春
ある年のこと。
4人の神様が相次いで死んだ。
最初の1人は、春の神様だった。
「困った……。これでは畑の作付けができん」
その日、引きこもりのメニィは母親に村中を無理やり連れまわされた。
「お母さま、あたしの体力を舐めちゃいけないよ」
ただ歩き回るだけで息を乱すメニィ。
そんなメニィを引きずる母親の息も上がっていた。
「そんなことよりメニィ、村を見てなにか気づいたことはないかい?」
「牛は臭い。じいさんも臭い」
真剣な顔をしてそんなことを言うメニィの頭上にゲンコツが落とされる。
「ゲンコツは痛い」
「畑の作付けができないのよ」
涙目で苦情を言うメニィにすぐに答えを渡す母親は呆れを通り越して怒っていた。
「畑の土はちゃんと耕されていたじゃん。じいさんが老体にムチ打って死ぬ気で種蒔けばできるでしょ」
「あのね、野菜の種は決まった季節に蒔かなければ実らないのよ」
「はあ」
「だけど、今年は春の神様が山から下りてこないから、作付けができないのよ」
「ああ、あの死んだじいさん」
メニィにとっては神様も村人も、じいさんには変わりなかった。
「そう。でも、今年は新しい神様が山の上の祠に降りてきているはずなんだけど、まだ村まで下りてきてくれてないのよ」
「ひきこもってるんじゃない」
「あんたと一緒にしない!」
怒鳴り声に堪らず耳を塞ぐメニィ。
「要するに、今年デビューの新米神様が来てくれないとお母さまは言いたいんですね」
「そんな軽いもんじゃないけど、春の神様が降りてきてくれないと、あなたが好きなトマトの種も蒔けないのよ」
「それは……困る」
ここ最近で一番の困りごとかもしれない。
「桜も咲かないし」
「美味しいの?」
「…………とにかく、春の神様を呼んで来てちょうだい」
「なんであたしが!」
「暇でしょ。それに気づかなかった? 村中を歩いてみて」
「みんな、あたしを見ていた。モテ期」
「ちがうわよ。あなたがひきこもりすぎて、村の人ですらあなたは珍しい存在なのよ」
確かにメニィは隣に住んでいる平均的な夢を抱く女の子の顔も名前も覚えてはいないが、それは村の人にとってもメニィが覚えられていないことにもつながる。
「ハーレム、玉の輿……」
このままではその夢が叶わない。
隣に住む平均的というか、平凡な女の子に先を越されてしまう。
「そこで村のために働きなさい。山の上の祠まで行って神様を呼んで来てちょうだい」
「あたしが? 神様を? 呼んでくる?」
「そうよ。はい、お供え物」
握り飯の入った風呂敷を押し付けられる。
「あの、年頃の女子におにぎり3つって。もうちょいファンシーにはできないわけ?」
「それはお供え物! 早く行きなさい」
こうしてメニィは3つの握り飯を持って、山登りをすることになった。
「……はあはあはあはあ」
すぐにバテた。
「お腹いっぱいでもう動けないけど、こんな虫がいそうな山の中じゃ休めないしってぎゃっ! なんか細くて長い虫!」
足元を這って行った虫に過剰に反応しているがために、山道でも足を止めずに、握り飯を3つとも道中で平らげながら、整備などされていない山道を進む。
その先に、人の手で作られた石の塊を見つける。
「あれが祠?」
山の中でありながら、太陽の光が差し込んでいるため、綺麗な舞台の上のようだ。
「神様って……」
素直にその神秘的な光景に心を奪われ――
「こんな足場の悪いところに住んでたら体幹おかしくなるわよ」
自らにも跳ね返ってきそうな言葉を平然と真顔で、手近にあった木に足を引っかけて、石の祠を見つめるメニィ。
「おーい、神様。春の神様! とっとと出てこーい。冬眠から目覚めろ。ついでに、あたしを麓まで背負って送り届けてー。あと春にして」
「一番肝心なのがついで!?」
突如として山の中に響く声は、去年まで村に春を届けてくれた老人とは似ても似つかない、若い声だった。
