プロローグ
調子にのってみました。
おそらくそんなに長くはならないかと?
毎朝毎朝飽きもせず。
車窓に映る自分の姿を見て、俺はため息をついた。
反射して映る車内の様子はものものしい。
朝の通勤ラッシュは路線の充実により、往時よりは緩和されたとはいえ、まだまだキツイ。
スーツ姿の中年サラリーマンが気を紛らわすように、スマートフォンの画面を眺めている。
眠そうに車内の映像広告を見つめるオフィスレディ。
美術系の専門学校に行くのか、画材道具を持った学生風の女子ふたり。
その他、ニッホン中のどこでも見られるような顔ぶれで車内はパンパンだ。
どうして学校も会社も朝の同じ時間帯に始まるようにするのか?
少しくらいずつでもずらせば、こんな混雑など起こりえないのに。
考えても仕方のないことなのだろう。
そんな埒もないことを考えていると、アナウンスが目的の駅に、まもなく着くことをアナウンスする。
「間もなく渋谷、渋谷。終点です。お忘れ物なさいませんよう、ご注意ください。当線をご利用いただきまして、ありがとうございました。お出口は左側です」
車内の空気が一変する。
眠そうだったオフィスレディも、スマートフォンを一心に見ていたサラリーマンも、学生も、誰も彼もが目に光を灯す。
眼光。そうとしか呼べないものが放たれているように見える。
車窓に映る自分の目も、同じ目をしていた。
車内にガシャリガシャリと重々しい音が響く。
乗車中は迷惑になるからと、網棚の上に上げられていた刀剣を、近くにいる人たちで協力して下ろす音だ。
バッグから金属製の盾を出す人もいる。
俺も足元に置いておいたバッグから、自分の頭よりはやや大きい丸盾を取り出した。
通称ナベのフタだ。
多くのサラリーマンが今では標準装備していると言っても過言ではない。
近くにいた先ほどのスマートフォンを見ていた中年サラリーマンが俺の刀を降ろしてくれたので、礼を言って受け取る。
「これは、ノイエ真改ですか?良いですねえ。私も次のボーナスで買おうと思ってるのですが」
「ちょっと重いですけど、良い刀ですよ。僕なんて、わざわざこれが使いたくてジムにしばらく通ってましたから」
ノイエ真改は名刀井上真改をモダナイズして、グッドなデザイン賞も取っている名品だ。
「量産品。なのに業物」というCMは誰でも見ているだろう。
ずっと欲しくて迷っていたのだが、ついにこの間の昇給に合わせて買ってしまった。
通常、刀と盾は同時には使わないのだが、俺はいつもギリギリまで寝てしまい、会社には遅刻寸前だ。パーティーを組んでいけば盾はいらないのだが、遅刻が怖くてソロで強引に進むことも多いので、どうしても殺傷力の高い刀で血路を開き、シールドバッシュで無理矢理に進んでいくというような無茶をする必要が出てくる。
こういう無茶な装備をしている奴は、ソロが多い。
中年サラリーマンは逆にパーティーでどっしりと進んでいくことを想定しているのか、耐火コートまで着込んでいた。随分使い込んでいるようで、コートには毛玉ができているのが見て取れた。
中年サラリーマンは、俺がソロなことに気がついたようで、目を細める。
「私もあと10年若ければ、ソロで行けたんでしょうが」
「いやいや、今でも行けますよ」
お世辞を言っている間に扉が開く。
既に車内は武装を整えた乗客でいっぱいだ。
武器を持って押し合うと、甚大な事故が起きかねない。
去年の暮れに、どこかの馬鹿なおっさんが痴漢で捕まりそうになって逃げ出し、その際にぶつかられた人が武器を持ったまま倒れてひどい事故になった。
今でもホームに献花がされていて、俺はそちらをちらりと向いて胸をいためた。
まるで軍隊みたいに順序正しく、整列して乗客が降りていくのに合わせて進み、ホームに降り立つと様々な人の声が耳に届く。
「B3半蔵門線行く人!パーティー組みませんか!?」
「急募!盾使える人!遅刻しそうなんで、急いでいます!誰か!?」
「長期パーティー募集!横浜まで!」
今いるのは3階の銀座線だ。
ここから地下5階の副都心線まで行くのは大変だろうに。
そう思いながらも、俺は人混みをかき分けるようにして進んでいく。
今日も遅刻ギリギリだ。
パーティーを組んでいる時間はない。
改札を抜けると、早速にリザードマンの群れに出くわした。
度重なる拡張工事の果てに、渋谷がダンジョンになってから数年が経ったが、今でもこのリザードマンというのは慣れない。
威勢よく切りかかってきた2体の斬撃を刀と盾とで同時に受け止めると、俺は強引に振り払って突破する。
