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医療界的手記

倫理戦争3

作者: 仁科理人

私が人と向き合う上で意識すること。

それは、相手と関わることを許された時間内で、自分は何を相手にしてあげられるか、ということ。

公私共に言えることであるが、ここでは医療の世界における個人的な一つの指標として残させてもらう。



「「おはようございます。身体拭きのお手伝いにきました。よろしくお願いします」」

(おはよう)

今日も朝の清拭回りから、勤務が始まる。

この70歳代男性、由比さんは気管切開、呼吸器を装着しており基本的に話せない。頷きか口パク、あるいは筆談でコミュニケーションをとる。また、全身の筋力が弱ってしまっているため体を動かすことができず、清拭などはスタッフ二人で行っていた。

「夜寝られましたか?」

(いや) 変わらず硬い表情のまま、由比さんは首を振って答えた。

「そうなんですね。寝られないのも辛いですよね」

二人手を動かし淡々とケアをしながら話しかける。

夜この人が寝られていないのは、連日のことだ。眠剤も点滴で入れるもほぼ効かず、身体を動かせず話せない辛さ、ストレスから夜間はナースコールを連打する、昼間は面会に来た家族へ辛さを訴え続けるのが日常となっており、スタッフ•家族ともに由比さんへの対応に疲労も感じるようになっていた。

(寂しい)(さすって)(えらい)(もう殺して)(家内のところに行きたい)

そんな口パクを私は何回見ただろう。他の患者にも呼ばれるため長時間はいられないが、私は一度呼ばれたら5分は由比さんに時間を割くようにしていた。ただ、他の患者ややるべき業務は普通にあるため、ずっとはいられない。キリがないからだ。時間を決めて手や足をマッサージし、最後は「そろそろ他の方のところにもいかないといけないので、ごめんなさいね」と病室を後にしていた。退室して5分も経たない内に、由比さんから再度ナースコールを押されるのだけれど。

私はマッサージの間の、表情は変わらないが一瞬だけコールを押さず私と一緒にテレビを見たり、言葉を交わしたりする短時間が好きだった。自己満足かもしれないけれど、少しでも、由比さんの訴えに応えてあげられたのではないかと思えたから。



ある夜勤のこと。

「こんばんは。朝までよろしくお願いしますね」

いつも通り、挨拶をする。

(えらい)

由比さんも、いつも通りの反応を見せた。

後で眠剤を使って少しでも寝てもらうか……どうせ効かないけれど、使わないよりマシだし。

「今日もあまり調子よくなさそうですね。また後で眠剤使うので、少しでも休める時に休んでください。寝ないともっと身体がしんどくなってしまいます」

(うん)

いつも通りの、かすかな頷きをみせる。そう、いつも通りだった。

その後由比さんに眠剤を使用して、他患者の対応に追われていた。今日は夜間の緊急オペの帰室もあり、いつも以上にバタバタしていた。

忙しいなぁ……次オペ室の申し送り聞いて……(〜♩)あぁ、ナースコール鳴ってる、誰⁈相方とってくれないかなぁ……いや、さっき誰かのトイレ介助してたから無理かぁ……「はい、どうされました?」やや小走りに対応する。

そうこうしているとオムツ交換の時間がきた。

そういえば、今日由比さん珍しく寝てるかも。ナースコール押してこないな……。

「由比さん、下着見ますよ」眠る由比さんのオムツを開くと。血混じりの粘液便が出ていた。

……赤い?出血……?ここ最近、そんなことなかったよな……?

