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Over_Chronicle

作者: potato_47

 仮想新暦14年8月17日(火)午後1時03分。

 新都カンナヅキ、サクラ領域1-9『統合議会』第三議事堂。


 議事堂出入り口には、拡張パネルが設置されており、現在開かれている集会の内容について記されている。拡張閲覧アプリケーションをインストールした|インテリジェンス・ブック《IB》か拡張閲覧用コンタクトレンズを通せば、その情報を閲覧できる。


 如月新きさらぎあらたは腕に装着したリング型のIB(通称イヴ)を操作して、透過型ディスプレイを空間投影する。角に丸みのある四角形――標準型の表示窓ウィンドウを通して、拡張パネルの内容を読み取った。


<title:第二次侵食体襲撃対策会議>


 会議についての詳細が文字の洪水のように流れ込んでくるため、新は表示設定を切り替えて、重要部分のみを表示した。


<outline:仮想新暦13年3月23日(水)に発生した侵食体デュナミスの襲撃、及び長期間の隔離による発生した問題への対策の立案を目的とする会議。侵食体はTQ社(テクノ・クオリア)が管理するオンラインゲーム『Labyrinth On-Line』のサーバーへと侵入した。TQ社は逸早く侵食体の侵入を察知し、仮想基本法第9条に基づき即座の情報的隔離を実行する。対応確認後、統合議会は侵食体への対処が確立されるまでの隔離を指示する。隔離から約1年後、仮想新暦14年4月2日(月)に侵食体の消滅が確認される。統合議会はその2日後にサーバーの情報的隔離を解除する。>


 新は要約された内容では一切語られない、彼ら、彼女達の葛藤や苦悩を無視した内容に怒りを覚えた。一年間の寝たきり生活で、すっかり萎え切った拳を拡張パネルに打ちつける。警告アラートがIBに表示されたが、それも無視してもう一度殴りつけた。

 拡張パネルはビクともしない。寧ろ新は貧弱な拳を痛めつけるだけだった。


「ふざけるなっ」


 震える声に力は無く、叫ぶことすら苦痛が伴う。

 もう一度拳を振り上げる。この怒りは、あの世界で生きた『越境者』達の正当な怒りだ。


「止めたまえ」


 振り下ろす腕を途中で握られた。


「そんなことをしても無意味だ。死んだ者は帰ってこない」


 振り返ると、そこには真っ黒のスーツをぴっちりとまとった、藤井佳奈美ふじいかなみが立っていた。切れ長の瞳は怜悧に細められており、油断も隙も一切見えない。すべてを知ったつもりでいる顔を見るたびに、新は込み上げる憎しみを耐えられなくなる。


「あんたは何も分かってない」


「分かろうとはしているつもりだ」


 新の怒りに、佳奈美はあくまで低音のアルトボイスで平静に応えた。それが神経を逆撫ですることを理解しながらも改善しないのが、佳奈美という統合議会のエージェントだった。彼女は頭の固い老人達に代わって、侵食体の被害者の一人である新のサポートと監視を任せられていた。

 怒りと憎しみを抱いて、たとえ殴ったとしても、佳奈美は抵抗しない。ただ流れるように受け入れるだけだ。だから、新は拳を振るうのを止めた。


「……俺は勝手にするぞ。お前達の言いなりにはならない」


 吐き捨てた言葉に、佳奈美は無表情になる。


「私はただの代理人だ。きみを完全にコントロールするつもりは無い。それに私はそういうのが苦手でね。好意的な友好関係を結ぶのは不可能に等しいと考えている」


「……依頼主を裏切るような発言をしていいのかよ」


「問題ない。私がエージェントとしてやっていけるのは、あくまで無感情だからだ」


 新は佳奈美に疑いの視線を向ける。無表情で、こちらから問うことも無ければ基本的に無口な彼女が、今日は妙に饒舌だ。


「何を企んでいる?」


「きみがそれを言うのかね」


 佳奈美は意味深な発言をすると、会話を遮るように議事堂を手の平で示す。

 中に入れという意味なのだろう。

 新は素直に従って議事堂の扉の前に立つ。IBが入室処理を自動的に行い、『如月新』という個人が認証されると、自動で両開きの扉が開いた。佳奈美はコールサインで「如月新のエージェントだ」と答えて、声紋認証で続けて入室する。


 部屋に踏み入った瞬間、IBの電源が落とされ、仮想世界との通信が途絶する。完全なる物理的隔離が成されているようだった。

 仮想世界が本格的に利用されるようになってから、物理的な会議の場は不要になると思われていた。だが、現実は皮肉なことに高度な暗号が開発されていく度に、物理的な隔離の方が有用であることが証明されるのだ。


 第三議事堂の収容人数は約500人。扇状に段を組みながら広がっている席は、既に八割が埋まっている。すべての席から視界に収まる壇上席が用意されており、そこは1対500を行う舌鋒の戦場だった。本来は代表者が順番に論じる場だった筈なのだ。


 第三議事堂は『決められた結末』を語り合うところとされる。統合議会に逆らう愚か者を裁く場所だ。魔女裁判であり、処刑場なのだ。今回は報道関係者も参加することから、セキュリティも低く、一部の者は仮想世界との接続を維持しているため、世論を賑わすような辛辣な暴言に晒されることはないだろう。それでも、少なくとも勝利などありえなかった。


 新は佳奈美に促されるままに、壇上を目指す。一歩登るごとに視線が集まっていく。

 統合議会の老人共が、様々な部署の最高責任者が、撮影用の機材をセッティングする報道関係者が、すぐ後ろを控えるように歩く佳奈美が――誰もが新を見ていた。

 新は好奇の視線や、嘲るような態度を見せる奴らに視線を流した。


(絶対に好きにはさせない。お前達の都合で事実を歪められたりするものか)


 壇上に立った新は、表情を引き締める。筋肉の無い四肢はすっかり役立たずで、鍛えた高速思考も判断材料の無い今ではただの宝の持ち腐れだ。切り裂く剣は無く、身を守る鎧も無い。ここは現実で、武器は知恵と謀略しかない。


(――それでも、俺は戦うんだ)


 拳をぎゅっと握り締める。

 すべてを夢としないために、生きた軌跡を誰にも奪わせない。





 午後1時30分。

 第二次侵食体襲撃対策会議が始まった。

 壇上に立った如月新と、全世界の代表と厚顔無恥にも胸を張る者たちとの戦いだった。

 佳奈美は新の斜め後ろの席に腰掛けて、無表情に弱々しくも勇ましい背中を見守る。彼との付き合いは、彼が目覚めてからの僅か数ヶ月だ。それでも毎日顔を突き合わせていれば、どんな人間なのか、たとえ隠そうとしても職業柄分かってしまう。


 統合議会の代理人エージェントとして、常に側にあり続けることで、監視と情報収集の役目を担っていたが、実際のところは違うのだろう。藤井佳奈美という危険分子もまた一箇所に留めておきたいのだ。


(やれやれだ。まあ彼との関わりは無駄ではなかったか)


 佳奈美は中学を卒業すると、すぐに確定領域(※安全が保障された仮想世界との接続可能な場所)から『外』へと出た。義務教育を終えたならば、後はどう生きようと自由だ。たとえ家出をしても、確定領域内ならばすぐに見付かる。本当の自由を求めるならば『外』へ行くしかない。だから、IBも機能しない無法地帯に飛び出して好き勝手に生きた。


 運が良かったのだろう。色々と無茶はやってきたがこうして生きているのだから。

 大人になって確定領域へと戻ってきた時、歯車になってしまったような気分を味わう情報社会と窒息するような便利な世界に嫌気はしたが、スリルと陰謀に満ちた代理人エージェントになれたお陰で、自殺せずにやってきている。


 下らない質問に、一つ一つ真面目に答える新を見詰めて、佳奈美は改めて思った。

 彼らの境遇には、正直に言えば憧れを抱いていた。

 仮想世界に一年間閉じ込められるというのは、確かにぞっとするものがある。しかし、少し考えれば仮想が主体になっている現代においては、肉体の維持さえクリアすれば、デメリットは少ない。


 それに、彼らが閉じ込められたのは『Labyrinth On-Line』と呼ばれる己の刃だけが頼りのファンタジー世界だったのだから、きっとその魂は自由にあったことだろう。佳奈美は硝煙と銃声、得体の知れない生物達の遠吠えに満ちた『外』を思い出して、もう一度その世界へと飛び込みたくなった。


 ただのVRゲームではだめだ。

 彼らが自由と生を仮想世界でありながら実感できたのは、侵食体デュナミスのお陰なのだから。

 エージェント権限で起動したままのチョーカー型のIBが思考検索から自動的に、侵食体についての情報を網膜投影した。


<フブキ出版社:仮想世界用語辞典第三版、特記項目より『侵食体』について>


<侵食体とは、正体不明のウイルスである。仮想世界において人体に深刻な影響を及ぼさないように設定されたフィードバック・システム(特記事項より一部抜粋:仮想世界上での五感をどれだけ人体に伝えるかを制御している。公共エリアでは10%が標準設定デフォルト。個人設定での最大値は30%。)の設定を強制的に改変する。


 侵食体が出現した多くの場合は100%へと至り、完全感覚オール・フィードバックへと陥ってしまう。完全感覚そのものは鋭敏な感覚を必要とする特殊環境での仕事には有用だが、大きなデメリットが存在する。それは仮想世界での死が、現実世界での死に繋がることである。肉体は傷つくことは無いが、脳は刺激を完全に伝達してしまうため、その刺激を忠実に再現することでショック死を起こす。


 仮想旧暦43年。ホーム・アリーナ(辞典より一部抜粋:大規模な公共空間。旧暦時代において仮想世界の入り口だった。)に侵食体が出現し、フィードバック・システムを暴走させ、完全感覚状態に移行させた。それにより全仮想世界上で約23094人が死亡した。>


 侵食体の項目だというのに、侵食体について直接記述した文は最初の一文だけといっていい。それも正体不明と記しているだけだ。実はそれほどまでに危険性は把握されていながらも、正体は明かされていないのだ。


 佳奈美は、誰かが情報を意図的に隠蔽しているのだと考えている。

 そして、考えられるとしたら、自分達を世界の支配者と勘違いする統合議会の老人共に違いない、と確信している。

 意識が仮想側に傾いている内に、議事堂がざわめき出していた。


「もう一度……言ってみてください、その質問を」


 新の感情を押し殺した声は、一人の議員に向いていた。統合議会の中では異色の若さだ。30代後半と思われるその女性は、自分に酔った笑みで新に言った。


「ですから、既に終わったことなのです。侵食体は排除され、あなた達は救われました。過去ではなく前を見ましょう。悪い夢を見ていた、とでも思えばいいのです。あなた達は確かに大事な時間を失いました。ですが、それに見合うことを成したのです。私はあなた達を英雄として称えます。そんなあなた達には現実で幸せを是非とも取り戻してほしいです」


