シャチョウがまたなんか言い出した結果
そっちかよ。
とは、自分でも思った。
毎朝毎朝飽きもせず。
車窓に映る自分の姿を見て、俺はため息をついた。
反射して映る車内の様子はものものしい。
朝の通勤ラッシュは路線の充実により、往時よりは緩和されたとはいえ、まだまだキツイ。
板金鎧の中年リザードマンが気を紛らわすように、ナイフの曇りを眺めている。
眠そうに車内の落描きを見つめるOL。
人間の美術感覚に刺激されたのか、画材道具を手に落描きしているリザードマンふたり。
その他、現在開拓中の新会社「地下鉄」に向かう車内は、どこでも見られるような顔ぶれでパンパンだ。
どうしてOLもリザードマンも朝の同じ時間帯に始まるようにするのか?
少しくらいずつでもずらせば、こんな混雑など起こりえないのに。
考えても仕方のないことなのだろう。
そんな埒もないことを考えていると、アナウンスが目的の駅に、まもなく着くことをアナウンスする。
「間もなく渋谷、渋谷。終点です。お忘れ物なさいませんよう、ご注意ください。当線をご利用いただきまして、ありがとうございました。お出口は左側です」
車内の空気が一変する。
眠そうだったOLも、ナイフの曇りを一心に見ていたリザードマンも、誰も彼もが目に光を灯す。
眼光。そうとしか呼べないものが放たれているように見える。
車窓に映る自分の目も、同じ目をしていた。
車内にゴトリゴトリと重々しい音が響く。
乗車中は迷惑になるからと、網棚に上げられていたOL用の丸太を、近くにいるモノたちで協力して下ろす音だ。
ザックから金属製の盾を出す者もいる。
俺も足元に置いておいたザックから、自分の頭よりはやや大きい丸盾を取り出した。
通称ナベのフタだ。
今では当たり前の光景、見慣れた光景。
「我が社の雇用状況を一新する」
突然、魔王が宣言してから早幾年。
当時、爆発的な人口増加を起こしたオークの中に、働かずに親のスネをかじり、闘争本能を一欠片も持たない若者、通称ミート(戦わない肉)が現れ、オーク人口の一割を突破、社会問題になりつつあった折の宣言だったので、熱烈に支持され、新会社の開拓が行われた。
召喚魔法、転移魔法、時空魔法の複合なる新規事業が魔王によって無理矢理に推し進められた結果、ついに見つけた新会社。
そこにはスーツなる珍妙なクロスアーマーを身にまとうバーサーカー、企業戦士が溢れかえった「地下鉄」なる危険地帯だった。
魔王は直ちにエリートリザードマンを派遣。敵対的、恫喝的営業後、完全子会社化するつもりだったのだが、予想外の現地人の反抗に会い、OLまで投入するも、未だに均衡を保ったままだ。
初期に投入されたOLがお局様化して、婚期が遅れるという由々しき事態も起こっているため、新たなプロジェクトメンバーとして、ドラゴンも動員しているのだが、状況は芳しくない。
ミート(戦わない肉)の増加も著しく、このままでは本社にあるという人材開発室なる謎の部署、実際にはただの窓際待機部署が飽和どころか破裂してもおかしくない。
「これは、ノイエ真改ですか?良いですねえ。私も持ってるサラリーマンがいたら分捕ってやろうと思ってるのですが」
近くにいた先ほどのナイフの曇りを見ていた中年リザードマンが俺の刀を降ろしてくれたので、礼を言って受け取る。
「ちょっと重いですけど、良い刀ですよ。僕なんて、わざわざこれが欲しくて渋谷に異動したようなものなので」
ノイエ真改は昔存在した、エドジョーなる子会社でたまに出現していたダイミョーなるレアな種族が持っていたとされる名刀、井上真改をモダナイズしたもののようで、社員の間でもグッドなデザインと話題の名品だ。
これで量産品というのだからサラリーマンの技術力には頭が下がる。
以前に井上真改は愛用していたのだが、さすがに100年も酷使していたら限界だったようで、ぽっきりと真ん中から折れてしまった。
代わりに似たような刀を探して使っていたものの、どうにもしっくり来ない。
そんな折にノイエ真改なる刀があるぞと聞いて、俺は小躍りしたものだ。
どうやらノイエ真改は普通のサラリーマンは持っていないようで、渋谷や表参道、恵比寿によく現れるギョーカイジンなる種族が持っていることが多いと聞き、わざわざ異動させてくれるように人事に頼んだのだ。
ずっと欲しくてギョーカイジンが現れるのを待ち続け、ついにこの間、ソロで無茶してる馬鹿なサラリーマンから分捕ってやった。正直、ギョーカイジンというのはガクセイと見分けが付きにくいため、狙いづらかったので助かった。
今頃、あのサラリーマンは枕を涙で濡らしていることだろう。
魔王からの通達で、基本的に俺たちがサラリーマンを殺すことはない。
今までの新会社開拓でも見られたことなのだが、現地人は殺すよりも負傷させて後退させた方が戦略的に見て現地人の損耗が大きくなる。
