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仇討ち

 少年は震える手をどうにか押さえつけて握った剣を男に向ける。完全に舐め切った相手は不快なニヤケ顔を隠そうともせずに手にした体験を肩の上で遊ばせている。少年はありったけの勇気を振り絞って叫ぶ。


「母上の仇、覚悟!」


 少年が大地を踏み締めて男へ向けて復讐の剣を振るう。妖精族(エルフ)の武士ヴァイオラはその背後で無言のまま少年を見守っていた。



 ヴァイオラがその惨状に出会したのは主命を終えて帰参しようと峠を下りかかった時だった。エルフの鋭敏な嗅覚は周囲に微かな血の匂いを嗅ぎ取る。獣か何かとも思ったが、同時に微かな人間の声も聞き分けたように思える。ヴァイオラが周囲に感覚を張り巡らすと、どうやら血の匂いとその声は崖を降りたはるか下から届いているようだった。


 ヴァイオラは切り立った崖から下を見下ろす。谷底には雑多に茂った木々がまばらな森を形成していたが、エルフの視覚は崖の斜面から森へと続くわずかな痕跡を発見した。なるほど峠の様子と合わせて(かんが)みるにここから馬車が転落でもしたか。見れば峠の方にも道から外れた(わだち)の跡が微かに見て取れる。よほど急いで馬車を走らせていたのか、崖下に向かって行った新し目の轍には減速した様子はない。ざっとヴァイオラが地面を検分した限りでは、どうやらもう一台の馬車に追い立てられてその挙句に追突されて崖下へ叩き落とされたものと見える。


 追い剥ぎにしては悪質極まりない。ヴァイオラは崖下をもう一度見下ろすと、まるで階段でも降りるかのような軽やかな足取りで絶壁を飛び降りる。ほとんど垂直のように切り立った斜面を鹿のように飛び跳ねながら何事もなかったように崖下に着地すると、そこに広がった凄惨な光景に眉を(しか)める。


 半壊した馬車は無惨に横たわり、手綱から逃れた馬は逃おおせたのか周囲にいる気配はない。落下の衝撃で首の骨を折ったか、馭者らしき老人がほぼ即死の状態で地面に投げ出されていた。ヴァイオラは客室を覗き込む。中にいたのは母子連れで、すでに母親の方は息がないと見え、虚ろに半開きとなった目からは水気が失われ、濁った瞳はどこをも指していない。


 母親に庇われた子供はどうやらまだ息はあるようだった。頭を打ったか激しく出血はしているが呼吸は落ち着いている。母親はなんとかこの子だけでもと必死だったのだろう。ヴァイオラは一礼して母親の瞼を閉じてやると、周囲を探って集めた野犬の糞を焚いて即席の狼煙を上げた。この煙を見て最寄りの街から人でも来てくれれば良いが。


 驚いたことに、迎えの者は即座に到着した。どうやらすでに捜索の手が伸びていたらしく、あらぬ場所から上がった煙を追って捜索隊はすぐさま現場を突き止め、その場にいたヴァイオラに対して一瞬警戒の目を向けた。状況と彼女の証言を精査して事情は察してくれたようで、ヴァイオラを命の恩人としてその救命活動に謝意を示し、家人から御礼申し上げたいとの申し出とともにヴァイオラに随行を願い出た。


 ヴァイオラが招かれたのはウィッテナムと呼ばれる公爵領の屋敷で、待機していた使用人たちが母親と馭者のご遺体を丁重に運び、怪我を負った少年もすぐさま手当てに送られた。


 ヴァイオラを出迎えたのは屋敷の前当主である老ウィッテナム公ご自身だった。貴族らしからぬ穏やかな雰囲気の老人は娘の急死を嘆くと共に、ヴァイオラに感謝の意を伝え、ことの経緯を説明してくれた。


 ウィッテナムは辺境の小さな領地であったが、近年当主である公爵の突然の死により、跡目を継ぐ者の選定を巡ってお家騒動に発展していたのだという。今は暫定で先代当主であった老公が旧領を守っているが、その正式な後継者として現在二人の候補者が立てられ、それぞれがバックををつけて共に正当な後継者を名乗り、血生臭い争いを繰り広げていた。


 先代当主が推す孫のヒューはブローデン王室に後継者としての届出を済ませてある正当の跡取りであったが、承認を済ませる前に現当主が卒去したため、叔父に当たる弟公ゴッドフリーがその後継に待ったをかけてきた。王都の貴族連中の後押しを受けた叔父御どのはヒュー少年が成人するまではその後見人として()()()()()公爵領を管理すると主張してきた。放蕩息子として放逐した次男の厚かましい申し出に先代ウィッテナム公は激怒し、その主張を断固として跳ね除けた。この穏やかな面持ちでその内面は代々騎士としてブローデン王家に仕えてきた武人の末裔らしく激しいものをお持ちなようで、老公おん自ら長槍を振り回してゴッドフリー無爵位公を追い払ったという。


