本物
どの辺りを走っているのだろう。
乗せられた車の後部座席の窓はスモークがかかっていて、外の様子は伺いしれない。
フロントガラスに映る景色は空とたまに歩道橋が近ずいてきては車を跨いで通り過ぎていく。
赤信号で止まると一台前を走るパトカーとの距離が近くなった。
サイレンを鳴らさないんだ。
ふと彼女はそう思った。
捕まえに行くのではないから。
もう捕まえたから。
急がなくてもいい。
強張っている身体に気づき、身じろぎすると、横から伸びた手に力が入った。
思わず目をやると左隣の男と目が合う。
目の小さい、ゴツゴツとした顔の男だ。
肌の色が悪いのは車内が暗いせいだろう。
ゆっくりと大きく息を吐き、今度は右隣の男に目をやった。
こちらの方は彼女の視線に気づかないのか真っ直ぐ前を向き、運転席の頭の部分をじっと見つめていた。
「ドライブ。」
彼女の声に男はようやくこちらを向いた。
彼女はうれしくなって微笑んだ。
右隣の男は彼女の顔を一瞬見つめ、再び前を向いた。
長いまつげが揺れている。
「ごめんね、ソウちゃん」
左隣の男がわずかに緊張した。
女が何かやらかすかと考えたらしい。
杞憂だ。
ソウちゃん、と呼ばれた男は前を向いたまま呟いた。
「謝るのは俺じゃないだろ」
ううん。
ソウちゃん。
あなたに謝りたい。
ずっとずっと私を心配してくれていた貴方に。
貴方だけが私を諌め、引き止めようと努力してくれた。
私を大事にしてくれた。
けれど私はソウちゃんの声も耳に入らず、超えてはならない境界を超えた。
後悔はない。
後悔してはならない。
後悔するくらいなら始めてはいない。
私が始めたのだから私が幕を下ろしたかった。
「なんや、おまえら知り合いか」
左隣の男が呆れたような声を出した。
「早よ言わな。なんで車に一緒に乗り込んでんねんな、松崎!」
「すみません、気が動転してました」
「まあええわ。署まであと少しや。ちゃんとカノジョを捕まえとくんやで。同情で逃すんやないで」
わかりました、とソウちゃんが彼女を掴む腕に軽く力を入れた。
彼女は両の手首にはまったものを見下ろした。
持ち上げれば鎖がカチャカチャ鳴るだろう。
オモチャみたい。
子どもの頃、警察官ごっこで使ったニセモノと余り違いは感じなかった。
が、あの時と意味が違う。
これはホンモノだ。
私の手にはまっているのは本物の手錠なのだ。
車は警察署に到着したようだった。