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エルフの武士道

 荒廃した宿場町の広々とした目抜通りに、一人その者は立っていた。


 ここブローデンの地では見かけない、異国の民族衣装であろうか、ボタンも留め具もない上着は前を合わせて帯で結び止めただけの変わった仕様に見える。目深に被った藁の深編笠に隠れてその表情は窺えない。人っ子一人顔を出す気配のない閑散とした街中を、その異国風の旅人は静かに歩き、近くにあった安宿の軒先に声をかける。


「御免、水と何か食事を所望したい」


 古風な物言いで旅人は尋ねる。店の者が出てくるまでもなく旅人は外に備え付けてあった馬の(くつわ)留めに使う横木に音もなく腰を下ろす。


「主人、おるか。かたじけないが水を一杯……」


 言いかけた旅人の顔スレスレに何かが掠める。間を置かずして店の中を轟音が響き、普段は酒場として賑わっているであろう広間に据え付けられていたテーブルや椅子が木っ端微塵に弾け飛ぶ。


「ひいいいっ!」


 店の奥から悲鳴が上がる。どうやらこの宿屋の店主はちゃんと居在していたらしく、理由は知らぬが旅人の呼びかけにあえて居留守を決め込んでいたものと見える。


 不意の襲撃を受けた異国の旅人は微動だにせずじっと居を正したままでいる。


「おうよそ者、てめえどっから来た」


 店の外からドヤドヤと人だかりの喧騒が湧き立つ。砂埃を立てながら薄汚い鎖帷子(くさりかたびら)をジャラジャラと鳴らした半獣半人たちが涎混じりの汚い共通語(コモンタン)で捲し立てる。


「いやお前さんがどこの誰だって別に構わねえ。ここは今はもう我らノルディア皇王国の前哨基地として接収されておる。ここに宿を取りたきゃあ我らノルディア先見軍にみかじめ、おっと違った保護料を献上しな。我ら兵一人につき銅貨十枚、さもなくばそれ相当の金品を出しな」


 十数人はいようかという獣顔の蛮人たちがゲッゲッと品のない笑い声をあげる。この人数に全員分行き渡る金品をいちいち渡していたら到底賄い切れるものではない。この者たちは初めからこの旅人を身ぐるみ剥いで髪の毛一本に至るまで掠め取る心づもりだ。


「た、旅の方、どうかおとなしく……」


 カウンターに隠れながら店主らしき髭面の老人がガタガタと全身を震わせて訴える。旅人にもおおよその事情は察せられた。どうも隣国のならず者どもが国境を超えて狼藉を働いていたものと見える。こちらブローデン地方の諸王国と北に位置するノルディア大皇の支配地とは民族も文化も異なるゆえかこうした小競り合いは後を経たない。お互い今は不可侵の申し結びを交わしてはいるが、こうした嫌がらせはどちら側からも日常的に行われている風景であった。おおかたこの連中も兵役から脱走して食い詰めた果てに国境を超えて盗賊と成り下がった手合いだろう。そんな連中にいちいち国境を超えてまで捕まえにくる義理もないし、あちら側に少しでも敵国に嫌がらせができればせいせいしたもの、程度にしか思われてもおるまい。


「またぞろこのあたりも治安が悪くなったと見える」


 旅人は蛮人どもに取り囲まれならも至って平静に独りごちる。


「何気取ってやがんだよゴルァ!さっさと金目のものよこしなってんだ!」


 兵士の一人が乱暴に旅人の被っていた深編笠を弾き飛ばそうと蹴り上げる。その足は間違いなく旅人の被り物を正確に捉えていたはずだった。だが旅人はほとんど動きを見せていないにもかかわらずその足は深編笠をすり抜け、宙を待ってバランスを崩した兵士は無様に転倒した。


