君を知っている
プルルルルルルル・・・・
発車のベルが鳴る。私はギリギリ最後尾の列車に滑り込んだ。
車内は空いているが二人掛けのシートには大抵一人づつ人が座っており空っぽのシートは無かった。
まあいいか。立って行こう……
今日は祥子と真美と3人で買い物に行く。お金はあまり無いんだけど・・・
母が厳しくバイトは禁止されている。街を歩くと高校生募集のバイトが結構あって、魅力的な処もあるんだけどしかたない。
今日は母に事情を話し洋服代として少しお小遣いを貰ったのだ。
洋服を買うと母に言ったのだが本当はそろそろ新しいリュックが欲しくてまだどちらを買うか迷っている。
列車が動き出す。
しばらくボーっと外を眺めていると、
「あれ? 清水?」
と声を掛けられた。
ん?
声の主を探す。私の立っているドアの前の一番近い所の二人掛けシートに座った男だった。
誰だコイツは?
否。私はこの男を知っている。
この男は沢崎東吾。2年生の時に真美が告白して振られた男だ。
告白と言っても内気な真美は自分から伝えることが出来ず祥子が代わりに電話をして真美の気持を伝えたのだが。
振られた理由は良く分からなかったが後日、祥子から聞いた話では沢崎が真美の事を知らないからだとかなんとか。
祥子も少し怒っていたが頑なに拒絶されたらしい。
それにしても……
そもそもこの沢崎とは同じクラスになった事も一度もない。話した事もない。
帰宅部の私にとっては部活繋がりもない。それなのにいきなり声を掛けられて少したじろぐ。
そんな事もお構いなしに続ける。
「どこ行くん?」
「え? ああ、祥子と真美と買い物に……」
「祥子と真美? いつも一緒にいる子達か。まあええわ。それよりココ空いとるよ?」
と言いつつ自分の横のシートを指でつつきながら言った。
え……
隣に座れと?
いや、そりゃ友達とか知り合いならば男子の横に座るのもやぶさかではない。
しかしコイツは正直私の中では初対面と同義だ。
真美の事がありたまたま名前を知っているがそうでなければ同じ高校という事すら知らないかもしれない。
「どうしたん?ええよ?」
しかし向こうが私の事を知っているのに私がコイツを知らないフリをするのもちょっと失礼か?
「あ、ありがと……」
仕方なく沢崎の隣にちょこんと座った。つもりだったが、私のお尻が少し彼のお尻に触れてしまった。
「おおうっと」
大袈裟によろめくふりをしやがった。なんて失礼な奴だ。
確かに平均よりは少し太めかも知れない。しかしこれでも平均体重なのだ。
「どこに買い物行くん?」
「え? ああ、墨台駅周辺に行こうかと」
「ほんなら高校を通り越すね」
「そうだね。でもこの辺りだとアソコまで行かないと可愛い物ないんだよね」
「そうなんや。俺はあまり服とか興味無いからな。だいたいいつも近所のイオンやわ、ハハハ」
まあイオンも悪くはないと思う。私も普段はイオン愛用してますとも。
「沢崎君は何処行くの?」
この質問には勇気が必要だった。なにせ私が沢崎の事を知っているという事を相手に伝えてしまうという事だからだ。
「俺は井島とビリヤード」
「ビリヤード?」
普段私が使わない単語が出てきた。あの棒で玉を突くヤツだな。
「ビリヤード位知っとるやろ?あの棒で玉を突くヤツやん」
同じ説明かい。
「うん、知ってるけどなんかあまり詳しくなくて……。何処で出来るの?」
「俺らの高校の駅降りて、学校から反対側に歩くとネカフェがあるんよ。ソコで出来るよ」
そうなのか。ネカフェの存在は知っていたがビリヤードが出来るとは……。
それにしてもこの男はなんか訛っている。関西弁なのか?
