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作品を書き上げられない!  作者: みここ・こーぎー
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サバイボウ

 目が覚めたら森で寝ていた。

 ああ、また先生に気絶させられて森に放置されたか。

 

 明らかに人の手が入っていない木々が折り重なるように生えていた。平らなところがない。木々の焦げ茶色と葉の緑色が視界いっぱいに広がっている。そして鼻からもその木々の強い匂いが感じられた。やや天を覆うように枝葉が伸びているのでやや薄暗いが行動するには問題ない。

 俺は盛り上がった木の根に引っかかるように寝ていたようだ。

 ゆっくりと立ち上がり何かないか見回した。

 木と土と石くらいしか見当たらない。

 俺の傍を飛んでいる羽虫は開いた裏拳で確実に仕留めた。

「くそ、また森の中で放置サバイバルかよ」

 俺はぼそりと怨嗟を吐くとまずは身の回りのものを確認した。

 着ている服は俺が好んで着ている厚手の服装だ。綿製の上下服で上はインディゴブルーで胸のポケットは二つある。ズボンはスカウトで使用していたビリジアンのカーゴパンツでインナーは黒のタンクトップとボクサーパンツだ。記憶にある色落ちとほつれがあることから俺の私物と見て間違いない。

 しかしポケットの中には何もない。やられたな、こりゃ。

 足元は普通の茶色のブーツで一見すると無難なオシャレッティアイテムであるがその実、しっかりと鋼板が仕込まれており安全ブーツとなっている。足に重いものが落ちてきても大丈夫だ。

 ベルトもなんとかついている。肉体労働で使われる丈夫なものだ。バックルの噛む口はしっかりと貫通固定されているやつでありちょっとやそっとじゃ切れない。

 後はぺたぺたと体をまさぐって状態を把握する。怪我はなく、痛む場所もない。

 道具はないが服はある。

 自己診断は以上だ。

 とりあえず水場がないか探してみよう。飲めそうならなおよしだ。

 上着のボタンをすべて閉じると襟を立てて首を覆う。できるだけ虫が肌に付かないためにだ。上着をズボンに押し込んできつくベルトで固定する。ズボンの裾をブーツの中に突っ込んでこちらも強く靴紐を縛る。帽子が欲しかったがないものは仕方ない。

 辺りをもうちょっと見回すとちょうど良い大きさの棒が見つかった。長さと太さも十分でよい杖になりそうだ。ガンガンと手近な木を叩いて杖の調子を確かめると俺は歩き出した。

 とりあえず、一時間ほど歩くとしよう。

 できるだけ正面に進むように。

 俺は身長が百九十センチに体重八十キロの痩せ型であるが、体力に関しては十分なものを持っている。普通の生活を送っているときは、普通に肉体トレーニングを行なう。有酸素運動の時間はとりづらいがそれでも多少は行なっている。

 正直言えば今の俺は痩せすぎだ。

 体重百と五キロに体脂肪率十五パーセント以下が理想であるが、維持が難しいために八十キロで落ち着いている。一ヶ月前にアメリカのネバダ州、レッドロックキャニオン付近の砂漠地帯から戻ってきてから体調がまだ完全じゃない。というか先生は人様に睡眠薬を盛って砂漠に放置する癖をどうにかしてもらわないといけない。しかも自分はラスベガスで遊んでいるというのはどうかしてる。

 どうせ今日のこれも先生の仕業だろう。砂漠ではなく森なのは何かの手心か。それともとんでもなくデカイ森なのか。五十キロ四方くらいある森ならさすがに出るのはしんどい。今回は水も持たされていないところを見るとどこかに水源があるのだろう。あの人はそういう人間だ。

 もくもくと森を歩く。

 虫が多い。蚊のような小さい羽虫が多く、足を止めれば蟻が寄ってくる。どちらも俺を気にしているわけではないのだろうが、とても不快だ。

 本当に人の手が入っていないために地面には平らな場所が少ない。あまり詳しくないので名前はわからないが真っ直ぐ伸びた樹木と沖縄などにあるガジュマルのような絡まる樹木が多くどれも乾いて褐色になった根をカーテンのように垂らしていた。ガジュマルのような樹木は覆いかぶさった別の樹木を絞め殺して枯れ木にしており、それらが複雑に絡んだ姿はある意味では幻想的だともいえる。

 歩きながらソテツのようなカナリーヤシのような細い葉が集まってできた樹木も立っている。南国なのだろうか。もしかしたら沖縄に連れてこれたのかもしれない。先生はどこかでダイビングをして遊んでいる可能性が出てきた。絞め殺してやりたい。だが返り討ちにあうのは間違いない。

 ソテツに実が生っていたがさすがにこれを食うわけにはいかない。食えないこともないがあく抜きに一週間ほどかかったはずだ。料理したことも食べたこともないのでうろ覚えの知識で食べるつもりはない。そのまま無視して進む。

 割と真面目な話なのだが基本的に一時間もあるけば、森は抜けられる。森とはそんなに大きくない。わざわざアマゾンまで送り込まれたのであればさすがに一時間どころの話ではないが今回は海外に出た覚えはないのでおそらくは日本だろう。しれっと日本で銃器を携帯してた先生にそういう話は通用しないかもしれないが、おそらく大丈夫だろう。おそらく、きっと。

 歩いているとなんとなく映画で見たベトナムを思い出してきた。ベトナムの情報は女性が着るあの白いぴっちりとした服か戦争映画くらいしか知らないので偏見に満ちているが、もしかしたら本当に海外なのかと思わせるほどここが日本っぽくない。

 体内時計で一時間ほど歩いた、はずだ。

 今から五年前の中学生の頃は起きた瞬間に今が何時であるかわかるくらい鋭敏だったがさすがに今はそこまでの感覚はない。せいぜい今のように大体の時間をカウントできるくらいだ。

 ……いや、まさかな。

 俺は一時間歩いても抜けられない森を不信に思う。

 少し戻る。五分くらいだ。

 戻りながら歩きながら意図的に皮を剥いだい石を打ちつけて木々につけた傷を確認する。確かに俺がつけた傷が残っていた。別にループしているわけではない。当たり前だ。

 もしかしたら夢なのではないかと思ったがそうではないらしい。まあ仮に夢だった場合、そんなことを含めて勘違いしているものだから今の行為になんら意味などないのであるがやらないよりはマシだろう。

 また歩き出す。

 一時間でも抜けられないのでここはかなり大きな森だと判断し、キャンプをする準備をしなければならない。どちらにせよ水が必要だ。見つけるまでは歩かなくてはならない。

 俺は転がっている石を拾う。広げた手のひらよりも大きな石と小ぶりの石、平たい石をひとつずつだ。平たい石の上に大きな石を置いて小ぶりの石を叩きつける。衝撃によって大きな石が少しずつ割れて俺の考えていた形に変化していく。

 作っているのは石斧、とノミの中間のような道具だ。サバイバル用のツールを作る、作成キットのひとつだ。本当なら水も使って平たい石の上で多少は研がなくてはいけないが水も何もないので簡単につくる。つくるというか、割っただけともいう。

 とりあえず石斧の刃先のような形にはなった。名前が曖昧なのはかわいそうなので石ノミと呼称する。これで葉や木、別の石を削る。

 今度はこの石ノミを使って斧を作る。アニメの原始時代的なやつは水が手に入ってからだ。まずはくの字に曲がった斧だ。ククリ刀と言えば形が想像しやすいだろうか。厚みのある石を砕き、石ノミで形を整える。上手く割れなかったので二度ほど作り直しをする。ぶっちゃけ刃に当たる部分は満足に細くならなかったが細い木なら問題ない。

 この場所を仮のキャンプ地点とする。ガスガスと手近な樹木に傷をつけていく。記憶力と空間把握力は鍛えさせられたので戻ってこようと思えば戻ることはたやすい。水場が見つかればそちらに移動するがそれまではここだ。

 太陽の位置が真上にある。背の高い木々のせいでそれはあまり見えない。おおよそ、昼だろう。

 今度は枯れ木を集めてきた。大小問わずできるだけ多くだ。といってもガジュマルは薪にならないので巻きつかれて死んでいる枯れ木が中心だ。

 倒木があったので杖を割れ目に入れてテコで割る。一度大きな音を立てた後、乾いた木の皮を毟り取るような音を立てて倒木が開く。どうやら蟻しかいない。芋虫か蜜蜂を期待したのだがそういうわけにもいかないようだ。ぶっちゃけ芋虫もハチノコも食べたくないが贅沢は言っていられない。水もないので何かしら水分を含んだものを食べないと体力が回復しない。芋虫がいなくてよかった。よくないが。

