第一章「商店街へようこそ」
第一章 商店街へようこそ
都市部から離れたベッドタウン花峰市。その中でも花峰東駅は利用者が多く、駅前にはまごころ商店街が存在している。昼の光を和らげるアーケードには主婦だけでなく、入学式から日が浅いのか学生の姿も見かける。
そこを相内真悠はメイド姿でたくさんの買い物袋を提げ、おまけに三つ編みと豊かにふくらんだ胸を弾ませて走るからとても目立つ。
白い煙がモクモクと立ち上るのが見える。そこから、香ばしい醤油ダレの匂いが辺りに広がっていく。道行く人々は、匂いに引き止められてその足を止める。
ぶつからないように、真悠は肩で息をしながら早歩きをする。
「さあ、買った、買った。今日のオススメはモモ肉だ」
威勢の良い呼び込みに、赤いうちわをパタパタと扇ぐ事で、道行く人に美味しさを伝えようとしている。
「おぉー真悠ちゃん。お店(喫茶)の(店)格好(の服)で買い物なんてどうしたんだ?」
焼鳥屋に通りかかった真悠を店主が呼び止める。
「こんにちは。今お客さんが頼んだ紅茶の葉が切れていたので、今買っていたんです」
「なるほど、せっかくのお客さんだ。同じ商店街として侘びいれないとな」
店主がしゃがむと思ったら、プラ容器を片手にできたての焼き鳥を入れていく。半ば強引に真悠が持っている買い物袋に焼き鳥を詰め込む。
「えっ、私、買うつもりは無いんですけど……」
「バカヤロウ、お客さんを待たせるんじゃねぇ。とっととそれ持ってって行け」
「は、ハイ」
驚いた真悠は慌てて走り出すからバランスを崩し、今にも転んでしまいそうだ。
「フミュッ」
前のめりになりながら、どうにか持ち堪える真悠。
「大丈夫? 顔にケガとか無い? せっかくのカワイイお顔が台無しになるとこだったわ」
真悠の顔を気にするのは男だ。ただし、紫のウィッグとマスカラを付けた花屋の店主だ。
「大丈夫です。今回はなんとかなりました」
「良かったわ。そうそう、マユちゃんのお店に送りたい花があるから受け取って頂戴」
そう言うと、お店の扉を飾る黄色くて可愛らしい花束が、今度は真悠の買い物袋を飾る。
「さぁ、行きなさい」
「ありがとうございます」
おじぎして走り出す真悠。ふらついて転びそうだけど、足取りはしっかりしていく。喫茶店ソルベと書かれた看板を見つけると、レトロで趣のあるドアを勢いよく開ける。
「ごめんなさい。遅くなりました」
頭を下げる真悠の息づかいは荒く、両腕の買い物袋は床に着きそうだ。なのに、喫茶店の中を包むのは三人の少女と一人の少年による大きなため息。
「僕もう落ちていいよね」
少年はそう言ってテーブルに突っ伏してしまう。
ここは喫茶店ソルベ。来るお客さんにくつろぎと癒しを提供する場所だ。
淡い橙灯がセピア調に空間を照らし、アンティーク時計の秒針が時を刻む。カウンターの奥には金糸で繊細に刺繍された様な白いカップが並ぶ。そして、カウンターやテーブルと椅子はみんな優しい光沢をはなっている。
テーブルには紅茶が五人分。真ん中には、さっきの買い物袋が置かれ焼き鳥が見える。ちなみにカウンターには、さっき花屋から貰った黄色い花束アフリカキンセンカを飾っている。
みんながカップに手を伸ばしておいしいと紅茶を飲む中、ため息をつく者が一人。
「私の為にジョルジを買ってくれたのはありがたいけど、焼き鳥くさくて紅茶が台無しね」
そんな事を言ったのは、ウェーブのかかった髪を肩までかけ、白磁の様な肌に端整な顔立ちをしていて、大人びた雰囲気の少女新島智美だ。
「オマエ、おっちゃんの先祖代々受け継がれるタレと熟練した焼き加減を否定する気か」
ポニーテールの髪を揺らし、凛々しい顔立ちに強い目力で智美に食ってかかる荻原梓。その上、座っていても高い身長だから迫力がある。
「ごめんなさい。別に責めているつもりは無いの。率直な感想を言ったまでよ」
「まぁまぁ、せっかくだし焼き鳥を食べようか――」
話題を変えて二人をなだめるのは、この中で一番花の無いだろう少年宮本修晴だ。
ある筈の焼き鳥の消失。
「焼き鳥が消えた……だと、おのれ――」
見回すと、小さな体で焼き鳥にかぶりつき、頬を緩ませながら食べている立花千春。背中まで伸ばしたツインテールは嬉しさで揺れる。
「ストーーーップ。僕達にも食べさせてよ」
「ふぇ」
オーバーに手を伸ばす宮本。気が付いた千春は食べるのをやめて、口の周りをタレ塗れにしたまま目を大きくする。
「あっ、あ、あの、ごめんなさい。やっぱり、焼き鳥は焼きたての柔らかいお肉に、あまじょっぱーいタレがかかっていた方が美味しいじゃないですか」
「ウマイよなー。あの焼けた醤油の匂い、肉汁にネギの食感。だから、ねぎまよこせ」
テーブルに身を乗り出す梓に千春は引いてしまう。
「ハ、は、はい」
おずおずと千春は梓にねぎまを渡す。
「つくねあります? 千春ちゃん」
優しく尋ねる真悠に千春も笑顔になって探し「ありましたー」と高らかにつくねを渡す。
「ありがとうございますね」
嬉しそうにつくねを口にする真悠。すぐ満面の笑顔を見せてくれる。