「1時間600円なんやよ。安ない?」
関西弁ぽいがコテコテの関西弁という感じではない。広島とか四国の方なのかも。
「安いの? ソレ」
「え? 安ない?」
分からない。ビリヤードの価値が分からないから仕方がない。
「俺も最近になって井島に誘われて始めたんやけど、結構ハマってさ、マイキューとか買おうかと思っとるんよ」
なんか関東の人が無理やり関西弁を話している感じだな。エセ関西弁というやつかな。
「マイキューって何?」
「あの棒やん」
「ああ、あれマイキューって言うんだ」
「ははは、マイキューのマイは自分のマイやよ。あの棒自体はキューっちゅうの。あはは」
ぐぐぐ……
知らないんだから仕方ないじゃん。いよいよ失礼な奴だ。
「あ、そうなんだね。へへへ……」
「清水は何を買いに?」
「ん~、まだ決まってないんだ。洋服も欲しいけど新しいリュックも欲しくて」
「そうなんやね。スカートとか買ったら?」
え? 私はパンツ派だ。脚が太いというのもあるし。
「脚太いから普段からパンツなん?」
ぐ……。なんという失礼なヤツだ。確かに脚は太いが……。
「あはは。冗談冗談。オレ清水の脚の太さとか知らへんし」
知られてたまるか。
「でも似合うと思うよ」
似合わないよ! 何を根拠に。
「でもビリヤードやる時はパンツがいいと思うで。スカートだと下着が見えてまうからね」
ニヤリとして言った。
「私はスカートは履かないよ。ご想像の通り脚が太いでございますからね!」
「ゴメンゴメン! ホント冗談やって!」
「制服のスカートですら結構恥ずかしいんだから」
「そうなの? モヤシみたいな脚よりマシやん」
フォローになってない。
「清水って部活何やってたっけ?」
微妙な空気を察してか話題を変えてきた。
「部活はやってないよ。帰宅部」
「そうやろうな~。日焼けしとらへんし、それに……」
言いつつ私の全身を上から下に眺めながら言った。
コイツは! まだ引っ張るか!
「太くて悪かったね! これでも平均体重なんだよー。平均体重は見た目ちょっと太く見えるんだよー。」
「悪ない悪ない。俺平均体重大好きマンやから」
「なんやソレ?」
あ、訛りがうつった。
「さっきも言ったやん。モヤシみたいなのよりマシ」
それはあんたの趣味でしょうが。
「部活やってないなら勉強頑張っとるの?」
また話題逸らしか。
「いや、勉強もあまり……てへへ」
「清水は進学どこ?」
「まだ全然。沢崎君は?」
「一応行きたい所はあるけどね。」
「へー! どこ?」
「いや、内緒」
なんだよ!
「それより沢崎君ってなんか訛ってる? コッチの人じゃないの?」
「中学の時に親父の転勤の都合でコッチに越してきたんよ」
「元々どこだったの?」
「いや、めっちゃ田舎やし、恥ずかしいから内緒」
人の太さ散々バカにしておいてからに。
「へぇ~、田舎者なんだ」
さっきのお返しとばかりに意地悪く言った。
「おいー! あはは、まあ本当に田舎やよ」
お互い小バカにし合う事で少し距離が縮まった気がした。
「そうや、今度一緒にビリヤード行かへん?」
「え! やったことないしルールも全然知らないよ」
「そんなもん教えたるからええよ」
ビリヤードか……
楽しいかも……
でも……
私には素直に喜べない理由がある。
真美の事だ。真美はこの男にフラれている。私が沢崎とビリヤードなんかに行ったのが知られたらマズイ。
私が悩んでいるのを察したのか、
「ああ、あはは、気乗りしないなら無理せんでええよ」
そうじゃない、楽しそうだ。しかし悩んでいる理由を正直に伝えるべきか。そもそも先ほどコイツは 真美との事を覚えてないそぶりを見せたではないか。
「えーっとね、えと……」
「なになに?」
どうしよう……
車掌のアナウンスが流れる
「まもなく鏡川~鏡川~。お出口は左側です。お手荷物等お忘れないようご注意下さい」
「あ、降りんとあかん。そうや、清水、LINE教えて! ビリヤードの話途中やったし」
「え、ああ、LINEね。ちょっと待って……」
慌ててQRコードを見せる。
「よっしゃ。ほんならまたLINEするわ。バイバイ」
「バイバイ」
ふぅ~……
何だろう。
初めて話したのに。
私には男友達と呼べる存在はいない。
高校ではあまり目立たないし。
