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作品を書き上げられない!  作者: みここ・こーぎー
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ソシャゲ好きのサラリーマンがワンコイン奴隷と共にファンタジー世界に我を通す話

 月が大きく見える。

 地上よりも高い場所にいるためだろうか。落ち着いているためだろうか。

 柵も何もない場所にびゅうびゅうと風が吹いていた。


「あのさあ、もう俺の前に現れるなって言ったよな」


 手にしているスマホをフリックしながらそこにいるもうひとりに言葉をかける。


 俺の一手一手に怯えを見せるみすぼらしい男にだ。

 もちろん知り合いだ。

 二年前に厳しく躾けたのでもう会うこともないだろうと思っていた男だ。


 とはいえ、俺はスマホから目を離さない。画面に映った小さいキャラクターを確認し、それぞれのスキルを的確に使用していく。ダメージを受けたものは回復、攻撃スキルのリキャストが終わったのであれば即座に使用し、そろそろ切れるバフとデバフは攻撃の演出時間を逆算しながらかけ直しを行なった。

 これでまた数ターンはしっかりと戦える。

 しかし戦っている敵はこのターンに倒される。それくらいダメージを蓄積させていた。俺は畳み掛けるように、そっと、オートボタンを押す。そして電源を切った。これくらいなら電源を切っていても裏で敵が倒されるまで処理していてくれる。


「もう会う事もないと思ったんだが」


「これからはそうなるんだよ。お前が死ぬからな」


 知らない顔が口を挟んできた。みずぼらしい男ではない。

 身長は俺よりも高い。全身はしっかりとした筋肉がついているが肥大した印象は受けない。黒のタンクトップにダーク系のジャケットとスラックスを着ている。革のベルトのついているでかいバックルがダサい。

 ややロンゲ気味の跳ねた髪型で、間違いなくタレ目のイケメンだ。神経質そうなヒネた顔つきをしているあたりが女受けしそうだ。


「知的好奇心が強すぎて気づいたら死んでいるタイプだな」


「金は貰ったからな。お前はここで死ぬ」


 タレ目が俺に向かって走ってくる。

 滑るようにこちらに突っ込んでくると前蹴りを放ってきた。膝で受けて、踏み込んで落とす。タレ目はそれでもバランスを崩すことなく追撃を行なってくる。下段から放たれる中段突きと上段突きの二連撃が同時に向かってくる。


 メオテね。


 同時に繰り出された山突き、上を肘で、下を払って絡ませようとしたが、さすがに相手もそこそこ使えるようだ。鞭のように撓って俺の手を弾く。そして両手を使った連続攻撃が来る。俺も相手のほうへと踏み込みながら、それでいて付かず離れず攻撃を捌いていく。こちらからの攻撃は最小限だ。牽制と相手への掴みをスカしながら相手の思考を誘導した。


 十秒の会合の後、タレ目が退いて距離を取る。


「お、おい、大丈夫なんだろうな!」


「合気道か柔道か、どちらにせよ崩れ・・だ。俺の相手じゃないね」


 みすぼらしい男の不安そうな言葉に対して、タレ目が好き勝手に言っている。


 俺は左手にはめた時計を確認する。

 スーツを買ったときにいっしょに勧められた時計だ。普通の落ち着いたシルバーの時計なのだがやたらとゴツイ。言うに事欠いて「ナックルとして使用できます」とか言われた。うっさいわ。

 二度ほど確認してようやく今が二十三時五十八分であることが理解できた。物を見るたびに何かを思い出す癖を直さなくてはいけない。


 俺はポケットから黒の革手袋を取り出す。ところどころにほつれや傷が目立つがまだ現役で使える実用品だ。念のために買い置きを部屋のタンスにしまっている。急激に劣化しても大丈夫だ。

 俺は強く握りこみ、革手袋を伸ばす。ギリギリと鳴り響く音が思いのほか大きかった。

 怯えた表情の男が俺に高速で視線を向けた。


 怯えた表情のに明るい月の光がかかった。

 やはりよく見知った相手だ。

 元上司の男で、現在は俺が勤めている会社を解雇されているどうでもいいやつだ。四十台も中頃であるはずなのに幼稚な癖が抜けていない。自分さえ良ければ言いと思っている、良心がわからない精神異常者だ。


「今回はまさか殺し屋まで用意したとはな。なかなか肝の据わったことだ。殺されても文句はないということだろうな」


 俺はスーツの上から着ているコートを翻す。

 どちらも十分に金をかけただけあって俺の行なう動きが阻害されない。


「あ、あ、いや……違う……殺す気なんてあるわけないだろう!」


 元上司は本気で言っている。

 ただ結果的に死ねば良いな、とその程度なのだろう。ただし、俺には強く死んでほしい。

 やつの中ではそれは殺意には値しないようだ。あと仮にこの事件が明るみに出た場合、司法の前で言い訳するための事前準備なのだろう。


「落ち着けよ旦那、ここは俺に任せろ。なかなか歯ごたえがありそうなんでな。久しぶりにおもしろい戦いになりそうだ」


 現代殺し屋が優しく声をかけた。

 吹き荒ぶ風にタレ目のジャケットが揺れている。

 屋根のない天井から落ちる月光で十字架のネックレスともども輝いて見えている。幻想的であることだ。テレビ画面の中であれば勝つのはやつだと思う。


「先に二つ言っておく。俺に危害を加えようとするものは誰であろうと容赦しない。またどんな状況からでも謝れば許してやる」


 親切に、俺は解決策を提示する。


 しかしタレ目は俺の話を無視して殴りかかってきた。

 戦いを楽しもうという気概が感じられるが、その実は牽制と急所狙いの本気型だ。なあなあで長引かせるのではなく、一瞬一瞬の純なやり取りが好みなのだろう。


 向かってくるタレ目。

 牽制のための速い刻み打ちが俺の顔面を襲う。

 予測はしていた。


「なッ!」


 俺はその手首を取った。

 あまり時間をかけていられない。


「待てッ――」


 明らかな絶望を瞳に乗せ、タレ目が体を退かせる。

 さすがに初見のジャブを取るようなやつにはあったことがないようだ。


 大きく腕を振ってタレ目の手を落としてから相手の腰を取って体当て、足を払いながら体重をかけて地面に叩きつける。背中から肺を強く打ったのだろう息を詰まらせただけで悲鳴はない。取ったままの腕を捻りながら脇腹をつま先で蹴りつけて肋骨を砕きながら続けて肺にダメージを与えていく。


 タレ目が反撃として掴まれている俺の腕を体重基点として蹴り上げようとしたので、基点をズラして蹴りを流した。地面でほぼ一回転したタレ目の肩を踏みつけて砕くと全身に力を込める。


 これで終わりだ。


 そのまま強く掴み、肘を上空へと向けてから肩も固定、そのまま引く。


「うっがああああッ!!」


 左の手首、肘、肩が一気に破壊されたことに対して悲鳴を上げた。

 タレ目は戦闘不能になったのか、体を丸めてしゃがみこもうとする。


 それはさせない。


 俺は全身に力を込めて、先ほどよりも強く強く引っ張った。

 タレ目の全身がふわりと持ち上がるのを確認してから、高速で腕を振る。

 それから手を放した。


「また会おう。いつか、どこかで」


「ああああああああああああああああッッ!!!」


 大声を上げてタレ目が満月が舞う夜空へと消える。

 六メートルほど向こう側にある地面のない空中へと投げ出された。しばらく経ってから潰れる音がする。


 タレ目との話し合いは終わった。

 俺は元上司へと向かう。

 元上司は何が起こったのかわかっていないのか、俺の方を呆けて見ている。

 だが俺が一歩近づくとすぐさま状況を認識したようだった。


「存外、まだしぶとそうだな。その懐にあるだろう武器で攻めてくるといい。そのときに自分の考えの甘さがわかる。二年前のあの時、死にかけるほど殴られてこの程度の認識とは、お前は本当に生きていないな。それとも後遺症がないことが自分の実力と勘違いしたのか? かわいそうに」


 革靴が重い音を立てて鳴る。

 俺が近づくたびに元上司は怯えを強くした。屠殺される前の豚のように諦めと絶望が渦巻いている狂気の顔だ。

 ここは建設が頓挫したビル跡地だ。誰も来ない。こいつから俺を誘い込んだのでことさらにそう感じているのだろう。ここに逃げ込んで最上階であるここにくるまでは調子が良かったがこの体たらくだ。何もかも足りないが、特にガッツが足りない。


「人間ってのは頑丈でな。さすがに首の裏や頭部の弱点はともかく、それ以外の場所はかなりダメージを溜め込むことができる。飛び降り自殺に失敗したやつが全身を反対に捻られていても生きていることがあるだろう。もしかしたらあのタレ目も生きているかもしれない」


 風が吹いている。

 夜と月が辺りを斬るように冷やしていた。屋上は骨組みだけなので壁のあるここが一番高い場所だ。だがそれでも音を立てて風が吹いていた。柵や窓枠がないのでフロアの端に立てば自動的に風に引き込まれるだろう。

 だから俺の話の現実味が帯びたのか元上司がさらに顔を青くする。


「許してくれ! すまないッ! ほんとうに、そういうつもりはなかったんだ!! 助けてくれよォ!!」


 狂乱気味だが俺に掴みかかることはないのでまだまだ恐怖が足りない。

 こればかりは殴るだけでは味気ないので相手の想像力に任せるしかない。だいたいここは十三階の縁起の悪い場所だ。落ちたらよほど運が悪くない限り死ぬ。


「心配するな。次はないんだ」


 俺は元上司のシャツを掴んで持ち上げる。


 元上司が懐に忍ばせていたスタンガンを突き出してきた。


 予測していた通りの反撃を行なってきたので反対の手で死角から手首を掴む。目を覆いたくなるような強力な電気の発光が見える。だが俺に近づいてもいないので誘導を起こすこともなくむなしく空中に霧散してる。


「違ッ!? これは……違うんだッ!!」


 元上司が表情をころころ変える。

 まさしくこの期に及んで言い訳とは呆れるほどおもしろいやつだ。

 良心が強く存在するやつには十分な効果のある悪意のスタンガンだが、俺には通用しない。そもそも通用しないからこういうことになっているのがわかっていないらしい。元上司の悪意に屈する程度の弱い心が俺にあるのであれば、こいつがまだ上司だった頃に立場は逆転していた。


