第三話 トラフグカエルをくらうものたち
二十世紀末に出現したダンジョンとモンスター。
その対処に当時の政府は就職氷河期と呼ばれる世代、つまり不景気などの影響で定職に就けなかった大量の若者を対処にあてがうことにした。対処と言えばいいが、無職人口を少しでも減らしたいという思惑が見え隠れしていたのは否定しようもない。
無職の若者はいくら死んでくれても構わない。
世紀末症候群に基づく大規模な宗教テロに巨大地震連発によって国土は疲弊している。政府にはもはや若者を養っていく余力はない、生きていけないのならば速やかに死ね。
そういう本音が見え隠れした国の方針で自分達はダンジョンに放り込まれた。
院卒学生が学歴を誤魔化して高卒採用枠を応募するような就職地獄に疲弊した若者達は、政府決定を合法的な自殺手段と考えた。最低限の訓練もなくホームセンターで手に入るような道具でモンスターと戦えとダンジョンに放り込まれたのだから何ひとつ間違ってはいないと今でも思う。
偉い人達にとって誤算だったのは、氷河期世代のダンジョンへの高い適性と、ダンジョンが生み出す正負の影響が想定外に大きかったこと。
自衛隊による事前調査と異なり、徒手空拳で放り込まれた若者たちは誰もが特殊能力を得た。ある者は高い身体能力を、ある者は魔法としか言いようのない超常の力を。それらはダンジョンのある空間でのみ発揮される力という建前ではあったが、為政者たちを警戒させるには十分すぎた。そしてダンジョンで産出する様々な有用素材、放置することによるスタンピードの脅威。探索者をダンジョンより切り離すことは不可能で、探索者は表向きは社会の最底辺として生きていくことになった。
なお為政者たちの失踪事件とダンジョンに彼らそっくりの人型モンスターが出現する珍事件が同時期に発生しているが、探索者の声を握りつぶしていたメディアはその関連性に気付くまで実に十年以上の時間を必要としている。
◇◇◇
ダンジョンのモンスターたちが外に溢れ出した。
いわゆるスタンピード現象である。
ゴブリンやスケルトンのようないかにもモンスターと分かる存在の場合、余程のことがあっても地上に適応する力は無い。魔素が尽きてしまえば魔石を残して消滅する。
が。
たとえば雑食性の両生類――現在地元で猛威を振るっているトラフグカエルのような生き物の場合、外の環境に適応し繁殖に成功する事例がある。数日観察しただけでも身の丈80センチを超えるトラフグカエル達がジャンボタニシやアメリカザリガニなどをもりもり捕食しており、その様子を撮影して提出した映像資料は農協関係者とお役人さんに少なくない衝撃を与えた。
毒性の低い亜種のトラフグカエルのみ自然に残せないだろうか?