「貰わないの新島さん? なくなっちゃうよ」
話しかける宮本だが、智美は紅茶が残ったカップをただ眺めるだけだ。
「ハイ、これ食べますよね」
智美に差し出されたのはレバーで、仕方なさそうに受け取る。
「じゃあ、僕も一本貰おうかな。できれば手羽先がいいな」
「あっ………あのー。全部なくなっちゃいました」
宮本は「……僕はいつフラグを立てたんだ……」と俯きながら呟く。
「そんな事より見てください。コロッケがありましたよ」
そう言って、千春が袋からコロッケを取り出しテーブルに置く。
「そ、それは、肉屋のコロッケ? コロッケだよね」
へこんでいた宮本は息を吹き返すと、異常にテンションが高い。
「あぁ、まつやんのコロッケか。肉もうまいけど、使っているジャガイモは、ウチが責任を持って仕入れているからとても美味しいぞ」
得意気にする梓は、真悠に匹敵する程の胸を張って自信満々な顔をする。
「あ、ちょっと待ってください。コロッケ4つしかありません」
あたふたする真悠。それを無視して宮本は挙手する。
「悪いけど僕は食べる。さっき買おうとしたら売り切れてたんだ。それに議長役や焼き鳥を食べられなかった件があるんだ。いいよね?」
「イヤです。コロッケ美味しそうなので、私も食べたいです」
話を無視して、千春はコロッケをすぐに口の中へと運び、もぐもぐと食べる。
「う~ん。サックサクでジャガイモとお肉がイイ感じにジューシーですぅ」
可愛い笑顔で頬を触り満足そうにする。
「ちょ、おまっ。頼むから今回だけは譲って、ホントお願いします」
「私、余計なカロリーを摂りたくないから、不幸自慢する人が食べて」
智美の辞退により残る三人がコロッケを食べる。コロッケの味はおいしい、ウマイ、美味い筈なのに、表情がぎこちなくて美味しそうに感じさせてくれない。
「どうしたの美味しいコロッケなんでしょう? マズイの?」
智美が腕を組んだまま上から見下ろすように言ってくる。
「おいしいんですよ。でも、どこか違うんですよね。なんと言えばいいのか」
「ウマイに決まってるだろ。ただ、あからさまに一人食べられないのが気まずいだけだ」
真悠と梓は、智美に申し訳なさそうにするから全体の空気が重くなる。
「せめて、コロッケの中から当たり券が出てきて、もう一個貰えればいいのに」
「いいねぇ。それなら、みんな食べられたかもしれない。後でおばちゃんに言っとく」
梓は力強く宮本と肩を組む。顔に当たるやわらかい感触を意識した宮本は真っ赤になる。
「試しにシュークリームに入れてみようかな」
「おいしいものは何個でも食べたいからやって欲しいです」
会話が盛り上がっていく中、智美は一口大のいちご大福が入った箱をテーブルの上に置く。
「じゃあ、このいちご大福に異物が入ってたらどう思う宮本君? 食べてみて」
宮本はいちご大福を半分程かじる。口の中を甘さと酸味の絶妙なハーモニー、もちもちでつぶつぶした食感で包まれる。
「超、ウメェ」
大きい声で汎用なコメントは置いといて、大福の中に詰まっているのはいちご餡で、つぶつぶの正体は細かく刻んであるいちごだ。
味の余韻に浸ろうとした宮本に、紙をちぎる音やガタガタと震えている千春の姿が。
「ねぇ、このいちご大福に紙切れをトッピングする? 言い出したのは貴方だし」
智美は禍々しいオーラを放つようにルーズリーフを一口大にしていく。
「すいません。くじの話は無かった事に」
「う~ん、いちごあん最高ですぅ。もっとないんですか?」
さっきまで震えていた筈の千春は、いちご大福を四つも食べている。
「千春ちゃんダメですよ。いちご大福は全部で十二個、一人四つまでです」
真悠は人差し指を立てて「めっ」と千春に言う。
「だ、大丈夫ですよ。おいしいからって……う……」
そう言っている傍から千春の口からヨダレが垂れている。でも、智美の視線を感じると即座に引いてしまう。
テーブルにあるティーカップはみんな空なので、それを見た真悠は立ち上がる。
「あの相内さん。カウンターにある花ってどんな花ですか?」
宮本はカウンターを飾る江戸切子に活けられたアフリカキンセンカが気になっていた。
「ぇえっと、なんでしたっけ……」
質問に答えられず立ち尽くす真悠。
「あの花はアフリカキンセンカってキクの一種。花言葉は元気で今日の誕生花だ」
代わりに答えた梓に宮本達は感心した後、「エーッ」と喫茶店が驚きに包まれる。
「文句あんのか。あたしが花を知ってちゃいけないのか」
「萌えないけど、すんごい驚いたよ」
「てっきり、野菜や果物以外は蚊帳の外だと」
その中で真悠は「元気……」と静かに呟く。
「花屋の奴、誕生日や花言葉が好きでさ。ちゃんと誕生花を毎日変えているんだ」
「やっぱり変化って大事だよね。さっき、荻原さんから出てきた毎日どこかのお店でオマケ付きとか、マグロの解体みたいな商品の実演販売。コスプレでお店をやるは好きだけどなぁ」
「一発ネタすぎて、すぐ飽きられると思うけど」
梓はボツにする智美を睨むが、それ以上は何もせず嘆息して呟く。