 俺は優しく元上司の手首に親指と人差し指を添えてからしっかりホールドする。そのまま無遠慮に砕いた。


「ぎゃあああああああッッ!?」


 大げさに驚いた元上司がスタンガンを取り落とす。が、手首に巻きつけていたストラップのおかげで宙ぶらりんに転がった。

 手首を砕いたが、その手を離さない。むしろさらに強く握り続けている。


「あのなあ。上司でもなんでもない今のお前は殴る価値がないんだよ。あの頃はいくら殴ってもさらに殴れるほど軽やかな狂気に包まれていたが、部署にお前がいないんじゃあその意味もない。こうやって手首を砕いたのはお前が攻撃してくるからだ。わかるか? お前が攻撃してこなければ俺もこうやって反撃しないんだ」


 上司がまなじりに涙を溜めている。

 別に関係ないとばかりに元上司を蹴りつけてぶっ飛ばして距離を取った。ほんの数メートルだが元上司程度であれば十分だ。


 俺はまたスマホを取り出して電源を入れる。

 簡易ロックを解除した。案の定なんの問題もなく戦闘が終了してリザルト画面になっている。俺は報酬にいつもの満足感を得ながらトップページまで戻ると、目的のボタンを押した。


「ああ、そうだ。遅れたが、こうやってスマホをいじっているのはお前を、お前達を馬鹿にしているわけじゃない。ただガチャを引こうと思ってな。今日は六月の末日だった。そして今は七月の一日で、日付が変わった瞬間だ」


 ゼロ時ゼロゼロ分。

 まさにガチャを引く時間に相応しい。


「月も、日付も変わった。このタイミングはガチャにレアが出やすくなるんでな。それを行ないたいんだ。ゲーム内の日付変更は午前三時だが、いろいろ試してみた感じ、この時間が出やすい気がする・・・・。そして七夕イベントまで後二日。なんの旨味もない、この日の、この時間だからこそ価値がある」


 俺はガチャの画面に入る。

 だが、勘違いしないでほしい。十連ガチャでもなければ、月に一度しか引けないプラスワン二十連ガチャでもない。


 そう、ただの一回だけの、通常ガチャだ。


 あとゼロ時ゼロゼロ分が終了するまであと二十秒ほどある。

 問題らしい問題はどのタイミングで引くかだ。今か、それとも終わり際か。経験上は最初に引くとタイムラグのせいで六月の最終カウントで引いた扱いになりそうなのであまりやりたくない。

 タイミングとしては最良なのは、この、現在の、今の瞬間だ。


 俺はガチャのボタンを押す。優しくタッチする。


『あまねく希望がここにあります。心を強く、自分に負けないで』


 ガチャ娘である課金アマネ・ノゾミちゃんが煽ってくる。快活そうな笑顔と動きやすそうなレギンスルックだ。どうでもいいことだが運営側の不手際があった場合の侘び品を渡すのも彼女なので、侘び石ちゃんとも呼ばれる場合がある。アップデートタイミングでは特に。


 画面に「課金してください」と現れ、カードリーダが起動した。

 あとは俺が持っているネットゲーム用のカードをスマホに近づければガチャが引ける。


 ポケットからカードを取り出す。

 なんの変哲もないコンビニで売っているネットゲーム用の、大手元締めが販売しているプラスティック製のカードだ。秘められた金額は五万円分。俺が月に使うと決めている限界の量だ。自律してこそのゲームであり、際限なく金を使っても何の意味もない。ゲームのプレイも、ガチャの一回も、等しくゲームなのだ。


 あと十五秒。

 こんなものだろう。

 左手にスマホ、右手にカードを。

 俺は二つを重ね――


 ――そして元上司が無事なほうの手でナイフを突き出してきた。


 本当に救い様がない。

 こいつは、間違いなく俺を殺すつもりだったのだろう。身の程知らずめ。武器を奪われることを前提に刃物を一番最後に使用したのは好感が持てるが、それだけだ。警察に引き渡す前にいくらか痛めつけなくてはならない。

 いつも懐に忍ばせてある|十円玉が大量に入った革袋サップを意識する。俺が拳で殴るよりも傷痕が残りにくいので非常に便利だ。愛用している。最悪、警察に見つかっても「小銭入れです」で切り抜けることができる。非常に苦しいが。


 とはいえ、刃物を向けられたとはいえ、先にやるべきはガチャだ。

 俺はスッとスマホとカードを重ねて「諦めないで……」と課金ちゃんの声を――ガチャを引いた音を確認した。新しいボイスだったので七夕仕様なのだろうか。

 そして血走った目で襲い掛かってくる元上司に絶望を与えようと、刃物を持った手を取る――――












 ――ザワリ、辺りに喧騒が茂った。

 ほんの瞬きひとつの間に大量の人の気配が広がっていく。













 ――ナイフの手を掴めない。

 しまった。これは腹を刺されたか、事も無げに思ったがそれよりもおかしい雰囲気になっている。


 ナイフがない。ナイフを持っていた腕がない。

 というか、元上司がいない。

 いつのまにか夜が明けている。

 それだけじゃない。場所も違う。ビルの屋上にいたはずだが、ここはどこだ?


 正面に誰もいないことを確認する。

 いや、そうじゃない。いる。いることは、いるのだ。だが、攻撃を仕掛けてきた元上司じゃない。


 フードをかぶった中年の男性が横切っていった。

 すぐさま反対から織物で仕立てられた長い裾のワンピースの女性が歩いてきた。手には鞄を持ち、右手で気乗りしないように大量に身に着けたアクセサリーをいじっている。白髭の壮年の男がこちら側に向かって歩いてきた。女性の着ている織物の特徴がある民族衣装のようなものを着ており、俺とぶつかることを察し、俺に驚いて避けていく。


 辺りを見回した。


 いつのまにか、人通りの多い路上に立っていた。

 辺りには見慣れない衣装を着た人たちが行き交い、思い思いの何かを行なっている。雑な木枠と箱の露店で買い物をしている婦人、店の前で熱く言葉を交わしている二人の男、忙しそうに道の真ん中を走っていった少年と、俺なんか見向きもせずに用事を行なっていた。


 状況に思考がついていかない。

 先ほどまで元上司を一方的にぶん殴っていたはずだが、いつのまにかよくわからない場所にテレポーテーションだ。記憶をいじれる薬でも飲まされたのか、それともいきなり記憶喪失になって連続している最後の記憶が元上司をボコっている部分に連結してしまったのか。

 まあ、それは後で考えればいいか。


 それよりも問題がある。


 どう見てもここは日本に見えない。

 古代ローマとスイス的な民族衣装を足して二で割ったような服装の連中ばかりだ。赤や青の刺繍や金色めいた縁取りの衣装が目立つ。女性の胸が強調されているようなコルセットモドキと白色の胸部だけでしかスイス的と判断していないがおそらくわかってくれるやつはいる。男は無骨な胸当てにトーガのようなものを巻いていた。


 街並みは古代ローマ的だ。

 石畳に石造りの建築物がずらりと並んでいる。俺の立っている場所は大通りなのか前後に長く大きな道が貫いていた。ちらちらと女性の小物や化粧、男性の髭や全体的な肉体を観察するが、どうにも一朝一夕でつくったものに見えないしエキストラにしてはあまりに鍛えすぎている。特に男性は服の上からでもわかる背筋や首、肩の盛り上がりが尋常ではない。トーガをまとっている連中は特に筋肉質であり、それでいてしなやかさを持っている。

 何かの映画撮影に巻き込まれたにしてはあまりに本物志向過ぎて監督の正気を疑うレベルだ。


 道の真ん中で立っているのも邪魔になると思ったので近くの露店に立ち寄ってみた。


「エクスキューズミー、サー?」


「え、あ、すみません! ちょっと古代語はわかりません!!」


 雑な発音のアメリカ語でブリテン拗らせた内容だ。露店にいた帽子代わりの布を頭に巻いた半裸の男は流暢な日本語で直立不動で返事をしてくる。

 声のかけ方としては酷い発言だったことを後悔する。反省はエッセンス程度で。


 ……いや、待てよ。相手が使っているこれは本当に日本語か?


 細かいところはまあいいか。話が通じるのであればそれ以上に求めることは少ない。


「すまないがここはどこだか聞いてもいいか。どうも想定していた場所と違うみたいでな」


「は、はい! ヴァンフラート王国の東、国境戦争公領シーン・ダオウ辺境伯管理地、辺境伯直轄のラクザの街になります!」


 ……突っ込みどころ満載で俺では手に負えない。

 本当に、本当に仕方ないのでスッパリと斬り捨てる。

 そういうことにしておく。


「あー、日本国は知っているか? アメリカ合衆国かロシアでも構わないが」


「すみません、わかりません!」


 露店の半裸男は良く焼けた筋肉の肌を小さく縮こまらせて俺の質問に答えている。

 ただし、怯えてだ。

 ……何か怯えられるような人間だっただろうか、俺は。


 俺は自分の格好を再認識する。

 薄いチョークストライプの入ったダークグレーのスリーピース、ネクタイは濃いブルーストライプ。そしてその上から少し明るいコートを着ている。スーツを仕立ててもらったテーラーから買ったものなので種類はわからないがチェンジポケットがついている。どれひとつとっても伸縮性があるので俺の無茶な動きににも付いてこられて便利だ。無理だった場合は普通に修繕してもらっている。何度も直してもらっているがいつ行ってもにこにこと笑顔なのでどこか薄ら寒いものを感じる。たぶん怒っているだろう。

 つまりだ、特におかしい服装というわけでもない。

 むしろフォーマルだ。

 怖い顔を和らげるためにと貰った黒縁の伊達眼鏡が役に立っていると信じたい。


 俺は念のために一度、短い黒髪を後ろへと優しく撫で付ける。


「すまない、俺は何かおかしいかな。ここに着いたばかりでね。こちらの常識や風俗には疎いんだ。何かあればすぐに正したいんだが」


「おかしいところはありません! 本当です!」


 凄まじく釈然としない何かを感じる。

 そういえば黒髪の人物とか見なかったな。黒髪は悪魔の使徒とかあるのかな。不思議な力で死ぬことになる、みたいな。わからないことだらけで泣きそうだ。これがあの元上司をボコボコにした結果であるというのであれば、俺は過去をやり直したい。もっとしっかりとヤキを入れないと割に合わない。