 その仕打ちを逆恨みしたか、叔父君は跡取りのヒュー少年を直接手にかけようとしてならず者をけしかけ、今回の馬車襲撃に及んだものと老公は推察している。


 お家の事情はよく飲み込めた。ヴァイオラはこれ以上の深入りは不要と見てその場を立ち去ろうとしたが、彼女を引き留めた老公がとんでもないことを申し出てきた。


「どうか、孫の身を守るお役目と、仇討ちのための剣の指南をしてやってほしい」


 いきなりの願い事にヴァイオラも眉をひそめた。お家騒動が収まりヒュー少年が跡取りとして保証がなされるまでその身を護衛してくれという願い出はわからなくもない。だが敵討ちのために孫に剣術を教えてくれと頼まれたのは長いエルフの人生の中でも初めてのことだった。


「ここウィッテナムの土地は辺境の田舎町ですが、長く北のノルディア人たちと剣を交えてきた戦場の最前線でもありました。ここを守る領主は策や陰謀を張り巡らせる小才者(こざいもの)ではなく、自ら弓槍を振るって力を見せる者でなければなりませぬ。ここは時代遅れの爺いの頼み事、どうかお聞き入れくだされ」


 貴族の家長が一介の旅の剣士に礼を尽くす。曲がりなりにも長い戦の世は過ぎ、武力ではなく外交努力によって平穏が保たれているこの時代だ。老人の言うような「武には武をもって報いる」といった思想は確かに今の気風にはそぐわぬし、それどころか野蛮で危険な思想として煙たがられる傾向にある。だがヴァイオラは老公のその言葉を受けていささか心が動いた。


「仇討ちとはまた西の世界では珍しい。ふふ、こと親や子を思う気持ちに東西の違いもないか」


 何か独りごちたヴァイオラはかすかに笑みを浮かべると、老公の申し出にはこう返答をした。


「ご先主殿、跡取り殿の護衛はお引き受けいたそう。なれど、手前は東方の剣術しか使えぬ武辺者にて、当代の様式の剣は教えられませぬ。ゆえに」


 エルフの侍は言葉を続ける。


「武人として、()()()()()()だけでもお伝えいたしましょう」



 かくして、少年とエルフの奇妙な師弟関係が始まった。初めのうち少年は母親を失った悲しみから塞ぎ込み、長いこと部屋から出てくることもなかった。歳のころは十二、三といったところか、成人として扱われる年頃ではあるがまだ母親が恋しい年でもあるだろう。その間ヴァイオラは何も口出しすることなく、静かに瞑想するか剣を振るかのどちらかで日を過ごした。


 日が過ぎてようやくヒュー少年が部屋から出てきた時、ヴァイオラは少年の目に宿る悲壮な決意を察して顔を曇らせる。


「母上の仇を討ちたい。私に剣の使い方を教えてくれ。いや、教えてください、先生!」


 武門の跡取りとして力を誇示するべき宿命を帯びた少年は膝をついてヴァイオラに教えを請う。彼女は祖父のご老公にした話をもう一度繰り返し、剣は教えられぬが復讐のための心得は伝授しようとだけ言った。


 その日から少年は毎日夢中で剣を振るった。走り、体を鍛え、また走り、剣を振り、また走る。ヴァイオラはその側で見守りながら、剣筋や技術などに対する助言は一切行わなかった。その代わりにヴァイオラは昔話をよく言って聞かせていた。


 玉座を追われた王が見事復讐して王位を奪い返した話、親の仇と信じて討った相手が実の父親であった話、力およばず仇討ちを果たせず身を持ち崩して破滅した男の話……古今東西のあらゆる復讐譚を語ってはその最後に


「仇討ちなんてものは碌なものではない」


 と言って締めるのが常だった。


 同時にヴァイオラは「仇討ち」においての流儀(ルール)を教えた。曰く、数に頼まない、他人(ひと)に頼らない、遺恨を持ち越さない、とのことだった。相手一人に大勢で攻め入るのは道に反する、他人に復讐を任せるのは卑怯千万、返り討ちに遭って相手を恨むは覚悟が足りぬ、と師であるエルフは厳しく説いた。あくまで敵討ちは自分一人でなすもの、たとえ本懐は遂げられずとも決して遺恨や後悔は残すべからず、思い残しなく全てを出し切れ、というのが彼女の「仇討ちの流儀」であった。



 月日は流れ、いよいよ仇討ちの時は来た。ヴァイオラの尽力もあって馬車襲撃の実行犯と影で操る黒幕の裏も取れた。親子を襲ったのは兵隊上がりの無法者どもを束ねる無頼漢で、それを命じたのはやはりご老公の見立て通り後継者の命を狙った叔父御の指図であった。


 ヒュー少年はその所業を糾弾する書状を手に握りしめながら叔父の元へと向かう。彼の目の前でその卑怯な行為を責め、自らの行為が正当な敵討ちである旨を堂々と宣言する。対する弟公は向こうからノコノコとやって来た獲物を逃す手はないと顔をニヤつかせながら配下に甥を取り囲むよう命じる。