女子の数が多い私の高校では学年に3クラス程度女子クラスが存在する。
私は運悪く(?)3年生までずっと女子クラスだ。男子の友達など出来る筈もない。
男子と話す事にすら慣れていない。面と向かってまともに話せないのだ。
でも……
初めてまともに男子と会話が出来たような気がする。
楽しかった。
まだドキドキしている。
こんなに自然に話が出来るなんて。
あの変な関西弁のせいかな……
沢崎の性格もあるのかな……
ビリヤードか……
結局、リュックを買った。
母は特に何を買ったのか聞いてこなかった。
夕食後弟の部屋に行く。
「タカシ、ビリヤードって知ってる?」
「おい! いきなり開けるなよ!」
「ゴメンゴメン。それよりビリヤード」
「知ってるけどやった事はない」
「そうなんだ」
「なに? 姉ちゃんビリヤードやるの?」
「いや、ちょっと誘われててね」
「へぇ~、彼氏?」
「そんなもんいない!」
「へへへ、まあネットで調べればいいじゃん」
ニヤニヤしながら言った。
「そうだね、ありがと」
そう言って部屋から出た。
自室に籠りスマホでビリヤードを検索する。
その途端LINEが来た。
沢崎だ。
沢崎「こんばんわ~w」
……
すぐに既読を付けるべきか……
変なプライドが湧き出てきてすぐに既読を付けられなかった。
何やってんだろ……
2分程間を置いてから既読を付けた。
「こんばんは」
すぐに既読が付く
沢崎「スカート買った?w」
「ううん。結局リュック買っちゃった」
そもそもスカート買うなんて一言も言ってない。
沢崎「そっか~残念w」
何が残念なのか。
「ビリヤード楽しかった?」
「うんうん。でも今日も井島に負けたけどね」
「いまだアイツには未勝利」
「そうなんだ。井島君て上手なんだね」
私は井島という男を知らない。
いつも沢崎と一緒に帰っている男か。
「んで。ビリヤードどう?一緒に行こうよ」
やはり来たか……
正直ちょっと楽しそうだし行ってみたい。
でも……
やはり真美の事を気にしてしまう。
この誘いに返信出来ずにいた。
既読を付けてから5分程経ったがそれでも返信出来ずにいた。
「やっぱり俺とじゃダメかw」
「いいよいいよw気にしないでw」
そうじゃない。そうじゃないんだけど……
「違うんだよ」
「え?」
「別に沢崎君が嫌とかじゃないんだよ」
「そうなの? じゃあなんで?」
……
また5分程返信出来なかった。
「あんまりビリヤードが楽しそうじゃないのかな?」
「そんなことない」
「楽しそう」
初めて2回連続でメッセージを送った。
「じゃあいいじゃん。行こうよ?」
メールだと標準語なのか。
「実は、ちょっと事情があって……」
「なんだよ? 気になるな~」
「ん~……。難しい問題」
突如着信が鳴った。沢崎だ。
「もしもし……」
「へへへ、電話しちゃった、へへへ」
「ははは……」
ぎこちない沈黙が流れた
「ちゃんと理由を教えて欲しい。どうしたん? 難しい問題って?」
沢崎が切り出す。
「んー……」
言うべきか
「俺が原因でもビリヤードが原因でもないんやろ?」
会話だと変な関西弁になるらしい。
「うん……」
「ならなんなん?」
「実は……」
「お! 言って言って」
・
・
・
「真美の事で」
「真美?」
「私の友達。今日一緒に買い物行った子」
「はいはい、真美さんね。何があったか知らんけどその子がどうしたん?」
告白された相手を知らないとか本当にデリカシーのない奴だ。
「真美の事覚えてない? 本当に」
「覚えてないちゅうて、なんかあったっけ?」
「真美。梅村真美」
「梅村?」
心当たりがあるようだ。
「え? 真美さんって梅村って苗字やったんか」
「真美が沢崎君に告白したこと覚えてる?」
「覚えとるよ。そっか、あの時の子は真美さんやったんやね」
「そやけど、俺に伝えてきたんはその子の友達やよ」
「祥子ね」
「祥子さんやったんか。名乗らんからわからんかったわ」
「ようは友達を振った男とは一緒に出掛けられんっちゅうことやね?」
「まあそうだね」
・
・
・
少しの沈黙があった。
「清水はどうしたいん?」
どうしたいんだろう……
沢崎とは何故か自然に話せられる。
別にビリヤードじゃなくても沢崎と話をしていたい。
え?
