鉱山にて
天を衝くようにそびえる大山の麓に妖精族の武士ヴァイオラは立つ。いつもと変わらぬ古い東洋風の民族衣装を身に纏い、腰に大小の古太刀を吊るした彼女は幾重にも切り拓かれ鋭角の幾何学模様を描く階段状の斜面と、あちこちに転がっているもっこや天秤棒に目をやる。よく整備された街道の脇にはこれまた綺麗に護岸された小川がチョロチョロとした流れを見せる。その川面から透けて見える真っ赤な川底を見て、森の妖精の末裔たる彼女は一瞬顔を顰めた。
「なんの用じゃい、エルフ風情が!」
一仕事終えて鉱山から降りてきたらしいずんぐりとした体型の小人族たちが不意の招かれざる訪問客を見てドヤドヤと喚き立てる。
ドヴェルグ、あるいはドワーフと呼ばれる彼ら大地の精霊の受肉化した末裔たちはこうした鉱山の開発や冶金の技術に長け、彼らの武具や工芸品はその質実剛健な作りと具合の良さから人間など他種族のみならず遠く北方の魔族蛮族にまで愛用されている。
ただその反面、鉄を打つのに火を起すため多くの木々を伐採し、今見たように川にも大地にも精錬した後に生じる鉄滓などと呼ばれる不純物をそのまま垂れ流して環境を汚染する元凶として、森と共に生きる古代のエルフたちとは折り合いが悪く、長きに渡っていざこざの絶えない時代が続いたという。その伝統もあってか、現在でも彼らはこうしてエルフたちに対して悪感情を隠さず、旧因を拗らせては噛みついてくることも珍しくはなかった。
一斉にツルハシや大金槌を手に構えて殺気立つ小人族に対してヴァイオラは涼やかに彼らに視線を送る。
「ああよせよせ、そいつぁ儂の客だ」
奥からのっそりと現れた一際ずんぐりとした体型の老人が太い二の腕をボリボリと掻きながら現れた。
「棟梁……」
小人族の鉱夫たちが振り向いて声の主を知ると一斉に訝しんだ声をあげる。無理もない、互いに忌み嫌う種族の訪問を受けること自体珍しいのに棟梁自ら出迎えての賓客ともなれば他の者たちが怪しむのも当然だ。
「久しゅうに、三代目」
エルフが初めて口を開く。その古風な口調にドワーフの棟梁が片側の口の端をひん曲げる。笑っているつもりなのだろうか、とかく彼らの表情はよく読み取れない。
「要件はアレじゃろ?まあ立ち話もなんじゃい早よ中に入れ。ああそれと」
エルフを先導しつつ、棟梁が振り向いてまだ殺気立ている鉱夫たちに言う。
「お前たち命拾いしたの。こやつにかかればお前らなぞものの数秒で斬り刻まれとるぞ」
そう言って初めて棟梁はカッカッカと豪快な笑い声をあげた。呆然と言葉を飲むドワーフたちを置き去りにして、古い馴染みらしきエルフとドワーフの二人連れは鉄打ち場へと消えていった。
「どれ、見せてみぃ」
作業場の長椅子にドッカと腰を下ろした棟梁に、ヴァイオラは腰に佩いた太刀を預ける。黙ってそれを受け取った棟梁はそのままスラリと音を立てて鞘から抜き、刀身に目を光らせる。
「フン、随分とくたびれたものよのう。包国貞光……儂の記憶では確か二尺八寸キリじゃったと思うが随分目減りしたのう。見たとこ六寸八分がいいとこじゃ」
「途中、切先を欠いた。自分で打ち直したでな」
ヴァイオラが憮然とした表情で説明する。ドワーフの棟梁が大きな片目を見開いて悪口を突く。
「通りで下手くそな研ぎよのう。何を斬ったらここまで痛む、阿呆が。ほれここなんぞ見てみい、刃こぼれも酷いが打ち曲がりまでしとるではないか、よく鞘に収まったもんじゃ」
老人は刀身を熾火に照らしながら値踏みする。素人目にはわからないが、どうやらエルフの長剣は度重なる激戦に疲弊して少し歪みを見せているらしい。
「目釘穴も一つ割れた。柄元がぐらついて覚束ない」
