冷たい彼女の温かさ3
「………………」
図書室ではお静かに、と言うのは基本のルールだ。
雑音は読書の妨げになり、本の世界に没頭している人を邪魔することになる。
それでも、学校という環境となると問題はつきものだ。
話声がする。
それもかなり大きな。
図書室という環境であまりにおいてあまりにも異質すぎる雑音に、本の世界に集中していた夏美は苛立ちを感じていた。
腹の底に感じた熱が頭へと急上昇してくる。頭に上り切った熱は温度を増していき、ついには限界を超えた。
本に栞を挟み立ちあがった。
もう我慢の限界だ。
こうなったらガツンと言ってやろうと荒い足取りの中考え、ついにはその騒音の元へと姿を現した瞬間。
「あの、うるさいんだけど」
「…………!」
その姿を見て、夏美は咄嗟に姿を隠してしまった。
条件反射というやつだった。
騒がしくしていた男たちに静かな声で話しかけたその少年、藤森甲斐はじっと男たちを見ている。
「は?」
いかにも悪い態度の声質で応える男たち。
楽しい気分を台無しにされてがっかり、そして邪魔をした張本人である甲斐に対し怒りを隠そうとしていない。
「いや、だからうるさいんだ。ここは図書室だし、騒ぐならここではやめたほうがいいと思うよ?」
相手の苛立ちを知ってか知らずか、それでもいい雰囲気では間違いなくない状況でも、まるで機械のように淡々と話を続ける甲斐。
夏美は本棚の影からひょいっと顔を出し様子を眺めてみる。
「俺たちうるせえの?」
「うん。かなりうるさい。だから静かにするか、図書室を出て行くか、どっちかにしてほしいんだ」
「どこで何しようが俺たちの勝手じゃね?」
「学校ではそうもいかないよ。郷に入っては郷に従えって、知らないかな?」
挑発とも受け取れる甲斐の言葉に男たちは苛立ちを募らせついには甲斐と距離を詰める。その緊迫した状況に恐怖を感じる夏美は助けなければと思う反面、震える足を動かせない。
「お前なんなの?いい子ぶりも大概にしろよ」
「いい子ぶってるわけじゃない。ただ僕の読書の邪魔になるから、静かにしてほしいだけで」
「だったらお前が出て行けばいいだろうが」
「どうして迷惑をかけていない僕が出て行かないといけないのかな?この場所において、異質なのはそっちで、僕は本を読んでるだけだ」
相手の威圧に怖気づく様子が全く見受けられない。さすがにこれ以上はと思った夏美は重い足を踏み出した。
「ねえ、騒がしいんだけど」
新たに現れた女子生徒に男たちは反応し目を向けた。中でも甲斐だけはその姿を確認し少し驚いたような顔をする。
「んだよ。お前もわけのわかんねえこと言う気か?」
「これ以上ここで騒ぐなら先生呼ぶけど?」
「いい歳して何言ってんだ?ガキかお前」
「じゃあ呼ぶ?」
「…………ちっ」
舌打ちをして、男たちはその場から去って行った。
それを見届け、甲斐は夏美に目を向けると。
「騒がしくしてごめん」
と謝罪をした。
「なんで藤森くんが謝るの?」
「いや、彼らと言い合いをしたことで、結果的に僕も騒がしくしてしまったかなって」
「騒がしかったのはきみじゃなくてあの人たちだから、気にしないで」
そう言うと夏美は読書を再開するために椅子がある場所へと移動しようとする。
だが。
チャイムが鳴った。
放課後の学校の中で鳴るチャイム。それは完全下校時刻を示すチャイムだった。
「せっかくの読書時間を無駄にしちゃった」
ぼやいた甲斐は鞄の中に本を入れて鞄を背負った。
「よかったら一緒に帰らない?おすすめの本、聞かせてよ」
その誘いを断る理由がない夏美は静かにうなずいて下校の準備を済ませた。
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「でも、驚いちゃった」
「なにが?」
下校中、突然夏美が切り出した言葉に疑問を投げる甲斐。
「いや、藤森くんでも喧嘩とかするんだって思って……」
「そりゃ僕だって相手がいたらそれくらいするさ。せっかく読書で楽しんでたのに、あんな風に邪魔されたら我慢ならないさ」
甲斐が自分と全く同じことを考えていた。それ知って、夏美はなぜかドキッとした。
「そうだよね。自分だけの世界に入ってたのに、水を差された気分だった」
「うん、小宮さんは苛ついてるだろうなって思ってたよ」
「なんで私のことを?」
関係ない自分のことを甲斐が考えていたと知って驚きを隠せない夏美は問いかけてみる。
「図書室に行ったとき見かけたから。本当に毎日行ってるんだね」
「…………まあ」
どうしてかわからない。
夏美は自分の心臓の鼓動が速い理由がわからない。
