「Hero A Killer」
その青年は、漆黒のレザードレスを纏った女によって大の字に床へと組み伏せられていた。
「――テメー、これは一体何のつもりだ……」
青年は痛みに苦悶の表情を浮かべ、声を振り絞るように呻く。
それを横目にSMプレイよろしく、女の厚いヒールが背中に突き立てられ、青年の着た真っ赤なジャケットを踏み躙っている。
「聞いてんのか? ……あー、もしかしてギャングに雇われた殺し屋か? そうだろ?」
青年は女に問いただした。
「私、うるさい男って大嫌いなの。ちなみに答えはノーよ。さあ、早くアレを頂戴」
女は青年に向かって吐き捨てるように言うと、後ろを向き、なにかを要求するように手をかざした。その要求を汲み取った部下の男は、女に白鞘の日本刀を手渡した。
刀を受け取った女は鞘を抜き捨て、両手で構えるなり頭上高く振り上げた。
「ああ分かった! 今分かった。コレか、このアタッシュケースが欲しいんだろ? 欲しいんならやるよ」
「今から手首だけ斬らせてもらうわね〜」
女は満面の笑みでそう言った。青年の右腕にはアタッシュケースが手錠で繋がれており、ヘアサロンで前髪を切る位の軽い感覚でその腕を切断しようというのだ。
「ちょいちょい待てって! バカか?なぁ? そこの女王様お前だよお前! 鎖だけ狙えんだろ!?」
青年は踏みつけられながらも、腕へ的を絞らせないように必死に藻掻く。
青年には心当たりがあった。何故自分がこんな状況に置かれているのか、それは昨日にまで遡る――。
「……昨夜、沖縄都周辺海域を航行中の小型船舶から……」
「……により、サイファーパフォーマンス社は最先端の……」
街角に置かれたラジオは無意味に言葉を吐き出し続けていた。
大通りではパトカーがひっきりなしに往来し、サイレンが激しくこだましている。
そこは真夜中にも関わらず、延々付き纏われるような、不快なまでの湿気と熱気が街を支配していた。
――ネオ・コザシティ。
沖縄都の中部に位置するこの街は、世界中から多種多様な人種が集う場所であるからか、日本屈指の治安の悪さを誇っていた。
空気感はさながら米国、場所によっては東南アジア然としていて、日本にいながら外国の雰囲気を楽しめるといった点では多少お得感があると訪れた人々は言う。
人混みの中を青年が一人歩いていた。雑踏の中でも一際目を引く程の端正な顔立ち。髪色はクロームブルー、真っ赤なレザージャケットを羽織っている。
青年は暫くして立ち止まり、後をつけてきていないか注意を払うように周囲を見渡すと、店の脇から裏路地へと入っていった。
「ヘイそこのお前、ここど何してんだ? オイに何か用どもあんのか」
そう声を掛けたのは口元から牙を生やした、丸々とした赤肌の巨漢だった。
「ああ、ちょっとゴミ掃除を頼まれていてね」
青年は満面の笑顔で答えた。
「オイはお前の顔に見覚えがあんぞ……確か」
男は青年の顔に見覚えがあると言い、口元に手を当てて必死に思い出そうとしている。
「初めてましてデカいの。アキラだ。どうやらこの街では有名人らしいなあ、オレ」
青年は自ら男へ名乗った。青年の名はアキラ。それもそのはず、アキラはこの街で何でも屋として広く活動している。報酬さえ払えば法に触れるような汚い仕事も行う。この街においては何も問題ない。
「じゃアキラくん、とりあえず喧嘩しよっか。オイ、今すごく人を殴りたい気分なんだあ」
男は笑顔だが苛ついている様子で、歯を軋ませながらそう言った。
「なんだなんだ、おう喧嘩か? ならワシも混ぜんかい。兄ちゃん逃げんなよ? 逃げたら殺す。後ろから撃ち殺す」