 佳奈美は女性議員に嫌悪感を抱いた。優しさから言っているのだとしたら、甚だ人間の心理というのを知らないと言わざるを得ない。


「……その後に言ったことももう一度」


 背中だけでも、新が感情を爆発させるギリギリだというのが分かった。彼は震えていた。両の拳をきつく握り締めて、顔を少し伏せる。

 かつて、彼の代理人となった時に見せた、本気の激昂を彷彿とさせる。

 佳奈美はその時に殴られた左頬をそっと撫でた。


(彼の筋力が衰えていなかったら、と考えるとぞっとするな。あれは戦士の動きだった)


 かつて、『外』で見た本当の戦士達と同じ気迫だったのだ。

 佳奈美は頬を釣り上げた。今から彼のあの怒りが見れる。生きとし生ける者、誰もが羨むであろう生き様を。仮想世界はどこまでも科学的でありながら、幻想的な世界を構築することで、人間を先祖返りさせたのだ。

 女性議員は、距離があるせいなのか、新の様子の変化に気付かずに話を続けた。


「私は今回の事件で確信しました。仮想世界は不要ではないか、と。あれだけの悲劇を経験したのです。あなたには分かるのではないですか? この世界の歪みが」


 新は女性議員の言葉を聞き終えると、くぐもった笑いを漏らした。手の平で顔を覆い、その場でたたらを踏むようにふらついた。


「仮想世界不要論……?」


 ふらつく足を支えるように、両手を机に強く叩き付けた。


「ふざけるなっ! お前達の都合で俺達を不幸にするなっ!」


 新は身を乗り出して、議事堂に居る者達、ディスプレイを通して見る者達、すべてに訴えかける。


「終わったこと? 忘れろ? 幸せを取り戻せ?」


 怒りと憎しみと悲しみと――あらゆる感情を混ぜこぜにした叫びを上げる。


「違う、違う、違う違う違う違うっ!」


 世界中の人々へ向けて、ずっと抑え込んでいた想いをぶちまける。


「俺達は生きていたんだっ! あそこで! 夢じゃない、嘘なんかじゃない! 俺達の世界をろくに知りもしないで否定するんじゃねぇ!」


 ぼろぼろと涙を流しながら、新は全力で――あの日々を伝えようとする。


「剣を手に取り、鎧をまとい、俺達は戦ったんだっ! あの世界での生きた記憶は誰にも否定させない! 何もかも本物だ、全部全部……本物だったんだ! 大切な人たちも、それとは逆の憎むべき人間も、あそこにはいた! 何も変わらない……だから仮想世界を現実の下に置くんじゃねぇ!」


 静まり返る議事堂を見渡して、新は全身から力が抜けるのを感じた。佳奈美はその背中に、諦観を見出した。伝えようとして、そして伝わらないのを理解しているのだろう。哀れで尊く愛おしいその姿に、佳奈美は懐かしさを覚えた。


「あの世界で、俺達は泣いて、笑って、戦って、人の死には歎き、大切な人との時間に幸せを感じ……そして、それでも明日を求めて……侵食体を倒したんだ……お前達のためじゃない、世界のためじゃない、俺達は生きていたからそうしただけだっ!」


 すべてを伝え終えたのだろう、新はその場に崩れ落ちた。

 佳奈美は席に座ったまま拍手をした。誰も賛同せず、寂しいその優しさの音色は、ただただ誰にも理解されずただの音として議事堂に響き渡る。


 沈黙が支配する中、新は屹然と立ち上がった。

 横顔に見えた瞳は、戦意と決意に燃え上がり、もはや誰にも止められない力強さを宿していた。佳奈美はそれに満足そうに微笑んだ。


 ――さあ、老人共に一泡吹かせてやるといい。それが、きみが一年間で磨き上げた、最強の剣なのだから。



    *



 仮想新暦13年3月23日(水)午後8時09分。

 カナデ大陸中央都市エント・ベル、セルト通り、カフェテラス『白鷺』。


 Labyrinth On-Line(通称:ラビィ)は公式サービス開始初日ということもあり、ホームゲート(ゲームスタート位置)のあるエント・ベルには多くの越境者プレイヤーが集まって、賑わっていた。

 初心者装備に毛が生えた程度の胴装備カッパーで身を固める男性越境者――シンは、メイド服姿の少女――ユミルとテラス席で向き合うように座っていた。


「ふむ、となると、きみはβテストには参加してなかったんだねぇ」


 現実では浮くこと間違いなしの桃色の髪を黄色い大きなリボンでツインテールにした少女は、意地の悪い笑みを見せる。

 シンは短く揃えた黒髪を揺らして頷いた。


「そうですよ。用事が済んだ後、家に帰って慌ててログインしたんです。焦っちゃってIBがうまく操作できなくて、パスワード打ち間違えて弾かれたり、本当に大変でした」


「ふふん、最初期のVRゲームのプレイヤーだったら、「ハッスルし過ぎて弾かれたか?」って言ったんだけどねぇ」


「どういう意味なんですか?」


 シンは丸っきりのVRゲーム初心者であるため、いまいちついていけない。このゲームを始めたのも、他人の名義を使ってまで応募した友人が予想外にも二つあたってしまい、安く譲り受けたからだ。その友人は昔からVRゲームをやっていたので、操作に手間取るシンを見捨てて狩りに繰り出してしまった。

 ユミルは人差し指と中指を立てて、上下に振った。すると、メニューが視覚化される。反対側からなので反転してしまっているが、ユミルが『ヘルプ』の項目を選んだのは分かった。


「んーとね、ここに書いてあるんだけどさ、ゲームにインする時に……というより、転移ムーヴかな? まあ、その時にさ、コンディションチェックってあったでしょう?」


「ああ、確かにそんなのがありました。丸いバーがあって、体調状態とかをチェックしたやつですよね?」


「そうそう、それそれ。んっとねー、昔はあのチェックすごくシビアだったんだよねぇ。きみみたく大急ぎで帰宅してインしようとすると、荒い息遣いとか動悸で弾かれちゃうぐらいだったよ。苦情がすごかったから、すぐに緩和されたんだけどね。まあ、そんなわけで、古参さんの中では、約束時間に遅れて来た人とかには、「ハッスルし過ぎたか?」って訊くネタがあったんだ~。今じゃほんと聞かなくて寂しいねっ」


「へえ、そんな時代もあったんですね」


「そうじゃよ、若いもんにはわからんよねー」


 ユミルは幼女といってもいい見た目なので、余計に中の人の年齢を推察するのが難しかった。少なくとも性別は女性であるのは確定している。ラビィでは認証に、仮想世界の仮想体アバターをもとに行っているので、性別を偽ることができないのだ。


「あとはなんだろうなぁ、現実介入クラシックモードなんてものも訊いたことないよね?」


「はい、ないです」


「だよねぇ。GUI端末なんてものも知らないよね」


「ううん、聞いたことないですね」


「あははー、大丈夫大丈夫、一部の馬鹿とかマニアックな連中しか普通は知らないから。IBよりも前の情報端末で、PCっていうのがあったんだよ。それはね、仮想世界に対応してなかったから、インターネットしか繋げなかったけどね」


「それじゃあ電話と変わりないじゃないですか」


「面白いことに、昔は電話回線って別に回線があったのさ。インターネットがいまでいう仮想世界みたいなものだったの」


「……想像できない世界なんですけど」


「仕方ないよ、もう数十年前の話だし。近代史で触れると思うぞー」


「……もはや、学生とばれてますよね」


「ノンノン、気にしたら負け! というか鎌掛けだったんだけど、本当に答えちゃうとは、シンさん初心だねぇ」


「ユミルさんは意地悪いですね」


「くふふ、ユミルちゃん悪女ロールですからぁ……おおっと、ごめんコール入った」


「あ、気にしないで下さい」


 ユミルが手の平を耳に当てて通話を開始する。たとえゲームの中であっても、仮想世界内なので、外部との連絡は可能だ。

 シンは手持ち無沙汰になり、街中へ視線をさまよわせる。


 ゲームを開始して、キャラエディットまでは何も問題なかった。自分の名前をもじったキャラネームに設定すると、特に被らなかったのでそのまま決定し、容姿も自分に似せつつも理想系を混ぜたもので……気付くと完全に別人になっていたのはご愛嬌。


 チュートリアルなんて飛ばしてさっさと来い、と友人――ゲーム内ではウルフという名前だった――に言われたので、その通りにしたら、メニューの出し方すら分からず、マップも見れないで、親切なプレイヤーに助けられて、なんとか合流できた。

 そこで、ウルフと会話を交わしたが「やっぱり、お前には早かったか、僕が悪かったよ」と勝手に諦められてしまい、早々に戦場へと旅立ってしまった。


 中世ヨーロッパ風味の異世界を更に凶悪にしたようなラビィでは、基本的にパーティで行動する。ソロプレイをやるのはよほどのマゾか、よっぽどの玄人だ。独りぼっちになったシンは、そんな知識すらも持たずに、初期装備の錆びたナイフと、旅人の服という名ばかりの防具のみで、魔物がうろつく戦闘フィールドに踏み出した。


 エント・ベルの西側に広がる砂地で、アース・アントという巨大な蟻と戦闘して、食われたり、酸の拷問を受けたり、苦難の末に回避や防御を覚えたシンは、なんとか防具と装備をまともなものに買い揃えることができた。全身銅装備。銅の剣、銅の兜、銅の鎧、銅の――全身赤金の見た目はインパクトが強かった。能力的には初期では高いのだが、見た目がキャラの容姿を完全に隠してしまうのと、重いために嫌われている。


 そんなシンの姿に腹を抱えて笑いながら声を掛けてきたのがユミルだった。

 彼女はどうやらVRゲーム自体の古参プレイヤーであり、ラビィにもクローズドβテストから参加している猛者らしいので、シンは素直にアドバイスを受けることにした。

 ユミルはまず、チュートリアルで説明されるはずのこの世界について説明してくれた。


「タイトルにある通りにね、このラビィ……ああ、Labyrinth On-Lineのこと普通はみんなラビィって言うから覚えておいてね。ええと、話は戻るけど、つまりラビィは、迷宮攻略型のプレイヤーの協力を前提にしたオンラインゲームなのです。珍しくプレイヤーが自由に使える魔法も存在しないんだよ」