 あふれ出した蟻に心の中で軽薄に謝罪しながら薪を作っていく。蟻の場所はできるだけ触らないようにして、それでも触れていたら隣の木にガンガン打ちつけて蟻を払った。

 かなりの薪ができたので今度は紐が欲しい。持ち運びができるようにしたいのもあるが、紐は何かと使うものだ。

 二センチくらいの幹の木を適当に圧し折った。折った内側の部分に皮が残ったのでそれを足がかりにする。べりべりと音を立てて綺麗に剥がれた。上手いこと皮が剥がれる種類の木でよかった。その内側の薄皮を丁寧に剥がすと、これまた丁寧に割いていく。そうやって裂いたひも状の皮を乾燥させながら石で叩いてなめす。薄皮の一本を捻りながら癖をつけてから撚り合わせを始めた。二つに折って固定してから一本一本しっかりと捻って二本を一本にしていく。わら縄のように複数本を一気に合わせていきたいところであるが煮て棒なめしをしていないからか上手くいかない。時間はかかるが量をつくるわけでもないので今日のところは多くなくてもいい。後々で丈夫な縄を作るために木の皮だけは多く毟っておいた。

 今度は少し太めの木の幹を石ククリでできるだけ削り取ってから体重を掛けて圧し折る。それから石ノミと石ククリで四十センチほどのこん棒を作った。グリップ部がやや滑るが贅沢は言ってられない。

 石ノミ、石ククリ、こん棒を紐で結んで持ち歩く。クローブヒッチという結び方でグリップを固定してからベルトとベルト穴を利用して持ち運ぶことにした。

 とりあえず基本ツールの作成は完了した。枯れ木も多いので火をつけることも問題ない。あとは今日寝るための住居を作れば今日のところは大丈夫だろう。

 できるだけ広い地面を探す。

 二×二ほどの大きさの場所を確保すると雑草を毟って危険物がないか確認する。ぱっと見て異常はなさそうなので今夜の寝床はここにする。回りに堀のような溝を掘って石で叩いて固めておく。そして薪をこの場所一帯に敷き詰める。逆にそこ以外の燃えそうなものは辺りからすべて除去しておく。

 次は火起こしだ。

 まずはちゃちゃっと大きな石に薪を一本立てかけると、それを中心に薪を積む。それから正面により小さい薪と揉んだ枯葉を置いた。

 板状、とういか地面に固定できる薪に石ノミで三角形の切れ込みを入れて、その上部を丸く削って火きり板をつくる。ここに火起こしの火きり棒を当てるのだ。それから真っ直ぐで、もう完全に直線の火起こし用火きり棒を見つける。理想的なものはなかったので石の上でスライドさせて余分を削り取る。弓なりになった適当な枝に先ほど作った紐を結びつけて弓状にした。続いてその辺に落ちている枯葉をしっかりと揉み解して繊維と枯れ屑にわけたら準備は完了だ。

 ユミギリ式という火きり棒に弓を絡ませて前後に動かしながら火を起こす方法を使う。両手を合わせて擦り合わせるキリモミ式の三十倍は楽な方法だ。必要じゃない限り二度とやらないと心に誓った。

 生葉、繊維、枯れ屑、火きり板、弓を絡ませた火きり棒、固定用の当て木を重ねてからゆっくりと火起こしを始めた。最初は火きり板の溝を深くするよう馴染ませながら弓を前後に動かす。木材が擦れあう嫌な音が聞こえたが次第に聞こえなくなっていく。それから当て木を押しながら強く力を入れた。次第に細い煙が立ち上り溝から切れ込みに焦げた木屑が落ちていく。続けていると繊維の上で枯れ屑が黒く焦げ始めた。十分だろう。俺は火きりをどけて生葉を持ち上げると別の繊維で包み込んで火種の様子を確認しながら息を吹き込む。息を吹き込まれた火種が赤く輝いて熱を吐き出しながら繊維を燃やした。

 燃え上がった火を先ほどつくった焚き火において確実に着火するまで見守った。俺が心配するまでもなく薪は燃え上がり暴力的な熱を発している。

 俺は焚き火の中からしっかりと着いている二本を取ると寝床へと持っていく。そして敷き詰められたまきに優しく置く。見る見るうちに敷き詰められた薪は燃えていく。が、さすがに森が火事なるほどではない。念のために危なさそうな薪は杖で堀向こうに叩き込んでおいた。

 十分ほどで火は消えた。再燃しそうな燃えカスは砕くなり堀に叩き込むなりして火事に気をつける。これで多少は虫除けになっただろう。というか虫を駆除できただろう。

 それから水と食べ物を探しに出かけた。

 最悪、虫を食べることになりそうだが現代人の俺としてはさすがにそんなことはしたくない。ハチノコや芋虫ならまだしも、ウデムシやリオック、タイタンオオウスバカミキリみたいのは絶対食べたくない。それなら一週間待ってソテツを食ったほうがいい。

 キャンプ地を中心として十二時の方向へと進む。太陽の動きから推測しておおよそ北だ。やってきたのは六時の方向でおおよそ南だ。南はしばらく行かない。川が見つかればソテツでも取りに行こう。

 手頃な大きさの材木が見つかると石ククリで切断して転がしておく。帰りに拾って帰るつもりだ。

 しかし生物を見かけない。いや、虫は多い。しかし哺乳類を見かけない。ウサギでもいれば捕まえたいがそれらしい足跡も見えない。一応、何か生物らしき足跡はないこともない。ただその大きさがアレすぎていまいち信用できないのだ。

 カニがいるっぽい。

 ただ大きさは中型犬くらいのやつ。

 カニの足跡だかヤシガニみたいな足跡だかがちょこちょこついている。

 ぶっちゃけ、北に向かうとその足跡が増えていく。そのために北に向かっていると言っても過言じゃない。仮に中型犬のヤシガニがたくさんいた場合、夜に襲撃されて指を落とされたら泣くに泣けない。その確認を行なう必要もあった。

 視界が開けた。

 森を抜けた。

 目の前には渓流が広がっていた。幅は五メートルほどあり、かなり綺麗な水が流れている。明らかに大きな川なので下流にでも行けば村のひとつや二つあるだろう。上流は山間に向かっていくので上るのは得策とはいえない。

 ついでに言えばこの渓流、人の手が入っているとは言いがたい。

 おそらく下流に村があった場合、そこそこ歩くだろう。道も整備されているわけでもないのでいくらか準備をしてから進んだほうがいい。

 切り立った断層の壁が川の反対側の西東へと続いている。高さは二メートル程度なので上れないことはない。この森を少しでも高い位置から見渡したいので上ってみようと川へと近づいた。

 がらり、と渓流に転がっている大量の石のひとつが転がる。

 自然と音のしたところへ視線を向けた。

 カニがいた。

 赤いカニだ。あまりゴツゴツしていない。

 ただし、ゴールデンレトリーバーと同じ全高を持つ巨大なカニだ。タスマニアオオガニの大きさを軽く超えておりイギリスのクラブジラの幼生体なのかと疑うほどの大きい。

「ちょっ――」

 手にしていた杖を右半身を前に構える。いや、こんな手羽先な構えが攻撃が通じるほどヤワじゃないと思うが威嚇にはなるだろう。

 カニは大きなハサミを広げて体を持ち上げて大きく見せる。全長四メートルくらいだろうか。タカアシガニと同じくらいだが明らかにウェイトの階級と武装が違いすぎる。あっちは腕を掴んで捻れば足がもげてしまうだろうが、こっちはそうもいかないだろう。というか、もぐという攻撃の発想が出てこない。

 カニが普通に襲ってきた。

 普通に走って逃げる。

 足が早い。が、俺の森林踏破力には敵わないようで森の中に入ると見る見るうちにカニの速度が落ちた。さすがに高低差に加えて樹木の乱立、木の根や石、慣らされていない土の上であると体の大きさが災いして速度が出ないようだ。ただし踏破性は悪くない。無理やりに進んでくる。

 あのカニは俺を食うつもりなのだろうか。

 すげえな。自分よりも全高のある哺乳類を捕食するのか。

 バキバキと音を立てて俺を追うカニ。さすがにこのままキャンプ地まで連れて行っても問題なのでなんとかすることにした。

 カニは普通のカニと大きくは変わらない。巨大な体に二つのハサミ、八本の足、そして体にうずもれている顔には二つの視覚が存在する。どの部位も自重を支えるためにタスマニアオオガニのように肥大化しており甲羅も分厚い。ハサミは人間の腕くらいなら落とせそうだ。

