「Hero A Killer ②」
「お兄さん!……そこのアンタ、ねぇちょっと聞いてる?おーい、もしもーし? アタシのコト見えてる? ココにいますよー」
「……」
女がずっと後をつけてきていた。女は手にアタッシュケースを抱えていて、ソレに関わるとろくな事にならないことをアキラは知っていた。
だからアキラはあえて無視していたが、かれこれニ時間はこの状態だった。
「ちょっとおに」
「……ああ参った参った降参だ。負けだ、オレの負けだ。話だけ聞いてやるから要件だけ手短に頼む、オーケー?」
あまりの執拗さに根負けしたアキラは振り返り、女が自分を呼ぶ前に話しかけた。
そこにいたのは赤褐色肌の女だった。濃いアイメイクに、翼のようなまつ毛。猛禽類じみた長い爪には蛍光色のネイルが施されている。
走って追いかけてきたのか、露出した胸元は玉のような汗で濡れている。所謂ギャルだ。
「お兄さんさぁ、火星人でしょ?」
「オレのこと知ってるの?」
アキラは火星生まれの生粋の火星人だ。しかし今の時代、地球外生まれの人間など珍しくもなんともない。人にもよるが見た目の区別もそう簡単には付かない。
「美味そうな人間の女だ。火星人と分かっていてわざわざ近寄ってくるなんて、その後はどうなるか分かっているんだろうな?」
少しからかってやろうとアキラは女を壁際に追いやると、顔の横で手を付くと耳元で囁くようして言った。
「……こんなカンジで捕まっちゃうんじゃね?」
女は冷静に言った。アキラは手首に冷たい感触と、手首が持っていかれるような重さを感じた。
「テメェどういうつもりだオイ! 今すぐ外せ聞いてんのかキサマこっち来いって今なら優しくするからよお」
アキラは怒りを込め、捲し立てるように言った。
怒るのも無理はない。アキラの手首には女によって、持ち手に手錠が繋がれたアタッシュケースが手首に嵌められていた。
これが俗に言う、ハメるつもりがハメられたというやつだ。
「あーっ! テメー何のつもりだこのザマはよお! まさかとは思うが……私服警官か?」
「んー、違うかなー。アタシはノーマルな一般市民だしー」
「じゃあ今すぐ外せ。な?今ならたった十万で許してやる」
「ゴメン!! イケメン君。アンタさ、アタシの代わりにこれ預かっててくんない? 一日、一日だけでいいからさ! マジなお願い、この通り!!」
女は何度も頭を下げ、必死に懇願する。
「一日だけ!? んならコインロッカーにでも後から入れて取りにいきゃあいいだけだろ? なあ?」
「それはダメ! 絶対にダメ! 人にさ……直接渡さなきゃイケナイっぽいんだソレ」
「はあ? お前がコレを誰かから預かって、その後誰かに渡せって言われたってことか? おいおい……勘弁してくれよ絶対ヤベー仕事じゃんそれさあ」
「……アタシ、怖くなってさ。遊ぶお金が欲しくて、いい仕事があるって聞いて引き受けた私が悪いんだケドさ。今になって後悔してんだ……遅いよね、もう」
女は急に大人しくなったかと思うと、涙目でゆっくり語り始めた。
「ゴメンねお兄さん……アタシ、他当たるね」
「――ちょっと待て」
それから手錠の鍵を外そうとする女。アキラは迷いから頭を掻き毟る。暫く考えた後、女を呼び止めて言った。
「んああ! 分かった。仕方ねえ、これはオレが預かる」
「え!? ホントに?マジ助かるー!! お兄さん素敵ー!」
アキラは半ば破れかぶれで言った。それを聞いた女は、瞬時に感情を切り替えるように笑顔になった。
「……保管料。オレを無料コインロッカーと勘違いしてんじゃねえ。対価を支払うのは当たり前だろ?」
「まあ普通に考えてそーだよね! タダってワケにはいかないかあ。じゃあアタシの」
アキラは要求するように、直ぐ手を差し出して言った。女はしばらく困った表情を見せた後、着ていた服を脱ごうとした。
それをすぐに止めるように、アキラが女の手首を掴んで言った。
「ダ・メ・だ。生憎、女には事足りてるんでねえ。ここは金か物しか受け付けねえ。なにも寄越さないというのなら話は振り出しに戻るぜ! さあ今すぐコレを外して荷物を持ってとっとと帰ってくれ」
アキラは女にアタッシュケースを差し出すようにして、強い口調でそう告げた。