 ヒュー少年の側には仇討ちの師匠であるヴァイオラひとりきり。ここで闇に葬ってしまうのは容易(たやす)いと侮った叔父は一言「やれ」とだけ命じた。


 放蕩息子の瀟洒(しょうしゃ)な屋敷に血飛沫が舞った。


 一瞬のうちには以下の手練れたちが吹き飛んで昏倒した。ヴァイオラの放った抜き打ちの一閃で周囲を取り囲んだ十数名もの荒くれ者たちはなす術もなく倒れて行く。その圧倒的な手際に驚愕した叔父は、今自分が絶体絶命の危機に瀕しているという事実にようやく気がついた。


「ま、まて!」


 叔父が無様に腰を抜かして後ずさる。


「私は見届け人だ、手は出さぬ。仇討ちはあくまでこの者が行う」


 その場から一歩も動かないヴァイオラの前に、復讐者ヒューが剣を握って構える。あの恐ろしいエルフの剣士がこちらに害をなす事はないと言質を取った叔父は急に威勢を取り戻し、立ち上がって大声で誰かを呼んだ。


「ひひ、ひ。()()の仇討ちに来るとは殊勝な事だな。だがそれはお門違いというものだ、お前の両親を殺したのは俺ではなく、この男だからな」


 叔父貴に呼ばれてのっそりと登場したのは少年の倍はあろうかという上背の巨漢だった。


「なんでえなんでえこのザマはよう。ガキと娘っ子二人にしてやられるなんざ情けねえ」


 ろくに手入れもされていない両手持ちの大剣を引き摺りながら襲撃の下手人である男が笑う。


「今、()()、といったな。さては父上を、実の兄であるお方をも殺したと言われるか!」


 少年が気品ある物言いで激昂する。


「ああそうだよ!昔っから親父も兄貴もいい子ちゃんぶりやがっていつも俺のことを小馬鹿にしやがって、死んでせいせいしたわバーカ!お前の母親も良い女だったがちいっともったいなかったなあ。ぎゃははははははっ!」


「外道が!」


 ヒューが怒りに任せて剣を振るう。巨人はその剣を軽くいなして次々と繰り出される剣戟をものともせずに受け切って見せる。


「軽い、柔い!なんじゃそのへなちょこは、その程度で俺に立ち向かおうなんざ百年早いんだよっ!」


 男の一撃でヒューは手首を折られ、軽く吹き飛ばされる。すでに息は上がり、負傷と疲労で手にした剣は重しとなって少年の動きを鈍らせる。ヒューは一瞬頼るようにヴァイオラを見上げる。ヴァイオラは冷ややかに少年を見下ろし、その意図を汲むかのように発言した。


「助力を願うか?ならばその時点で仇討ちの大義は無くなり、お前はただの殺人者と成り下がる。自分で決断するがよい、仇討ちの大義を貫いて無謀な戦いに挑んで死ぬか、無様に生きてでもお家のために罪を背負うか」


「私、わたし、は……」


 少年が返答に詰まる。その間にも用心棒の巨人は少年の首めがけて大剣を振り翳しながら肉薄する。


「私は……()()()()()()()()()()()()!」


「承知した」


 少年の言葉を聞き届けると、ヴァイオラは神速の速さで太刀を抜き、迫り来る大男の手首を容赦なく切り落とした。勢い余って男の持っていた大剣がクルクルと回転しながら少年はわずかにそれを避けきれず頬に切り傷を負う。自らの出血に恐ることなくヒューは叔父に向かって復讐の剣を走らせた。


「なあっ!いや、ちょっと待て、待ってたらひいいいいいい一!」


 叔父は身も世もなく背中を向けて走り出す。無様に逃げる仇を追う余力も無くなったヒュー少年もまたその場で力尽きて剣を手放して崩れ落ちた。


「先生、私は、卑怯者、でしょうか……」


 涙の薄ら滲んだ目で少年は仇討ちの師匠に向かっていった。


「無論、卑怯も卑怯。お家のために生きるという大義名分を隠れ蓑にして『数を頼まず、人に頼らず』という仇討ちの作法を捨て、ただの人殺しに成り下がったのだ。当然であろう」


 師の言葉に、少年は顔を沈ませる。しかしそれでも少年は力強く顔を上げてヴァイオラに宣言する。


「わかりました。これからはお家のために仇討ちを捨てて無様に生き延びる道を選んだ卑怯者としての(そし)りも甘んじて受けましょう。そのためにも、私は必ずやあの卑劣感である叔父に引導を私、家督を継いでこのウィッテナムの地を実り豊かな土地として発展させるために我が身を尽くしましょう」


 そう晴れやかに宣言する弟子に向かって、ヴァイオラは手を差し伸べる。


「だから申したであろう、仇討ちなんぞ碌なものではない、と」


 そういってエルフの武士は涼やかに笑った。

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