声は青年の背後からも聞こえた。首をだけを動かして確認する。後方に回り込むようにして、青肌の男が一人立ちはだかっていた。男は手にオートマチックの拳銃を所持している。
「ああ〜案外美味えどコレ。身体に染み渡る〜」
巨漢の男は胸ポケットから電子タバコ取り出すなり蒸し始めた。大量の煙を勢いよく、蒸気機関車の如く吐き出す男。
煙はオレンジ色で、口から吐いた煙が体に被ると、何故かその箇所がレントゲン写真のように骨格が光り透けて見えていた。
「おいおいウソだろ、またエーテル中毒者かホント勘弁してくれよ……」
アキラは呆れるように深く溜息をついた。
エーテル。簡易的な筋力増強作用のある違法な強壮剤だ。安価であり、簡単に電子タバコを用いて摂取できることから若者の間で出回っている。
路地裏に響く乾いた二回の発砲音。
「バカが!! 喧嘩に始まりも終わりの合図も無ぇんだよ!!」
アキラを背後から発砲した青肌の男。確実に仕留めたと歓喜する。しかし、現実は男の想像していた結果とは大きく違った。
「お前さあ……撃つなら撃つって言えよなあ!? ジャケットに穴が空いただろうが高かったんだぞコレよお!」
背後から撃たれた筈のアキラは何故か立っていた。被弾したジャケットには二箇所の風穴が空いている。しかし血は一滴も流れていない。
「ヒヒ、な、なんで生きてんだよコイツぅ!?」
ただならぬ恐怖を覚えた男は震える手で拳銃を支え、弾倉が空になるまでアキラへ発砲し続ける。しかし、今度は弾が命中することは無かった。
「隙だらけなんだよオメーはよ」
アキラは飛んでくる弾丸全てを交わしながら距離を詰めた。そして男の肝臓、胃、鳩尾、拳銃へ瞬間的に四発の拳を叩き込んでいた。
拳銃は男が構えた手の中で粉微塵。それ程の重い一撃を受けた男は、魂が抜け出たように地面へ膝から崩れ落ちた。
「オイも行くど!! 潰れておっ死ね!!」
エーテルでハイになっていた男はなにも恐れることなく、真正面から突進。拳を大きく振りかぶり、アキラへ目掛け力任せに叩きつける。
それでも結果は同じだった。男とアキラはほぼ同時に、同じ体制で拳を合わせた。男はアキラより体格で勝っていたが、男の拳は破裂音と共に手前に弾き戻された。
「んぷふぁっ!!」
スキをついて懐に入ったアキラは素早く胴体に三発の拳を叩き込む。男は霧のように血を吹き散らし、ゆっくりと後ろ向きに倒れた。
「んコイツば、化け物だ……一体どこの星から来やがったんだ……」
目を覚ました青肌の男が震えた声で言う。
「化け物とは随分酷い言い振りだな。何処かの星の戦闘種族なんかじゃねえ」
アキラは否定した。
「バイオキネティクスって言ってもお前らには分かんねえだろうから分かりやすく教えてやる。オレはサイボーグだ。分かるか?」
「そんな奴がなんでこんな所にいるんだ……もしかして警察の人間か?」
アキラに、青肌男が不思議そうに訪ねた。
「いいや違う。今どきサイボーグ一般人なんて珍しくねえだろ?お前らもして貰ったらどうだ?」
アキラは否定した。それから諭すように地面で伸びている男らに向かって言った。
「いいか、武器やエーテルを使ったところで生身とサイボーグの差は埋まらねえ。お前らもこれに懲りたらこんなモノ、使うのを止めろ」
「お前の顔は覚えた。おお、覚えていろ……」
アキラは忠告した。満身創痍の男達は這って逃げるように街の中へ消えていった。
「やべ、燃料切れだ」
一難去ったのも束の間、アキラは苦しそうに胸を押さえ壁に手をつく。顔色も悪く呼吸が荒い。
「中毒者なんて、オレが言えたことじゃないな」
ややふらつく足どりで大通りまで出たアキラ。その足で、通りまで漏れ出すショッキングピンクのネオンの光に引き寄せられるようにして一軒の店へ入った。