話をしていたい?
自分の気持ちが解らない。
沢崎を意識している自分がいる。
今日初めて話したのに。
今まで何とも思っていなかったのに。
真美が振られた相手なのに。
でも、もっと話していたいと思った。
こんな気持ちは初めてだ。
でも……
今日は結論が出せない。
「ごめん。ちょっと考えさせて欲しい」
「うん。わかった。無理言ってごめんね。」
「ううん。コッチこそごめん。せっかく誘ってくれてるのに」
「ええよええよ。気にせんといて」
「ほんならおやすみ」
「うん、おやすみ」
・
・
・
こうして慌ただしい日曜日は過ぎて行った。
数日後 学校にて
「千恵ー」
後ろから名前を呼ばれた。祥子だ。
鈴木祥子
私達3人の中心的な人物だ。大きな性格で私達の姉さんという感じである。
「今日のお昼は何にする? いつものパスタパン?」
パスタパンとは食パンの上にナポリタンが乗っている惣菜パンだ。私の大好物である。
結局というかやはりというかパスタパンを購入して席に着く。
祥子が向かい合って座る。
真美は3年生になってからクラスが別になってお昼は一緒に食べなくなった。
祥子がポテトパンを食べながら日曜日の買い物の事などを話していた。
沢崎の事もあり心ここにあらずの私に気が付いたのか
「千恵、どうしたの? なんか悩み事?」
むしろ祥子に感付いて貰いたくて悩んでいるフリをしていたのかも知れない。
「うん……実は……」
私は日曜日の出来事を祥子に話した。
ただし、ビリヤードに誘われた事は言わなかった。
祥子はキョトンとしながら、
「え? 沢崎あんたを呼んだの?」
「うん。電車でいきなりね」
「……」
「で、まあちょっと話をしただけなんだけどね」
「そっか、あんたが男子と会話できるなんて意外」
たしかに……
「アイツなんか訛ってるよね?」
祥子が言った。
そうだ。祥子は沢崎と電話で会話した事があるんだ。
「んで、あんたの悩みは……」
「真美を振った男と会話しちゃった事を気にしてるんだね」
期待通りか予想通りか祥子は私の悩みを的確に指摘してきた。
「うん。いきなり向こうから話しかけられたのもあるんだけど」
そもそもこんな事を祥子に相談するべきなのか。
誰かに許しを請う必要があるのだろうか。
許しを請うならば真美ではないのか。
それ以前に許しを請う事なのか。
自分自身でもどうしたらいいのか解らなかった。
「何を悩む事があるの? アイツが千恵に声を掛けた。隣に座って駅までお話しをした。それだけじゃん」
そうなんだけど漠然とした罪悪感がある。
「ひょっとしたらアイツ千恵に気があるかもよー?」
からかうように祥子が言う。
「そんなことないって。たまたま電車が一緒になっただけなんだし」
心のどこかでそうであったらいいなという気持ちがあった。
え?
そうであったらいい?
どうして?
なんで沢崎は私に声を掛けたのだろう。
一度も話した事すらない。
挨拶すらした事もない。
お互い名前を知っている事すらあの時まで知らなかった。
そんな関係なのに……
沢崎がどうして私をビリヤードに誘ったのかも解らない。
たまたま電車で出会ったから?
会話に困ったから?