こういう時にジムで鍛えた実感が喜びとともに湧いてくる。
バランスを崩した2体を無視して進もうとすると、3体が行く手を遮る。
どうあっても俺を会社に遅刻させたいらしい。
「どけぇ!俺は5分で乗り換えるんだ!」
5分というのはコースレコードに近い。
ほとんど立ち止まらずに一気に駆け抜けるのに近い速度が求められる。
幸いなことに、リザードマン共に盾持ちはいない。
一度、突っ込むフェイントを入れると、2体が剣を振り下ろした。
馬鹿め、とばかりに振り下ろした2体の腕を一度の斬撃で切り落とす。
血が跳ねて俺の超撥水スーツへと飛び、赤い滴を弾く。
仲間の腕を切られたことに激高したように残った1体が突進してくる。
振り向かなくても、さっきの2体も立ち直って切りかかってくるのが目に見えるようだ。
いや、実際に盾に仕込んだムシジルシの手鏡にその姿が映っている。
俺は素早く盾を後頭部に掲げた。
二重の硬質な金属音が響く。
その時には俺は手にしていた刀を投げていた。
正面のリザードマンに突き刺さる。
振り返りざまに回し蹴りして2体のリザードマンを一蹴。
かけ出すと同時に刺さった刀を回収。
ようやくリザードマンの群れから抜け出す。
ここまで10秒のロスがあった。
だが、まだ俺の乗りたい半蔵門線には乗れるはず。
信じて駆け出し、階段を2段飛ばしで突き進む。
踊り場で逃げ出してきたのか、はぐれたのか、1体のオークを見つけたのでついでとばかりに切り倒して2階に到達。
良し、今度は順調だ。
オーガが現れたら面倒だと恐れていたのだが、未だその姿は見えない。
これならばいける。
そう思っていたら、B1階に至る手前のフロアで渋滞が起きていた。
10人、いや、20人以上の学生やらサラリーマンやらOLやらがたむろしている。
その先にはフルアーマーに身を包んだ鉄道職員の姿まである。
嫌な予感しかしない。
「この先、ドラゴンが発生しております!ご利用のお客様には大変ご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございませんが、振替乗車にご協力ください!」
「馬鹿な!」
どうやらB1階によりにもよってドラゴンが発生したらしい。
何しろデカイので、通路にでも顔を出してこられたら、それだけで先に進むことが出来なくなる。
つい2週間前に出たばかりだったので、完全に油断していた。
振替乗車すれば自然、遠回りになる。
更に振り替えたからといって、振り替えた先にも奴らは出る。渋谷は使い慣れているので、ほぼ一直線に乗り換えが出来るが、振り返れば着いた先の駅内のルートもいちいちスマートフォンで確かめなくてはならない。
これでは会社に間に合う道理がない。
苛立ちが目から火となって吹き出そうだ。
この間の昇給の時には、これ以上遅刻が増えると賞与査定で考慮しなくてはならないと言われている。
遅刻したくないなら早く起きれば良い。
分かっている。
それが出来ないから、毎朝こんなパワープレイをする羽目になっているのだ。
賞与が出たら買うつもりだったあれやこれやが浮かんでは消えていく。
「どうしましたか?」
そこで声を掛けてきたのは、先ほどの中年サラリーマンだった。
同じくらいの歳のおっさんたちでパーティーを組んでいて、見ているだけで安心感が湧いてくる。
ドラゴンが出ていて、この先が通行止めなこと、振替乗車を求められていることを端的に話すと、中年サラリーマンの目つきが変わる。
穏やかな笑みをたたえていた目に光るものが宿る。
そして自分たちのパーティーに、更には周囲の人たちにも聞こえる声を発した。
「この中にドラゴンと戦った経験のある人は?」
「まさか……」
戦う気なのか?鉄道職員がレイド単位で、フル装備で立ち向かってもドラゴンはそう容易くは打倒せない。ところが中年サラリーマンには経験があるのか、そんな修羅場はいくらでも切り抜けてきたとでも言うような余裕すら見える。
「ドラゴンごときに遅れをとって遅刻したとあっては、企業戦士の名折れですから」
そう言って、俺の肩を叩いた。
俺は気が付くと手を差し出していて、中年サラリーマンもしっかりとその手を握り返してきた。
「申し遅れましたが」
そう言って渡された名刺は、優良株として知られる大手企業、その重役の肩書が刻まれていた。
超重の怪物がフロアーを埋めるように、鎮座していた。
各線の鉄道職員がレイドを組んで、それぞれの役割を果たしながらも、突撃し、その度に跳ね返される。
ドラゴンは渋谷駅に現れる化け物の中でも一等図抜けた化け物。
