修羅道のテラ
「俺は戦闘にしか興味のないペドフィリアだ」
食堂がざわつく。
新しく入ってきた兵隊達だろう。いきなりの俺の発言に激しく動揺しているようだ。気持ちはわかる。俺だって食堂でいきなり立ち上がってこんなことを言い出す先輩とかちょっと嫌だ。激しく嫌だな。
とはいえ、現在の俺の姿は新兵には眩しいものだ。
明らかに金の掛かった服装だ。
黒に紫を少し垂らしたような暗くなりすぎないオーダーメイドのスーツだ。竜の髪を水霊の加護で解いて織った布にそれぞれ呪糸を縫いこんで作った特注品だ。実はわからない程度に発光しており暗色系の色合いなのに明るく見えるというここ特有の美しさを持つ。ベストの前面は落ち着いたワインレッドに金のチェック柄。やはり竜の髪と水霊の加護で布に魔法抵抗力の高い自然石を溶かしてつくった薬液を浸して織っており内臓器官を守るために最高の強靭さを備えている。
ベルトとバックルはただのミスリルであるが魔法加速器として使えるように俺が調整している一種の増幅器だ。
そしてその上からまとっている長外套はまるで儀礼式典用と思えるほど煌びやかな装飾が施されている。金糸銀糸に宝石がが飾られており見た目も荘厳であるが、長外套をぐるりと囲んで垂れ下がっている魔法封呪帯はそのひとつひとつが竜の業火を軽く防御できるほど強力な装甲となった一種の要塞ともいうべき防具だ。これひとつで小国が買える、かどうかはわからないけど。
まあ問題なのはそれを俺が着ているということだ。
身長百六十五センチ、体重百三十キロの普通のデブだ。
腹も出てるし足も短い、黒目黒髪に正直俺はひそかにイケてると思っている顔の日本人だ。
今年で五十歳になるが、ここに来てから年を取っている気配がないのでたぶん鼻毛に白髪が混ざったことがショックな三十歳くらいのままだ。いくら俺が日本人で若作りめいているからといっても鏡に映ったその姿を、自分自身がごまかすことはできない。
「おいおい、あんたどこの出身のマヌケよ?」
珍しく俺に絡んでくる新兵がいた。今年は当たり年ではないだろうか。普通は関わり合いになるのを控えるところだ。誰だってそうする。
そいつはいかにもな外見の男だった。正面から見ようが背後から見ようがイケメンのオーラが体を包み込んでいる。それ以外の顔の造詣なんかどうでもいいと思えるレベルだ。
だが神はこのイケメンオーラの持ち主の顔面をイケメンにしてたもうた。考えるのが億劫になるくらい整って高いイケメン鼻を中心として睫毛のサラッとした濃いタレ目と、常ににやりとしているような大きな口元に邪魔にならない程度の厚い唇が男の俺にすらセックスアピールしているようでいい加減キモい。燃えるような赤い長い髪がスッと背中に流れている。前髪はさっき整えたのか疑うほど綺麗に整えられていた。
それなりに腕もあるのだろう。
俺には劣るが装備もそれなりのものばかりだ。竜殺しと名高いウェポンブランド独自の意匠が施された白銀の長剣が嫌でも目に付いた。食堂に持ってくるなよ。そしてそれを基調にしているのだろう。長剣を引き立てる程度にはおとなしく、ただ豪奢な魔法細工が施されたシャツとズボンをはいている。どちらも白であるが長剣を前にするとほどよく霞む。こいつ、口は悪いが、芸術を弁えている。今の俺みたいにただ無理やり豪華な格好をしているのとは訳が違う。
なるほど、俺に文句のひとつでもつけたい気持ちはわかった。
「どちらさま?」
だが、負けるわけにはいかない。
俺の敗北は、つまりは先輩の威厳失墜に繋がる。メンツってもんがあるのだ。もちろんこんなところで俺のメンツを無理やり保っても俺の威厳は落ちるだけだろう。だがそれでいい。俺は意図的に下げている。もしかしたらこんなことをしなくても下がっていくかもしれないが、それはそれだ。
「聞いてんのはこっち、どこのボンボン貴族な?」
「どちらさま?」
「お前耳ないの? それとも糖尿病ってやつ? だとしたら早く降りたほうがいいよ、マジで」
「どちらさま」
「おま――」
「どちらさま?」
「てめ――」
「どちらさま?」
魔法の、詠唱型の発声発動で使用する式を使って新兵の発言を無効化していく。魔力も何も乗せていないから楽勝で相手の言葉を打ち消すことができる。本来は打ち消されないための式であるがこのように相手の言葉を聞こえないようにかぶせることだってできる。実にどうでもいい技術だ。
「どちらさま? どちらさま? どちらさま?」
連続で繋げてしゃべらせない。
目に見えてわかるくらい青筋が出ているが相手が何を言っているのわからない。食堂にいるほかのやつにもこいつの声は聞こえていないだろう。何か勢い良く怒声を発しているようだがさっぱりわからない。
ははは、この程度もなんとかできないということはあまりレベルは高くないのかな。
俺は「どちらさま?」だけを繰り返しながら相手をやりこめる。やりこめている気分に浸る。
……しかし、こいつ剣を抜かないな。
普通ならこのあたりでみんな剣を抜くのだがどうやらかなり気骨のある若者らしい。俺の中で彼の株がモリモリ上がっていく。
この話しぶりであれば俺のことを知らず、ただのお飾り貴族様と思っているのは想像に難くない。だが貴族が指揮しない戦闘用の艦船では貴族の貴族としての階級は無意味になる。
いわゆる貴族を含めた王族が乗る「王族艦」と傭兵や個人、クランが使用する「一般艦」は明確に区別されいる。王族と騎士と兵士で構成される王族艦は明確な指令系統と秩序が法で守られているが、一般艦はそれがない。一見の騎士や貴族が無理やり艦を乗っ取らないように「一般艦に搭乗した場合、王族を除いた高級階級は一時的に身分を剥奪。何が起ころうと貴族裁判を行なわない」と明確に定められている。
そのためだいたいは剣を抜いてくる。
ちなみにそんなわけのわからない法律が存在するので高級階級がほとんどの造船技術を秘匿しており、空戦技術も基本技術以外は公開されていない。故に、貴族はまずこんなザコい一般艦など乗らないのだ。
うひひひ、どうした。剣を抜け、返り討ちにしてやるぜー。
「はいはい、おじいちゃんごめんなさいねー。いっしょにお部屋に帰りましょうねー」
むさくるしい筋肉達磨と脂肪塊の中に現れた可憐な華が一輪咲いた。
本当にそう形容できるほど筋肉偏差値が高い場所に柔らかそうなお肉の少女がやってきたのだ。
アララ・ラン団長補佐だ。
この艦船のメインヒロインを担っている知り合いだ。アララ・ランが俺の手を取って食堂から連れ出そうとする。しかし俺も一筋縄ではいかない。地面に根を張ったようにその場を動かない。アララの腕力程度ではまったく動かない。
俺はまだこの若者と話がしたいのだ。ここで帰るわけにはいかない。
アララがいきなり魔法威力強化を施した裏拳を俺の顔面に叩き込んできた。やばい、この間よりもだいぶ詠唱が早い。本来の魔法威力強化と比べると四割ほど威力が落ちているが速度は三分の一だ。かなり使える短縮式だ。
俺は顔面に裏拳の直撃を受けて食堂の壁に叩きつけられながらそんなことを考えた。
「痛たた……アララのやつ本気で殴ってきやがったな。パネェわ。同じ人類の所業とは思えない。なあ。ビーラ、シータ」
「あ、あの、そういうのは……」
「ご主人様、さすがに……」
自室の椅子に座って俺が直接仕入れてきた奴隷の二人に声をかけるが、返事は芳しくない。奴隷というのはこういうときは是非なく俺に同意するものだろうと思っていたのだがどうにも違うようだ。奴隷を購入してまだ一週間なのでこれから上手にコミュニケーションをとればいいだろう。
「あんたさ、その発言を同意できるわけないでしょ」
「ははあ、わかったぞ。お前がいるからこいつらは同意しないんだな。ほら、出て行けよ」
「こいつ……」
俺の隣で立っているアララが憤怒と効果音を頭にくくりつけて俺を睨んでいる。
現在アララはゴリラウーマン状態であるが、通常時はキャリアウーマンよろしくの美麗な曲線美を持った少女だ。十六歳という年齢を超越した長身と豊満な胸、くびれた腰、ぎゅっと詰まった尻を持っている。尻のひとつを見るだけでもその日頃の鍛錬の成果がわかるというものだ。
綺麗な金髪と青い瞳に鼻の低めなロリータフェイスという王道のかわいさを持っているが、残念なことにまったく浮いた話を聞かない。食堂で俺をぶん殴ってばかりなので恐れられているというのは本人の弁だ。ありえん。それくらいで声をかけてもらえないとか夢ばかり見ている。普通にかわいければ普通に声をかけられるのは自然の法則だ。本人の努力不足だ。足元がおろそかなのだろう。
見れば見るほどありえないほど完成された造詣だ。
成長の記録を写真で残したいので毎年写真を取らせてもらっていたのだが、二年前からシカトされるようになった。盗み撮りはよくないのでそれ以上は行なっていない。俺の記憶のアルバムにそっとしまっている。だが、そのうち忘れてしまうだろう。あまり記憶力がよくないからな。
「なに、顔に何かついてるの!」
俺がアララの顔を見てたからか、不機嫌になったようだ。俺は視線を外す。椅子の正面、机の上に置いてある紙束を手に取った。ただのメモ書き用の紙束だ。魔導書の覚え書きを載せている。最終的に製本用の劣化対策を施した魔法紙に書き直すのでかなり雑に書かれている。本当に思い出したことを一気に書き記しているだけだ。
「……それ、なんて書いてるの?」
日本語で書き込んでいるためアララは読めないらしい。
「さあ、わかんね」
アララの怒気がこちらまで伝わるほどの圧力を見せるが、別に怖くはない。この程度ならまだまだ俺を本気にはできないッスね。まだまだッスわ。
俺はこの艦船で一番強い。
もう、最強だ。本当に強い。そのためにいろいろ訓練に訓練を重ねてきた。
もちろんここにいるみんなと殺し合いしたわけではないので本当に最強かどうかはわからない。
ただ、みんなの戦闘の感覚と俺の知覚で計った感じとしては俺のほうが強い。
俺を含めて実力を隠している可能性もあるので安心はできないが、それでもまだ俺のほうが強いと、俺は自信を持っていえる。
最強かどうかは置いておくとして、この艦船「曙光」を所持している我々のクラン「暁の傭兵」四百人の中では文句なしでトップクラスだ。井の中の蛙だった場合はさっさと放り出して欲しい。恥ずかしいから。
昔考えた魔法の式ややっていないアプローチなどを思い出した端から書きとめていく。贔屓目に見るとけっこう綺麗な字だ。俺は読みやすい。だが知っている。これは綺麗な字ではない。俺の妹は書道講師の資格を持っている。その妹が書いた字はおそろしく良かった記憶がある。公式文書としては使えないだろうが、止めや払いを行えるやつが短縮して書いたそれはとても生き生きとしている文字だった。熟語単位ではなく文章単位で見栄えするようにまとめられており、ただの何気ない日記であるのに紙の文字に感情が宿っていた。おかげで内容を読んでいないのにどやされた。まあそうだよな。けど階段に落ちている大学ノートって普通は誰のものか調べるために表紙とか内容とかで名前を探すだろ。
思い出そうとしてあふれ出してくる記憶をすぐさま書き込んだいく。脈絡のない記憶の本流であるため書く速度が追いつかない。俺だって魔導書持ちで上位式魔法が使える実力者だ。一時的な記憶力にはある程度は自信があるし器用さや筆記速度だって遅くはない。それでも覚えていられない。それほどの記憶が蘇る。
ひとつ、無視できない記憶が出てきた。
俺は紙束の新しい部分を開くと忘れないうちに急いで紙にかき込んでいく。まずは全体像からしっかりとかいていき、そして細部まで丁寧にかく。十分ほどかいていると急激に記憶が薄れていく。薄れていく記憶を再度記憶しながら繋ぎとめて三十分ほどそれをかいた。
「ふむ、まあまあだな」
俺は描きあがった絵の出来栄えを、自分に感謝と賛辞を送った。
それほどまでに良く描けていた。
それはアララの十四歳を描いたものだ。普通のバストアップで笑顔の、どこにでもいる少女が描かれている。今ほど成長しておらず、年相応の貧弱さを持っている。そんななんでもない普通の模写だ。
こちらでは写真機はいまいち精度が悪い。地球での写真機の初期を越えたくらいの代物だ。白黒なんだか茶色なんだか焼けているんだか、そんなレベルだ。こんな空飛ぶ艦船を持っているにも関わらず、このあたりは地球よりも劣る。
ちなみに艦船と呼称はしているが別に軍艦ではない。そして鋼鉄製の四角い箱がビームを発射するようなものでもない。巨大な帆のない金属装甲をつけた大型木造船に翼がつけられたものだ。一応、俺みたいな地球出身のやつがジェットエンジンつけたりバルカンをつけたりで、軍艦は凄いことにはなっているらしい。まあ、本物のジェットエンジンやバルカンじゃなくて、良くも悪くもこちら側の技術を応用したものだろう。
とにかく俺が満足するレベルで絵を描くことには成功した。
俺の記憶力がもう少し持続したらもっとより細かくすることもできたがこのあたりが限界だろう。
「え、あ、やだ。これ、わたし?」
声に振り返るとそこにはアララがいた。
絵を描き始めてから三十分ほど経ったと思ったがまだいたのか。団長補佐はやたらと暇なのだろうか。そうではないと思うんだが。
「早く帰れ。仕事が詰まっているだろう」
俺はテーブルのペン立てに入れてあるペーパーナイフを取ると絵を描いた紙を切り取った。これはあとで俺のアルバムに保存する予定だ。ただ、今はインクが乾いていないのでしばらく乾燥させる必要がある。
両手で取った絵をぱたぱたと振って乾燥を促進させる。
とはいってもこちらのインクは乾くのが遅いのであと数分はかかる。こうやって振ったところで乾燥時間に大きな差は生まれないだろう。ただなんとなくやっているだけだ。
だがそれがいけなかった。
「なによっ恥ずかしいじゃない! こんな昔の!」
アララが俺の描いたイラストをもぎ取った。紙の受け渡しの癖で折り目やシワをつけないように相手が取ったと同時に自分の手を離してしまった。本当に、それが、いけなかった。
アララは瞬く間にその絵を破いていく。
縦に一度、重ねて横に一度、あとはバラバラに毟った。
「こんな――」
「何をするッ貴様ァ!!」
俺は立ち上がるとアララの胸倉を掴んで力任せに膝を着かせる。呪糸が折り込められた強化服のために俺の腕力を受けてもたやすく破れることはない。
「なぜ破ったッッ!! ふざけているのかッ!!」
最初は目を丸くしてきょとんとしていたが、俺の一声一声にアララが怯えの色を貼り付けていく。自分が何をしたのかわかっていないようだ。なぜわざわざ俺の所有物を破るのだろうか!
アララは今までの表情とはまるで違い、恐怖一色に染まったそれが無遠慮に俺の胸を抉ってくる。だがそれでも怒りを抑えられない。
おさえ、られない、のか? 本当に……
今、ものすごく俺は怒っている。
しかし、少し落ち着いた今であればコントロールできる触れ幅だ。
確かに俺はものすごくアララに怒りを持っている。それは間違いない。
……気持ち悪いな。
怒りを持つ心とそれを許している心が同時に存在している。
「ご、ご主人様、落ち着いてください!!」
「マスター! マスター! あ、“あなたは怒っています”!」
奴隷のひとりが俺に「キーワード」をかけてくる。関連付けの記憶連鎖を意味させるためのものだ。
正直、俺は短気だ。
誰かが客観的に俺を把握して進言してくれなければ自分が怒っていることさえわからない。もちろん、それを聞いてさらに逆上したこともある。一度や二度じゃない。何度もだ。
疲れた。
俺はアララから手を離す。力が抜けたのか、アララが正座するようにへたり込んだ。
はあ、なんで怒ってしまったのか。俺ってやつは。
「すまんな、アララ。いきなり怒ってしまって。俺が悪かった」
そう言って抱きしめようとしたが、二年前に抱きしめようとして嫌がられたことを思い出したのでやめた。忘れていて両手で抱きしめようとしてしまったので一瞬、アララが何か驚いた表情をした。それを見てようやく思い出した。やってはいけなかったんだ。
「あー、誰か片付けておいてくれ、床」
既に絵はゴミになった。
破られ、重ねられ、インクで汚れ、さらにバラバラに引き千切られた。ただのゴミだ。
そのゴミの始末を奴隷達に指示しておく。俺の命令には適当に行なえと言ってある。当たり前だが適当とは「本人の能力を使って行なえること全般」だ。全力を出して労力に見合わないことをやれとは教えていないのできっと本人の無理なことは行なわない。
だがゴミ掃除くらいはできるだろう。
「おい! どうした!!」
勢い良く俺の部屋が開かれる。
入ってきたのはこのしょぼい空中艦の艦長にして団長であるバイツ・ドーウィンだ。
ごく普通のマッチョで、男はマッチョがデフォルトの竜角族だ。身長が二メートル十五センチで体重が二百キロという超高密度マッチョで俺より胸毛がすごい。俺よりも身長が五十センチ高いので少し殺意が沸くがこの程度では問題ない。問題があったら顔を合わせるたびに殺し合いに発展するのでなんとかした。嘘ついた。イラっとするくらいだ、はじめから。
バイツがこのクランの発起人でこいつが艦船の動力炉である無限機関を遺跡から発見したのがことの始まりだ。
まあ、俺は強かったのと元々のクランにいたので初期メンバーとして参加している。いわゆるコネクションってやつだ。便利すぎてやばい。ちなみに俺がこの艦船で戦闘以外の仕事が存在しない理由はこの最初の契約内容に含まれている。さすがに人手が足りない場合は状況によって手伝うことになっているが、そうならないように有能な人材を大量にかき集めてきたので問題ない。
この奴隷二人もかなりの優秀な魔力と体質を秘めていたので見かけた瞬間に購入したのだ。
「何があったんだシラド! お前が大声をあげるなんて」
室内をきょろきょろと見回している。いや、お前、俺の目の前で泣きそうな顔になっているアララを見ろよ。シカトすんなよな。かわいそうだろう。
「別に。ちょっと感情の操作が上手くいかなくてな。アララにキレただけだ」
「…………はあ?」
すごい変なものを見たような、狸に化かされたような顔をするバイツ。
イラッとする。定期的に。バイツに。
「ああ、もう、とにかく適当にな、お前ら。俺は寝る。仕事があるまで起こすな。そして話しかけもするな。いいな。バイツはアルルを連れて帰れ」
「あ、あ……」
俺はざっと指示すると部屋の奥へと引っ込んだ。
まさかと思うが指示したことで不機嫌になったりしないよな、バイツも、奴隷達も。
俺が寝室から出てきたのはたっぷりと三十二時間ほど経ってからだ。
さすがにこれ以上はトイレを我慢するのはつらい。俺は長外套すら着用せずに部屋の外へと出た。本来ならデブっ腹が目立つので長外套は必須であるのだがトイレで汚したくない。あくまでも可能性の問題だ。汚す云々は。
すでに最大限我慢しているのであとはほんの二十分ほどしか我慢できないだろう。ちなみに限界まで我慢しないのはトイレが込んでいた場合、俺の社会性と人間性が死んでしまうところが大きい。
トイレは男女別れているが基本的に共用だ。
つまり、最悪のシナリオも考慮していないとやばい。
昔こういうことがあった。
地球にいたころ仕事終わりに手を洗って帰ろうとトイレの手洗い場で手を洗おうとしたことがある。もちろんそれ自体は普通のことだ。しかし来てみると三つある手洗い場の、三つある液体石鹸の中身がいつもと違うことに気がついた。
はて、いつもは「赤、緑、赤」で並んでいたはずだ。
しかし今日は「緑、赤、緑」で並んでいる。
だが今日の昼休憩に手を洗いにきたときはやはり「赤、緑、赤」で並んでおり液体石鹸もたっぷりはいっていたはずだ。
!?