私じゃなくても誘ったのかも……
私は人を好きになった事がない。
意識した男子もいない。
目立たず浮かれず高校生活を送ってきた。
家族と祥子と真美が私の生活の全てだ。
少なくとも現在までは。
そこに突如異質な存在が入ってきた。
高校男子だ。
私だって一応普通の女子高生だ。好きなアイドルだっている。
ただ……
ただ、私の生活の中にいきなり普通の男子高生が入って来た。
今までは全く縁の無かった存在だ。
免疫の無い私にはこれからどうなるのか、どうしたらいいのか、どうするべきなのか解らないでいた。
うつ向いている私に祥子が言った。
「そうそう、真美ね、相川高校の子と付き合ってるらしいよ」
そう言うと祥子は食べ終わったポテトパンの包み紙をクシャクシャに丸めながらニヤリとして席を立った。
帰宅後シャワーを浴び食卓のテーブルに座って紙パックのジュースを飲む。
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何故かカロリーを気にするようになってしまった。日曜日の事があるからだ。
ユニクロのMサイズをなんとかキープしなくては。
夕食まではまだ2時間ほどある。
スマホに手を伸ばしビリヤードを検索した。
今日は水曜日である。そろそろ返事をしないとダメかな……
相変わらず結論を出せないでいた。
夕食を済ませ自室に籠る。
スマホに手を伸ばし、祥子に電話をした。
「あら? 千恵? どうしたの?」
「うん、じつは……」
「どうしたー?」
「実はお昼に話していない事があるの」
「ほうほう」
祥子は楽しそうだ。
「沢崎の事?」
「うん」
「だろうね。なんか煮え切らなかったもんね」
祥子に全て話した。日曜日の事。ビリヤードに誘われた事。
「うーん、なるほどねぇ。意外だなー」
私が何も言えないでいると、
「別にいいんじゃない? ビリヤードに行くくらい」
どこかでこの言葉を期待していた。
「もう1年も前の事だし、真美だって今は彼氏いるんだしね」
そうなんだけど……
「沢崎だってどういうつもりであんたを誘ったのか解らないんだし。いきなり告白された訳じゃ無いんでしょ?」
「まあ……」
「要はあんたがどうしたいかじゃないの?」
行きたい気持ちが強くなっている。
別にビリヤードがしたい訳ではない。
自分でも判っている。沢崎と話がしたいのだ。
「どういう決断をするにせよ、いちいち私に報告しなくていいからね」
祥子が言う。
「うん、わかった。ありがとう」
「まあ、散々悩め。ははは」
祥子が大きな声で笑った。
駅のホームを降り改札を抜ける。
改札口の向こうで祥子と真美がこちらを向いて手を振った。
「おはよう、千恵」
「祥子、真美、おはよう」
祥子と真美は反対方面から電車で来る。彼女達の電車の方が5分程早く駅に着くのでいつも改札口の外で待ってくれているのだ。
駅から学校まで10分程歩く。
下駄箱で上靴に替え廊下を歩き始めた所でドキッとした。
沢崎だ。
沢崎がこちらに向かって歩いてくる。隣にいるのは例の井島であろうか。
目を合わせられないままお互いすれ違おうとした時、祥子と真美に気づかれない様に沢崎がこちらを見つめ、そしてニコリとした。
笑顔を返す事が出来ないまま距離は離れて行った。
祥子も沢崎に気づいていただろう。真美にとってはなおさらであろう。
曖昧な会話をしたまま真美と別れ、祥子と教室に入り席に着いた。
半分開いた教室の窓から5月の乾いた風が吹き込んだ。
そろそろ返事をしなくちゃ……
夕食も終え部屋のベッドでごろごろしながら相変わらず悩んでいる。
悩んでいるのかな……
本当はもう心の中では決めているのに……
悩んでいるのはメールをする勇気がなかなか出てこないからだ。
いいよ。OKです。ありがとう、行きます。行くことにしました。しょうがないなー、いいよ。
なんてメールをすればいいんだろう・・・
こんな経験はもちろん無い。相談する相手もいない。全て自分で決断して実行しないといけないのだ。
メールで返事で良いのだろうか……
直接声で伝えた方が良いのだろうか……
後者は勿論出来る自信がない。電話に出なかったら……。忙しそうだったら……。
色んな事を考えてしまう。
「誘ってくれてありがとう。連れて行ってくれますか?」
文章を入力し送信ボタンを押すだけだ。
窓から入ってくる風がカーテンを揺らす。
目を瞑ってボタンを押した。
直ぐに既読は付かなかった。
既読が付いた瞬間、チャットルームを閉じる用意をしていたのだが5分程経っても既読は付かなかった。
ホームボタンを押してLINEのアイコンを見つめる。
アイコンに①が付くのをただひたすらに待ち続けた。
20分程で①が付いた。
きたーーーー!