なんてトンチキ寝言を吐いた人もいる。頼むからフィールドワークで調査している人に費用をまともに支給してから言ってほしい。自分のように仕事としてトラフグカエルの捕獲を行っている人は少ない。探索者はダンジョン外で戦ってはいけないというのが現行の法律だからだ。カエル自体は狩猟免許を必要としないのだけど、スタンピード時以外でモンスターに分類される生物の討伐をダンジョン外で行うには狩猟免許必須と言い出したのは政府である。
地元に戻ってきた探索者仲間の内、曲がりなりにも狩猟免許を取得しているのは自分を含めて五名ほど。普段鹿や猪を狩猟している猟友会の人達は、猟銃免許取得している限り探索者ライセンスは発行されない。なんか治安維持の観点でそういう事になっている。
そんなわけで両生類マニアのアマチュア研究家や生物系配信者が取材と称して生態調査する以外にはまともに捕獲を試みる者は一般人層にはなく、また稼ぎとしても屋外定着したトラフグカエル肉は微生物汚染しているので加熱調理必須というか、怪しい寄生虫に感染している可能性も否定できないので懐が温まることはない。ダンジョン産のトラフグカエルの方が毒腺処理するだけで安全に食えるから商品価値が高いと皆知っている。
つまり外で捕まえたトラフグカエルは売れない。悲しいくらいに売れない。
実質無料奉仕。
そら誰もやりたがらない。
気付けば自分だけが外でカエル捕獲に動いている環境が完成していた。害獣駆除と並行して。
……
……
早くダンジョンに戻りたい。
北海道の最前線でもイイヨ。
◇◇◇
不穏な情報が届いた。
地元猟友会の集会で、幾人ものハンターさんからだ。
「オバケ蛙な、猪とかが食っとるぞ」
「熊も食べてる疑いありますわ」
ちょっと目の前が暗くなった。
年に数度ある集会で、罠猟の分担について話し合ってる最中の出来事だ。猟銃組のハンターさんらがわざわざやって来たかと思ったらそういう話をしてくれた。ご丁寧に目撃した場所の地図座標に、食い散らかされたトラフグカエルの死体写真まで用意してくれている。自分含めた探索者兼業組は絶句し、その内の一人が探索者組合に連絡を入れていた。
うん、やべえ。
「毒とか平気なんすかね」
「いやいやいや」
世間話と役所からの連絡で終わることの多い集会の筈が、緊急対策会議に化けようとしている。猟銃組も立ち去らずに話し合いに参加するようだ。各自が地図を持ち寄り、ホワイトボードに貼った真新しい一枚にどんどん情報が書き込まれていく。報告例をまとめていくと、一時期は中毒したらしい猪や熊の亡骸が複数見つかったが、ある時期からそれがどんどん減っている。
「食べずに踏み潰したり叩いた跡のあるオバケ蛙の死体も見つかってる」
集めた情報に、探索者兼業の一人が頭を抱えた。
一人だけじゃない。
ダンジョンとモンスターにかかわってる全員の顔色が悪い。
「レベルアップです。こいつらトラフグカエルを倒してレベルアップして、毒耐性つけて餌にしてますますレベルアップする状態になってる」
その呟きに、ハンター仲間でも比較的若手でゲームに理解ありそうな人が反応した。持ち寄った狩猟データを見比べて、捕獲される猪やツキノワグマの大きさや重さが例年より増えている事に気付いた。
「オバケ蛙を餌にして肥えたとばかり思ってたが、違うのかい」
「もちろんソレもありえますけど、もしレベルアップだったら想像以上にマズイ事態ですよ。体力もつく、毒餌を食べても平気になるだけじゃない……下手すると銃弾や槍程度じゃ毛皮を貫通できなくなる、かも」
確証はない。
そもそも野生動物がモンスターを倒すなんて話は聞いたこともない。だが、もしも人間と同じようにモンスターを倒すことで経験値のようなものを野生動物も獲得し、パワーアップできるなら。人間ですらレベルが上がれば相当頑強になる。高レベル探索者はトラフグカエルで中毒死することは無いと言われているくらいだ。
魔法だって使う可能性がある。
それでなくとも身体強化だって使うかもしれない。
食べる必要はないのだ。
トラフグカエルを踏み潰して殺すだけでいい、偶然でもそれで強くなれる。熊も猪も、鹿ですら!