血圧は……測るとエラーになってしまう。だけど橈骨はしっかり触れる。

「由比さん……お腹痛いですか?」

返事はない。寝てる……?意識レベルが下がってる……?当直医……ちょうど、同じ診療科の先生だったかも。カルテを開きながら、状況を報告する。最近で血便の記録なし、普段の血圧ベース90mmHg台、急変時DNAR……

そこから先は、よく覚えていない。

徐々にモニター上の脈拍も落ちてきて、家族へ電話をしながら、部屋を移動したり、時折他の患者対応もしながら、ただ目の前の業務をこなしていた。


今なら思う。もっと早く、血圧が測れなかった段階で一番最初に家族に連絡すべきだった。眠剤を使わずにもう少し様子を見ればよかった。何ならもっと早い段階で鎮静の話などスタッフと相談できていたらよかった。あれだけ日頃苦しさを訴えていたじゃないかと。



そんなことがあった後。たまたま、院内の研修で普段接点のない管理者と話す機会があった。

「最近どう?」そんな言葉に対して、「なんだかやりきれないです」と、(個人情報のため)詳細は伏せながらも、この件を話していた。

「私……家族を最期に間に合わせることができませんでした」

「……最期……見られたくなかったのかもよ?」

ずっと黙って聞いていたのち、ふと言われたその言葉に、はっと顔を上げる。

「私も経験あるけれど……今ならわかるけど……そういう人って、自分の苦しむ姿とか、最期の姿、見せたくなかったのかな、って思うよ。私はその人の性格は知らないけれど……どこか頑固だったり、信念を持っていたり、家族の前では強がる人だったり。……どこか、心当たりはあるんじゃない?」

「……なんとなく」

そうか、そういう捉え方もあるんだ……。目が合うと、その看護の先輩は静かに微笑んでくれた。


それなりに経験を積ませてもらうと、人の死に対して特別な感情を抱かなくなる。ここで決して違うと強く言っておきたいのは、おざなりになるなんてものではなく、たったひとつの尊い命の二度とない終焉なんだという事実は変わらず、ただスタッフである自分の感情だけが、仕事モードなんだ、ということだけで平静を保ち、やるべきことをやる、ということになる。

その分、やるべき仕事をやり終え、その日の勤務が終わった後。押し寄せてくるのだ、その時置き去りにした色々な感情が。あれでよかったのかな……もっとこうできたら……あの訴えが最期だったなんて……。そして、どれだけその時のベストを尽くしたとしても、大体残るのは後悔なのだ。……命の終焉、何回立ち会おうとも、思うところはある。



後日、仕事が休みの日。私は近所の神社に来た。一礼し石の鳥居を潜ると、微かな風に後押しされる。目の前は銀杏が満開だ。境内は小さいお社の他、古い小屋があるのみである。銀杏の落ち葉も相まって、辺りは黄色と茶色のみでできた世界であり、まるで異世界に足を踏み入れたように感じられた。

お社へ進む。手を合わせ、心に引っ掛かる由比さんへの謝罪、後はあちらの世界で奥様にちゃんと会えますように、苦しみから解放されますようにと心の中でお参りした。参詣を終え、再び鳥居を目指す。「久しぶりに来たな……」足を進めながら周りに目を向けると、今にも淘汰されそうな古い小屋の「火の用心」の貼り紙に懐かしさを覚える。ふと追想に身を委ね始めた瞬間、誰かに頭を撫でられたように感じた。

〝ありがとうございます〟

はっ……と気がついた時には反射的に、誰に宛てるでもなく心の中で呟いていた。頬を風がなぞり、冷たさを感じてふと自分が泣いていたのだと知る。あぁ……敵わないな……。さっと拭い、黄色い世界を後にした。空は明るい。綺麗な秋晴れだーーー。



私が人と向き合う上で意識すること。

それは、相手と関わることを許された時間内で、自分は何を相手にしてあげられるか、ということ。

自分はスタッフだけでなく、患者さんにも、医療者に育ててもらった。それは今も変わらず、日々経験を積ませてもらっている。その、恩返しだ。

自分はこの仕事は天職だと思っている。でも正直、生涯この業界に骨を埋める覚悟はまだない。

だけど、心通わせられる時間がある限り、向き合う相手に自分が得たものを少しでも還元できるよう、人と関わっていきたいと強く思う。

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