殺せば糧食は必要なくなるが、負傷者ならば必要な糧食は減らない。
戦線を維持するためには新たな兵員が必要になり、そして新たな兵員が来れば来るほど必要な糧食は増える。
だから捕虜も取らずに、負傷させて見逃すというのが社員に徹底されている。
しかし相手はそんなのお構いなしにこちらを殺しに掛かって来るのだから不条理なことだ。
魔王の不条理は今に始まったことではないので、文句をいう社員はひとりもいないのだが。
「私もあと10年若ければ、ソロで行けたんでしょうが」
中年リザードマンは、俺がソロなことに気がついたようで、目を細める。
着ているのは打撃の衝撃を吸収するクロスアーマーだけ。斬撃、刺突にはリザードマン固有の鱗に頼るのみ。サラリーマンの使う武器は侮れない。ニッホン、ニッホンと言いながら斬りつけてくる刃は鱗では防ぎきれない。
だが、リザードマンの特性は機動力だ。
自ら機敏さを手放すことはどうしても俺には出来なかった。
軽装過ぎる防具に、高い攻撃力の刀。
この組み合わせは純粋なアタッカーのもの。
なのに、わざわざ盾を持つ。
通常、刀と盾は同時には使わないのだが、俺はいつも人より半歩行動が早く、足並みを揃えるのがどうしても苦手で、仲間と無縁だ。
パーティーを組めば刀を持つアタッカーに盾はいらないのだが、トロトロしていると感じる仲間に合わせるのが嫌でソロで強引に進むことも多い。
するとどうしても囲まれてしまうことがあり、刀で血路を開き、シールドバッシュで無理矢理に包囲を突破するというような無茶をする必要が出てくる。
こういう無駄に攻撃力の高い武器に不似合いな防具を装備をしている奴は、ソロが多い。
中年リザードマンは逆にパーティーでどっしりと進んでいくことを想定しているのか、板金鎧を着込んでいた。随分使い込んでいるようで、金属疲労で割れができているのが見て取れた。
「いやいや、今でも行けますよ」
お世辞を言っている間に扉が開く。
既に車内は武装を整えた乗客でいっぱいだ。
武器を持って押し合うと、甚大な事故が起きかねない。
去年の暮れに、どこかの馬鹿が痴漢で捕まりそうになって逃げ出し、その際にOLに丸太でどつかれ、武器を持ったまま吹き飛んでひどい事故になった。
今でもホームに献花がされていて、俺はそちらをちらりと向いて胸をいためた。
まるで軍隊みたいに順序正しく、整列して乗客が降りていくのに合わせて進み、ホームに降り立つと様々な声が耳に届く。
「地下3階層、半蔵門線行く方!パーティー組みませんか!?」
「急募!盾使える方!今週ノルマがキツイんで、急いでいます!誰か!?」
「長期パーティー募集!来週まで!」
基本的に配属された先でのパーティー編成は個々の裁量に一任されている。
ずっと同じメンバーでパーティーを組んでも良いし、いつも違う者と組んでも良い。
まあ、サラリーマンの抵抗は激しく、死ぬ者、引退する者は後を立たないので、なかなか同じメンバーでずっと生き残り続けるのは難しい。
それでも社員の士気は高い。
今代の魔王は新規事業には否定的で、従来の会社を大事に発展させれば良いと長いこと考えてきた。だが、それでは増え続ける社員に十分な働き口が無くなってしまう。そして安定した会社経営によって各種族の人口は増加、中でもオーク種はまさしく爆発と言うべき激増を見せた。
ところが働き口は決まっていて、重要なポストは既に先人によって埋まってしまっている。これではミート(戦わない肉)が現れるのも当たり前だ。
やっと魔王が重い腰を上げて、新規事業を始めたのは良い。
それは全社員が諸手を挙げて賛成するに決まっている。
しかし、その先がこの珍妙な「地下鉄」なる場所ということには疑問を覚えないでもない。
いや、言っても仕方ない。
代々の魔王もいきなり会議の場に現れては、様々な部署にイノベーションと言う名の無理難題を押し付けてきたのだ。
とにかく、この「地下鉄」なる場所で大きな成果を出せば、やがてはプロジェクトリーダーに、そして部門長、やがては重役のポストも見えてくる。
なにしろ未開の新天地。ここには文句を言うだけでなかなか決済をくれない上司も、俺がやっとくよ!とか「頼れるだろ俺的」に言いながら忘れて放置する先輩もいない。
今、やる気を出さなくては、未来のポストは開かれない。
死んでも会社の窓際で、今日もいっぱい現地人が押し寄せてるなぁ、まるでゴミのようだぁ、なんて誰かが戦っているのを眺めているだけのリザードマンにはなりたくない。
俺は「それでは」と中年リザードマンに簡単に別れを告げて、開拓中の新会社「地下鉄」へと足を踏み入れた。
本社=魔界
会社=ダンジョン
社長=魔王
社員=モンスター
OL=オーガレディ
サラリーマン=リザードマン
鉄道職員=鉄製職員
営業=傷害、および暴行
書いている自分がもう、ナニガナニヤラ。