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仇敵

 妖精族(エルフ)の武士ヴァイオラが愛刀「包国貞光(かねくにさだみつ)」を上段に高く掲げる。相手の戦士は荒い息を何度も吹かしながらその巨躯を熊のように大きく広げて威嚇する。手にした大斧が一戦すると、勝負は最初の一太刀であっけなく決着がついた。



 ヴァイオラがその獣人の戦士と初めて邂逅したのはもう何十年前の話になるのか。当時はまだ北方ノルディア皇国とブローデン連合王国との国境争いが沈静化しきれておらず、二つの国をまたがる大河オルドリンの利権をめぐって激しい攻防が続いていた。


 ノルディアは人間だけではなくドワーフや小人族(リトルビット)といった人間種に近しい種族からオークや牙獣人(ライカンスロープ)といった魔族種まで雑多な民族構成で軍団を形成しくる。その戦闘は苛烈で残虐、数で勝る人間中心のブローデン正規軍を幾度も打ち破って恐れられた戦闘国家であった。


 だが、そんな彼らでも手痛い敗北を喫した事もあった。


 川を越えて相手国へ攻め入ろうと意気軒昂に橋を渡ったノルディア軍は、その橋の途中に居座るたった一人の剣士のために足止めをくらい、あまつさえ追い返されるという大失態を演じてしまったのだ。後世の歴史研究家たちはその伝説を読み解き、少数の囮を使って様々な罠を仕掛けて撃退した逸話に尾鰭がついたものであろうと解釈している。なので、その当時実際に何があの橋の上で起こっていたのかを正確に知る者はこの世にはもう二人しか残されていなかった。


 その二人が十数年の時を経て、再び同じあの橋の上で対峙している。


「またここで相見えることになるとは思いもよらなんだぞエルフの剣士よ、ようも怖気付かずに我が前に顔を出せたものよなあ。エルフ!うぬに斬られたこの片眼の痛み、その血で洗い流して遺恨の終焉としてくれよう!」


 猛々しく吠えるオークの巨人に呼応して橋の向こう側で集う配下のノルディア兵たちもまた大音声で吠える。対するエルフの武士ヴァイオラの方はというと、対岸には彼女を見守る援軍の一人もなく、ただ愛用の長太刀を静かに構えるのみだった。


 国境を分つ大橋の中央にて二人は相対する。十数年前、この橋からブローデンへと攻め入ったノルディアの軍勢は、この一見華奢にも見えるエルフの少女たった一人に押し戻され、敗走の泣き目を見たのだった。エルフの戦いぶりは凄絶そのものだった。押し寄せる集団をあるいは力で押し返し、またあるいは受け流して後方と分断し、迫り来る獣人、魔獣を次から次へと斬って回った。最終的に築き上げた戦死者の山が橋全体を塞ぐまでになり敵の進軍に蓋をする始末となったほどだ。


 たった一人の奮闘によって形勢を覆されたノルディア軍の大隊長はこのままでは埒が開かぬと勇敢にもそのエルフの剣士との一騎打ちに打って出た。


「我が名はノルディア皇国南方面軍第五十五越境隊隊長ウルグス、怒れる炎のウルグス!エルフの小娘、小細工を弄して我が軍を足止めしようなど笑止千万、この儂自ら成敗してくれるわ!」


 猪のような壮絶な容貌をしたオークの戦士ウルグスはその巨体を震わせて大斧を振りかざす。どうやら後方でエルフの防戦ぶりを眺めていた彼は、彼女が罠を仕掛けて自軍を足止めしたものと思い込んでいたようだった。


「土産話がわりに名前ぐらいは聞いておいてやるわい、名乗れ小娘!」


 オークの戦士が威勢よく吠える。


「ヴァイオラ……菫御前(すみれごぜん)。ところで、もう始まっていると見て良いか」


「はあん?」


 オークが返答をする間も無く、菫御前ヴァイオラは構えていた太刀を振り下ろした。決してウルグスが油断していたわけではない、その太刀筋も傍目には電光石火、と言うには程遠いゆったりとした軌道に見えた。だが、その剣はたやすくオークの長い両腕を掻い潜り、大きく目を見開いたウルグスの顔面を叩き斬った。