「つってもB級グルメ作戦も上手くいかなかったしなー」
「そのB級グルメって今もあるんですか?」
食べ物の話題を察知して千春が聞いてくる。
「『イカすっ塩めん』って言う塩スープに麺をイカにした物なんだが、イカが硬くてお客さんに不評だから封印したとさ」
会話が止まってしまうと喫茶店は一気に静まり返ってしまう。宮本は話しかけようとするがとてもかけづらい。聞こえてくるのは秒針の音だけだ。
「ここ商店街だよね。どうせ買い物するなら、みんな明るく笑顔でいてほしいな」
顔を少し傾けた宮本は自信満々にみんなを見下ろすようにする。俗に言うドヤ顔をツッコミが来るまで維持してみる。けれど、誰も触れようとしないので沈黙は続く。このまま時間が止まりそうに感じられる中、椅子が動き真悠が立ち上がる。
「そうですね。明るい方がいいですよね。私も商店街のお店の一つとしてみなさんに喜んでもらいたいので、ケーキをごちそうさせてください」
真悠はしゃんと背筋を伸ばして皆に言った後、丁寧におじぎをする。
「本当ですか!! 私たくさん頼んじゃいますよ」
千春はすぐにメニューとにらめっこして期待を膨らませる。それを真悠は微笑ましそうに眺めている。更に俯瞰している宮本はドヤ顔を解除してため息をつく。
「オマエ、さっきまでの変な顔はなんだ?」
今更の梓からの疑問に宮本はへこむ。その上、智美は目を逸らし、手で口を隠しながら笑うものだからダメ押しになり、宮本の心は折れてしまう。
メモした注文を真悠は確認の為に読み上げる。
「あず……コホッ……荻原さんは季節のフルーツタルトとダージリン」
梓が頷くと真悠は智美を見る。
「立花さんはシフォンケーキと飲み物は荻原さんと同じで」
二人の注文を確認し終えても、宮本と立花の注文は決まっていない。
「お二人は決まりましたか?」
「ええと~イチゴミルフィーユもいいし、ベイクドかぁ~、でもパフェとプリンも捨てがたいし~。とりあえず四つ頼んで良いですか?」
千春の注文に、真悠は表情を曇らせながら手を顎に添える。
「ごめんなさい。さすがに四つはちょっと」
「そうだ。少しは遠慮しろよ」
もっともな事を言う梓。智美は何も言わないが、千春に冷たい視線を送っている。
「分かりました…………残念ですぅ……」
あからさまにうなだれてガッカリする千春。しょうがないなと宮本が立ち上がる。
「一番良いのを頼む」
真剣そうな低い声でカッコイイ自分を演出する。周囲が唖然とする冷たい空気の中、引かず恐れずカッコイイ自分は維持される。
「四つの中で一番良いのを頼む」
「は……はぁ」
「お、オマエ何言ってんだ?」
困惑する真悠とツッコミになる梓。咳払いをして宮本は場を一から作り直そうとする。
「ごめん、まわりくどいのは認める。僕が言いたいのは、さっき立花さんが言った4つの内の一つを僕が食べる。けれど、少し分けるつもりだったって話」
「本当ですか?」
宮本を見上げ、目を輝かせる千春。
「ありがとうございます~☆ このご恩は忘れません」
しまいには両手を合わせて拝んでいる。
「う、うん。期待してるよ」
「そうですね。私も4つの内の一つを自分の分にしますけど、千春ちゃんに食べさせてあげますね」
「えっ、いいんですか?」
嬉しさはとどまるところを知らないと言うべきか、千春は立ち上がると、綺麗にくるくる回りながら真悠に近づきその手をつかむ。
「ありがとうございます。美味しいケーキ待ってますから」
「も、もちろん。全力で作りますよ」
真悠が厨房に向かうのを見て辺りを見回す宮本。改めて時計の方を眺める。
(もう三時半か。来たのは確か…………)
花峰東駅に電車が止まると、高校の入学式を終えた宮本が降りる。イヤフォンを耳にして階段を下りて、何をしようか考えても特に浮かばないまま改札を抜ける。
東口の駅前広場に出て、白い看板に赤くまごころ商店街と書かれているのが目に留まる。
(そうだ。これからここが地元になるんだし、せっかくだから見てみるか)
まごころ商店街に到着してお客を迎えるお店は、筆記体の看板をした輸入雑貨屋。その向かいは、煙突のある古くさい建物と傍に休憩所らしきベンチが二組ある。
宮本はお腹を満たそうとアーケードを歩くと、肉屋「まつやん」が見えてくる。そこには某散歩する番組で紹介されたコロッケですとポップが飾ってある。
イヤフォンを外し、まつやんの店番をしているおばちゃんに話しかける。
「あ、コロッケください」
「ごめんねぇ。コロッケ売り切れちゃったのよぉ。次の販売は二時頃かしら」
謝るまつやんのおばちゃん。腹を空かした宮本は落胆する。しかたなく別のお店を探していると、背の低い看板にデカ盛りオール九百円と書かれているのが目に留まる。
「百貫将軍」と書かれたのれんをくぐる。体育会系や工事現場で働くたくましい漢達が怒涛の勢いで食べ進め己の腹を満たしている。
(やばい、ヤられる。ここと僕とでは住む世界が違いすぎる)
空腹とは違う命の危機を感じ、大人しく撤退する。願わくば、安くて美味しいものが食べたいとアーケードを歩き出す。
