致死量のシナモンで甘やかして
「重い」という理由で恋人に振られた夜。
行き場を失った私が向かったのは、大学時代からの親友・真希の部屋だった。
傷心の私を何も言わずに受け入れ、ワインと手料理で甘やかしてくれる彼女。
しかし、彼女が焼くアップルパイには、いつも「致死量」とも言えるほどのシナモンが振りかけられていて――。
*
「note」と「TALES」で掲載していた自作小説を、「小説家になろう」にも投稿してみました。
よろしくお願いします。
「ほんと、ごめん。けど、かすみって、ちょっと重くって……」
仕事終わり、彼に呼び出されたカフェで別れ話を告げられた。私が来る前から、ずっと待ってくれていたのだろう。彼のコーヒーカップはすっかり乾いていて、底面が薄茶色の被膜で覆われていた。
別れるというのに、私を待たせるようなことはしない誠実さが好きだった。そして、その誠実さが、今後の将来にアラートを鳴らしたんだろうなと思う。
「ううん、こっちこそごめんね。重たいってよく言われるから気を付けてたんだけど……。でも、ありがとう、今まで」
――ごめん。
――すぐに良い人が見つかるよ。
――さようなら。
破局カップルのやり取りを一通り終えて、先にカフェを出る。お会計を持ってくれるところも彼らしいなと思い、目が潤む。
この先、こんな風に彼を思うこともないのだ。
あんなに暑く長かった夏。それが終わったかと思ったら急に冷え込んで、秋とは思えない風が肌を刺す。栗色のロングコートは薄手すぎて、今日の気温には適していなかった。
*
帰り道。何度か彼とも通った自宅までの道。
ここのスーパーはお肉が安いとか、あそこのお弁当は美味しいとか、こういう家庭じみたところが良くなかったのかしら……。
視界に入る景色一つ一つがダメ出しをしてくるようで、そっと目を伏せる。気を紛らわそうとスマホの画面を開いたとき、指が自然に動いた。
――真希。
「今夜、少しだけ行っていい?」
返事はすぐに来た。
「いいよ」
その一言に、胸の奥が少しだけ温かくなった。長くて歩きづらいコートは脱いで、小脇に抱える。駅までの道を、小走りで駆けて行くことにした。
*
真希の部屋は、いつ来ても静かだ。白い壁、淡い木目の家具、アロマのような甘い香り。靴を脱いで上がると、彼女がキッチンから顔を出した。
「また振られたの?」
何も言わなくても状況を理解してくれるのが心地よい。
「うん。重いってさ」
「重量級なのも相変わらずね」
「でもさぁ、軽薄になんてなれないよお」
「そういう融通の利かなさが重さの原因なのよ」
他の人に言われたら嫌な言葉も、真希からだとすんなり聞き入れられる。リビングに入ると、赤ワインとおつまみが用意されていた。
「どうせ明日休むんでしょ」
「わかってるね~」
互いにグラスに注いで、乾杯をする。男に振られるたびに、こうして真希の家で飲むのが、学生の頃からの定番だった。
*
真希と出逢ったのは、大学のお菓子作りサークル「チアドルチェ」だった。女子大というのもあり、どのサークルに行っても、ある程度かしましい雰囲気だったとは思う。その中でもチアドルチェは、特に賑やかで華やかだった記憶がある。
そんな空気の中で、一人凛とした空気を纏っていたのが真希だった。
1年生で入部した後、何回か活動をすれば、大体は固定グループが出来上がってくる。その日の活動も、いつものメンバーで集まって始めようとしていると、真希が一人だけグループに入れていないことに気が付いた。
別にいじめがあったとかではなく、単純に人付き合いが苦手な子というのはいる。
出来上がった輪の中に「入れて」という勇気。
「入れてあげよう」と提案する勇気。
それが、たまたま足りていなかったというだけの話。
そして、たまたま勇気を出したのが私だった。
*
「はぁ~、もう当分恋愛なんてしなくていいわぁ」
「そして1週間後には男を探し始めるのよね」
「今回は本気!」
「はいはい。お水飲みなさい」
真希が水の入ったコップを手渡してくれる。切れ長で、キュッとしてて、でもやさしい目。他の人には少しキツく見えるかもしれないけれど、その瞳にはあたたかな愛情が満ちていることを、私は知っている。
