出会いあれば……
「……う~ん……」
市場が立っていた第二広場を出て通りを歩きながら、私は自分の左腕を目線の高さにまで上げ、そこに嵌まった腕輪をじっと見つめた。
「……ユイちゃん、その腕輪は外しちゃ駄目だよ? それは、奴隷が主人に逆らえないようにする為のアイテムであると同時に、彼が間違いなくユイちゃんと契約してるっていう証でもあるんだから。彼だけが奴隷の証である黒の腕輪をしていたら、ユイちゃんが正しく主人かを疑われて尋問されるからね?」
「なっ、じ、尋問……!?」
「そう。尋問」
腕輪を見つめ続ける私の気持ちを読んだのか、シャーウさんはたしなめるようにとんでもない事を告げた。
尋問されるなんて、絶対に嫌だ。
「あっ、でも、ラオレイールだけが腕輪してるのが問題なら、ラオレイールの腕輪も外せば」
「そうしたら、身分証のない彼は街中を闊歩できなくなるね。奴隷の身分証はその腕輪だ。それがないと彼はかなり不自由をする事になるよ」
「う。……て、あれ? じゃあ、奴隷になる前の身分証は? それを持ってれば、別に腕輪なんていらないんじゃ?」
「ああ、いいところに気がついたね。……と、言いたいけど。……ラオレイール君、元の身分証の事、話してあげて?」
「……は、はい。……元の身分証は、奴隷商人に焼き捨てられました。……再発行しようにも、俺の身分を証明してくれる人が、いませんので……」
「えっ……」
「うん、そうだろうね。あの手の商人達は、そういう人間を捕まえて奴隷にするから」
「そ、そんな……!!」
……ラオレイールに、一体何があったんだろう。
王子である筈の彼の身分を証明してくれる人がいないだなんて……。
うう、その辺の事を詳しく聞きたいけど、初対面の私がラオレイールが王子だなんて知ってるのはおかしいし……き、聞けない……。
「だから、ユイちゃん。あまり気分のいい物ではないだろうけど、くれぐれも、外さないようにね?」
「う……っ。……はぁい」
「よし、いい子だ。……さて、それじゃ、俺はこれで失礼するよ」
「あ、はい。今日はつき合って下さってありがとうございました、シャーウさん。また何か困った事があったら、ギルドに」
「……残念だけど、"また"はないんだ。俺は明日の朝早くこの街を出るから。指名で護衛の依頼が入っててね。行き先が隣の大陸なんだ。だから、これでさよならだよ、ユイちゃん」
「…………えっ?」
「君がちゃんと護衛を得るところが見られて良かったよ。……亡くなった妹が生きていたら、君と同い年なんだ。だから、余計に肩入れした。……この数日は、妹といるようで楽しかったよ。ありがとう」
「……シャーウさん……」
「……どれくらい先になるかはわからないけど、いつかまた、仕事の関係でこの街に来る事もあるだろう。その時、君の店が繁盛している様が見れるのを、楽しみにしているよ、ユイちゃん」
「……。……はい。私、一生懸命頑張ります。……色々、ありがとうございました、シャーウさん。……さようなら」
「うん、頑張って。さようなら。……ユイちゃんを頼むね。ラオレイール君」
「えっ、あ、えっと……は、はい……」
ラオレイール君の、やっぱり小さな声で返す返事を聞くと、シャーウさんは私達に背を向け、振り返る事なく去っていく。
その背中は、すぐに人の波に飲まれ、消えてしまった。
「……。……さ、私達も帰ろうか、ラオレイール! ……っと、そういえば私、貴方の事呼び捨てで呼んでるね。ごめん。これからはちゃんと、"君"をつけるね!」
「えっ……」
「さ、行こう! 宿はこっちだよ!」
ほんのり胸に湧いた寂しさを、一度深く深呼吸して息と共に吐き出すと、私はそう言って、ラオレイール君を先導するように、先に立って歩き出した。
だから、気づかなかった。
ずっと怯えていたラオレイール君のその目が、初めてそれ以外の、微かな戸惑いの色を、浮かべていた事に。
★ ☆ ★ ☆ ★
ラオレイール君を連れて戻った私は、宿のご主人さんに声をかけた。
宿泊する人数が増えた事を告げ、追加で部屋を用意して欲しいと告げると、ご主人さんはラオレイール君と私の腕輪をちらりと見て、『なら、ツインの部屋に移動しますか? ベッドの間には衝立を置かせて戴きますから。その腕輪がある限り、奴隷が主を襲う事はないでしょうし。部屋を別に新しく取るより、料金もお安いですよ』と言った。