道すがらラーメン屋やそば屋を見つけるものの、前者は行列、後者は値段で入る事を断念した。
未だ満たされぬ腹のまま宮本はお店を探す。だけど、発見できたのは焼鳥屋一軒だけで、そこはまだ営業していない。このまま商店街を抜けてコンビニ弁当確定かと歩いていく。
「おっ」
目に留まったのは喫茶店ソルベと書かれた看板。こうなったら、軽食でもいいやとドアノブをつかみ、おもむろに開けて中に入る。
ドアが閉まると、お客が来た事を知らせるベルが鳴り終わる。店内は橙灯の淡い光で包まれていて、照らされている壁紙や床、レジでさえもどこかレトロで、宮本はどこか別世界にいる様に感じる。
店内を見渡すとお客はおろか店員一人いない。そう思っていたら走ってくる音が聞こえる。
「いらっしゃ――」
塵一つ無く滑る要素も無いのに、メイド服に身を包んだ真悠は宮本の前で転んでしまう。
「……いませ」
「大丈夫?」
宮本が心配すると、真悠はすぐに立ち上がり丁寧におじぎする。
「改めましていらっしゃいませ」
真悠は、さっき転んだ事を気にしておらず、眩しい笑顔を宮本に向ける。
(いやぁ、このお店二次元から出てきたんじゃないよね)
今や絶滅危惧種の肩にかける程の長さの三つ編み、柔和な印象の大きな瞳、全てを受け止めてくれそうな豊かな胸、白いハイソックスとスカートの間、真悠の特徴に鼻を伸ばす。
「あの、すいません。お席の方に着いていただけないでしょうか?」
真悠に案内されてテーブルに着くと、丁寧に拭かれた天板が鏡のように宮本を映し、椅子はクッション材が無いのにゆったり座れる。
メニューを眺めると、見開き全部が紅茶だけで埋め尽くされている。喫茶店だからしょうがないとページをめくる。以降ページは全てスイーツで、一般的な食事になりそうな料理がどこにも見当たらない。
「お決まりになりましたか?」
「あの、ここってサンドイッチとかホットドッグとかって無いんですか?」
「ごめんなさい。ここはスイーツ専門なんです」
愕然とする宮本は「な、なんだってー」と叫びたいが自重して考え込む。
(ここまで来たんだ。むさ苦しい定食屋より、可愛い店員さんのいる喫茶店だ)
「まぁいいや。と、と、とりあえず、イチゴショートとティラミス」
慌てて、つい目に付いたものを答える宮本。けれど真悠は気にも止めず、メモ帳に注文
を書き込む。
「あの、お飲み物は無くてもよろしいですか?」
「ダージリンで」
「ご注文はイチゴショートとティラミス、お飲み物はダージリンですね」
頷く宮本。真悠は「しばらくお待ちください」と言って厨房へと姿を消す。
「ふぅ」
宮本が携帯電話を眺めているところに真悠が話しかける。
「あの、お待たせしました。……ここ何も無いから退屈ですよね。大丈夫でしたか?」
真悠はトレーからテーブルに宮本が頼んだものを置いていく。
「そんな事ないよ」
早速フォークを手に取り、イチゴショートのてっぺんを飾るイチゴを食べる。次にスポンジ部分を口に運ぶと甘くふわふわした食感、スポンジに挟まれたイチゴは少し酸味が強く、絶妙な甘さに宮本は驚いた。
「僕の知ってるイチゴショートじゃない」
「えっ、美味しくなかったですか。す、すいません」
おろおろする真悠を見て、すぐに宮本は誤解を解こうと説明する。
「ちがう。まずいんじゃないよ。いや、イチゴショートって、まぁこんなもんかなって期待してなかったんだけど、良い意味で予想外だから驚いたんだ」
「良かった。お口に合ったんですね」
真悠はホッと胸をなでおろす。気が付いたらイチゴショートは、あっという間に宮本が美味しく完食する。
続いて宮本はティラミスをフォークですくう。ココアの香りが鼻をくすぐり、口の中をほろ苦さと芳醇な甘さがしっとりと広がる。
「ちょっと僕には苦かったけど、でも美味しかったなぁ」
「すいません。ダメでしたら下げますけど」
オーケーサインを示して一すくいする。これもお腹の空いた宮本がすぐに完食する。
ティーカップに手を伸ばし紅茶を啜る。香りとほのかな甘さが口をすっきりさせる。飲み切ると、底にはさり気なくバラの花が咲いている。
「いいなぁ。このお店ますます気に入ったよ。毎日通おうかな」
「ありがとうございます」
微笑む真悠だが、声にどこか力が無い。
「あー、嘘だと思ってるんでしょ。本当に気に入ってるんだよ。ほら」
携帯電話のデータフォルダには、様々なアングルから撮ったカフェの様子。カウンターやティーカップ等お店にある一つ一つのインテリアに注目した画像まである。
「あっ、けっこう良く撮れてますね――」
まじまじと眺めて感心するものの、我に返ったのか慌てて首を横に振る。
「お気持ちは嬉しいですけど、ウチは高校生にとって決して安くはないはずです」
「そんなの。バイトなりなんなりして稼げばいいから大丈夫」
反応が無い。宮本が呼びかけようとした時、真悠は俯くのをやめて話し出す。
「やめた方がいいと思います。バイトして集めたお金はもっと有意義に使ってください」