「へえ……」


「へえってね、きみ! そのぐらい流石に知ってから買おうよ!」


 と説教されたものだから、簡単に事情を説明すると、


「ふーん、まあ、仕方ないのかな……? いや、仕方なくないよ! ゲーム買ったら説明書読むでしょ? それと一緒で下調べぐらいするよね?」


「えっ」


「えっ」


 説明書を読まない(というか説明()なんて今時普通の人は見たことがない)ことを言うと更に説教された。

 色々と挟みながらも、またゲームの説明に戻り、


「それでね、ゲームのメイン舞台はここカナデ大陸。マップを見れば扇形をしているのが分かると思うけど、南側以外の端に4つ迷宮があるの。それを攻略するのがゲームの目的! でも、最終目標は、このエント・ベルの地下に隠された迷宮の攻略なんだよ。βテスト終了でシナリオがリセットされたから、初心者のみんなは知らないかもね」


「扇形にしてるんですね、この島」


「……そっか、マップも見れないんだっけね」


「そんな眼で見ないでください」


「さ、さあ、気を取り直して続きをいこうか!」


「スルーされました……」


「聞こえないよーだ! さて、迷宮はスフィアと呼ばれます。実は迷宮の正体は遥か古の神のお家だったのです! 中心部が球体になっていて、それを覆うように迷宮が展開されているんだよ。迷宮の構成を大別すると、その球体の外と中で、それぞれ迷 宮 域(ラビラント)神  域(サンクチュアリ)になるからこれも覚えておこうね。用意するものが変わってくるから」


「その攻略に協力が必要になるんですね」


「そうそう! 戦うだけじゃなくて、食料とかの支援も必要だからね。出張鍛冶師さんとか結構儲かるよ? 初日だからかな、生産職は過疎気味だから興味を持ったらやることおすすめするよ」


「剣振ってる方が気楽でいいですかね」


「そか、なら仕方ないね! さて、ラビィ内ではプレイヤーのことを越境者と呼びます。何故でしょうか?」


「知りません」


「せめて考えてよー、悲しくなるじゃないか」


「………………知りません」


「それは、間を置いただけやから!」


 胸にビシリと突込みが入る。もしかしたら関西人なのだろうか。現実ではもはや関東と関西は交流の薄い外国のような感じになってしまっているが、仮想世界では未だに絆は深い。

 ユミルは仕方が無いなーと肩を竦めた。


「もったいぶっても仕方ないので、答えです! さっき説明したけどね、迷宮は元々は神様のお家だから不可侵の場所なの。だから、その領域を越える者――神域を侵す者、されど勇気をもって世界を解放せし者、なんてことで越境者と呼ぶのです。複雑だよね、名誉であると同時に呪われた呼び名だよ。越境者の目的はね、来るべき魔神の侵略から世界を救うために、深い眠りにある神の力を引き出すこと。だから、迷宮を攻略すると、最大の功労者には神の力――ギフトが与えられる。まあ襲名制で、手順を踏んでギフト所持者と決闘ディエルすれば奪えちゃうんだけどね」


 ユミルは続いてカナデ大陸にある五つの迷宮について説明した。


「5つの迷宮にはモチーフというか、モデルがあるらしいんだけど、秘密にされているみたい」


 βテストでは、どれも難易度調整やマップのバグなどを確かめるために、全迷宮が難易度を低く設定されているため、一通り回ることができたのだ。公式サービスでは比べ物にならない難易度を誇り、迷宮の複雑さは増している。


 地下都市ガルヘラ。あらゆる動物系の魔物が繁殖しており、通称『動物園』。大陸の西端にある。落とし穴や擬似壁などのトラップが多く、マッピングを確りしていても、迷うことが多い。ギフトは『王者ノ証』で召喚魔法を使用可能とする。召喚できるのは動物系のみだが、一人軍隊を可能にする。βテストではただの獣好きが、「戦える訳ないじゃないか! もう生産職に転向だ!」と言って全力支援していたらギフトを受け取る最大功労者になってしまい、『王者ノ証』を手にした。彼は獣に囲まれていつも幸せそうにしていたらしい。たまに、戦えよ、と他のプレイヤーに言われていたらしいが。


 天空の塔(マーシェル)。大陸の北西に聳える塔。見た目も大きいが、内部は神の力によって拡大されているため更に広い。トラップが少ない代わりに、魔物一体一体が強く、生産系が必要な障害が多く用意されているので攻略が一番難しいとβテストで判断された。ラスボスまで至ることがなかったため、ギフトは『鏡面狂言』という名前だけが把握されている。


 死霊の王国(セー・アブ・アナー)。かつて大陸の北端に存在した王都がそのまま迷宮化したもの。名前の通り、死霊系が数多く徘徊しており、迷宮攻略というよりは初期状態の大規模戦闘はまさに戦争そのものである。それなのに城の主は唯一の生者で幼女なことから、βテストでは本気で攻略された。しかし、幼女一人に敗北した。そのため、「死霊の王国を攻略しようぜ!」からの「ぅゎょぅι゛ょっょぃ」の流れは定番のネタとなっている。これもまた倒せなかったためにギフトは『無限顕現』という名だけが知られている。


 武神の祠(オーガスト)。大陸の東端の深い谷の底にひっそりと存在する。シンプルな構造なのだが、敵が強過ぎるために誰もがβテスト中の時間制限では攻略できないと悟り放置されてしまった。ギフト名すらも不明で、謎が多い。


 世界の涯(レルティサ)。時空間の歪んだ迷宮。中央都市エント・ベルのどこかにあるとされるが、少なくともβテスト中では発見すらされなかった。内部では時間の混乱と空間の崩壊と再構築が忙しなく行われており、マッピングが不可能であることだけは公式設定で知られている。メインストーリーの進行で、この迷宮こそが最終目標であると判明している。


 教えてもらった知識を再確認して、思考入力でメモしていると、通話を終えたユミルが顔の前で手を合わせて「ごめんねー」と謝ってきた。


「いえ、大丈夫です」


「ふふっ、シンさん優しいねぇ。……さて、他の簡単なシステム周りはもう説明したし、他に困っていることはあるかな?」


「たぶん、大丈夫です」


 ユミルは席から立ち上がると伸びをした。


「そかそか、ならユミル特性チュートリアル終了です! お疲れ様でした!」


「ありがとうございました」


 シンは立ち上がって、頭を下げた。


「全くきみはかったいねー。ゲームなんだから、もうちっと放漫に行こうよ! 基本無礼講でオッケーなんだからさ」


「いやぁ、ちょっと気をつけておかないと、リアルの口調が荒いんで」


「ほほう、想像できないなー。んん、いいこと思いついた! これから一緒に狩りに行かない? きみの本性を暴いてやるぞー」


 ユミルはアイテム領域に格納していた二刀の短剣を取り出して、ギラリと輝かせる。堂に入った無駄の無い構えだった。


「でも、いいんですか? ユミルさんも初日でリア友と約束とかあるんじゃ」


「あはは、ないなーい。だからきみを誘ってるんだよ! ほら、パーティ申請送るよ」


 ユミルは手早い操作で、パーティの招待状を送ってきた。

 シンは視界の端に出現した人が手を繋いで円を作るアイコンへ視線を合わせる。すると、ウィンドウが拡大されて、『ユミルさんから、パーティへの誘いを受けました Yes/No』という表示が出た。状況に合わせて選択をタッチするか、音声返答で応答できるようになっている。


「Yes――よろしくお願いします、ユミルさん」


 申請を完了すると、ユミルの頭上に青色のカーソルが現れた。それはパーティメンバーを表す印だ。後はマップにもパーティは青の光点で表示されているようになっている。また視界の左端にはステータスの状態も表示されるようになる。


「こちらこそ、だよ。さあ、一日は有限だ! いざ、狩場へ……の前に、スキル値聞いてもいいかな?」


「ええと、どこらへんを言えば大丈夫ですか?」


「戦闘関連の項目を教えてくれれば充分だよ」


 ラビィは完全スキル制であるため、魔物を倒すことでの経験値やレベルの概念は存在しない。ただし、大型の魔物やボスを倒すと、スキルレベルへのボーナスが付いたりと倒した際の特典や、ドロップアイテムなどはある。


 スキルレベルの最大は基本的には100。越境者のスキルキャパシティは基本的には1000である。それぞれ上限を拡張する特殊アイテムが存在しているため、正確な上限を把握している者はまだ居ない。

 シンはメニューの中から、スキルの項目をタップした。

 すると、他プレイヤーには不可視のスキル一覧が表示される。ウィンドウの上端に並ぶタブの中から、『戦闘関連』を選択する。


「ええと、剣が8で、回避が12、防御が3……他はほとんど1か2のままです」


「なんで序盤から回避無双してるのかな。ちぐはぐだね、きみってやつは」


「え? 普通とは違いますか?」


 ユミルは眉間に皺を寄せた。それをほぐすように手の甲を当てる。


「そうか、ソロプレイなんだっけ」


「はい」


「うん、それが原因だね。ラビィはパーティ狩りが基本で、パーティには基本的に回復役と後衛が付くものなの。だからね、前衛はタゲ取りのためにも、ダメージ覚悟で攻撃するものなの。回復役が居るから、その人のスキル上げにも役立つしね。ソロなら治療術あるよね?」


「……タゲ取り? 治療術?」


「ああ、えっと、ターゲットを取るの略でね、魔物は基本的に危険度の高い相手を狙ってくるの。だから、狙われるようにすることをタゲ取りって言うんだよ。あれ、ちょっと、待って、治療術取ってないの!?」


「回復って街に戻らないとできないんじゃないんですか?」


「自然回復すら知らないやと!?」


「えっ?」


「えっ、じゃないよ!」


 色々と言われても、シンには分からなかった。首を傾げるシンに、ユミルが感情表現が豊かな仮想世界ならではの真っ赤な顔を見せる。


「じゃあどうやって戦ってたの? というか、何度死に戻り……ああ、死ぬとホームポイントに戻ることを、死に戻りって言うからね。今日だけで何度お亡くなりに?」


「いえ、一回も死んでないですよ?」


「えっ」


「えっ」


 ユミルは固まった。数秒経つと、頭を抱えてその場でうずくまり、うーうー唸り出す。


「チートや、リアルチートがいるでぇ」


「あの、ユミルさん、確りして下さい」


「うぅぅ、仮想世界も理不尽や、なんでそないな厳しい現実おしつけるん? ウチ、素で泣けてきたで。ウチかて、初プレイは死にまくりやったのに……ありえへん」


「キャラ変わってますって!」


 ユミルはゴスゴス、と白畳の地面に拳を打ちつけた。何かがよほど悔しかったらしい。きっと古参ならではのイレギュラーをシンが持っていたのだろう。

 シンは何もできず、ユミルの奇行を見守った。

 ようやく立ち直れたらしいユミルが、瞳からハイライトを消した状態で立ち上がった。一体どんな感情に対応すればそんな顔になるのか、気になるけど怖くて訊けない。


「まあええよ……ごほん、まあいいですよ、早速狩りにいきましょう。そのスキル値なら、サンドテイルもいけます。はい。いけます……逝けます、逝てもうたれ」


「なんで、不吉な感じがするんでしょう」


 ユミルはシンの反応を気にせず、すたすたと先を歩いていく。


「気のせいです。でも、その前に治療術のために薬草買っていきますよ」


「薬草なら持ってますけど? 案内してくれたプレイヤーにもらったんですけど、これってどうやって使うんですかね?」


 ユミルは立ち止まり、ギギギとおぞましいSEを伴いながら首だけ振り返ってきた。


「シンさん」


 ニッコリと笑う。


「はい」


 恐怖を感じながらもシンもニッコリと笑う。

 ユミルは無言でアイテム領域から、フライパンを両手に取り出す。

 逆十字にフライパンを構えて、ふらつく足取りで特攻を仕掛けてきた。


「……いまここで逝ってしまえぇぇぇぇっ!」


「えぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 躱す暇も無く、フライパンの直撃の快音がセルト通りに響き渡った。





