金銭(財力)差別
経済格差といわれるが、これは単なる財力だけの問題ではない。それをここでは、要因ごとに分析したい。
まずは、単純に財力によるものから見る。
財力といっても、外から見えるものと内からの解釈がある。他人からは外に出ていることからしか判断できない。豪邸に住んでいるとか、年商いくらであるとか、頻繁に旅行に行っているなど。妬みもあるだろうが、妬みは憧れでもある。
外から見た財力と、内から見た財力では評価が異なる。例えば年商がそのまま収益になるわけはない。豪邸に住んでいても、借金だらけかもしれない。外と内の評価にさほど違いが無ければ、差別もある程度は正当な評価と我慢できよう。しかし、それが乖離するほど、差別されたという意識が強くなる。
実際よりも貧乏と評価されても裕福と評価されても、差別と感じる。経済的な差別というものは、外からの正当な評価が困難なだけに、解消もできないものだ。
金持ちが寄付をする。本人にはその気がなくても、差別意識から来ていることは否定できまい。差別でなければ、なんらかの活動に対しての対価として支払えばよい。それを一方的に、ほどこしということは差別的行動に他ならない。
「かわいそう。」
この時点で差別をしているのである。すでに自分が優位に立ってしまっている。相手を対等な存在として評価することが、差別ではない行動につながる。