俺は即座にトイレから出た。
誰にも見られなかった、はずだ。
どうやら間違えて隣の女子トイレに入ってしまったことに気づいたからだ。
結果としては別に俺の知る範囲では何かしら問題があったということはなかった。影で何を言われているかなんてどうでもいいことだ。また上司から何か言われたこともないのでなんとかなったと、思いたい。
世界にはそういった最悪のシナリオという危険が溢れている。
最悪のシナリオを踏んだら死んでしまうわけじゃない。ただ咎を背負っていつまでも、死ぬまで生きていくだけだ。
そういったシナリオのひとつに「限界までウンコを我慢して、間違って女子トイレに入って、出たときに女の子と鉢合わせして、威張り散らしているだけで金が貰えるポジションを失う」というシナリオはちょっとご遠慮願いたい。
そのために俺はこの二十分という猶予を設けているのだ。
また、この二十分というのは俺の経験からの逆算であり、もしかしたら十五分かもしれないし、あと二十秒で我慢できない腹痛とケツの痛みに襲われる可能性が無きにしも非ず。本当におすすめできない。
ちなみに三十時間も部屋にこもってやっていたのはベッドでゴロゴロしているだけだ。頭の中で適当な思考や演算、ぐったりと指先で新魔法式のアプローチプロセスも書いてみたが、まあゴロゴロしているといったほうが正しい。別に身にはならなかった。というか、すごい考えやアプローチが成功したら速攻で外に出て紙束に書き留めるのでこの「限界までウンコを我慢している」という無駄な行為自体がすでに俺の行動をすべて現しているといっても過言じゃない。
ところでこんなことでもなければ一生言い出さないことではあるが、世の中は常に「月に叢雲、花に風」だ。「タイミングよく悪いことが起こる」ものだ。仕事とか特に。今は仕事していないからまだ発生確率が低いがそれでも起こるべくして起こる。
通路の角からアララが出てきた。
そして俺に何かを話そうとしているのか、こちらを見ている。
この艦船「曙光」はぶっちゃけ設計ミスだかなんだかでけっこう中の通路が細かく通っており、狭い。バイツみたいなドラゴンマッチョ、略してドラマチョの野郎が半身になって分厚い胸板を擦り合わせてすれ違うキモい場所も、そこそこある。もちろんすべてじゃない。
アララが通路の前に立ちはだかるといくら贅肉がついたデブボディでは触れずに通り抜けるのは難しい。
アララの左隣をすれ違うためにザッと左に踏み込む。
アララが道を塞ごうと寄る。
俺は超速でアララの右隣を抜けた。
デブと速度を両立させた贅沢ボディ、それが俺だ。ぶっちゃけ、自分で言うのもなんだが奇跡の体型だろう。ここに来てからそうなんだが、痩せない。まったく痩せない。逆に太りもしないのでおそらく何かしらの物理法則が働いているのだろう。もしかしたら「強い力、弱い力、電磁波、重力」に次ぐ第五の力が働いている可能性もある。そもそもなんでこんなでかい船が浮いているのかわからないし。
痩せられない理由を物理法則のせいにしているとか、心底終わってるな、俺。
すり抜けたというあまりにスマートな言葉を使うのもどうかと思うのだが、とにかくアララを避けてトイレへと向かったが、背後から何か声がかかることはなかった。
まあどうでもいい範囲だ。
アララの好感度はあまり高くないのでこれ以上低くなっても問題ない。
というかあまり高くなってほしくない。
これはアララに限ったことじゃない。他の連中にもそうだ。人に裏切られるのも怖いし、相手の信頼(仕事)を裏切るのも怖い。それならば俺は役立たずでありたい。少なくとも戦闘においては俺は他者よりも修練を積んできたし、強いという自負がある。ある日、実はみんな俺よりも強かったという話が出てきて俺はお情けで生かされていた道化師という可能性もなくはないが、それまではゆっくりと威張り散らして人生を少しでも多く楽しんでおきたい。
すぐそばの一番近いトイレに入るつもりだったが後ろでアララが見ている気がしたので曙光後部のカーゴブロック近くのトイレを使うことにする。あそこまでだったら俺の括約筋は持つ。いや、持たせる。
ふう、まったくなんの問題もなくトイレタイムが終了した。
もしかしたら危うくもれてしまう可能性もあったが、アララ以外は俺の前に立ちはだかることなくカーゴブロックのトイレまでくることができた。厳密に言えばカーゴブロック手前のであるがこの際どうでもいい。
なんとなく足が向いた。
そんなわけでカーゴブロックまでやってくる。
やってきたが、誰もいない。
一応、カーゴブロックには荷物の見張りとしてひとりか二人の人員が割かれている。馬鹿が運送用の荷物をパクったり小動物を飼ったりするからだ。別にパクるといっても輸送依頼の積荷を盗むというわけではなくて備蓄食料を盗み食いしたり使用した無駄使用した弾薬の補充などだ。書類といっしょに提出したらどちらも簡単にくれるものだが言い出しづらいという理由だけでパクるやつが後を絶たない。俺みたいに悠然と書類を提出してご飯を貰ったほうがおいしいに決まっている。ちなみにどちらもやりすぎて俺のせいで書類提出の量が二倍になったこともここのパクりがなくならない要因のひとつかもしれない。
まあ便所かどこかだろう。男子便所は俺しかいなかったので今日の当番は女かな。
まさかこれくらいでセクハラには当たらないよな。
当たるんだったら世界は女性に支配されている。生きる価値がない。
俺はカーゴ隣の甲板用梯子を上って外に出ることにした。なんとなくだ。強いて言えば空が好きだ。
カーゴブロック特有の高い壁を登って天井にある内部ハッチを開く。それから甲板に続く外部ハッチを開けて外へと出た。
外は一面の青空が広がっていた。
本当に見渡す限り青色しかない。強く、濃い空のブルーが遠くまで広がっている。
千メートル下は雲海だ。真っ白い雲が風で波打って高く浮き上がっては散っていく。
この光景だけでもここに来た価値があったってものだ。
どこまでも続く高い高い天空に、どこまでも続く深い深い雲海がこの世界のすべてだ。
それ以外は余分だ。
雲海に浮かぶ巨大な島も、凄まじく高く凄まじく深い壁のような塔も、さんさんと照らす大きな太陽さえも、ここでは余分すぎる。
とても綺麗な世界だ。
何もない甲板の上で風に当たる。
この世界には上昇気流とか気圧とかないのか、こんなに高いと予想される場所なのに風が穏やかだ。どこまで高く上っても息は苦しくならない。その代わり宇宙は見えない。星はあるのに、宇宙はなかった。もしかしたらどこかで空間が連続しており絶対に上にはいけないのかもしれない。
そんな天空しかない世界。
実に俺向きで、実に心が安らぐ場所だ。
全長百メートル以上もあるこの艦は船体に巨大な翼を持っていて、それが風を受けて飛んでいる。一応揚力らしくものはあるらしい。
どちらにせよ、でかい島を定期船で渡りながらいまだに未開拓の敷地に侵入して遺跡を荒らすよりはこうやって空を飛んでいたい。
馬鹿みたいだ。全長百キロ四方くらいしかないのに何百年かけても探索が終わらないらしい。このあたりはやはり地球とは得意分野が違うのだろうか。
それとも人口の増え方の問題だろうか。さっさと産業革命を起こして人口爆発で人海戦術を取ったほうがいいだろう。ただ産業革命は起きているような気がしないでもないような気がする。技術レベルピンキリすいてどうなっているのかまったくわからない。
あと島々がかなり離れているので貿易も難しいのだろう。陸続きでないのは致命的だ。
甲板の隅でゴロゴロする。日光浴だ。
このゴロゴロ、これだけで三十時間は過ごせることがわかったので今度からはやらないように努力したい。あまりにも時間の無駄だ。
だが、至福のときでもある。
まあ、これからもゴロゴロするんだろうな。酒も煙草も麻薬もやらないんだからこれくらいはいいだろう。働くときはちゃんと働くし。
汗をかきながら甲板の隅で日光浴をしていると下のほうからなにやら音が聞こえてきた。縁にへばりつくように体を持ち上げて下を除くと、荷物積み下ろしのための後部側面の巨大なスライドが開いている。もちろんカーゴブロックに繋がっている。
その開いたスライドから五人ほど誰かが入ろうと飛行魔法を使いながら滞空していた。
いくら風の勢いが少ないといっても進行方向に対して空気の流れをもろに受けるカーゴブロックのスライドドアの辺りだと滞空ですら面倒だろう。早く入ればいいのに。
なんとなく俺も甲板の外へと飛び出した。
飛行魔法を使用して空へと舞う。
俺も艦に常駐する兵隊のひとりだ。高いレベルで飛行魔法を使えるし遠距離攻撃にも自信がある。勢いのよい空気の流れなど防御するのはたやすい。というか、これができないで艦に乗り込むやつも少ないだろう。
下の五人も少しふらついているが、実力的には問題がない魔術師だ。
見たことないツラなので新兵だろうか。
そもそもなにしているんだ。
俺は五人の死角になる場所から見守りながら、ひとりまたひとりとスライドの中に入っていくのを見届ける。最後のひとりが入ると、すかさず俺もスライドに手をかけて入りこんだ。
スライドの開閉を管理していたやつに閉めるように指示する。まあ、俺が最後という意味を込めてだ。それを受けてスライドを閉める。
よく考えたら貨物の上げ下ろしなんかやったことないから、ここから中に入るのは初めてだ。なんだか新鮮な気分に襲われる。忘れかけていた遺跡探索のあの喜びが少しだけ首を持ち上げてくるが、結果的に見るとあれは面倒な出来事であるので忘れることにする。
五人の後に続いて奥へと進む。
スライドの開閉係をやっていたやつがさらに俺の後ろを歩く。遺跡でもないのに真後ろを歩かれることに慣れていないので「後ろを歩くな。落ち着かない」と小声だが強めに命令する。そうするとそいつは焦ったように頭を下げると俺の前に移動した。
たぶん俺を貴族と勘違いしているのは想像に難くない。
俺だって俺みたいなやつがいたら貴族だと思う。
カーゴブロックの最後部までやってきた。ここからさらに後ろは艦搭載火器の操作室と第二観測室しかない。またカーゴブロックから直通の道はないので一度甲板に上がるか一度出てから隣の通路を使わかないとたどり着けない。
だが、そこには大きな穴が空いていた。
綺麗に切り取られている丸い穴だ。俺は楽勝で入れるがバイツは頭ひとつ分は切り落とさないと入れない大きさだ。ここにいる連中なら普通に入れるだろう。みんな俺よりも少し背が高いくらいだ。そう、百七十センチという普遍的市民権を持った普通の身長を持っているのだから。
あと五センチ、なんとか伸びないだろうか。いや、伸びるならあと十五センチ……二十五センチほしい。百九十センチあればきっとかっこいい。痩せれば顔には自信がある、とそんな妄想で無聊を慰めている。
カーゴブロックの奥、この穴の手前には全部で二十人ほどの人間が待っていた。
俺達が着たのを確認すると待っていたひとりが明光魔法を使ってあたりを明るくする。刻印式のオーソドックスなやつだ。薄暗いカーゴブロックを的確な光量で明るくし、その光の状態も安定している。それだけでこいつがかなりできるやつだとわかった。
技術は細部に宿るものだ。
普段の何気ない魔法の、なんでもない出力調整や安定性こそ実力を見るのに適している。試験中ではない、通常の細かい魔法の行使のほうがわかりやすい。
「諸君、よくきてくれた。まずは歓迎する」
明光魔法を使った男が口を開いた。
見たことがある。このクランの中堅クラスに位置する兵隊頭の男だ。本人の強さよりも人をまとめ上げて指示する能力に優れている。元々貴族だったが堅苦しい雰囲気が嫌であるということでこのクランにやってきた男だ。貴族だからだろうか、人に命令することに慣れているし、その自信たっぷりなところも安心できる。それで実力があるんだからみんな問題なく従うというものだ。
短く刈り込まれた茶色の髪にマッチョすぎない独特の細い体の線、いわゆる貴族線がわかる。少女マンガめいた足の長いスラッとしたその姿は「ああ、こいつ俺の敵だな」とか何度も思わせたが「イケメン敵理論」はモテない男のただの僻みなのでどうでもいいことだ。
いわゆる呪糸を織り込んだ貴族服を着ていないのでちょくちょくこいつが貴族であることを忘れるやつがいるが綿のシャツとズボンにハードレザーを着ている姿がそもそも似合っていないので俺は忘れることができない。長身痩躯の金持ちの次男坊が社会勉強のために似合わないドカタをやってキラキラを振りまいているような整った粗雑さを感じる。
そんな稀有な生き物だ。
名前は……なんだったかな、見るか聞けば思い出すんだが。いや、意味がないじゃんと思うかもしれないが、そもそも忘れているだけなので正解不正解は知っているのだ。名前を忘れてしまっていて悪いのだが、そもそもほとんどにおいて俺はこんな感じなので勘弁してほしい。
「今日というこの日がきたのはひとえに諸君らが尽力したということだ。ここに来られなかった他の仲間達を代表して礼を言おう。そしてこのこれまでに散っていた仲間達の英霊と共に明日を切り開こう」
ボンボンは缶詰の箱に足を置いて他よりも頭ひとつ分高くしており実に見やすい位置取りをしている。ボンボンの身長は百八十センチくらいあるのでこれはあくまでも目立つためだろう。一番後ろにいる俺のためにやっていると言っても過言じゃない。
「早速だが時間が惜しい。作戦準備に入る。まずはそれぞれ光力石を受け取ってくれ。これには二千マジック以上込められている。オド式の魔術師はもちろん、他の式使いも温存せずに使ってくれ。せっかくのチャンスを無駄にしたくない。予備もいくらかあるのでオド式は二つ、他はひとつで受け取ってくれ」
前方の連中に配られた光力石をどんどん後ろへと回されていく。
そして最後尾の俺が最初に受け取る。黄色がかった白い発光石だ。そんなに光は強くなく暗闇でぼうと光る程度だ。遺跡探索のときは暗闇で迂闊に道具袋を開けられなくてしんどい。
「おい、お前は二ついるか?」
俺の前にいる刺青禿頭の三十代くらいの中年が声をかけてくる。彫りの深い顔でいかにもオジサンといった顔つきだ。だがかっこいい。ダサかっこいいのひとつ上くらいかっこいい。魔術師の基本装備である魔法縫製の二重外套を着ている。地球産コミックでいうところの魔法使いローブのようなものだ。
ちなみに着ている理由は単純でギルドで大量に売っている異常に優れた装備だからだ。値段と性能のコストパフォーマンスが抜群で、この装備だけ産業革命が終了しており大量生産しているらしい。初心者に有効で、中級者以降もずっと着ていられる最高の装備だ。
ここにいる魔術師のほとんどがこれだ。
「いや、俺は意思式だ。オド式、マナ式も併用できるから問題ない」
「意思式か。最近は使用が楽なオド式が流行っているが、若いやつも捨てたもんじゃないな」
「こう見えて三十歳だよ」
「はは、それはすまん」
そう言って刺青禿頭は光力石を二つ懐に入れた。どうやらオド式らしい。今の会話の意味がわからん。お前いい年してオド式やんけ。補助で意思式覚えとけや。
オド式、マナ式、意思式はそれぞれ魔術のプロセスと代償の種類だ。
オド式がその人物の内部に存在する魔法を使用する。
マナ式が周りから魔力を得て魔法を使用する。
意思式が集中力を使って代償なしで魔法を使用する。
オド式は内部魔力が消費し尽くしたらもう魔法が使えない。
ただ、個人の魔力強度によって消費効率や威力が変わるので本人の努力や素質によってピンキリの性能になる。スタンダードな使用方法だ。
マナ式は世界に溢れている魔力を使用して無限に魔法を使える。
だがマナ自体に魔力強度があるので場所によって威力や使用回数が変動してしまう。マナがまったくない場所も存在するのであまり強くない。空気中の酸素を使って攻撃していると考えると少しはピンとくるだろうか。補助で覚えているやつが多い。
意思式は集中力だけですべての代償を払うことができる。
少し説明が難しいが、集中力の維持というのが難しい。ずっと本を読んでいると疲れてくるように魔法の行使だけに集中力を割くのはつらい。特に戦闘中は状況把握にも集中力を使わないといけないのであまり使えるものではない。
俺が覚えている理由は単純だ。
俺はゲームでザコを倒すときはコストパフォーマンスと継続戦闘能力だけを考えているからだ。最初に意思式で戦い、次はマナ式、強敵はオド式で戦えば無駄が少ないと踏んでいる。実際にそうやって循環させて戦えばかなり長い時間戦うことができた。だが、理想は理想だ。
他にも発声式や刻印式、変則型の十三式もある。一応、どれも使えるがあまりレベルが高くない。とにかくあらゆる消耗がゼロで魔法が使えないか研鑽した結果が今だ。
まあ普通に考えるとスタンダードであるオド式が汎用性が高くなんでもできるのでそっちを使ったほうがわかりやすく強い。わかりやすいというのは最強だ。誰でも理解できなおかつ再現性がある。これ以上のことが他にあるだろうか。カードゲームの効果だって説明が少ないほうが強い。
「全員に行き渡ったな。ではまず班を二つにわける。ひとつは外回りで状況を把握しながら。もうひとつはそのままブリッジまで真っ直ぐ進む。理由は簡単だ。先ほどテラが部屋から出たそうだ。おそらく甲板かひとりになれる場所にいるだろう。もしくは食堂か、アララ団長補佐と二人きりの可能性もある。発見してくれ。そしてできるかぎり取り押さえろ。できなくても時間を稼げ」
……聞き捨てならない言葉が出てきたな。アララが誰かと二人きりでどこかにシケこんでいる、と。
いや、落ち着け。確かに小さい頃からアララを知っているが別にアララは俺の彼女というわけでも奴隷というわけでもない。俺が彼女に対して何かを言えた義理などないのだ。