こいつが出る度に、乗り換えは困難になり、数多の遅刻者を出し続けている。
そこに有志で集まったドラゴン討伐部隊が、鉄道職員の攻撃の間を埋めるようにして突撃した。
有志部隊にファイアーブレスの洗礼が浴びせられる。
だが、今突撃しているのはいずれも耐火コートを身にまとった企業戦士たちだ。
「ニッホンの科学技術なめるな!」
ひとりが気炎を上げて、硬い鱗に大剣を振り下ろす。
さすが重役クラスだ。
俺のような木っ端サラリーマンとは刃に乗った責任の重みが違う。
鱗を切り裂き、肉に食い込む。
ドラゴンがホラー映画のチアガールじみた悲鳴を上げる。
ちらりと中年サラリーマンがこちらを振り向いて、視線を交わす。
目が言っていた。
今のうちに行け、と。
突如として乱入してきた企業戦士の群れに圧倒されたのか、確かに通路の隅に抜けられそうな隙間が見える。
しかし、これで良いのだろうか?
俺は遅刻をする訳にはいかない。
いかないのだが、いくら重役出勤が許されているとはいえ、あの中年サラリーマンを生け贄にするような真似が許されるのか?
逡巡は一瞬だった。
中年サラリーマンが良いから行けと叫ぶ。
若者を先に進ませるのが、自分たち先達の役目なのだと言わんばかりに。
今なら行ける。
後に行けるとは限らない。
どうせ俺には耐火コートはない。
ドラゴン打倒には邪魔にしかならない。
だから俺は走った。
「この借りは、必ずお返しします!」
「期待している!」
端的なやり取り。
そして俺は進む。
今年のお中元はあの人にもハムでも送らねばなるまい。
ドラゴンの脇を通りぬけ、後は乗り換え目指して突き進むだけだ。
だが、そこで俺は聞いてしまった。
叫びを。
呻きを。
ちらりと振り向けば、あの中年サラリーマンがドラゴンの尾に弾き飛ばされるところだった。
その苦痛に歪む顔を、確かに見てしまった。
あの中年サラリーマンにも家族はあるだろう。
妻がいて、子供がいて、家がある。
明日は土曜日。
週末である。
もしもあの中年サラリーマンが怪我でもすれば、家族サービスは台無しなのである。
不意に、そこに置いてある自動販売機が目についた。
そこに並ぶラインナップを見て、俺の足が止まる。
どうする?
やれるのか?
いや、やれる。
あの中年サラリーマンを助け、ドラゴンを秒殺し、会社にも遅刻をしない。
無理難題だらけだ。
現状、そのどれひとつとして叶えられるような状況ではない。
サラリーマンは苦境に立っている。
ドラゴンは秒殺できるような相手ではない。
始業の時間は刻一刻と迫っている。
だから普通に考えれば、どれかひとつを選ぶべきなのだ。
英雄なんて、どこにもいない。
それはダンジョンになってしまった渋谷駅に毎日通っていれば、嫌でも分かる。
それでも俺は試してみたかった。
自分の限界を。
財布から硬貨を取り出し、自動販売機に投じる。
さっきから俺の目を捉えて離さないその禁忌の飲み物のボタンを押す。
ガコン、とあっけないと思える音とともに、1本のドリンクが排出される。
そのドリンクは真っ黒だった。
まるでこの世の悪をすべて集めたかのような黒さ。
そして毒々しいとすら思える、緑の爪あと。
異世界の邪神が残したような3本線。
企業戦士の限界を引き出し、さらにその限界すらも超える力を与える禁忌の液体。
プルタブを開くと、封印が解けるのを待っていたとばかりに、中の液体が少し吹き出した。
その音が果たして聞こえたのか、中年サラリーマンが俺が何をしているのか、何をしようとしているのかに気づいた。
「やめたまえ!何人がそれを飲み過ぎて、体を壊してきたと思っている!?君は死ぬ気か!?」
知っている。
俺の同僚にも、毎日のようにこれを飲み、戦い続けた男がいた。
そいつは今は仕事をやめて、魂が抜けてしまったように、毎日を何をするでもなく狭い部屋の中で過ごしている。
これを飲んだ瞬間は、神とだって戦える気分になるのだ。
眠気は吹き飛び、集中力は冴え、気分は高揚する。
カフェインの魔力によって。
これでもニッホン仕様では、本国仕様よりもかなり効果は抑えられているという。
それでも、コイツはヤバイ。
ニッホンの企業が作る小さな190ml缶とは違い、355mlという大容量、その液体を俺は一気に喉の奥へと流し込んだ。
飲み干した瞬間、鼓動が止まったのではないかと錯覚するほどの静けさを覚えた。
以前は飲めば羽根すら生えるという青いドリンクを使っていたのだが、今はこれしか使っていない。
鼓動が響く。
その音と共に、俺は覚醒した。
俺の中の野生が解き放たれる!