「ぐはあああっ!」


 顔面を吹き飛ばされてオークの巨人が身をのけぞらせる。左目は完全に破壊され、切先は確実に視神経を切断し、その激痛でオークは先程までの威勢の良さなど一瞬で吹き飛び、無様に醜態を晒していた。


「未熟……」


 つまらん、といった顔でエルフの剣士は太刀を鞘に納め、これ以上は興味もないとばかりに悠々と戦場である橋から立ち去って行った。勢いを失ったノルディア軍は相手の総崩れを悟ったブローデン軍の追撃によって追い払われ、彼らの越境作戦は完全な失敗に終わった。


 この時はこれだけで済んだ話だったのだが、十数年後、またこの橋の上でオークの巨人とエルフの剣士との一騎打ちが行われた。


 すでに長い戦も終わり、両国の国境争いも一応の決着を見せ国境の大橋にも平穏が戻った。だが平穏を取り戻したはずの村々に再び不穏な空気が蔓延し出した。


 この国境の橋を行き交う商人たちを狙って盗賊が住み着き、追い剥ぎや脅迫(ゆす)りたかりといった悪行を重ねるようになったのだ。どうやら戦が終わって兵役からあぶれた連中が生業に戻れることもなくその日暮らしに犯罪に手を染めているといった具合だったらしい。多くは北のノルディア兵の残党らしき獣人どもであったが、中には身を持ち崩したブローデンの元兵士たちも多く見るという。


 その盗賊団の頭目は隻眼の巨大なオークであったという。その者に率いられた盗賊団は悪逆非道、奴らに狙われたらどちらの国の家でも根こそぎ奪い尽くされ、家の者は一人残らず皆殺しにされると言う凄惨さだった。人々は片眼の獣人と配下の盗賊団に恐れをなし夜毎に厳重に戸板を閉め、行商人たちも被害を恐れてよその道行を選び、橋の村々は寂れていく一方だった。


 だがその盗賊団も、ある日を境にパッタリと姿を消してしまった。噂によれば、彼らはたった一人の剣士によって殲滅の憂き目にあったという。嘘か誠か、満月の輝く夜、あの大橋の中央で隻眼のオークと異国風の衣装を身に纏ったエルフの剣士が剣を交え、見事エルフがオークを討ち果たしたのを見たという者が後を断たなかった。その話が真実かどうかは判明しなかったが、少なくともある日何かのいざこざで盗賊団の連中が橋の上で大勢の死体となっているのが発見され、それ以来凶悪な盗賊団の蛮行はなりを顰めるようになったという事実だけが残った。


 例の、片眼のオークの死体は発見されなかった。


 それだけの話であり、盗賊団の話も記録に残ることなく時がたち、やがて忘れられて行った。ただ、それだけの話であった。


 満月の夜、エルフの武士ヴァイオラは数十年ぶりにこの橋を訪れた。かつてここが戦場であったという事実は歴史の書の中でのみ語り継がれ、強盗団が人々を襲って恐怖に陥れていたという故事も語る者はいなくなったこの大橋の周辺も、昔のような鄙びた寒村とは打って変わり、国境を行き交う商人たちを出迎える宿場町に成長して活況を呈していた。


 そんな、夜なお明るい街並みを背にしてヴァイオラは一人の老人と対峙する。背は高いがその背骨は力無く曲がり、萎えた足腰を支える樫の杖を握る手も弱々しく震えている。ただその残された隻眼だけが力強く、なぜか懐かしげな郷愁さえ漂わせながらヴァイオラを睨みつけた。


