Diary6 入部
部室内は小奇麗に整理整頓されていた。
あるのは、テレビとパソコン。
中央のテーブルと椅子が六脚。
そしてロッカーだけだった。
扉と相向かいのところに窓があった。
中学時代は決まった部室がなかったので、部室というとどうしても男臭のする小汚い部屋という感じがしたのだが、予想を遥かに裏切ってくれる部屋だった。
「あ、須国先輩」
正田が頭を掻き始めた。
見ると、確かにテレビの置かれた台に寄りかかって座っている美少女がいる。
でも、様相的にすごい無口そうだ。
彼女の唇は硬く閉ざされて何年も開かないでいるような感じがした。
目つきも鋭い。
それに何といっても、ヘッドホンをはめてミュージックを聴きこんでいる様子だ。
しかし、彼女は小柄な体格のせいか、あまり先輩の威厳というのか、それがどこにも見当たらなかった。
「須国先輩~。こんにちは~」
美梁が快活に挨拶する。
「……」
須国と呼ばれた少女はこくりとうなずいただけで、再び自分の世界に入り込んでしまったようだ。
「先輩。今日は特集記事の印刷日じゃなかったんですか?松代先生が呼んでましたよ?」
「そう」
須国先輩の声は綺麗なソプラノだった。
普通に合唱部とかで活躍できそうな声である。
「5時までに職員室に来いって」
「サビ」
須国先輩はそれだけ告げると、ヘッドホンに手を当てて目をつぶった。
それにしてもそのサビに聞き入っている姿を見ると、とてつもない美少女だ。
「須国あきる(すぐに あきる)先輩だよ~!須国先輩ってサビになると、歌に聴き入っちゃうんだよ~」
美梁が笑顔で解説する。
「どうやら今日は須国先輩しか来ていないみたいだね」
正田が美梁に振り返りながら言う。
「そうみたいだね~。どうする~?」
「ここにいても仕方ないかなあ。おっ」
正田は何かに気づいたらしく、おもむろにロッカーを開いた。
そして、その場に座り込んで何やらロッカーをあさり始めた。
「何してるの?正田」
私は尋ねる。
と、美梁が顔を少し赤らめながら喚いた。
「ああ~!そこ、美梁のパンツ入ってるのに~!」
ドカ!正田がロッカーの扉に突っ込んだ。
というか、更衣室を兼ねているの?この部屋。
いや、でもこの窓の外は野球部の休憩場だから、着替えられないでしょ。
「そ、そんなもの入れておくなよ!藤崎!」
「あ!昨日持って帰ったんだった~。ごめんね~!正田君。期待させちゃって~」
「期待って。ちょっと、その、し、したかもしれないけど、紛らわしいこと言うなよ!」
「えへへ~」
美梁は照れているんだか、喜んでいるんだか、よくわからない笑顔を浮かべる。
多分、美梁の確信犯だろう。
かわいい顔をして何を考えているかわからない子だなあ。
正田をからかいたかっただけなんだろうけど。
と、ここで正田がそのロッカーの中から紙を取り出した。
「僕はこれを探してたんだって!」
正田は私たちの前に歩み寄ると、その紙を広げて見せた。
見る気の失せる活字がまず目に映った。
とりあえず大きな文字からこの紙の正体を類推しようと、見てみた大きな文字は、
星来学園新聞!
どうやら彼らが手がけた学園新聞を見せたかったようだ。
実際にその新聞を見せてもらうと、実によくできていることがわかった。
まず、校長のハゲつるな顔写真と言葉が一面を飾っているのは、どこの学園にもあるからさっさと無視する。
すごいと思ったのはそれからだった。
一般購読されているような新聞と同じくらいページ数があるのだ。
そしてその記事一つ一つにも相当こだわっており、なおかつ文字が割と大きいので読みやすい。
質・量ともに申し分のない内容となっている。
どうやらよほど凄腕の連中が揃っているみたいだ。
一筋縄ではこんなことできない。
「これ、みんなで作ったの?」
私は素直に感心して尋ねた。
「うん~。1人につき見開き1ページをノルマにして作ったんだ~。もちろん、調査内容は自分で好きに決めていいんだよ~。ただ、部員同士で調査内容がかぶらないように、テーマは1人1人違うんだけどね~」
例えば、と美梁が記事をめくり始めた。
「私は、この時のテーマはスポーツだったから、関東私学大会に出場した女子テニス部を取材しに行ったの~。インタビューとかも美梁がやってきたんだよ~」
なるほど、記事によると、女子テニス部長と期待のエースの生徒、さらには顧問の先生の意気込みをインタビューしたことをそのまま載せたらしい。
それだけではなく、女子テニス部の過去の経歴やら、実力分析、ライバル校分析までをわかりやすく述べていた。
「へえ。すごい。でも結構大変じゃない?」
「ううん~。楽しいからそんなの関係ないよ~。美梁が好きでやってるんだもん~。それに月に二ページだからむしろ足らないくらいかも~」
「じゃあ、今月の僕の分もやっていいよ」
正田が口を開いた。
美梁は笑顔のまま正田に振り返った。
「正田君って女の子のために新聞部に入ったんだね~」
「え?」