ひょっこりと石の祠の後ろから出てきたのは――
「犯罪者だ。猟銃持ってこなきゃ」
サングラスとマスク、そして手袋に帽子を被った長袖長ズボンの子どもだった。
「ちょっと待って、お姉さん!」
「あたし、年下属性はないんだけど」
「実際の年齢は人間の何倍も生きてるから、きっと僕の方が上なんだけど……」
「で、なに? なにか用? 食べ物ならないわよ? 無理やり食べたから」
「……神様に会いに来て、お供え物ないんだ」
がっくり、と肩を落とす少年。
「神様? あんたが? おかっぱ頭なのに?」
「仕方ないじゃないですか。僕たちだって、まだ神様の修行中だったのに、先代が寿命よりも早くに他界してしまったから不十分なんですよ。あとおかっぱは関係ないです」
「ふーん。神様ってそういう感じなんだ。人手不足ならあたしがやろうか?」
神様になれば、きっと楽して遊んで暮らせるし、村人の誰もが待ち焦がれる存在だ。
きっと村中のイケメンを従属させられる。
「心の疚しい人はなれませんが」
「断言すんな、神」
「そう言われましても……。それに季節の神様の枠はもう埋まっているので、空きはないですよ」
「今、この誰も見ていない場所で不慮の山事故が起こる可能性は」
「神様が見てますよ。って僕ですよ」
一人で元気にノリツッコミをする春の神様。
「まあ、今は神様になることは諦めてあげるけど、なんで麓に下りてこないの? 蹴り落とせば速いよね?」
「理由を聞いているんですか、いないんですか」
はあ、と春の神様は母親と同じようにため息を吐く。
「実はですね」
「出た、同情を誘うような身の上話」
あからさまに嫌な反応をされて、出鼻を挫かれそうになるが、春の神様とて、麓で待っている村人がいるのを知った状況で、ただ祠にひきこもっているわけにはいかない。
口の悪い女の子でも話しておけば、村に伝わるだろう、との思いがある。
「春の神様に任命されたんですけど、僕は春が嫌いなんですよ」
「なんで?」
春は野菜の種を植えたり、綺麗な桜が咲いたり、一番過ごしやすい気候だ。
ただ風が強いのがちょっと困りものだが、ひきこもりのメニィには関係ない。
「その、ですね……僕、花粉症なんです」
「現代人か」
春の神様の一世一代の告白は、ものの一瞬で一蹴された。
「でも、そういう理由でそういう格好か。春なんて短いんだから、とっとと仕事をして、とっととひきこもればいいじゃない。アホらしい」
「ううっ……」
そう言われればそうだし、なにより季節の神様なのに、その役割である春の訪れをしていないのは職務怠慢だ。
このままでは村が滅んでしまう恐れもある。
「花粉症は辛いかもしれないけど、あんたが仕事をしないとね、困るのよ、あたしが」
「そうですよね。人間は困りますよね」
「あたしがひきこもれないじゃない。早く行くわよ」
メニィは春の神様の手首を掴んで、強引に山の麓まで連れて行くと、最初は2人の不審者に驚いた村人たちも、事情を話したら理解してくれ、受け入れてくれました。
そして春の神様は自分の仕事をしたのです。
季節の訪れを報せに村中を巡ると、山の木々に桃色の花が咲き、今までよりも強い風が吹き、暖かな風が村に運ばれてきました。
ゆっくりと、そして確実に、例年よりも少しばかり遅れて春がやってきたのです。
くしゃみの声と共に。
「春の神様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします」
村人たちが、新米の春の神様にお礼を述べると、神様は目と鼻を真っ赤にして、涙と鼻水を垂らしながら、苦しそうに山に戻っていきました。
「よし、あたしは部屋からもう出ない」
それを見送りもせずに、メニィは自分の部屋にひきこもりましたとさ。