Diary4 編入
初登校の日。
私は真新しい制服に身を包み、ウキウキ気分だった。
こんなにうれしかったのはいつ以来だろう。
いまだかつて見たことのない私が鏡に映っていた。
「正田たち、そろそろ起きた頃かな?」
私の部屋は正田たちと同じアパートの一室だった。
2階を3人で占領しているので、特に困ることはない。
時間は7時半。
まだ登校時間には一時間ある。
しかし、私は待ちきれなくなって、玄関の扉を蹴破らんばかりに飛び出した。
まずは正田の部屋へ。
「正田!朝」
返事はない。
「こらー!起きろ!」
チャイムを立て続けに押す。
が、正田が起きてくる気配はなかった。
すると、何故か隣の部屋の美梁が起きてきた。
「うるさいなあ。あれ?百ちゃんがいる~」
ボケボケの表情で上はパジャマ、下は制服のスカートをはいた美梁が私に抱きついてきた。
どうやら本当に起きたばかりらしいが、やけに抱きしめる力は強かった。
「はわ~。柔らかいなあ~百ちゃん」
「だいぶ低血圧なのね。ミハちゃん」
と、つぶやく私を美梁が見つめてきた。
その美梁の仕草にちょっとかわいらしさを覚えた。
私も懸命に見つめ返す。
しかし、そこに落とし穴があった。
突如開かれる目の前の扉。
見知った少年の顔がぬっと現れたのだ。
「もう。何だよ?こんなと」
硬直する私と正田。
美梁だけが嬉しそうに私の胸元に抱きついていた。
しかも、上がパジャマ、下はスカートで。
「あ」
私は思わず声を出した。
正田は何度か目をこすって確認する。
しかし、目に映るのは当然ながら私と美梁の奇妙なポーズだけだろう。
「何かごめん」
正田は一言そう言うと、勢いよく扉を閉めた。
どうやら正田は完全に勘違いをしてくれたみたいだ。
私は唖然とした。
美梁はいつのまにか立ったまま眠ってしまっていた。
そして、ようやく登校時間。
「おはよう~!百ちゃん!」
嬉々とした表情で美梁が私の部屋に現れた。
テレビを見て時間を潰していた私がのそのそと扉に行くと、満面の笑みの美梁と眠そうな顔の正田が待ち構えていた。
「おはよ……」
私はまるで気のない返事。
美梁は構わずまくしたてた。
「今日ね!私と百ちゃんが恋愛関係になっちゃった夢見たんだよ~!」
「多分、それ夢じゃないわ」
「ふえ?」
理解していない美梁を尻目に、私は正田に振り返った。違うからね!
正田は私の訴えに気づいたようで、こくりとうなずいた。
「もうそろそろ行こうか」
私たちはアパートの階段を下りていく。
目の前の路地に出て、彼らといろいろな会話を楽しみながら、登校した。
これも新鮮だった。
私は今まで登校しながら学校のテスト勉強を繰り返す毎日だった。
友達と一緒でも勉強以外の話題に触れることなんてなかったし、むしろ問題を出し合ったりしていたからだ。
つい一週間前の私とは比べ物にならないくらいだ。
すごく充実して見えた。
これが真の高校生活というものなんじゃないかな。
話したい仲間と話したいことを話す。
ここでは、正田と美梁の所属する部活について聞かせてもらった。
「新聞部だっけ?」
「うん。活動自体は活発過ぎて部費が足りていないくらいだね」
正田が苦笑する。
「活発って?」
「一週間に一つの記事に徹底的にこだわるのがウチ流なんだけど、そのこだわり方が異常なんだ。特に藤崎とか」
正田は美梁を振り返った。
美梁は得意げになって語り始めた。
「私は町のラーメン屋さんのみそラーメンを隈なく調べて、ランキングをつける仕事をしてるんだよ~!正田君はナンパスポットのランキング付け~」
「ちがう!僕は、デートスポットのランキングだ!」
正田が焦って弁解する。
私はその様子を笑って見ていた。
「ほんと、かわいいカップルって感じだよね。2人」
美梁は手を振って受け答えた。
「それほどでもないよ~!」
「ち、ちが!だから僕たちはカ、カップルじゃない!」
正田は顔を真っ赤にして叫んだ。
本当にこんなに楽しいのはいつ以来だろう。
こんなに素直に笑えたのは一体いつ以来だろう。
あのままいつもの生活に戻っていたら、私は自分を恨んだことだろう。
この選択は正しかったと思う。
あれこれ話をしているうちに、いつの間にか学校に着いてしまった。
建物自体は非常に綺麗で洒落た建物だった。
それに何といっても広い。
学校の前の上り坂も少し気に入っている。