扉を開けた瞬間から、大音量の電子音楽が耳に飛び込んできた。あまりの音量にアキラは思わず目を細めた。
「あらアキラくん、お掃除お疲れさま」
女がカウンターの奥から出てきた。目が痛くなるような虹色の髪。額からはユニコーンを思わせるようなツノが一本だけ生えている。
「最近、あの辺りに集まっていて怖かったのよね。本当に助かったわ」
名はシポム。アキラにゴミ掃除をお願いした依頼者だった。
「いえ、こんなの全然平気ですよ」
アキラはカウンターにもたれ掛かりながら、強がるように答えた。
「それはそうとシポムさん、いつものヤツ……貰えるかな?」
「アンタさあ、毎日毎日いくらなんでも飲み過ぎじゃない?その、エナジードリンクってやつ。私は止めろとまでは言わないけど、ほどほどにしときな?」
シポムは商品棚から一本の瓶を取り出しながら、息子を叱る母親のようにアキラを嗜めた。
「オレはこれぐらいで死にはしませんよ。でも、この街で暮らしてたらいつか別の要因で死ぬ気がしますけどね」
遠い目をして、笑いながらそう言ったアキラ。それにシポムは納得したように何度も頷く。
「それよかさぁ、良いバイトあるんだけどどう?。バイト代は弾むわあ」
シポムはアキラと距離を詰め、艶っぽく言った。
「受けたいのは山々ですが、これから別の仕事入ってるんで。すみません」
アキラは顔の前で両手を合わせ、申し訳無さそうに断りを入れた。
「ざ~んねん、次は絶対に頼むわね。それじゃ頑張ってらっしゃい。《《この街のヒーローさん》》」
シポムはアキラの事をヒーローだと言った。確かに、見方を変えればアキラがヒーローであるのは間違いない。といっても映画や漫画に出てくるようなものではない。
もちろん対価も貰う。至極当然のことだ。現実問題、タダでヒーローなんてやってられるかってハナシである。ヒーローにだって生活が掛かっている。生きるというのはそれだけで金が掛かるものだ。
必要であれば暴力を使う。アキラには空を飛んだり、スーパーなパワーがある訳でもない。
アキラはサイボーグではあるが、これは事故によって失われた箇所を機械で補っただけに過ぎず、あくまでも戦闘用ではない。アキラは本当の意味での完全完璧なヒーローでは無いのだ。
「さて、まずは燃料補給だ」
店を出たアキラは、購入したばかりの瓶をシェイクするように激しく振った。中身の正体はエナジードリンクだ。
アキラはエナジードリンクに陶酔しきっていた。
果てしない高揚感と素晴らしい体験をもたらす高濃度のカフェインだけが、この街で暮らすアキラのオアシスだった。そして、ヒーローにとって重要なパワーの代替品でもあった。
艶消しの白い瓶。禍々しい三つ目の山羊を模したロゴが金色の線で描かれているだけのシンプルなパッケージデザイン。
|LUCIFER's HUMMER《魔王の鉄鎚》。カフェイン含有量666.6ミリグラム。まるで魔王からの一撃をお見舞いされたかの如く勢いで目が冴えることからその名が付いたというが、この2ドルで買える合法ドーピング剤の真骨頂はそれだけではない。
アキラは瓶を片手で開封すると、上を向いて一気にあおった。二、三度喉を鳴らし、素早く飲み干す。
本当に魔王が宿る。そういう気分にさせてくれるのだ。
すでに効果を感じ始めていた。飲んだ瞬間から徐々に視界が広がっていき、夜の闇が段々とクリアに見えてくる。そして全身に鎧を纏ったような無敵感が支配し、V8エンジンの如く心臓が激しく高鳴る。
「……さて参るか」
アキラは呟いた。空き瓶を店の前のゴミ箱へ放り込むと、自ら闇に飛び込んでいくように街の中心部へ向かって歩み始めた。
※エナジードリンク、カフェイン飲料は用法用量を守って正しく飲みましょう!!!