「リンゴ、か」


 露店の半裸が売っているのはリンゴだ。他にもバナナみたいなよくわからない果実もあるが、薄赤く丸いどう見てもリンゴのようなものがある。


 ひとつくれ。


 そう口にしようとして思いとどまった。

 俺はこの国の金を持っていない。

 いや持ってるかもしれない。俺が記憶喪失から過去記憶の不連続連結を起こしているのであれば、もともとここで暮らしていたのであれば金を持っていてもおかしくない。


 俺は財布を取り出すと中を覗く。


 万札と若干の小銭が入っている。クレジットカードその他もそのままだ。

 金をさっと数えてみる。万札が二十四に硬貨が五百円玉を十枚に後はいくらか。


 俺の記憶にある金額といっしょだ。

 元上司をボコる前に見た金額と変わらない。

 ついでに言えば財布や中身が焼けて褪せたようにも見えない。革手袋のほつれもそのままだ。


 テレポーテーションの類を疑ったほうがいいようだ。


 まあ、何が俺の身に起こったところで、普通に生きていくことには変わりないので問題はない。むしろおもしろいことがあったので得意先に話す妙なネタが出来たというものだ。

 手袋を脱いでポケットに突っ込む。


 左手の時計を確認、スマホを取り出してさらに時刻を確認、電波アンテナが立っていないことを確認、実際に電話やネットを使用してみて使えないことを確認。

 プレイ中のソシャゲがまったく起動せずタイムアウトした。

 そこまでやってからようやくテレポーテーションを疑い始めた。


「まあ、どうでもいいか。とりあえず今日、過ごす家を探さないとな」


 俺は起こったこと、過去を無視して未来を考える。とにかく意味もなく路上で寝るのは真っ平ごめんだ。さっさと適当に独り暮らしの女をナンパしてから寝床を確保しないとまずいだろう。ナンパとかやってことないができないことはないだろう。どんな男でも百件以上ナンパを繰り返せば女性と遊びに行けるらしいし電話番号も聞けるそうだ。


「おい、これは使えるか?」


 俺は財布の中から万札に五百円と百円と十円を取り出す。


「ええと、銅貨は可能です。けど、金貨と銀貨はお釣りがないので無理です」


 ……すごい嫌な予感がした。

 はっきりと口にできない何か妙な感覚がざらりと俺の隣を過ぎていく。

 金貨、銀貨、銅貨ときたか。色違いでわかりやすい金額を出したがそう形容されたのは初めてだ。万札なんかシカトされている。


「リンゴをひとつくれ。何枚だ?」


 物価を知るためにもリンゴを買うことにする。

 銅貨一枚でリンゴ二つという値段だったので、残りはお釣りでほしかったのだが半裸は俺から十円を受け取るとそれを見たまま固まってしまった。

 そしてやっぱりお釣りは出せないからリンゴを好きなだけ持っていっていいと言われた。

 そう言われてもリンゴなんかいくつも食べられない。

 めんどくさそうなことになりかねなかったのでリンゴを二つ奪って逃げるようにその場を後にした。


 あの十円がこちらでは何らかの付加価値があったにせよ、俺にとってはただの十円だ。かなり損をしたかもしれないが予備知識やこちらの常識も知らずに両替小銭に首を突っ込むのは得策ではない。


 俺はしばらく足早でメインストリートを歩く。

 人通りが多いが混み合うほどじゃない。余裕で馬車が二台、ギリギリ三台はいけそうな幅広い道が背の高い建物まで続いている。よく見たら城だ。城砦といえば良いのかごついプリンアラモードが居座っている。

 この直線、攻められたとき防御的にまずいんじゃと思ったが、メインストリートに隣接して横道の坂があった。見上げると小規模の砦のようなものが立っている。そういえば日本でも攻めてきた連中に側面攻撃をするための本丸囮戦術を行なうキレた城があったな。あれか。尖った丸太を車に載せて数十人で突撃かけたら凄いことになりそうだ。


「ねえねえ、お兄ちゃん」


 後ろから声をかけられた。

 子供の、少女の声だったので最初は無視したが二回目があったのでゆっくりと振り向いた。


 見れば金髪の少女が立っていた。

 癖のない長い髪が印象的だった。年の頃は小学生か、物凄くおとなしい赤とフリルドレスを着ているが、遊びまわっているのかところどころ汚れている。どこかで見たことのあるような姿と声だ。強いていえば日本製のゲームに出てくるロリに見えないこともない。


 考える。

 さすがにこの娘をたぶらかして夜露をしのぐのは人として終わっている。別に終わっていてもいいからお邪魔したいくらいには切実な現実だが、今はあまり気にしないでおく。


「これ、落としたよ!」


 金髪の少女は俺に何か、カードのようなものを渡してきた。

 俺はそれを受け取る。

 見るとプラスティック製のカードだ。それ以外に何ものでもない。プリントされているのは見慣れたネット用のキャッシュで、有名なロゴが大きく書かれている。俺も良く買う。

 というか、先ほど使ったカードだ。偶然覚えていた「ゼロゼロゼロゼロ」の珍しい末尾番号が俺のものであると主張していた。


「ありがとう。これは俺の服から落ちたのかい?」


「うん」


 少女が屈託のない笑顔で肯定する。

 嘘くさい。

 直感的に否定的なものを感じたが少女はきらきらと輝いた目でこちらを見ている。何か嘘をついているという感はない。少女は騙しておらず、だがこれは俺の所持品である、と。

 普段なら一考に価する案件であるが、現状がとびきり無敵な超パワーであるため後回しにする。何かあれば少女を探せばいいだろう。もしも探したときにいなければ間違いなく嘘つきだ。


 不可解な状況が連続することよりも、俺に直接関わってくることのほうが明らかに異常性がある。現代においてそんなことはそれなりに稀であるし、先ほどの半裸男の反応やここを知覚した最初で俺を避けた男を考えると俺はそれなりに話しかけにくいはずだ。


 少女が俺が手にしているリンゴを見ている。


「リンゴを、あげよう。交換だ。わかるね」


 俺はリンゴを二つ手渡そうとする。


「いっこでいいよ! 交換だもんね!」


 こちらの意図が伝わっているのかいないのか。

 少女はリンゴを持って走っていってしまった。


 しかし、


 突発的な状況の超変化よりも少女ひとりをいぶかしがるとは。

 俺も頭のおかしい男だな。


 リンゴをかじろうと、コートの裾で軽く拭いた。

 そして大きく口を開け――


「君、こんなところで何をしているのかね」


 声をかけられた。

 先ほどの少女とは状況が違った。

 俺の隣には金の縁取りがされた黒の四角い馬車が止まり、開いた扉からカイゼル髭がこちらを見ていたのだ。明らかに俺に話しかけられている。俺は口を閉じ、綺麗なままのリンゴをポケットの中に入れた。


「ほら、早く乗りたまえ。馬車はどうした? もしかして市場調査かね? 挨拶も済ませないうちから街を歩くのはあまり関心しないな」


 年の頃、五十でやや太り気味の男だ。赤い細工の入った、いかにも貴族服のようなものを着ている。大昔のスーツといえば少しはわかりやすいだろうか。前を閉じる必要のないジャケットと、シャツに施された花のような細工がネクタイの代わりに真っ直ぐと伸びていた。

 カイゼル髭、そして髪をぴったりと後ろへと撫で付けているが、清潔感は十分であり印象は悪くない。


 御者の隣に座っていた執事らしき老齢痩躯の男が俺の前までやってくると手早く馬車へ上る足場を置く。そして一歩後退して、礼を行なった。


 どうやら俺がこの馬車に乗るのは決定してしまったようだ。


 そうと決まればなんのためらいもなく足場を踏みつけて馬車へと上がりこんだ。

 俺の重さにも軋みを見せない重厚感が足裏から伝わってくる。中も外と同じような塗装が施されているが、不思議と暗い印象は抱かない。明るい赤のクッションがそうさせるのか。

 カイゼル髭の男が俺に「気楽にしたまえ」と着席の許可をくれたのでその向かいに座った。


 中にはカイゼル髭の男、そしてその妻なのか少々化粧の濃い女が座っていた。

 女の服は豪華だった。レース細工の凄い、職人技のベージュのスカート、赤のビロードを重ねている。革のコルセットモドキで腹を締め付けて胸を強調した丸い乳袋のような細工がかけられた胸部の上着に赤いストールをかけている。髪はしっかりとまとめあげられており、しっかりと顔のしわが伸ばされている。なんというか、貴族っぽい。


 俺は「ありがとうございます」と営業スマイルでお礼を言った。本当ならば体ごと右手を差し出して悪手のひとつもしたいところであるが、本物の貴族ならやばいことになりかねないかもしれないので、この場合はしっかりと後手後手に回る。


「いや、よいよい。ワシらも遅れて到着してしまったのだ。まとめて入ったほうが、ほれ、角が立たんだろう?」


 カイゼル髭はわははと笑う。

 そして本題に入ってきた。


「ところで何をしておったのだ? リンゴを持っていたようだが」


「そうですね。何から言えばいいですかね」


 俺は少し溜めをつくる。

 自己紹介がないのは貴族流なのか、むしろ相手がそれだけ偉いのだろう。知っていてしかるべき、みたいなものか。俺が自己紹介をしたいところであるがどうやらその流れはとっくに過ぎたようだ。

 カイゼル髭の目が真剣なそれになっている。

 俺に対して何か危害を加えるそれではない。ただ、純粋な好奇心。そして、相手が持っている、使う技術を見定めるそれだ。

 自己紹介を逸してしまった失態を思いながら、俺はこの場にあった答えを導き出す。


 なんかテレポーテーション受けたみたいなのでリンゴ買いながら話を聞いていましたわ。


 などと馬鹿正直に話すと相手の興味が削がれるどころか、相手の審美眼を傷つけることになるのでそれなりの話をしなくてはならない。


 先にこの馬車に乗せられた理由や何に「遅れる」のかその辺りから訊きたいのだが、そんなことが許される状況とはいえないようだ。


 俺は、考える。

 あの露店のことを。


「リンゴを取ったのは偶然なのですが、この街で品質の良く数多く存在する何かを探していた、と言ったほうが正しいですかね」


 カイゼル髭は「ほう」と唸り、いかにも「続けろ」と体で表現している。


「この街で商売……には限らないですが、例えばリンゴが思った以上にたくさん取れる場合はそれを使ってその土地の特産品として売り出したいと」


「さすがにその程度であればどこもやっておるだろう」


 目が鋭くなる。


「そうですね。相乗効果を狙っていると言えばいいんですかね。どちらかひとつ、というわけではなく二つ、三つと重ねた商売を考えていました。特産物、大きな宿、レジャー施設、別の街からの交通ルート開拓などですか。もっと言えば、どこに金が足りないのか知りたいですね。特産物、リンゴを売るための店が少ないのか、リンゴを運ぶ輸送屋が少ないのか、誰もリンゴを食べないならリンゴを使ったお菓子を作りたいですし、リンゴを知らない人がいるなら教えて安価でも供給していきたい。どこかで金が足りなくてうまく市場を回せない場所が絶対にあるはずなんで、そこを足がかりに金でも、と」