 サンドテイルは前衛スキル構成でスキル合計値が200からが推奨である。ちなみにシンのスキル合計値は80である。それも構成はまとまっていない。

 砂の中に弱点を隠して、鋭い棘を持った尻尾で攻撃してくる魔物で、タイミング良く攻撃を加えるか、相手の大振り攻撃をパリィすると、弱点である頭部が地上に飛び出す。


「うわぁぁ……逆モグラ叩きだぁぁ」


 ユミルの感心するような、呆れているような声を聞いて、シンは悲鳴を上げた。


「ちょっと、助けてください! 死ねます!」


「ふふっ、逝ってよし!」


「助ける気ないよ、この人!」


 シンはサンドテイル三体の猛攻を受けながらも、すべて回避していた。回避はプレイヤースキルであるため、たとえ初心者であってもできる者はすぐにできる。スキル値としての回避は、回避行動時のシステムアシストを受けることと、あくまで攻撃を受けた時、あるいはギリギリの時の判定の補整値に過ぎない。いわゆる当たり所が良かったか悪かったかの判断に使われる。防御のスキル値はというと、これは逆に能動的な防御行動を起こした時のダメージ減算に用いられるのだ。

 基本的にはどちらか一方を選んで上げる。壁役ならばもちろん防御で、陽動ならば回避だ。


「って死ぬ! うわ! ちょ、無理!」


「大丈夫大丈夫、まだまだいけるよ、頑張って……サンドテイル!」


「応援するのそっち!? 違うだろ、俺だよね、そこ!」


「おおっ、いい感じに口調が乱れてきたよ、やったね、ユミちゃん! シンくん、デレたよ」


「い、意味がわからないってぇぇっ!」


 格上相手との死闘……というよりは、一方的な攻撃を受け続けることで、シンの回避スキルは見る見る上昇していた。現在の回避スキルは27である。たった数十分での急成長だった。


「うむ、そろそろ、反撃いってみようか、私も手伝うから」


 ユミルは双剣を振るい、一番近いサンドテイルのターゲットを自分に変更した。×印を作るように構えて、そのまま正面から斬りかかり、両手の剣を振り終えると同時に足払いを行う。


「ちなみに、一定以上のダメージで連続3ヒットすると、弱点を見せてくれるからね!」


 言葉通り、サンドテイルは三撃目の足払いを受けて、溜まらず飛び上がった。砂の中から現れたのは緑の複眼を血走らせる虫と爬虫類の間のような顔だった。


「ていっ!」


 掛け声と共に、剣技を発動する。

 双剣技<ツイン・フォール>。

 振り上げた刃を閃光へと変えて、交差するように超高速で振り下ろす。双剣スキルで最初に覚える剣技で、威力は通常攻撃の約1.5倍になり、攻撃速度は約2.1倍だ。消費するスタミナも少ないので序盤では多用される。


 サンドテイルは小さな断末魔を上げて、どさりと砂の上に倒れた。死体をタップすると、ドロップアイテムの一覧が表示された。


「んー、砂皮か、クエストに使うかな」


 自分が必要だと思ったアイテムを、ドロップ画面からアイテム領域へとドラッグして移す。


「さて、こんな調子で、シンさんもいってみようか」


「二体同時は無理なんですけど!」


「為せば成る!」


「そんな決めた顔で「b」じゃないですって! 怒りますよ!」


「きゃーこーわーいー」


「畜生! やってやる! こんな尻尾どもやってやんよ!」


 シンはやけくそになって、サンドテイルへと攻撃を仕掛けた。それは、ちょうど大振り攻撃のカウンターパリィに成功して、相手は大きく仰け反ると共に弱点である頭部を地上へと晒した。


「はぁぁっ!」


 シンは幸運に感謝しながら、胴の剣の剣先を地面すれすれに構えて、そこから一気に切り上げを放った。

 片手剣技<レイズ・ブレイド>。

 ただの切り上げモーションではあるが、攻撃速度を1.5倍に速めて、威力も1.2倍になる。


「うわ、ビキナーズラックって恐ろしい」


 教えてもいない剣技を発動したシンにユミルは畏怖を覚える。彼は根本的に仮想世界に適応した人間なのかもしれない。


「まさか土壇場で剣技を発動するなんて」


「え? これは元から使えましたよ? 一人で戦っている時に見つけました」


「えっ」


「ええっ」


 ユミルは武器をフライパンに切り替えた。


「ちょ、ちょっと待ってください! まだ一体残ってるんですから!」


 何をされるのか察知したシンは、悲鳴に近い懇願をする。


「ふふっふふふふふふっ、さっきまで同時に三体相手にしていたんですから、一人ぐらい増えたところで……いきますよー」


「うわ、本気だ、その目は本気だ!」


「レッツ、デストローイ!」


 シンの戦いはまだまだ続くのであった。





「あの、いい加減に機嫌直してください」


「ぷーい」


 サンドテイルとの共同戦線を張ったユミルであったが、シンの恐るべき回避スキルによって尽くギリギリで避けられたのだ。βテスターであるユミルからすると、耐えられない屈辱だった。


「そんな分かりやすい拗ね方しなくても」


「拗ねてないですよーだ」


 二人は戦闘フィールドから戻ってきた後、最初に出逢ったカフェテラス『白鷺』へと戻ってきていた。帰りの道中からずっとこんな調子で、シンはいい加減に対応に困っていた。


「はあ……ユミルさん、でも本気じゃなかったじゃないですか。武器はフライパンでしたし」


「でも全部避けられた……あっ、ごめん、またコール」


「いえ、どうぞ」


 ユミルが通話に集中している間、シンは機嫌を直す方法を考えた。別に今日限りの仲であると考えれば、このまま落ちてしまってもいいのだが、流石に色々とお世話になってしまって今では、せめて良い状態で別れたい。


「そんなっ、何を言って!」


「ん……?」


 ユミルが通話の声が大きくなり、シンにまで届いた。通話状態の時の音声は指向性が高まるので、声を張り上げたり、設定変更をしない限りは周りの人に聞かれる心配は無い。


「ふざけないでくださいっ! メンテナンスって嘘だったんですか!? じゃあ、それじゃあ……分かりました! 切ります!」


「何かあったんですか?」


 ユミルはシンに黙っているように手振りで示すだけだった。


「シンさん、今すぐ落ちるんや! ログアウトの方法は分かるやろ!?」


「待ってください、理由を聞かせてください!」


「早くっ!」


 鬼気迫る勢いを感じて、シンは釈然としないものの、すぐにメニューを開いた。システムの項目からログアウトのコマンドを見つけてタップする。


「あれ、反応がない?」


 戸惑うシンの横で、ユミルは仮想端末のキーボードを呼び出して、物凄い速度で打ち込んでいた。

 セルト通りがざわめきで一杯になる。

 シンはプレイヤー達の視線が夜空に向けられていることに気付いて、同じく見上げた。


「なんだ、あれ……」


 満天の星空を飲み込むように、巨大な黒い球体が浮かんでいた。黒い球体はパズルを組み立てるように形を徐々に変化させていき、やがて四足の動物のような生物の姿へとなった。


「ユミルさん、あれはなんなんですか?」


 本能的な危機感が襲い掛かる。

 視界が明瞭に、擬似的な立体音声がより現実的に、唇が乾くのが分かる、手の平がじっとりと汗をかいているのが分かる、テーブルに置かれたコーヒーの匂いが本物としか思えない――リアルな感覚が逆に気味悪い。

 突然の状況に翻弄されたまま、シンは何一つ行動を起こせずにいると、視界の中央にシステムウィンドウが開かれた。そこには、タイトルに「GMからのメッセージ」と書かれている。


「どうして、名前が……」


 メッセージは文字が表記されていくと共に、聞きなれた声で再生される。


<GMのユミルです。緊急事態発生につき、本ゲームサーバーは仮想世界より隔離されます。プレイヤー全員に通達です。ログアウトをすぐに実行してください。今すぐにです。コード009……仮想基本法第9条に基づき、本ゲームサーバーは仮想世界より隔離されます。プレイヤー全員に通達します。今すぐログアウトしてください>


 ユミルは何度も同じメッセージを繰り返したが、諦めたのか、仮想キーボードを地面に叩きつけて消滅させた。


「ごめん、なさい……」


「ユミルさんはGMだったんですね……」


「ごめんなさい、ウチが悪いんや。ウチがシンさんに声掛けてもうたから、せやからログアウトのチャンス奪ってしまったんや」


「落ち着いてください、どういう状況なんですか? コード009って、隔離ってどういうことなんですか?」


 ユミルは俯いたまま説明を始めた。


「コード009、それは情報的隔離が可能な仮想領域に於ける、危機的状況への対応策発動の合図です。009は仮想基本法第9条に基づき実行されます」


「仮想基本法第9条っていうのは?」


「…………侵食体デュナミスに関することをまとめた項です」


「侵食体……まさか、それじゃあ」


 シンはようやく理解が追いついた。頭上に現れた、謎の黒い塊を再び見上げると、また形を変えて今度はのっぺらぼうの巨人に姿を変えていた。


「あれが、侵食体っ!」


 見たことは無かったし、見たいとも思わなかった仮想世界最大の化け物が目の前に存在する。

 シンはすぐにゲーム外のシステムへとアクセスを試みた。しかしすべてエラーが表示される。唯一開くことができたのは、没入ダイヴのためのアクセスポイントから取得できる肉体情報などだけだった。