ただ……まあ、ただ見つけるくらいはいいだろう。こいつらに混ざってな。
「テラは戦闘状態にならなければ基本的に優しい。頭おかしい発言が多く見受けられ、常人では理解できないテラ理論で動いている。そのため、何がきっかけで激怒するかわからないのでそのあたりは本当に気をつけてくれ。今ではそうでもないが昔はかなり手のつけられない人物だったようだ。しかも間の悪いことにこの作戦前に十年ぶりにキレたという報告を受けている。余韻が残っている可能性があるので十分に注意してくれ。再度、通告しておくが対テラ班の役割は時間稼ぎだ。極端な話、媚びへつらって酒を飲ませているだけでも構わない。むしろそちらのほうがいい」
しかしテラとかいう相手は知らないな。いくら健忘症気味の俺とはいえ忘れっぽいだけだ。名前を聞けば思い出すことも多い。しかしテラは知らないな。昔プレイしたゲームの魔法使いの名前くらいだ。でなければ恐怖か語り部くらいしかわからない。そういえばフィアーとテラーの違いってなんだろう。
「そこまでいうのであればテラは放置していてもいいのではないですか?」
「駄目だ。テラの所在を固定しておくのが作戦のひとつだ。そのためにわざわざ当初からこうやってテラ対策を組んでいる。またテラがブリッジにいた場合、この作戦は延期する予定だった。この前提から考えてほしい。それだけテラは危険なのだ」
「は、はあ」
「あらかじめテラ対策で来た魔術師はそこの穴から作戦通り上部の甲板まで向かってくれ。見つけたら振動魔法を壁に打ち込んで全員に知らせてくれよ。テラは妙な癖があってな、やろうと思えばどんなものでも破壊するが、それがゴミでなければ破壊するのをためらう。だから魔法の余波で壁や物品を破壊するのは最小限にとどめてくれ。もし周りがゴミだらけになれば即座に範囲攻撃を行なってくるだろう。魔法を使って。それまでは素手で攻撃してくるはずだ。絶対に無理な攻撃は避けろ。時間稼ぎだけでいいからな」
やだ、テラ怖い。
どんなやつなのかしら。
……いや、マジやべえやつなんじゃないのか。なんでアララはそんな頭のおかしいやつとシケこんでいるんだ? 割と本気で意味不明なやつだな。あれか、恋は盲目ってやつか。やだ、怖い怖い。
「本気でないときになんらかの芸術品を見せれば一瞬くらいは動きが止まるかもしれない。その程度だがないよりはマシだろう。誰か何か持ってきたか? 貴金属や宝石、絵画は効果はいまいちと言ってはおいただろう。それらを持ってきたのであればできれば置いていってくれ。邪魔になるだけだ。特に絵画は」
正面にいた誰かが絵画を持っていたのだろう。ボンボンはそちらを見て言ったようだ。
絵画を手渡されたボンボン。それを見た何人かがボンボンに自分の持ってきた何かを見せている。
お、あの絵画いいな。あまり興味ない範囲なんだがあれは俺じゃなくても気に入るやつがいるだろう。
だって、裸婦画だし。
こっちからではあまり見えないが布で体を少しだけ隠した絵画だ。ヒップラインがキュッとしており俺じゃなくてもほしがる。高いか安いかはわからないが人気は出るんじゃないかな、あれ。
今度は陶器の皿を出してきたやつがいる。でかい皿だ。この世界の住人の癖に、生意気にも筆で「円」が描かれた渋いやつだ。土の味が出ている青白い器に濃く深い青で描かれている。ほしいけど使い道がないな。
その皿もボンボンに手渡された。
次はガラス製のグラスだ。
口が広くつくられている浅いグラスだ。大きな丸い氷を浮かべると映えるだろう。しかもガラスのカットやつくりも角をつけて作られている。ウィスキーの琥珀色が似合うデザインだ。いいなー、あれほしいなー。
グラスをボンボンに手渡そうとしたが、ボンボンはそれを拒否する。声は聞き取りづらいが効果があるだろうとかなんとかそんなことを言っている。
よし、あとで見せてもらおう。
「では、作戦に変更はない。現時刻を持って作戦を開始する。各自、成功を祈る」
ボンボンがビシッと敬礼をする。拳を胸に当てる軍貴族式の敬礼だ。
みんなやったので俺もやった。みんな貴族なのかよ。パネェよ。
ボンボンを中心としたブリッジ班が足早にカーゴブロックから立ち去っていく。
俺達対テラ班もくり貫いた大穴から外の通路へと出た。
ところで、こいつら、何が目的なんだろう。
俺は今更なことを考えた。
最後部にある艦搭載火器の操作室に直通している。
よく考えなくてもこんなところに大穴空けたらあとでバイツに死ぬほど叱られると思うのだが、いいのだろうか。いや、よくないだろう。
「では破壊するぞ」
わお、いきなりとんでもないことを言い出すやつが出てきた。
「いやいやいや、落ち着けよ。壊しても意味ないぞ」
俺は風の魔術を使おうとした刺青禿頭の魔術師を抑える。
「なぜだ?」
「いや……壊れたら困るだろう」
なぜとか言われたら、その、困る。道具は壊さないように使うものではないのだろうか。結果的に壊れるのであれば仕方ないが、わざわざ怖そうとは思わない。こいつらなんだ、蛮族思考なのか。
「ほら、後で使えるし。あまり知られていないけどこれって取り外して携行できるんだぜ。そこそこ重いし反動もあるから筋力増加が必要だけど。それでも一発で当たれば人間なら死んじゃうからな。しかも一分間で千二百発で発射可能だ。確実に後で使える。壊す必要はないだろう」
刺青禿頭は考え込む。同時に回りにいた十人ほどの魔術師も考え出した。おいおい、勘弁してくれよ。
「そうだな。お前の言うとおりかもしれん。つまり、これを使ってテラを攻撃するというわけだな」
「酒飲ませてべろんべろんにしろとか言ってなかったか?」
「それが最良かもしれんだろうがそう上手くはいかんはずだ。テラは人間と変わらない知能に頭脳明晰な虎の判断力を持っている聞いたことがある。確実に戦いになるだろう」
怖え。
なんだよ、その評価は。そんな危険なやつがこの艦に乗っているのかよ。あれだな、あまり人と関わらないようにした俺の失策だな。もっと知るべきだった。俺の能力も過去のものか。
「恐ろしいか。テラはそれだけ危険なのだ。その隣にいるアララとかいう小娘の胆力が凄まじいのだろう。だがそやつにそれだけのことができるのに、我々が恐怖する理由はないのだ。その目的が酒を飲ませることでも、テラの腕を圧し折ることでもな」
俺の顔に恐怖を見たのだろう。俺にテラの恐怖を教えながら、そして覚悟させてくれる言い方だ。よくわからない言い回しだが、そういうの嫌いじゃない。
「……先日、キレたテラに襲われて団長補佐が医務室に駆け込まれたという噂を聞きました」
「え」
辺りが苦い空気に包まれる。
個人的には怒るべき立場であるが、さっきあったアララは別に何か怪我をしているようには見えなかった。さっきと言っても二時間近く前であるが。
もしかしてさっき俺の前に立ったのはそのことを相談したかったのだろうか。
……いや、どうかな、ありえんとは言わないが……どうかな。
とにかく大げさな内容なのは間違いないだろう。
「あと、テラはそちらの機関銃が好きらしく、雑に扱うと怒るようです……」
首だけを傾けて視界に映る機関銃を見る。地球産の重機関銃に似せたつくりの魔法銃だ。俺がデザインしたわけでも作ったわけでもない。昔ここきた地球出身のやつがつくったようだ。普通に弾薬使うくせに発射プロセスにオド式を使っているせいで物理火器を使っている意味がないという酷い武器だ。
だが、そんなところも嫌いじゃない。
銃身のラインと歩兵が三脚架を使って撃つ様が好きなので、これはそこまでは~ってな感じではある。
しかし俺以外に機関銃が好きなやつがいたとは驚きだ。
この世界の人物は基本的に魔法至上主義だからこういう兵器はあまり好まない。特に弾薬の持ち運びが不便すぎて好まれない。確かに魔法は便利だがこういうのと併用してこそ、だと思うのだがこの世界ではまだまだそういうことはないようだ。
ま、俺以外にそんなことを言っているやつ見たことないからいいんだけどね。
「放置が、ベストかな」
俺がぼそりと呟く。
「そうかも、しれん。我々と会う前に破壊したこれを見られるとまずい」
刺青禿頭も誰とはなしに呟いた。
俺達はゆっくりと狭い通路を一列に並んで歩き出した。
テラかアララを探しながら歩き回っていて思ったのだが、誰とも遇わない。不思議なこともあるもんだな、と独り言をいったら刺青禿頭が答えてくれた「訓練中だから部屋の中で待機しろ」という命令が下っているらしい。
初めて聞く訓練とお話です。
と思ったのだが、もしかしたらさっきのアララはそれを言いに来たのかもしれない。というか、だいたいのイベントと合同訓練はブッチしているのでいい加減そろそろ口頭で言われなくなってきているのかもしれない。
で、その中でテラとアララは二人の単独行動しているそうだ。
ふんわり嫌な感じがする。
しかしアララの勝手である。これは俺が悪い。アララのすべてを引き受けるつもりがあるのであれば俺の言い分もわかろうというものだがこんなクズみたいな思考と身勝手さが許されるわけがない。
テラを探し、食堂や甲板を見回すがまったくその影が見られない。
「おかしいな。テラは部屋に戻っていないそうなのだが。だいたいの場合は甲板で寝ていると聞いているし、いないな」
「俺は、ここに来る前は甲板にいたが誰もこなかったぞ」
戦闘を歩いているグラスを持っている男の呟きに俺が返答する。
さっきからグラスが見たいのだがそういう隙がない。
これを機に近づいてみるか。
「最後にテラが確認された場所はどこなんだ」
俺は前に出る。
「テラの部屋の前でアララが会ったそうだ。バイツからの情報だ。ちなみにアララはテラの部屋の前で釘付けにしているそうだ。バイツやった、というよりもアララが泣きながらテラの部屋の前から動かないらしい。だからアララに会わないようにするのは簡単だ」
「へえ」
不快だ。
他人がアララを泣かせたという事実は不快だ。
だが、自分が泣かせたよりはマシだ。
「あ、ところで少しグラスを見せてもらえないか。遠くからしか見ていないがなかなかいいものだな」
「お、わかるか」
男はグラスを俺に貸してくれる。
じっくり見るとより精巧な技術がわかる。
俺は明光魔法を使用しようと右手を掲げる。
「お、おい。テラが気づくかもしれないから止めろ!」
男が俺の手からグラスを奪う。
ああ、まだ何も見ていないのに。
「グラスの中に明光魔法を飾ると綺麗なんだ……」
ぼそりと呟くが男は「危険だ」と言って二度とグラスを貸してくれなかった。
俺はとぼとぼと後方へと戻る。
刺青禿頭が俺の肩をぽんぽんと叩いて慰めてくれた。
慰めてくれたことは嬉しいのだが、おっさんにやられたくない。相手に悪いので口には出さないが。
「さて、テラが見つけられない。どうする?」
「ひとつは見つかるまで探す。もうひとつはブリッジ班と合流する」
「合流はなしだな。クレイズのやつがテラの時間稼ぎは絶対だと言っていた」
そうだ、あのボンボンの名前はクレイズだ。クレイズ・ランドセプター。セプターとかいう珍しい名前だから関連付け記憶として放り込んでおいたのだが、記憶の管理方法がまったく機能していない。
いやあ、すげースッキリした。
「じゃあアララと合流したらいいんじゃないか?」
しれっと話に混ざる俺。
アララと会ってテラとの関係を聞きたい。
……いや、聞いてはいかんのか。
それが対人関係の基本か。親が子供との関係を崩すのもこのあたりからだ。やはりアララと合流するのはなしか。
「アララとの合流は許可できない。アララはこちら側じゃない。強いて言えばテラ側だ。そのためにずっと泳がせているんだ。あいつに何かするとテラが何をするかわからない」
「どんだけ危険なんだよ、テラ。そんな話は聞いたことないぞ」
俺の言葉に周りが軽くどよめく。
「お前、本気か。なんで集められたんだ?」
「俺は戦闘要員だ。戦闘にだけ頭を使って、戦闘だけを実行する」
「お前はテラか」
酷い。
今のは確実に暴言だ。
刺青禿頭に言い返そうと思ったがまだ何かテラの話を聞きたいのでやめておく。
「テラはあらゆるあらゆる魔法系統を修めた魔術師だ。オド、マナ、意思、発声、刻印、十三のすべての式で第五、十三、時空を含めた基礎魔法種の魔術をすべて使用できる。通常、攻撃における魔法の定義は魔術というがその魔術をすべて覚え、独自の理論でそれぞれ相性のよい攻撃を行なう。そして自身の弟子にそれぞれ新しい式を授けて自分と戦わせて新式を確立している最強の魔法使いだ」
「なっ!?」
そんな馬鹿な!
「そんなことをやっている魔術師がこの艦にいるのか!」
「声が大きい、押さえろ。もちろんそれだけじゃない。物理攻撃理論にも優れ、普通の魔術師なら体術だけで無力化されてしまうほどの戦闘狂だ。だがここ近年は完全に狂ったのか痴呆症となったのか、キレもしないし妄言ばかり口にしているらしい。なんだったかな、子供が食べたいといい続けているが別に子供がいても何もしないらしい。性的な意味なのか、それとも本当に食ってしまいたいのかわからないがあまりにも危険すぎて誰も近づかないと言っていた。あと普通に怖いらしいし」
「そんな変態がこの艦に乗っていたとは……」
「まあなかなか人前に出てこないらしいし部屋の中で日長一日呆けているそうだ。本当に危険だから出会ったらまずは話し合いから行なってくれ」
「お、おう」
テラ、想像以上に危険な人物だ。
そんなやつにくっつているアララの精神状態を心配する。いったい何を考えているんだ。
「しかし、俺以外に魔法式と術理から対策するカウンター術を考えているやつがいたとは驚きだ」
魔術の相性型カウンター術、「対術」は俺がここに着た当初から考えていた技術だ。火に水をかけたら消えてしまうように、同エネルギー同士の相性を考えた相殺。または式システム逆算型の攻撃方法だ。相手が時間のかかる魔術なら即座に早い魔術を、発声式なら声を感知し、届く前に刻印式で防御を行なうなどといった簡単な発想でできている。
それをなんとか使えるくらいまで発展させたのだ。
やってから気づいたのだがそもそも属性対抗魔術って意外に多い。全部が全部にあるってわけじゃないがそこまで必要って程でもないようだった。俺が作ったのも確かに使えるが、普通に考えればあるものを使ってその精度を上げていたほうが時間も効率的だっただろう。
「なに、お前もテラと同じことができるのか?」
「テラがどんなことをできるのか知らないが俺は下位互換だな。さすがに式はともかく全属性の魔法を使用できるほどの腕前はない。十三式の五属性儀式魔術の構成にしくじったままだ。さすがに地球の専門書が必要だ」
「自信があるのはどれだ?」
「四大と第五、十三式の五属性即時魔術は自信がある。他の即時系はあまり早くなければなんとかなる」
「いや、さすがだ。戦闘要員の意味がわかった。馬鹿にしてすまなかった」
「こちらこそすまん。なんか遊び半分だったよ」
刺青禿頭とがっちりと握手をする。
今、わかったのだがこの刺青禿頭はどうやらギルドのお偉いさんのようだ。よくみたらギルドの高級印章が二重外套に貼り付けられている。どうりで二重外套を着ているわけだ。ギルド製だからな、これ。ということは二重外套の連中はみんなギルド員なのかもしれないな。
マジで何しにきたんだろう、こいつら。
うちにはギルド員はバイツとクレイズくらいだ。めっちゃ隠していたが元奴隷に教えてもらった。前に本人達に聞いたら「違うよ」って言っていたので隠しておきたいのだろうと理解したので追求はしなかった。元奴隷の勘違いの可能性もあるしな。
しかし何かあったのかな。それともうちのクランもとうとうギルドに加入する日が来たのだろうか。ギルドは仕事の割り振りが強制で行なわれることがあるのでできれば嫌なんだが。まあ、それも仕方ない。そんな日も来るだろうと思ってはいた。人生、ままならない道に進むことだってあるんだからな。そう――
――俺みたいに。
「じゃあアララと合流しに行こうぜ」
「お前は何を聞いていた。テラに余計な負荷をかけないためにアララは避けろといっているんだ」
刺青禿頭がこの脳筋め、と言いたそうな顔をしている。
いや、ここに俺がいたことを光栄に思うとよい。
「心配するな。俺とアララはマブダチよ。昨日、ちょっと怒っちゃって不機嫌かもしれないけどなんとかなるだろうよ。アララと合流してからいっしょに酒を飲むみたいな行動をやればいいんじゃないかな。あ、俺は酒が飲めないからそのあたりは誰かよろしくな」
正確には他人と酒を飲みたくないのであるがどうでもいいことだろう。
「なに……なるほど、お前が選らばれた理由がわかった。それでいこうじゃないか」
刺青禿頭がにやりと笑う。
他のやつが止めようとしているが結局最後には折れて刺青禿頭の意見に従うことになった。
俺達十人くらいの一行はアララの元へと向かった。
テラの部屋の前にいるらしいので他の知っているやつが案内してくれるらしい。
「そういえばテラってどんなやつなんだ?」
「さっきも言ったではないか。最強の魔術師だ」
「ああ、そうじゃなくて、こう、ガイドラスとかオッパイとか、外見的なものだ」
刺青禿頭に話しかけるが、どうやら刺青禿頭も姿は知らないらしい。
しかたないので順次別のやつに聞いていったが、なんと誰も知らないそうだ。
お前らもう少し探す相手のことを調べておけよ。お笑い番組のコーナー企画じゃないんだぞ。
「おい、お前。なんでお前はテラの部屋を知っているのに顔を知らないんだよ」
道案内してくれる男に強く言ってみる。
「あ、それは新兵達の間では有名だからです。ここは通るなって」
あっけらかんとしているがそれはどうよ、とか思う。
いっしょの艦に乗っているなら姿くらい覚えておけよ。
え、俺?