 途中でカットしておいた真っ直ぐの生木を拾うと、長棒として扱う。長さは三メートルくらいだ。攻撃自体は安全に行なえるギリギリだといえるだろう。ハサミがどのくらい俊敏なのかはわからないがあの大きさで速いということもあるまい。

 左半身を前に左手を長棒の導手として、右手で長棒の尻を掴んで腰より少し上で構える。棒術を使用するには適しておらず、かなり太めであったが贅沢は言っていられない。攻撃接地面積が広がっているので多少のズレは補正してくれると信じて行なうしかない。

 細い木はなぎ倒しながら進んでくるカニの正面左にそこそこ太い樹木を置くように誘導する。そしてタイミングよく牽制で長棒を放つ。左のハサミを突くと、カニは左右のハサミを使ってこれを迎撃しようとしたが太い樹木を抱え込むようにしてハサミを繰り出したのでそのまま引っかかってしまった。

 誘導に成功する。

 少し左へとよって角度をつけるとカニの顔面目掛けて長棒を繰り出した。道場で習っている通りの基本的な突きだ。槍術にも応用可能の基本的な一撃だ。

 メギ、と音を立てて長棒が手応えを見せた。

 ――浅い。

 かなり本気で突いたと思ったが不十分だったようだ。カニがもがいているうちに即座に追撃する。弾かれた反動を利用して誤差を修正するとベルトのバックルに長棒の先を固定して体で覆いかぶさるように安定させる。

 全力を込めた一撃を放つ。

 強い抵抗を見せたがそのままカニの顔面に棒が突き刺さる。口元の脆い部分を狙ったのが功を奏したようだ。十分な刺さり具合を見せたので長棒をバックルから外して地面につけ、長棒に体重を預けるように倒れこんだ。バリバリと顔面の甲羅が下向きに剥ぎ取れそうなるが強度の足りない棒が先に折れてしまった。

 折れたのは失態だ。地面を両手で叩いて体を浮き上がらせて立ち上がる。折れた棒を引き抜きながら間合いを広げると次弾装填とばかりに長棒の折れた部分を捻じ切って構える。

 カニは痛いのか、もがいている。

 両のハサミを広げてぶん回している。だからといって近くの木が倒れることはないし逆にダメージを受けているようだ。ガキガキとよくわからない泣き声を上げながら地団駄を踏むように暴れていた。

 また俺に向き直る前に隙を突いて目を潰しておく。顔を潰したので視神経にもダメージを与えた可能性はあったが念のために確実に破壊する。

 あとは放置だ。

 いずれ力尽きる。それまで待てばいい。致命傷ではないかもしれないが口を破壊したのだからこれ以上は栄養補給もできない。死ぬだけだ。

 とりあえず渓流に転がっている石を使って石斧を作りたい。あんな人間の存在を脅かすレベルのカニがすんでるなら武装強化が一番だ。

 うちの先生はこんなところを良く見つけてくるものだ。あのカニ、沢蟹の一種なのだろうか。でかすぎだろう。しかしタスマニアオオガニとタカアシガニが最大級じゃないのか。勉強になった、覚えておこう。

 渓流の水を飲むのは早くても明日だ。今日は飲料水なしで過ごす。最低でも煮沸してから飲みたい。

 石斧、土器の作成が最優先だ。まだ喉の渇きは耐えられる。

 なるべく平たくて大きな石を探すと、石斧に適した長方形のレンガのような石を探す。厚みはそこそこあるほうが良い。数分ですべてを準備した。だいたいの理想的な形の石でよい。あまり真剣に探しても石の成型術を大幅に補助してくれるレベルの石などそうそう見つからないからだ。石ククリと川で削られた丸い石、そしてこん棒を木槌代わりに石ノミで削っていく。

 まあこんなもんだろ、と思える大きさになったら平たい石の上で削った石を研ぐ。水を垂らしながらしっかりと研ぐ。

 この石を割って石ククリや石ノミ、石斧を作る方法は実はそんなに難しくない。一度もやったことがないのであればさすがに難しいだろうが、何度も行なっていれば簡単といえる範疇になるだろう。とはいえ、通常であれば手斧、山刀、ナイフ、ファイアスターター、布、水筒、金属製のカップくらいは持ってきているだろうからこんな馬鹿なことをしなくてもよい。ぶっちゃけ金属製のカップと水筒くらいは持ってないと長時間歩くことは難しいだろう。

 そんなわけでこんな現代において意味もなく馬鹿なことを習得している俺は何者なのか。時折そんなことを考えるが、これに関しては俺がどうこうよりも先生の問題が大きい。

 うちの先生は俺を鍛えるために森や砂漠に置き去りにすることがある。しかも薬を盛るか気絶させてから放置だ。状況的にヘリコプターを使っている可能性が高いので俺を鍛えるためにかなりの額を投資していると思う。が、阿呆だ。この上もなく阿呆だ。もっとやることがあるだろうとか思う。

 そんなわけでツール作成用のツールを作るところから学んだというわけだ。

 阿呆なんじゃなかろうか。

 先生はスカウトの癖に長剣術と短剣格闘術、半剣術を習得していることから、中世ヨーロッパかファンタジー世界から来た冒険者だろうアタリをつけている。しかしすでに解体されたソビエト人を自称していることからやっぱり本物の現代人なのだろうと赤く思う。

 まあそんなことはどうでもいい。何の慰めにもならないし明日までに煮沸用の土器を完成させないと飲み水がない。渓流の生水を飲むのはできれば遠慮したい。一応、体は泥慣らししているのでたくさん飲んでも問題ないだろうがそんな馬鹿なものを頼りにしていたらいずれ死ぬだろう。下痢と発熱で。

 丁寧に研いでいると上手に成型が終了した。

 形は二等辺三角形だ。底辺の部分が刃状に研がれており、しっかりと樹木に食い込むだろう。真ん中が一番分厚い。ここが厚く、重くないと威力が出ない。そして後で柄を作成した後で差し込むように先は尖っている。

 ここで石ノミと石ククリもしっかりと研いでおく。

 日が傾いてきた。そろそろ十五時くらいだろうか。早く粘土を見つけなくては。

 次は土器の作成だ。

 川辺にあるであろう粘土質の土を探す。運よく断層になっているのでどこかにあるだろう。日暮れまで早くて二時間くらいか。それまでに探し出して土器の成型をしなくてはならない。

 渓流を上流に向かって歩き始めた。

 別に粘り気があればなんでもいいのだが川辺では粘土が見つかりやすいのでそちらから探していこう。シャベルもバケツもないので川辺で採取した粘土を川の水で練って粘土にしてから持ち帰りたい。贅沢言えば網でふるいにかけてから煮沸した水で練りたいがツール作成のためのツールを作成する最中であるのでそうも言っていられない。

 この渓流は岩が多い。水流で丸く削られた石がたくさん転がっており雰囲気が良いのでできれば釣りをやってのんびりしたいところだ。しかし釣りなどという時間がいくらあっても足りないものを行なうことはできない。しかも鉄もないので釣り針をつくることも不可能なので試すことすらできない。後で囲いでも作っておこう。

 上流へと移動しながら辺りの土を掘り返す。

 いくらか採取しながら一番良さそうなものを決めると水を使って粘土を練ることにした。販売している陶芸用の土と比べると圧倒的に質が悪いがこれでもできないことはない。まずは粘土を作成するために土から細かいゴミを取り除く。適当な石の上で平べったく広げて取り除き、少しずつ水を加えながらしっかりと練っていく。パンをつくるように乾いた土をふるいながら何度も何度も石に叩きつけて空気を抜いていく。この練りが足りないと割れてしまうので念入りに行なう。

 茶色の粘土ができあがった。

 転がっていた枯れ木を割って片面を岩に擦りつけて水平に加工するとこれをヘラとして粘土加工に使用する。

 まずは乾いた土をふるい土器の丸底を作る。粘土をヘラを使いながら細長くしていって丸底に重ねながら手で練り合わせ、続いて内側外側をヘラで擦って継ぎ目を消していく。それを繰り返しながら先の平らな逆円錐になるように、三十センチほどの高さにする。最後にヘラを使って均一に仕上げをすると乾いた土で軽く研磨していく。接触部の粘性を落とすためだ。

