アリライオン
一頭の大きなライオンが、木陰で眠っていました。
ライオンが鼻先にむず痒さを感じて目を覚ますと、一匹の小さなアリが忙しなく駆けていくところでした。
ライオンは眠りを妨げられた苛立ちから、アリを潰そうと前足を伸ばしました。それに気付いたアリは慌てて声を上げます。
「お待ちください、ライオン様。あなたのような立派な方が、私のような小さく弱いアリを潰したところで何になるでしょう。何の栄誉にもならないどころか、あなたの品位を損なうだけではありませんか。私を見逃せば、なんと寛大な方だと、あなたへの尊敬は弥増すでしょう。まさに獅子の中の獅子、王の中の王たるにふさわしい、立派な方と見なされるに違いありません。私のような、あなたにとっては全く取るに足らない者を見逃すだけで、それだけの益が生まれるのです。聡明なるあなたのことです。これ以上は言うまでもなく、どうすれば良いかはお判りでしょう」
よく口の回るアリだ、とライオンは半分感心し、半分呆れました。
「お前のような者を見逃したとあっては、口先だけの者に丸め込まれた愚か者と笑われかねんではないか」
ライオンは前足を更に伸ばしました。もうアリに触れる寸前です。
「ご安心ください。私は勤勉で知られているのです。博識なるあなたならばご存じでしょう。私は夏の間に、冬を越す支度まで整えてしまうのです。そんな私を、誰が口先だけの者だと思うでしょうか。私を見逃してくだされば、私はあなたの慈悲に満ちた立派な行いをきっと広めましょう。あなたは何もせずとも、いえ、何もしないことによって、自らのご高名を更に轟かせることが出来るのです。このような機会があるものでしょうか。ここはどうぞ、私を逃がすことによって、皆に慈悲の心をお示しください」
勤勉なのはその口だけではないだろうか、ライオンは呆れました。たとえアリの多くが勤勉だとしても、このアリが勤勉だとは限らないように思えます。ですが、このような厄介な相手を踏み潰すのも面倒になってきました。
「分かった。行け。ただし、俺が見逃がしたとは、誰に言う必要もない」
ライオンはアリに当たらないように前足を下ろしました。
「あなたの寛大と賢明に感謝いたします。誰に言う必要もないとは、滅相もありません。あなたの立派な行いは、勤勉なるこの私によって、ただちにこの地に住む全ての者の知るところとなるでしょう。それでは、失礼いたします」
そう言うなり、アリは駆け出しました。
アリは内心で、この私を脅かすとは、図体が大きいだけの愚か者め、とライオンを嘲り、自らの知恵と弁舌で危機を切り抜けたことにほくそ笑みました。
直後、アリは砂で作られた、ライオンにとっては小さな、アリにとっては大きな穴に足を取られました。
アリはもがけどもがけど穴から抜け出すことは出来ず、とうとう穴の底で、その主に捕らえられてしまいました。
「ライオン様! お助けください!」
「お前を助けることは、俺にとっては小さく弱い、その穴の主を潰すことになるだろう。それでは俺の品位が損なわれるのだろう?」
至って平静に見下ろすライオンからの問いに、あれだけ雄弁だったアリからの答えはとうとう返ってきませんでした。
ライオンは穴の主に、小さく笑いました。
「アリにとって、真に恐るべきライオンはお前だったようだな」
穴の主は何も答えず、ライオンを一瞥すると、砂の中に姿を消しました。