「それなら毎日通う。初めて入ったけど気に入ったんだ。僕にとって有意義だね」
二人の間に沈黙が生まれる。宮本が真悠を見ると、俯きながら全身を震わせ足元にいくつもの雫が見える。
宮本は真悠の様子に困惑。何か悪い事をしたのかと思い謝ってみる。
「あの、変な事を言ったのなら気付かなくて、ごめん」
「謝るのは私の方です――」
我が耳を疑う宮本。もう一度聞き返そうかと思ったが、真悠は嗚咽する。
「ここを閉めなければいけないんです」
真悠は気持ちを張り裂けながら涙声で叫んだ。衝撃が走る中、本当にガタッと何かが落ちる音が喫茶店の入り口から聞こえる。
宮本が振り向くとブレザー姿の梓が立ち尽くしている。落としただろうダンボールからバナナが散乱している。
「嘘ですよね。マユ先輩? 聞いてないですよ」
問いかけても何も返ってこない。しびれを切らした梓は、真悠から真意を尋ねようと密着スレスレまで接近する。同じく知りたい宮本も視線だけだが真悠に送っている。
「店を閉めるって、今日は閉めるだけですよね? 明日はいつも通りなんですよね?」
首を横に振り「半年はやりますよ」と言うけれど、真悠の目からは涙が溢れている。
「ちくしょう、店そのものをやめるのかよ。どうして話してくれなかったんですか!!」
答えを察しても受け入れられず、梓の怒声が喫茶店に響きわたる。そこに、お客の来店を告げるベルの音が聞こえる。
「ぇええーっ、ここ無くなっちゃうんですかーっ。せっかくブログで見つけたのにぃ」
入り口に立っているのは、驚愕してうなだれている千春と落ち着いた様子で店内を見渡す智美の姿がある。お客が来たことに気付いた真悠は涙を拭いて入り口へ向かう。
「いらっしゃいませ。お二人様ですね」
鼻声で接客する真悠は痛々しく、案内された二人は戸惑いながら宮本達と顔を合わせる。
髪をツインテールにして小学生と見違えそうな少女立花千春。最近、売出し中のアイドルデュオ『もだん花鳥風月』の『花寄ルン』だ。裏表の無い正直者アイドルとして活動している。
一緒にいる新島智美も、もだん花鳥風月で『高嶺ミヅキ』として花寄ルンを引っ張るサポート役として活動している。
「いや、僕も含めて四名様でいいんじゃないかな。このお店が無くなると皆困ると思うんだよね。だから、助ける為の話し合いをしようよ」
宮本はマナーとして二人の正体には触れない。でも、喫茶店を助けたい。そこに大食いで甘い物好きである花寄ルンこと千春が来た以上、ブログに紹介されて売り上げが伸びるチャンスとして賭けるしかなかった。
「白昼夢を見ているなら検査を受けることね。まぁ、異常無しでも遠慮するけど」
智美は千春を庇う様に立つ。毒舌は宮本の知識範囲内だけど心が折れそうになる。
「イチゴショートすんごい美味しいんだよなー。半年後には食べられないなんて残念だよ」
ぴくりとツインテールが動き千春は参加の意思を示す。こうなると、芋づる式に智美も参加する事になる。
議長は言い出したから宮本に決定し、真悠のお店を救う会議が始まる。ただし、真悠は紅茶を用意しようとしたら智美が頼んだ紅茶が無い為、「すぐ戻ります」と買いに行ってしまう。
四人になっても会議はできると、梓から話を聞いていく。そもそも商店街に来るお客の数自体が減ってきているらしく、どのお店も売り上げが下がってしまっている。
梓は証拠として、肉屋まつやんの様にコロッケがテレビで紹介されても、商店街にお客は来るが効果は一時的ですぐに客足が減っていった。
そこで、商店街全体を盛り上げる案をみんなで話し合うのだが、梓時々(宮本か千春)で案を出す。それを智美がツッコんでいくと言う流れが続いたのでまとまらず、真悠が喫茶店に戻る頃には全員疲れ果ててしまった。
時計が三時五十分を指している。テーブルにある梓と千春のお皿がきれいだ。二人は頼んだスイーツが運ばれると、すぐに美味しく食べ終えてしまう。
たった今食べ終えた智美は、優雅にハンカチで口元を拭いて紅茶を啜る。
「少しメープルがしつこいと思ったけど、紅茶と相性が良くて美味しかったわ」
それを聞いた梓は眉をしかめて智美を見る。
「すいません。今度、新島さんが頼んだ時は甘さを抑えますね」
真悠はトレーから千春の前にプリンを置く。後で千春に分ける前提で、チョコレートパフェを宮本にベイクドチーズケーキを自身の前に置く。
「イチゴミルフィーユ最高です。サックサクであまあま~だからトロけちゃいましたよ~」
思い出しただけでゆるむ両ほほを千春は手で包み、真悠に美味しかった事を伝える。
「ありがとうございますね。今度もお口に合うといいですが」
カラメルソースがかかってないプリンをスプーンで崩すと、飴色のクリームが出てくる。それをプリンと絡めて食べる。
食べた千春は「う~~~ん」と至福の時間を楽しみ、味の余韻が消えると一口また一口と夢中で食べ進めていく。やがて至福の時間は、スプーンとお皿が音を奏でる事で終了を告げる。
「ぁあー。もっとプリンを食べた~い」
「それでしたら、このベイクドはいかがですか」