すると女は分かりやすく焦るように、慌てて全身をまさぐった。そして、何かを思い出したように大きく開いた胸の谷間へ指を差し入れた。
出てくるのはダイヤの付いたブランド物のネックレスか、それとも金の延べ棒的なやつかとアキラは大いに期待した。
「コレなんてどーよ」
しかし、女が取り出したのは細身の瓶だった。アキラは分かりやすくテンションが下がった。
「……なんすかコレ」
アキラは棒読みで、興味の無さそうに尋ねた。
「お兄さんさぁ、さっきエナドリ飲んでたっしょ?これまだ市場に出回ってないヤツ。《《限定品》》!! これマジなハナシ。なんならオマケに普通のエナドリもつけるし」
アキラは瓶を手に取ってみた。手の中に収まる程度の大きさながら重い。中には紫色の液体が入っているようで、動かすと気泡が瓶の中を上下する。
パッケージには、瓶を一周するようにPARADOXINとだけ書いてある。
これはエナジードリンク狂いのアキラですら見たことの無い商品で、女が言う限定品もしくは流通前の商品である事は確かだった。
「……ふーん。限定品ねぇ」
――そしてアキラは、限定品や希少という謳い文句にめっぽう弱かった。だから気がつくと瓶は既に手の中に納まっていた。
「仕方ねえ、コレで勘弁してやるか。今回は特別の特別だ、次は無いからな。と言ってもまあ会うことは無いだろうが」
アキラは女に強く念を押すように言った。
「それと最後に約束! 一つ目、その瓶の中身よく効くらしいカラ、本当に必要な時に飲んでね! 二つ目、アタシから貰ったって、絶対誰にも言っちゃ駄目だかんね。二人だけの秘密ってことでヨロ! そんじゃまたね〜」
女はアキラの耳元でそう告げた。それからはにかみを見せると、小走りで階段を駆け下りていった。
「かわいい子だったわ……あ! 名前聞くの忘れたし誰に渡すのかも聞いてねえ! ってもう間に合わねえか」
余韻に浸っていた時、大事なことを聞きそびれたことにアキラが気付いた。呼び戻そうと階段下を見た時には、既に女の姿はなかった。
この時、改めて手首に嵌められた手錠の重みを感じながら、半ば勢いだけで依頼を受けてしまったことを少しだけ悔いていた。
「本当オレってバカだわ……あーサイコーに美味し!」
アキラはオマケに貰ったエナジードリンクをいつも以上に味わって飲んだ。
そして、根っからのエナジードリンク中毒であることを再確認した。
――夜も更けた頃、家で寛いでいたアキラは、玄関外に何者かの気配を感じた。
アキラは足音を立てないように靴を脱ぎ、そっとつま先立ちで歩いて玄関に向かった。
ドアに近づき耳を澄ませる。コンクリートの上を一歩一歩踏み締めるようにして歩く、重量感のある足音。大人であるのは間違いない。
一人か二人、いや三人だ。外には少なくとも三人いる。そして、その内の一人は女だ。アキラはそう推測した。
なにか音がする。ジッパーを開ける音だ。何かを開けているのだろうか。気になったアキラは除き穴から見てみようと決める。
だがこの時、気をつける点がある。外に誰かがいると判明しているこの時、普通に覗き穴を使うのはNGだ。
何故なら、除き穴を外から見ると、部屋の中から反射する光の加減で覗いていることがバレてしまう。だからこの場合は、下部の新聞受けから覗き見るのが正解だ。
上の除き穴ばかりに注意がいくから案外下は見ていない。アキラはそう考えを巡らせた。そして息を殺し、新聞受けを押し開けて外の様子を伺った。
「あっ」
目が合った。それはアキラの部屋へと向けられた、グレネードランチャーの銃口だった。
今すぐ後ろを振り向いて走って逃げよう。アキラは頭の中で考えを巡らせた。
瞬間、アキラの目には宙を舞う自分の姿が、映像をコマ送りするようにして写っていた。これがアキラにとって人生初めての幽体離脱体験だった。
「っは……ってえ」
全身に熱と痛みを感じて目を開けると、まず天井が目に入った。アキラは玄関から爆風で数メートル後方へと吹き飛び、背中から床へ落下した。その衝撃と苦しさでアキラは思うように声を出せなかった。