俺はいいんだよ。そもそもテラなんて今日初めて知ったし。
俺のコミュ障は今に始まったことじゃないからな。問題ないのさ。
「しかし、誰も知らないのかよ。じゃあ何か外見で知っていることはないのか。というかここにいるメンツの誰も知らないならテラを足止めするのは無理じゃないのか?」
「クレイズさんいわく「見たらわかる」そうです。あ、物凄い長外套を着ているそうです。それ一着で小国が買えちゃいそうな、とにかく豪勢な服を着ているそうですよ。一応、僕も見たことありますが、目を合わせたら殺されそうだったのでまともに見てません。豪華だったがします」
「なんとテキトーな話であることか。俺を見てみろよ、俺だってかなり高い服を着てるぞ。俺はテラか?」
「え、あ、そういわれると困りますね。なんだかあなたがテラに見えてきました……なんかどこかで見たような人ですね……あなた」
「どこかですれ違ったんじゃないのか。俺もお前のこと知らないし、そんなものだろ」
さすがにすれ違っただけでは俺も覚えない。顔は前を向けているが人の顔に焦点なんか合わせないからな。みんな俺を見ているようなのに俺がそっち向いたら目を逸らされるからそのうち視線を合わせるのをやめた。アララはしっかりと顔を向けて視線を合わせてくるので、怖いけど負けないようにしている。
狭い通路を歩いていると馴染み深い通路に入った。
俺も自分の部屋に向かうときはこのラインから入るのだ。俺の部屋は船体の真ん中、その最下部にある。普通の船室は共同で真ん中より前部よりにまとめて存在している。俺やバイツ、アララをはじめとしたクランの上位者は個室を使っているが、この通路を使うのは俺しかいない。俺が若干ハブられているということもあるが、いざとなれば壁を突き破って速攻で外に出られるように「壊れても飛行に問題のない装甲の隙間」に部屋をつくっている。そのためこのあたりには誰も住んでいない。一応、部屋自体はいくつかあるのだがお隣さんと会話したことはないので俺の予備の部屋なのか、それとも誰か住んでいるのかすらわからない。
俺はそんな困ったレベルのおじさんなのだ。
ということを再認識する。
「まあまあ、少ない残留組なんだ。これから仲良くしたらいいじゃないか」
「あ、いいね。俺は友達が少ないからそれはいいと思う。バイツとアララくらいしか知り合いがいないし」
「友達少ないって言っているのに、その二人は知り合いなのか……お前の友達の少ない理由がその言葉にしっかり詰まっていて驚くぞ」
「あまり褒めるなよ」
「褒めとらんわ」
すごい理想的な会話の流れに心に暖かいものが滲む。
そうそう、こういうのが理想なんだよ。
「そういえば新兵って言ってたな。あいつ知らないか、なんかシルバーソード持ってる気合の入ったやつ。なんかいろいろ噛み付いてそうでハラハラするんだが。あの赤いロンゲのタレ目」
昨日、食堂で俺に話しかけてきた男の話を振ってみる。
案の定、新兵は知っていた。
「ああ、ロードグリーンですね。アズ・ロードグリーン。鳴り物入りでギルドに入ってきた問題児らしいです。腕は立つんですけど、喧嘩っ早くてどこでも問題ばかり起こしているそうです。実際、僕も殴られたし」
あいつすげーな。マジ感動するわ。どこでも喧嘩売ってるのかよ。
「しかもあいつなんかテラに喧嘩売ったらしいです。僕はちょっと見てないんですけど。昨日その話でもちきりでした。で、アララさんがそのあおりを受けて、テラに殺されかけたんじゃないかって」
知り合いを傷つけられることの不快感が身を蝕むが一応は生きてるし、二人の問題なのであまり手出しはしたくない。バイツを使ってそれとなく仲裁でも入れておこう。団長、めっちゃ忙しいだろうけど俺の言うことは聞いてくれる、そんな甘い考えで今日も生きる。
「今日見たけどアララ、別に怪我してるようには思わなかったけどな。あとアズの野郎は生きてるのかよ。そんな危険人物にケンカ売って今日も二足歩行とはいかんだろ」
「ロードグリーンから手を出さなかったようで問題なかったそうです。だからテラはまだ休眠期じゃないかって言われていたんですけど、キレたって、ことで」
しょんぼりとする新兵。
なんらかの作戦を行なうのにいちいちテラの機嫌を伺わないといけないとか困るどころの話じゃないだろう。少しは俺を見習っておとなしくしてればいいのに。まあボケてるならしかたないか。痴呆症と付き合うのは辛いからな。仕事やってたからわかるけど。
「あ、そろそろテラの部屋です。どこかはわからないですけど」
「こんガキャ、なんで知らないのに案内するんだよ」
「あ、いえ、詳しくは知らないだけです。この通路の右側の部屋のどれかがそうらしいです。で、アララさんがいるのであればすぐにわかります。っていうか、アララさん探すんだったらこの通路に入るだけで、ほら」
曲がり角を右に入ると長い通路に出る。
俺の部屋がある通路だ。どうやら俺の隣かどこかにその件のテラが住んでいるらしい。終わってる。気づかなかった。どんだけ隠蔽が上手いんだよ。
直線の通路の向かって一番最初に目に付いたのはただひとつ、アララだ。
アララが俺の部屋の前で膝を抱えて座っている。
だが俺達に気がついたのか急に立ち上がると構えた。
「あなたたち、誰ですか?」
目頭を擦って涙を拭っている。
「ああ、ちょっといいかな。私は高級技術管理組合のダオウ・アルゼフだ。“輝ける十三徒弟”のひとりで、空中戦闘技術の管理実行を行なっている」
刺青禿頭が前に出る。
“輝ける十三徒弟”がどれほどのものかわからんが、どうやらこの刺青禿頭はかなり偉い人らしい。やっべえ、マジタメ口でお話しちゃったけどあとで怒られないだろうか。俺はいいんだが、バイツとか、あとは……バイツとか。
「なんでギルドが……まさかっ!?」
アララは驚いた表情になって、悔しそうに奥歯を噛んだ。
何か知っていることがあるらしい。
ぐ、相手は何か知っているのに俺は知らない。こんな悔しいことがあるだろうか。
「話が早い。その通りだ。発起人はバイツ、そしてクレイズだ。すでに作戦は実行されている。おとなしくしてもらいたい。これは本心なのだが、君に傷をつけるつもりは一切ない。我々といえどテラが怖いからね。できれば事が終わるまで君とテラを交えて酒のひとつでも酌み交わしたいのだが、どうかね?」
「残念ね。テラはお酒好きじゃないのよ。グラスひとつに魔法を浮かべて眺めているのが好きだから、むしろ大人数じゃ逆効果じゃないかしら?」
おおふ、心のどこかでテラという人間がいないことを期待していたが、どうやら実在する人物らしい。あとはアララが幻術で騙されている可能性が無きにしも非ずだがそんな馬鹿な可能性まで考えるくらいなら祝福してあげるのが正しい道だろう。なんかドメスティックバイオレンス気味だがそのあたりは相談されたらなんとかする。殴り返さないのはアララも何か思うところがあるはずだ。まあ、殴り返しているから釣り合いが取れている感もある。話で出てこないだけで。
「繰り返すが勘違いしないでほしい。私達はテラと話し合いに来たのだ。もちろん贈り物も準備している。おい」
刺青禿頭がグラスを持っている男に指示を出す。男は身構えているアララの前までゆっくりと歩くと、懐からあのグラスを取り出す。
「友好の印としてです。お受け取りください」
グラスはアララに手渡された。
ぐ、かなりほしい。
「……まあ、いいんじゃない。喜ぶんじゃないかしら。ただあなたたちの目的を聞いてまでほしがるとも思えないし、これを無理やり奪うこともできるからテラがあなた達の願いを聞くとも思えないわ」
「もちろんだ。あくまでもこれは贈り物だ。少なくとも、今この場で我々が君を攻撃しようと思っていないことはわかってもらえたかな。事前に贈り物を準備して、テラがいないこの場でも君になんら危害を加えるつもりはない」
「どうだか。その人数はテラと戦うための準備でしょう。だったらこれもただの目くらましじゃないの?」
「落ち着いてほしいのだが。さすがに我々もあのテラと無策で会いに行くことはできない。君だって虎の檻の中に入るときはなんらかの準備をするだろう」
「……私は、何も持たない」
アララが俯いた。
悲しそうに、自分の何かを悔いるように唇を噛んでいる。
テラとアララの関係についてはあまり考えないことにした。
「君はそれでもいいかもしれないが、他者にそれを強いるのは酷というものだ。我々も自分の命は自分だけものじゃない。我々にも家族が、そして仕事がある。誠意のためにそれをすべて捨て去ることはできないのだ。特に今回のように戦闘に発展する可能性がある場合は」
「じゃあ――」
「だが、先にも言ったが勝ち目の少ない戦闘をするつもりはない。我々が戦えばテラといえど勝てるだろう。特に今のように平和ボケしているテラなら運良く初手が決まれば確実にやれる。まともに戦っても倒せる。ただ、こちらの被害が大きいだけだ。無駄な被害を出さないために我々は話し合いを行ないたい。君だってテラが死ぬのは嫌だろう」
刺青禿頭の言葉は強い。
しかしギリギリだろう。アララが「じゃあいいや、別にテラいらない」とか言ってしまったらここにいる魔術師のいくらかは死ぬ。そんな口ぶりだ。
どう見ても背中が「テラが死ぬのは嫌だと言え、そして話し合え」と語っている。他の連中も同じようなものだ。最後尾の俺から見るとそれがよくわかる。みんな何かあったときのために即座に行動できるようにやや前傾姿勢だ。へっぴり腰だと言い換えてもいい。
「……わかった。私もテラが死ぬのは嫌。あなた達の言うことを聞いてもいい」
ぐ、今の言葉は「テラが好き」と言う意味か。
「理解してもらえてこちらも助かる」
安堵の息を漏らす刺青禿頭と周りの連中。俺も戦ってみたいとは思うが、それだけ強いのであればできれば止めておきたい。痛いのは嫌いだしそもそも強いやつと戦う感性は持ち合わせていない。
「ところでテラはどこにいるのだ。こちらでも探してみたのだがどこにもいないが」
「……さあ、わからない。最近は甲板で空ばかり見ている。じゃなければ部屋にこもってる。今は、三時間くらい前に出て行ったきり帰ってこない」
「甲板は私達も見たのだがいなかったぞ。おい、見落としはあるか?」
俺は「絶対にそれはない」とばかりに首を振る。
甲板では俺の指揮で捜索を行った。少なくともあの時間にあそこには誰もいなかった。
甲板を隅々まで知り尽くして、なおかつほとんど人のこない場所まで確認した俺が言うのだ。間違いない。埃の積もり具合や汚れの残り方から徹底的に来ない時間を割り出し、そして念のために七百二十時間耐久で探知魔法で甲板監視を決行して、それから再度割り出した「誰もこない場所」を知っている俺が言うのだ。だからこそ日頃からゴロゴロとしていられる。あそこに人が隠れられる場所はない。
「ではそうだな、我々もここで待たせてもらってもいいかな」
「……かまわない」
利害の一致でアララの懐柔に成功する。
あとは俺がそれとなくテラの話を聞けばいいだけだ。
この状況で「それとなく」なんて無理だろうが、まあざっくりでも聞ければいい。
俺は最後尾から前へ行こうと思ったが進めない。辛うじて俺の背丈でもアララの姿がちょっとだけ見えるが、みんな体を広げて前に立っているのでまったく進めない。
通してもらおうと一番手前のやつの肩を叩こうとしたとき、問題が起きた。
「……違う。テラはこんなことしない」
震えるような、それでいて何か決意したような重い声がアララから聞こえてきた。
何かを思いつめたのか、一本芯が通ったような声だ。
普段なら喜ぶべき意識の、自己の改革を思わせる強さを持っていた。
しかしこの状況ではあまりに嫌な雰囲気を漂わせた。
「……テラは、戦う。テラだから」
「なにッ!」
刺青禿頭が声をあげる。
あたりに魔力が充填された。意思式で制御し、オドを使用する魔術だ。主に儀式や状況が固定された場合で使えと俺が教えた攻撃方法だ。こんな狭い通路のように狙いをつける必要がない場合は意思式でも十分に制御可能だ。それから意志強度で威力が変わらないようにオドを使って確実に威力を底上げしている。
しかも魔力構成を感じる限り確実に火炎魔術だ。余波がでかい。大きな被害が出る。バックファイアでアララもダメージを受けそうな雰囲気だが、それは意思式とオド式のあまった制御枠で防御を行なうので問題ない。アララの一人勝ちだ。
「馬鹿な! 我々は戦うつもりはないのだぞ!」
「テラがここにいたらあなた達と戦う。だから、私も戦う」
止めて!
男に影響受けるの止めて!
きっとテラさんはそんなこと望んでないわ!
しかも死ぬ前提で魔術師にケンカ売るの止めて!
さすがにこれは見過ごせない。
アララに教えたその魔術式は最初に発動を構成してからオドの充填を行なうので刺青禿頭や他の誰かが動けば即座に発射されるタイプだ。だから動きづらいのだろうが、そのままだったらより威力の高い魔術がぶっ放される。相手の腰が引けている状態で使用すると強い。
俺は手近な壁を蹴って高く飛び上がると、天地逆になりさらに天井を蹴って刺青禿頭とアララの間に割り込んだ。俺ならこれを無効化できる。
意思式の弱点である脳や意識のズレを引き起こす幻術を使用する。直接アララにかけるのではなくその場の空間を歪ませる。動いていないのに動いているような静止画、斜めに見える梯子上の絵柄のような錯覚を見せる幻術だ。アララの距離感を狂わせる。もちろんそのまま魔術を放っても何の問題もないが、それができるようであれば錯覚などかからない。
俺の幻術でアララが驚いた瞬間に火炎魔術の具現化している部分に水魔法の構成式を放ち、魔術の構成を潰した。幻術で集中力を乱さないとあまり効果がないできそこないの解体魔術であるが状況によっては使えないことはない。
「アララ、落ち着け。自殺行為は誰も喜ばん!」
言ってから気づいたのだが今のはイケメン用のセリフなんではなかろうか。
どんなセリフが俺っぽいだろうか。
俺は着地してからでっぷりとした腹肉を自分で掴む。上等なスーツ一式が俺の腹肉を防御しているがシャツの上からなら問題なく掴める。むに、とかいうかわいらしい音ではなく、ぐにぃと中年男性特有の脂ぼったい感触が俺の手のひらに広がる。
見るとみんななんとなく俺を見ている。自分の腹肉を掴んでいる俺を見ている。
あれ、これはどんな羞恥プレイなの?
