ネコは小学4年生
ぽつん ぽつん雨降りの日。俺は黄色い傘の向こう側に段ボール箱を見つけた。さっき降り始めたばかりの雨は段ボールに水玉模様をつけている。俺は不自然に置かれたその段ボール箱になんだかいやな予感がして走って通り過ぎようとした。
「なおーん」
駆けだそうとしたその時、段ボール箱の中から話しかけるみたいな声がした。
「なおーん」
ああ、やっぱりあいつだ。中にはあいつがいるんだ。俺はするどい爪で引っかいて来るあいつが苦手だ。恐る恐る通り過ぎようとするともう一度声がした。今度は寂しいような哀しいようなか細い声で。
「なおーん……」
中からはがりがりと引っかくような音も聞こえる。そいつは段ボール箱の中に閉じ込められて出られないみたいだった。
「どうしよう」
さっきまでポツンポツンだった雨はボツボツボツっと強くなっているし、段ボールが雨でとけたらあいつはびしょ濡れになっちゃうし、そうしたらきっと身体が冷えて風邪を引いちゃうかもしれない。それはちょっとかわいそうだ。
俺は段ボール箱に近づいてそおっと箱の中を覗いてみた。すると薄暗い箱の中にオレンジ色のしま模様が見えた。ギラギラと光る目は俺をじっとみつめている。
「俺はお前が苦手なんだ。ここを開けといてやるから好きなところへ行けよ」
俺は段ボール箱が濡れないように傘を立てかけた。できるだけ箱から身体を離し深呼吸する。だって箱を開けたとたんに牙を剥いて爪を立て、襲って来るかもしれない。逃げる準備を整えて自分に言い聞かせる。
「123で行くぞ……。よし、1……2、3!」
3と同時に勢いよく箱を開けダッシュする。あいつは襲って来なかった。小さくなっていく黄色い傘の下で「なおーん」と鳴く声が聞こえた。
次の日はぴかぴかの晴れだった。通学路を歩いていると黄色い傘と段ボールが見えてきた。俺はあいつがいないかドキドキしながら箱に近づいていく。すると近くを通りかかったおばさんが傘のさしてある段ボール箱をのぞき込んでいた。
「あら、何もいないじゃない。捨てネコでもいたのかしら」
「捨てネコ?」
俺が聞き返すとおばさんは目をまん丸にして俺を見た。
「あら今の子は捨てネコを知らないのね。もう最近じゃ捨てネコなんて見ないものね。おばちゃんが子どもの頃はね、かわいそうに飼えなくなったネコがこうやって捨てられていてね。おばさんも仲良くなった捨てネコを新しい家族に迎え入れたのよ」
あいつ捨てられていたのか。うちのお母さんは動物が好きだし、連れて帰れば喜んでいたかもしれない。でも俺の苦手なあいつがいつも家にいたら? そう考えただけでぞっとしてぶるぶるっと首を振った。
「きっと優しい人に拾われたのね」
おばさんはそう言うと行ってしまった。俺はあいつが戻ってくるかもしれないし、もう少し傘をそのまま置いておくことにした。
「サトシくんおはよう!」
下駄箱で同じクラスのリナが声をかけてきた。
「おはよ」
いつもなら挨拶だけなのに今日は何か話したそうにうずうずとしている。
「どうしたの?」
「あのね、先生にはまだ秘密って言われたんだけど。今日転校生が来るんだよ! さっきそこで先生と転校生にばったり会っちゃったの」
「へー。どんな奴だった?」
「もうめちゃくちゃかわいいの!」
リナはきゃっきゃっとはしゃいでいた。転校生は女子か。4年生は1クラス。しかも女子の方が多い。男子が増えたら良かったのに。
「このクラスに新しい仲間が入ります」
リナが言っていた通り朝の会で先生が転校生の話を始めた。みんながざわざわとする中、先生は廊下で待っている転校生を呼ぶ。
「さぁ入って」
すると15センチほどしか開いていない教室の隙間からひゅるりと小さなそいつが入って来た。オレンジ色のしま模様。それは箱の隙間からかすかに見えたあいつと同じだった。
「転校生のネコくんよ。みんな仲良くしてあげてね」
俺以外のみんなが「はーい」と元気に返事をする。ネコは器用に2本あしで立つと「なおーん」とていねいにおじぎした。
「じゃあネコくんの席はサトシくんのとなりね。サトシくん、ネコくんの世話を頼んだわよ」
ネコは俺のとなりの席に行儀よく座った。俺はネコからできるだけ離れるように机のはしっこに身体をよせる。これは夢なのか? 目をごしごしとこすってもとなりの席では普通にネコが毛づくろいをしていた。ふと目が合うとネコはまるでよろしくとでも言っているように「なおーん」と鳴いた。