なんじゃとお、と呆れて棟梁は柄に嵌められた目釘を抜いて刀身と柄とを分離する。柄内に収められていた「茎」と呼ばれる部分には柄に固定するための目釘を通す穴が二つ空いていたが、その一つが割れて役目を果たせぬ状態になっている。
「まったく呆れたもんじゃわい。お前のこの太刀は聖剣でもなければ名物というほどでもない、言うなればただの人斬り包丁じゃ。いかなお前とてこのように痛めつけてはいずれ折れる。一体どのくらい斬って回ったんじゃ」
「数えておらぬ。数える意味もない」
ヴァイオラは小さな丸椅子に行儀よく膝をそろえて座ったままそう返答する。
「で、直るか」
「当たり前じゃ、そのためにわざわざ来たんじゃろがい、毎年研ぎに来とりゃここまでで手間はかからんわい、じゃから何度も言うとるじゃろこの馬鹿者。しかしのお、この太刀の鍛え方もこの国では失伝して久しい。いずれ、儂の孫かひ孫の代にはもう治せる者もおらんくなろうて。もっとも……」
棟梁がボソリと付け加える。
「その頃までにはお前さんも主命から解き放たれ取ることを願うよ」
「……かたじけない」
エルフの少女はドワーフの老人に向かって深々と頭を下げる。他のドワーフたちがこの光景を見たら驚きのあまり腰を抜かすに違いない。誰よりも高潔、悪く言えば傲岸不遜な種族として知られるエルフがよりによって仇敵とも言えるドワーフに対して首を垂れるなど、彼らには西から朝日が昇るほどに信じられない話であった。
「二、三日かかる。それまでのんびりしとけ。刀だけではない、お前にも打ち直しの休息が必要じゃ」
分厚い生地の前掛けを羽織りながらドワーフの長がヴァイオラをねぎらう。彼女はその言葉にふと口元を緩めながら言った。
「そうさな。久しぶりにお山に入って座想でもいたすとしよう。ああ、呼び戻しに使いを寄越す必要はないぞ。太刀に息吹きが戻れば包国の方から私を呼んでくるだろうからな」
「ほう、そんなもんかね。長年連れ添った相棒との絆ってやつか?お前さんにしては珍しく感傷的なこった」
「そういうこともある。では頼むぞ」
エルフの少女は立ち上がると棟梁に一礼し、そのまま勝手知ったる足取りで何処かを目指して歩を進める。棟梁は大声で徒弟たちを呼び集め、早速作業に取り掛かった。
天から降り注ぐような大滝を前に、ヴァイオラは正座して瞑想する。あまりに長い距離を落ちるためか滝の水は途中で風に煽られて霧のように飛び散って周囲の視界を曇らせる。そんな四方霧中の中、ただ滝の流れる音だけを背景として彼女は己の内側へと意識を傾ける。
ヴァイオラの記憶の底から蘇った数々の妖異、魔物が手に触れられんばかりの鮮明さで押し迫ってくる。彼女はその全てを斬って、斬って、その一片たりとも残さぬまでに斬って捨てた。途中であった者たちの顔もヴァイオラの脳裏をよぎる。人間の少女、ドワーフの鍛治師たち、魔法使い、影走りと呼ばれる魔物以外の敵たち、過去に交流のあった様々な顔が通り過ぎ、消えて行った。
最後に「彼」が待っている。
今際の際に見た老いさらばえた姿ではなく、全盛期の、初めて自分の国を持った時のあの逞しい姿、あの表情。ヴァイオラ自身もおそらくもっとも輝いていたあの時代、あの栄光に思いを馳せる。
彼が、あの時の言葉を再び告げる。
「ヴァイオラ、世界を……我が◼️よ……」
突然思考が暗転する。「彼」が最後に放った言葉も途中で途切れて聞き取れなかった。暗闇が真っ赤に染め替えられていく。
冷ややかな嘲笑と共にヴァイオラもよく見知った顔が姿を見せる。怒りと殺意と、同時にどこか遠い郷愁を感じながらヴァイオラは彼女を睨む。
「ほら、まだこんなとこにいる。だから言ったじゃない、あの男が残したのは『主命』ではなくて『呪い』だと」
女がヴァイオラに向けて笑う。
「黙れ」