心臓がドキドキしている。いや、待て、祥子か真美かも知れない。
震える指でタップした。
沢崎だった。
「やったね!ずっと待ってたよ」
ほっとしたと同時に嬉しさがこみ上げてきた。
「日曜でいいよね? 土曜日バイトなんだ」
すぐに続きのメールが来た。もちろん日曜は空いている。空けていたというべきか。
「うん、いいよ」
沢崎「駅から学校とは反対方面行くからね。9時の電車に乗ろう」
「結構早いんだね」
「ネットカフェだよ? 24時間やってるんだから」
そう言えばそうだった。
「うん、わかった」
「スカート穿いてきちゃだめだよwへへへ」
言われなくても穿かない。
「わかってるよ」
「じゃあ日曜ね、おやすみ~」
「うん、おやすみ」
散々悩んだ末、パーカーの上から薄手のジャケットを羽織った。勿論下はジーンズだ。
これなら悩む事もなくいつもと同じコーデではないか。
女の子らしい可愛いワンピースやスカートなど持っていない。
私が持っているスカートと言えば、やや長めのフレアスカートくらいだ。
やばい! 遅れちゃう。
慌てて靴を履き自転車に乗る。駅まで10分だ。
5月なのに少し肌寒い。
上着羽織って正解だったな……
駅に着くと改札前で沢崎が立っていた。
待たせちゃったかな。
沢崎がこちらに気付き手を振った。
男子に手を振るなんて慣れていない。ぎこちなく小さめに手を振った。
丁度電車が発車した所で乗車位置の先頭に2人で並んだ。
学校では気付かなかったが隣に立つと結構背が高いんだ。158㎝の私より20㎝位大きい気がした。
「沢崎君、背が高いね。何センチ?」
「179㎝。どう?あと1㎝やで! ホントあと1センチやったんやけどなー」
いや、十分大きいでしょ。
「1センチくらい誤魔化しちゃえばいいじゃん」
「いやいや、俺は正直もんやからズルは出来んのや」
本当に隣に並ぶと大きい……
やっぱり男の子なんだね……
「なんか余裕を感じるね。1センチを誤魔化さない所に」
「そうやな。こればっかりは両親に感謝やで。清水は何センチ?」
「158……」
「体重は?」
「ご・・・、ハッ!」
危ない!
「内緒!」
「ははは、先週の日曜日の事忘れたんか?清水自分で平均体重って言ったやん。身長白状したらあかんわな」
し、しまった……
「えーっと、平均体重、女子高生、158センチ……と」
「やめてー」
スマホで検索しようとしていた手を押さえる時自然と手が触れた。
「ははは。まあええわ。家でじっくり調べられるし」
「うう……」
電車が入線するアナウンスが流れゆっくりと停まった。
日曜日のせいか車内は幾分空いているようで座れそうなシートもある。
ドアが開くと同時に沢崎が早足でシートに向かい大げさにドカっと腰を下ろし窓際へ移動し私の 分のスペースを空けた。
私は自然と彼の横に座る。
胸がキュンとし少し汗ばんだ。
目的の駅まで20分程であろうか。
何を話そう……。沈黙したら気まずいよね。
心配をよそに沢崎が話し出す。
「清水は休みの日は何しとるん?」
え? 休みの日かー。何してんだろ私。
適当に朝食とって、適当にスマホ見たり、母の買い物に付き合ったり……
何の変化も、刺激も何もない。たまに祥子と真美に会ったりするくらい。
本当何してるんだろう……
「特に……何もしてないかな」
「それじゃあ話題がつながらへんやんけ」
沢崎が笑いながら言った。
「沢崎君は? 普段何してるの?」
「俺は割と勉強しとるよ」
ドヤ顔で言った。
「そうなんだ。そういえば言ってたね、希望の大学があるって」
「うん。行きたい大学はあるよ。まだ決まってないけどね」
「まだ決まっていない?」
「うん」
どういう事だろう……希望の大学はあるのに決まっていないって……
「どこに行くか決まっとらへんからどこにでも行けるように頑張っとるんやよ」
私の疑問に答えるかのように沢崎が言った。
ビリヤードのルールを少し教えてもらい始めてみたがコレがなかなかに難しい。