正田は一瞬フリーズした。こういう時の美梁の笑顔は怖いものがある。
「だって、そういうこと言うんだもん~。新聞記事作るのが目的じゃないんだったら、やっぱり女の子のために入ったんだろうなあって~。新聞部って女の子の方が圧倒的に多いもんね~。二宮部長に言っちゃおう~!そうしよう~!」
「ちょっ!嘘だよ藤崎」
嬉々とした表情で美梁が部室を飛び出したので、正田は慌てて美梁を追いかけた。
面白そうなので、追いかけようとした。
「……」
視線を感じる。
そう言えば、先輩がいたんだっけ。
須国先輩は先程と何ら変わることのない体勢と表情でこちらを見つめていた。
大きなヘッドホンをつけて。あまりやる気のなさそうな目つきがまだ私を見ていた。
「し、失礼しました」
私は一礼してそれだけ言うと、すぐに2人を追いかけた。
部屋に戻ると、私は躊躇いもなくダイニングに寝そべった。
今日だけでも色々と疲れた気がした。
まあ、一応転入生の身だからストレスを受けたことによる疲労だろう。
今日の夕飯はとりあえず冷食でいいや。
母親がここにいないので、当然ながら家事は全て私がこなさなければならない。
ただ、共働きをしているために、母親はろくに家事をしていなかった。
結局のところ、私がわがままな弟のご飯まで作ってやらなければならなかったのだ。
ああ、思い出したくもない。
今日は結局、新聞部だけしか見ることができなかった。
面白そうではあるが、大変そうでもあった。
一応、入部届けは既にもらってあるから、後は書き込みをして提出してしまえばいいだけだ。
まあ、入るとすれば新聞部なのかな。
他の部活を見たわけではないけれど、やはり新聞部が一番楽しそうだったからだ。
その筆頭に藤崎美梁という少女がいた。
彼女は会えばいつも笑顔で、元気で、かわいい少女だ。
ただ、普段の笑顔のままであらぬ冗談を言ったり、天然だったりする。
まあ、そこが彼女の魅力なのかもしれないけど。
そして皆からいじられるムードメーカーの正田涼。
彼の存在は決して小さくはないだろう。
言動の中に感じる温かみと優しさが彼のよいところだ。
彼らがいれば、私は何でも出来そうな気がした。
何となく。
そこまで思案していると、携帯電話が激しく痙攣を始めた。
電話だ。
「あ、百花ちゃん?もう帰ってるの?」
声の主は我が従姉の千花だった。
「うん。疲れたー」
受話器から笑い声が漏れた。
「そうでしょうね。ウチって色々なタイプの生徒がいるからね。あ、ミハちゃんから聞いたんだけど、今日新聞部の見学したんだって?」
「行ってきたよ。何か面白そうなんだけど、大変そう、みたいな」
「月に一枚作るからね。まあ、部活やるにしても、しっかり考えてやるのよ!」
「わかってる」
「ふふ。あ、それとお夕飯は大丈夫?何か作ってあげようか?」
電子レンジがチンと鳴った。
私は思わず吹き出した。
千花も笑いを漏らした。
「大丈夫そうね。しっかり食べなさいよ。じゃあ、また明日学校でね」
電話を切ろうとして、私はふとあることに気づいた。
「あ!千花姉さん!ちょっと待って!」
間一髪で気がついた千花がなーに?と返事する。
「あの、今日あったことなんだけど」
私は、ずっと気にしていた美梁の突然の変貌について尋ねた。
その概要をざっと話したところで、千花は重々しく口を開いた。
「多分、ミハちゃんは涼君を馬鹿にしたり、傷つけたりすることが許せないみたいね」
「え?」
「これ以上は悪いけど言えないわ。百花ちゃんはそういうことはしないと思うけど、涼君を馬鹿にしたりするような会話や質問はミハちゃんには絶対にしないで。ミハちゃんと友達でいたいなら。それだけしか言えないわ」
意味がよくわからなかった。
私が返答に困っていると、千花が口を開いた。
「大丈夫よ。そんなに難しく考えることじゃないわ。百花ちゃんがもっともっとこれからミハちゃんと仲良くなれば自分で気づけるはずよ。だから、今は知りたくても我慢して。わかった?」
そう言われて、私はハッとした。
もっと仲良くなれば気づける。
そうだ。
まだ私たちは出会ってからそんなに経っていない。
すぐに相手のことを完璧に理解なんてできるはずない。
まだこれからなのだ。
「う、うん。わかった」
「そう、よかった。ミハちゃんとならすぐに親友になれると思うから。ミハちゃんを大事にしてあげて」
「うん」
もう決めた。
私は決意あるうちに宣言した。
「私、新聞部に入るよ」
「え?」
今度は千花が返答に窮したようだ。
「もっとミハちゃんと正田と一緒に過ごしたい。私、あの2人が大好きだから」
この感情に裏も表もない。
私の心の底にある感情だ。
千花が溜息ともつかぬ笑いをこぼした。
「そう。じゃあ、明日入部届けちょうだいね」
「わかった。おやすみ」
不思議な時間だった気がした。
電話を切ってからも、容易にお互いの言葉の一つ一つが思い出された。
すっかり冷めてしまった冷食を頬張りながら、私は確かに明日への期待を胸にしっかりと抱いていた。