十四の手 決着、そして帰還
「おのれおのれおのれ!何ということだ!私の、私の完璧な計画が!!」
東の空が白んで来た夜明け前、カノエ開拓村の近くの丘の向こう側に新たにできた小さな岩山から少し離れた場所でリッチは何とか生き延びていた。大抵の魔物、魔族ならあのサイズの岩塊と正面衝突すれば即死どころか体がバラバラに千切れ飛んでもおかしくはない。
だが、恨みを抱いた死者の体から生まれるリッチという魔族の特性の一つ、年月に応じて上昇する物理耐性がリッチの骨と皮だけになった体を何とか保っていた。とはいえさすがに岩塊と凄まじい空気抵抗の壁の間に挟まれては一切身動きが取れず、そのまま大地に激突すれば如何にリッチといっても無事では済まない。
そこで得意の魔術で岩肌と自身の体との間に泥を滑り込ませて摩擦をできる限り減らすことで、岩塊が地面に激突するギリギリのタイミングで脱出に成功したのだった。
こうしてなんとか危機を切り抜けたリッチだったが、立て続けの魔力の行使で消耗した上に岩塊の衝突を耐えきった物理耐性も完全に物理攻撃を無効化できたわけでは決してなく、これ以上の体の酷使は身の消滅を意味していた。
「もう騎士ガルドともあの忌々しい光の剣士とも戦う余力は私にはない。部下たちも今頃はまず間違いなく騎士ガルドの手によって全て討たれていることでしょう。村人たちを閉じ込めていた泥の川も最早意味をなさない。
全ての状況が恥を忍んであのお方の元にイヴァルディシリーズのマスターの情報を持ち帰り、潔く誅されるべきだと訴えている。
だができぬ!!私の手に余るほど困難な役目を与えてくださったあの方の信に報いるためにも、絶対にこのままでは終われぬ!!
こうなれば手段など選んではいられませんね。そうだ、騎士ガルドを捕らえるのが無理ならその弱点を狙えばいい!!そうと決まれば魔力の回復を図ってから日が落ちるのを待ち、夜陰に紛れてあの娘が一人になったところを・・・」
「クラリスがなんだって?」
「ヒャアァッ!?」
聞こえるはずのない声にすでに止まって久しいはずのリッチの心臓が凍り付いた錯覚を覚えた。
「だ、誰ですかっ!?いえ、それより何処から!?」
いくら魔力が枯渇していて全身にダメージを負っていても、いや負っているからこそリッチは警戒を怠っていなかった。そもそも岩塊が落ちた地帯は街道近くの木も疎らな草原で、隠れるところなどどこにもない。となると後は何らかの魔術によるトリックが疑われるが、それこそ自分の主クラスの実力者でもない限り見破る自信はある。
「言っただろう、すべてを守ると。だからお前の動きを見逃すことはないし、クラリスの前に二度と姿を見せることは許さない」
だからこそ再び響いてきた自分の者ではない声にリッチは戦慄した。
そして同時にこの声の主が魔術でもなければ技術でもない別の力でリッチの目を欺いていることを確信した。
(ここまで完璧な隠蔽術、残る可能性はイヴァルディシリーズ以外に思いつきません。そして先ほどの戦いのレベルで光を操る剣となると、まさか本当に!?)
自分では作り出すだけで精一杯で動かすことすら敵わぬ岩塊をいとも簡単に夜空に打ち上げた実力、視認すらできなかったスピード、そして耳元で囁けるほど至近距離でも発見すら敵わぬ見事な隠蔽術。
ここに至って、リッチは己の勝利も生存も諦めた。
(ですが私が消滅しようともあの方の敗北だけは認めるわけにはいかないのです!!こうなれば残った魔力と私の怨念の力であの聖剣士に少しでもダメージを!!)
「わかりました、ここで私が倒れるのは最早逃れられぬ運命なのでしょう。ですが一つだけ条件があります!正々堂々と私との一騎打ちを所望します。さあっ、姿を見せなさい!!まさか聖剣エクスカリバーのマスターとあろうものが、臆病風に吹かれて姿を見せないなんてことあるはずがありませんよね!?」
「いえ、普通にお断りします。僕にメリットがないので」
「ええ、ええ、そうでしょうとも、歴代マスター全員が人格者と呼ばれ決して卑怯な真似はしなかったという伝説まで残っているエクスカリバーのマスターなら私の条件を断って当然で、断った!!!!????」
「僕は守ることさえできればあとはどうでもいいので、誰も見ている人はいないし、正々堂々とかは興味ないです。ついでに言うと、追い詰められた奴ほど最後に何をしてくるかわからないので普通に嫌です」
このイヴァルディの世界においては力のある者ほど名誉を重んずる傾向がある。それは人類も魔族も変わりはないのだが、人類としても聖剣のマスターとしてもあまりにも違い過ぎるこの敵の価値観に、今度こそリッチは心を折られ膝から崩れ落ちた。
「じゃあ、痛覚が残っているかは知らないけど痛みを感じる間もないほど強力な必殺技で・・・え、そうなの?いや、一撃飛び蹴りを当てるだけでいいんだけど、ダメ?というかムリ?じゃあどうすれば・・・火に弱い?うーーんマッチなんて持ってないし、火なんて・・・もうすぐ夜が明けるけど人に見つかる前に何とか・・・そうだ!」
その独り言がリッチの耳元に届いていたかは定かではない。しかしいつまでたってもやってこない消滅の恐怖に耐えかねて顔を上げたリッチの目に眩しい日の光が差し込んできた。
「・・・・・・あれは朝日か、もうそんな時間とは。ふふふ、死を覚悟するとこんなにも日の光が温かいとは・・いや、違う、気のせいではない。むしろ熱い!か、体中からケムリが!!ギャアアアア!!」