「よう、ようにもまあ間に合ったもんじゃ」


 老人は感慨深げに語る。


「初めてお前に会うた時、儂はまあ油断しておったよな。たかがエルフの小娘一人と。ものの見事に負けたわ、こちらが()()()()を吐くよりも早く儂はお前に打ち込まれた。あの当時は不意打ち卑怯!とも思うたよ。ふふふ、今は違う、そうは思わん。あれは儂の未熟じゃった」


 オークの老人は自重気味に笑う。ヴァイオラは一言も発さず老人の繰り言に耳を傾ける。


「そうそう、お前もあの時確かに『未熟』と言ったな。さもあらん、儂は己の未熟に気付き腕を磨いたよ。そうこうしとるうちに戦は終わり、儂らも軍を追われた。ノルディアといえども儂らのような半人半魔の生き物は忌み嫌われとる。儂は似たような境遇の者どもを集めてここに陣を張った。ここで待っていればお前は必ず来ると信じていた。あにはからんや、お前は再び儂の前に現れた。今日こそ長年の雪辱を果たせる。儂は歓喜したものよ」


 老人の言葉には殺意も敵意もない。ただ遠き日の思い出を旧友と語らうかのように静かに訥々とウルグス翁は言葉を紡ぐ。


「またしても敗れたあ。儂は何もかも失った。あとは野垂れ死ぬだけの無様な姿を晒して、それでも儂は生きた。必死に逃げ延びて、ただひたすらお前に復讐するための機会を窺っておった。儂は毎日斧を振りながら考えておったよ、いかにしてお前を誘い込んでこの手にかけてやるか、その作戦をの。さて、娘っ子でも(かどわか)かして質に取りお前を縛るか、はたまた船に誘い込んで逃げ場のない大洋に置き去りにして四方から矢で射るか、儂は毎日毎日、一日たりとも休むことなくそのことばかりを考えて斧を振り続けた。しかしの」


 老人は瞑っていた片目を開く。


「なあんにも無くなってもうた。策略も、小賢しい仕掛けも、お前に対する恨みつらみも、こう斧を振り続けておるうちに少しずつ()()が削られていったのよ。ようやく気づいたわい、勝つことなど容易(たやす)い、ただ相手より早く刃が届けば良い。それだけのことに気づくのにどれだけ時間をかけたものやら。ふふ、不思議なものよな。するとよ、斬れたのじゃよ。岩が。それまで傷ひとつ穿つことの敵わなかった大岩が、()()()()とな」


 老人がニンマリと笑う。


「今ならお前を斬れる。他になあんの執着もあらん、ただ目の前にいるお前を斬る。それだけのために儂は今日まで生き恥を晒してきたのだと知ったよ」


 老人は杖を捨てる。帆布で雑に覆われた大斧の包みを解くとそれを大上段に構える。先程まで弱々しく曲がっていた腰はピンと伸び、手の震えも止まり全盛期と変わらぬ威容を取り戻す。それまで黙って老人の独り言に付き合っていたヴァイオラはゆっくりと腰を落とし、包国の柄に手をかける。


「お前が今日ここに来たのが偶然の運命なのか、それとも儂を待っていてくれたのかは知らぬ。どちらにせよ……」


 それ以上の言葉は無用と見たか、オークの老戦士ウルグスは口を閉じ、ただひたすらに戦の呼吸に身を投じる。


 野獣のような咆哮が月夜を揺るがす。同時に振り下ろされたオークの斧とエルフの太刀がすれ違い、勝負は決した。


「無念よのう」


 ヴァイオラの一閃で胴斬りにされて橋の上に転がったウルグスは、その言葉とは裏腹に満足げな笑みを浮かべながら事切れた。


「未熟、とあの時確かにそう申した」


 太刀を収めながらヴァイオラはオークの亡骸に話しかける。


「渾身の一撃をそなたに皮一枚で(かわ)された己に対して言ったものであったが」


 すでに言葉は届いていないと知りつつも、エルフの武士はそう告げて一礼すると、静かにブローデンの街中へと消えていく。今日この日の一振りに残りの人生全てを費やした仇敵の亡骸を、月明かりだけが静かに見守っていた。

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