それから自身の頭部の有無を確かめるように、必死に自分の頭と顔をまさぐった。目が見えているのだから頭が付いている、というごく当たり前のことさえ忘れさせてしまうほどの出来事だった。
横を見ると変形した鉄の扉が転がっていた。紙屑のように千切れ、熱で溶けて大穴を開けている。それが爆発の衝撃の大きさを物語っていた。
部屋の中に誰かが入って来た。床に当たる不規則なヒールの音。開いた扉からの逆光で浮び上がったシルエット。間違いない、女だ。長い髪を左右に揺らしながらゆっくりと近づいてくる。
どこからともなく音楽が聴こえてきた。音に合わせ回転し、バレリーナを踊っているようだ。
女が後ろを向いた際に、大きく開いた背中から、背中全体に彫られた入れ墨が見えた。
ライオンの頭に山羊の胴体、尾はサソリ。伝説の生物キマイラだった。それを間近で見たアキラは、その迫力に思わず目が釘付けになった。
一通り踊った後、床に倒れ込むアキラへと近づいた。覗き込むようにそっと屈むと、アキラの顔の前で手を振りながら言った。
「ハ~イどうもこんばんは。そこのお前、動くなよ動いたらすぐ殺すから~私は本気よ。死にたかったらどうぞ動いて確かめてみなさい」
「オレはこんなサービスを呼んだつもりはねえぞ。帰れ、チェンジだ」
女は艶のある声でハッキリと言った。アキラは床に伏せたまま目だけを動かし、間近で女の姿を確認しながら言った。
名はヒドラシュカ。白髪のショートボブ。SMの女王様じみた黒いレザーのドレスを身に纏っている。話すのは母国語のロシア語。それよりなにより、造り物のような抜群のプロポーションで、素晴らしく顔の良い女だ。
「この子、やっぱりケース持ってるじゃない! 待ってるのは女の子だって聞いてたけど、アナタ男なのね。もしかして女だったりするのかしら?」
「……自分で触って確かめてみたらどうだ?」
ヒドラシュカは足を使い、床の上に伏せたアキラをボールのように何度も蹴り動かしながら言う。アキラは痛みに苦悶の表情を浮かべながら、声を振り絞るように呻く。
「……さてはお前らこのアタッシュケースが狙いだな?だったら持ってけよ、くれてやる。分かったら早く腕の鎖を切ってくれ、頼む。抵抗はしねえ」
「私だってソレさえ手に入れば、ここからすぐに立ち去るわ。じゃあ面倒だし、今から手首だけ斬らせてもらうわ」
ヒドラシュカはなんの躊躇いもなく、笑いながらそう言った。
「――最悪……いや、最高のタイミングだわ」
アキラは不敵な笑みを見せ、独り言を呟くように言った。この時アキラは感じ取っていた。家の外。こっちに近づきつつある何か。
唸るような、遠くからでも聞こえる聞き馴染みのある音。それはアキラにとって習慣化したイベントであり、一種の試練でもあった。
この家にはヒドラシュカには分からない、分かるはずのない《《とあるイベント》》が起きる、その前兆をアキラは各日に感じ取っていた。
「ここから先、どうなろうとオレは責任取れねえからな?」
アキラは慌てて止めるように、ヒドラシュカを必死になだめる。
「何があるというの? いまさら私を脅したって無駄よもう止められないわ、この振り上げた腕を下ろすまで終わらないわ」
ヒドラシュカは吐き捨てるように言う。アキラは気の毒そうに言った。
「あーそうかそうか、そうですか。そのキレイな顔がそのまま残っているといいな」
「ウフフ、流石に手が疲れてきたから、もう下ろしちゃうわね」
ヒドラシュカが刀を振り下ろそうとした、その瞬間だった。家のベランダを突き破り、バイクが室内に飛び込んで来た。
「ほら来た、また一人ヤベーのが」
バイクは床の上で伏せたアキラの上を飛び越えるようにして突き進んだ後に停車した。バイクの進行方向にいたヒドラシュカは瞬時に飛び退いた。
跨っていた人物はゆっくりバイクから降りるとヘルメットを外し、姿を現した。
一本一本が光り輝く銀色のロングヘア。艶のある褐色の肌。そして、二メートルに届きそうな高い身長の女。そして、メイド服を着ている。
アキラは誇らしげにお披露目するように言った。
「紹介しよう、オレの専属メイドのツェザリリカだ」
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