まずキューにボールが当たらない。当たってもボールは明後日の方向に転がっていく。
今日やってるのは9ボールというやつらしいのだが一度も勝てない。
負けた方が球をセットするルールで始めたのだが、私がセットするとボールが上手くバラけないらしく結局沢崎が全てセットした。
私は最後まで勝つことが出来なかった。
「清水は何飲む?」
「あ、じゃあアイスティーで」
ドリンクバーから沢崎が飲み物を運んで来てくれた。
「どうやった? あんまり楽しくなかった?」
「そんなことないけど、上手にできなくて……」
「続ければ上手くなるよ。また来よう」
また来よう……
また来たい。
ネカフェを出て川沿いの道を二人並んで歩く。
周りには私達はどう見えるんだろう……
ただの友達? それとも……
「ちょっと休もう」
沢崎がベンチを見つけ指さした。
少し肌寒かった風もすっかり暑くなっていた。
ベンチに座りなんとなく川を見つめる。
楽しい……
嬉しい……
だけど、やっぱり真美の事が気になってしまう。
「真美ちゃんの事気にしとるやろ?」
図星を突かれて焦る。
「うん」
罪悪感……?
罪悪感と言うのは悪い事をしている時に感じる物ではないのか?
今、私は悪い事をしているのだろうか?
これからの自分の行動に対してだろうか?
罪悪感の行く末は……
気になっている疑問をぶつけた。
「ねえ、どうして真美の事断ったの?」
「ああ、そのことか」
聞かれるのを予想していたようだ。
「今でこそ真美ちゃんの事を知っとるけど、あの時は知らんかったからね」
「知らないからって断るの変じゃない? 知れば気に入ったかも」
沢崎が少し深呼吸したようだ。
「俺、好きな人の名前は知っとるからね」
「え、どういう意……」
ハッ……!
――あれ? 清水?――
彼は私の名前を呼んだ。
初めて電車で会った時確かに私の名前を呼んだ。
「梅村に会いもせんと、知りもせんと断った事を言っとんの?」
「……」
「どっちが良かったのか今でも分からん。でも会ってからやっぱお断りしますっちゅうのと、どうせお断りするから最初から会いませんちゅうのとどっちがええんや? 俺は後者を選んだだけや」
「そやから俺は祥子さん? やっけ? 電話してきたん人、に言ったんよ。俺は好きな人の名前は知ってる。梅村さんちゅう人は知らんからお断りしますってね」
何も言えないでいた。
私の解釈が正しければ……
沢崎は私の名前を知っていた。全く関わりが無かったのに。
「ええ加減気付いたやろ?俺、清水の事好きや。出来るなら付き合って欲しい」
薄々感づいていた。
期待もしていた。
でも初めての経験で自信が持てないでいた。
今まで蓄積された疑問を次々に尋ねる。
「なんで私を? 話した事すら無いのに」
「なんで言うても……そんなん知らんよ。好きになったもんはしゃあないやん」
「私の名前をどうやって知ったの?」
「清水のクラスくらい観察してれば入る教室で判るやん。あとは廊下通りつつ座っている席確認するやん、出席番号11番やん。そこまで判れば簡単やん」
「私なんて太いしスカート穿かないよ?」
「前にも言ったやん。俺平均体重大好きマンって」
褒められている気がしない。
「朝も言ったけど俺、今勉強頑張ってるんよ。行きたい大学があるからね。でもまだどこか決まってない」
何故急に進学の話を。
「行きたい大学って言うのは清水が行く大学なん。清水の学力分からんからどこに決まっても同じ大学行けるように頑張ってるんよ」
そうなんだ……そう言う事だったんだ……
「女子大にしようかな」
意地悪く言ってみた。
「マジかー?」
「ははは」
・
・
・
「で、どうやろか?」
5月の午後の日差しが照りつける。
「こんな私でよかったら」
「やった!」
沢崎は子供のように喜んだ。
最後に私はどうしても気になっている事を質問した。
「ねえ、沢崎君の方言ってどこ?」
おしまい