兼業探索者達の説明に、絶句するハンターたち。
「……捕まえた大型個体の猪や熊の肉、ひょっとしてオバケ蛙の毒が混じってるのか」
「サンプルあれば調べるのは可能っすよ、ね?」
視線が自分に向けられる。
この場で解析と鑑定魔法を使えるのは自分だけだ。肝炎ウイルスの有無なども識別できるから、残留毒の調査も難しくはない。
情報交換会という名の飲み会用に持ち込まれていた様々な狩猟肉が目の間に並べられる。狩猟日と部位が書き込まれた真空パック越しに鑑定魔法を発動すれば、狩猟日が新しい肉の大半にトラフグカエル由来の旨味成分と神経毒が含まれているのが分かる。もっとも十キロ単位で食べない限りは中毒しない程度だし、除毒魔法や解毒魔法で安全に食べられる。旨味はそのままにだ。
うん。
保健所にも通報かな。
準モンスター肉として探索者組合で一括お買い上げ、解毒してからの一般販売ルートでなんとか出来ないか相談しなきゃ。もちろん探索者組合の事務所にも。モンスター肉は美味いだけじゃなくて、食べることで僅かながらに経験値を獲得できる効果もある。いま鑑定した熊肉や猪肉も、モンスター肉ほどではないけれど同様の効果があるのは判明した。
一応ね。
今回、除毒解毒したトラフグカエルの肉も持ち込んでるんですよ。ダンジョン外で捕獲した奴、まともに売れないからこういう機会に消費したいし。喰ったついでに強くなってもらえば、高齢化が進むハンター業界も安泰ですし?
あ、そうだ。
汎用解毒ポーションを後で配りますんで、心当たりのある人に飲ませてください。
え、多い。
ちょっと手持ちだと足りなくなるかもしれないので探索者組合に連絡入れますわ。ハイ。
ハイ。
ハイ。
それとわかるレベルでやべぇ事態に発展した。
◇◇◇
案の定。
と呼ぶにはいささか過剰な反応が国内外を吹き荒れた。
『猛毒クマ肉が市場流通!か』『県内養豚家一斉自粛と検疫措置!あるやも』『そんな餌に釣られクマー!』
等々過激な文言を掲げるマスコミがいる一方で、ジビエ肉を提供する店や顧客らの検査は速やかに行われた。解毒措置を必要とする人はおらず、むしろ最近の地元の熊肉は近年最高の品質などと評価すらあった。話題になるからと解毒剤片手にクマ肉やイノシシ肉を食べてその美味さに絶句する人気配信者などもいて、ネット上では肯定的な意見が多い。
モンスター肉は怖いけれど、それを餌にしたジビエ肉ならば。という人もいる。
海外の一流レストランが熊肉を仕入れて話題になったこともある。
県外から熊と猪目当てにハンターが大勢押し寄せてきて地元猟友会と少しばかりの諍いが起こりもしたが、彼らが熊と猪を積極的に狩ってくれることで自分は野生化したトラフグカエルの駆除に割く時間が増えるので有難い限り。
「この一か月で獲れたツキノワグマの平均体重、500㎏を超えています」
「そもそも箱罠に入りきらないっす」
「軽トラサイズの猪がなんで北海道でもない土地にいるんですよお」
なお兼業ハンター探索者組にとっては地獄のような日々でもある。自分も時々遭遇している。何も知らない県外ハンターが縮尺間違えたり、くくり罠を引きちぎった猪に突撃されたのを救助することも割と多い。餌が餌なので他の市町村で巨大化した報告を聞かないのが救いと言えば救いか。
でもなあ。
先日、市長選の公示がされた。
スタンピードの際に真っ先に逃げ出したことで有名な現職さんは「ダンジョンから街を取り戻す」をスローガンに選挙カーで日々辺りを走り回っていると聞く。
ダンジョン奪回を訴える候補者は全員だ。
他の候補者は現職の非難も欠かさない。
ハンターたちの仕事を中断させてまで激励アピールする候補者たちに、自分らのストレスは溜まっていく一方である。駆除に関係する予算は一円たりとも増額されていないのだから。
はあ。
トラフグカエルの捕獲数はあまり変わらない。繁殖しているのは確定だ。熊などの獣については捕獲数がやや下降気味だが、これは頭数が減っているというよりも個体サイズが大きく凶暴化して並の猟銃では相手にならない事情も関係している。罠で捕まえた猪や熊のトドメ差しに兼業ハンターの探索者が呼ばれることも一度や二度ではない。