「あ、百ちゃんはまず職員室に行くんじゃないの~?」
美梁がのんびりとした口調で尋ねた。
「うん。そうなんだけど。職員室ってこれどこにあるの?」
どうもここの校舎は入り組んだ構造になっているらしく、一見してわかりづらい。
「おーい!おはよう」
そこに丁度よく従妹の千花がやってきた。
「もしかして職員室行くの?」
「うん、そうなんだけどわからなくて。」
「じゃあ、私も行くからついてきなさい。」
職場だから当然だと思う。
一旦、2人と別れて職員室に向かう。
転校は父親の転勤で何度か経験があるから慣れてはいる。
私は千花の後に従って歩を進める。
意外と目の前にあったので助かった。
「来客があった時に、来客が迷子になったら困るでしょ?」
言われてみればそうだ。
私は迷子になるようなガラではないが、千花に連れられるまでは全くわからなかった。
おそらく初見の人にはもっとつらいんじゃないだろうか。
「まあ、迷子になる人もたまにいるわね」
職員室の扉を開くと、バリバリに仕事に取り組んでいる教師たちが出迎えかと思ったら、集団昼寝をしているんじゃないかというくらいのんびりとした、教師たちが出迎えてくれた。
中には生徒たちと仲良く会話している教師もいる。
全くもって信じられない光景だった。
教師というものはバリバリ仕事をこなす人たちだと思っていた。
ましてや生徒たちと会話をすることなどない、と。
「あ!松代先生じゃん!」
中に入ろうとしたその矢先に快活な声がかかった。
脇から明朗快活な少女が千花に接近してきた。
「あらあら、紫ちゃんじゃない」
「たまには新聞部に来てくださいよ!先生がいないとつまらないんだけど」
新聞部。
正田や美梁と同じ部活だ。
多分、彼女も彼らのことを知っているんじゃなかろうか。
千花は微笑みながら受け答えする。
「涼君やミハちゃんがいるんだから退屈ではないんじゃないの?」
「涼は来ないじゃん!最近。何の調査しているのか知らないけどさ。美梁はいてもうるさいだけだし、天然だし」
正田をファーストネームで呼び捨てしているところから、相当親しい関係にあるのだろうか。
「ミハちゃんはいい子よ?この前だって私に料理の余り物くれたし。いつも笑顔で気持ちのいい子じゃない」
「でもあの笑顔が危険なんだってば、先生!最近涼にやけにくっついてる気がするし」
少女の顔が微妙に赤くなったのを、私は見逃さなかった。
「うん?ミハちゃんと涼君がくっついちゃ悪いことでもあるの?」
千花も不敵な笑みを浮かべて尋ねた。
すると、少女の頬がさらに赤くなった。
結構かわいい子じゃないのかな。
「べ、別にそんなことはないけど!涼が誰といようが知ったこっちゃないわ」
「最近は一緒に登下校してるみたいよ」
「えええええ!」
少女が大声を出すので、周りにいた教師や生徒たちが視線を集めてきた。
はうっと少女は慌てて口をつぐんだ。
どうやらこの少女は正田のことが……。
「それ本当なの?先生?」
「誰といようが知ったこっちゃないんじゃなかったの?」
「う」
少女は口ごもった。
そして私を見るなり、すぐに話を逸らした。
「ちょっと先生!この子は誰?」
もう一度私を見るなり、少女は言った。
「というか、同一人物?」
「それはそうよ」
千花は自慢げに言った。
「私の従妹だもん」
「えええええ!」
少女は再び慌てて口をつぐんだ。
美梁より騒がしいんじゃないだろうか。
自分では美梁はうるさいって言っていたけれど。
これが第三者から見た意見です。
「まあ、見た感じそっくりだからそんなに驚きはしないけどさ。結構半端な時期に転校してくるんだね」
気持ちしょげこんだ私を、千花がフォローしてくれた。
「人には事情ってもんがあるのよ」
「じゃあ、ウチのクラスに来るのかな?」
「そうなっているみたいね。仲良くしてあげて」
少女は改めて私を振り返った。笑顔だった。
「私の名前は那波紫。これからよろしくね!」
紫はにこりと微笑むと、手を差し伸べた。
私もおずおずと手を差し伸べ、握る。柔らかい彼女の感触が伝わってきた。
「私は松代百花。よろしく」
「と、いうことだからさ、先生」
紫は不敵な笑みを浮かべて千花を覗き込む。
しかし、手は私の腕を力強く掴んでいた。
「百花を連行させていただきます!」
「うわあ!?」
紫は私の手を引いて勢いよく駆け出した。