リッチが気付いた時には纏っていたローブや衣服はすでに燃えており、その下の僅かに残っている肉からは白い煙が上がっていた。慌てて詠唱した水の魔術で消火を試みたが煙と同じ色の水蒸気が立ち上るだけで、文字通り焼け石に水の状態だ。
それでも水をかけ続けるリッチの視界の端には、朝日に照らされた美しい一面緑の光景が映し出された。
「燃えているのは私のいるところだけ!?ならばこれは放火ではない、だが有り得ない!?」
そう、火が付いているのはリッチの体とその周囲の僅かな草だけ、その他の草むらには今のところ一切延焼していない。
こんなことを起こせるのは魔術だけのはず、だがそれなりに魔術に精通したリッチが自分の体が発火するまで魔力の痕跡すら感知することができなかった。つまり、
(これもまた聖剣の力だというのか!?何ということだ、今代の聖剣士は自らの剣で敵を斬ることも正面から戦うこともせず、かと思えばこんな恐ろしい力を使ってくる焼き殺してくるとは・・・わが主よ、もうしわけご、ざいま・・・)
既に喋る機能すら失っていたリッチの最後の言葉は言霊となることなく、朝の光に照らされた清浄な空気の中に溶けて消えた。
リッチの体が完全にチリとなって消えるのを見届けた光一と犬の姿になったエクスカリバーは徒歩でカノエ開拓村へと帰還した。このまま村を出ていくにはさすがに準備不足だったし、クラリス達の安否も確認したかった。何より光一にとっては一宿一飯の恩義もあるし、このままお別れではあまりにも不義理だと思ったからだ。
村の近くまでは見つからないように草むらに隠れたりしながら村の柵まで近づくと、
「いた!!ガルドさぁーーーーん、お客が帰ってきましたよーーーーーー!!」
村の外を巡回していた若者が光一たちを発見した途端、村に向かって大声を上げた。
するとドドドドドと地響きが近づいてきたかと思うと、鎧をつけたままのガルドが初めて出会った時以上の勢いでこちらに向かって走ってくるのが見えた。
すわ、またラリアットが来るか、と光一が身構えると、ガルドは予想に反して光一たちの前で急停止、ラリアットの代わりに怒りの表情で怒鳴りつけた。
「この馬鹿者が!!今までどこをほっつき歩いていた!!」
「い、いやーー、その辺りを散歩していたんですけど、丘の向こうで寝転がっているといつの間にか眠ってしまって・・・」
「全く、村の外へ一歩踏み出せばいつ魔物に襲われてもおかしくないというのに、神経が図太いんだかそれともただの阿呆なのか」
「す、すみませんでした」
「まあいい、無事でよかった。このまま死なれてはクラリスの命の恩人に恩を返せないところだった」
「いや、それはこの村に泊めていただきましたし、クラリスからはサンドイッチももらいましたし・・・」
「・・・はあ、どうやら相当な田舎から出てきたものと見えるから教えてやる。このソルライン王国の者はその程度のことで恩を返したとは絶対に言わん。世間知らずにも程があるそのいで立ちで旅をして来たと言うのだから、この先行く当てなどないのだろう?せめて自力で生活できるくらいの面倒は見るつもりだからしばらくこの村にいなさい」
「あ、ありがとうございます。それと御心配をかけて本当にすみませんでした!!」
「うむ、素直に謝る姿勢は嫌いではないぞ。だが、私や村の皆の前に謝るべき相手がいるだろう?」
「はい・・・クラリス、今どうしてますか?」
「君を捜しに行くと一人で飛び出そうとしたところを何とか押しとどめて家で待たせている。自分が何もできないのが歯痒かったのだろう、何度も後始末の指揮を取っている私のところに来てはコウイチ君が見つかったかどうか聞きに来た。今は疲れて眠っているところだ」
「それは・・・本当にすみません・・・」
「私からも改めて話がある、一緒に私の家まで来てもらおうか」
そうして光一達は自分たちを発見した若者と別れた後、ガルドの招待で自宅にお邪魔することになった。
ガチャッ
「今帰ったぞクラリス、光一君たちも見つかったぞ」
玄関を開けたガルドが声を掛けると、ガタン、ドタン、と少々派手な音が響いた後、しばらくしてクラリスが自室と思われるドアを開けて光一の前に出てきた。
「コウイチ?・・・だ、大丈夫!?魔物に襲われたりしてない!?怪我はしてない!?」
「うん、心配かけて本当にごめん。この通りピンピンしてるよ」
「・・・よかった、本当によかった・・・」
そう言ったクラリスが光一の両手をぎゅっと握りしめた後、顔を俯かせて震え出した。
光一は思ったよりはるかにクラリスを心配させてしまった事実にショックを受けつつも力強くクラリスの手を握り返した。
「・・・・・・・・・・・・コウイチ君、君にはもう一つとても大事なお話ができた。後でしっかり聞いてもらうことにしよう」
背後から襲ってくるプレッシャーはリッチの何倍も恐ろしかったが、今だけは忘れることにした光一だった。
しかしクラリスが再び顔を上げた時の第一声がガルド以上の衝撃をもたらすことになる。
「もう一つお礼が言いたかったの。私を、父さんを、私達の村を救ってくれてありがとう、」
いきなり感謝の言葉を切り出したクラリスに動揺しつつも、何の話か分からない、と白を切ろうとした光一に向けて、クラリスは決定的なあの呼び名をを口にした。
「聖剣士様」