転校生のネコはとってもマイペースだった。授業中でも眠くなれば机の上で丸くなって寝ちゃうし、体育の時は校庭にいる小鳥を追いかけて行っちゃう。それに教科書で爪とぎだってしてしまう。
「先生! ネコくんが俺のえんぴつにじゃれてきてノートが書けません!」
先生に助けを求めても先生はネコを見てうっとりするだけだ。
「あら、かわいい。ネコだから仕方ないわよ」
授業の邪魔をするなんてネコじゃなかったらきっとすごく怒られているけれど、先生もネコにはとても甘い。
休み時間になると他の学年の子たちも4年生の教室に集まってきた。
「いいなぁ、4年生はネコくんがいて」
他の学年の子たちがうらやましそうに言う。先生たちもネコが授業を受けているのを見に来た。
「昔はネコもよく小学校に通っていたが今じゃ見かけなくなったからねぇ」
「いやぁ、なつかしいですなぁ」
校長先生と教頭先生がそう話しているのが聞こえてきた。ネコはそんなことおかまいなしで身体をめいっぱい伸ばし大きなあくびをしていた。好き勝手しているだけなのに、ネコは小学校の人気者だった。
「サトシくんは撫でてあげないの?」
リナがネコを撫でながら言う。ネコは気持ちよさそうに目を閉じていた。ときどきネコは甘えてリナの指を噛む。あんなするどい歯で噛まれたら痛いに決まっている。
「撫でないよ! 俺はネコが苦手なんだ」
俺が手を引っ込めるとリナは怒って口をとがらせた。
「ちょっと、そんな言い方したらネコくん傷つくじゃない」
見ればネコは耳を垂らしてしょんぼりとした。
「そんな顔してもだまされないぞ。ネコはひっかくし噛みつくし、お前だって本当は凶暴なんだろ」
「ネコくんはそんな乱暴なことしないわよ。だって同じクラスの仲間なんだから」
リナがネコに言うとネコは返事するように「なおーん」と鳴いた。
「さぁ撫でてあげて」
リナは俺にネコを近づけた。俺は仕方なく手を伸ばす。ネコは手に顔を近づけて指をぺろっとなめた。思わず手がびくっと固まる。それでもネコはぺろぺろと指を舐めた。ざらざらして変な感じ。指の先で頭を撫でると柔らかくてつやつやで温かい。何よりもネコがとても気持ちよさそうにするからたくさん撫でてやりたくなった。ネコは俺の膝の上で丸くなりすーすーと眠ってしまった。
「寝ちゃったね」
「うん」
俺は眠るネコを膝に乗せたまま5時間目の授業を受けた。授業が終わると目が覚めたネコは俺に身体をすりよせた。頭から尻尾まで撫でてやるとネコは目を細めてゴロゴロとのどを鳴らした。その様子をみていたリナがにっこりと笑う。
「仲良くなってくれてよかった」
「まぁ……こいつはクラスメイトだし」
ネコは嬉しそうに「なおーん」と鳴いた。
帰りの時間になるとみんながネコにさよならを言いに来た。
「ネコくん、バイバイ! また明日ね~!」
「明日は私の牛乳分けてあげるね~!」
ネコは一人一人に鳴いて返事をした。俺がランドセルを背負い教室を出ようとするとネコが後ろからついてきた。
「なんだよ。一緒に帰るのか?」
「なおーん」
俺はネコと一緒に通学路を並んで歩く。そして黄色い傘と段ボール箱が見えてきた。ネコはそこで立ち止まり「なおーん」と寂しそうに鳴いた。
「そっか。おまえの家、ここだったよな」
昨日雨に濡れた段ボール箱は乾いてがびがびになっていた。箱の中は新聞紙が1枚引いてあるだけで夜になったら寒そうだった。黄色の傘を畳むとネコは不思議そうに俺を見上げた。
「おまえうちに来いよ。だって段ボールの家に住んでいる小学生なんていないだろ」
抱き上げるとネコは俺の腕の中でごろごろとのどを鳴らす。ネコを抱いて帰ってきた俺にお母さんはすごく驚いていた。
「ネコ苦手なんじゃなかったの?」
「こいつはクラスメイトで友達だから」
お母さんは首を傾げていたがネコのかわいさにすぐに夢中になっていた。黄色の傘を傘立てに入れるとぴちゃぴちゃっと水しぶきが飛んだ。お母さんは玄関のドアを開け空を見上げる。
「雨やんだのね」
今度は俺が首を傾げた。今日は雨なんて降っていなかったのに変なお母さん。
「ほらきれいな虹が出てるわ」
晴れ渡る空にはきれいな七色の虹が出ていた。
「こいつの名前『ニジ』にしようかな。ニジ、今日からここがお前の家だよ。明日も一緒に学校行こうな」
ニジが嬉しそうに「なおーん」と返事をする。オレンジのしましまに顔を寄せると、ニジはとても温かくて少しだけ雨のにおいがした。