真悠が千春にあげたベイクドチーズケーキは半分以上残っている。千春はお礼を言うとさっそく食べていく。
「いいんですかマユ先輩。ほとんど食べてないじゃないですか」
納得いかない梓だが、真悠は気にせず微笑むだけだ。その様子を見ながら宮本はチョコレートパフェを食べていく。スプーンが止まると、チョコソースやクリーム、スライスされたバナナ一切れしか残っていない。
「ヒドイですよ。分けてくれるんじゃないんですか」
ほほを膨らませ宮本を見上げる千春。怒っているのだがあまり怖くない。むしろカワイイの方がしっくりきそうだ。
「しょうがないなぁ」
宮本はデレデレしながら、チョコソースとクリームがかかったバナナをスプーンに乗せて千春に食べさせる。喜ぶと思いきや顔を苦悶で歪ませて口を手で覆う。
自主規制後、戻って来た千春は涙目で宮本に怒る。
「バカぁ。死ぬかもしれないって思ったんだから」
謝る宮本だが、千春は許しておらず肩に怒涛の勢いでパンチする(威力低い)それを見かねた梓は千春の肩を掴んで宮本から引き離すが、力余って尻餅をつかせてしまう。
「ごめんな。止めようとしたんだけど………つい力が………」
「ヒドイですよ。すんごい痛かったんだから、慰謝料としてマスクメロンを希望します」
「この娘の自業自得だから、別に謝る必要は無いと思うけどね」
そう言うと智美はスマートフォンを見て、すぐに千春を引っ張って店から出て行く。
「あ、ありがとうございました」
結局、何をしていたかと言うと、喫茶店でただ食べるだけでこの日は終わってしまう。
その次の日の正午、喫茶店ソルベのドアが開いてベルが鳴る。来店してきたのは千春と智美だ。
「いらっしゃいませ」
笑顔でおじぎして二人を迎える真悠。
「スイーツを攻略しにきました~」
真悠は「ありがとうございますね」と言いながらテーブルへと案内する。
「ぁああっ」
梓と宮本を見た瞬間、千春は驚いてとっさに智美の背中へと隠れる。
「僕達、すごい嫌われているね」
「お詫びにマスクメロンを用意できなかったんだ。イチゴの甘姫で許してくれるか」
ちなみにマスクメロンは温室で一年中栽培されているが、購入するかは財布しだいだ。
「えっ、人気のあるイチゴじゃないですか!! 早く食べさせてください」
目の色を輝かせる千春。それを見た宮本と梓はよしと顔を見合わせる。
「あの、その、それをケーキにしたんですけど大丈夫ですよね?」
テーブルに運ばれてきたのは、真悠が梓のイチゴを使って作ったワンホールサイズのイチゴケーキだ。
「むしろ、そっちの方が良いです」
千春は真悠に親指を立ててグッジョブと示すと、無我夢中で食べていき完食する。
厨房から真悠がやって来る。なぜか伏し目がちに「みなさんで試食してくださいね」と言って、さっきと同様の大きさをしたチョコレートケーキをテーブルに置いていく。
「しっしょくー、試食♪ し☆しょ☆く」
目の前のチョコレートケーキをフォークで刺そうとするがその手は止まる。喫茶店には誰もいない。だけど、荷物はあるので本当に誰もいない訳ではない。
「あれ、皆どこ行ったんだろ? わたし一人じゃないですか」
そう言いながらチョコレートの甘い香りを嗅いでいると、ふと正気に返り頭を何度も振る。
「ダメダメ、みなさんでって言ってたじゃないですか」
千春はよだれを垂らしたままフォークを手に取る。
「でも、ともみんは太るって食べないし、試食なら一口残せばいいですよね――――」
無我夢中でチョコレートケーキを切ると、さっきより濃厚な甘い香りと共にトロトロなチョコレートが溢れ出す。
チョコ生地にトロトロなチョコレートを絡めて、甘くてほろ苦い味を満喫すると、あっという間に千春は完食して満足そうにする。
「あの。試食用のフォンダンショコラは?」
真悠が尋ねてきたので、慌てて口の周りのチョコを拭いたところで手遅れにも程がある。
「すいませんサイフを忘れていたので、いやーなんでもケータイに依存じゃダメだね」
明るく入ってくる宮本は、皿にあるチョコレートの痕跡を見て大げさに叫んだ。
「ひどいよぉ立花さん。試食用全部たべちゃったでしょ」
手を横に振って食べてないとアピールするが、口や手にはチョコの痕跡が残っている。
「そうですよね。すぐ戻ってくるかと思って、さげなかった私が悪いですよね」
「相内さんも悪いけど、本当に悪いのは我慢できない貴方でしょ。生まれてくるところからやり直した方がいいと思うわ」
いつの間にか智美まで加わり、次々と浴びせられる責め苦に千春のライフは0で、泣きながら「ごめんなさい」と謝るが、宮本はアイコンタクトで真悠に千春を許すなと促す。
「ふぇぇそんな~」
「そう言えば昨日と今日で借りは二つ、一つ僕のお願い聞いてもらおうかな」
千春はゴクリと息を呑んで審判を待っている。
「とりあえず、皆の為にもバナナ嫌いを克服してもらおうか」
「イヤです」
即答で断られるが宮本は想定の範囲内なのか怯みもしない。
「いいのかそんな事言って花寄ルン。克服してこの商店街を宣伝して欲しい。この喫茶店はおろか商店街を救えるのは、誰でもない花寄ルンにしかできない事なんだ」