 最後に「元手がないのでなんともなりませんが」と締めくくる。

 テキトーこいてみたがおおよそ嘘ではない。何かしら問題が出ている部分をさっさと金で解決するのが現代人のあるべき姿だ。節約するのは勝手だがさっさと予算をつけなければ死んでしまう場所も多い。

 俺は上司と経理に目をつけられているが、ある程度の結果を出しているので文句は言われない。失敗しても俺がコケるだけなので、そちらに目を瞑れば何も問題がないのだ。いちいちクビや文句を恐れていては何も出来ない。

 あとで闇討ちのひとつでもやればいいのだ。


 カイゼル髭は「ほう……」と呟く。

 まるで「まあ、合格かな」と言いたそうな顔つきだ。イラつくので殴りたいところであるが、気に食わないからと殴っていてはいくら拳があっても足りない。敵に回す数はそれほど多くないほうがいい。殴り疲れる。


「ところで何か、そうだな、君の特技はあるかね」


 なんか面接みたいになってきた。

 なかなかイライラが募る。だが殴りはしない。許容量を超えるまではな。


「そうですね。武術を少し。あとは冷静さくらいですか」


「武、術……? 聞きなれない呼び方だな。しかし悪くない。君のその物怖じしない態度はそこから来ているというわけか。気に入った」


 やはりわははと笑いながら膝を叩いている。


「あなた、そろそろ入場ですわ」


 ケバい奥さんがここで初めて声をあげた。旦那の話には、基本的に口を挟まないタイプらしい。よいことだと思う。門外漢はしゃべるな、という意味で。

 社会に出たら門外漢でも多少は知っていないと馬鹿にされるし、少しは意見しないと腕が悪いと言われるので「貴族の奥さん」という地位に何か尊いものを感じるがうだうだ言っても始まらない。時間は進んでいるのだ。どんなことでもやらないといけない。


「おお、着いたか。では君、すまんがここで降りてくれ。ワシらは別口に進むからな、ここでお別れだ。また後で会おう」


 ゆっくりと止まった馬車の扉が開いた。

 差し込む日差しの中で執事が足場を置いたのが見える。


 状況的にそうするのが正しいので、俺は馬車から降りた。


 そして去っていく馬車を見送った。


 見上げると、そこは通りの先にある城砦と呼ぶに相応しい物々しい建物の前に立っていた。




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 煌びやかな世界が一気に広がった。

 銀色の燭台に甘そうな柔らかさの灯りが点いている。その暖光の照らす先には豪華な食事が所狭しと並んでいた。夕食を抜いた俺は唾を飲む。

 それ以外は特に何がどうというわけではなかった。

 貴族めいた品と質のよい身なりの男女が好みの酒を注いだ薄いグラスを手に談笑をしている。いくつもある料理のテーブルの周りはもちろん、楽隊が奏でる音楽に身をゆだねている連中も多い。思い思いに時間を使っている。社交性だ。誰も無駄な使い方はしていないようだ。


 高い天井に下げられたシャンデリアと旗が飾られている。その真ん中に伸びる二階への大きな階段がここではとても印象深い。おそらくここの主役がそこから出てくるのは間違いない。


 時間を無駄にはしたくないが、さすがに何がどうなっているのかわからないので状況を観察してみたい。迂闊に話しかけて不敬罪で斬られるのは勘弁していただきたい。貴族が中心であるが、どうみても護衛らしき連中も帯剣して傍に付いている。勝つか負けるかでいえば間違いなく勝利できるが、そんなことをしては大問題だ。


 タイムスリップは趣があるな。品はないようだが。

 俺は少し、鼻で笑う。


 年少のウェイターからグラスを貰った。

 色と匂いは普通の赤ワインに思える。少し口に含んでから壁側に顔を向けて味わう。味が濃く香りも強い。痺れるような酸味があるが喉の奥に流すとほどなく甘い感覚に変わっていった。上物ではあると思うが、どの程度のランクなのかはわからない。ただ、日本じゃ売れないだろうなということくらいはわかる。


 グラスの細工はさすがに職人の手作業なのかよくよく観察すると細かい光ムラのような見えるがこれは機械作業でなければ消せないものだ。そしてそのムラが注いだワインと光で綺麗な反射が伸びている。


 手近のテーブルの皿にチーズがあったので口に放り込む。キューブカットで一口大、センスがいい。何度か噛む。うん、おいしくない。燻製チーズのようだが周りの乾燥状態が俺の口に合わない。ぼそぼそとした触感でしっとりとしたジューシーさがどこにもない。仕方なくワインを口にする。そこでようやくワイン用のツマミだと理解した。味の濃いぼそぼそとした味がワインの酸味とよく合う。最高だ。もう食べないが。


 プレッツェルのように硬く焼き上げられたクラッカーを取る。これには何も付いていない。一口で頬張りよく噛む。クラッカー特有のぼそぼそ感はあるが先ほどのチーズとは違う。唾液と合わさって優しい塩味と甘みに変わっていく。まあ、ぼそぼそ感が強すぎて一分くらい噛んでいる。さすがに食べ物を口にするたびに酒を含むとかやりたくない。どこの飲兵衛だ。


 意地で噛んでいると誰かが近づいてきた。

 振り向いたらちょうどいい距離になるところで振り向く。ただしまだ噛んでいるので、内容物を歯の内側に寄せて頬袋のふくらみをなくす。


 振り向いた先にはお姫様がいた。

 大きな青い瞳に小さい鼻先、シミひとつない真っ白な顔だがほんのりと赤みが差している。こぼれるように流れている長い金髪に赤い髪飾りがひとつ。服は白いレースのドレスに薄らと青が載っておりよりドレスが強調されていた。自前の肌質や輪郭が見えづらいドレスのためあまりに妖精のような美貌になっている美少女だった。


「ごきげんよう」


 だよな。

 普通に挨拶をするよな。どうするか。

 無理やり飲み込もうと軽く息を吸い込む。


「ああ、そのままでいいですわ。こちらを」


 金髪の美少女はテーブルからジャムだかジュレのようなものが入った器に小匙を突っ込む。そしてそれを俺に差し出してきた。

 なるほど、あのクラッカーはこれを置いて食べるというわけか。道理で食いづらいわけだ。


 俺は受け取ろうと手を伸ばす。


 避けられる。


 ぬーやが。


「さあ、お口を。光栄なことですよ」


 金髪の美少女はどうやら俺に「あーん」をしたいらしい。控え目にいって頭は大丈夫かこいつ。

 ところで俺の身長は百九十を超えている。金髪の美少女はそうだな、百四十五……百四十四くらいだろう。まずまともな身長差ではない。

 ……ああ、なるほど。膝をつけろとのお達しか。ぱっと見、なかなか気合の入った貴族と見える。事前情報もなく例もなく行なうのは少々勇気がいるが、別に膝を着いて「あーん」された程度で暴れる外野や付き人もいないだろう……いや、いないと信じるわ。


 俺は片膝をついた。


 視線が走る。

 カミソリめいた視線が会場のいたるところから延びてきた。

 誰も直接は見てこない。しかし確実に俺を敵として認めようとする視線がいくつもある。俺が憎いというわけではないだろう。今、この場でこの金髪の美少女に関わろうとしているのが問題らしい。


 片膝をついたので小匙が俺の口元へと差し出された。


 俺はその小匙を優しく、だが強く受け取る。奪うと表現しても構わないだろう。金髪の美少女の意識の隙間を縫うようにさらりと奪うと、立ち上がり、そして小匙を口にした。

 周りから見れば「拝領した」と見えなくもない。まず「あーん」には見えないだろう。


 小匙には蜂蜜のようなものが載っていた。酸味のある苺でつくられた蜂蜜のようなものだ。クラッカーひとつで小匙一杯分なのか、口の中でほどよく混ざり味わい深くなっていく。

 俺はよく咀嚼してからしっかりと飲み込んだ。


「ありがとうございます。助かりました」


「……もう」


 拗ねたように口先を尖らせる金髪の美少女であったが、本気で怒っているわけではないようだ。貴族階級の娘として今の行動には何かしら意味があったのだろうが、さすがにそれに乗ってやるわけにもいかない。何も知らない場所で何も知らないやつらに刃を向けられるのはごめんこうむる。


「エルフの方とお見受けします。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 エルフときたか。そういえばリンゴ売りの半裸もそんなことを言っていたな。エルフ違うわ。どうやらこちらの国では黄色人種はエルフ扱いなのだろうか。それとも別の何かがあるのか。その辺りも聞きたいところだ。あまり長話をすると向けられる刃の数が増えそうなので二つ三つの質問を考えてから、まず自己紹介をする。


「残念ながらエルフというわけではありません。私は――」


 俺は両手を開いて相手に見せる。

 武器がないこと、敵意がないことを現すことにもなるが、それ以上にちょっとした余興だ。


 軽く手を叩く。

 パァン、と軽い音が鳴る。それに意識を向けておいてジャケットの袖口から名刺入れを取り出した。薄い鉄製だ。

 一瞬で取り出したために手を叩くと同時に現れたように見えただろう。

 今度は名刺入れに注意を引かせながらゆっくりと自分の胸元まで下げる。金髪の美少女もそれに合わせて視線が下がった。

 パシッ、とわざと音を立てて名刺入れから、名刺を一枚だけスライドさせて取り出した。

 取り出したと同時に名刺を視線の先に、名刺入れはまた袖口へと戻す。


「キセンバル・アフソと申します。日本の商社でサラリーマンをやっております。よろしくお願いします」


 名刺を両手で持って金髪の美少女へと差し出す。


わたくしはヴァーチュといいます。よろしくお願いしますね」


 俺から名刺を受け取って、それを眺めている。

 ……そういえば日本語で書いてあるのだが、読めるだろうか。一応、申し訳程度に英語も添えられているがあくまで日本語の読みを意識したものなので、なんともなんとも。

 といういか日本はともかく、アメリカもロシアも知らないとかその辺の一般人が言っていたのであまり期待しないほうがいいだろう。なんとなくこの辺りが地球とは思っていない。超巨大ドッキリだったときのために、少しは丁寧に振る舞いを見せようかと。それくらいだ。


「わあ、凄いですね。これは」


 お、読めたか。


「これはガラスですか? こんなに透き通っているのに柔らかい。紙の質も最高級ですね。弾力が違います。残念ながら文字は読めないのですけれど。こちらはいただいても?」


 やはり読めないか。


 俺の名刺は透明なプラスティックと紙材の積層構造になっている。横式で左上が透明で他の名刺と重ねたときに目立つように赤の縁取りがされているやつだ。真ん中に大きく俺の名前が書いており、あとは会社名とヒラ社員と明記されている。まま営業を兼ねているのでこれくらいの目立つ名刺は許可が出ているが上司からはあまりいい顔をされていないことくらいは知っていた。。


「どうぞ。それは名前と連絡先が書いております。商談として使うものなのですが、受け取っていただければ幸いです」


 何がどう幸いなのかわからないが相手を持ち上げて悪いことはあまりない。

 よほど頭の固く、それでいて頭のおかしい、さらに税金を安くするよりも従業員の簡易ボーナスが三度の飯より許せないというものの見方を知らないキチガイ爺はリップサービスすら疑ってくるのでお勧めはしない。


 まあどうでもいい。


「では再度、自己紹介を。キセンバル・アフソといいます。ヴァーチュさん」


 ざわり、辺りが少しだけ波打つ。


 なんだ、しくじったのか?