「て、てめえ何しやがった!我ら皇軍に手をかけるとはノルディア大皇フォーティンブラス三世陛下への叛逆であるぞ!」


 言うことだけは立派な獣人がフガフガと鼻息を荒くしながら捲し立てる。垢じみた戦闘衣装を纏った集団が一斉に武器を手に取った。


「未熟」


「あん?」


 先頭にいた獣人兵が旅人の言葉を聞いて間抜けな声で聞き返す。その言葉より早く獣人の首が跳ね落ちた。


「んがっ⁉︎」


 後方にいた兵士たちは初めのうち何が起こっているのか即座には理解できなかった。その隙に早や二人目、三人目が血飛沫をたてて吹き飛ぶ。ようやく事態を察した後列の兵たちが慌てて身構える。が、そのわずかな瞬間よりも早く旅人は彼らの視界から消え、次の瞬間には次々と兵士たちの手首が落とされ、足の腱を切り裂かれていた。


「なな、なんだあっ!」


 最後に残された獣人兵がせめてもの抵抗とばかりに大斧を振り翳す。その斧が振り下ろされる前に男は縦に真っ二つに切り裂かれ即死した。


「ひ、ひ……!」


 腰が抜けて動けない店主が店の奥から外の惨状を覗き込む。あたり一面に先ほどまで威張り散らしていた隣国の兵士たちが血煙に撒かれながらあるいは死体をさらし、またあるいは砕けた骨の激痛にもんどり打っていた。


 その中央で例の旅人は微動だにせず立っている。


 手にした細身の剣は片刄で緩やかな湾曲を描いている。そこらの石も割れないような軽い細剣で、軽装とはいえ武装した獣人をあっという間に斬り伏せた旅人の技量に店主は恐れ(おのの)いた。旅人はそっと膝をつき、死体の裾で自らの剣についた血糊を拭うと、シャラリと清らかな音を立てて鞘に収めた。


「騒がせたな主人(あるじ)。ついでと言っては申し訳ないが水を一杯くれぬか」


 これほどの大立ち回りを演じながらもまるで息も切らさずに旅人は店主に注文する。慌てて木のコップに井戸水を汲んで持ってきた主人に礼を言うと、旅人は死体どもには見向きもせずに悠然とその場を去っていった。


「え、えらいこっちゃ……」


 宿屋の亭主はことの顛末を町の有力者に知らせるべく、ろくに死体の後始末もせぬまま店を飛び出していった。



 国境沿いの宿場町は上を下への大騒ぎとなった。地方領主の軍勢が今頃になってようやくノコノコと顔を出し、今回の騒動の経緯を目撃者である宿屋の店主に聞きただす。店主が洗いざらいしゃべると、軍団長の騎士はその異国ふうの衣装を着た旅人の手配を命じた。おそらくその者一人に責任をおっ被せて他国人の殺害行為の罪人として隣国に引き渡して一件落着とする算段だろう。今まで盗賊団にすら恐れをなして遠巻きに見ているだけだった弱腰な領主はそれ以上の面倒を避けたがっている様子だった。


 あの目立つ格好である。目当ての旅人はすぐに足取りがついた。騎士団の数名に取り囲まれた旅人はやはり動じもせず、馬上から誰何する貴族たちの無礼も意に介さない様子で歩みを止める。