いきなり芸名を言われた千春はうろたえて、状況の確認をしようと智美を見る。
「宮本君以外は今日知ったみたいだけど、芸能人としては喜ぶべき事で。それより貴方個人の好き嫌いで、今度のゴールデンの仕事ができるか、瀬戸際なのが問題だと思うのだけど」
「私もがんばりますよ。スイーツ好きなのにバナナが食べられないのは辛いと思います」
真剣な三人にプレッシャーを感じた千春はやけになって笑い出す。
「アハハ、何言ってるんですか? 好き嫌いなんてそんなのありませんよ」
「分かりました。厨房にバナナがあるので用意しますね」
千春は身の危険を感じ、脱兎の如く喫茶店ソルベを出ようと走る。宮本と智美は出遅れたので追いつけず、真悠にいたっては転んでしまう。
「キャふッ」
千春は出入り口で待ち構えていた梓によって捕まってしまう。
「諦めるんだな。こっちもできるだけの事はするから、オマエもわがままばかり言ってないで覚悟を決めろ」
逃げようと必死に腕をグルグル回して抵抗するが、頭をつかまれているので攻撃は届かず。某お笑い劇場の一コマみたいになる。
大人しくテーブルに着く千春。その表情は暗く今にも泣きそうだ。
(とりあえず計画通りっと、後はどうなるか)
真悠がテーブルに運んできたのはクッキーと人数分の紅茶だ。
「これ、バナナ嫌い克服用のメニューですか?」
「バナナ味のクッキーです。みなさんもどうぞ」
いつもは率先して食べ物に飛びつく千春が、最後にクッキーを手に取る。そして、目を瞑って恐る恐るクッキーのにおいを嗅ぐと、手を震わせながら口へと放り込む。
クッキーはサックサックの歯ごたえで、ほのかにバナナの甘さがする。皆が千春の食べる様子を不安そうに見守る中、本人はあっさりと食べ終える。
「おいしいです。もう全部食べたいです」
「いいですよ。立花さんの為ですし、皆さんも大丈夫ですよね?」
真悠の呼びかけにうんと皆が頷くと、千春はあっという間に残り全てを完食する。
しばらくして、千春の前に真悠が切り分けたバナナパイを運んでくる。
「今度はバナナの味を少し強くしてみました」
それを聞いた千春はしり込みして最後に食べる。幾重の層の様なサクサク生地に、バナナとカスタードクリームの甘みをシナモンが爽やかに調節している。そのおかげか千春は難なく完食する。
宮本はバナナスイーツを順調かつ満足そうに攻略する千春に疑問を抱いた。
(食べられるのはいいけど、昨日はリバースしたよね。無理してる…………わけないよね)
「なんだよ。心配してたけど食わず嫌いか、これなら楽勝だな」
梓は褒めながら千春の背中を叩くと、皮に黒いつぶつぶした模様シュガースポットが適度にあるバナナを手渡す。
嫌そうに受け取り、はれものを触る様に皮を剥き、恐る恐る目を瞑って「うぅ」と呻きながら先端を咥える。そして、ゆっくりと口の中へ運び、辛そうな表情でモグモグとそしゃくする。
「ガンバレ、ガンバレ、オマエならやれる。さっきまで食えたんだ。きっとできる」
梓の熱い応援。宮本も参加しようかどうかを検討した時だ。
「ブッウェェッ」
千春はテーブルに今までの成果を解き放つ。遺憾ながら再び自主規制しなければならない。
「ごめん。いや、あの調子だったら食べられると思ったんだ」
拝むように梓は謝るが目を合わせようとしない。千春はさっきのバナナのせいでやつれていて、目の前にある口直しの紅茶にも一切手を付けていない。
「バナナが嫌いだってのは分かったんだけど、どこらへんが嫌いなのか教えて欲しいな」
宮本に言われて、千春は嫌そうにボツボツと口を動かす。
「ええと……幼稚園の頃かな。お腹空いてて何か食べたいなって家中探してたら、納戸に黒いブツブツだらけのバナナがあったんです。でも食べたらドロドロで、しかもグチュグチュでちょっと酸っぱいから何かなって思ったら…………黒いブツブツした虫でぇえーーーーーッ」
叫んだ後、千春はテーブルに突っ伏せる。想像してしまった宮本も気持ち悪そうにする。
「ようは食感か。さっきのは食べ頃だったんだが、この分だと青いのもダメだな」
「困ったわね。仕事で大食いチャンピオンとバナナそのものを食べて競うんだけど」
梓と同様に智美は困り果てた様子だ。気持ち悪さから復帰した宮本は思考をめぐらせる。
(僕も立花さんと同じ目に遭ったらトラウマだな。でも、味は嫌ってないみたいだけど)
そもそもバナナの食感とはなんだったのか確かめようと宮本は、テーブルにある千春が食べかけたバナナに手を伸ばしたら智美にはたかれてしまう。
「間接かしらセコいのね」
弁明したい宮本だが、智美の優しい声色がかえって怖くなりやめてしまう。
「あたしが食べるよ。責任はこっちにあるしな」
梓がバナナを引き取ろうとすると、宮本は「ちょ、まっ」と差し止める。
「ここは、も、もっと違う人。違う人が食べた方が良いと思うんだよね。だってさ、立花さんの好き嫌いを直す要は相内さんだよ。その研究って感じかな」