 よく考えたら貴族相手に「さん」付けだけというのもまずいのかもしれない。しかし言ってしまったものは仕方ない。物理的にクビにされないと信じて話を続けるしかない。もちろんその前に逃げるつもりではあるが。

 あとあれだ、わりと本気で俺は王族の末裔なのでいざとなれば反論もできる。ただし関ヶ原よりも前の頃の話なので苦しいといえば苦しい。親戚の集まりで俺の大叔父が自慢げに話していたのを覚えている。お前が王族の末裔だったらここにいる八割も末裔だとは酔った頭では理解できていなかったようだ。


「よろしくお願いします。キセンバルさん。私はあなたに期待しています」


 それだけ言ってヴァーチュは長い金の髪を揺らして去っていった。


 どうやら彼女はかなり位の高い貴族だと見た。

 でなければ一番人気の女性なのだろう。

 後者であってほしいが、たぶん無理くさい。ヴァーチュの足取りを追うと、誰もが恭しく挨拶を行なっている。

 やっぱり元上司をボコボコにしておくんだった。

 腹が減ったから飯を食ってる場合じゃなかったんだ。


 不特定多数の連中とやりあうために気を張る。


 が、誰も俺のところにはこなかった。

 三十分ほど普通に、何事もなくパーティが続く。

 念のために食事も控えていたので最悪である。


 というか、そもそもこれはなんの集まりなのだろうか。

 どこもかしこも貴族としか言いようがない連中が楽しそうな表情だけで話を続けている。なんというか、全員と話すつもりなのか、とにかくみんなでみんなと話をしている。

 聞ける分はざっと話を聞いたのだが、残念なことに今の俺にはあまり重要なことではない。

 どこそこでは特産品の葡萄がたくさん取れただの、どこそこは不作だの、王都にいるはずの王様が最近は姿を見せないだの、隠蔽樹林が少し騒がしいだの、ドラゴンが出てきただの、王都から騎士団が出払うことになるだの権謀術数に使える情報であるが、今の俺にはどれも不要なものばかりだ。もっと言えば嘘も混じっており、特定の人間を謀ろうとしているらしくいろいろ情報が混在している。


 俺様、貴族じゃない、ラッキー。


 まさにそれに尽きる。

 なんかどうでもよくなったのでジャムをつけてクラッカーを口に入れる。ウェイターからジュースを貰っておいた。二重に抜かりはない。ざくざくと音を立てて咀嚼する。そしてジュースを飲む。


 なんか左手が寂しい。


 そうだ。

 スマホをぽちぽちしていないのだ。

 本来ならこんな場所でスマホでゲームをするとか言語道断であるが、そもそも俺には何ひとつ関係がないので触らせてもらう。誰も話しかけてくる気配はないし迂闊に話しかけても相手に渡せる情報もない。さすがに貴族同士の交流を崩すのも問題すぎるので隅っこでスマホゲームをやるつもりだ。


 先ほど、スマホを使ったネトゲが起動しなかったが、それはあくまでもオンラインの話だ。ライトプロテクトという名前のスーパーフリップフロップヘヴィプロテクト機能を使ったオフラインでも機動は可能だ。一部機能は制限されるができないことはない。


 さっさと起動する。

 オフラインモードで立ち上げてメイン画面まで持っていく。


 よし、起動した。問題ない。


 俺が今やっているのは「カルネージワールド」という王道ファンタジー系ゲームだ。誰も観測できないくらい広い世界を旅する冒険物のゲームで、人間の生活範囲以外に生息するちょっと頭がおかしいレベルの魔物に惨殺されるのが売りのゲームだ。こちらのレベルが百三十で人間世界に住んでいる魔王を小指で捻って倒すところまでがチュートリアル。それから先はレベル二百のミミズがザコを務める新世界の開拓を任せられる。


 ……まあそんなゲームだ。

 あまりに理不尽に死んでいくせいでクソゲー扱いされるが、なぜか止められない。自分で地図と冒険書、魔導書の本を書いて売ることができる。近くにいる他のプレイヤーはそれを購入して話を進めるのだ。ちなみにサービス開始から三年、開拓された場所は世界地図でいうところの日本全土レベルであり世界はまだまだ広い。ついでに国、街、村、人、の数も尋常じゃなくて攻略ウィキペディアでは網羅できていないのが現状だ。だから量子コンピュータが完成したからってフルパワー活用して人々の生活まで演算しなくても良いんじゃないだろうか。



 ――ッ!?



 俺、閃く。

 もしかしてこの世界はこの「カルネージワールド」なんじゃないだろうか。

 俺はテンポラリの中に残っているデータを掻き漁り「カルネージワールド攻略ウィキペディア」を探す。

 見つけた。

 初期で一括ロードを行なうために俺が見ていない場所ですら確認可能のはずだ。


 だがどこを見てもそれらしい情報はない。

 古代ローマ式かつスイス風の場所はなかった。


 まだ未確認の場所かと思ったが、先ほども言ったように他の場所はレベル二百のミミズが尖兵を務める最強の異常地帯だ。こんなまともな場所ではない。前にミミズを倒しに行ったことがあるがまずスケールがでかすぎて戦いにならない。数値データ管理だからある程度は戦えないこともなかったが、それだけだ。


 またいくら検索をかけてもダオウ伯爵などという名前も出てこない。ヴァーチュもそうだ。


 思い切り舌打ちをする。

 せっかく楽しそうなことになりそうだったのに。

 というか、そういう発想は普通でてこないのだから出てきてほしくなかった。

 仕方ないので全部投げておいてゲームで遊ぶことにする


 俺は「カルネージワールド」を起動すると、トップ画面で――――


「なんだ、これ」


『■■■■■■■■、●●●●▲▲▲▲』


 画面がバグっている。

 昔なじみな文字のドット潰れが起こっており、カルネージワールドのロゴタイトルがすべて黒く抹消されていた。珍しいこともあったもんだ。最近のゲームはこういうことがないと思っていたのだがそうでもないらしい。

 当たり前だがロゴクリックでゲームを開始する。


 だがその次もおかしかった。


 ガチャしか引けない。


 メイン画面、メインページはプレイヤーが行なえる主な行動が列挙されている。

 パーティ編成、クエスト、イベント、各種ゲーム連結ボーナスと「まずこれをやってね」といえるものばかりだ。

 だがどれもグレーアウトしておりクリックが不可能になっている。

 オフラインでも本来ならばストーリークエストやフリークエストは進める事ができるはずだ。


 だが、その中でガチャしか引けない。


 本来、オフラインではガチャは引けない。

 理由はゲームデータ改竄の可能性があるからだ。公平なゲーム性を守るためにあらゆる面からガチャはオンライン状態から出しか引くことが出来ない。厳密に言えば、唯一の例外としてスマホを再起動と内部時計バグを使用して無料ガチャがオフライン状態でも引くことが出来るのだが、一時間で六回しか引けない。そして無料ガチャに使われるゲーム内コインガチャはアタリ確率が猛烈に低く「半年間毎日、百回引いてようやくミドルランクのレアが引ける」ようなものだ。自己の幸運を期待するよりも半年間引き続けるゲーム内財力を意識したほうがはるかに良い。このバグは裏仕様であるらしく運営は修正していない。こんな馬鹿なことで時間を無駄にしないでゲームを進めろというお達しらしい。


 ……裏を返せば、だ。

 オフライン状態でガチャが引けるというのはとても希少価値レアだ。


 まあ運営と揉めたら状況を説明してなんとかしてもらおう。

 インチキは嫌いだが、こういう状況でどんなことになるのかはとても興味がある。興味ありすぎておかしくなりそうだ。バグったキャラやアイテムが引けるのかそれともまったくレアが引けないのか。それを確認するだけでも回す価値がある。


 いや、待て。嘘をついた。

 編成が可能だ。グレーアウトしているがクリックが可能だった。

 ただし、俺が編成したキャラクター軍は誰ひとりいない。意図不明の黒枠が右下、最後尾にひとつあるだけで初期化状態だった。

 これはあれか、本来のゲームデータはサーバ側で管理されているので、先ほどのオンライン作業のタイムアウトが原因でオフラインにまで問題が出ているのか。

 具体的に言えばゲーム開始状態、また最初からゲームがプレイできる状態だ。


 ……悪くない。

 いや、実に悪くないな。

 悪くあるものか。

 また遊べるのだ。

 確かに課金した金額は惜しいが、俺も金持ちというわけでもないが、それでもまた一から遊ぶのはまたとない機会だ。

 どうせサーバ側に問い合わせしたら元のデータが返ってくるだろうから適当に遊べばいい。

 運営には迷惑をかけることになるだろうが、この際、迷惑をかけよう。

 俺の快楽のために。


 俺はガチャを起動する。


『■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■』


 ぐっ!?