鼓動が脈打ち、血が全身を巡るのを感じる。
「冴えてきたぜ!」
刀を抜き放ち、走る。
疾走する。
駆動する。
「はぁーっはっは!」
ドラゴンが振り向き、俺を見た。
「そうだ!俺を見ろ!」
この間買って、繰り返し見ているブルーレーの映画を叫び、突進する。
ドラゴンが口を開く。
ファイアーブレスだ。
俺には耐火コートはない。
浴びればただでは済まないだろう。
その瞬間に、俺は盾を投げた。
フリスビーのごとく、くるくると回転しながらドラゴンの口へと飛翔していき、そのまま口の中へと放り込まれる。
盾が詰まったのか、ドラゴンはぼふっと尽きかけのライターみたいな半端な炎を上げただけ。
苦しむように首をのたうち回せる。
「首を刈る!協力してくれ!」
俺の声に、手近な企業戦士たちが意図を察して集まった。
いっせいに盾を上に掲げ、俺の目を見る。
「やれるんだな!?」
俺は応える代わりに跳んだ。
掲げられた盾に乗る、一瞬深く沈み込む。
企業戦士たちが膝のバネでかがんだのだ。
「ファイトー!」
次の瞬間には、企業戦士たちがいっせいに膝を伸ばし、直立しながらも腕を勢い良く突き出す。
即席のジャンプ台。
そのバネに合わせて俺は飛翔した。
「いっぱーつ!」
手応えはやけにあっさりとしていた。
ノイエ真改は、グッドなデザイン賞に裏打ちされた、確かな切れ味と共に、確かにドラゴンの首を刈り取った。
歓声が上がる。
俺は、喜び合う企業戦士たちと、手を取り合う時間すら惜しいと言うように、走り出す。
「行くのか!」
「遅刻してしまいますんで!」
俺の声に返事をするように、企業戦士たちの笑い声がこだました。
時間は8時30分。
今ならまだ間に合う。
未だ早鐘を打ったままの鼓動に、保ってくれよ、と話しかけながらも、俺は急ぎ、会社に向かった。
「あれ?早いんですね?今日は」
会社につくと、事務の女史は驚いたと言わんばかり。
勢い余って始業の10分前に会社に辿り着いたのだが、しかしそこに広がっていたのは閑散としたフロアーだった。
ぽつりぽつりとしか社員がいない。
それも、女史と同じような、会社に徒歩数分圏内の社員ばかり。
思わず腕時計を確認するも、確かに今日は平日だ。
「今日は出社出来ないものは午後出社で構わないって、ライン入ってませんでした?」
言われて、焦ってばかりで一度も確認していなかったスマートフォンを確認すると、確かにそんな内容が通知されてくる。
聞けば各駅にてトラブルが多発しているために、そうなったという。
上野駅ではサイゴーさん像がゴーレム化して暴れ回り、東京駅では破壊神となった武将の亡霊が体を求めて首だけで飛び回り、池袋駅ではデュラハンが首を求めて走り回り、新宿駅では10万匹のスライミーが現れ、てんやわんや。
とてもじゃないが出勤可能な状況ではないと判断されたようだ。
「ゆっくり仕事出来て、良いじゃないですか」
そう笑って言うと、自動販売機でコーヒーを買うところだった女史はついでとばかりに俺に1本のドリンクを買ってよこした。
それは、この世の悪すべてを詰め込んだように真っ黒で、異世界の邪神が飛び出してきそうな鮮やかな緑の爪あとの残る缶だった。