居住地による差別
居住地差別は先進国と呼ばれる地域でよくおきる。どの地区に住んでいるかで、相手の財力を判断する。田園調布・白金、あるいは東京23区など居住地によって金持ち・貧乏人というレッテルを貼るわけである。
これは、絶対的基準であるため、客観的にわかりやすい。外部からの評価だけなら大きな問題にはならないが、居住者たちが自分たちの評価基準として認識し出すと、差別が激化する。この最も大きい単位が国である。
為政者は、これを愛国心と呼んで、増幅させる。愛国心と向上心を持たせることで、国民をコントロールする。だから、外国人差別は無くならない。外国人差別を扇動する人は根源を出生地差別(=人種差別)にしたがるが、本質はむしろ居住地による経済差別の方が強いのである。
居住地問題で、もう一つ大きな点は、初めは生まれながらにして決まってしまうが、努力によって奪うことが可能だということだ。好条件の場所を誰かが得るには、誰かが手放す必要がある。つまりは、おのずと勝者と敗者ができてしまう。優越感と敗北感により差別意識は快楽や憎悪といった感情へとつながってしまう。
アメリカや香港のように、差別意識が感情と結びついてしまったら、もはや修復は不可能となるだろう。