…………
「うにょーん、うにょうにょーん」
俺はドヤ顔だ。
なんとなく浮かんできたセリフを口にする。特に大きな意味はない。そして小さな意味もない。
これでさっきのかっこいいセリフを中和してくれるだろう。
刺青禿頭も「お、おう」みたいな顔でこちらを見ている。
「アララ、勝ち目のない戦いはいかんだろう」
俺の言葉にアララは嬉しそうな表情をしている。しかしどこか後ろめたいのか少し翳りもあった。あれか、テラのことだろうか。いや、テラのことで俺に負い目ができるわけがない。
とりあえず話を進めよう。そして今の考えを忘れる。
「私を、助けに来てくれた、の?」
「いや、そういうことでもない」
俺は両手で自分の前にある箱を隣に移すジェスチャーを行なう。「それはおいといて」だ。個人的に聞きたいことがあるのでそれを済ませてからがいい。ついでに話題を変えれば物騒な思考も飛ぶだろう。
だが俺の言葉を聞いたとたんにまた強く怯えだす。胸倉を掴んでキレたからな。さすがにまだ俺が怖いかな。いや、それはそれでいいんだ。俺がやったことは俺がその報いを受ければいい。それはそれ、これはこれだ。
「じゃあ、ギルドの仲間なの? もしかして――」
「俺はお前の味方だ。そしてアララ、聞きたいことがある」
アララに近づいて、俺への意識を強くする。後ろの刺青禿頭を見てまた躍起になっても困るからだ。
そして意を決して訊いた。
「テラが好きか?」
訊くべきはこれだ。
もし、好きであるなら、俺もアララの味方をするべきだろう。というか、もともとアララの味方ではあるが、そこにテラなる変態を加えるのだ。だができるだけ穏便に済ませたい。アララとギルドの間に何があるのかわからないが、それくらいはするべきだろう。どのみちギルドにはあまり良い印象を持たれていないので俺としてはどちらでも構わないのだ。
一方的にアララがギルドに叩かれるのであれば少しくらい守ってやるべきだろう。
「……あ、えと」
俺の言葉に顔を真っ赤にしている。
先ほどまで死ぬ気で魔術を紡いでいた人物とは思えないほどその表情はわかりやすかった。
アララがテラを好き。どう変に見たところでそれがわかってしまう。
悔しい。
その感情で心がいっぱいだ。苦しい。
俺のガキの部分が暴れる。感情は抑えることができるが、それでも苦しいものは苦しい。
アララが子供頃からずっといっしょにいたから兄妹のような、それでいてアララを自分の所有物と勘違いしている部分が、そして自分の娘のように思っている感情がめちゃくちゃに混ざろうとして、混ざらない。辛い感覚だ。
今まで後回しにしてきた感情のツケが一気に押し寄せてくる。
なんでわざわざこんなに大勢の前でこんな気持ちにならなくてはいけないのか。いや、それでよかったのかもしれない。もしもひとりだったら何か物に当たり散らしていたかもしれない。
だが俺の理性の部分はそれを納得している。
なんとか飲み込め、俺。
このままだと誰の目にもよくない。
俺が退く、ではない。そもそもアララは俺の前にいたわけじゃない。俺のものだったわけじゃない。
全能感が勘違いした俺のクズな部分だ。
そのクズの部分を今、この場でなんとかするべきなのだ。
飲み込むにせよ、引きこもるにせよ、破壊するにせよ、昇華するにせよ、俺はそれを理性の元で正しく理解しなくてはならない。
いや、理解はしている。
だから、さっさと飲み込んで「おめでとう」の一言を告げろ、俺。
俺の表情筋はこの程度では動かない、はずだ。
きっと大丈夫だ。だから相手に怖い顔を見せてはいけない。
笑顔で。
「好き、です」
「お、おめでとう……ございます」
やや言葉が引き攣ったがベストなタイミングで賛辞を告げられただろう。
誰か俺を褒めてほしい。
フランデ、俺を、褒めてくれ。
嘘ぴょーん、もう、フランデには、迷惑を、かけない。
俺が、受け止める、べきだ。
何も手に入れていないのに、何かを失った気がする。
何も努力していないのに、何かを持っている気がする。
誰も傷つけていないのに、傷ついていく気がする。
俺は、何様、なんだよ。
奥歯を噛み締めて必死に耐える。
そのとき、後ろから俺の肩に手を置かれた。
刺青禿頭だ。
男くさい、それでいて穏やかな笑顔で優しく頷いている。「わかるぞ」みたいな顔だ。もしかしたら俺が表情を隠せていたと錯覚していただけでもしかしたら泣いていたのかもしれない。だが目元に手をやることはできない。涙を拭う、その状況と心情を相手に察知されたくないからだ。
「私も娘を嫁にやったときそんな感じだったよ」
「俺の心情、察しないでもらえますかね。悔しいんで」
「気にすることはない。私以外は気づいておらんよ」
「あんたに気づかれた時点で俺の中ではいろいろ崩壊しているんですけど。あと俺はアララとテラの味方になるんで、状況によってはむさ苦しいおっさんの手伝いはしませんよ」
「それでかまわない。先にも言ったがテラと敵対するつもりはないのだから。しかしお前、アララを知っていながらテラを知らないとは妙なやつだな」
「年頃の娘と四六時中いっしょにいるとか、どんな変態だよ。そんなこと言ったらあんただって紹介されるまで娘の恋人の存在知らなかっただろう。わざわざ言う必要なんてないんだって」
喉元まで出掛かっている何かを不思議に思っているような、そんな刺青禿頭だったが俺の言葉によって一気に霧散してしまったようだ。
「言われてみればそうだな」
バンバンと俺の背中を叩くと刺青禿頭は俺の一歩前に出る。
他の連中もこんな狭い通路での戦闘はやりたくなかったのか、ほっとしている。一応、アララはこの艦の中でも強いほうだからな。戦うのはあまりよくない。
その中でひとり、ぼそぼそと独り言を呟いている男がいた。
「あれ? アララさんとマブダチで、魔術師としてレベルが高くて、ゴロゴロしていて、甲板の状況に詳しくて、グラスが好きで、人間関係に疎くて…………」
新兵だ。
なぜか新兵が俺の分析を始めたようだ。
あまり自分のことを他のやつに知られたくないのだが、新兵なので許す。いつもなら「じゃかーしー!」と言ってぶん殴って忘れさせるところであるが今はそれどころじゃない。
「では、テラといっしょに酒でも酌み交わそうじゃないか」
「え、あ、それはテラ次第、じゃないかな?」
「あ、俺は遠慮でよろしく。みんなでやってくれ」
刺青禿頭の言葉に頬を染めたままのアララが返事をして、それを聞いた俺は事前に言っていたことを口にする。
「あ、じゃあ飲み会はやらない?」
「え、なんで? 俺抜きでやればいいんじゃないのか。俺はまた甲板あたりで時間潰しているよ」
「え」
「え?」
アララが妙な言葉を発する。
それに釣られて俺も。
「え、テラとお酒飲むんじゃないの?」
「いや、だから俺抜きで頼むな」
「え」
「え?」
アララがやっぱり妙な声をあげる。
「まあ酒が飲めないのであれば仕方ないな。甲板に行く前にテラを探そう。アララがいるのであれば攻撃されることはないだろう」
「え」
「ん?」
刺青禿頭の言葉に、やはりアララが声をあげる。
「え、と。あれ、私、なんか間違えちゃった?」
「何が?」
「何をだ?」
アララの脂汗のようなものを流しながら困った笑顔を向けてくる。
俺と刺青禿頭はその意味のわからない質問に詳細を要求してみるが、やはり要領を得ない。
アララはしばらく悩んだあとで俺の前にくる。
「ねえ、私はテラのことを好きでもいいんだよね?」
「ああ、構わない」
何かも吹っ切ったというにはあまりに杜撰だが別に問題があるわけがない。それが問題であるというのであれば、アララはどのくらい俺を肉親として慕っていたというのであるのか。
「だからテラを探して捕まえようという話だ」
「テラを捕まえればいいの?」
「ここに来たときからそういう話だっただろう」
「え、ここにきたときは、だって私を助けに、あ…………ああ! ここに来たときから!?」
俺の言葉にアララがまるで「天啓を受けた」みたいな顔になった。
この何か致命的に歯車が噛み合っていない感じを把握できたのだろうか。
この娘、けっこう頭良いからな。
それだけにテラとかいう頭のおかしいやつに関わっているのが不思議だ。
「おい、アララは何を言っているんだ? お前も近しいならわからんか?」
「さあ、女心と秋の空って言いますからね。冷たく移ろいやすく、俺には予測できない」
歯車が噛んでいない感覚なのは刺青禿頭もいっしょらしい。
何がどうなんだか。
「あの、ここにいる誰もテラの行方を知らないの? もう一度よく話し合ってみて」
「だってさ」
俺は考えることを放棄して刺青禿頭に「どうぞ」とばかりに手を差し出す。
「そう言われてもな。お前達、誰か見てないのか」
後ろにいる全員が首を振る。
新兵が何がぶつぶつ言っているが怖いので放っておくことにしておく。刺青禿頭もあまり数に入れていないようだ。
「ところで、今までどこにいたの?」
「おお、急に俺に話題を振ってくるのかよ。俺はあれだ。甲板にいたよ。それからこいつらに合流してここまでやってきた」
「じゃあ私が膝を抱えているところからずっと見てたの?」
「そうだけど」
「……ねえ、自己紹介した?」
アララが俺を睨みつける。強く、強く。
俺は速攻で振り返ると大きい声でこう言った。
「こんにちは! シラドです! 魔術師をやってます! 得意技はビームウィップとマイクロミサイル、クラスターボムです。学生時代はチーマーとかヤクザを叩いて警察のご厄介になっていましたが、今ではすっかりニート! こんな僕でも人を殴ったり蹴ったりすることは得意なのでどうぞよろしくお願いします!」
「お、おう。私はダオウ・アルゼフだ。よろしく」
刺青禿頭が俺の急な自己紹介を受けてやや引き気味だ。
そしてアララに向き直る。
「もちろん自己紹介は済ませた」
自信たっぷりに言い放つ。
生きてる年数が半分以下の子供の言葉を受けてようやく自己紹介する。この自分の不甲斐なさになんとも言えない苦い汁が俺の口いっぱいに広がる。
だがアララはご不満らしい。
「シラド、だけ?」
もう一度、向き直る。
「こんにちは! 志良堂天蘭です! うちの地元じゃ音読みの名前が普通なので特にキラキラネームってわけでもないです! キラキラネームの意味がわからないなら追求は止めてください。かっこいい名前というだけです! よろしく!!」
キラキラネームの暴露である。
いや、おそらくは戦国時代とかこんな名前もいただろうとおもうのではあるが、だからといって例えばいまどき「武者小路次郎三郎綱吉」みたいな名前でもアレではあるので、なんというか、いいじゃないか、別に。
俺、もう五十年生きているんだぜ。しかもこんなよくわからない世界にいるんだから名前も適当でいいじゃないか。
「お、おう、よい名前だな」
刺青禿頭が俺の意を察してくれたのか、それだけ言う。そして黙る。
よく考えたらこちらだと名前の意味なんかわからないから妙なことをしゃべる必要なんかなかったと思う。自爆してしまったか。
「自己紹介は終わった」
心に少しだけ傷をつけたことは、即座に忘れることにする。無理だと思うけど。
とか思っていたら刺青禿頭の表情が変わった。
「待てよ、シラドウのテンラン……!?」
いきなり人様の名前を呼ぶの止めてください。しかもフルネームで。
「いや、人様の名前で何か悟っもらってもこまる――」
「ねえ、シラド、さっきの話は本当?」
いきなりアララが俺の腕を掴もうとしたので避ける。
ほら、人様に触るとセクハラみたいになることがあるだろう。あと不用意に触っても嫌がられる。だからその不快感を払拭するために相手が俺に接触する可能性があるならそれを事前に防いでいるだけだ。
だからこれは別にイジメというわけではない。
「あの、さっきの、テラを好きでいいのか、ってやつ」
ぶんぶんと手を振り回して俺を掴もうと躍起だ。
「はあ、まあいいんじゃないかな。あまり繰り返し聞いてほしくないけど」
「つまり、それって私が誰と付き合っても祝福してくれるってことになるよね、逆説的に」
俺の手を掴もうと攻撃をしてくるアララを避ける。アララはあまり素手術が得意ではないのでこんな狭い場所でも問題なく避けられる。
「何が逆説的なのかわからないが、好きなら仕方ないだろう。ただ一方的に愛を強要するなよ。相手のことを敬って、そして自分も相手も幸せになるように努めろ。それを二人で行なっても別れてしまうこともある。それを踏まえて、幸せになれるようにがんばれ――うお、っぶね!?」
昨日、俺に仕掛けてきた超短縮型の魔術パンチだか魔術スナッチを仕掛けてくる。
さすがにこれは避けづらいが、初手さえしのげはあとは問題ない。使ってくることを意識していればいいだけだからだ。
「絶対よね、それ。絶対よね!?」
「今、攻撃を止めれば絶対とする!」
ピタリとアララの攻撃が止んだ。
どんだけ好きなんだ、テラのことを。
ジリジリと焦げるような嫉妬が心の底を痛めつける。恋愛経験の少なさがモロに出ているが、いずれ風化していくだろう。さすがに俺といえど他人様の女を取るほど気合が入っているわけじゃない。
「ふう、なんなんだか。じゃあテラを探しに行こう。もう一回は甲板に出よう。アララを連れて行けばなんとかなるんじゃないのか。たぶん」
疲れてきた。
部屋の前だし本当ならさっさと横になりたいが仕事があるならさっさと行なうべきだ。それから休んでも遅くはない。
「……アララ、もしかして、そうなのか?」
刺青禿頭が後退りしながらアララに話しかけてくる。
その顔は恐怖を耐えている表情だ。今すぐ逃げ出し心を落ち着けて状況把握に努めているのだろうか。
「残念だったわね。形勢逆転よ」
いつもよりも笑顔になっているアララが刺青禿頭のおっさんを威圧している。マジかよ。よくないんじゃないのか。後でギルドから怒られるんじゃないのか。
「テラッ!!」
刺青禿頭が大声でテラの名前を呼んだ。
俺を睨みつけるように。
俺は刺青禿頭の視線の先、俺を越えた通路の奥に視線を向けた。
誰もいない。
俺はまた刺青禿頭に視線を向ける。
俺を睨んだままだ。
はは、ご冗談を。
俺はアララを見る。
むふー、と自身満面で俺を見ていた。
まったく考えていなかったことを、今ようやく考えた。
アララがべったりとしており、部屋に引きこもり、たまに出たかと思えば甲板でゴロゴロ、グラスとか絵とか皿とか好き、アズ・ロードグリーンとケンカ、こないだアララにキレた、意味不明な言動が目立つ、すげー強い……
まさか、俺がテラなのか?
そしてその答え合わせをするようにアララに尋ねた。
「テラって、誰?」
アララは俺を指差した。
ちょっとアララの指先から体を避ける。
アララはそれに合わせてゆっくりとまた俺に指先を動かす。
俺がテラで間違いないらしい。
「え、なんで、テラ?」
「シラド、まったく自己紹介しないから『修羅道のテラ』って名前になってるよ。実際、修羅道に足を突っ込んでるんじゃないかと思うほど戦闘のことしか話しないし、でなければ自分のことペドフィリアって言って人様遠ざけて、自分で子供奴隷買ってきても戦闘訓練だけやってさっさと自立させちゃう。さらに女のひとりすら抱こうとしないじゃん。この艦にも契約娼婦が乗り込んでるの知ってる? 十五人もいるのにひとりたりとも抱いたことないでしょう。なのにガラスのコップや絵画、食器は好んで買ってくるし、まともな人間として見られてないよ。ほとんど狂人として扱われてる。私やバイツは昔から知ってるしよく話しているから理解できる。普通よりちょっと感性が違う芸術寄りのけっこうおかしくて女の肌を触るよりも戦闘だけしか興味がない、なのにその戦闘も楽しくなさそうにただ坦々と平坦な感情で行なっていくなんて通常の魔術師としてはまったく考えられない精神してるよ」
「お、おう」
名前の由来を聞いただけなのに思い切りディスられた。
この世界ではストイックという概念がないのかもしれない。
「だからといって男色というわけじゃないし、私のおっぱいやお尻も見てくれるけど性的なものというか、こう、樹木に実った果実の輪郭がとても綺麗だから喜んでるような印象を受ける。年齢に対する平均を基準とした発育差とその実利とかいうよくわからない褒め方してくる。女性特有の丸みを帯びた線、その張りが崩れない最大体重と日常と戦闘の二種における実用範囲、またそれを支えるのに必要な骨格の奇跡のバランスとかよくわかんないよ! 鎖骨から肩、肋骨の交差線ってなに!? わかんない! 二年前におっぱいが大きくなってきたときに「触りたい」って言われたときすごく嬉しかった! けど結局「魔法でクーパー靱帯の強度を上げたキリッ」とかわけわかんないこと言って満足気に帰っていくし! 私がどれだけ覚悟を決めたかわかんないよね!」
「お、落ち着けよ。ほら、俺の部屋にお前の好きなココアが――」
「あのときいろんな人に相談して服から下着から細かく決めて興奮剤入れたココア持っていって、結果があれって普通ないよ! それからずっとあの興奮剤を混ぜたココア置いて二人きりになったら絶対飲んでもらってるのにまったく襲わないし。私? 私は解毒してるから問題ないよ。あんな量入れた興奮剤を飲んだら危険だし! なんとかお酒飲ませてもすぐ寝ちゃう! その隙に服を脱がそうとしても重いから服脱げないし! なんなの!」
あのココアはあとで捨てておこう。
あれを飲むと動悸が激しくなるわけだ。てっきりこっちのカカオが地球よりも強力で強い強心作用があると思っていたのだが、どうやら違うようだ。また血の巡りがよくなるから血液を循環を利用して刻印式の魔法陣として使えないかと、その発想の一端になったことが嬉しくて、そのあたりはまったく考えたことがなかった。
「大丈夫だから――」
「けど、もう私と付き合ってくれるんだよね?」
俺への怨嗟を吐露しているときは搾り出すような地獄の亡者を思わせる形相だったが、今は天使のような笑みを浮かべている。この切り返しの早さが、ただただ怖い。
だが、俺も大人として引き下がるわけにはいかない。
「え、嫌だけど」
一瞬、ぞわりとするほど人が殺せる魔力が密集するが、ゆっくりと霧散していく。
原因であるアララが顔に青筋を引いて怒っているが、何かを思い出したのかすぐさま取って返したのだ。
「ふ、ふふふ。私もシラドみたいに心を広く持たないといけないよね。だって約束自体は取り付けたんだから、私のほうが正しいんだから」
「いや、そりゃ詐欺に当たるだろう。状況を良く理解していないやつを相手に約束を結ぶことは取引上の観点から見て公平とは言いがたい。そのためさっきの約束は無効だ。あと、俺は短気だ」
「それでも約束を守ることは子供、大人問わず人間として必要なことだよね。私、シラドから教わったよ。それに短気って自分じゃよく言ってるけど、シラドが怒ってるの昨日以外見たことない。絵を破いてごめんなさい」
「ああ、ごめんな。いきなり怒っちゃって。ついカッとなってしまった。とはいえ、俺は短気だよ。最近は意識的に抑えているからなんとかなっているだけだ。という話を踏まえた上で先ほどの約束はないものとします」
「けど約束した以上、それを破るならペナルティになるよね。まずは試しでいいから私と付き合ってみない?」
「俺、そういうの嫌いなんだよね。試しで付き合うとか相手に悪い。俺にその気がないのに相手と付き合うとか、そんな不誠実なことはできない」
「なら――」
「いや、だから俺に付き合うつもりがないんだって」
ここまで一気にまくし立てたが、俺の防御があまりに硬いからだろう。再度、魔力が噴出しだす。そろそろアララがキレるか、と思ったがまた沈静化する。引き攣った笑顔を向けてくる。
「シラド、最初テラが誰のことかわからなかったよね。じゃあテラとの交際を許してくれたってことはつまり私が別の誰かと付き合ってもいいってことだよね。じゃあもう誰でもいいから付き合っちゃおうかなあ」
おお、俺の嫉妬心を煽ろうとしているのだろう。かなり強気めいた顔で俺にドヤ顔を決める。
どこの誰と付き合おうが勝手であるが、できれば好きな相手と付き合ってほしいものだ。
「俺としては――」
「今のなし! 嘘です!! ちょっと嫉妬してくれないかなって思っただけです!! 私は不誠実な女ではありません!!」
――不誠実なのはどうかと思うが。
そう続けようとしたが先にアララがギブアップしてくる。
正直に言えばアララが俺に好意を持っていることはわかっていた。
理由は不明だ。
だがいくつか予想はできる。あれではないだろうか。ずっと顔を合わせて生活してきたので俺への好感度が他を上回ったのだろう。父親と同じ年齢であろう俺に好意を抱いたことに不思議なものを感じるが、状況的にそうとしか考えられない。
俺は身長百六十五センチ体重百三十キロの目に見えたデブ野郎に恋をしようとは思わないが、ここでは違うのだろうか。だとしたら世間を知らないのだろう。この世にはもっとかっこいい男や性格の良い性格みたいなやつがたくさんいる。ネット社会で生きてきた俺としては自分の価値と釣り合わないのでそのあたりはばっさりと斬り捨てて生きてきた。そのために好意を持つことにかなり打算的だ。
アララのような、子供の純粋な好意を受け取るにはあまりに汚れすぎている。
何か別の話題で話を逸らそうと思うがろくなものがでてこない。ココアの変わりに俺の部屋に常備しておく飲み物とか新しい装備についてとかだ。まずこんなものじゃ話題は変化しないだろう。
周りにあるものを思い出して話題に変換できないか考えてみる。
壁、なに? お話しするの?