「フィードバックが80%だって」


 本来ならば絶対にありえない数値を示している。高所から飛び降りれば、それとほぼ同じ衝撃を脳は肉体へ伝達するだろう。そうなれば確実に死ぬ。

 もはや、ここは、ゲームの世界であって現実に等しい。


「まだ管理者IDなら抜け道があるかもしれへん! シンさん、きみだけでもウチは脱出させて見せる」


 ユミルはすぐに管理者用の制御ウィンドウを開いた。


「なんでやっ、GM権限はゲーム内だけやろ!? なんでアクセス拒否が起きんの……」


 しかし、アラートマークが大量発生するだけで何も操作を受け付けない。

 多くのプレイヤーが集まるエント・ベルは、もはや狂騒に包まれた。誰もがログアウトコマンドを連打して、空の侵食体に怯えながら、現実世界への帰還を願う。


「おい、居たぞ! あれがさっきのGMだ!」


 シンはこちらに向かって指差して喚き立てる男性プレイヤー達に気付く。彼らは明らかに冷静さを見失っていた。


「早く俺達をここから出せよ!」


「できるんだろっ!」


 ユミルは怒声に遅れて気付き顔を上げた。

 侵食体によって現実化エネルゲイアが進むラビィ内では、感情もまた露骨に現実的だ。喜びも悲しみも、脳波から読み取り嘘の吐けない仮想世界では、悪意は剥き出しに晒された。


 ユミルは多数の負の感情を向けられて怯える。

 シンは震えるユミルの手を取って、すぐさまその場から駆け出した。ユミルはただ引かれるままに付いてくる。

 背中に罵る声が聞こえてくる。


「お前だけログアウトするつもりなのか!? 中央広場に何百人ものプレイヤーが居るんだぞ!」


 彼らに捕まればただでは済まされないのは分かってしまった。

 仮想世界ではハラスメント行為に厳しい。だが、もはや侵食体の現れたこの世界では法は存在しない。現実よりもリアルな感情と本能が暴走するただの地獄だ。戦場の方が綺麗に見えるだろう。


「追え、奴がGMだ! 絶対に何か脱出の手段を持っていやがるぞ!」


 シンもまた恐怖に震えた。ユミルの手をギュッと握ると、同じぐらい強い力が返ってきた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「謝らないで下さい! ユミルさんはたくさんの人を救おうとしてました! 俺はそれを知っています! 今はまだ冷静さを見失ってますけど、時間が経てばあの人たちも分かってくれますよ!」


「でもっ……」


「だから今は逃げましょう! 彼らにその気が無くても、今は危険過ぎる!」


 マップを表示して、できるだけ人通りが少なさそうな裏道を進んでいく。

 怒声はまだ背中に聞こえてくる。スタミナゲージが限界に近かった。


「どこかに隠れましょう、何かいいところはありませんか?」


「そこを右に曲がれば、マイナークエストのNPCの家が」


「分かりました!」


 シンは指示された家の裏口を蹴り破り中へ入った。ユミルに言われて、すぐに二階へ駆け上がる。窓に影が映らないように低く座った。


「……はぁはぁ、くそっ、息苦しさまでリアルにしやがって」


「大丈夫……ですか?」


 ユミルが顔を覗き込んでくる。潤んだ緋色の瞳からは既に涙が零れ落ちていた。流石にゲームのエディットされたキャラなだけあって浮世離れした美少女だ。こんな危機的状況だというのに、リアルに感じられる女の子の匂いに惑わされる。


「だ、大丈夫です」


 心に落ち着け、と言う。相手はGMなのだから大人で下手すればおばさんだ。妙な期待をするもんじゃない。


「ごめんなさい、もう少しウチがシステム管理の上位権限を持っていれば……こないなことにならずに済んだかもしれへんのに」


「気にしないでください」


「でもっ」


「だから、いいって言ってるだろ。ってもうああ、すみません……口調が乱れました」


 ユミルは膝を抱えて儚く微笑んだ。


「……マナー違反ですけど、リアルのこと訊いてもいいですか?」


「なんでもいいですよ、気が紛れるのなら……それに、現実がどうとか、なんかどうでもいい状況ですから」


「それも、そうですね……。シンさんは、リアルではやっぱり学生なんですか?」


 シンは壁を背もたれにして、ユミルの横に移動した。


「そうです、高校生やってます」


 現実側では今どうなっているだろうか、と思った。それと同時に同じくラビィに居る筈のウルフはどうしているのだろうか。


「ほな、一緒やね……ウチも高校生や」


「高校生……でも、GMじゃ」


「親戚の繋がりでちょっと上等なアルバイトみたいなもんやで。体が弱くて、昔から仮想漬けやから、気をつこうとるのかもしれへん」


 安易に踏み込んでいけない返答に、シンは話題を逸らした。


「さっきからちょこちょこと関西弁出てますけど、出身もそうなんですか?」


「そうやでー、でも数年前から新都に居るから、綺麗な関西弁は忘れてもうたなぁ」


 ユミルは寂しそうに呟いた。


「じゃあ『外』を通ったんですね」


「記憶に残らへんぐらい、昔のことやけどな。シンさんは?」


「俺はずっと新都です。別の意味で仮想漬けですよ」


「もう敬語は要らへんよ。お互いに高校生なんやから、気楽にため口で話そうや」


「努力するよ……ネットじゃ、敬語で慣れてるから」


「うむうむ、その調子や」


 ガタン、と扉が開けられる音が一階から聞こえた。

 二人は同時に息を止める。一階から、喚き立てる怒声と、悲鳴が交互に響き渡る。家具を壊す音が一際大きく地響きのように響いて、声が途絶えた。ギシリギシリと階段を上る音が聞こえる。


「ユミルさんは、後ろに」


 シンは立ち上がり、胴の剣を腰から引き抜く。今までにない確かな重さと、害意を孕んだ鋭利な刃は、ただの学生が持つには余りに不穏だった。


「やっと、見つけたぜ! さあ、ここから出る方法、教えてくれよ、なあ、知ってるんだろ!?」


 階段を上ってきたのは、追っ手の中に居た、金髪を逆立てる片手剣使いだった。鞘から既に抜かれている刃は、血が滴っている。


「お前、殺したのか」


 シンは竦み上がりそうになるのを必死に堪えた。背中で怯えるユミルを守れるのは自分しか居ないのだから。


「殺した? おいおい、こりゃあゲームだぜ、邪魔な奴をPKするなんて普通のことだろ? ええ、おい、だからよ、ここからさっさと俺を出せっ!」


 言っていることが滅茶苦茶になり始めている。リアル過ぎる感覚に人間の心は耐えられないのだ。ましてや、この世界は人死にが普通の世界。平和に優しく包まれた現代人には辛過ぎる環境だ。


「もう、ここをただのゲームの世界だと思えてないから出たいんだろう? なのに、どうして人が殺せるんだ! フィードバックは80%だ、そんな死の感覚を送り込まれたら、ショック死する可能性があるんだぞ!」


「んなこと知ったことかぁっ! くだらないことをべちゃべちゃ言ってないで、さっさと後ろの女をこっちに寄越せっ!」


 ユミルが「ひぃっ」と短い悲鳴を漏らす。

 シンは抜刀した赤金の刃を男へと向けて構えた。


「それ以上こっちに近づくな! 近づけば斬る……!」


 剣技発動のために下段に構える。震える心と手を忘我して、ただ戦闘に自分を落とし込む。相手の言うとおり、今は守りたい命以外は「どうでもいい」と判断しなくては、生き残れない。


「やってみろよぉっ!」


 男は躊躇いも無く踏み込んできた。覚束無い足取り、狙いの定まらない剣撃、理性を見失った顔、すべてが油断と隙に満ちていた。それでも、シンは出遅れる。


「くぅっ!」


 心の躊躇いを切り捨てて、剣技を発動する。

 片手剣技<レイズ・ブレイド>。

 高速で振り上げられた刃は、男の攻撃を弾き飛ばしてもなお勢いを持ち続け、左腕を切り裂いた。


「ぎゃぁぁぁっ!」


 野太くグロテスクな絶叫に、シンは腕を斬った感触も相まって嘔吐感に襲われる。震える四肢を必死に強がらせなんとか立ち続けるも、血塗れた己の刃に映る自分の顔に恐怖を覚えた。そこには映るのは修羅だ。人斬りの鬼だ。

 男は悲鳴を上げて、その場に崩れた。地面を何度も蹴って後じさり、背中が壁に当たってもそれを繰り返していた。


「ひぃぃ、ひゃぁぁぁっ!」


 意味のある言葉はもう喋ることができていなかった。

 シンは自分自身への恐怖すらも押し殺して、再び刃を構えた。

 ここで殺さなければ、この男は他の人間を殺す。あるいは、恐怖に溺れたこいつは、もう何もできないただの廃人になるかもしれない。……ならば、どちらににしろ、ここで終わらせてやるべきではないだろうか。このデスゲームと果てたラビィにいつまで閉じ込められるのかは分からない。しかし、この男に希望が訪れることはないように思える。


「――殺す」


 シンは刺突の構えで、相手の頭部に切っ先を向けた。

 男は悲鳴を上げるばかりで抵抗らしい抵抗は無かった。

 刃を突き出そうと腕を引く。ぽすん、と背中に柔らかい衝撃が当たった。切っ先が震えて狙いが定まらない。いや、違う、震える手がシンの腕を必死で掴んでいた。


「止めて……そないなことしても、意味なんてあらへん」


 ユミルが背中に抱きつくようにして、シンの動きを止めていた。物理的な楔は弱くとも、精神的には強固な鎖になって暴走する本能をがんじがらめに縛り付ける。


「ごめん……」


 シンはようやく自分を取り戻し、長い息をついた。

 びくびく震える男を睨みつける。


「さっさと、行け、俺達に二度と関わるなっ!」


 男はシンが銅の剣を下げると、意味不明な奇声を上げながら階段を駆け下りて、途中で転んで落ちた。相当な痛みがあったと予想されるが、それでも恐怖が男を駆り立てて、一度二階のシンを振り返ると再び奇声を上げて走り去っていった。

 シンは男の声が聞こえなくなると、やっと緊張をゆるめて銅の剣を鞘に納めた。

 それを見届けると、ユミルもまた強張る体からようやく力を抜いて背中から離れた。


「よかった……」


 安堵の息をつくユミルに、シンは罪悪感を覚えた。彼女のために振るった刃はただ彼女を追い詰めていたに過ぎなかった。

 出逢ったばかりの彼女に、自分は何をしてあげられるのだろう。たった一日、それもたった数時間の付き合いでしかない彼女は、自分を信用してくれている。


 その信頼が重かった。

 シンは現実では平凡な学生だ。なんの取り得もないまでも言わないが、誰かに自慢できるだけの知識や技術は持ち合わせていない、ただの学生なのだ。『外』の世界については大人からの受け売りで知っているだけに過ぎない。


 これから荒れ狂っていくであろう、混沌の世界で、自分は彼女を守ることができるのだろうか。いや、彼女は自分に守ってもらうことを望み続けてくれるだろうか。

 涙を流しながらも微笑むユミルが眩しい。シンの方も、出逢って間もない彼女に不思議な魅力を感じていた。容姿も名前はまやかしで、すべてが嘘であるかもしれないのに、それでも、彼女の傍に居たいと思った。