訝るような智美の視線に耐えつつ宮本は発言し終えた。いきなり指名された真悠は少々困惑していたが快く食べてもらった。
「あの、相内さんと荻原さんに話があるんだけどいいかな?」
宮本が二人を智美と千春から離れた厨房前まで集める。
「今度は何のつもりだ?」
梓の大声に宮本はシーッと遮り小声で話す。
「バナナの食感をしたバナナじゃない物ってある? もしくは作れる……かな?」
「そんなもんあったら、即出してるッつーの」
「………………試しに……作ってみますね」
真悠は弱々しく言うと厨房に行ってしまう。宮本と梓は見送る事しかできなかった。
お菓子の家の様な時計が三時を示すと仕掛けが作動してハトが飛び出す。タイミング良く厨房から真悠が出て来ると、テーブルに畳まれたクレープが置かれる。
「おいしそう。ですけど、バナナと関係あるんですか?」
そう言いながら千春はクレープに手を伸ばす。だけど、少し食べ進めると中断してしまい辺りを伺う。
「このクレープの中ってなんですか? バナナっぽいけどバナナじゃないですよね」
「僕はバナナだと思うけどな」
疑う千春。答えた宮本は、予め打ち合わせた梓の顔を見る。
「こいつはバナナだ。ちょっと青いかもしれないけどな」
「おかしいのは千春じゃない。八百屋の娘である荻原さんが言うのだからバナナよ」
智美が空気を読んでくれたおかげで、どうにかだが千春はクレープを完食する。
だけど、本当に正しいのは千春でクレープにはバナナそのものは入っていない。クリームはバナナの味を強くして、中のバナナ部分は、棒状にしたビスケットにドロドロにしたバナナを浸してバナナっぽい食感を再現したものだ。
「よかったな。今度こそバナナを食べられるようになったんじゃないか」
梓は、この前よりシュガースポットが少ない食べやすそうなバナナを千春に渡す。
皆が見守る中、千春は深呼吸をした後バナナの先端を噛んだ。やがて、口の中で転がし噛んでいくうちに、みるみる顔が青ざめていき苦痛で歪んでいく。
「大丈夫。僕は好き嫌いが治るまで何度でも付き合うよ」
宮本の言葉にピクリと反応して千春が見てくる。
「最初は無理だと思ったけれど、ここまでやってこれたんだ。大した根性だ」
「まだ仕事はある。私がプロデューサーから、できるだけ弁護してあげる」
梓と智美は千春の努力を認める。
「もう無理をしないでください。せっかく好きになれそうなのに、また嫌いになって欲しくないです」
期待に応えようと千春は吐き気を堪えて、「ゴックン」と口にあるバナナを飲み込む。
「…………ハァ。なーんてね。私、好き嫌いなんか無いって言ったじゃないですか」
呼吸を絶え絶えにしながら千春は笑顔を浮かべるが、目から涙が流れている。そして、残りのバナナをあっと言う間に食べると、更に追加で十本もおかわりする。
一週間後、宮本はオタクグッズに溢れた自室で、もだん花鳥風月が出演するバラエティ番組を見ている。
番組内容は、ゲストが得意なジャンルで、知名度の低い芸人やアイドルとガチなバトルをして、ゲストが勝てばご褒美を後者が勝てば名声を得られると言うものだ。
見ていくうちにクイズと大食いで有名な賀修院光一の番になる。そして、もだん花鳥風月が対戦相手として現れる。
勝負内容は、四十五分間でバナナをより多く食べた者が勝ちと言うものだ。最初はどちらも同じペースで食べてきたが、ダイジェストになりルンが差を付けていき、最終的には五十対四十で勝利する。
ルンが勝利に喜びカメラの前で嬉しそうにブイサインをしていると、高嶺ミヅキはしれっともだん花鳥風月のCDを宣伝する。
それから宮本がネットでルンのブログを見る。バナナの大食い競争、バナナのトラウマエピソード、好き嫌い克服に協力してくれた喫茶店ソルベの事が書いてあった。
「これからも喫茶店ソルベに行くので美味しいお菓子まってまーす」
いかにもルンいや千春らしい結びで、ブログは締めくくられる。
宮本は放送後、夕方のまごころ商店街に訪れるとあまり増えた感じがしない。不安で早歩きになって喫茶店ソルベの前に着くと、背の低いイーゼルに立てかけられた黒板に「花寄ルン、ゲキ押し!!まルンでバナナ」と書いてある。
まルンでバナナとは、真悠が千春の為に作ったバナナっぽい食感をしたクレープの事だ。ちなみに命名とコピーは智美が考案したもので、真悠は指定されたとおりに書いただけだ。
「いらっしゃいませ。すいません、空いているお席に座ってください」
喫茶店ソルベに宮本が入ると忙しいのか真悠は声で迎える。
昨日の花寄ルンのブログを見た者だろうか、店内にいるお客は宮本を含めて計十名となかなかの盛況ぶり。
「あの、相内さん。お客さんの方は増えました?」
「え、ええ。おかげさまで今日は二十人を突破しましたよ」
「良かった。じゃあ、まルンでバナナとダージリンをお願いします」
宮本が笑うと真悠は丁寧におじぎをする。
「かしこまりました。しばらくお待ちくださいね」
頭を上げた真悠は嬉しそうに笑っていて、それを思い出すと、まルンでバナナの味が宮本にとっては格別に美味しかった。