「To the Deeper ②」
ヘリコプターや武骨な軍用車両がずらりと並んだ暗い格納庫、その一角。布製のパーテーションで囲われ、隙間から光が漏れ出している。
その周囲には、そこかしこに医療器具や照明機材が無造作に置かれていて、その場所が簡易的に作られたことが伺える。
大佐ことヘイルはそこにいた。医師と思しき、白衣を着た人物もいた。
光の中心に置かれた医療用ストレッチャー。その上には、頭と両の手脚を革製の拘束具で固定された人物が寝かされている。そして全身に無数の電極や管が取り付けられている。
その周りを複数人の医師たちが取り囲み、血圧や心拍数といった男の生体情報が映し出されたモニターを食い入るように見ている。
「被験体の容態は安定しています。引き続き、投与が可能です」
「やれ」
医師の言葉にヘイルはたった一言、強く命令するように言い放った。
それを聞いた医師の一人が保管ケースを開け、中から取り出した。アンプルに入った蛍光色の鮮やかな黃緑色の液体。それを注射器で男に投与した。
「180ミリ投与。血圧正常、心拍数安定。脳波の値も正常を示しています。体温の異常低下もみられません。これは……成功とみてもよろしいかと」
ヘイルは医師らを称えるようにゆっくり手を叩く。
「ジーニアス!!君らは素晴らしい働きをしてくれた。休息を取れと言いたいところだが、もう少しだけ働いて貰おう。早速《《アレ》》の量産に取りかかりなさい。それが済んだら好きなだけ褒美を与えよう。それでは諸君、頑張りたまえ」
笑顔でヘイルはそう言い残し、満足そうに数人の兵士を引き連れてその場からそそくさと立ち去った。
残された医師たちは慌ただしく動き出す。
ガラスケースの中に水と共に閉じ込められた無数の虫のような生物。それはどうやら海底から引き上げた、対象物Vと呼ばれたモノだろうか。
その内の数匹を掬い取り、回転する機械に掛けた。すると蛍光色の液体が精製される。それを手作業で、まるでジュースでも製造するようにアンプルに注入していく。
「う、ゔゔゔ……ぐゔゔ」
医師たちは手を止め、一斉に音の方向へ視線を集める。そこには、若い女の医師が床に倒れ、もがき苦しんでいた。女は白目を向いて口から泡を吹き、跳ねるように大きく痙攣している。
一人の医師が女に近づき、応急処置をしようとした、まさにその時だった。
「う、うわァァァァァ!!」
医師は驚きのあまり尻餅をついて倒れ込んだ。驚くのも無理はなかった。
なぜなら女は、口から奇怪な形の魚や甲殻類を勢いよく吹き出すように、次々と吐きだし始めたのだ。
血混じりの吐瀉物の上で身をくねらせる無数の魚介類。そのどれもが人間の体内に収まっていたとは到底思えない大きさのモノばかりだ。
あまりに衝撃的な出来事に、その場にいた全員が言葉を失い状況が飲み込めず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「被検体が消えています!!」
その声の元に再び視線が集まる。なんと、ストレッチャーに乗せられた男も消えていた。全員が女に気を取られていた一瞬の出来事だった。
「なんだと!?誰も見ていなかったのか!?」
「落ち着け、ここは海の上だ。そう簡単に逃げられやしないさ」
兵士を引き連れてヘイルが現れ、医師らに落ち着くよう促す。
「奴を発見しました!
兵士の指差す方向に水に濡れた、裸の男が仁王立ちしていた。
「撃て!!」
ヘイルの号令を皮切りに、その場にいた兵士全員が男に向かって集中砲火を浴びせた。
「撃ち方止め!!」
一斉に銃声が止む。しんと静まり返った室内には硝煙と火薬の匂いが立ち込める。ゆっくりと視界が晴れる。
「そんな、バカな」
その場にいた全員が同じことを口走った。
何故なら男は、複数の兵士達の見ている目の前で、一瞬のうちに姿を消したのだ。
「なんという素晴らしいイリュージョンだ。一体どんな仕掛けで、どこへ消えたというのだ」
ヘイルの言葉に、背後の兵士が言った。
「先程から実験体の体内に埋め込まれた発信機による位置情報をモニターしていたのですが、船内の一箇所から動いていません」
「どこだ?一体どこに隠れている!?」
「言いにくいのですが……こ、この部屋の中、です」
「その情報は正しいのか?」
「距離にして……約20メートル。確実にこの部屋の何処かにいます!!」
それを聞いていたクルー達は不思議に思いながらも、部屋中をしらみつぶしに探し始める。しかし人の気配など微塵も無い。
「……そういうことか」
腕を組み、何かを考えこんでいたヘイルがゆっくりと口を開き、静かに言った。
「――下だ。ヤツはこの船の真下にいる」
「ヤツが離れていきます!いや、こ、今度は近づいて来ます!!40、34メートル、浮上してきます!!」
「素晴らしい……こんな簡単なトリックで我々を欺くとはなんというジーニアス!!奴は必ず生きて捕らえろ。あの怪物は私が直々に手懐けてやる。全員衝撃に備えろ!!」
ヘイルの声を聞き、その場にいた全員が身構えた、その数秒後。
轟音、浮遊感、目眩、そして怪物。
全てが同時に船の内部にいたクルー全員を襲った。
内部全ての物体が宙を舞い、大半のクルーは天井に赤い染みだけを残して絶命。割れた船体から海水が入り込み、強制的に船外に放り出された。
鋼鉄の黒い船体は真っ二つに破壊されていた。やがて海面は激しく水飛沫を上げ、渦と共に沈んでいく。
その様を見物するように、離れた場所で浮かぶ一隻の救命ボートがあった。
その中でヘイルはしぶとく生きていた。この惨事を見越して一人だけ船外に出ていたのが幸いし無傷だった。
「――ジーニアス!素晴らしい……。いずれ必ずやこの力、我が物にしてみせよう!来い怪物、少しだけ遊んでやる」
そう声高らかに宣言し、拳銃を片手にボートから身を乗り出すヘイル。
それを嘲笑うように、海中の巨影は静かに遊泳する。くねるように旋回し、段々とボートへと迫る。
晴れ渡った青空の下、南国の海に再び声が響く。
「――ジーニアス!!!」