 吊橋効果なのかもしれない。

 だが、例え嘘で、本能が生存を求めるための生理的な反応から生み出された感情でも、抱いたことは本当なのだから――ならば、守ってみせよう。


「ユミルさん、俺が守るから」


 ユミルはシンの言葉に呆然として、顔を紅くしながら慌てて手を振った。


「あ、あかん! ウチはGMや……さっきみたく勘違いしたやからに、いつ襲われるかわからへん! これ以上巻き込むなんて、ウチは……できひんよ」


「巻き込まれるんじゃない、俺がそうしたいだけだから。お願いだ、俺にきみを守らせてくれ」


「ずるい……シンさん、そないな言い方されて断ったら、ウチが悪人みたいやないか」


 シンが差し出した手を、エミルはギュッと繋ぐ。

 その時だ。一階から怒声と共に何人かのプレイヤーが乗り込んできた。ばれるのが早過ぎる。恐らくは、先程逃がした男がこの場所を他のプレイヤーに教えたのだろう。


「行こうっ!」


「うんっ」


 シンはユミルと手を繋いだまま一階へと駆け下りる。踏み込んだばかりのプレイヤー達が二人の突然の登場に驚いて、隙ができる。シンはその隙を突いて、入ってきた裏口から飛び出した。

 すぐに追っ手が後ろに続いてくる。

 迷路のように入り組んだ路地裏を突き進み、西側の砂地の戦闘フィールドへと飛び出した。デフォルメされていたアース・アントは奇妙な程にリアリティをもって動いていた。可愛さを損なわないようにしたデザインが、逆に狂気を生み出している。


 シンが目指すのは、独りで狩りをしていた時に立ち寄ったNPCの小規模の集落だった。デスゲームと化したこの世界で、すぐさま魔物の居る戦闘フィールドへと飛び込む馬鹿は早々居ないだろう。今の内であれば、エント・ベルから出るだけでプレイヤーと接触を断つことができる筈だ。

 自分勝手な怒声が背後に続いていた。一時の危険より、仮想世界からの脱出を優先した者たちがまだ5人も追跡を続けている。


「ユミルさん、まだスタミナは持つ?」


「だ、大丈夫やで、遠慮せず、がんがん……やっぱり少し緩めて」


「こんな状況でネタ挟むなんて余裕ですねっ」


「関西人の血が騒ぐんやー」


 思わず苦笑が漏れてしまう。

 シンはしかし、正直な申告だとパーティのステータス情報から理解する。全体的なステータスはユミルの方が上のようだが、馬鹿みたいにソロ狩りに熱中していたシンよりは、スタミナは高くはないようだ。


「このまま真っ直ぐいったところにキャラバンのキャンプがあるのは分かりますよね?」


「もちろん」


「そこで合流しましょうっ!」


 シンはユミルを有無を言わせず先行させて立ち止まった。

 追っ手の5人は既に抜刀している。シンは銅の剣を抜き放つ。血に濡れた刀身は赤黒くぬらりと輝いて、妖刀のようなおぞましさを宿していた。


「シンさんっ!」


「大丈夫、すぐに終わらせる」


 何度もこちらを振り返るユミルを安心させるために、強がってみせる。どんなに無様でも格好つけるのは男の子の特権だ。

 立ち止まったシンを追い抜こうと、4人がそのまま横を駆け抜けていこうとする。


 シンは躊躇いを殺し、全員の足を切り裂いた。

 くぐもった悲鳴の四重奏が呪いのように奏でられる。


「容赦ねぇな」


 一人だけ最大限の警戒心をもって立ち止まった銀髪の男が、容赦なく人間を切り捨てたシンを睨み付けた。二人の睨み合いの間で、4人は芋虫のように痛みにのた打ち回る。


「掠らせただけだ。それでも、この刃は人をあそこまで苦しめる」


「へぇ、なんだよ随分と剣呑じゃねぇか。リアルでもそういう境遇か? 例えばよぉ、『外』出身とかな」


 銀髪の男は、長剣を背中から抜き放った。淡く青色に発光する水冷剣は、芸術的な造形美を誇りながらも、殺意に冷たく凍えていた。


「ただの学生だ」


 今だけでいい、シンは自分を最強の剣士なのだと思い込む。

 だから、騙されてくれ。

 人を斬るのが怖くて怖くてしょうがない、臆病な少年のはったりを利いてくれ。


「笑える、ただの学生が人をそんな風に斬れるかよ」


 シンは男の言葉を無視して得意の下段に剣を構える。逆に銀髪の男は上段に構えた。

 月夜の下で、数秒、数十秒、睨み合いは続き、やがて銀髪の男は構えを解いた。


「止めた止めた。ただの興味本位に命なんて掛けられるかよ。どちらかというと、オレはこの世界を失いたくないだけだからな。GMに伝えとけよ、ログアウトの方法があんのなら、勝手にしてろってな」


 銀髪の男はそれだけ言うと、転がる男達を一人ずつ蹴飛ばして強制的に立たせた。


「そんぐらいじゃ死にはしねぇよ。おら、ここに居たら魔物食われるぞ」


 最後の言葉で男達は気力を振り絞り立ち上がった。恨めしい視線をシンへとぶつけてくる。シンが睨み返すとすぐに怯えへと変わり、銀髪の男と共に去っていった。

 シンは銅の剣を鞘に納めて、すぐに男達に背を向けて駆け出す。短時間とはいえ独りにしたユミルが心配だった。


 砂漠のオアシスに、キャラバンのキャンプはあった。

 少数のNPCが焚き火を囲んで過ごしていた。陽気な音楽と楽しげな歌がエリアを満たしている。シンは視線を周囲に走らせて、ユミルを探した。


「シンさんっ!」


 キャンプに入ってすぐのテントの陰にユミルは隠れていた。シンの姿を認めると、すぐに立ち上がって駆け寄ってきた。


「もう追っ手は居ないから……あっ、誰も殺してないよ」


「そないなこと訊いてへん! シンさんは大丈夫なの!? どこも怪我とかしてへん!?」


「あ、ああ、ヒットポイントは全快だよ。どこも悪くない」


「本当に……よかった」


 嘘の吐けない仮想世界でこんな風に心配されると、ずっと一緒に居たような錯覚を覚える。今日逢ったばかりというのが嘘のようだ。


「ごめん、少し無茶した。……でも、それよりユミルさん。今は先を急ごう。俺のスキル値で行ける安全な場所はないかな? ここだとプレイヤーが来る恐れがあるから……ほとぼりが冷めるまで、どこかで身を潜めよう」


 ユミルは真剣な顔で頷いた。


「それならちょうどええところがある。歩きだと少しかかるけど、たった半日や」


「半日……」


 地味なリアルな数字にシンは遠い目になった。

 ユミルは、そんなシンの手をぐいぐいと引いた。シンはそれに応えてすぐに付いていく。

 たった二人の長い旅が本当に始まった瞬間だった。

 この日、彼らは本当の意味で境界を越える禁忌を犯そうとする者――越境者となった。



 こうして、最前線を担うこともできた二人のプレイヤーは表舞台から立ち去った。

 彼と彼女が再び表舞台に立つのは、最後の迷宮――世界の涯(レルティサ)の攻略の時であった。



    *



 そこの旦那、そうそう、お前さんのことだ。

 面白い情報があるんだが買わないかい? ああ、なんだい、確かにこんな口調だとNPCと勘違いするだろうさ。だが、オイラはちゃんとプレイヤーだぜ。


 顔は知られずとも、情報は知られている。ははっ、前線をメインに情報を売ってるからね、エント・ベルに引きこもるお前さんが知らないのも仕方ないね。

 おおっと、気を悪くしたかい旦那。そりゃあ済まなかった。お詫びに、触りの部分をただで提供してやるぜ。


 ん? 聞く気になったか。ははっ、ただって言葉の魔力はすごいだろう? この世界には魔法なんてないがね。

 さて、どこから語ろうか。そうだね、まずはお前さん、前線についてほとんど知らんだろう? ああ、やっぱりね。何故攻略するのかも理解してないたちかい。いやいや別に責めているわけではないぜ。無理もない。お前さんたちが正常なのさ。


 まずはね、このゲームを攻略する理由は強くなるためさ。

 なんのために? そりゃあお前さん、オイラたちが倒すべき敵はただ一体やつだけだろう?

 そうさ、侵食体デュナミスさ。眉唾かもしれんがね、やっこさん、ゲームに長い間拘束されたおかげで、情報的な変異を起こしたらしいんですぜ。その変異ってのが、ゲームの要素に組み込まれたことらしいというわけさ。


 おっと、お前さんには難しかったかな?

 単純な話ですぜ。ゲームのシステム上に収まるなら、そいつは倒せる敵ってことさ。飲み込めたかい? だから前線は新たな力、新たな武器を得るために必死こいてゲームを攻略してんのさ。


 はっはー、そりゃあこんな最初の街エント・ベルに戻ることは滅多にないからね。戻ってもアイテムを買い直したら、またすぐに出て行くさ。前線の近くには常にスキル値の高い職人も居るもんさ。まるでサーカスみたいに固まって移動するのさ。


 ん? そうそう、今は天空の塔(マーシェル)を攻略を終えたところですぜ。確か、100階層で遂にボスに対面できたようで。いやはや、あの塔の高さ見たことあるかい旦那? そりゃあすげぇもんですぜ、雲の上まで伸びてやがる。そいつを一層ずつ攻略していくってのは、相当な忍耐が必要なもんさ。いやはや、オイラには真似できやしやせん。


 今の前線、いや、これは旦那も聞いたことあるだろう? 最後の迷宮はこのエント・ベルに隠されているって。そうさ、だからオイラは古巣に戻ってきたのさ。それに最近、街が賑わっているだろう? 前線のメンバーが戻ってきたからさ。


 おおっと、話はこれからが本番ですぜ。さっきまでのはただの一般常識、おっと失礼。前線での常識って意味さ。他意はないよ、旦那。

 そんでよ、面白い情報ってのは、『ブラッド・クルス』っていう謎のプレイヤーの話さ。

 うんん? おっと、聞いたことあるのかい? そりゃあいい。旦那の知ってること教えてもらっていいかい?