 あとは放置して乾燥させる。

 別に陶器をつくるわけでもないので乾燥時間は短くても良い。俺は有能なので土器の厚みは一センチ均一に仕上げたがそれ以上ならもっと時間をかける必要がある。太陽が弱くなってきているがこのまま日暮れまで二時間くらいで最低限、もって帰れるくらいは大丈夫だ。できれば一晩欲しい。

 土器は乾燥のために放置する。

 次は住居をつくる。キャンプ地からここまでの間で切り倒した細めの樹木を使って簡易住居を建てる。仕組みはテントといっしょだ。二本の柱を支柱にシャフトをかけてそれから三角の屋根になるようにする。

 俺はキャンプ地まで戻ってくると途中で拾ってきた生木を使って住居を建て始めた。

 堀の端、その真ん中に一本ずつ支柱を打ち込む。支柱の上部はへこみが入れられておりシャフトが置けるようになっている。シャフトを置くと紐で簡単に縛る。同じように支柱よりは短い副支柱を左右において同じようにシャフトを置いて結わえる。後は立体的になるように生木を組み上げてどんどん固定していく。

 壁も屋根のない三角屋根のジャングルジムができあがった。

 今度はベッドを準備する。

 建物と同じように骨組みをつくってから太さを揃えた生木を並べて敷き詰めるだけだ。ただし俺の体重は八十キロあるわけだから、かなり強度を持たせるようにつくる。

 ソテツの葉を屋根に使う。大振りなソテツを取ってきて重ねていく。支柱の固定で紐がなくなったので木の皮を細くしただけのものをソテツの葉に通して屋根に重ねていく。今回は時間もないので壁もソテツの葉にする。

 だいたい完成した。

 完成してから思ったのだが、ここには柔軟性と強度の高い樹木が揃っていたのでワラの家のように卵型の家のほうが良かったかもしれない。

 途中で拾ってきたヨモギとハーブっぽい何かがあったので毟ってきた。乾燥させて虫除けにするつもりだ。

 俺はできたての家の中で火を焚く。燻して虫の除去を行なうためだ。

 一息つくころには日がだんだんと暮れていった。

 完全に日が沈む前に乾燥中の土器を川から家に移す。

 今日はできるだけ火を絶やさないようにする。土器の乾燥もあるし、虫除けや獣除けのためでもある。

 俺は寝る前に服を脱いでゴミを払い、焚き火で軽く炙り、燻してある程度は虫落としをするとまたしっかりと着込んでからベッドの上で丸まった。

 そして浅い眠りに入った。



 次の日の朝に目を覚ました。

 運よく何も起こらなかったようだ。

 薄っすらと朝もやがかかっている。俺は土器の焼成のために穴を掘る。大きめに掘って薪を放り込んで火を着ける。よく燃え出したら乾燥させた土器をゆっくりと穴の中に入れ、穴の隙間にも少しずつ放り込む。いきなり高温にすると割れる。だからといって俺の技術で上手い火加減が絶対できるというわけでもない。まあだいたいで。一時間くらい優しく焼いたら高温にするために次々と薪を放り込んでいく。薪を山なり積み上げて覆い隠すように焼く。

 火の面倒を見ながら石斧の柄をつくる。グリップの良さそうな生木を探す。個人的にはククリのような弓なりのやつが好みだ。その棒切れの先端より下付近を石ノミで削る。削り、穴を空けるつもりだ。こん棒と石ノミで少しずつ空ける。鉄ノミと違うので深く削れない。その代わりミスが少ない。ミスってもリカバリが容易なので冷静に行なう。

 石斧の二等辺三角形が入る大きさまで合わせ、広げていきながら適度な形にする。穴が十分にできたら火のついた薪を使って穴の内側を焼き入れしていく。これで完成だ。

 よく原始時代のアニメとかで石斧を紐で縛っているが、俺の作ったこの石斧はそんなことはやらない。刃を柄に入れておしまいだ。工具として使用するので、これで木を叩く分には刃が落ちることはない。

 これで石斧が作成できた。

 今度は丸太をつくる。

 丸太は丸太だ。今回は武器として使用するので丸太の先は尖らせておく。

 ちなみに武器として丸太を作るのは初めてだ。石槍を作ったことはある。だがあくまでも哺乳類への狩りが主だ。弓も作れなくはないが今は後回しだ。ウサギ、というか哺乳類がいないので対象がいないからだ。

 ここに住んでいる生き物は昨日の巨大なカニだ。それを倒すためには丸太が必要だ。

 ちなみに昨日のカニ、死ななかったらしくどこかに逃走していった。後を追いかけることもできるが、カニの群れに遭遇するとマジ危険なので先に武器を作ることになったわけである。

 昨日の感触からいけば直径二十センチの丸太を使えば貫通できる可能性がある。できれば三十センチの丸太が欲しいが百キロ超えそうだからやめておくことにする。というか、石斧で三十センチの樹木を倒すのは骨だろう。

 土器に薪を継ぎ足しながら近くの木を石斧で切りつける。俺の腕力を受け、カーンカーンと高い音を立てて幹が削れていく。石斧の性能は十分のようだ。三角の切れ込みを丁寧につけながら、体重をかけながら深くさらに切り込みを入れる。今度は反対側、さらに反対側を繰り返しながら石斧で叩く。

 繰り返す、繰り返す。

 繰り返す、繰り返す。

 繰り返す、繰り返す……

 キレたのでドロップキックで無理やり圧し折った。

 メキメキと良い音を立てて木が倒れた。今度はこれを二メートルくらいでカットする。是非、めんどい。死にたい。死にたくなったが、二日計画で行なうことにする。四メートルくらいあるので持つがしんどい。たぶん百キロ以上あるだろう。

 焚き火の前に持っていこうと丸太の先を抱えた。

 ずしり

 ……なんか異常に重い?

 あれ、待てよ。半径×半径×円周率×高さ、かける――

 ――新しい丸太を探す。

 今度は幹の太さが十センチくらいのやつだ。十センチで二メートルが限界だろうか。それでも百キロに迫る重さになるはずだ。武器として使うのは問題ないが、こいつを持ち運ぶのは苦労するだろうな。

 直径十センチの木を探してガスガス叩いて切ってメキメキ折れて倒れて引きずって焚き火の傍まで持ってくることができた。

 枝葉を落として二メートル程度に調整してから先を尖らせた。尖らせてから火で炙り水分を抜いていく。そして炙りながら再度調整を行なう。

 かなり重いが持てなくはない。丸太が完成した。六十キロくらいかな。たぶん。

 あのカニといえど真正面から勢い良く突撃したら顔か腹を貫通できるだろう。昨日のしょぼい長棒でできたのだ。こちらなら容易い。

 よし、じゃあ新しい土器を作るためにまた渓流まで足を伸ばすか。

 そう心に固く誓い、俺は丸太を肩に担いだ。超重い。

 土器も自然冷却が必要なのでこのまま放置だ。

 また北のほうへと向かいながら途中に生えているヨモギやハーブっぽい何かを毟る。ヨモギはヨモギだと思うのだが、ハーブに関してはやたらと香りの強いという草だ。俺も知らないやつだが食べるわけじゃないので問題ないだろう。

 渓流に到着する。

 カニがいた。

「なっ……」

 ただし、三匹だ。

 昨日見かけたサイズのカニが三匹、仲良く何かを食べていた。

 二匹のカニが俺の姿を捉える。別に足音を殺していたわけじゃないのでそれはしかたない。丸太も持っているのでどうしようもない。

 カニが二匹こちらを見たことで、ようやくその状況が理解できた。

 カニは三匹いるが、一匹は死んでいる。というか昨日、俺がダメージを与えたカニのようだ。顔面が潰れている。

 そしてのその両隣のカニは、その潰れたカニを食べていたのだ。共食いだ。個人的に言えば魚も魚を食べるので自然界における共食い行為は別に何か思うところはない。人間であればさすがに潜在的殺害対象になるために恐怖が寄る。

 ガチガチと音を立ててカニが近寄ってきた。俺の左右に回り込むように襲い掛かってきた。

 俺は右のカニに目標を定めると担いでいた丸太を腰溜めに突撃をかける。騎乗槍突撃ランスチャージだ。騎乗でもないし槍でもないが重量と速度から考える物理的なエネルギー量ではあまり変わらないだろう。

