アカリ
七月二十一日 雨
友人が半月ほど帰省するとのことで、その間彼女が飼うハムスターを預かることになった。
ハムスター向けのペットホテルはそうないものらしい。しかし帰省に連れて帰るとなれば数時間も車に乗せないといけなくなる。そうなると、ストレスがハムスターの寿命を縮めるそうだ。
難しい世話なら断ろうと思ったが、室温を一定に保って餌と水を日に一度取り替えるだけでいいらしい。温度変化に弱いので外出時もクーラーをある程度効かせたままにしなくてはならないが、電気代もいくらか出してくれるという。
逃げ口上が思いつかなくなったので、私は了承した。それが一昨日の出来事だ。
今日になって、やっといくらか私の部屋の環境に慣れたのか、ケージ内の小屋に籠もりきりだったのが顔を覗かせるようになった。食べるところはまだ見かけていないが、餌も水もそれなりに減っているので、きちんと食べているらしい。まずは一安心というところだろう。
細い雨が窓を濡らすのを見ていると、なんとなく学生時代を思い出した。私は宿題というやつがたいそう苦手で、夏休みが明ける前の雨の夜には壮絶な格闘を繰り広げたものである。
どう考えても苦しいだけの思い出であったはずなのだが、こうしてノートを取り出してハムスターの観察日記をつけようと思い立ったのはどういう風の吹き回しか、自分でも判断しかねた。
……いつまでもハムスターと呼んでいるのも忍びない。友人によると、この子の名前は「アカリ」というそうである。個人的には母と同じ名なのでなんとも妙な気分がするが、以後ケージ内の彼女のことは「アカリ」と呼ぶことにする。
七月二十七日 晴
アカリとの生活時間があまり合わないことに気付いた。
今日は仕事が休みなので、私は買い溜めた本の消化に勤しんでいたが、カラカラと何か聞き覚えのない音を聞いて、はてなんだろうと部屋を見渡し、音の正体はアカリのケージにある回し車のものだという事に気づいた。
どうやら彼女は一般的なハムスターとは違って夜にはそう活動的ではないようだ。飼育下にあるハムスターはそういう風な生活リズムを持つことがあるらしい。私が仕事を終えて帰ってきた頃、彼女は小屋で夢を見ている頃だったわけだ。
まだ馴染みきれていないのか、と昨日までは心配していたが、彼女がただ夜は寝ているのだと気づくと急にその態度がふてぶてしく思われた。
思い返せばここ数日の食事量は来たばかりより増えていたし、回し車を使ったような跡もあった。彼女はどうやらすっかり部屋には慣れて、私が部屋にいようとお構いなしで運動不足の解消に余念がないというわけである。
小さななりで、たくましいというか図太いというか。もちろん預かった身で死なせるわけにもいかないので、健康でいてくれる分には文句はないのだが。
しかし、読書に回し車の音が交じるのはあまり楽しい経験ではなかった。休日の楽しみが一つ潰えるのは嘆息ものだ。私は本を置いて、まだ回し車で戯れているアカリに目をやった。
彼女は思っていたハムスターより随分小柄である。腹側の体毛は白いが、背中にかけて灰から黒への綺麗なグラデーションになっていた。
そんな彼女の運動の様子は、冷静に考えれば特段面白いものではない。しかし、なんとなくその他愛のない景色に目を奪われてしまって、彼女が運動に飽きて小屋に戻るまで私はぼんやりとそれを眺めていた。
八月九日 曇
アカリが友人の家に帰って、三日が経った。
半月とはいえ習慣というのは恐ろしいもので、ふと気づくと餌は交換したろうか、と考えて動きかける自分に気づく。今日などは外出前にクーラーを切り忘れていて、電気代の請求が怖いこの頃である。
早朝に起き出して回し車で運動を始める彼女に起こされたこともあって、正直大変な半月だったはずである。しかし実際にいなくなられてしまうと、部屋の一角、彼女がいたはずの空間にぽっかりと穴が開いたようだった。
休日も読書がなんとなく捗らず、回し車の音を薄く期待する自分がいることについ笑ってしまう。たった半月だというのに大した依存ぶりだ。自分がこれほど寂しがりだとはまったく自覚していなかった。
自分でもハムスターを飼ってみようか。いや、友人についに目覚めたか、などと煽られては面白くない。それに私が名残惜しく思うのはアカリというハムスターだからこその感情だ。他のハムスターでもいい、というようなことでもないように思われた。
当初乗り気では無かった半月の関係だったけれど、私には忘れられない夏になった。それだけで、良かった。
彼女自身はなんとも思ってはいないだろうが、ありがとう、アカリちゃん。
これで観察日記も終わりだ。
八月十日 晴
えっ!? アカリってオスだったの!? 騙された!!