料金がお安い、という部分には大きく心を揺さぶられたけれど、ラオレイールと同じ部屋で寝起きするなんて恥ずかしすぎてできるわけがない。
常識的にも、問題だし。
私は首を振って、もう一度部屋を追加して欲しい旨を伝える。
するとご主人さんは隣の部屋を用意してくれた。
「それじゃあ、ラオレイール君。夕飯の時間になるまで部屋で寛ごう。また後でね」
「えっ……。……は、はい……」
ラオレイール君の返事を聞くと、私は自分の部屋の扉を開け、その中へ足を進める。
そして扉を閉めようと振り返ると、ラオレイール君がまだそこにいて、こっちをじっと見ている事に気づいた。
「ん? どうかした? ラオレイール君?」
「っ、あ、い、いえ、その、えっと……。……お、俺は、何をしたら……よろしいでしょうか……」
「え? 何って……好きな事をしていていいよ? 寝てもいいし、お風呂に行ってもいいし、散歩に出ても……って、あっ? ラオレイール君、お金持ってないっけ? もし散歩するなら、欲しい物見つけた時の為に少し持って行く?」
「えっ……い、いえ……その……ど、奴隷が、一人で街をふらふら歩くのは……逃亡と見られて、その……」
「えっ、嘘、そうなの? う~ん、なら、散歩行くならつき合うよ。その時は声かけてね」
「え……。……あの……」
「うん?」
「…………。……その……」
「?」
何が言いたいのか、ラオレイール君は視線を忙しなくさまよわせ、なかなか用件を言ってくれない。
『あの』とか『その』とか言う声も、やっぱり小さいし。
ゲームの中の彼は快活で爽やかな少年だった筈なんだけど……随分変わってしまっているなぁ。
「…………あの……ほ、本当に、俺の好きな事を、していてもよろしいのですか……? ……自由に、していても……?」
「え、うん、もちろんだよ?」
「…………もちろん…………。…………っ」
「え!? ちょ、ちょっと!?」
とりあえず用件を話してくれるのを待つ事にしてじっと見つめていると、ラオレイール君はぽつりと不思議な事を聞いてきた。
それに肯定の返事を返すと、ラオレイール君は突然大粒の涙を流して泣き出し、それを目にした私は慌てて駆け寄った。
「ど、どうしたの!? 私何か、泣くほどおかしな事言った!?」
「っ、いえ……! 違うんです……! お、俺……自由にしていていいなんて……そんな事言って貰えたのは、久しぶりで……本当に、久しぶりで……っ!」
「えっ……そ、そうなの? 何でそん……あっ」
ああ、そっか、奴隷になってたんだもんね。
それじゃ確かに、自由なんてなかったのかもしれない。
ラオレイール君が泣きながら告げた言葉に、『何でそんな事に』と返しそうになった私は、その事に気づくと、一度口を閉じた。
そして、できるだけ優しく見えるような笑顔を意識して作り、再び口を開く。
「ラオレイール君。私は、奴隷として売られていた貴方を買ったけど、だからといって、貴方を奴隷として扱う気はないんだ。……貴方は、私の護衛。特にやることがない時は好きにしてていいし、少ないかもしれないけどちゃんとお給料も払うよ。約束する」
「……! ……ご主人様……っ!!」
「うっ。……その、"ご主人様"って呼び方も、しなくていいよ? ユイって呼んで?」
「……っ、は、い……ユイ様……!!」
「えっ、いや、ね? だから……う~ん……様呼びは……うう、まあ、とりあえずはって事で、いいかなぁ……?」
私は困ったように苦笑しながら、泣いたままのラオレイール君の頭をぽんぽんと宥めるように優しく叩いた。
落ち着いて、そして泣き止んでくれたらと思ってした行為だったけど、何故かラオレイールの泣き声はヒートアップしてしまった。
その後も、ラオレイール君は夕飯のメニューを見て泣き、着替え用の服がないという事に気づいて慌てて買いに走った後、新品のその服を見て泣き、翌日、久しぶりに暖かなベッドでぐっすり眠れたと言ってまた泣いた。
……これはもしかしたら、しばらくは何かにつけて泣くかもなあ、なんて思いながら、私はラオレイール君を連れ、迷宮へと赴いた。