早いところ一般探索者が外でも狩猟できるように制度を見直してほしいのだが。
……
……
と。
耳障りな羽音。
それも複数。
山を歩く者として決して無視してはいけないその音に我に返った自分は、音の発生源を探るべく視線を動かす。猟場の入り口に近い駐車スペースに、見覚えのある選挙カーが停車している。選挙活動の一環と称して自身もトラフグカエルを捕獲し処分していると主張している候補者で、その証拠とばかりに新鮮なトラフグカエルをいつも吊るした選挙カーに乗っている人。つまり現職の市長だった人だ。
その選挙カーが停まっているように見える。
およその輪郭しか見えない。
選挙カーを覆い尽くすように、いや、選挙カーに吊るしたトラフグカエルに群がっているソレは鋭いアゴでカエル肉を引きちぎると肉団子にして運ぼうとしている。黄色い身体に黒褐色の縞模様。鋭いアゴに複眼。そして鋭い毒針。
その形状はスズメバチによく似ている。推定40センチという大きさに目をつぶればの話だが。
巨大スズメバチの群れはトラフグカエル肉にしか興味がないのだろうが、鋭い足の鉤爪などが選挙カーの窓ガラスやボンネットなどを容易に傷つけていく。羽音をかき消すように悲鳴が幾度も上がるが、既にタイヤが全て破裂しているため進むこともできないようだ。
もはや自分では救助するのも不可能。
程なく窓ガラスが割り砕かれると幾匹もの巨大スズメバチが車内に侵入、ひときわ大きな悲鳴の後には羽音だけが辺りに響く。
やがてすべての肉を団子に変えたのだろう、巨大スズメバチの群れは山の方へと飛んで消えた。息を殺して様子を窺っているとハンター仲間より夥しい数の連絡が入った、いずれも巨大スズメバチの発見報告だった。
+登場人物紹介+
●主人公
地元でカエルを捕まえつつ害獣駆除もしている。地元で獲れた猪や熊や鹿の肉がヤベエことに気付いた。汎用解毒剤は自作。虫は苦手。名前も年齢も性別も不明。
●職員
地元ジビエ肉を扱うことになり世界中の一流レストランに伝手を得てしまった。それ以上の厄介ごとに頭を抱えている。
●猟友会の皆さん
探索者組合が一括してお買い上げしてくれて安心。しかも高値。準モンスター肉を食べてパワーアップした人もいる。
●兼業ハンター探索者の皆さん
北海道に帰りたい。
●準モンスター
繁殖したトラフグカエルを倒したり食べて生き残ることでレベルアップを果たした。
現在判明しているだけでも熊、鹿、猪、スズメバチがいる。特にスズメバチはキイロスズメバチだけでなくジバチの類も報告されている。食べると美味しいが危険度も高い。毒耐性を持つ個体が多い。熊肉などは狩猟直後なのに極上の熟成肉にも勝る旨味と言われている。
●元市長
大きいだけのカエルなど怖くないわ! ここで男気を見せて市長として信頼を取り戻す! ん? なんだこの羽音は……
●スズメバチの仲間
体長40センチ前後、●ケモンよりは小さいし賢くもない。生態的には野生動物。なお凶悪。打ち捨てられたトラフグカエル肉を美味しくいただいていたら、こんなに大きくなりました。神経毒は通用しなかった模様。色々と薬剤耐性も取得しているので殺虫剤も効きにくい。ハチノコは超絶美味、ただし捕獲できた場合に限る。
●G
森の掃除屋。家庭の嫌われ者。感想欄に恐怖を叩きこんだ昆虫。こいつらもいずれパワーアップするだろうがトラフグカエルの餌にも成りえる立ち位置。
●トラフグカエル
無事(?)外の環境に適応。アメリカザリガニやジャンボタニシをはじめとした外来種をもりもり食べては繁殖中。ブルーギルやブラックバス、アメリカナマズも大好物でござる。昆虫も鼠も大好き。その分いろんな動物に襲われたり喰われたりして栄養と経験値を提供している。雑菌まみれなので生食はお勧めできないがきっちり火を通せば美味しい。