「カァッ!!」

 カニに合わせて丸太と進行方向を調整しながらの突撃。カニのどてっ腹に直撃した。生意気なことにハサミまで使って地面の踏破性を高めていたのが仇となったようだ。防御もできずに腹部の甲羅に突き刺さった。背中の甲羅までは貫通できなかったようだが、初撃としては悪くない。進行方向角度を少しずらして無理なくカニの右側を駆け抜ける。丸太は腰溜めから後ろ手に持つように抱えて駆け抜けながら引き抜いた。

 走りながらちらりと後ろを見る。カニが左のカニが俺の背後について走ってきている。

 思ったとおりだ。

 やはり一匹がやられても俺を倒すことが前提だったらしい。こいつら頭いいのか悪いのか。どこかに群れがいて狩りで手に入れた餌を持って帰るのだろうか。それにしてはその場で仲間を食べていたようだが。

 まあ甲殻類ジストマ野郎にしてはなかなかおもしろい性質を持っているが、どの道その程度の知能しかないのだろう。

 俺が突き刺した右のカニの動きがかなり悪くなっており俺を追ってくるような気配はない。もう少し距離を取ってから左のカニに攻撃を仕掛けよう。

 転がっている石や岩に足を取られないよう気をつけて走り、丸太を立てて転回させながら俺は振り向く。振り向いて重心を安定させる頃には丸太は腰溜めに構えなおしている。

 カニが左周りで攻めてくる。しゃらくさい。どうやら丸太を危険物と認識しているらしい。

 体を引きながら右後方へ移動してカニと丸太の先をブレさせずに焦点を合わせ続ける。

 カニも止まれないのか、所詮はカニなのか、吸い込まれるかのように丸太の先に近づいてきたので大きく踏み込んで一撃を見舞う。

 しかしカニが両手を使って防御してきた。

 だが、防御は弾き飛ばされて、やはり胴体に突き刺さる。

 質量は正義だ。

 カニを地面に押し付けるように削りながら走る。かなりの抵抗を見せたが確実に潰す。傷口を広げるように地面にぶつけながらダメージを与え続け、だんだんと元気がなくなってきたところで顔面を潰すように上方向へと振り抜く。潰したかどうかわからない顔はさらに振り下ろされた丸太の縦攻撃によって顔面を潰された。そのままガスガスと動かなくなるまで頭を潰し、そしてハサミ二つ足八本も念入りに潰す。ハサミは潰しづらかったが何とか根元からもぎ取れた。

 それから最初に攻撃した右のカニの方を見る。

 あまり動けていないようだ。

 念のために腹を向けて転がっている左のカニ、すでにまともな手足が存在しないが腹部まで完膚なきまで潰しておく。腹にコガニがいたら問題だ。念入りに、念入りに。

 それから右のカニも同じように潰しておいた。

 哺乳類なら背骨を圧し折って心臓を突いて脳を潰せば確実に死んだと判断できるのだが、甲殻類や節足動物はどうも勝手がわからない。

 カニが俺を見かけた瞬間に襲ってこないのであれば管理が食糧管理が面倒なのでカニ自身に自己管理してもらうつもりだった。そして俺が食べるときに食べる分だけ狩るつもりだったのだが、どうやら人間は捕食対象になるらしく戦闘に入るようだ。

 カニが腐るのは嫌だな。腐敗物には動物が寄ってくる。

 さっき共食いしていたところをみると別のカニが寄ってくるだろう。それと戦闘続けるのはちょっとやだ。念のためにこの辺りに木を切って丸太を転がしておこう。

 とりあえず俺がカニに勝利したので戦利品としてカニの足でも貰っていこう。他はおいしくなさそうだし石斧で破壊しづらそうだ。

 カニを潰して確実に死んでいるのを確認した後はカニ三匹を下流に放り投げておいた。日の当たる岩場においておく。かなり重かったが丸太で刺して押せばなんとかなった。昨日ダメージ与えたカニはちょっといつ死んだかわからないので置いておくとして、カニの足を十六本ほど手に入れることに成功した。

 昨日剥いでおいた木の皮が乾いていたのでこん棒で叩いて柔らかくしてから縄をつくることにした。

 縄をつくるのは難しくない。稲ガラがあれば楽勝で作成可能であるが木の皮なのでよく叩く。昨日のうちに細くしておいたのが利いている。よくこん棒で叩いた後は、先を縛り足で固定してピンと張った状態で手のひらで撚っていく。

 細い皮の束を二束にして手のひらを擦り合わせながら縄ないを行なう。実際にやってみると理屈がわかりやすい。手のひらを合わせて右手を前に突き出すように縄をつくったとすると、二束はそれぞれ反時計回りに撚られ、そしてその二本になった細い縄がさらに反時計回りに硬く絞られて合わされる。

 これで一本の強度のある縄が完成する。

 なくなったら継ぎ足せばいい。それを続ければ長い縄になる。

「硬いな」

 手のひらが痛くなった。

 さすがに煮てもいないし棒なめしもしていないのでだいぶ硬い。だが道具も足りないので後回し後回し。やや赤くなった手のひらだが明日には治っているだろう。手のひら、だけではないがおれの手にはタコが多い。うちの道場では格闘術以外にも武器術も教えていたのでそのせいだ。おかげさまで棒術や槍術、大刀術、剣盾術、投擲術、縄術、ナックル、大剣術といったものまで学ばされた。これがあったからこんなサバイバル技術も身につけたといえばそうなのだが、そもそも俺が有能すぎたせいで師匠は知り合いであった先生を連れてきて俺の第二の師匠としたわけで、やはり要らぬお節介であるといわざるを得ない。

 というか槍術、大刀術、剣盾術、投擲術、ナックルはうちの流派にはない。優秀な師匠が優秀な弟子のために別の道場に次々と放り込んだことにより体得したものだ。

 現代でどう使えばいいんだよ。

 まあ、それを覚えていたおかげでこのカニどもに勝つことができたのは間違いない。

 間違いないが、何か釈然としないものを感じる。

 縄で十八本のカニ足を固定して渓流の中に入れて流水にて保存することにした。これでいきなり腐ることはないだろう。

 とにかく土器作りを再開する。

 水瓶用を三つ、煮沸用にひとつ、予備をひとつ。コップを二つ。それが終わったら今度はレンガづくりだ。木枠を使って焼きレンガをつくり、それを使って窯をつくるつもりだ。窯を作ったら日干しレンガで家のつくる。

 と、未来を見据えているがまず家をつくることにはならないだろう。

 まずは三日かけて食べ物と飲み物、住居を整える。これは向こう一ヶ月を見据えたものであるが、最大まで過ごすつもりはない。それまでに森の出口もわかるだろうし、近くの村や町くらい探せるだろう。

 ここが日本であれ外国であれだ。

 もし日本の南で無人島か何かならさすがに腰を据えて先生を殴る訓練を開始するが、そこまで舐めた人間ではないだろう。今更、無人島で一ヶ月生活するとか時間を無駄にしているとしか思えない。それならまだ水一リットルとこん棒と外套で砂漠を横断しているほうが訓練になる。特にここには沢蟹がいるようだから食べ物にも困らない。何を思ってこんなところに放置したのか。

 石斧や石ノミなど研磨した石が手に入ったので細長い板を櫂状にして持ちやすくしてヘラ二号をつくる。これで粘土を掘る。昨日見つけた場所よりも良いところが見つかった。川向こうの断層の壁に良さそうな粘りを持った粘土質の土が見つかったのだ。それを掘る。

 ザクザクと掘っては水を加えて練る。そして土器を作る。

 ザクザクと掘っては水を加えて練る。そして土器を作る。

 これの繰り返しだ。

 持ち帰って焼成するのはめんどくさいのでこちらで行なうことにする。というかあそこは寝床として利用するだけでいいだろう。寝る前にヨモギで燻して。

 朝九時くらいだろうか。

 いい加減に喉も渇いてきたし腹も減ってきた。丸一日何も食べていない。

 カニの足を見てから妙に腹が空いてきた。しかたない。

 だがレンガ作りが終わっていないのでそっちをやってからだ。レンガはほとんど適当だ。木枠を作って粘土をはめ込んで成型した後に天日干しにする。これだけだ。あとで窯作りのために焼成するつもりであるが、そのあたりは状況に応じていこう。

 昼間までにかなり大量のレンガをつくる。土器ほど丁寧に粘土を練らなかったので心配だがなんとかなるだろう。まずは数をこなして資材を増やすべきだ。

 それからキャンプ地に戻って焼いた土器を渓流まで持ってくると水を汲んで川辺で火を起こした。石で簡単なかまどを作ってそのうえに土器を置く。運が良かったのか、それとも俺の腕が上がっているのか、とにかく水漏れはなかった。