 耳に直接、囁きかけられるように雑音を流されたような不快感が走る。

 それなりに大きな音だったと思ったが見回すが誰もこちらを見ていない。どうやらそこまで大きな音ではなかったのか、それとも気にするようなことでもなかったのだろう。


 バグり過ぎだろ。

 雑音を流しているが映像は無事だ。課金ちゃんがこちらを見ている。

 まあ、バグって課金ちゃんバラバラになっている上に、右目と左目が画面内をうろついている仕様ではあるが。

 やや不安だが、不安なだけだ。

 さっそくカードを取り出した。さて、何を願ってガチャを引くべきだろうか。最初の一枚だ。もちろんハイランクレアがいいな。それ以外にはない。単機で切り込んでいける強さと強靭さを兼ね備えた最強の一枚。これが引ければゲームは楽しいものになるだろう。なにせゲームの仕組みはわかっているのだから。


 とりあえず、まずは一回だ。心機一転として。


 その時、会場が沸いた。

 何事かと思い俺もそちらへと視線を延ばす。みんなの視線の先は階段の上だった。

 そこには五十代ほどのおっさんと豪奢な赤いドレスに身を包んだケバいお姉さん風が降りてくる最終だ。

 どこかで見たことがある、そんなレベルではないほど覚えている。


「お、馬車に乗せてくれたおっさんか。奥さんのケバさが上昇変化しているということは、あれが対パーティ仕様なのだろうか。ははっ、先と何が違うのか」


 周りから「伯爵!」「ダオウ伯爵!」と声が聞こえる。

 どうやら馬車のおっさんこそこの地域の親玉、シーン・ダオウ伯爵らしい。おっと、迂闊な発言はしていなかっただろうか。首を切られてもおかしくない状態だったことに薄ら寒いものを感じた。

 一応、まだ可能性としては超巨大型ドッキリというのも残っている。気分で殴っても数パーセントの確率で許されるかもしれないが、さすがにそれは最終手段にしたい。あと、別に殴るつもりはないんだが。


 ま、それはそれとしてガチャだ。おっさんとケバいおばさんなんかあとでも見られる。


 俺はカードを取り出す。格好つけてパシッとか、ピシッとか音を立ててスマートにだ。その動作と思考がすでにスマートではないがそこを含めてスマートなのだ。

 欲しいキャラをイメージする。強く、強くイメージする。


「出でよ、スーパー聖騎士王キング・ソロモン――」


 スーパー聖騎士王キング・ソロモンは七十二人の名のある騎士を部下に持つ究極の王だ。アーサー王とソロモン王が合体してマジで最強に見えるキャラクターで特技は七十二門オールレンジビームライフル、趣味は蛮族狩りという聖騎士王という名前がなければ誰もこいつを騎士だとは思わないレベルだ。異名は首狩りソロモンでとにかく体力と攻撃力が高い心技体揃った狂戦士だ。ただし黙っていればその辺の騎士と、下手すると村人と変わらないほど外見的特長乏しい。

 まあそれも戦闘開始時に「キャストオン!」と叫んで光る全身甲冑を召喚するための前フリにすぎないんだが。とにかく敵にも友達にもしたくないがゲーム的には光属性で最強最優キャラなので取っておいて損はない。というか、光を使うならさっさと取るべきキャラだ。


 声をかみ殺しながらにやけ面で俺はカードを弾いた。

 いつもの課金音が響いた。


 いきなりハイランクレアが引けるほど俺も引きがよいわけではな――――?


 目の前がブレた。

 空間が歪んだ。

 世界が動いた。


 俺の正面に何かが、風のような何かが集まったと思ったら急激に光り始めた。

 巨大な光が現れるとそこから強い風が吹き出してきた。違う、強くはない。しかしその場にいる人間を、俺を押しのけるくらいの重さが風にあった。風がだんだんと光の色へと変化していくと状況は大きく変化していった。


「なんだ、これは――魔法陣、か」


 優しい強風が吹き荒ぶ。

 光が溢れて光の塊を中心として円形の紋様を浮かび上がらせていた。

 明らかに異常事態だ。

 俺がガチャを引くと同時に起きた発光現象だ。引き離して考えることはできない。だがそれよりもこの発光現象がどうやって起こっているのか想像が付かない。つまりだ、これはいよいよドッキリの可能性も死につつある。


 突然、光が弾け、晴れる。


 そこには少女がひとり、ふわりと浮いていた。

 手を広げ十字のまま目を閉じている。

 そしてゆっくりと着地した。


 見覚えは、ある。

 橙の赤毛。しかし癖はなく長く髪を下ろしている。白人の子供だ。年の頃は十二か十三くらいに見えるし、確かそうだったはずだ。しかしその幼い相貌に無闇な甘さはない。困ったような表情でこちらを見ているが、腹に何かを持っており一筋の芯のようなものが伺える。

 服装は二十世紀初頭のようなメイド服だ。紺の厚手ワンピースに薄手のエプロンを着ている。下ろした髪と合っていないが、その辺りはゲームイラストなので、わかっている。


 見覚えはあるのだ。

 だが、これは……


「貴様らっ! 何をしている!!」


 俺とメイド服の子供を囲むように槍を持った衛兵だか兵士だかが囲む。強気に出てはいるが腰が据わっていない。どうやら俺が……俺達が怖いようだ。まあ俺も逆ならそう思う。いきなり中空に魔法陣を描く様な魔法使い様に槍で対抗するとか無策もここに極まれりだ。


「手を上げて攻撃の意思がないことを示せ!!」


 さてどうするべきか。

 俺は両手をゆるゆると上げた。しかしそれですら衛兵達は驚き竦んでいる。

 だよな。魔法陣と光の球を出現させるようなやつに近づきたくはないだろうし、ここまでやるやつがいきなり抵抗の意思をゼロだと表しても状況的におかしい。

 まさかこの貴族しかいないようなパーティ、しかも伯爵が出てきた瞬間にこれだけの自己アピールをするやつが何もしないとは思わない。


 さて、どうしたものか、本当に。


 しかしそれよりも困ったことがある。

 この魔法陣と光、つまりは俺がきっかけで“召喚”を行なったものだと思うのだが……


 俺はちらりと少女を見た。

 少女は状況がわからず困惑している。しかし俺は味方だと思っているのか、こちらをチラチラと見てくる。俺は目で、そして声で「大丈夫だ」と呟いてから、わずかにでも安心させた。


 少女の名前は、“暗殺者アリスティナ”。

 すでにサービス終了したソーシャルゲーム“悪魔殲滅ミリオンブレイク”の登場キャラだ。






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 暗殺者アリスティナ。

 元々は名無しで小さい頃に木の根の虚で無理やり雨風をしのいでいたそうだ。

 最初に拾われた場所でアリスと名づけられた。

 そこはそういう子供ばかり拾って自爆前提の殺し屋をつくる専門の機関だったそうだ。効率重視、わざと中途半端に仕込んだ子供を三ヶ月で暗殺対象に送り込んで拳銃による殺害か爆弾による自爆を行なわせている。まず生き残らない。しかし稀に生き残って帰ってくるので、後日また同じように自爆させに行かせる。これを数百単位で行なっているとそこそこ戻ってくるやつもいるらしく、その中から更に鍛え上げて高難易度の暗殺に向かわせる。そして返り討ちにあう。

 それでもなんとか逃げ出したアリスはまた拾われる。同じような組織に。そこではティナとつけられた。そして同じように高難易度の暗殺に向かわされ、偶然生き残った。

 数多く暗殺に従事した子供達の中の、偶然生き残った高い水準の自然暗殺者がアリスティナだ。

 今では個人で暗殺を請け負って人を殺している。


 のだが……


「あー、もう一度訊くぞ、名前は」


「何度も行ってますがキセンバル・アフソです」


「そっちは?」


「アリスティナといいます」


「そっちの男との関係性は?」


「えーと、ご主人様、かな? たぶん、ですよね?」


 並んで隣に座っているアリスティナが俺に質問を投げる。

 それはこっちが訊きたいが、そこでこんなことを言ったらさらに話がこじれるので、こう答える。


「野暮なことはあまり訊かないでくださいよ。わからないわけでもないでしょう?」


 言ってる俺が一番わかってないのだがあまりまともに返事をしていては頭がおかしくなりそうなのでやめておくのがいい。


 ここは丈夫そうな壁を持った城砦一階にある個室だ。貴族に対して使われる尋問部屋、それか軟禁部屋だろう。武器になりそうなものはないし、窓もない。


 俺の目の前で座ってテーブルを叩いているのはトゲ付き全身甲冑に着込んだ鬼のような雰囲気のある男だ。面頬を完全に下ろして悪鬼のような細工の甲冑で威圧してくる。


「あー、そうだな。お前、自分の名前は?」


 おっと、また振り出しに戻ったぞ。

 だんだんとインターバルが短くなってるな。おそらく「同じ質問をして相手の精神を追い詰めろ」的なことを言われているのだと思うがその程度でダメージを受けるようなヤワな精神をしていないのでまったく問題ない。

 ただしアリスティナのほうはそうでもないのか、若干グロッキー気味だ。


 こいつ、暗殺者のくせにメンタルが弱い。

 メンタルが弱い、というよりは精神があまりに一般人に近すぎる。

 本当に暗殺者アリスティナなのだろうか。


 そこでようやく気づいたのだが、いくらとても似ているやつがお空から降ってきたとはいえ、相手をゲームのキャラであると割り切るのは正直どうなのだろうか。ここ三時間ほどで立て続けにやべーことが多すぎて感覚が麻痺してきた。とりあえず俺は異世界にきた、という前提で話を進めたほうがいいのか、それともここは地球であの屋上であるが俺の頭が究極的におかしくなってしまってとても濃い幻覚を見ているのか。

 後者は別に放っておいても構わないと判断した。

 前者は放っておくと危険な事態になりそうなので、そちらを前提として話を進めたほうがいいだろう。意味もなくギロチンカット食らっても嫌だ。


「だから、なぜあんな場所で空間転移の魔法を行なった。そして何をしようとしていた!」


 ははーん、この世界、魔法があるのか。そしてそれなりに高位なのかな。“あんな場所”なんて形容したということは事前想定とは違う場所なのか。わざわざ“あんな場所”で使用する意味合いが薄いのかもしれない。

 そもそもこの取調べに関してはわりとぬるい。

 仮に魔法があるとして、わざわざ貴族連中がパーティを開いている中、そして伯爵がやってきたタイミングで使用した者の尋問にしてはあまりにも手が入っていない。俺ならとりあえずぐったりするまで殴ってから尋問を行なう。


