栄養ドリンクは1日に何本も飲まないこと
咬殺動物の攻撃ははっきり言って単純だ。
開いた距離から一瞬で間を詰める。
間が詰まった時にはもう飛びかかってきている。
伸し掛かるように。
押し倒すように。
ミートの胸にチーターの膝が当たって、ミートはバランスを崩す。その時には鎧われていない目と首にがっちりと2本の刃が食い込んでいた。
まるで上顎と下顎だ。
獲物に食らいつき、咬み殺す。
次の瞬間には身体のバネと脚力でもって倒したミートを土台に離脱。
これが瞬間瞬間で起こる。
一度に何人も咬み殺す訳じゃない。
一度の跳躍でひとりが倒れる。
ひたすらにそれの繰り返しが起きるだけ。
ただそれだけで、瞬く間に3人のミートが倒れた。
チーターに近いミートが混乱して階段を登ろうとするのだが、下だけが階段を登ろうとしても、上が詰まっていれば進めない。
上は上で、階段の折れ曲がった先にいるので、下で何が起こっているのか分からずに止まっていた。
しかも、タイミングの悪いことに上にもサラリーマンが現れたらしく、どうするだの助けてだの言ってやがる。
何度か狩猟をして、チーターが苛立ったように叫んだ。
「XXじゃXX、XこぉくXるXXXぇXXぁーー!!」
現地語なので何言ってるのか、さっぱり分からないが、邪魔するなとばかりに怒りまくっている。
サラリーマンは、この時間帯は特に行く手を遮ると怒り出す。
それを利用してイライラさせてミスを誘うのは、エリートリザードマンの常套手段なのだが、こいつ相手にはただひたすらに恐ろしいという思いしか湧いてこない。
チーターは遠回りなどは決してしない。最短距離を突き抜けるようにして、どこまでも突き進む。
まるで槍だ。
まるで矢だ。
諦めることを知らず。
曲げることを知らず。
そして未だ負けることを知らない。
折れず、歪まず、まっすぐに。
突如として、チーターが左手の剣を床に突き立てた。
社員でもないのに、どんな腕力してやがるんだか、ぴしりと床が割れてチーターの手を離れても、突き立ったままだ。
そしてチーターが背負っていたバッグに手を伸ばす。
取り出したのは1本の缶だった。
真っ黒な缶。
まるでこの世の邪悪を集めたような禍々しさを覚えるのは、そこにある不気味なまでに鮮やかな緑の爪あとのせいだろうか。
チーターはそれを片手で開けて、煽るようにして口の中へと、中の液体を流し込んだ。
時間が惜しいとばかりに、すべてを飲みきらずに投げ捨てる。
なんだ?何が起こる?
激しく嫌な予感しかしない。
ミートたちも感じたのか、誰もがチーターを恐ろしげな目で固唾を呑むように見ていた。
一瞬の静寂の中、缶が床に落ちて、残っていた液体を撒き散らす。
チーターの動きが初めて止まった。
剣をだらりと下げ、目を閉じ、そして時が止まる。
チーターの目が開く。
空の左手が得物を求めて剣へと伸びる。
不気味なまでの静けさの中、剣が床から抜ける僅かな音が辺りに響いた。
チンッ、と。
硬質で鈴の音のように、冷たい音。
始まる。
始まってしまう。
その音は、まるで斬首台の刃が最上まで持ち上がる音のように、どこまでも冷たく辺りに響き渡った。
チーターが身を屈め、剣を構える。
そして、走った。
起こることは一緒だ。
走る、ぶつかる、剣を突き立てる。
そして倒れる者がひとり。
だが、今までと違うのは、離脱先が次の得物の前だということだ。
あるいはぶつからずに、通り過ぎた時には剣が血に濡れている。
刺し貫いたのだと分かった時には刃は既に抜かれ、濡れている。
べっとりと。
その血をぬぐうようにして、また次の得物に刃は突き立つ。
あれだけいたミートが、あっという間に数を減らしていく。
瞬きひとつした時にはチーターとの距離が悪夢じみて迫ってくる。
俺は既に逃げることも、戦うことも諦めた、文字通りの動かないただの肉と化したミートに挟まれて動けない。
これでは本当に屠殺場ではないか。
作業場の流れに乗って血を抜かれ、皮をはぎ、内臓を抜き取り、後には立派に加工された肉が残るのみ。
このままでは死ぬ。
こんなのが俺の死なのか?
今までにも死ぬと思ったことは何度もあった。
戦場なんてそんなもんだ。
死ぬと思わない戦場は戦場じゃない。
死ぬと思うから生き残ろうと必死になるのだ。
誰もが必死に無様に抗う。
それが戦場だろう?
何を突っ立ってやがる。
何を待ってやがる。
死ぬのをか?
殺されるのをか?
そんなものは戦場じゃない。
ここは俺の戦場だ。
こういう奴は何度も見てきただろう?