「その方、此度(こたび)の隣国兵殺害の件いかが申し開きいたす。申しようによっては(ばく)につけて投獄するぞ」


 大上段に構えた物言いで騎士団長が脅しつける。旅人は変わらず目深に被った深編笠の奥で


「手前には、関わりのないことにござりますれば」


 とだけ言った。


 このままでは埒が開かぬと郷を煮やしたか、騎士は馬上で剣を抜いて旅人に突きつける。


「その方、我が命に応じぬと申すか。なれば我が主人トマス十一世陛下の御名にかけて反逆者として成敗いたす!」


 騎士団の兵卒たちが取り囲む。先ほどの軍隊くずれの野盗たちとは違って曲がりなりにも訓練された職業軍人として洗練された動きで旅人の隙を見逃すまいとその動きを抑える。


「重ねて問う。貴様、我が領内に潜入した目的はなんだ?どこへ向かうつもりであるか」


 騎士団長が威勢を張って問う。


「ただ、主命なれば」


 旅人はただそれだけ答える。


「主命とはなんだ。貴様の主人は誰だ、どこのゴロツキか⁉︎」


「ゴロツキ……?」


 笠の内側で旅人の目がギラリと光る。


「さもありなん。貴様のような不逞の輩なんぞを従わせている者なぞ、得体が知れると言うものだ」


 騎士の従者たちが小馬鹿にした笑い声を上げる。中には長槍の柄で旅人を小突く者まで現れる始末だ。


「それは、我が主君への冒涜と見て良いか」


 旅人がそれでも静かに問う。


「言わずもがな、貴様なんぞ……ん?」


 旅人を罵倒する男の声が途中で止まる。今さっきまで指さしていたはずの手首から先が突然ポロリと音を立てて落ちた。


「ぎゃ、ぎゃあああああっ!」


 騎士団長殿は先ほどまでの威厳も忘れて情けない声をあげて落馬した。いつの間にか旅人は腰に()いていた例の細身の長剣を抜き打ちにして馬上の男の手首を切り落とし、そのまま水平に構える。


「な、なあっ⁉︎」


 旅人を取り囲んでいた騎士団の従卒たちは動揺しつつ、それでも反射的に陣を組んで応戦する。遠巻きに突いてくる長槍の穂先を刃の腹で受け流すと、旅人はそのまま長槍の柄づたいに剣を滑らせて鎖帷子の隙間からのぞいた首筋の頸動脈を切り裂く。振り向きざまに背後から襲おうとしていた兵卒を唐竹割りに叩き斬ると、そのまま旅人は手首を失ってもんどり打つ騎士団長へと(にじ)り寄る。


「ひ、ひいいい……」


 失った手首を庇いながら騎士団長が逃げ惑う。忠義な家臣は男を守るために懸命に盾なしの籠手を身構えて上司を守る。旅人は無言のまま手にした剣を最上段に構え、静かに振り下ろす。頑丈な鋼の籠手が蝋細工のように容易く斬り裂かれ、腕ごと兵士の肩口に食い込んだ。


「きき、貴様…こ、こ、このような……」


 一人残された騎士団長が歯の根の合わぬ口調で叫ぶ。


「こ、後悔してももう遅いぞ、もはやこの国に貴様の居場所はない、陛下への反逆者として草の根を分けてでも貴様を追い詰めて火炙りにしてくれよう。わ、わが国の威信にかけて……」


「我が主君への恥辱を(そそ)ぐためならば、是非もなし」


 旅人の剣が騎士団長の鎧を貫く。逆光に(かげ)る旅人の、深編笠の外れたその顔を見て騎士団長が驚愕の表情を見せた。銀色に輝く艶やかな長髪、光るように透き通った菫色(すみれいろ)の瞳、そして長く尖った細い耳。その特徴はまるで……


「エ、妖精族(エルフ)、だと……」


 血泡を拭きながら騎士団長が声を絞り上げる。鎧から引き抜いた剣を振って血飛沫を払うとその等身を鞘に収める。あの恐るべき殺戮をやってのけた当人がこのような太古の妖精の末裔、しかも()()であったことに騎士の男は驚きを隠せないでいた。


「な、なぜ……」


 断末魔の瞬間まで騎士団長の頭の中には疑問符が飛び交っていた。たかが主君を言葉で侮辱しただけで相手の命を奪う暴虐まで働いて応報するとは、曲がりなりにも法の治める平時の国家でそのような行為が許されるはずがない。この先お尋ね者になることを覚悟の上でここまですることにどれほどの意味があるというのか、男の常識では到底理解ができなかった。しかし、その答えを知るまでもなく騎士団長の意識は暗闇に包まれて行った。


「言うなれば」


 事切れた男の問いに礼を尽くすかのように旅人……エルフの少女は答える。


()()()、この時代にはとうに忘れ去られた『道』に殉じるが(ゆえ)に……」


 そう言い残すと、エルフの武士は死者たちに祈りの言葉を捧げ、再び何処(いずこ)かへと姿を消した。

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