「ですから、何度も言ってますが偶然なんですってば。偶然、ああなったんですって。何度も言っているでしょう」


 とりあえず嘘をつく。


「あの空間転移に関してはこちらも把握していません。調べてみないとわかりませんが、一応は原因らしい道具もいくつか所持しておりました。誤発動、とは言いませんがあそこで使うほど意味がないこともないでしょう。空間転移、あれほど高位の魔法ならもっと別のことに使ったほうが有意義だ。それはわかりますよね?」


 俺は状況の塗り替え説明と質問を投げかける。


 嘘をつく、といえばそうなのだが、その前の発言を大きく塗り替えてはいない。

 先ほどまでは「偶然大きな光が起こった。私が行なったものではない。そこの女との関係は聞くな」でやり過ごしている。

 またこの世界では魔法なるものが存在しているようなので少し書き換えたのだ。


「さっきまでと言っていることが違うぞ!」


「だから調べてみないとわからないと最初から言っているでしょう! こちらもいくつか魔法を所持していますが、これが偶然に使用条件が揃ったかもしれない。そもそも故意的なものではないのです! よく考えてください。これになんの意味があるんですか!」


 嘘にウソを少しずつ塗っていく。

 基礎のラインは変えない。あくまでも「いやあ、何が起きたのか僕もわかりませんね」だ。


 さて、失言をして相手を少し有利にする。

 そろそろこいつよりも階級が上の話がわかるやつが出てくるはずだ。


「だいたいですよ、私はあなた方よりも強い! ここにいる娘も私に勝るとも劣らない強さだ。パーティー会場であれだけの注意が引けたのだから何かしらあなたがたに損害を与えられた! だがそんなことをひとつも行なっていない! これは私達があなた方に危害を加えるつもりがないということに他ならないでしょう!」


「……ははーん、お前達さては暴れるつもりだったんだな。だからああやって騒ぎを起こしたわけだ。俺達の反応が早くてなにもできなかったわけか」


「人の話を聞いていないようですね!」


 まあ、最悪、殺人罪になったら本当に暴れて出て行かなくてはならなくなる。

 そのために警備自体が厚いことはこちらのメリットになる。人数が多く紛れ込みやすいのと、先制攻撃で数を減らすことが容易い。


 現状を理解して上手く使うことを強く意識する。

 不利なら不利で、なんとかするだけだ。


「待て待て、その辺でいいだろう。本当に事故だったのかもしれないな」


 部屋の入り口が開く。

 豪華な衣装に身を包んだカイゼル髭のおっさんが入ってきた。


 俺はすかさず立ち上がると右手を自分の心臓に当てるように礼をする。


「キセンバル・アフソと申します」


 誰にも止められることなく自然に行なったのが上手くいった。誰ひとり立っていない中、一方的に俺が先手を取れている状態だ。すぐに俺の目の前で怒鳴っていた男が慌てて俺を制動しようとするがすでに遅い。俺は悠然と礼を終えると椅子に座った。礼の直後、椅子に座るのは非礼に当たるかもしれないが、まあきっとわかってくれるだろう。発言の内容が雑だったのもわかってくれるだろう。


「貴様ッ……!!」


 目の前の男が悲鳴のような怒りの声をあげる。


 怒っているのも無理はない。

 さすがに男にはわかったのだろう。あのまま立ち上がってカイゼル髭のおっさんに害を成そうとしても誰も止められなかったことを。もちろん確実に殺せるかどうかはわからないがわずかにでも傷を負わせることは可能であったのは間違いない。

 魔法があるならなんか止められた可能性もあるが。


「ははは、どうにもワシを狙う暗殺者には見えなくてな。こうやって来たのだが、本当のところどうなのだ?」


 カイゼル髭――シーン・ダオウ伯爵が俺の目の前に座る。全身甲冑はどかされて伯爵の隣で小さく立っているのが妙に哀愁を誘う。給料減らされなきゃいいんだが。


「そうですね。正直言えばまったく違いますね。あれ・・はまったくの偶然です。そもそもここにいることもなかったでしょう」


 そもそもアリスティナの出現を予期できるはずがない。いや、もしかしたらアリスティナ以外が現れた可能性もあるが、どちらにせよだ。


 ガチャで人間が出てくるなんて思うわけがない。


 奇しくもワンコインで奴隷が買えた。

 奴隷かどうかはわからないが、概ね間違いとも言いがたい。

 ゲームと連動しているのであればまず奴隷のようなものだ。

 無論、相手も肉のある人間だ。俺から離れていく可能性があるので優しく扱いたい。


 というくらいにはアリスティナに期待している。

 正確には、アリスティナに続く連中にも。


「……ふむ。やはりそうだよなあ。これは偶然となるわけか」


 魔法の造詣が深いのか、ひとりで納得してくれる伯爵。いい傾向だ。逃げ出さなくてもよくなる。さすがに意味のわからない罪で賞金首にはなりたくない。


「ロットル、彼を客人として扱え。もちろん隣の婦人もだ」


「し、しかし伯爵様! こいつらは……!!」


「ロットル、ワシの命令が聞けんのか。ならば取れる手段は多くないぞ」


 伯爵の眼光が鋭くなる。

 まるで人を殺す直前のような空気をまとっていた。さすがに伯爵ともなればこういうことも達者になるのだろう。俺には難しい。


「すまんな、キセンバルくん。ではまた後でエルフの話でも聞かせてくれたまえ」


 そう言って伯爵は部屋を出て行った。

 だからエルフじゃないというに。


 ま、それはともかく、


「さて、では部屋に案内して欲しいのだが?」


 俺は立ち上がると悪びれず、高慢にそう言い放った。俺は高慢であると思うが、貴族としてはこのような流れが妥当だと思ったのだ。

 実際、部屋の端に短槍を持った若い執事見習いが慌てて俺の前にやってくる。「こ、こちらへどうぞ!」と焦りながら案内する。俺は隣でぽかんとしているアリスティナを立たせると執事見習いの後を着いていく。


 あ、忘れてた。


「ロットル、君には済まないことをさせたね。気を悪くしないでほしい」


 俺はロットルと呼ばれた全身甲冑の男の背中を軽く叩いた。

 ロットルが、こちらを向く。


「――ッ」


 あまりの不意打ちに俺は怯む。

 殴られたのではない。

 ロットルが泣いているのがわかったからだ。ほとんど見えない全身甲冑の向こう側でロットルが泣いていた。よく見れば体を震わせている。


 俺はあまり関わると危険なことになりそうだったので足早に外へと出た。





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 ザクザクと音を立てて焼き菓子を齧る。

 クッキーとスコーンの合いの子のようなやつで砂糖は入っていない。ただ良く噛むと甘い気がする。あくまでもお茶請けなのだろう。適当に紅茶を啜る。

 焼き菓子をカゴいっぱいに盛ってきてもらったので空腹は何とかなりそうだ。俺の体はあまり燃費が良くない。


「ほら、えーとアリスティナでいいんだよな。食べたほうがいいぞ」


 俺も現代人なので毒やら感染症の類には耐性がある。仮に毒が入っているとして、さすがにヒ素とか青酸カリとかは無理だがこんな甘味も何もないごまかしの効かない焼き菓子なら違和感くらい察知しても良いだろう。


「あ、はい……」


 目の前にいるメイド服姿のアリスティナが焼き菓子をひとつ掴んで齧った。


「……あんまりおいしくないですね」


「こんなもんだろ」


 俺もアリスティナと同意見ではある。

 正直に言えばあまりおいしくはない。全粒粉みたいなやつなので好きなやつは好き、という感じか。


「さて、めんどいしさっさと本題に入るか。いきなり尋問されたから驚いただろう」


 アリスティナは頷く。

 何かしらそちら側にも考えることがあるのだろう。


「“悪魔殲滅ミリオンブレイク”の低位稀少価値ローランク・レアリティ、暗殺者アリスティナで間違いはないな? 」


「はい、私はアリスティナです。しかし……私は悪魔殲滅者ミリオンブレイカーではありません。そして低位希少価値ローランク・レアリティとはなんですか? 確かに私にあまり価値はありませんが、そう呼ばれたことはありません」


「アリスティナ自身は自分がゲームの中のキャラクターモデルであることは理解しているか?」


「私が……ゲームのキャラクター?」


 どうやらゲーム自体の認識は持っていないらしい。

 となると、アリスティナ自身は“|悪魔殲滅ミリオンブレイク”の世界で普通に生きてきたのだろう。


 ミリブレは世界中に現れた“悪魔デビル”を倒すゲームだ。

 西暦二千年、闇に潜んでいた悪魔が機は熟したと人間の世界に進攻を開始した。一般人はなすすべもなく殺されてしまうかに見えたが、対悪魔術の使い手たちが立ち上がった。

 これが大きな流れだ。

 主人公であるプレイヤーはクラスと所属を決めてとにかく悪魔を倒す。実際にプレイする際はロールプレイングゲーム的な流れで敵を倒すことになるが、仕事中や睡眠中など起動していないときもサーバーでシミュレーションゲームとして管理されており何をやっても敵を倒せるしレベルが上がる。

 そしてプレイヤーの悪魔撃破数が百万を超えたところで称号“悪魔殲滅者ミリオンブレイカー”が得られる。これがひとつの栄誉ステータスとなっておりいろいろ恩恵がある。配給される武装や消耗品、販売されているアイテムの割引、ドロップ率アップもまあそうなんだが、一番大きな恩恵は“交通費半額”だ。

 このゲーム、世界中に移動して大量に湧き出した悪魔を殲滅するのが主なんだが所属している組織の資金力が低いとあまり金をくれない。しかも地球の裏側に「悪魔討伐数稼ぎたいです!」とか舐めた理由で金を出してくれるわけがないので自分で金を払って行くしかないのだ。またファーストクラスだとバフが付く。おそろしい。


 そんなゲームであり悪魔殲滅者ミリオンブレイカーは基本的に割合的に少ないプレイヤーの称号ではあるのだが、一応、課金ガチャで仲間になるやつや廃人が取得可能な“金色黒天衆”と呼ばれるハイエンドコンテンツのキャラ取得でもいることはいる。金色黒天衆は悪魔殲滅者だけで構成された集まりであり、理由はいろいろあるが概ね弱者を助けることを目的とした集まりだ。


 ついでに言えばこのアリスティナも金色黒天衆のひとりだ。


 ただし高位希少価値ハイランク・レアリティに限る。

 アリスティナはローランク、ミドルランク、ハイランクのすべてに存在している珍しいキャラクターだ。その中でもハイランクはかなり強く悪魔殲滅者の名前に恥じない活躍をする。


