私は、死にたくない……!」


 綾音は肺の中の空気をすべて吐き出すかのように慟哭した。


「綾音……」


 京香にはどうすることもできなかった。本当は今すぐ綾音を抱きしめてやりたい。震える肩を包み込んで、大丈夫、とささやきたい。


 しかし、こんな状況でそれほど無責任な言葉はないだろう。


 京香も含め、全員わかっている。三人全員が生き残る方法なんてない、と。京香だって死にたくない。でも生き残るには二人のうちどちらかを犠牲にしなければならない。だから、綾音の主張をすべて受け入れることができないのだ。


「もういいよ……結衣が死ぬから」


 沈黙を破り、結衣がぽつりとつぶやいた。


「結衣は二人と違って馬鹿だし、とろいし」


 ほろり、とこぼれた涙が頬を伝う。


「たぶん、生き残ってもその後の『ゲーム』で足を引っ張るだろうから」


 次から次へと涙がこぼれ出し、止まらない。堰を切ったようにあふれる涙がぼたぼたと滴り、制服を濡らしていく。


「私が死んだ方が、最終的に生き残る人数が多いだろうし」


 嗚咽混じりの声が、釘となって京香の胸に突き刺さるようだった。


「もうやめてよ!」京香は声を荒げて結衣を抱擁した。「誰もそんなふうに思っていないから、そんなこと言わないで」


「――じゃあ京香が死んでくれる?」


「え?」


 京香は結衣の顔を見て凍り付いた。瞳孔の開いた、感情のない瞳。底抜けに暗い眼に睨まれると、京香の体は金縛りにあった。まるでメデューサの眼だ。呼吸器すらその動きを止めたかのような息苦しささえ覚えた。


 罠にかかったと理解したときにはすでに手遅れだった。


「ちょっと、結衣」


「私、知ってるんだよね。なんで山田君に振られたか。山田君、本当は京香のことが好きだったんだって。私のことは京香に近づくために利用したんだって」


「結衣、待って。落ち着いて」


「別にそんなことはいいんだ。次の人探せばいいだけだから。でも、京香は教えてくれなかったよね。山田君に告られたこと。なんで教えてくれなかったの? 関係にひびが入ると思った? 私のこと信用してなかった? ずっと内緒にしていられると思った?」


「今はそういうことを話すときじゃ――」


「今も、私たちに内緒で別のことを考えているの?」


 まるで、真綿で首を絞められるように。自分の影が脚から上ってきて縫い付けられていくように。京香の全身からじわじわと血の気が引いていった。



【3】


「話はまとまりましたか」


 覆面の男は帰ってくるなり三人に問いかけた。


 結衣は自分の鼓動の音に吐きそうになった。


 ――ああ、京香に吹っ掛けちゃった。あのまま綾音と潰しあってくれればよかったのに。綾音が同情買うような態度取るから。京香と私の勝負になっちゃったじゃん。


 つまり、どちらを消すかは綾音の意志で決まるということ。本当は結衣が狙っていた立ち位置だった。


 綾音は何を考えているのだろう。今ほど彼女の頭を割って思考を盗み見たいと思ったことはない。京香を指名しやすいよう、理由付けはしてあげたつもりだ。それでも、積極的に京香を指名するよう働きかけることはできなかった。一歩間違えば自分が悪役として処分されてしまうのだから。


 今この場で両耳をふさいで逃げ出してしまえたらどれほど楽なことだろう。結衣は汗でびっしょりになりながらできるはずもないことを考えていた。そんなことをすれば殺されるのは自分。二人を殺したくないのは事実だけど、自分が死ぬことだってできない。


 警察が捜索しているなら、今この場に飛び込んで来てくれ、と願う。同時に、そんなことありえないことも知っている。覆面の男たちは警察が来ないとわかっている。だから結衣たちに悠長に話し合う時間を与えたのだ。


「それでは合図で消す人物を指差してください」


 もはや、誰も待ってくれない。全身が震えだし、背筋が冷える。口の中が渇いて、自分の唾液が異様に臭う。


「――では、差してください」


 結衣はうつむいたまま震える指で指し示す。それからおそるおそる顔を上げ、自分の指の先にある顔を窺った。


「――嘘よ」


 結衣の目の前には、青ざめて目に涙を溜めた京香の顔があった。


「結衣ぃ! なんで? なんで私なの!」


 今にも結衣に詰め寄らんとする京香を、ウサギの男が制した。


「私がこれまでどれほどあなたを守ってきたと思ってるの? ふざけないで。自分が死ぬって言ったじゃん! 嘘つき! 色ボケ! ほんと、あんたって、最低……!」


 最後の方は嗚咽だらけでまともに聞き取れなかった。


「……では、京香さんを不戦敗として処分します」


 崩れ落ちる京香を後目にライオンの男が無情に告げる。


 処分、という言葉に反応して、京香の肩が跳ねる。怯えた顔で覆面から離れようとして、不覚にも視界の隅に死体となった竹田の姿を捉えてしまった。


「うっ、ぐぅ、おえぇええ――」


 咄嗟に口元を抑えた指の隙間から黄色っぽい液体が噴出した。吐しゃ物は京香の制服にかかり、周囲には饐えた臭いが充満する。


「なに吐いてんだよ」


 ウサギの男が京香ににじり寄る。京香は腰砕けになりながら逃走を試みるが、あっさりと捕まってしまう。いくらもがいたところで男の両腕から逃れることはできず、簡単に担ぎ上げられた。