木、ありえん。
鉄、相手が俺なら、あるいは。
扉、窓なら俺も好きだ。
窓、冷静に考えるといきなり窓の話題を出してくるとかおかしい。
俺、いや、今はおじさんの話題だからね。
刺青禿頭、落ち着いて、中年男の話題に変えるとかどういう流れなの? 馬鹿なの?
いや、待て。
ちょうどいい話題だ。刺青禿頭は。
こいつらの目的が知りたい。
わざわざギルドの人間がここにくるとかどうなのさ。
「わかった。この話は後回しにしよう。あといくつか聞きたいことがある」
「そんな! そうやってまた煙に巻くんでしょ!」
「約束しよう。この話は後で決着させる。今はもう少し知りたいことがある」
「わかった。約束してくれるなら、いいよ」
約束の二文字を使うとやけにあっさりとアララは引いた。
今までの勢いを一気に沈静化させたので、その状況というか精神性に何か妙なものを感じるが今は他に知りたいことがある。迂闊な約束をしてしまったのではないかと思ったが、別に煙に巻くつもりなんかないので後でしっかりと話をつけるつもりはある。俺が先延ばしただけアララは青春を失うからだ。
「ギルドは何をしにここに来ているんだ」
「待――」
今まで成り行きを見守っていた刺青禿頭が話に割り込んできた。
その焦った声色はあまりに惨めなほど絶望の色をしている。それと同時にアララが今思い出したかのように眉根を逆立てた。
……つまり、あれか。ギルドはろくでもないことをしているのか。
今までの話を含めて。
「――て! 話し合おう!!」
俺は麻痺撃魔術を使用する。
俺が所持している魔術の中で一番発動が早い。秒間で十発くらいは連射できる。
ただし威力は弱い。二百ボルト、一ミリアンペアのスタンガン程度だろうか。計測器がないので体感でそれくらいだろうと思っている。皮膚に押し付ければ軽い火傷を負うだろうが、その程度だ。
放電現象もほとんどないそれを後方十メートルに渡って貫通させる。連続で放射状に発射して確実に後方まで魔術を伸ばした。スタンガンの効果を魔力で飛ばす、と表現すると少しはわかりやすいか。
全身を撃たれた場合は痛い、というよりはほんのちょっとだけ息が詰まる程度で初めて直撃を受けたものでも二秒くらいで復帰することができる。
そしてそれよりも遅い魔術である電気魔術を使用する。麻痺撃魔術と比べて発動が遅いが、それでも発動速度はかなりのものだ。ただ媒体として腕や足、杖といったものを用いないといけないため、麻痺撃と比べて勝手が悪い。
俺の手のひらからキラキラと輝く光が一定間隔で放射される。
それらは麻痺撃で防御不能だったギルド連中に直撃した。最初に直撃を受けた刺青禿頭が全身を引き攣らせて倒れる。後方の連中もバタバタと倒れた。
そのまま十秒ほど電気魔術を使用し続けてから、状況を確認して、発動を停止した。
「うーん、俺と敵対する可能性が高く、または完全に敵対している。この艦で何かしらの作戦を行なっており、それは俺に知られると確実に邪魔されること。また俺がいなければアララすら排除していた可能性があるのであれば――」
俺はあまり嗅ぎたくない匂いと湯気を昇らせている連中をひとりひとり視線を向けていく。全員倒れており、動こうとするものはいない。
「――お前らは俺の敵、なんだよな」
俺は振り返ってアララにもう一度聞いた。
「で、こいつらの目的はなんだ?」
「えっと、たぶんなんだけど、この戦艦なんじゃないかな。前にバイツがギルドに無限機関を売ってくれてしつこく言われてたって。それでもしかしたら戦闘になるかもしれないって。他の戦艦持ちクランも無理やり強奪されたところもいっぱいあるから、危ないかもって」
「いつごろ?」
「一年くらい前、かな」
「ふーん、じゃあバイツはこの艦、売るつもりなのかな」
俺はアララに歩くよう促して、その前を歩く。
ブリッジに行くつもりだ。とりあえずバイツと話をしてからかな。
「えっ、なんで!?」
「俺、その話を聞いてないよ」
「だって、それはシラドに言ってもしかたないからじゃ」
なかなかすごいことを言ってくる子供だ。
気持ちはわかる。俺だって艦の売り買いとか組織の移動とか乗っ取りとかそんなのは興味ない。バイツもそれはわかっているから言わないだろう。さすがに大筋がまとまったら俺にも言ってくるだろうが、そこまでは俺に話を振ってこないはずだ。そういうことは門外漢だからやらないと言ってあるし、だいたいの話には従うと含めた。さすがに俺が嫌がることをやればここから離れるつもりだが、その「俺が嫌がること」もある程度は知っているのがバイツだ。
つまり、ギルドとの売買契約については俺に話さなくてもいいのだ。
後で言えばいい。
「まさか。絶対に言ってくるさ」
「なんでよ」
階段を上りながら、通路に人がいないことをだんだんと理解してきた。
俺はブリッジに行く前に兵隊どもの寝室へと向かうことにした。少しルートを変えれば通り道にあるので時間的なロスは少ないだろう。中に入る時間を含めて一分か二分くらいだ。
「ギルドと戦闘になる可能性があるなら俺に話を通さないわけがないだろう。そんな話があったら少なくともギルドの連中を見た瞬間に戦闘不能にして簀巻きにしてバイツに突き出すわ。どうせお前が俺にその話を持ってこなかったのはバイツから何か言われたんだろう。今はシラドに任せると危ないから、とかなんとか言われたんだろ?」
「……言われた」
振り返って「だろ?」と言うと、アララは済まなさそうに顔を逸らす。
そしてまた歩き出した。
「俺がそんな頭おかしいやつなわけないだろう。確かにやれと言われれば王国が本腰を入れるくらいギルドにダメージを与えて帰ってくることもできるが、わざわざそんなことやらないよ。バイツに裏切られたら俺はおしまいだからな」
「バイツのこと、信用してないの?」
「……信用している、していないの話じゃない。その気があろうがなかろうが情報は漏れる。どこかに少し発想の違う賢いやつがいたらそれだけでアウトだ。現在ちょっかいをかけているクラン、そこにいる腕利きの魔術師が長期的にいないとわかれば、そいつが容疑者となる。そしてそうやって見つけた何人もの容疑者からひとりの本命を探す必要はない。全員処分するか、そいつらに賞金でもかけておけばいい」
「バイツに裏切られたらおしまい、なんだよね?」
……さすがに話を逸らせなかったか。
まずったな、口が滑った。
「バイツのことは信用できないの? だったら私も、バイツを信用しない」
なんでこいつこんなに俺に懐いているんだ。
まったく意味がわからん。
最低な話、別の意味も考えてはいる。俺の隣にいたい理由。
例えば、俺への復讐が目的である、とか。
だがそうなると今度は俺の復讐に自分の人生を使うほど、俺がアララに何かをしたとは考えにくい。俺と同じように何らかの特異な理由があって、それがどうしても許せないというのであればそれも少しはわかる。だが少しだけだ。考えづらい。
今まで俺が殺してきたやつの中に肉親や知り合いがいたのであれば、別だが。
「そうじゃない。そうじゃないんだ、アララ。これは別にバイツが悪いわけじゃない。そしてこれ以上、聞くな。あまり聞こえのいい話じゃない」
「大丈夫。私はシラドの味方よ」
絶対の自信を持った声音に空恐ろしいものを感じるが、子供の頃というのそういうものだろう。無根拠の自信に満ちているものだ。俺もまだそういうのは残っているが、さすがに分別がついてしまった。
「だから教えて」
ため息をつきたくなる。
仕方がないので我が身の汚点をさらけ出すことにした。少しは俺のことが嫌いになるだろう。もしかしたら一発で飛ぶかもしれないが。
「俺は誰に対してでもそうなんだよ。あまり人を信じていない、というにはちょっと違うんだが。そうだな、相手にあまり期待していない、がより近いか。俺は相手の信頼を計る事ができないから、それに報いるために相手にそのすべてを委ねている部分がある。そもそも人の信頼を数値化している自分が嫌になるんだが、そういう打算的な人間なんだ。だから、バイツに裏切てもそれは仕方がないと思っている。そしてもしもバイツが裏切っていない場合は俺の考えはあまりにクズ染みている。ただ、それだけ」
「……本心なの?」
「本心だよ。俺が邪魔であればバイツのほうから手を離してくれればいいと思っている。もちろん、俺の生存や状況に不都合があれば衝突するだろうけど」
相手にはかなり申し訳ないが、俺はそれくらいドライな関係が好みだ。
人間関係は俺のようなコミュ障には重過ぎる。同じ職場で仕事をしていて、適当な話や愛想笑いで済ませる程度の関係が最高に良い。それくらいが息苦しくなくて生きやすい。
「私のことも、信じてない?」
奥歯を噛む。
俺の良心が「そんなことはない」と言えとしている。
だが、俺は自分の本心に従う。
「確実に信じている。だが、あまり俺の深くまでこないでほしい。俺に恋人や、人生の伴侶は重すぎる。正直、奴隷すらも重かった。だが奴隷は俺の身の回りのことをやらせる利便性と相殺している。だから奴隷くらいは使っている。自分でなんでもできるなら俺はひとりで世界と付き合って、生きていたい」
「……そう」
それで話は終わった。
あとはまた、ビジネスライクでいけばいい。
アララはまだこの辺を割り切ることはできないだろうが、そのうち慣れるはずだ。
俺は兵隊の寝室までやってくる。
一箇所で二十人ほど寝られる大部屋だ。この部屋が全部で十五ある。四百人中三百人が魔術師で、兵隊だ。全員が飛行魔法と中距離の攻撃魔術を使用できる。空中戦等における高級技術は確かにギルドの独占ではある。しかし基本技術はその限りではなく、一年ほどの訓練でどちらも習得できるほどまで完成されている。
俺は寝室を必要な分だけ開けて中を覗く。
広い寝室に目を通す前に焦げた血臭と人肉の焼けた臭いが鼻を突く。俺の背中でアララが声をあげた。アララに嗅がせたくなかったが思いのほか念入りに行なったらしい。
寝室の中には焼けた死体が転がっていた。
わざわざ艦の中で火を焚いたらしい。艦を構成する素材はそのほとんどが燃えないように何らかの加工が行なわれおりとても燃えにくい。しかし、だからといってわざわざ艦の中で火炎魔法を使う馬鹿はなかなかいない。それこそ敵くらいだ。
壁のあちこちにかなりの大きな爪痕が残っていることから最初に風魔術で攻撃してから焼いたのだろう。確実に殺すつもりで。
俺は扉を閉める。
隣以降の部屋は開けなかった。
ブリッジまで急ぐことにしよう。
全力で走るとアララを置いていきかねないので手加減しながら走る。仮にブリッジで戦闘になることを考え、アララの体力を落とさず、呼吸も乱さないのが理想だ。
アララは空中戦闘はそれなりに得意で、飛行魔法も他のやつらよりも錬度が高い。だがそのために艦船に乗り込む必要性を疑問している部分があり、白兵戦が下手なのだ。多少、俺が過保護という部分もあるがそれ以上に飛行魔法の精度が高いために地に足を着けての基本戦闘に価値を見出していないのだろう。ぶっちゃけわかる。だってそらから爆撃しているだけで人が死ぬし、艦も落ちるし、乗り込む必要性は皆無だ。ケンカが上手くても意味ない。
そのためにそんなに体力がない。
それでも他の魔術師と比べては多いのだが、その程度で足りるほどこの世界の集団魔術師戦は暇じゃない。なんにしたって魔力切れしたら下の世界に落ちてしまうから体力があっても無駄という考えもわからなくはないが、だからといってギリギリまで切ることもない。
刻印式で無音魔術を使って自分とアララにかける。
相手に先手を取られると厄介だからだ。ひとりで行動しているのなら防御と回避を駆使して被害を軽減するが、今回は後ろにアララがいるために避けるのは危険だ。
先手が必要だ。
邪魔なら先手を放棄したらいい。だが、逆は不可能だ。
故に、先手を取らなくてはならない。
人がすれ違える程度の穴が天井と床に空いている。
昇降機だ。
俺とアララは中を滞留している魔力風を利用して上った。
最上階、甲板から五メートルほど上部にあるブリッジ前の通路についた。
敵がいた。
ブリッジ前は侵入者を制限するために意図的に狭く作られている。
そこに敵が立っていたのだ。
敵は、俺達が無音で上ってきたためにほんの少しだけ気づくのが遅れ、急に俺達を見たことで驚いて対応がさらに少しだけ遅れた。
俺は敵を敵と判断し、相手が俺に害をなそうとしているのを構成中の魔術で確認してから、ゆっくりと麻痺撃魔術を発動させた。
床に足をつけると同時に軸足として大きく前へと踏み出し、跳ぶ。
敵の首に自分の腕を絡めると、そのまま首の骨を圧し折った。
たったひとりを見張りに立てたのか。
確かに通路はひとりしか立てないが、さすがにひとりだけで見張りをするのは愚策だろう。例えばこの状況ならひとりが殺されている最中にもうひとりが大声をあげることができる。もちろん大声をあげるためにもうひとり置いておくわけじゃないが、援護を含めて侵入者に対応しやすいのは間違いない。
ただ、ひとりが二人になっていたところで俺には意味がないが。
俺がここにくるのは織り込み済みだと思うが、だからといって最少人数の見張りを立てるのもどうなのか。もしかしたら何かしら別の策が弄されているのか。
俺はそんなことを考えながらブリッジの扉を開けた。普通に。
中は地球産の戦艦を思わせる内装だ。ただし木製で、なおかつ計器はない。クルー達は艦の状況を魔術を使ってリアルタイムで把握しながら艦内に指令を飛ばすのが仕事だ。また耐圧ガラスをふんだんに使った正面風防いっぱいに真っ青な空と白い雲海が広がっている。いつきてもここはいい場所だ。窓で切り取られた風景も捨てがたい。
だが俺はここにくることはほとんどない。
ここはバイツの場所であり、年上の俺がここに来る必要なんかないからだ。
だから必要なときしか来ない。
俺が入ってきたことで中にいる連中の幾人かが振り向いた。
その表情は「何かあったのか、見張り」と言いたげだったが、俺の姿を認めるとその顔を恐怖に染めていく。若干心苦しいし、そもそも俺もいい気分じゃない。誰も得しない感が切ない。
俺は自分の唇に人差し指を当てて「静かに」のジェスチャーをする。確かにそいつは黙ったが別のやつが気づいて、俺を見て、驚愕し、次のやつが気づく。そんな恐怖が伝播し、連鎖していく。
「シラド……ッ」
ブリッジの中心にいるバイツも俺に気づいた。
その顔はなんともいえない。
恐怖なのか、苦心なのか、それとも嬉しいのか。全部が混ざったような表情だ。
「余所見かッ! 余裕だな!」
「お前は少し黙っていろ」
バイツが剣を振るった。
その一撃が相手の剣の腹に打ち込まれ、そのまま胸を打ち、吹き飛ばされる。血で薄汚れた壁にたたきつけられ、また汚れを増やした。どうやら全身を切り刻まれ、何度も壁に叩きつけられているようだ。真っ赤に染まった服がその凄惨さを物語っていた。
「仕事中、すまんな」
「……気にするな。終わったところだ」
「まだ、終わってない!」
今しがたバイツに壁に叩きつけられた相手が威勢よく声を放ち、よろよろと壁に手をついて立ち上がる。控えめに言っても遊ばれている。全身を切りつけられて元は白かった服が血液で汚れている。幾分、乾いている部分もあることからかなり長くいたぶられていたのだろう。
顔に傷はない。
汗と床に落ちた自身の血液を自分の顔で拭っているようだ。無様だと断言したほうが彼の誇りを守れるほど、その状況は無様すぎた。
「えーと、なんだったか。ほら、お前は、あれだ」
「アズ・ロードグリーン」
「そう、それ」
俺の言いたいことがわかったのか、バイツが名前を教えてくれる。
今、このブリッジでは一騎打ちが行なわれていた。
バイツと、アズ・ロードグリーンが互いに剣の一振りだけで雌雄を争っている。
結果はアズ・ロードグリーンの敗北だ。無残にも遊ばれている始末。
だがそれでも、遊ばれていても立ち上がり続けているようだ。良い根性をしている。
「彼が最後か?」
「……まあ」
俺の足りない質問にも的確に読み取り、答えを返してきてくれる。バイツはかなり優秀だ。伊達や酔狂でこのクランの団長ではない。
ややざわめきがあるブリッジ内を歩く。特に目的があるわけではないが、アズの怪我でも治すつもりで歩き出す。俺が近づくと周りの連中が急いで道を開けてくれる。助かる。あまりに真っ赤であるせいで手遅れなのか軽傷なのか判断がつかない。手遅れになる前にさっさとしなくては。
「シラド……例えば、そいつがとても悪いやつだったとして、それでもそいつの怪我を癒すのか?」
「だったらそれが確定したときに一撃で葬ればいいだろう。どちらにせよ、お前が生殺与奪権を持っているのは間違いない。それをやらないのは何かしら思うところがあるんじゃないのか?」
「そいつは敵だ」
「なら殺せ。速やかに。お前の責任において」
その言葉でバイツは黙った。
俺の後ろをアララがついてくる。
俺の服の裾を掴みたさそうに手を伸ばしているが、掴まない。ただほとんどぴったりとくっついて進む。
誰にも邪魔されずにアズの前までやってくると治癒魔術を使用する。アズの傷は深くはあったものの、心配する程度ではなく、即座に治癒できた。
魔術と魔法の違いは戦闘用であるか、それ以外で決められる。
しかし治癒など通常の生活でも使われる魔法はその明確な区分けはない。ただ戦場で魔法を使うものの認識としてはその魔法が「魔術として作成されたか、否か」で分けることが多い。
今回のもそうやって俺が既存魔法を改変して作って治癒魔術だ。市販されている治癒魔法と比べて精度も効果も上昇している。
ただ、これは俺が優秀というよりも現代医療、のはるか下、基本的な人体の仕組みと自然治癒の作用を知っているからだ。これを知っているだけでも魔法の効果が変わる。正確には魔法の改変ができる。
あとはそれに沿って出力を上げれば短時間で治癒させることが可能になる。
この世界では雲海に浮かんでいる島の交流はこうやって飛行船か艦を使用しなくては行なえないので、大量に検証が必要なタイプの技術が遅れ気味だ。ただたまに俺みたいな地球の人間がやってくるためにそいつらから手に入る知識で飛び級している部分があって、なんとも言いがたい。あまりに粗雑だ。
「おい、アズ、怪我は治した。俺に感謝するといい」
にやりと笑っておく。アズは最初はきょとんとしていたがすぐに怒り出した。
「な――」
「シラドぱーんち!」
足払いからの打ち上げ体当て、手刀、左手で体を支えてあげてからようやく本命のボディブローでしっかりと昏倒させた。
「う、あっあ……あ、ぅ」
残念ながら昏倒していないようだ。
ズルズルと壁から崩れ落ちてビクンビクンと気持ちの悪い痙攣をしている。内臓破裂が気になったが、おそらく大丈夫だと思うのでかなり雑な治癒魔術をかけて本題に入る。
「バイツ、こういう雰囲気はあまり好きじゃない。簡単に済ませよう。俺もあまり知っているわけじゃない。詳しく知ってしまったらキレるかもしれん。だから簡単に、済ませたい」
俺はバイツに向き直ってしっかりと目を見る。
「俺とアララは、必要か?」
極論だと、それだけだ。
もちろん船内の死体はこいつがつくった。またはこいつの指示でつくられたものだ。中にはそこそこ話したやつもいるし、見かけるたびにうなじから膝裏までの曲線を舐めるように眺めても文句を言わない女もいた。俺が実際に見て話して連れてきたやつも多い。
思うところがないわけじゃない、
俺の中の天秤はまだ事なかれ主義で動ける範疇で収まっている。
それを前提で「俺とアララを見逃せ」と言っているわけだ。
俺はこの艦で一番強いつもりがある。
それは他の連中と比べても強いつもりがある。
不意打ちをやらせてくれるのであれば、変な能力を持っているやつ以外は確実に殺す自信もある。
すべての感情を忘れてこの艦の連中を皆殺しにして逃げることもできる。
だがそれは現実的じゃない。
ここで俺が勝利することができてもギルドが、もしかしたら国が手を回す可能性がある。晴れて俺は賞金首となり、国内の店のほとんどが使用不可能になるだろう。この姿じゃ変装も難しい。少し注意深く見られたらお終いだ。
そうなってくると俺の活動範囲が狭くなる。
残された道はそう多くない。
だから見逃せと言っているのだ。
じゃあ見逃された上で賞金首になったとしたら?
