人生の出発点での差別
先祖差別は、生まれながらにつけられるものであるが、ほぼ同様に、新たなコミュニティへ参加するごとに、新しい差別が起こる。
先祖差別を所属集団の外部からの評価とすれば、集団に参加することで起こる内部での差別を人生の出発点での差別と呼ぶことにする。
外部からの評価は、自分では認知してないこともあるし、生活に影響しないこともある。これに対し、内部評価は直接的に影響してくる。ラベルの付けかたは先祖差別と同じだ。どこの家の出なのか、何番目の兄弟なのか。端から見れば、どんぐりの背比べなのだが、どんぐりにとっては、すこしでも自分が優位に立とうと必死なわけだ。
ただ、ここでの差別は大きな問題を生まない。それは、連携があるからだ。集団生活というのは、言い換えれば共同生活である。集団への外部からの差別がある以上、対抗するには互いの協力が不可欠である。内部差別はあるものの、それば競争というより役割分担のための意味合いもある。
家族で言えば、第一子と第二子では当然差別が起こる。通常であれば第一子が第二子を見下すことになる。しかし、かれらは兄弟という共同体でもある。一方的に見下すだけでは生きていくことはできない。極力トラブルを避けるために、差別意識があっても、差別的行動は控えなければいけなくなる。