「水飲む前に、お手洗い借りるね~」
そう言って立ち上がると、思ったよりもアルコールが回っていたのか、上手く歩けなかった。
「かすみ!」
倒れそうになった私を、真希が咄嗟に抱きとめてくれる。
「あはは、ごめんごめん。飲みすぎちゃったよ」
「ううん、私の方こそ、もっと気を付けてればよかった。飲ませすぎちゃってごめんなさい」
私の胸が、真希の右肩にぽすっと乗っている。切れ長の綺麗な目が、少しだけ熱っぽい。少し体を預けてみると、真希の頬に赤みが差した。
「だ、だいじょうぶ? 一人で歩ける?」
「大丈夫、大丈夫。ありがとね」
そっと真希から離れる。
「そ、ソファの方、いつもみたいに寝られるよう用意しておくわ」
「ありがと~、助かる」
お礼を言うと、「しょうがないなあ」というような、とろっと目尻が下がった表情で見つめ返される。
真希の瞳はあたたかな愛情で満ちているが、その愛ある視線が私以外に注がれたことがないことも、私は知っていた。
*
暗いリビングに、時計の秒針だけが響いている。真希の家のソファも、すっかり体に馴染んでいた。
お酒で火照ってまどろむ意識は、数秒ごとに夢と現実を行き来する。数時間ほどそれを繰り返した後、ようやく長い夢の中へ落ちていった。その夢は、チアドルチェでお菓子作りをしている夢だった。
◆◆◆
いつもの調理室。私たちはすっかり先輩になり、後輩たちに教える立場だった。この頃になると真希もサークルに馴染んでおり、後輩にも慕われていた。
その日はスパイスを利かせたお菓子を作っていた。調理台に並ぶ様々なスパイス。それを前に後輩たちがはしゃいでいる。
「へー、私、ターメリックって初めて見たかも」
「なんか土っぽい香りなんだね」
そこに真希がすっと入り込む。
「ターメリックの花言葉は『乙女の香り』。昔は、こういう香りの女性が好まれていたのかもね」
背が高く、そのうえ博識な真希のまわりには、あっという間に後輩たちの輪ができあがる。
「スパイスにも花言葉ってあるんですね~」
「他はどんな花言葉なんですか?」
少しはにかみながら、真希が答える
「例えばクローブなら『貴重』とか『神聖』。まあ、スパイスなんてどれも昔は大事な貿易資源だったわけだし、貴重なのは当たり前かもね」
「花言葉にもクールにあたれるんですね、先輩……」
そんなことを言われながらも、慕われるのが彼女の魅力だ。
「クミンは『憂鬱をはらう』。これは香りから来てるのかしらね」
「じゃあ、これは?」
後輩が手に取ったのは、シナモン。
「ああ、シナモンね」
スプーンいっぱいに盛ったシナモンを片手に、真希が私の方をちらと見る。凛とした佇まいとは裏腹に、溶けるような熱い視線が送られてきているのを感じた。
「シナモンの花言葉は――」
*
独特な香りで目が覚めた。
――シナモン。
部屋いっぱいに広がる、甘く、スパイシーな香り。キッチンでは、真希がエプロンをつけてパイを焼いていた。
「おはよう。ちゃんと眠れた?」
「おはよ。寝たり起きたりって感じだったなあ」
「ま、あれだけ飲んでたらね。顔洗っておいで」
洗面台から戻ると、テーブルの上には焼き立てのアップルパイ。その表面にはカーペットでも敷いたかのような、大量のシナモンが振りかけられている。
「おお、今回もたっくさんかけたねえ」
「ええ、作るの久々だったし。使いたくなっちゃった」
真希が作るアップルパイは、回を重ねるごとにシナモンの量が増していた。
窓から差す晩秋の光。紅茶の湯気が立ちのぼり、シナモンの香りを運んでくる。
テーブルについて、ひと口食べる。顔中に広がるシナモン。リンゴやバターの風味は二の次だ。
そして昨夜のことが頭をよぎる。
真希に押し付けた胸。
近すぎた距離。
「真希、いつもごめんね」
「いいよ。慣れてるから」
その言葉が、ゆっくりと胸に沈む。
真希、本当にごめんね。
友人としてしか見られないけど、でもあなたのことは好き。
こんな意地悪な私をこれからも、致死量のシナモンで甘やかして。
シナモン
ニッケイ属の樹木から取れる香辛料。
漢方として処方されることもある。
花言葉は、『清純』『純潔』。