それが一番の骨子だ。
俺はすでに詰んでいるも同然なのだ。バイツを殺そうが殺さなかろうが結果はあまり変わらない。ならばバイツと取引をして俺を賞金首にしないようにしてもらうのが俺の最後の手段だ。
少しでも恩を売っておけば……売ったつもりにしておけば有利に働く、かもしれない。
「俺とアララがいらないのであれば、俺達はまあ、適当な場所で生活するつもりだ。何もなければ、何もするつもりがない」
うわ、なんか俺とアララが結婚するみたいな言い方になってしまった。後で絶対に何か言われるだろうな。アララから。
「なあ、シラド」
俺から視線を離さない。
「俺はお前と二十年つるんでいる」
「そうだな。俺がここに来た頃、まだここの言葉も文字もわからない時だったな。懐かしい」
「お前は貴族服でギルドの周りをうろついているときかなり馬鹿にしたものだったよ」
話は途切れた。
だが視線は途切れない。
話、続けろよ。理由とか。怖いだろ。
「で、答えは?」
「その答えを出す前にお前に質問したいことがある。会話だ。それから、決める」
二メートル超えの大男が山のような轟を放つ。
いわゆる、面接だろうか。しにたい。これ関係でよかったためしなどない。主に地球で。
「まず絶対に嘘をつかないことを誓え」
「誓おう。天地神明に誓って、嘘は言わない。どれだけ俺が不利になろうとも」
「……」
無言が見える。
初手から躓いた気分だ。
これからこれから。挽回していくぜ、汚名をな。
「好きな食べ物と、飲み物をあげろ」
「あー、いきなり難しい質問だな。その日の体調、というか気分によって変わる。今はだし巻き玉子とご飯の気分かな。あ、炊きたての白米ね。ここ二十年はお米食べたことないけど。ここでまともに食べられるもので好きな食べ物だとホットドッグかな。平べったいパンでミートソースとマスタードのたっぷりかかったの。飲み物は……水、かな。魔法で出したやつ」
ここの飲み物はあまりおいしくない。
水道水が飲みたい。
おいしくない。
ちなみに酒はあまり好きじゃない。
「使用できる魔法で一番強いのは?」
「定義を。威力、範囲、致死性、命中、効果、速度、多様性、制御性、簡便性でいろいろ変化する」
「お前の中で最強だと思う魔法をあげろ」
「普通に市販されている熱線。総合性でいえば俺がつくったどの魔法よりも優れている。あれをつくったやつは天才だね。汎用性が高すぎる。無詠唱増幅器が搭載されているのに重くなるからそれを使用していない。限界を外してやれば何でもできるんじゃないかな。意思式を使用した複数起動で、半径数十メートルの範囲内ならどの角度からでも撃ち込める魔術と、銃身を素材で構成して専用媒体を作ってから強力な熱線を放つ魔術、拡散させる魔術は作った。実戦で使えるかはわからんが」
あれだ。
ビームだ。脳波で動かす半自立機動兵器とかビームライフルとか、アニメを参考にしている。おそらくこの魔術を作ったのも同じ考えで作られている。ただし、ノーマルだと即死するほどの威力はない。意図的に制限されており、俺みたいに用途の先がわかれば強い。
絶対どこかにその天才が書いたビームライフルの式があると思うんだが、そうやって後回しにし続けて早十五年だ。最初期は俺も気がつかなかった。薪を燃やすくらいの使い方だった。
「お前が作った魔法の中で最強は? 致死性と範囲を優先だ」
「黒死病、かな。あれならヒットしたらまず死ぬ。範囲も二百メートルを超えるし効果時間も長い。ただヒット判定が入るまで少し時間がかかる場合があるが、そもそも戦闘で直接使用する魔法じゃないからまあそのあたりは」
黒死病と名前はつけたがその実、ただの蛇毒をモチーフにした魔法だ。なんかの蛇毒を血液に混ぜると凝固するという「あ、それ死ぬわ!」みたいな効果を覚えていたので土魔法や水魔法から手探りで凝固させる作用を探し出し、それを固形物にした魔法だ。使用すると死の灰が降り注ぐ。傷口や粘膜から作用して調子が悪くなった時点でアウトだ。全身に回っている。
いずれ最強の魔法である「もう、どうにでもなーれ」を使用するときに使う予定だ。来ないことを切に祈る。
「効果、速度」
「麻痺撃魔術。近接戦闘で対策されていなかったら最強だな」
「威力、範囲」
「集積爆破魔術かな。無機物破壊にも向いている。使える部類だが、燃費と反応性は悪い」
「威力、命中」
「小型爆破魔術かな。本気で使うととんでもない威力になる」
「制御、簡便性」
「透明濃霧。俺が作成した魔法類がほしいならあとで送る。ただ、できるだけ丁寧に書いておくが俺の科学知識が前提になっている部分もあって書いている以上に分解はできない。手元にないから半年を目安に頼む」
「お前の書いた魔導書はもう必要ない。今のはお前が本当のことを言っているか確かめただけだ」
もう、ね。
ざっと考えた。
逃げ場はないのか。
戦うべきか。
「なあシラド。なんでお前はこのクランを、この戦艦を好きにさせてくれるんだ?」
「好きにも何も、これはお前の艦だろう。確かに無限機関の六分の一は俺のものかもしれないが、それは破棄してこの艦でダラダラできる権利を貰った。十分相殺になると思うんだが」
「なぜ、破棄した。それだけでも莫大な金が入ってくるはずだ。そのまま隠遁することもできた」
「前にも言ったと思うんだが、俺は故郷に帰ることを諦めていない。確かにここも悪くはない。だが俺はあの生活がいいんだ。それを目指すためにこの艦で探すと伝えたはずだ。だから無限機関の権利を持っていたところで邪魔にしかならない」
「お前の世界には無限機関はないのだろう。持って行けば莫大な富が築ける」
バイツの真剣な表情のせいか、それとも荒唐無稽だからか、思わず鼻で笑ってしまった。
本気でおもしろい話だ。
確かにそうかもしれない。
「俺の世界に無限機関はないよ。確実に莫大な富を築けるだろうね。ただそれによる混乱が予想される。下手すると殺されるし、下手しなくても殺される可能性がある。俺が世界で最高の大金持ちになったあと、贅沢に暮らして、そして死んで、それから無限機関はどこに行くんだろうな。戦争の火種になりかねないから持って帰る事はないな」
「戦争など、いつの時代も争いはあるものだ」
「俺のところの世界には一撃で二キロメートルを焦土にした上に長時間滞留する毒素を撒き散らすという武器が存在する。一応、二キロメートルとは言ったが効果範囲は爆風はもっともっとある。その外側でも生きられるかは難しい」
「羨ましい世界だ。それがあれば――」
「俺の世界の人間、七十億人と暮らすべき広大な土地。それを百回ほど焼き払ってもお釣りがくる量の武器が眠っている。各国が持っている。誰かが一発目を使用したら次々に使用されていくだろう。どうするの? そんなことになったら。たかが無限エネルギー発生機関ごときでその引き金が引かれることはないだろうが、その火種になりそうなものは持ってはいけない」
そもそもそれで稼げる伝手もないからまともな方法で俺に金が転がり込む前に利権の半分は他へと流れるだろう。俺が科学者であるならまだなんとかなるかもしれないが、俺は向こうに戻ればただの元ニートの行方不明者だ。俺の老化が止まっているので何かしらこのあたりも何かありそうだが、そんな勝負してみなければわからない状態で、相手札をいろいろ考えても仕方ない。
「あと俺の世界に来るのは止めておいたほうがいいぞ。向こうへの通路が開拓されればこちらの世界も市場として利用されるだろう。便利になりはするだろうが、資本主義の波も存外辛いものだ。まだ王政で苦しんでいたほうがいい。ああ、これは個人の意見として受け取ってくれると嬉しい」
できるのであればエゴを、自意識のすべてを破壊してしまいたい。俺が俺でなくなり、ただ快活に人生を謳歌しているように思える、ただの屍になりたい。
この話を切りたかったので「次は?」と催促する。
睨み付けるように、俺はバイツにこの話の続きを止めるように仕向けた。
「……なあ、シラド、お前はなんで生きている? お前はとても優秀な人間だ。誰とも会話ができないこの国まで連れてこられて置き去りにされ、それでも生きている。しかもこの国で、世界で屈指の人間になった。魔術師の大半が、名前は知らずともお前の逸話を知っているだろう。危険すぎて誰も潜らない前人未到の遺跡に大腕を振って臨み、そして帰ってくる。あらゆる敵を倒し、驕らない。なぜだ?」
「なんかいきなり壮大なテーマになったな。別に生きるのに理由なんかないだろう。死にたくないからだ。そもそも遺跡だってお前らも無限機関がほしくて潜っていたじゃないか。それと何も変わらな――」
「変わらないわけがないだろう!?」
俺の言葉に激昂した。
顔を真っ赤に燃やして口角泡を飛ばし、俺に怒っていた。
どうやら話に失敗したようだ。
「シラド、お前は俺の敵だ。お前は俺の敵になった。絶対に許さない。全力でお前を殺す」
明確な殺意が吹き付けてきた。
麻痺撃魔術を使用する。前面百八十度角に向けて連続で発射した。
しかしどいつもこいつも対策されているのか効果がない。俺の攻撃を感じ取ったバイツが俺へと踏み出す。手には火炎魔術。避けるとアララにダメージが入る。どうでもいいがアズも範囲に入るだろうと思うので確実に防御しなければならない。
「悪いな、死ぬわけにはいかない」
「ではアララを殺す」
「はは、それは無理だ」
火炎魔術が俺に叩きつけられる。至近距離からの接触発動だ。バイツもただでは済まないはずだが、それでも俺を殺すつもりで発動させた。使用した火炎魔術は爆発式が組まれているので余波がでかい。パラボラ型の物理的な防御魔術を使用してバイツに跳ね返した。
「ぐううッ!?」
俺の防御魔術の強度が上回っていたために俺には一切の効果を及ぼさず、放射状に炎が死の赤線を延ばす。周りにいた連中に炎をかぶった。
バイツは直撃をもろに受けたがそれでも俺に拳を振るう。痛みと衝撃でまともに魔術が使えないのだろう。さすがに燃えた相手と組み手をするつもりがないので数度避けてから突風魔術を浴びせて間合いを取った。
「酸素魔術……」
俺の周り、以外に酸素を追加で酸素を発生させてより強く燃焼させる。燃料系も使えないことはないが危ないのでやらない。人から零れ落ちた炎が地面や壁を少しずつ焼くのを手伝うくらいだ。
あとバイツの体から炎が剥げなくなるくらいか。
向かってくる敵を適当に捌きながらその服や装備を燃やす。
そこそこ勢い良く燃えていくために戦場に慣れた魔術師にも恐怖が見える。
しっかりと着火してブリッジ内部に消せないほどの炎が蔓延するのを確認してから俺は準備していた魔法を発動させる。
大量のできそこないウッドチップが辺りに撒かれた。
十三式五行儀式系魔法、燃料魔法だ。なんでもないただの薪燃料と同性能の謎木を作り出す魔法で、誰もが知っている生活魔法のひとつだ。未熟な魔法使いがではしっかりとした燃料を作り出すことができず、薪に水分や不純物が多く含まれて不完全燃焼してしまう。この魔法で作った燃料がまともに使えるかどうかで魔法使いとしての力量が一人前かどうかを判断する基準になる場所も存在する。
そして俺が使用した燃料もかなりの不純物が含まれている作り方だ。燃焼は早くかなりの煙を吐き出してしまい、煙突暖炉ならともかく調理で使うことは不可能だろう。完全な失敗作だ。
だが、それでいい。
「バイツ、また会えたら、また遇おう。そして、ここの出入り口はすでに封鎖しておいた。あしからず」
「シラドォオオオ!!」
全身に火傷を負いながら、それでもなんとか火を消し止めたバイツが酸欠状態の足取りで俺へと近づこうとする。だがさすがに俺も行動はそれよりも早い。
再度使用される燃料魔法が俺とアララとアズを囲むように形成される。
木製のカマクラのように包み込むが入り口はない。地面と接合するように作成し終えると、床を切り取るために魔術を構成し始める。カマクラの外では火炎地獄からの叫び声と共にカマクラを破壊しようとする衝撃音が響く。だが炎と煙で物理的にダメージを受け、あらかじめ逃げ場を塞いでおいたために炎と煙が焦燥感を生む。こんな状況で魔法が使えるのは稀だろう。そして素手でカマクラやブリッジの壁を破壊するのは、無理とは言わないが骨だ。
床に斬撃魔術を使用して穴を空けるとさっさと出る。
「すまんな、アララ。俺のせいで居場所がなくなった。俺にできる分は、償う」
俺はおそるおそるアララに触れてから、抱きかかえるとアズを穴に蹴り落としてから降りる。階下までそこそこの距離があったがアズはなんとか無事だった。そりゃそうだ。首や背骨を痛めないように細心の注意を払ったのだ。死んでもらっては困る。
「ううん、そんなことない」
アララは小さな声で返事をしてくれた。
俺はエスパーじゃないから相手が何を考えているのかわからない。
だから俺は少しだけ、祈るしかない。
アララが敵に回らないことを。
バイツの元から逃げ出してから一ヶ月。
俺とアララとアズ・ロードグリーンは目的地である建物にたどり着いた。
シラド孤児院。
俺の名前がついた孤児院だ。俺の名前が前面に押し出されているが、別に俺は関係ない。出資もしていないし何かしらの補助も行なっていない。むしろこの孤児院から俺に金が払われそうになっているほどだ。どんな理屈で儲けているのかさっぱりわからないが、金は受け取らないことにしている。そんなことするよりも街に土地を買ってマンションを作れと口酸っぱく言っておいてある。年単位の宿泊室だ。
「ここはどこだ」
「町外れにある孤児院だ。どうでもいいけど、地元には町外れなんていうよくわからないものはなかったのでこうやってだんだんと寂れていく感は悲しいものがあるな」
「本当にどうでもいいことだな。あとそんなことを聞いているわけではない」
俺の隣で背の高いアズ・ロードグリーンが鼻を鳴らす。
この赤い髪のイケメンは一週間前のあの後で何かを言ってくると思ったがまったく何も言ってこないというとても俺の心に優しい青年だった。
本当に何も言ってこないし、説明を求めても何も言わないのであのときに争っていた意味とかその辺はまったくしゃべってくれない。
俺の知らないところで致命的なバグが進行している可能性があるが、俺はそれに気づくことができないのでざっと諦めることにする。バイツも敵に回ってしまったし。
「シラド、ここはなんなの?」
「俺の元奴隷が興した孤児院だ。中央の街では学校として通っているそうだ。ここの出身の子供は賢くて優秀な魔法使いだと評判らしい。そんな優秀な魔法使いフランデが経営している施設かな。パトロンも多くついているそうで金はうなるほどあるらしい。俺の知っている孤児院と違う」
「俺の知りたかった情報はそれなんだが、なぜ俺のときに言わない」
「お前馬鹿かよ。なんで男の好奇心を満たすために、男の俺が答えないといけないんだ。仕事ならともかく」
「お前はいちいち納得できる言葉を吐くのがイラつくな。頭良さそうに見えないのに」
「残念でございますですわね、おほほほ。アテクシ、都合十六年、小、中、高等、大と学んできたエリートですの。まあ、アテクシたちの国ではそれがベーシックですけれども」
「エリートじゃねえな、おい。そこまでやって」
「返す言葉もない」
道すがら適当な話をしながら歩く。
大事なことは何ひとつ話さないくせにこういった雑談にはしっかりと食いついてくるのでアズはそこそこいいやつなんじゃないかと思ってくる。途中でちょっと笑い話程度にアララに粉かけててイラついていた大部分が相殺された。それ以外にもいじめておいたではあるのだが。
……あれ、もしかしてそれをやったから話してくれないんじゃ。
どうでもいいことはどうでもいいことですませるために忘れる。