 しばらく待っているとぼこぼこと沸騰を始めた。それを確認してからカニの足を土器の中に入れる。かなり大きいので石斧で割ってから中身を引きずり出して四本ほど沈めた。生で食べたかったがジストマが怖いので気合を入れて煮込むことにする。そもそも毒のない種類なのかわからないがスベスベマンジュウガニじゃないからなんとかなるだろう。

 良く煮えたところで木の枝を使って土器の中からカニ足を取り出した。

 煮えたカニ足は甲羅がさらに真っ赤に染まり食欲をそそる香りを漂わせている。カニの身も市販のカニ足と変わらない白い身だ。プリプリとした身が太陽の光を反射して輝いているのを見ると、やはりカニは他の食材と比べて一味違うとわかる。食べてなくなってわかってしまう。

 大きなカニの身を一口分噛み切った。

 そして黙る。

 咀嚼せず、ただ舌の上に置いたまま、黙る。全神経を舌に集中させた。

 一分ほど待って異常がなかったので咀嚼を開始する。だが飲み込まない。三分ほど黙って舌に異常が感じられなかったので飲み込んだ。

 かまどの火を消してから沸騰をやめた土器にカニ足を戻す。

 別に食べないわけじゃない。このまま一時間ほど何もなければそのまま食べ始めるだけだ。それまでには沸騰したお湯もほどよく冷めているだろう。

 そしてまた薪を集め始めた。

 一にも二にも薪だ。燃料がないと何もできない。川辺の途中で倒木があったので薪として持ち帰ることにした。一気に持って帰るのはできないので昨日と同じように杖を差し込んでテコで割る。大きな音を立てて倒木が開いた。

 何かの幼虫がいた。

 カブトムシの幼虫を二倍くらいにしたとんでもなく大きいやつだ。うねうねと動き、外気に晒されたことに怒りを覚えているようだ。カチカチと硬そうな顎を鳴らしている。

 焼くと美味いらしい。

 俺は見なかったことにした。

 運よく燃料を見つけて引きずり土器の前に持ち帰ると叩き割ってちょうど良い大きさの薪に仕上げていく。石斧も使うが、近くにある一抱えほどもある石を落としてテコで割ったほうが早いときもあるので、交互に道具を変えながら的確に割った。

 一時間ほど経ったところで腹に異常がないことを理解するとそのまま食事を開始した。

 先ほどは良くわからなかったが、このカニ、かなり美味い。

 大きいので大味かと思ったがとんでもない。しっかりと身が詰まっており噛むと味が噴出してくる。俺の知っているカニよりも弾力があり、牛肉のような歯ごたえだ。だが硬いというわけではない。

 焼けばより美味いのではないかと思いやってみると、これがまた絶品だった。ほどよい肉汁を滴らせる赤身の牛肉を思わせた。

 外骨格の癖にあれだけ大きいのだからこれくらいの強度がないと支えられないのだろう。

 いや、いいことだと思う。

 そしてスープを飲む。これはさすがに味が薄い。もともと飲料水として使う予定だったので別に問題はない。カニ鍋が食べたいが味噌がない。味噌の作り方はわかるが種麹の生成が危険なのでやるつもりはない。味噌など買えばいい。

 ふう、一日ぶりの食事に満足した。

 特にカニがいい。

 人間を捕食しようとする殺人カニであるが、森に逃げ込めば逃げられるし、がんばれば子供でも狩れそうなところがたまらなく良い。

 やっぱり味噌が欲しいな。味噌汁でもいいや。

 ゴロゴロと休憩していたら天啓が走った。

 カニ味噌!

 天啓、遅い。

 俺は下流へと走る。下流といってもこの辺り自体が上流に位置しているので大きな岩が多いので転んで怪我をしないように慎重に歩く。

 もしかしたら腐敗している可能性もあるが、見るだけ見ておきたい。もしかしたら死体に群がっている動物もいるかもしれないのでそれを捕まえるのもありだ。

 ゆっくりと岩向こうにあるカニの死体を覗き込んだ。

 ガチガチ

 ガチガチ……

 たくさんのカニが死体に群がっていた。

 いや、実は歩きながら「ガチガチ」っていう鳴き声が聞こえていたんだ。だから慎重に歩いたし、姿を隠すように岩陰から覗き込んだんだ。

 だからと言ってまさか二十匹以上もあのカニがいるとは思わなかった。

 そこにはたった三匹のカニに群がる大小さまざまなカニの姿がいた。大小とは言ったが小さいものでもハサミを広げて一メートル近いだろう大きさだ。それがハサミで仲間の死体を砕き。身を啜っている。柔らかそうな部分は直接口に放り込んでバキバキと咀嚼してから甲羅だけ吐き出している。

 血の匂いに釣られたのか、山犬のような四足獣が森から出てきた。

 速攻でカニの群れに集られて魅惑系奥さん女子の昼下がりランチに早変わりだ。山犬が匂いに釣られたまま逃げなかったのが死因となるだろう。普通の犬みたいにさっさと逃げればカニには追いかけられなかったはずだ。

 真っ赤に染まった川辺から視線を離して逃げ出した。




 サバイバル生活三日目である。

 カニの野郎が意外に危険生物であるということを再認識したのでさっさと渓流から離れたのだ。怖かったので鳴子を作って警戒していたが夜に襲撃はなかった。

 隠れるように水汲みを終わらせてキャンプ地で煮沸を行なってから火を消して森への探索を始めた。

 優先順位としては、

 森の脱出。

 カニの寝床。

 カニの巡回路。

 この三つだ。

 ぶっちゃけこの森は危険なので逃げ出さなくてはいけなくなった。

 脱出用の手掛かりを探すためにもさっさと探索を開始する。昨日のカニ足は茹でてから汁気を切って一夜干しにしておいた。今ではすっかりカラカラだ。保存食として使う。

 武器は石ククリと杖、そして二メートルの棒だ。二メートルクラスならしっかりと力が込められる。道場で使っていたようなものではないし重加工もしていないので攻撃力としては不安が残る。一応、太めのこん棒も作った。重量が十キロほどのかなり重いやつだがリーチが一メートルに満たないのでキャンプ地に転がしてある。

 丸太も手入れをしてまた尖らせておいたがあれは重過ぎるので持っていかない。森から出る目処が立てばそれを持っていくが探索であんな重いものを持って歩くわけには行かない。

 また森から出られると思えばさっさと出るので、丸太を武器として使うときはキャンプ地で襲われたときくらいだろう。

 かなり慎重に歩く。

 俺の初期位置にはあんなカニの足跡はなかったのでキャンプ地辺りをテリトリーにしているのだろう。

 初期位置から北に向かうと渓流。渓流から下流に向かうには西に向かう。ただしあのカニが水棲生物である以上、渓流を下るというのは危険を通り越して無謀すぎる。だがおそらく下流には人里があるだろう。なければないでかまわないが森の東に進むよりはマシだ。山へ登ることになる。山に向かっている最中にカニに襲われたら速度が出せないので振り切ることができない。さすがにあいつらといえど見えないやつらを追うほど暇じゃないだろう。下流か、もしくは森の中であれば振り切ることができる。

 だから下流だ。

 どのくらいか、二時間ほど歩くと何かがいた。

 カニじゃない。

 カニよりたちの悪いものがいた。

 ぼう、と森の中に影のように立っている。

 両手を前に垂らし、猫背だ。

 目撃してから二分ほど経過しているがまったく動こうとせず、ただただ突っ立っていた。

 それは人間だった。

 二足歩行で手足がついて頭があって髪が生えてて。とにかく俺の知っている人間の枠からは逸脱していない。だが、なんといえばいいのか……

 あまりに異常だ。

 こいつ、こんなところで何をしているんだ。

 距離や頭身から考えるに身長は百七十センチ以上の百八十センチ以下。手足から考えると中肉中背といったところか。汚れた黄色のボロ切れをまとっており時折吹く風で裾を揺らしている。

 運が悪いことにこちらには背を向けているので表情は伺えないが、ぼさぼさの長い髪とそのフォルムから女性ではないかと思う。

 観察を続ける。

 道具は持っていない。強いて言えば着ているボロ切れだ。その下に隠しているようなものもない。手は黒い汚れがこびりついている。素手で土でも掘っていたのだろうか。足元も相応に泥がついて汚れている。昨日今日でついたそれではなさそうだ。露出している肘先、膝下、首を見ると筋肉に関しては十分量だといえるだろう。野山を駆け回り人と殴り合いができるぶんはついている。