勘違い野郎だ。
勇者を自称する馬鹿。
英雄なんて祭り上げられて、自分が大勢の仲間を救えると思いあがった馬鹿。
そうしている内に命を落とす馬鹿野郎。
そいつらと一緒だ。
命を持った一個の生物。
心臓を戦いに差し出して、落としたり、潰されたり、無くさないと思わない奴はもう死んでいるのと同じだ。
こいつは勘違いしている。
自分の命だけは違うと。
自分の心臓だけは違うと。
「ぐるぁあああああ!」
叫んだ。
己のすべてでもって。
今あるすべてを込めて。
叫びに気が抜けたように近くのミートたちが崩れ落ちた。
崩れ落ちた肉リーが俺を見ている。
まるで俺を分かっていないように。
今、目の前にあるのが何なのかを分かっていない目で。
勇者とは生者ではない。
英雄とは生者ではない。
死んで何かを残した奴が本当の英雄だ。
ならば生きている間に動かなければ何も残せない。
何かを残せなければ英雄にはなれない。
だから動け。
剣を握る。
力は入るだろう?
盾を構えろ。
奴の剣は盾すら切り裂く魔剣神剣の類じゃない。
ミートたちが崩れて、遮るものがなくなった。
チーターと俺との間に視線が通る。
そうだ。
俺を見ろ。
お前の敵は俺だ。
お前の敵の俺を見ろ。
ただの敵。
俺の死ではない。
俺たちは勇者じゃない。
英雄なんてものでもない。
分かってる。
地力が足りない。
伸びしろがない。
ああそうだ。
なれるとも思えないし、なろうとも思わなかった。
日々戦いに身をやつし、命を落としていく有象無象のひとかけら。
名前も残さずに消えていく烏合の衆。
俺と同じような奴なんていくらでもいる。
言い換えれば誰も彼もが俺なのだ。
奴ら現地人にとってはみんな一緒。
判別する必要なんて微塵もない。
ゲームに出てくるただの雑魚キャラ。
誰かのただの経験値。
記憶にすら残らない数値のひとかけらさ。
日々戦い、そして死に損なって家に帰る。
だがそれで良い。
それが俺だ。
ただのリザードマンにはそれがお似合いだろう?
ただの死に損ないだ。
死に損なって死に損なって死に損なって。
その果てに生き損なうだけ。
そんな馬鹿が俺達だ。
そして、お前もただの死に損ない。
いつか必ず生き損なう日が来る。
今までツイてて良かったな?
いつまでもツイてるなんて一生勘違いしてやがれ。
「来いよラッキー野郎。何か悪いことでもあったのかい?機嫌悪そうじゃんか」
言葉は分からずとも、雰囲気は伝わっただろう。
挑発。
からかい、嘲っている。
それが分かったはずだろう。
俺は笑っている。
アイツにリザードマンの俺の素敵な笑顔が分かるかは不明だ。
しかし、アイツは俺の言葉を聞いて眉間にシワを寄せた。
とことん機嫌が悪そうだ。
どうした?彼女にでもフラれたか?
「悪いな。俺はなんだか気分が良い」
チーターの呼吸を読んで分かる。
来る。
その数瞬前に呼吸を整える。
一瞬だ。
来るぞ。
来るぞ。
ほら、来た。
膝を突き立てるようにしてチーターが迫る。
刀で迎撃?
いいや、それは出来ない。
させて貰えない。
前に見たことがある。
そうしてただひとつの武器を差し出すと、奴はショートソードで防ぐ。
そのまま弾かれてがら空きになった首をロングソードでグサリだ。
盾で防いでも同じこと。
両の手の牙が同時に突き立ってくるだけ。
奴の手には攻守ふたつに使える剣がふたつ。
この膝は第3の武器なのだ。
これは防がせるのが狙いなのだ。
だから俺はこれは防がない。
そのまま胸の中央で受ける。
衝撃に息が詰まる。
ちくしょう。
例の衝撃吸収のラバーアーマーでもあれば、なんてことないんだろうが。
呼吸が漏れそうになるのを堪えた。
その間にも刃は迫る。
それぞれ角度の違う上顎と下顎。
これを防ぐためにわざわざ胸で受けたんだ。
なのに、チーターの突きは既に迫っている。
何とかショートソードには右手の刀が間に合った。
しかしロングソードは間に合わない。
どうあっても盾では防げない。
刃に当てることは出来そうだが、角度が悪い。
このままでは滑らせ、そのまま俺の首を一突きにするだろう。
激突は一瞬。
須臾にも満たない切り刻まれた時の切れ端のほんのわずかなひとかけら。
それを止まった時のように感じていた。
これがチーター。
これがネームド。
悪魔め。
これなら本社の上司連中の方が幾分マシだ。
戦場に別れはいらない。
「あばよ」も「じゃあな」も無しだ。
これは俺の見込み違い。
まあ、そんなのいくらでもあったさ。
今日はたまたまツイてなかった。
奴がラッキーで、俺がアンラッキー。
こんなことならキスでもしてやりゃ良かった。
奴に不運が伝染れば良い。
意外に奴の顔は近い。
ならちょっと頭を伸ばせば出来るんじゃねぇか?