 へえ、そりゃあまた、まるで英雄のようじゃないかい、そいつは。

 ははっ、オイラが知ってる話は似たようなもんさ。物言わぬ血塗れの甲冑の物語ってね。全身を鎧で固めるから防御型と思うだろう? ところがどっこい、そいつは根っからの回避タイプだ。斬ってもあたらん、当たっても弾かれる。まさに化け物さ。


 いやいや、全部血でできているわけじゃないですぜ。上級素材のブレイク鉱石から作る防具は、みんな目に痛い赤色になるのさ。そいつを、ブラッド・クルスは返り血で紅く染め上げたのさ。だから、鈍く深みのある赤色になっている。一見、カッパー防具に見えるから恐ろしいんですぜ。なにせ、最弱の鎧と思いきや、一級品なんだからねっ。


 おうとも、それに騙されて葬られたプレイヤーが数多く存在するぜ。だがね、ブラッド・クルスは物々しい呼び方に似合わず、狙うのはPKだけ、つまりPKKってわけさ。それも、侵食体の影響が小さい、せいぜいがフィードバック40%のところでしか殺しはしねぇ。徹底してるだろう? 理性ある死神なんて恐ろしくしょうがねぇですぜ。


 おおっと、本当に面白いのは実はここからなんですぜ、旦那!

 なんと、ブラッド・クルスはたまにローブに顔を隠す魔女を連れているのさ。ははっ、こっちは流石に知らんだろう? ああ、そうさ、女ってことしか分かってねぇぜ。だがね、声は鈴を転がしたように綺麗なもんらしいですぜ。


 え? どこから仕入れた情報かって? そりゃあ教えられないね。もちろん金と相談だがね。

 旦那、この街の住民にしては随分と金を持ってるね! いいねえ、是非とも贔屓してもらいね、これからも。んん? 旦那、もしかして裏の仕事でもやってるのかい? 売春、電子ドラッグ、ここじゃあ擬似的にどっちも実現可能だろう? おおっと、すまないね、踏み込んじまって。


 へへっ、それじゃあ情報元教えてあげやすぜ。

 ラビィ内の掲示板を知ってるだろう? いまどき珍しい文字のみの掲示板ですぜ。ははっ、そこのアングラにオイラの情報元が一人おるんですぜ。そいつが、また見事なキチガイ野郎でね、人の命も金次第って奴でね、ブラッド・クルスに相当な恨みがあるようなんですよ。


 そいつの名前までは教えられないねぇ。


 だ、旦那……?


 ひっぃいっ! こ、ここで殺しをやれば、流石に足がつきますぜ! なあ、旦那、冷静になりましょうやっ!

 わ、分かった! 教える、教えますぜ、そいつの名前! だから、命だけは勘弁してくだせえ! この通りですぜ!

 は、はいぃ、そいつです、そいつがブラッド・クルスの情報を流してるんですぜ。う、嘘なんて吐いてない! オイラは全部正直に話してる!


 ……は、はひぃ……わ、わかりやした。情報屋からも足を洗いやす。だ、だから命だけは!


 旦那……猫被ってやがりましたね? どこのどいつですかね? 旦那の特徴、全然聞いたこともありやしませんぜ。……妙案がありますぜ、旦那、オイラと組まないかい? 旦那も裏の人間だろう?


 へ……?

 いま、なんておっしゃいましたかね、旦那?

 う、ウルフ……? まさか、その名前は、存在しない――




<中央都市エント・ベルから、一人の情報屋の姿が消えた。犯行現場には歯型に似た切り傷が刻まれており、その方法から、暗殺者ウルフの犯行だと判断し、自警団は調査に乗り出している。しかし現在も調査は続けられているが、ウルフというプレイヤーは発見されていない。目撃情報は公式サービス開始から一ヶ月までであり、本当に存在しているのかすら実は不明である。そのことに、エント・ベルのプレイヤー達は恐怖に怯えている。>


 ウルフは自分のことが書かれた新聞もどきを見て、苦笑を零した。

 新聞を丸めて街路のゴミ箱に放り捨てる。


「やれやれ、シンの野郎、嫁といちゃいちゃするためだけに僕をコキ使いやがって」


 幻の男は呑気にぼやきながら、人混みに紛れていく。

 誰も顔を知らない男は、特に顔も素性も隠さずに生活していた。


「さて……だが、ようやく見つけたぜ、聖女を魔女に貶めた糞野郎を」


 彼は決して殺しはしない。ただ、囚われた仮想世界上での自由を更に奪い取るだけだ。

 親友とその大切な人を表舞台から立ち去らざるを得なくし、そしてその存在を悪に決定付けた敵を見つけたことに、獰猛な猟犬は口が引き裂かれんばかりに笑った。


「待ってろよ、この世界での罪は必ず、この世界で清算させてやる」



    *



 仮想新暦14年3月25日(日)午前9時04分。

 中央都市エント・ベル、居住区、宿屋『日向』二階。


 GMは悪である。すなわちユミルは悪である。そして、それを守護するシンもまた悪である。

 それがラビィにおける一般認識である。彼らは誰かを恨まずには居られなかったのだ。超常的な侵食体よりも分かりやすい、人間を恨むことでしか、怯える心を動かせなかった。

 だから、ユミルは広がっていく悪の認識を止めようとしなかった。止めようにもできなかった確率が高かったこともある。


「シンさん、ウチはようやく戦えます」


「ああ、この時を待っていた。一緒に行こう、表舞台へ!」


「はいっ!」


 表舞台から去って一年。二人はようやく前線へと赴く。

 しかし、肩を並べるのは隠れながらの旅で出会った、数少ない信用できる者だけだ。全部で十人にも満たない。


「シンさん……この世界が終わっても」


「ああ、ずっと一緒だ。絶対にきみとまた出逢う」


「はいっ……」


 天空の塔(マーシェル)攻略隊がエント・ベルへと戻るには、最低でも一週間は掛かる筈だ。それだけ大陸の端であるし、大規模パーティな彼らの動きは鈍重だ。更に、エント・ベル内に隠された『世界の涯』を発見するにはかなりの時間を要するだろう。


 シンはユミルと共に調査して、一ヶ月も掛けて隠された迷宮を探り当てた。正確には、他のすべての迷宮が攻略完了した時、フラグが立ち、最後の迷宮への道が開かれたのだ。

 場所はプレイヤーを支える世界規模の越境者支援機関――ギルド連盟本部の地下。そこに厳重立ち入り禁止区域として隠されている。


 シンは二つ名であるブラッド・クルスの名を冠する鎧はまとわない。鎧をまとうのは戦場だけだ。ユミルと共に深いローブで顔を隠して、エント・ベルの街へと出る。

 ギルド本部前の広場で全員集合し、そして、最後の迷宮へと挑んだ。


世界の涯(レルティサ)は俺たちだけで攻略する。それは、事前情報から小規模パーティ用の迷宮だからもあるが、侵食体との最終決戦において、無駄な犠牲者を出さないためだ。奴は世界の涯を攻略した時、必ず現れる」


 シンの言葉をユミルが続ける。


「世界の涯に封印されているギフトは、『カナデウタ』。外部システムへと干渉する能力を持っています。情報隔離は寧ろ侵食体が望んでいた事態です。……だから、例え繋がらなくても、繋がる可能性のある『カナデウタ』を危険視して出現します」


 シンがまた言葉を引き継ぐ。


「だから、そこで終わりにする。この世界を」


 全員が覚悟を決めて頷き合った。

 そして、ギルド本部の荘厳な門を潜り抜けて、中へ深遠なる迷宮へと入っていった。



    *



 戦い、戦い、戦い続けた。

 そして、戻ってきたのは少年。

 そして、戻ってこれなかったのは少女。

 それだけの話だった。



    *



 仮想新暦14年8月17日(火)午後2時13分。

 新都カンナヅキ、サクラ領域1-9『統合議会』第三議事堂。


 新は覚悟をもって立ち上がり、再び壇上へと立った。彼を支えるのは、あの世界で共に戦った仲間達の想いだった。世界から解放され目覚めた時、彼は統合議会の人間から許される限りのプレイヤーの情報を受け取った。


 ――聖女ユミル。


 ゲームクリア、そして侵食体を排除した英雄の一人。

 彼女が現実へと帰ってくることは無かった。

 一年を共に生きた相棒であり恋人だった彼女は、この世界に居ないのだ。

 それでも新は思う。


「俺はここに生きている。そして、あの世界でも生きていた。お前達には何一つ否定させやしない」


 覚えている。彼女の温もり、微笑み、手の柔らかさ、怒った顔も泣いた顔も寝惚けた顔も幸せだといってくれた声も、清潔さと甘さが混じった匂いも、誓い合った約束も、辛く寂しい二人だけの旅路のすべてを――覚えている。

 だから、俺たちがあそこで勝ち取った真実で、嘘吐きなこの世界に仕返しをしてみせよう。


「――そして、俺たちはあの世界で知ったんだ」


 新は力強く統合議会の老人達を睨み付けた。


第二世界計画セカンド! 知らないとは言わせない、終わったとは言わせない! お前達は仮想世界を生み出す過程で、幾つもの命を消耗品のように使い捨てた!」


 議事堂にどよめきが起きる。

 奴を止めろ、カメラをまず止めろ、いや、ここを隔離するんだ!

 都合の悪いことは隠し続けて、世界の支配者として君臨した老人達は焦っていた。それもそうだろう。ただのゲームの世界で、侵食体の真実へと辿り着ける筈などないのだから。


 ただのゲームであったならば。


 TQ社は統合議会にとって実に狡猾だった。世界の真実を晒すために一つのゲームを創り上げたのだ。ゲームの世界観の中に巧妙に真実を織り交ぜて、情報の流れに生きる侵食体を呼び寄せた。


 地下都市――あらゆる生物の物理演算の研究に使われた領域。

 天空の塔――人間の精神構造を分析に用いられた領域。

 死者の王国――壊れた仮想体、魂の処理場。

 武神の祠――肉体感覚の精度実験に使われた死刑場。

 世界の涯――空間、時間の制御実験場。


「すべて、お前達がやったこを元にしている。元は神の住処、しかし今は深く眠る……設定は少しずらしているな、かつて神と驕り己の力を存分に使い人の尊厳を踏みにじった悪魔の住処、今は既に仮想世界の奥深くに眠る……魔神、お前達を打ち破る力」


 新はゲーム内で侵食体――哀れな少女の言葉の数々を思い出す。

 彼女は生きている人間だった。

 ちっぽけな、実験に使われ捨てられた、ただの少女だったのだ。

 植物状態になり、実験によって仮想との親和性を高めすぎた余りにバグとなった悲しい女の子でしかなかったのだ。


 侵食体は老人達が隠したくしょうがない負の遺産だ。世界の犠牲。必要悪だったのかもしれない。だが、納得などしてたまるものか。

 ユミル――笹風由美ささかぜゆみは言っていた。


『ウチはね、彼女と会ったことがある。仮想世界の奥深く、死を身近に感じる深遠で。ずっと臨死体験かと思ってた。でも、違った……あれは、世界の真実やったんや』


 ――だから、二人でこのユートピアを破壊しよう。


 誰もが知らない真実を晒して、仮想世界の現実を突きつけよう。

 安全などどこにもない。平和などありはしない。

 何故ならば、どこだって人間が居れば陰謀が渦巻くのだから。

 新は壇上へと上ってくる男達に拘束される。抵抗しようにも、あの世界での英雄の力はこの身に欠片も宿っていなかった。


「くそっ、俺はまだっ!」


「これからが面白いところじゃないか、邪魔しないでもらおうか」


 ずっと新の独壇場を見守っていた佳奈美が、素早い体術で、次々と男達を組み伏せていく。


「老人共の時代は終わりだ。如月新、お前は本当に優秀だ」


 佳奈美は懐から旧式のインターネットタグを取り出した。


「ようやく私は、この真実に価値を持たせることができる。厄介者を一箇所に集めたのが仇になったな。そして、お前達の天敵を排除した英雄を称えるという皮肉が仇となった……」