自分が気づいていないところで甲斐に見られていた。その事実を考えると、どうしようもない羞恥心で頭がいっぱいになる。
「人を盗み見るなんて、趣味悪いね」
「たまたま目に入っただけだよ………」
と言っている甲斐だが、半分は嘘だった。
図書室を訪れたのは単なる気まぐれ。ただ少し本を読もうと思ただけだ。しかしいざ図書室を訪れると、いつの間にか夏美の姿を探していた。
だから、盗み見ていたという言葉は、あながち間違いでもなかった。実際本を読む夏美の横顔を見て、どこか見惚れていたのだから。そんなこと、口が滑っても本人には言えなかったが。
「見かけたんなら声くらいかけてほしかった………」
「図書室ではお静かに、だよ」
そう言われて夏美は何も言えなくなってしまう。甲斐としても声をかけたかった。しかし甲斐も読書をしたかったという事情、そしてやはり。
甲斐は隣を歩く少女を見る。
自分よりも少し背の低い彼女の顔を盗み見る。
いつも通りの無表情。触れるものをすべて凍てつかせてしまいそうなほどに冷たい表情に、今はどこか温かみがあった。
「………………………」
いや、違う。
と甲斐は自分の考えを否定した。
今は、じゃない。近頃の彼女の表情はいつも温かみがある。たぶん、その温かさに気付いていなかっただけなのだろう。
彼女はずっと、冷たい人間なのではなかったのだ。
「きみは温かいね」
無意識に口から洩れた言葉がはっきりと夏美の耳に入った。その言葉に驚き疑問顔で自分の顔を盗み見ていた甲斐と目を合わせる。
「急に何?」
「いや、ふとそう思っただけだよ。今まではきみのこと、人と関わることが嫌いな冷たい人間だと思ってたから」
「今は違うの?」
「違う。きみと直接話してみて、ようやく気付いたよ。やっぱり人は見かけじゃ判断できないね」
「……………………」
それでも変だ。
夏美は心からそう思った。
夏美が人と関わるのは、なにも甲斐が初めてというわけではない。
夏美には恋人がいた時期がある。
人と積極的にかかわろうとしない自分にとって、それは本当に刺激に溢れた出来事だった。
人から好意を向けられ、さらにはそれを直接言葉にして伝えられた。正直ときめいていた。こんな自分でも、人に好かれるなんてことがあるのかと感動すらした。それがうれしくて、夏美は告白を受けた。
毎日が楽しかった。恋人と肩を並べて歩くだけで幸せだった。恋人の新しい一面を知れば知るほど恋人を好きになった。いつしか気持ちは一方的なものではなくなっていたのだ。それでも、終わりは早かった。
「俺といても、楽しくないよね…………」
そう言った恋人から一方的に別れを告げられた。
どうして?
それが、別れを告げられた夏美の率直な感想だった。
そして。
「だって、きみはいつも冷たいじゃないか」
冷たい。
そんなつもりは一切なかった。本気で好きだった。恋人から与えられる温かみに包まれて幸せだった。
でもその温かさを、自分は与えられていなかった。自分はそういう人間なんだと認めていた。だから、それからは人と関わることは増々なくなった。
関わっても自分は温かさで相手を包んであげられない。そんな自分に価値などありはしないと、自分自身を否定していたから。
「私といても楽しくないくせに」
言葉が漏れ出た。
突き放すような、否。
実際突き放していたのだろう。その言葉を耳にした甲斐は。
「楽しくはないね。たしかに」
その言葉に心臓を貫かれたような思いになる。さっきまでとは違う意味で鼓動が早まって、呼吸は激しく乱れだす。すると。
「でも居心地はいい。僕にとってはそれだけで十分だよ。お互い余計な気を遣わなくて済むしね。そもそも、僕は人と一緒にいて、楽しいなんて感じたことはないんだ」
「え………?」
「僕はこんなだから、周りの人の反感を買うことが多かったんだ。有り体に言えば、いじめの対象になりやすかったのさ。家族とも良好な関係ではない。だから人といて楽しいなんて、考えたこともない。一人になりたいと思うことはあってもね」
最後の一言に乗せられた重みを直に感じた夏美は思わず立ち止まってしまう。
そんな夏美のほうを、遅れて立ち止まった甲斐は振り返り。
「だからきみといる時間は居心地がいい。きみとは一緒にいたい。そんな気持ちになるから」
優しい笑顔で告げられた言葉に唖然とする。そんなことを自分に言う人がいるとは思ってもみなかった。
「やっぱり変」
「ひどいな」
冗談交じりに言う二人は再び歩き出す。
その背中は今までのものとは違い、弾むような様子で、どこか楽しげだった。