そんな悪戯心が思い浮かぶ。
あとちょっと。
あとちょっと。
だが、そんな瞬間は来なかった。
馬鹿な事を考えてるからだ。
だが、それが俺だったんなら仕方がないだろう?
……。
……。
……。
痛み。
血がしぶくのが目の端に映る。
終わりか?
いいや。
終わりじゃない。
俺の剣と奴の剣。
合計3本だったはずの剣に4本目が生えていた。
真下から。
差し出されるようにして。
「僕は肉じゃないでち。出来ることがあるのでち」
俺の叫びに倒れたミート、肉リーが膝を起こして剣を差し出していた。
それでも完全には間に合わなかったのか、俺の首をチーターの剣が浅く裂いた。
だが、それで十分だろう。
口を開く。
俺たちにはサラリーマンにはない武器がある。
アギトが開かれ牙をむく。
奴の顔は目の前だ。
噛み潰してやればそれで終わり。
アンラッキーだったのは奴の方。
渾身の力で噛み付いた。
ガギリと硬質な音が頭に響く。
血の味がした。
鉄くさく、まるで口の中が錆びついたように。
それは奴の血じゃない。
勢い余って口の中が切れた俺の血だ。
既に奴は離脱していた。
どこまでも早く、速い。
それがチーター。
「みんな立つのでち!先生は死ななかった!奴でも殺せない相手がいるのでち!盾を構えるのでち!僕たちの盾は大きい!みんなでひとつの盾になるのでち!みんなでみんなを守るのでち!早く!」
その声にミートたちが立ち上がった。
何も出来ない、戦えない肉と揶揄されたオークたちが。
自らの足で立つ。
誰のためでもない、生き残るために。
生き残ること。
それこそが戦いなのだと。
チーターの表情がまた一層険しくなる。
激情でそのうち火でも吐きそうだ。
不意にチーターがちらりと頭だけを巡らせて後ろを確認した。
そこには現地人のパーティーの姿はない。
あるのは俺たちの味方、社員たちの姿。
その中にはシアやベンケイの姿もあった。
いかに奴とて、これだけの数で囲めば動きを封じることが出来るだろう。
チーターがちらりと手首を見た。
そこにある小さな計器を見て、舌打ちする。
そこからはまるで風のようだった。
奴は逃れるように空いていた階段の下へと向けて走りだした。
今まで一度として自らの道を変えることをしなかったネームドが、これ以上は時間の無駄だとばかりに駆け去っていった。
突き刺すような一瞥だけを残して。
奴の姿が消え、辺りが静けさに包まれた。
奴が逃げた。
その意味を誰もが捉えられずにいた。
冗談だろう?
そんな感じだ。
だが、奴は戻ってこない。
奴は去った。
それが分かった時、ミートたちが倒れるように膝を折った。
歓声が上がる。
それは迫っていた社員たちから。
思い出したように首に痛みが走った。
手を当てれば結構な血が出ている。
見ればベンケイとシアが俺に向かって走ってきていた。
どうやらまた死に損なったようだ。
「やれやれ、当分英雄にはなれそうにないな」
俺の声を聞いて、近くにいたミートたちが騒ぎ始める。
「何言ってるでちか!勇者でち!英雄でち!王子でち!」
「待て、ドサクサに紛れて王子とか言った奴は誰だ!?」
俺が怒りを示すと、ミートたちは立ち上がって、ぷうぷうと蜘蛛の子を散らすように逃げた。
「そういや先生、アイツにキスしようとしてなかったでちか?」
側に立っていた肉リーが尋ねてくる。
……。
なんのことだ?
コイツは何を言っているんだ?
「馬鹿なことを言うな。なんで俺がそんなことをする?」
「いや、先生を助けようと剣を突き出したら先生が急にキス顔しだしてびっくりしたのでち」
なにを馬鹿な事を。
俺がどうして現地人の男に欲情しなくちゃならんのだ。
「なんだとセイル!?貴様は私たちというものがありながら!!」
「そうですよ!あんなサラリーマンの方が良いというのですか!?」
側に来ていたOLふたりまでもが騒ぎ出す。
「ああ、もう!うるさいな!良いか!俺はソロだ!俺はひとりで戦いたいんだ!だからもうお前らは俺に構うな!」
これだから仲間というやつは喧しくて面倒で仕方ないのだ。
後日、俺は掲示板に新たな謎のリザードマンスレ、王子スレに新たなスレが増えたことを聞かされ、本社の魔王室から身を投げ出したい衝動に駆られたのは、また別の話だった。
そして我ら社員の日常は続き、奴ら企業戦士の日常もまた続く。
― 渋谷駅ダンジョン おしまい ―