 もはや各種メディアによって映像は統合議会の醜態は全国配信されている。観念したのか、それとも佳奈美が旧式の自動拳銃を構えていたからか、老人達は喚くだけでその場から動こうとはしなかった。

 佳奈美がインターネットタグをチョーカー型のIBの旧式コネクタに接続させる。空間投影されるのは表示サイズを最大にした平面映像だった。画質は荒いが、それでも何が映っているかは分かった。


 白い壁、白いベッド、白く儚い少女。

 新は一目見た瞬間から、切なさに襲われた。

 痩せ過ぎた余りに骨が浮き出る少女は、カメラに向かって真っ直ぐ視線を向ける。


『――初めまして、それともお久し振りかな。統合議会の皆さん、60年振りですね』


 何故お前が、と一人の老人が呻いた。隣に座る若い女性議員がヒステリックに叫びを上げた。


「ど、どうして、どうしてそこに居るの由美!? まさかあなたも眠っていたっていうの――」


 女性議員はその場に崩れ落ちた。

 映像の中の白い少女は、女性議員を一瞥してから、その疑問へと答えるように自己紹介をした。


『私の名前は笹風由美。よく知っているはずです』


 新は押さえつけられた時に捻った足首をかばうように、机を支えに使って立ち上がる。


「由美……? ユミルなのか……どうして、これは」


 違うのに、同じだ。彼女からは、ユミルと同じものを感じる。

 新は状況についていけず、隣に立って自分を支えてくれた佳奈美の顔を見上げた。


「大人しく聞いていれば分かる」


 新は答えを求めて、画面に吸い寄せられるように釘付けになる。


『第二世界計画が本格的に始動したのは、そう62年前。世界がまだ混乱に満ちた時代だった。大国の政治不信、第三次世界大戦の勃発、核兵器、大災害による人類の活動領域の制限。宇宙は遠く、人類は別世界を求めた。それが仮想世界』


 白い少女――由美はまるで見てきたかのようにすべてを語っていく。いや、現に見てきたのだろう。人類の負の歴史を。


『核戦争により世界は滅びへと加速していた。それを危惧し、人類滅亡を防ぐためにあなたたち統合議会は組織された。完全に制御された世界を構築するために。そのためには、人々を導く完全なる平和が必要だった。時間に追われるあなた達は手段を選ぶ余裕もなく……。私もまた、戦争孤児としてその被験者へと選ばれた』


 第二世界計画。それは人類が生活する新たな世界を構築する壮大な計画だった。

 そして、僅か二年で、戦争によって加速した科学技術の進歩の力を借りて、がむしゃらな実験が人の死なない理想郷『仮想世界セカンド』を生み出しのだ。


 仮想旧暦元年だった。


 しかし、被験者の彷徨える魂は、仮想世界を否定した。

 仮想旧暦43年。第一次侵食体襲撃事件。安全神話を語る仮想世界の黄金時代は終焉を迎えるのであった。それから数年で、旧暦は終わりを迎えて、仮想世界の補助を受ける肉体主義が仮想新暦の時を刻んだ。


『コールドスリープ。皮肉ですね、仮想を求めて痛めつけられた私の肉体は肉体主義が盛り返すまで眠り続けました。世界が一部の者のために都合良く動かされた時、その支配を打ち砕くために。しかし、長期間のコールドスリープは私から記憶を奪い去りました。ちぐはぐな記憶、狂った認識、そこに安定させるための偽りの記憶を植えつけてようやく人間になれたぐらいです』


 由美の視線が自分に向けられたような気がした。

 新は次の言葉で、それが勘違いではないことに気付く。


『シンさん、いいえ、如月新さん……あなたのお陰で、私は私を取り戻せた。そして『外』で懸命に支配を打ち砕くために動く彼らと、確定領域なかで密かに足掻くTQ社を繋がることできた。あなたはあの世界だけでなく、この世界でも救世主です』


 新は由美の微笑みに空虚さを感じた。

 お互いに分かっているのだろう。本当は世界なんてものはどうでもいいのだ。


「全部思い出すためだったのか……侵食体の少女もそのために」


『はい、彼女と出逢うことが私には必要だった。そうしなければ私は完全な覚醒を迎えられなかった』


「どうしてだ、なら、彼女自身に語らせれば、それで良かった筈だ!」


『情報の小出しだけではだめなのです。侵食体が消滅し、警戒が緩んだこの第三議事堂に何も知らないと思われるあなたが辿り着くこと、それが世界を救うシナリオ――』


 新は走馬灯のように駆け巡る仮想世界の思い出にヒビが入るのを感じた。


「ならっ、あの日々は……全部本当は――」


『それは違いますっ!』


 勢い良く声をあげたせいか、由美は激しく咳き込んだ。


『違い、ますっ……ウチはシンさんが支えてくれたから、ここまでこれたんや』


 懐かしい声に、新――シンは視界がぼやける。涙が止まらなくなる。本当の意味で、由美――ユミルに再会できた。死んだと思っていた彼女に、実に四ヶ月振りの再会だった。

 シンは佳奈美の支えを借りて、空間投影された平面映像に縋り付いた。


「会いたかった……ユミル、また会いたかった……俺は、世界なんてどうでもいいんだ。俺はきみに会いたかっただけなんだ……」


 映像の向こう側で、ユミルが微笑みながら泣いている。


『ウチも、会いたかった、またシンさんに会いたかった……ただ、会いたかった……』


 映像越しに二人の手の平が重なり合う。


「行くから、きみを迎えに……絶対に行く」


『はい、待ってます……ずっと待ってます』


 二人は約束を交わし合い、そこで映像の投影は終了した。

 佳奈美は新を床に座らせて、議事堂に集まった老人達に銃口を向ける。


「分かったか、お前達の時代はこれで終了だ。限定された嘘のユートピア、確かに真実を知らない者には幸せな場所だろう。だが、限界がある。人は真実を求める生き物だ。『外』という認識がある限り、決してユートピアは完成しない」


 引き金は引かれない。

 老人達にはもはや生気は無かった。

 彼らは、誰かの理想のためではなく、己の保身と生命維持のために『仮想世界』を維持していたに過ぎない。もはや戦争で荒廃した大地を捨てて逃げた哀れな老人でしかないのだ。

 佳奈美はIBの通話を開始する。


「状況終了。やれやれ、これで『外』へ……いや、トウキョウへ帰れる」


 すべてが終わり、そしてすべてが始まる。


 ――また、一つの時代が移ろい行き、そうして世界は永遠に回り続ける。



    *



 仮想新暦15年7月7日(火)午前10時02分。

 旧都トウキョウ、藤井自治区2-1-7『如月家』リビング。


 如月由美の最近の悩みは自分の誕生日をどうするか、ということだった。実際は70年前に生まれた自分は、果たして年齢はどう換算するべきなのか、今日迎えることとなる誕生日で決めようと思った。


「そう考えると、年の差カップル歴代記録塗り替えてないかな?」


「呑気なこと言ってへんで、一緒に考えてほしいんやけど」


 テーブルで優雅にコーヒーなんて飲んでいる頼りない夫を睨みつける。罰の悪そうな顔をするが、それだけだった。筋肉は戻ってきたのだから、あの世界での勇ましさを少しは発揮してもらいものだ、と思う自分とすぐにヘタレる彼が可愛いくてたまらない自分も居る。

 恋というのは複雑だ。いや、子どもは卒業したことだし、愛と呼ぶべきか?


「でも、そうか……まだ一年しか経ってないんだな。変な気分だよ」


「それに関しては同感や。寝て起きて、60年、仮想世界で1年間のファンタジーライフ、起きたらビックリ、ウチは世界の未来を左右する少女だったのだ! ネタでも笑えへん」


「笑えないな、それは」


 我ながらアホみたいにぶっ飛んだ人生を送ってきたものだ。


「でもウチらがやったこと、間違ってへんよね?」


 国という形が元々薄れていた現代、去年の事件で世界を支配する統合議会への信頼は失墜して、もはや人々を導く存在は無く、世界のあちこちで大混乱が起きている。

 はっきり言ってしまえば、統合議会の支配下にあったほうがよっぽど世界は平和だったに違いない。それに、かつて老人達が侵食体を生み出したように、今回の事件にもまた犠牲者が出ている。いつの世も、革命の犠牲者は無辜の民だ。


 だから、人間は誰かを犠牲にせずにはいられない。

 如月新は由美の杞憂を笑い飛ばした。


「そんなことを気にしたら時代は停滞しちゃうよ。……まあ、はっきり言えば、どうでもいいのさ。俺は由美が居ればそれでいい。俺が戦ったのは由美と居るためだ」


「そうやね。ウチが戦ったのは、新さんと一緒にいるためや」


 なんだか胸の奥がむずむずしてきて、由美は新に背中から抱きついた。


「うわっ! ちょっと、コーヒーがあぶねぇ!」


「ええやない、ウチがまた淹れてあげる」


「そういう問題じゃない! うわ、零れるから動くなって!」


「あはは、ごめんっ!」


「悪いと思ってないだろ!」


「そないなことあらへんよー、心の底から反省してるで、後悔はしてへんけど」


「平成ジョークなんて言ってないで、早く離れろっ!」


「いややわー、ずっと一緒って言ったやないかー」


「そういう意味じゃねぇぇぇっ!」


 こんな騒がしい日々が続けばいい。

 世界なんてどうでもいい。

 戦争も平和も同じだ。

 私達の愛は不変で、その想いがあれば幸せだ。


 だから、ね?

 ――ウチは大切な人、大好きな新さんが居てくれればそれでいい。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 少し前からデスゲームモノが書きたくてしょうがなかったが、面白いストーリーが浮かばず、だったらいっそ何も考えないで書けばおk、という無茶をやった結果がこの作品です。


 構想時間:1時間

 執筆時間:10時間

 修正時間:2時間


 1日に3万文字は流石に疲れました。

 誤字脱字は多々あるかと思いますが、後々直したいです。


 私自身にも謎な世界観で、全くもうなんなんだと。ですが、この世界観は割と書きやすかったので、機会があれば広げていきたいものです。


 ではでは、作品を気に入っていただき、またお会いできれば幸いです。

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