「お願い、助けて! 結衣、綾音ぇ、助けてよぉ……!」


 運び去られる京香と、一瞬目が合った。京香は今まで誰にも見せたことのないであろう、恐怖に慄いた顔をしていた。ドラマや映画でも見たことがない、本当の死に直面した女の助けを求める顔。普段の冷静な京香からは想像もつかない表情だった。その歪んだ顔を直視できず、結衣は顔を伏せてしまう。


 京香は結衣たちに背中を向けた状態で膝立ちにさせられ、そこから背中を押されて顔を地面に押し付けられた。ちょうど、額を地面に擦り付けて詫びるように。スカートの裾が捲れ、淡いパステルカラーの下着が露になる。瀟洒で大人っぽい京香の印象とは裏腹に、いかにも清楚っぽい下着だった。


 覆面は慣れた所作で京香を地面に押さえつけた。京香は必死にもがいて逃れようとするも、決して起き上がることはできない。下着を隠す役割を放棄したスカートの裾だけがふりふりと揺れ、かえって滑稽に映った。


 京香の泣き叫ぶくぐもった声だけが倉庫に響く。


 助けて、お母さん。許してください、お願いします。


 結衣はまともに聞いていられず、耳を塞いだ。


「最後に言い残すことは……ある?」


 京香の命を振り絞るような絶叫も、ウサギの男が後頭部に銃口を押し付けた瞬間にぴたりとやんだ。


 やがて、押し黙った彼女の心情を代弁するかの如く、京香の下半身に異変が起こった。


 二、三度、互いの内腿を打ち付け合うように大きくぶるぶるっと震えた。それから、ぎゅっと内股になって太腿同士をぴったりとくっつけたかと思うと、そのままぴくぴくと痙攣し始めた。尻を突き出すようにして小刻みに震える。


 観念したかのように脱力した直後、京香の下着に蕾が花開くかのような錯覚を覚えた。


 一瞬で下着の股に近い部分が、ぶわ、と濃い色に染まると、内腿から膝の裏までをきらきらと輝く糸のようなものが下りていくのが見えた。


 それはわずかな量に留まらず、次から次へと太腿を伝っていき、膝元に水たまりを作っていく。パンツは尻の方まで色濃く染まっていき、結衣から見ても京香のやってしまったことが一目瞭然だった。


 ――京香、おしっこ漏らしちゃってる……


 結衣にとっては夢にも思い描かないような京香の姿だった。彼女の知る京香はいつだって凛としていて、誰にも媚びない強い女性だった。自分が正しいと思ったことを決して曲げず、教師とも対等に渡り合う。三人でつるんでいても決して依存することはない京香は、いつだって結衣の憧れの存在であり続けた。


 そんな京香が恐怖に耐えかねて取り乱し、嘔吐し、挙句の果てには結衣たちにお尻を向けたまま情けなくお漏らしまでしてしまった。


 結衣は目の前で起きていることが夢か現かわからなくなっていた。


 京香のお漏らしは中々終わらない。意識を失っていた時間があったため正確には把握できていないが、少なくともホームルーム後に呼び出されてから一度もトイレに行くチャンスはなかった。もしかすると元々結構トイレに行きたくなっていたのかもしれないと、この期に及んではどうでもいい推測をした。


 ウサギの男はすぐには京香を殺さなかった。まるでいたぶるかのように。しかし、覆面の無表情は決して楽しんでいるようには見えず、むしろ機械的だ。まるで、誰かに見せつけるためにわざとやっているような、そんな雰囲気だった。


 京香の足を伝う尿が不規則に光り、ほっそりとしていながらも肉付きのよい太腿を艶やかに染めていく。ちょろちょろと小さく恥ずかしい音を立てながら水たまりが広がっていく様は石清水を彷彿とさせた。


 同性の結衣でさえ京香の失禁から目を離せなかった。ぐっしょりと濡れて変色した下着も、ぷっくりと盛り上がった股間から次々と染み出る雫も、幾筋にも分かれて太腿を伝っていく様子も、すべての瞬間を見逃すまいとして、結衣は自分でも驚くくらいに刮目した。


 結衣は所詮平和の鳥かごの中で玉のように育てられたひな鳥でしかないことを思い知った。守られた檻の中でいくらいきがったところで、非情なリアルを突き付けられた瞬間プライドもなにもかもがいとも容易く折れてしまう。


 ちょうど、死の恐怖に怯えて恥も外聞もなく失禁した京香のように。


「おかあさん……たすけて……ゆるして……」


 膀胱の中の水分をすべて出し終えたころには、京香の心は完全に壊れてしまっていた。


 無機質で、どこか間の抜けたような銃声が鳴ると、京香の後頭部から鮮血が噴水のように噴き出す。声を上げる間もなく、肉の塊となった女子高生の体は崩れ落ちた。


 返り血に濡れたウサギの顔は涙を流しているようにも見えた。



 つづく


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登場人物も作者本人も宇宙人みたい 恐怖失禁と我慢の限界の失禁と混同してないか
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