瞑想の中でヴァイオラはいつにない激しい感情に揺さぶられ激昂する。
「いいのよヴァイオラ、愛しい人。私がアイツから呪縛を解き放ってあげる。もう、剣など持つ必要も意味もなくなる」
「黙れ」
ヴァイオラは睨む。
「そんな顔しないで。愛してるわヴァイオラ、本当よ。だから私こうして……」
己自身が見せる過去の幻影がヴァイオラの前で身に纏った衣装をはだける。
「あなたのために、◼️◼️になったのだから」
「だ・ま・れええええええええええっ!」
ヴァイオラは怒りを露わにして目の前の影を斬りつける。いつの間にか手にしていた包国貞光の銘刀が少女の影を袈裟懸けに両断した。
「ヴァイオラ、忘れないで。いつでもあなたを見守っているわ。あなたを守るのは私、あなたを救うのは……」
最後まで言葉を許すことなく、ヴァイオラは二の太刀を容赦なく影に浴びせる。四方に霧散した影を食い尽くすように現実の景色がヴァイオラの視界を覆った。ヴァイオラは無手のまま太刀を構えるように腰を落とした姿で立ち尽くす自分に気づく。深入りしすぎた瞑想の果てにアレにちょっかいを出されたか。ヴァイオラは苦々しげに眉間に皺を寄せると、流れ落ちる滝を背にしてお山を降りていった。
「おう、よお戻ったの。本当に頃合い丁度に戻って来おったわ。さてはお前の言ってた『太刀が呼ぶ』というのは真実であったか」
ドワーフの棟梁が大粒の汗を厚手の前掛けで拭きながら薬缶に入った冷や水を直接がぶ飲みする。
「ほれこの通りじゃ。研ぎ直して歪みも打ち直した。茎は上から新しく鉄を鋳流して目釘穴を開け直したで、ちぃっとばかし柄の比重が変わっちまったかもしれんがそこはまあ慣れろ。お前さんならどうというほどのことでもあるまい」
棟梁が木切れでも渡すかのような気やすさでポンと大刀を放って渡す。鞘に収まった愛刀を確かめるでもなく、ヴァイオラは腰帯の隙間に太刀を差した。
「さっそく役に立った。重ねて礼を言う、三代目殿」
「あん?なんじゃい改まって。ああそうか、お前、アイツにまだ付け狙われとるのか。ガハハハハ、返す返すも難儀な宿命よのうお前さんは。落ち落ち夢も見られんてか」
事情を察したらしい棟梁は豪快に笑い飛ばす。これほどこのご老人が笑顔を見せるのも仲間内では珍しい。
「手間をかけた。礼金だ、これで足りてくれると良いが」
ヴァイオラが礼を言いながら砂金の入った重たげな革袋を作業台に置く。棟梁は中身も改めずにそれを無造作に木箱に放り込むと再び薬缶に口をつけて水を飲む。
「ふふん、のうエルフの小娘よ、一つ良いことを教えてやろう。太刀なんぞ振り回さなくとも妖異怪異を追い払う秘訣じゃ」
自分より遥かに年上のエルフを小娘呼ばわりして棟梁がニンマリと大口を開ける。
「笑え。笑顔じゃ、笑顔が心の闇を遠ざける。『笑う門には福来る』と言うじゃろ。それよ」
グハハハと大声で笑いながら棟梁が説く。
「……私には、もっとも遠い感情だな」
「だからよ。一日に少しでもいいから笑って見せい。たまにはのう、お前さんの主君殿の笑顔を思い返しても良いのだ。何も好き好んで艱難辛苦の道を歩む義理もあるまい」
「それは……」
ヴァイオラは言葉をつぐむ。
「ご主君とて、そんなお前さぁをお望みではあるまい。少なくとも儂はそう思う。だから、次にアレと出会うことがあったら大いに笑い飛ばしてやれ」
「ふむ、ふふ、ご老人がそう言うのであれば」
ヴァイオラはこの山に来て初めてかすかに微笑みを見せた。
「お、そうじゃそうじゃ、そうやって笑って見せるがいい。達者でな。次来る時は太刀が悲鳴を上げる前にさっさと来い」
「心得た。では」
エルフの侍はドワーフの老人に深々と頭を下げ、振り向いたまま二度と振り返ることなく、切り立った鉱山の街を後にした。