「どういうこと、なんですか?」


「ソーシャルゲーム知ってる? スマホでプレイするやつ。俺の世界では、たぶんそっちの世界はゲームとして認識されていた。その中でアリスティナもいたんだ」


 ここまで話してから実は話しては駄目なことなんじゃないかと思ったが、もう言ってしまったものはしかたない。このままで進む。


「そしてそれに課金したらお前が出てきた。パーティがつまらなくてなんとなくガチャを引いたらかなりの閃光と魔法陣が出てきてな。あのザマだ」


 ティーポットから紅茶を注ぐ。

 山のようにあった焼き菓子の半分が俺の胃袋に消えていった。


「……では、次のご主人様マスターはキセンバル様でいいんですか?」


 若干、ほっとした表情でアリスティナが俺に質問してくる。

 何か感じるものがあるが今はそのままでも構わないだろう。


「そう、そうだな。それでいいんじゃないかな。それがいい。この世界で数少ない異世界人同士、共にいたほうがいい。

 俺の自己紹介も行なっておこう。

 俺の名前はキセンバル・アフソ・ジュンタだ。東京のシティ側に住んでいる、といってもアメリカ人にはわかりづらいか。東京の中でも田舎のほうだ。昼間は普通に商社で働いている。殴り合いでは腕が立つ。こんなもんか」


「私は――」


「大丈夫だ。略歴は知っている。で、金色黒天衆なのか?」


「こんじき……?」


 俺の問いかけにわからないといった表情だ。アリスティナが嘘をついていないのであれば間違いなく低位希少価値の一番弱いタイプだ。

 ゲーム的には舌打ちをするところであるが――


「話を変えよう。武器や弾薬は持っているか?」


「え、あ、はい。あまり多くはないですけど所持しています」


「今日の分は能力を使用したのか?」


「――あ、と。そうですよね、知ってますよね。ゲームなら、私のこと」


 もともとあまり良い表情をしていなかったアリスティナであったが、この瞬間は誰の目でもわかるほど明らかに落胆した。


「“異能・道具創造アイテムクリエイト”は知っている。とりあえず単純に戦力を増強しておきたい。今のところ目に見えた危険はないが、これから先どうなるかわからんからな」


 “異能・道具創造”はアリスティナが保有している異能力だ。

 実物を見たことがあり手にしたことがあるのであれば、その道具の作成が可能となる。基本的には特定の重量以下であれば作成可能であり、武器に限らず食料や水も出せる。もっといえばかなり稀少価値を持つアイテムでも作成可能であるが本人は気づいていないし、気づいた後もそれに魅力を感じていない。

 世界が違いすぎるのだ。

 俺の世界では彼女の能力は何ものにも変えがたい最強の能力であるが、“悪魔殲滅ミリオンブレイク”では十分量の弾薬も水も食料も出てこないかなりいまいち感の強い能力だ。

 この能力があるおかげで彼女はこの先、金色黒天衆に名を連ねることになる。当たり前のことだ。


 アリスティナはその厚いスカートを捲り上げる。セクシーなガーターベルトとレースの下着があらわになる。だがそれ以外に見るべきものがあった。


「どうぞベレッタM1919です。装弾数は八発、予備弾装は――」


 太ももに巻きつけられていたホルスターに小型の拳銃、逆の太ももにその予備弾装が二つ吊ってあった。


「それはお前が持っておけ、近接戦闘は不得意だろう。俺が盾になる。とりあえずそっちのナイフだけ渡してもらおう。明日は何か装弾数の多い拳銃を作ってくれ」


 子供の細い太ももにあまり大きなエロスを感じない。願ってもないサービスシーンであるがあまりおもしろいものでもない。

 俺はナイフを受け取るために右手を出した。

 だがナイフは渡されなかった。


「……アリスティナ?」


 何かまずいことをしただろうかと思い、記憶を掘り返そうとしたら俺の声に反応してアリスティナが慌てて動き出した。


「も、もうしわけありません。どうぞ、ナイフです」


 ナイフを渡される。

 刀身と柄が一体成型された真っ黒なナイフだ。よく研いだ後に薄く塗りなおされた刃が綺麗な黒に光っている。ゲームでアリスティナはこれを使って戦っていた。そして実は少し気になっていた武器でもあった。


「あの、それでは握りこめないのではないですか?」


 そう。残念ながら俺の大きな手ではこのナイフをしっかりとホールドすることができない。


「問題ない。肌を切り裂くのに強い握力は必要ない。ついでに言えば明日にでもまともなやつを渡してもらう。どのくらいまでつくれる?」


「アイテムは、十ポンドくらいです」


「十ポンド……五キロくらいか」


 アメリカ人に対して少しため息を吐く。

 どうしてこいつらはフィートポンドなのか。


 個人的には五キロ全部チーズとパンにしてむさぼりたいところであるが、そんな無駄な使い方はできないだろう。

 やはり偽造金貨が手っ取り早い目的になるだろうか。

 こちらの金貨の重さがよくわからないがまずは五キロ分、一枚を三十グラムと仮定、その他につくらないといけないものも加味して一日に金貨百五十枚。仮に一枚一万円として百五十万円。金貨がその辺で使いづらいことを除けば十分だろう。

 さて当初の目的としては何か商売でも始めようと思ったが、これならなんとかなるな。

 偶然、貴族と会うこともできたので、こっちから投資してもらってある程度のまとまった金を稼ぐこともできる。ユダヤ式土地転がしがどこまで上手く行くかわからなかったのでよかったといえばよかった。


 アリスティナはきわめて汎用性の高い能力だといえた。

 当初の予定通りスーパー聖騎士王キング・ソロモンとか出てきたらちょっとやばかった。尋問中にブチギレてビーム乱射してこの城砦を潰しかねない。

 無論、ゲーム的なもので欲しかっただけだが、本当に良かったといえる。

 だからといって個人的な最良品を引いたわけでもない。

 同じ低位希少価値なら毎日三百万円分の金塊が出てくる“ニコラ・フラメルの壷”やアリスティナが所属していた組織が作成している“無限射撃の拳銃ミリオンガン”でも代用が可能だ。むしろ変な思考が挟まれないのでこちらのほうが勝手がいい。人間、汎用効率を重視すると自分の頭の悪さで死ぬことになる。


 だが確かに総合的に見ればアリスティナのほうがポイントは高い。

 何せ人手が増えるのだ。アリスティナに変な特殊能力がなくてもこちらのほうが利便性が高い。手を広げていくならこちらがいい。

 アリスティナが仲間に加わったので次からはあまり無理をしない方向、そして二人で分担できることを前提として話を進めなくてはならない。


「……あの」


「どうした?」


 呟くような小さい声で伏せ目がちに聞いてくる。

 俺が顔を向けると、アリスティナはしっかりと視線を合わせてきた。

 こいつ、弱気で一本強い芯が通っているとか人間的にも稀少性高いだろ。


「私は、何をしたらいいですか?」


「その前に何ができるんだ、お前は」


 こちらのまともな問いかけにアリスティナが驚いた表情を見せた。


「私のこと、ゲームで知っているんじゃないんですか?」


「一アビで全体弱性攻撃強化と自身弱性攻撃低下、二アビで全体弱性防御強化と自身弱性防御低下、パッシブで初期クリティカルゲージが十パーセント追加。体力千二百、攻撃力四千二百の防御型。低位稀少価値ローランクレアリティであるが十分に戦えるほどには強い。ローランクバトルでスタメンで使用可能。その特性から戦闘では自身の武器や防具を他者に譲渡することはわかっていた。性格はどちらかといえば強気で好戦の意思はあるが同じくらい良心の呵責があるためうまく戦えない。自身の能力が高いことは理解しているが二度使い捨てられた経験から自己評価に自身が持てない。カルネージに密かに恋をしている。これくらいか」


 ざっとしたゲーム評価と設定を語る。ちなみにカルネージとは主人公のことだ。男女グラのどちらも用意されている。下手なキャラの三倍はステータスが高く、彼と知り合って悪魔達を倒していくのだ。


「ちょっとゲーム的な部分はわかりかねますが、概ね合ってます」


 アリスティナが俺の言葉を肯定する。ただ――


「――ただ、カルネージという人に心当たりはありません」


「カルネージを知らない? まて、大進攻ポイントゼロは起きてないのか?」


「悪魔達の大進攻は起きています。私はあまり戦ったことありませんが」


「……あれ? 極東結界のイベントはどうだ」


「太平洋に悪魔達を流出させない攻性防壁と極東地域“日本”による極東要の悪魔掃討作戦の一環ですよね。カリフォルニア側で参加しました」


破壊人形バンドール時流操作タイムダイバー聖剣作戦プロド・エクスカリバー、宇宙人カゲヨシ、どれかに聞き覚えは?」


「確か……破壊人形は対悪魔兵器としてアメリカのマルス重工が作っているロボットですよね。あとは、ちょっと…………」


 アリスティナが生活していた時間が大まかであるがわかった。

 イベント中盤に差し掛かった頃だ。一番イベントが盛んだった時期で、この頃から無課金でも取得できる金色黒天衆のコンテンツも出てきた。


 ちなみに想像の通り、マルス重工の破壊人形どもは悪魔に乗っ取られてこちらが攻撃されることになる。王道の流れであるが妙に強かったので「破壊人形を破壊せよ!」というスローガンの下、本当にすべての破壊人形をプレイヤー達は破壊した。イベント自体は一週間ほどだったが、イベント残留としてデータ自体はゲームに食べ残しができる。プレイヤーは三ヶ月の時間と六ヶ月の観測で破壊人形を世界から駆逐した。主に日本人が。

 さすがに小イベントは許せなかったらしい。完成お披露目の出し物で破壊人形に「武器を捨てなさい」と言われるのだが、で本当に捨てても「武器を捨てなさい武器を捨てなさい」といわれ続けカウントダウンを行なわれる。その圧力に負けて武器を拾おうとすると撃たれるのだ。だいたいみんな撃たれた。


 話は戻る。

 破壊人形が対悪魔兵器とされているということは、あの悲しい事件は起こっていないということだ。


 カルネージに関してはどうでもいい。言わば“主人公がいなかった”のだろう。ただそれだけの話だ。


 聖剣作戦が施行されていれば量産型聖剣プロド・エクスカリバーを造ってもらおうと思ったのだがどうやら無理らしい。イベント配布にしてはかなり強いし格好良いので欲しかったではある。


 

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