八の手 柴犬は喋らない
「ううぅん、・・・ここは?、そうだ!ゴブリンは!?」
目を覚ました少女は意識がはっきりするに従って気絶前の状況を思い出したらしく、恐怖で震えだした。
「目が覚めた?安心して、ゴブリンは倒したから」
光一の言葉に少女は辺りを見回して驚愕した。
「倒したって・・・これ!?本当に!?あなた一人で!?しかも剣や槍を使ったようにも見えないのに・・・」
「石を投げたりはしたけどね。あとは通信空手のお陰だよ」
「ツウシンカラテ?なんだかよくわからないけど、あなた強いのね。あのゴブリンの傍の石だって簡単に投げられるようなサイズじゃないし。あっ、まだお礼も言ってなかったわね、助けてくれてありがとう。ミシア村のクラリスはこの恩を決して忘れないわ」
「ああ、気にしなくてもいいよ(僕たちのせいでもあるし)」
「え、なんて言ったの?」
「い、いや、な、何でもないよ。僕の名前は影・・・」
クラリスに名乗ろうとした光一に向かって、突然エクスカリバーが叫んだ。
「おい光一!!イヴァルディでは軽々しく名字とやらを口にするな!」
「え、なんで?」
「名字を名乗れるのは貴族や騎士、一部の大商人などいわゆる特権階級しか持っていないものだ。下手に名字を名乗ったことが官憲に知られれば不敬罪で牢獄行きだぞ!」
「わ、わかったよ。そういえばファンタジー小説でもそんな決まりがあったのを思い出したよ。わかった、今後は気を付ける」
「・・・あなた、ひょっとしなくても・・・犬に話しかけてるの?」
そんな二人、いやクラリスという少女にとっては一人と一匹だが、犬に真剣に語り掛ける少年を見て、有り体に言えばドン引きしていた。
「いや、そりゃあ犬だけど?ちゃんと会話できてるじゃないか」
「え・・・え、ええ、そうよね。あなたにとってはそれが普通なのよね・・・」
先ほどまで不通に接していたクラリスの態度が急激によそよそしくなっていく。
「おい、光一よ。いろいろ有りすぎたせいで忘れてしまっていても無理もないが、ルミナス様の御言葉を忘れたというのか?私の声はイヴァルディシリーズのマスターにしか聞こえないものだと仰られていたではないか」
「え?・・・あっ!?・・・じゃあもしかして今の僕って・・・」
「この娘にとっては言葉を介さない獣に向かって真剣に話しかけるほど気の毒なことになっている心の病にかかった哀れな子羊、といったところだろうな。ちなみに私の声は、他人には只の犬の鳴き声にしか聞こえんはずだ。」
「なっっっ!!??本当に!?」
「大丈夫?ひょっとしてゴブリンと戦った時にどこか頭を打ったんじゃ・・・」
「ぐはっ、だ、大丈夫、大丈夫。どこも怪我してないよ」
「本当?痛いところがあったらすぐにでも言ってね?」
クラリスの優しい言葉が逆に光一の心に深いダメージを与えていく。
これまで極度に影の薄い人生を送ってきた光一にとって、たった一人とはいえ他人に注目されている数少ない機会だというのに、可哀そうな目で見られている事実に光一は愕然とした。
「え、ええとね・・・そ、そう!ここに来るまで僕とこいつはとても辺鄙なところに住んでいてね、最近人里まで下りてきたんだけど道に迷っちゃったんだ。それまでこいつくらいしか話し相手がいなかったから、つい癖で何でも相談しちゃうんだ。こいつもすごい賢い犬だから何となく僕の話を聞いてくれているような気がしてね!」
ファンタジー物のテンプレを思い出して適当に話をでっちあげる光一。それを聞いて沈黙するクラリスの様子をビクビクしながら窺った。
「・・・そうなんだ、それは大変だったわね。それでこんな魔物が出る森の中にいたわけなのね。わかったわ、助けてくれたお礼に、私から父さんに光一の相談に乗ってくれるよう頼んであげる。きっと力になってくれるはずよ」
「それはすごく助かるよ!ありがとう!あ、それと名乗るのが遅れてごめん、僕の名前は光一だよ」
「ふふ、どういたしまして、よろしくねコウイチ。それで、一つ聞いておきたいことがあるのだけど」
「ん、なにかな?何でも聞いてくれていいよ」
「コウイチの連れているそのワンちゃんの名前はなんていうの?」
「え、あ、ああ!?名前、名前ね、ええッと・・・」
「どうしたのコウイチ?何か言いづらい事情でもあるの?」
「いや!ぜんっぜん!全くそんなことはないよ!!こいつの名前は・・・そう!コウジロウ!コウジロウって言うんだよ!!これまで遊び相手のいない環境だったから弟のように思えてコウジロウって名付けたんだよ」
「へえー、いい名前ね。よろしくねコウジロウ」
「ハッハッハッハ、クウゥーーーン」
大魔王を打倒しうる最強の聖剣が、いきなりできた兄に対して凄まじい怒りの表情で唸り声を上げていたが、クラリスに屈辱的なはずの名前を呼ばれて頭を撫でられると別の生き物のように尻尾を勢い良く振りながら全身で喜びの感情を表し始めた。
どうやら今やエクスカリバーの精神は大分柴犬の体に引きずられているらしい。
「それで、クラリスはどうしてこんな森の奥へ来たの?」
「森の近くにある私の村からキノコや野草を取りに来たんだけど、森の奥の方からいきなりすごい光が走ったかと思ったら森中がザワザワし出して、帰ろうと思った矢先に魔物に見つかってあちこち逃げ回っていたらここまで迷い込んじゃったの。その途中で木の根っこに足を取られて頭を打っちゃって・・・。もう日も傾いてきてるし、急いで森を出なきゃいけないんだけどここが一体どのあたりなのかわからない。どうしよう・・・」
説明している内に自分の現状を認識したのか、クラリスの表情は次第に暗くなり、最後には今にも泣きだしそうな顔になった。
「うーん、さっき言った通り、僕も絶賛遭難中だし・・・」
「ふっ、どうやら私の出番のようだな!安心するがいい少女よ、ついでに光一。転送場所からここまで走ってくる間に確認した木々や植物の種類からこの場所の検討はすでにつけてある。少女の村の位置までは把握できんが、街道に出るくらいなら日のある内に十分可能だ!」
ついでという発言に引っかかりを覚えた記憶を飲み込んで、エクスカリバーの言葉をを聞いて安心した光一だったが、クラリスに変な子扱いされないためにはどう伝えたものか悩んだ挙句、結局ストレートに伝えるしかないと覚悟して柴犬の言葉を通訳した。
「クラリス、どうやらコウジロウが街道までの道が分かるみたいだよ」
「え、まさか本当に!?コウイチはそんなことまでコウジロウの鳴き声でわかるの!?でも他に当てもないし、ここはコウジロウに賭けてみるしかないか」
意見の一致した二人は柴犬の先導で森の中を進み、時に崖や大木を回り道しながら、それでも夕日が地平線に沈みかけた頃にようやく、草や医師が取り除かれ地面が舗装された街道に出ることに成功したのだった。