 カニハンターの人なんだろうか。

 鞄もロープも武器も持っていないやつが森に入っている異常性を誰が理解できるだろうか。しかも軽装を通り越して日々の生活すら不可能な様子を見せる背中だ。

 ホームレスが森の中で暮らしているという可能性もあるがそれにしたってもっと何かを持っていてもおかしくない。

 五分ほど観察していたがやはり微動だにしない。

 だが、一応は呼吸をしているのを確認することはできた。

 たかが五分動かなかっただけで相手を異常判定するのはちょっとどうかと思う人間もいるかもしれないが、相手に察知されていると気づいていないにやはり動かないのはやばい。狙撃手のように何かに注目しているのならまだしも、俺も見えるその先に何かがあるとは思えない。

 さまざまな要因からこの人間の異常性が見える。

 もちろん「ハロー」って話しかけたら「ハロー、どうしたんですかこんな森の中で。私ですか? あ、すみません役作りの最中なんです」って話もあるかもしれない。っていうか、個人的にはもうそれ以外に思いつかない。あれがマネキンでないことはわかるし、頭がおかしいやつが生き残れるほど森は甘いところじゃない。ぶっちゃけ俺も丸一年も住めとか言われたらさすがに病気か怪我で死ぬ可能性が高いと思う。しかもこんな人の手の入っていない場所とかちょっとごめんこうむる。

 結局、都合三十分ほど観察を続けてからそいつに話しかける勇気が出てきた。

 他人を三十分見つめ続けられる俺もたいがい怖い。

 木の根ではなく、枯葉の集まった深い場所を踏む。がさり、と相手に聞こえるように音を立てて近づく。

「やあ、すまない。森で迷ってしまってね、出口を探しているんだが教えてくれないか?」

 話しかける。

 ただし、十メートルほど距離は離して大声で話しかけた。

 相手が普通の人間だった場合いきなり近づけば怖がる。ただでさえひとりで行動しているようなのだ。自分の警戒領域内から話しかけられたら戦慄する。そして怯え、パニックを起こす。

 そして俺も、こいつが怖い。近寄りたくない。

 そいつは、俺の言葉を聞いたからか、動き出した。

 首を小刻みに揺らしながら、小首をかしげるように。

 そしてガクガクと頭を揺らして、本格的に頭が曲がった。

 ぴたり、と止まる。

 曲がったままの頭をゆっくりと俺の方へ、向けた。

 つまり、後ろに、背後に、首を百八十度、回転させて、そう、なんというか、向けた。

 顔はなかった。

 ただ、平たい粘土に黒い木炭を潰して押し付けたような、深い穴が三つ空いていた。

 ――いかん、人類の例外ッッ!?

 正直、人間とは思えない顔面をしていた。ホラーゲームに出てくるような、危険色を持った攻性生物の化け物だ。

 相手の動きを確認して逃走することを心に決める。

 ただ、相手よりも俺の足が遅かった場合、追いつかれてしまうので、多少は相手の行動を観察する。

 もしかしたら敵じゃないかもしれない。

 人類の例外が首のバネで体を向き直して、俺に駆け寄ってきた。かなりの速度だ。迂闊に逃げ出すことはためらわれるほどに。

 俺に完全に接敵して、距離を詰めてきた。

 その右腕には大きく引かれており、今にも撃ち出さんとする大砲のように力を溜めている。

 そして、俺に殴りかかってきた。

 ひらりと避ける。

 そして後方にあった太い幹の樹木に拳を叩きつけた。拳とは思えないようなとてつもない轟音が鳴り響き、ミシミシと音を立てて揺れる。

 いきなり殴りかかってきたから「拳を木にぶつけて怪我をして、拳が砕ける痛みで冷静になってよ」という意味合いを持って避けたのだが、どうやら意に介していない。人類の例外は本当に人類の例外なのか、またもや振りかぶって俺を殴りつけようとしてくる。

 痛覚がないのか、知性がないのか、意図的に避けて拳を樹木等に叩きつけさせて自爆を誘っているのだが効果がない。あるのかもしれないが、少なくとも俺が理解できるほど大きくはない。

「へい、どんしゅーと! あいむひゅーまん!」

 ゲームの細かいネタを言ってみるが俺が思い出し笑いをするだけでまったく通じていない。むしろ回避の精度が一時的に低下してやばかった。

「いやいや、落ち着いてくれ。何も君に危害を加えようとしているわけじゃない。だから退いてくれないか? このままでは俺も自衛のために攻撃しなくてはいけなくなる。頼む、止めてくれ」

 森に転がした死体のようにあまりに汚れた肌であるが、それ以上に肌の色がわかりづらい。白と黄の間のような色だ。もしかしたら日本語が通じないのかもしれないので英語で話しかけるが、これも通じない。あと先生がロシア人なので日常会話くらいならできるが、これも通じない。

「ぼんじゅー! すぱしーば! ぐーてんもるげんすてるん! ぼんじょるの! ぼあたるで! ヴぇなすたるです! ぐっでぃー! どヴりじぇん! しゃろーむ! さうるすしす! こんちわー!」

 手当たり次第に覚えている挨拶を並べ立てていくがさっぱり通じている気配はない。さすがに俺も持ち弾がもうない。

 仕方ないので自衛することにする。

「すまんな、恨めよ!」

 腕をぶんぶんと振り回す人類の例外の攻撃を近くで避けると、側面から体当てを見舞った。肩口から地面に向かって押し倒すように打ち込むと、さすがにバランスを崩して転がっていく。

 そしてかなりまずい事実が判明した。

「重っ」

 体当ての衝撃からだいたいの相手の体重を確認してみたのだが、どう贔屓目に見ても相手は百キロ以上の重量を持っている。

 人類の例外はぱっと見て太っているとは思えないほどだ。中肉中背と呼称したが女性的な肉付きのよいフォルムではなく、男っぽい中肉中背でスラッとした印象を受けていた。

 個人的に言わせて貰えば、これもありえない。人類の例外だ。マンガとかによくある筋肉が高密度という設定なのだろうか。あと打った手応えとしては鉛みたいな感触を受けた。こんな馬鹿みたいな感触も初めてだ。おそらく虎か熊が人間に化けたのではないかと疑うほどだ。

「いや、いい筋肉だ。かなり凄いトレーニングをしてきたのかもしれないが、俺には勝てないぞ。諦めて帰ってくれると嬉しい」

 本音を口にする。

 が、相手は聞く気を持っていないようだ。

 すぐさま殴りかかってきた。

 蹴りにも注意を払っているがどうにも使う気配を見せない。ボクサーのように力いっぱい踏みしめて殴りかかってくる。いまどき珍しいほど全力と体重をかけたパンチだ。あんな殴りかたしたら避けられたときに反撃を連続で受けることになるだろう。

 こんな風に。

 相手のパンチを外側からクロスで顔面を打った。黒い部分は怖かったのでのっぺりとした顔っぽい部分を殴った。右手を引きながら相手の腕を押さえつけて、左の拳で顔を殴る。切り返しで顔面にフックを叩き込んだ。

 人類の例外が俺の余剰ベクトルを消費し尽くして左手で顔面を狙ってくるが、もちろん左の外へと回避して先ほどと同じように三発のパンチを叩き込む。相手が踏ん張り、無理やり殴りかかってくるのをカウンターで本命のアッパーを決める。

 体の重心を潰しきったので思い切り腹を押すように蹴っ飛ばしてエンドだ。受身も知らないのか、転がって樹木にぶつかると止まった。

 そしてまた何事もなかったかのように立ち上がる。

「わあお、やるじゃん。気絶用のコンボだったんだが」

 本気を出すことにする。

 人類の例外の右パンチに合わせ、避けながら顎にカウンター右ストレートを叩き込む。ぐらついたところに左側面に回りながらボディにダブルブロー。一発目は打ち下ろしで膝を止めて、二発目で上方へ放つ。そのまま止まらずに背後側から右脇腹に、右足に負担をかけるように打ち下ろしを決めてから、その足の上に踏み込みの踏みつけからアッパーを叩き込む。

 そして後方へと跳ぶ。

 柔らかい金属か、硬く重いゴムを殴っているような妙な手応えだが、物理法則は超越していないようだ。所詮は体重百キロで身長百七十五センチの中肉中背。大きく押せば倒れる。ダメージの有無はわからないがまったく効いていないということはないだろう。