シラド孤児院は石壁で囲まれたレンガ造りの二階建ての豪邸だ。ただし、コの字型にして、俺の母校の学校を参考にして建てられている。教室は光を取り込める窓の多いつくりであり、その中庭を通して反対側は寝床がある。あとはあまり学校と変わらない。大きくはない職員室に食堂、専門教室に団欒室だ。百人ほどいる孤児は普通に勉強に励んでいるだろう。たぶん。
三人で門をくぐると察知していたのか、誰かが待ち構えていた。
「どちら様ですか?」
年の頃は二十歳前くらいか。
まだ幼さの抜け切っていない少年が魔術師然とした黒の二重外套で立っていた。長めの茶髪でフレームの細い眼鏡をかけている。高価なものだ。それなりに稼いでいるのか、そうでなければよほど目を掛けられているのだろう。
鼻が高くほっそりとしたイケメンだ。
隣にイケメン、正面にもイケメンがいるのであまり気分がよろしくないが、挟まれて消えてしまうほど俺の存在力は弱くない。そこそこでがんばる。
「シラドだ。それだけ言えばわかるからフランデに話を通してくれ」
「お帰りください。フランデ校長はただいま外出中です」
明らかに歓迎されていない声色と顔だ。バイツに噛み付いていたアズを思い出させる。
「いるのはわかっているからさっさと話を通してくれ」
これは事実だ。
中庭で行なわれて裏の練習場で行なわれている魔法訓練の中にフランデらしき魔力を持った人物がいるのは把握している。
「フランデが裏庭にいるのはわかっているさっさと呼んできてくれ」
「いないと言っているのです。お帰りください」
「理由を聞いても?」
「なぜ外部の人間が満足する返答をしなくてはいけないのですか。お帰りください」
なんかすげー睨まれている。
最近、睨まれることが多いな、俺。戦闘以外は平穏に暮らしたいのだがなんとかならないのだろうか。
「アズ、ほらなんとか言ってくれよ。やっぱりイケメンが話をしたほうが説得力がある」
「今のお前の発言の説得力には負けるよ。そいつをぶちのめしてから進めばいいだろう」
シラドがここの経営者フランデと既知であることを理由に、最終的になんとかできるとたかをくくって少年を実力で叩きのめす。相手も魔術師のようであるがそれよりもシラドのパンチが早い。
叩きのめした後で気絶した少年を植え込みに放置、裏庭まで回り込む。
そして大勢の見習い魔法使いの練習風景を見たアズが、
「随分と高位の魔術を行使している。危険だな」
「自分で自分の手を焼く分にはいいんじゃないか。子供の頃に失敗しておくのが大人になってちょっとしたことでブチ切れないコツだ」
話していると、三人に気づいたシラドの元奴隷フランデが急いで近寄る。シラドに抱きつこうと、手を握ろうと、そんな雰囲気の中で勢い良く近寄り、止まった。二メートルほどの距離が定位置と言わんばかりにぴたりと止まって、恭しく頭を下げる。
「シラド様! お久しぶりです! よくおいでくださいました!」
「久しぶり。元気そうで良かった。預けていたものをとりに着たんだ」
「まあまあ、中でお茶でもどうぞ。さあ」
フランデはシラドを誘導する。
少なくともフランデ表面上はシラドに敬意と好意を持っているように思える。しかしシラドはそれをあまりよしとしていない。突き放しにくいからだ。フランデもその様子に不思議に思っているが、いつものことだと思って諦めている。
フランデはシラドが買った奴隷の中では一番優秀でありそのほとんどの魔法を習得している。しかし地球の科学知識がない上にシラドもそれを教えることができないレベルで知っているだけなので全部習得しているわけではない。
外見は金髪碧眼、スタイルが良いためにアララとキャラがかぶっている。そのためにアララがフランデに劣等感を抱く。ただし胸はアララのほうが大きい。
フランデがアララ、アズと視線を移し、またアララへと視線を戻す。
その表情はあまり変わらないが、フランデがアララに何かしらの劣等感を抱いているのをシラドは感じ取った。理由はわからなくはない。自分の傍にアララがいる、シラドはそう確信した。
フランデは魔法訓練を無理やり終了させると自習として持久走や全力運動などを指示して孤児院へ、シラドたちを案内した。中には休日の生徒たちが思い思いのやりたいことを行なっており、偶然入り口近くにいたイベントの飾り付けをしている三人を呼んでシラドたちにつけた。
「こちらが私の師匠、シラド・テンラン様よ。粗相のないようにね」
「あ!? よ、よろしくおねがいします! シラド様!」
驚いた表情で挨拶をしてくる十代前半の少女達に、シラドはそこはかとない妙な近い間合いを感じたが単に子供だから距離を取りかねているのだろうと納得する。
金髪、碧眼、細身ながらほどよく膨らんだ筋肉がシラドの目に入る。三人とも同じ背格好の同年代というわざわざ探さなければ、またはつくらなければ存在しないほど、シラドが気に入るデザインをしていた。しかしシラドも細身の白人も好きであれば、むちむちの長身も好きだし、筋肉も嫌いじゃないという気合の入った人間なのでそこまで気に留めなかった。
孤児院の応接間に入りながら彼女らと話す。フランデはシラドの頼まれ物を取りに倉庫へと向かった。
決してソファに腰を下ろそうとしない三人の少女に、諦めたようにシラドは会話を行なう。なんでもない雑談だが彼女らはどう見てもそういう流れではないようだ。恐ろしく位の高い人物を相手にしているように頑として態度を崩さない。
「ここを卒業したら偉い人になって私達みたいな子を減らすんです」
「きっとできるさ」
シラドは心にもないことを口にする。
どこまでも信じたいが、現実はそんなことを許さないのだろうと考える。
だが誰かがそうやって信じて生きなければ誰もが道を歩めない。
心にもないことではあるが、自分では成しえなかった、やろうとすら考えなかった高尚な子供の言葉を受け入れた。
「ところで何かあるんですか? 入り口に飾りつけが行なわれていましたが」
アララが口を開く。
先ほどまでずっとシラドと少女達が話をしていたので口を挟めなかったのだ。
矢次のように続ける少女達の言葉を遮ることに成功したと言わんばかりに、アララが一応は気になっていたことを口にした。
「あれはフランデ校長先生の誕生会の飾り付けです。本当なら校長先生がいないときに行ないたかったんですけど、どうやら先月から孤児院内での仕事を行なっているみたいで、一歩も外に出ないんです。なんだか少し恥ずかしいですけど」
「わあ、素敵ですね。後でお手伝いさせてください」
さすがに「やめておけ」とも言えなかったので、シラドは口を挟まない。
シラドがここにきた目的は、バイツのクランに入る前に置いてきた荷物を受け取るためだ。当時の戦闘用に使っていた武器である高圧縮型マグネシウムモドキの棒「ファイアスターター」と水循環反応泡相殺型の二重外套、そして自分が開発と分解を行なった魔法を書き込んだ魔導書の三つだ。魔導書は日本語で書かれているために誰も読めない。シラドも書き慣れた言語ではなくては、文章量の多い事柄は座りが悪くて書くことはおろか読むこもできなかった。
四人でシラドの活躍や魔法のことを話していると不意に広域殲滅型魔術「サーモバリック」の話になる。サーモバリックは地球の「気化燃料爆弾」を魔法式で合成した魔術であり、専門知識のないシラドが作成できた数少ない科学魔法のひとつである。
サーモバリック自体はフランデに見せたことがあるが、その組成式が理解できなかったために習得を断念せざるを得なかった魔術だ。
しかし話を聞いているとフランデがサーモバリックについて理解している節があったので、シラドはフランデが日本語で書かれた魔導書を解読できたことを喜ぶ。
最初は隠そうとしていたフランデであったが喜ぶシラドに日本語を解読して魔導書を読んだ旨を伝える。魔導書の写本は取ったか、持っていってもいいか、それに混ぜながらもしかして好きな人ができたんじゃないかと聞くシラドに頷く。元奴隷でありながら別の男を好きになったことを謝罪するフランデであったがシラドは問題ないと告げる。
アララが昔のシラドのこと知りたいらしく、フランデに話をせがむ。
フランデはシラドから貰ったアルバムを開きながらアララに話をする。写真に混じってシラドが描いたフランデの絵画が並んでいることに、シラドがアララの絵を破ったことを怒った理由の一端が理解できたようだった。
十数年前、フランデがまだ十代であった頃、シラドの子供を妊娠したことがある。当時はシラドも「奴隷」というものをそこまで気にしていなかったが妊娠をきっかけに悩む。
元々シラドは人との関わりがあまり好きではなかった。そのためこの世界に飛ばされてきたときに見かけた「一方的に自由にできる存在」である奴隷に関心を向けた。奴隷にもランクがあるが、その中でも一番下等で「死んでも構わない。人権がない」という奴隷であるフランデを購入したのだ。
フランデができることであればすべての身の回りの世話を任せてはいたが、酷使させることはなかったためにフランデ、当時の仲間達からの評判はよかった。ただしこれは「死んでも構わない。人権がない」という奴隷を購入するその他の主人との相対評価である。シラド本人の自己評価はあまり高くない。
シラドはフランデが妊娠してから生活が変わった。本人の道徳観から「妊婦は働かせない」というスタンスを取っていたが、それまでやっていた仕事を全部自分で行なっていたために常にイライラばかりしていた。他の奴隷を買いもしたがいきなりフランデが行なっていた仕事すべてを肩代わりできたわけでもないので、さらに不満が溜まっていた。いつも怒鳴り散らしていた。彼は短気だった。
ある日、フランデのお腹が小さくなっていた。
普通に、前のように早朝にシラドの部屋に食事を持ってきた。
「なぜ腹が小さい」
と、聞いたら
「捨てました」
と笑顔で言われた。
シラドが詰め寄って話を聞くと「主人が困っているのに働けない奴隷には意味がない」と斬り捨てられる。
シラドはそう言わせた自分を恥じた。
シラドはすでに自分が怠惰であることは直せない、直したくないとしていたので常に奴隷を使うことはやめなかった。
しかしそれからは自分ができる範囲で奴隷を教育し、魔法を教え、道徳をほのめかせた。どれにも自信がなかったがガタガタ言っていられる立場ではなかった。
それから常にひとり、ないしは二人の身の回りの世話を行なわせる奴隷を残してすべて自立させ、また自分に強い感情を抱く前に捨ててきた。
その中でもフランデは、当たり前だが今でも何かしらの感情を持っている。
一方的に捨てたようなものである。
今まではフランデがシラドの元へ出向いていたが、初めて訪れた孤児院を見てシラドは少しだけ安心していた。少なくとも自分で作った居場所があるということを。
本当ならその日のうちに変える予定であったが、フランデの強い希望により一泊だけすることになる。
ただし、アララとアズは次の予定地に行くように指示する。
「フランデが俺に一泊しろと言っている。この意味がわからないほど子供じゃないだろう」
アララが悲しい顔をするが最後には納得してアズに引かれるように出て行った。
フランデに恋人もできて、なおここに泊まる意味を考えながらシラドは眠りにつく。
もちろん、誰もこない。
翌日、フランデに会うのはこれで最後であると一方的に告げて孤児院を後にしようとする。
門の前で昨日、邪魔した少年が罵詈雑言を吐いて「二度と来るな」と言ったのをシラドは仕方ないと受け入れた瞬間、少年の頭が爆発する。
隣にいたフランデが少年の頭を爆破魔術で吹き飛ばしたのだ。
驚愕するシラド。
無意味な殺人の理由をフランデに問う。
「だって、ご主人様を馬鹿にしたんですもの。ご主人様の愛を受けてもいいのは私と、もういない八人の徒弟達だけ。私以外誰もいないから、私だけが許される愛を受けてもいい」
シラドの元奴隷達をすべて殺したと宣言したフランデにその理由を問う。
「みんなを、いらないなら私が貰います。私が貰って、私が管理したら、きっとご主人様の苦しみは少なくなる。もしかしたら少なくならないかもしれないけど、その線は一本にまとまる。私だけに繋がる。苦しいの半分を持たせてください」
「俺の心を他人が理解する必要はないし、俺の心を持つ必要もない。俺は俺だけが理解しようと、思い悩み続ければいいんだ。お前はお前の悩みを見つけろ!」
「私の荷物は何ひとつ必要ありません。だから、少しだけでもいいから……」
「くどいな。お前は嫌いじゃない。むしろ好きだ。だから嫌わせないでくれ!」
フランデ、事前起動させておいたサーモバリックを連続発動させる。
半径二百メートルのすべてが吹き飛ぶ。驚異的な衝撃波がすべてを吹き飛ばす。サーモバリックを作成するに当たって、作り上げたサーモバリック専用の防御魔術の高速発動でシラドは耐えるが、フランデの後方にあった孤児院が吹き飛んでしまう。
孤児院のすべての人間が死んだかと思われたが、シラドはその魔力を感じ取って助けに向かおうとする。しかしフランデに止められる。
「あれは私のものです。あれで心を痛める必要はありません。私の奴隷達です。私が好きにしてもいいものばかりです」
その言葉にわずかに逡巡したシラドを縫って、フランデがサーモバリックを発動させて、完全に孤児院のすべてを破壊し終わる。
「心を痛めないでください。あれは私の分の心の痛みです。ご主人様が気に病むことはありません」
フランデの荷物を、責任の一端が自分にあることを理解しているシラドは膝をつく。
自分の荷物をフランデに持たせないということは、逆にフランデの責任を持てないということを力ずくで立証させた状況に絶望する。
「私は、あの時から、ずっとご主人様の言いつけどおりにしてきました。人を育てることも、優しくなることも、道徳を覚えることも、ご主人様以外の誰かを好きになることもしてきました。だから少しだけでいいから、私にもご主人様の力になりたいです。少しだけでも、私が減らした分だけでも、元に戻してあげたい」
「女といっしょにするなよ。男の傷は勲章だ。男が女につけた傷は、ただの罪過だ」
「嘘つき、そんなこと思っていないくせに」
自信のあった仮面を透過されるように本心を見透かされる。
だが、フランデの言葉は自分をを見透かしているわけではないとシラドは確信する。ただのブラフだ。本当にそう思っているなら、こんなアプローチをかけず、ただ甘えてきたほうが誰も傷を負わず、シラドは屈する。
突き放しても帰ってくる子犬を打ち付けられるほどシラドの心は強くない。
だからブラフであると見抜く。
だからこそシラドはそれを悟られてはならない。
誰もいなくなった広場でシラドとフランデが戦う。
「戦いたくない、止めろ!」
「ご主人様は私が何をしても絶対に勝利します。大丈夫です、自分を信じて全力で戦ってください」
「正気か!」
敗北する前提で戦うフランデがサーモバリックを使う。しかし不意打ちを防いだ以上、実験時にほぼ完全に無効化する時空系の防御魔術を貫通させることができない。
フランデは仕方なく攻撃を切り替えて円錐状の物体を射出してシラドを攻撃する。シラドが得意とする小型ミサイル群を生成する魔術だ。ひとつひとつは大したことないが一撃でも直撃してしまうと体勢を崩されてあとはなすすべもなく後続の攻撃を貰ってしまう。
短い間、一秒か二秒しか持続しない時空系の防御魔術と相性の悪い攻撃だ。しかし今度は強力に魔力負荷した麻痺撃魔術で高速で撃墜されてしまう。フランデは至近距離でマイクロミサイルの爆発を受けてしまい気絶しそうになるがすんでのところで耐えると、さらに攻撃を行う。
しかしそのどれもシラドが作り上げた魔術であり、他の魔術師ならいざしらず、そのほとんどが通用しない。それでもフランデは攻撃を続ける。
「お前の負けだ。攻撃を止めろ。俺が悪かった。俺の隣にいるんだ」
「駄目です。私は死ぬまで攻撃を止めません」
街の破壊を行ない始めたところで、シラドがフランデと本気で戦う。
「