第一話
TAKASHI
「まだ、一緒にいてよ・・・」
さっさと事を済まし、スーツに着替える俺に、美香が甘える。
「なんで貴志っていつもそうなの?もっと一緒にいたいって思わない?」
「別に俺は・・」
美香がものすごい目で俺を睨む。
「ごめん、いつも悪いな。仕事なんだ。」
美香のほっぺに軽くキスをしてご機嫌をとる。
「仕方ないわね、行ってらっしゃい。」
そういうと、美香はいつも通り俺のポケットにお小遣いをはさむ。
「店で待ってる。」
「分かってるわよ。」
美香は38歳 人妻だ。
そこそこ恵まれた家庭で、一人娘として大事に育てられ、大学を卒業し、
初めて就職した会社で先輩と大恋愛をし、結婚をして会社はすぐに辞めた。
子供は1人。美香の坊主はもう、中学生になる。
これは、美香が俺の店に初めて来たときに教えてくれたこと。
店に来るほかの女は、高飛車で、お金を払う分、何やってもいいのよ。
そんな感じのやつが多かった。
酒を浴びるほど飲み、男に絡んで、しまいにはチューしてくれなきゃ今日の分は払わないから。
そんなことを言ってくる女はざらにいる。
その中で美香だけは違っていた。
輝いてた。
あの真っ暗な店で美香を見るときだけ、眩しかった。
美香は一人で店にくる。
ただ静かにバーボンを飲むだけ。カラオケもしなければなんもしない。
そしてゆっくりと天気の話や、自分の生い立ち、子供のことなんかを話す。
本当に何がしたいのか分からない、ここはホストなんだぜ!もっと遊べよ!と言って
やりたくなったことも何度もある。
でも、俺は気が小さくてそんなこと言えないから、うんうんと、ひたすら美香の話を聞いたり一緒にボーっと
したりしていた。
美香が俺を指名してくれるようになって3ヶ月ほどたったある日、なぜか俺から
「今日、店が終わったら付き合ってくれないかな?」と言った。
「1時間だけなら・・・」と美香は言った。
俺はどうゆう訳か美香を抱きたい気分になっていた。
年の割には若く見えるし、もの静かで、綺麗なこの女を、一度抱いてみたいと思っていた。
一緒にバーに入った。
美香は少し酔ってきたのだろうか いつもより軽いお酒を頼んで、遠くを見ているように見える。
俺はビールを頼んだ。
「貴志から誘ってくるなんてどうしたの?
まさか、お店が終わってからもまだつまんないお話を聞きたい訳ではないでしょう?」
思っていることを見透かされているようで、ドキッとしながらも俺は
「いや、まだ美香と話していたかったんだ。」
と言ってみた。
ホストのくせに、女一人まともに口説くこともできない俺を美香は
どう思っているんだろう。
どうしていいか分からずに とりあえず美香の手を握ってみた。
そして見つめた。
美香はまるで自分の息子でもみるような目で俺を見てからふっと軽く笑った。
そして
「いいわよ。行きましょう」
と言った。
美香が指定したのは、ラブホテルじゃなかった。
俺が一度も行ったことがないような
キチンとしたホテルだった。
情けのない事に俺は、美香の積極性に驚き、何もできなかった。
最初から最後まで美香のリードだった。
全てが終わってから
俺の腕まくらで寝る美香に聞いた。
「旦那にもいつもこうやってやってんのか?羨ましいな。」
その瞬間、凍りついた。
美香が俺を殺すんじゃないかって思うくらいの目で俺を見ていた。
「悪かった、悪かったよ。」
謝ると、いつもの美香に戻っていた。
なんだかいろいろ、びっくりした。
美香との付き合いはそれから、3年も続いている。
俺も、もう26歳 いい年になっていた。
相変わらず売れないホスト、美香とデートをし、ホテルにいきエッチをし、お小遣いをもらい、
店に呼ぶ。そんなことを3年間も続けていた。
そんなに深い間柄なのに、好きだ、とか、愛してるだとかお互い何も言わなかった。
今日もいつも通り、ホテルで美香にあっていた。
俺も大人になり、女を悦ばせ方くらい分かるようになっていた。
今日こそはイカせてやろうと意気込み、
いつもの通りゆっくり美香の服を脱がしていく。
・・・「どうしたんだ?」
目を疑うほどのあざが美香の体についていた。
「転んだの。」
「ばかやろう!転んだだけでこんなあざができるか!!!」
初めて美香を怒鳴りつけた。
「大きな声をださないで!今日は帰るわ。で?今日はいくら欲しいの?」
美香がやけになったような話し方をする。
「いらねえよ!」
また俺は怒鳴った。
美香が本当のことを言わないことで俺は怒っていた。
逃げるように美香は出て行った。
タクシーに乗り込んだ美香を俺もタクシーで追いかける。
もう店なんか関係ない。罰金がなんだ。関係ない。今は美香が心配だ。
高岡 という表札の前で美香が降りた。
美香の苗字が高岡というのも初めて知った。
美香が家に入るやいなや 男の怒鳴り声が聞こえてきた。
その後、中学生の息子だろうか、坊主頭のジャージ姿の子供が出てきて、自転車に乗ってどこかにいった。
男の怒鳴り声が響き、女の泣く声とやめてという叫び声が聞こえてきた。
気がついたら俺はインターフォンを鳴らしまくり、ドアをガチャガチャと開けようとしていた。
急にシーンとしたかと思うと、一人の男が出てきた。
ひ弱そうな男じゃないか。こんな男が美香の旦那で美香を殴っていたのか
「何ですか?」
「美香を助けに来ました。」
大きな声でいうと俺は男を押し倒し、美香のもとに駆け寄った。
美香は裸にされていた。
さらに殴られた痕跡が増えていた。
口からは血が出て目の下は黒いあざができていた。
意識があるかないかの美香が涙を流しながら言った。
「もう、だめじゃない、無茶して」
「お宅、急になんですか。人のうちに勝手にあがりこん・・・」
男が言い終わらないうちに俺はそいつを殴っていた。
ぼこぼこにしていた。
ガチャ
息子が帰ってきた。
目を丸くして家の中の惨事を見ている。
家具の位置はめちゃくちゃ
母親は知らない男に抱きかかえられ その隣では顔を真っ赤に染められた父親が倒れている。
息子に話しかける。
「おい、お前。母親のことが心配じゃなかったのか?
いままでお前 何してたんだ 男だろ。」
息子が涙を流して言った
「僕が・・僕が何か言おうとすると・・僕も殴られて・・・
ううう ママごめん」
その後、息子のすすり泣く声だけだけが部屋中に響き渡っていた。
2003年3月・・・
美香の離婚が正式に成立した。
息子の卓也は美香が引き取った。
美香が市役所に離婚届けを持っていっている。
俺は役所の前で、小さな花束をもって美香を待っている。
今日は春一番がふいた。
卓也の帽子が風にとばされる。
卓也が駆け足で拾いにいく。
美香が戻ってきた。
花束を美香に渡し、ずっと言おうと思っていたことをいう。
「ずっと、好きでした。俺と一緒に、幸せになってください。」
さわやかな春風と暖かいひだまりの中、
美香が茶色い長い髪をなびかせながら、笑顔で「うん」とうなずいた。
俺の心の中にも 春らしく一輪のたんぽぽが咲いた。