 人類の例外がふらふらと、そしてたたらを踏む。

 俺は強く踏み込んだ。

 今が好機だ。

 一歩踏み込んで大きくスライドするように間合いを詰めるとそのまま縦拳を鳩尾へ突き刺す。あまり効果がなかったのか、その一撃を耐えると右、左と腕を振って攻撃してくる。さすがにそのまま受けるのは危険だと判断したので至近距離で当たらないように角度をつけて回避すると顎と腹を中心に攻撃を打ち込んでいく。腹が開いたら下げた姿勢からの打ち上げ肘、相手のカウンターをとって顎にストレートとフックを的確にこなす。

 怖いので顔はあまり見ないようにする。顔上部の二つの黒穴が目だとしたら、怖い。怖いよ。まあ道考えても視覚系のセンサーはそこにあるらしいので攻撃の瞬間は俺に顔を向けている。マジやべえ。

「えーと、ほら、落ち着けよ」

 人間の顔じゃないだろ、を地で突き進んでいるため迂闊なことが言えない。妖怪や悪魔と呼称される遺伝子不良やご病気の方だった場合は、ほら、なんというか、悪いから。

 しかし、硬いな。

 脳震盪を起こすために本命は顎にぶつけているのだが、やはり効果が薄い。というか、効果がないと断言してしまってもかまわないだろう。節足動物じゃあるまいし現状で生きているのであれば脳の活動が必要だ。そのために顎への攻撃は確実に効果のあるはずなんだが……

 仕方ない。

 俺は攻撃を変える。

 大振りのパンチを抱え込むと同時に足を払って体を巻き込みながら投げた。柔道のそれではなく取ったパンチと等速で地面に叩きつけて同時に腕を固めるというロシア格闘術のひとつだ。先生から習ったのだが頑なに名前を教えてもらえないので「ロシアンカウンタースローその一」として俺の中で名づけられている。打撃戦から急にカウンターで取るとしゃれにならない破壊力になるので好きな技のひとつであるが「あ、この技は顔面と肩を砕く技なんだ。ごめんね、テヘ」みたいな戦々恐々の状況を生み出してからは使っていなかった。

 きっと彼女(?)なら耐えられるだろう。

 何も本気で行なうわけじゃないし。

 木の根に顎を叩きつけながら腕を固めておく。正確には肩を固定して受身を取らせなくするという技であるがそこまでやることはないだろう。

 腕を捻って右足で固定する。

 人類の例外は完全に体に土をつけており、俺はその背中を取っている。ついでに両手が空いている。チェックメイトだ。

「おい、わかるか。俺の勝ちだ。今、ここでお前は死んだ」

 後頭部に石ククリをぐいと押し付ける。

 だが、暴れる。

 もがくように、俺の固めから外れるように。

 固めた腕がミシミシと音を立てる。いくら怪力を持っていようが物理法則は超越できない。こいつの間接事情で全力を使えば最初に肘が壊れる。

 そして壊れても良いという暴れ方で抵抗しだしたのだ。

「ちっ……」

 俺は足を離す。

 このままではこいつの肘が壊れるからだ。相手を殺傷する前提でもなければ関節技はただの降伏勧告の一助でしかない。ゴミみたいな技ばかりだ。

 飛び退いて観察する。

 多少は強めに間接を極めたので右腕が動かしづらそうだ。ただし痛みは感じていないようにも思う。

 あれかな、無痛覚なのかな。だが無痛覚で脳震盪が防げたという話は聞かないのだが。

「言葉が通じていないことを前提に話を続ける。これ以上、やるのであれば――」

 俺は真面目に構える。

 両腕を開いて手のひらを見せる。やや猫背気味、右足をわずかに前に猫足立ち。

「――本気でやるぞ」

 意思を構えとして現す。

 人類の例外といえど俺が本気になったことくらいはわかったのか、無遠慮に殴っていたときとは違うように俺をしっかりと見定めている。丸い穴の大きな目で俺を見続ける。これで退いてくれるのであれば文句はないが、続けるのであれば確実に潰す。

 一応、相手もかなり強いだろう。あのパンチを一撃でも顔に受けると脳震盪どころか死ぬ可能性が高い。いわば天然系の実力者だ。虎とか熊のような先天性の強さを持つ理想的な人間だろう。俺のように後天的に技術で強くなったしょぼいやつはそれこそ質が違う。

 だが俺のほうが強い。

 正しく、人類の例外が俺に襲い掛かってきた。今までと同じ攻撃で左右のパンチしか技がない。だが今でと違う意思を見る。俺が一筋縄ではいかないということを察知しているのがわかる。

 右のパンチが襲い掛かる。渾身の一撃のようだ。

 おそらく自分のタフネスに自身があるのだろう。何かあっても耐えられると。

 相手の内側に入り込んで左手で受け流す。自分の肘を相手の手首に当てて切るように外側へと流す。流しながら右の鉤突きを骨のない右腹部に叩き込む。相手の左の追撃を左に角度をつけながら回避しつつ顎に縦拳、引きながら肘で相手の攻撃を受け流す。バランスが崩れた相手がそれを戻したところで、蹴りの危険性がなくなったこと確認する。そのまま相手の股に足を差し込んで体当て、屈んで背後にスイッチしてから、パンチのために引いた腕に自分の腕を引っ掛けて足を払って近くの樹木に叩きつけた。

 それでも無理やり絡んだ腕を外そうと腕を振ったので、それに合わせて投げられながら重心を操作して投げ返す。重い荷物に振り回されるような状態だ。そのまま関節を極める。即座にバギリ、と人類では考えられないほど鈍い音が鳴った。

 硬い硬いと思ってはいたが、相手の力まで利用しないと折れないほど関節が硬いとは思わなかった。今の関節技もギリギリで折れたとういところだ。異常なほど強靭だ。

 すべるように立位バランスを取って立ち上がると、折れた右手側から攻撃をかける。折れた腕であろうとぶんぶんと振り回すが怖くはない。

 また受け流しから相手の動きを操作して回り込み、相手の右足と左足の内側が触れた瞬間を見計らってその部分に下段廻し蹴りを打ち込む。突き抜ける衝撃が両足を貫通した。確かな手応えだ。初めて自分から膝をつく人類の例外。

 これを待っていた。

 相手が膝を着くと同時に俺も腰を落とす。

「アティファッ!!」

 最高の正拳突きが最高の加速力を持って人類の例外の顎に直撃した。

 死なない程度に首を曲げてぶっ飛んでいく。

 打ち後に残心を強く取って踏み込み、中腰の右半身に構える。

「悪いな。右腕は貰った。さっさと家に帰るんだな」

 できれば折りたくなかったが、身の危険と引き換えにはできない。ここが日本であった場合、過剰防衛をとられそうだが仕方ない。相手の両腕は武器と同じぐらいの殺傷能力を持っている。防戦一方であればいつかは負けるだろう。

 ちなみに「帰れ」と言ったのは万が一こいつがどこかの村や町に逃げ帰る場合は後をつければ帰れると踏んだからである。さっさと帰っていただきたい。

 力が上手く入らないのか、今までとは違い震えながら立ち上がろうとしている。やはりダメージが蓄積しているようだ。無痛覚なのかどうかはわからないが絶対無敵の化け物というわけではないということが確定した。

 ――予感。

 自分の身を屈めた。地面に這い蹲るように無理やりしゃがみこむ。体が勝手に動いた。

 ぶおん、と大きな音を立てて俺がいた場所を何かが過ぎ去っていく。

 間違いない、攻撃された。

 俺は後方を見もせずに転がって背後の敵と人類の例外の両方から離れるようにして振り向きながら立ち上がる。

 もちろん第二の敵の追撃が向かってきた。

 人類の例外、その二が現れた。

「――――ッ」

 歯を食いしばって、嫌な笑いを堪える。

 新しい敵の攻撃を捌いて、重心を崩してからの全力ハイキックを叩き込んでできるだけ遠くまでぶっ飛ばした。人類の例外その一はまだこちらに攻撃は仕掛けてこない。相当効いている。

 そんなことはどうでもいい。

 なんで、同じ生き物が二体もいるんだよ!

 ぶっ飛ばしたそいつが起き上がる。顔に黒い穴が三つ、貧弱そうな女性めいた体つき、黄色の汚れた服装、殴ったときの重い手応え。

 ほぼ同一の個体であるといってもいい。

 もちろん汚れた場所や髪の長さはほんのわずかに違うが、同じ種族であると断言しても構わないだろう。いや、同じ種族ってなんだよ。人間じゃねえのかよ。

 襲い掛かってくる

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