3-10 謁見(2)
「ご機嫌麗しゅう、皇王陛下、皇妃陛下。久しくお目にかかります」
「よく来てくれた、リディアーヌ公女。それからフィリック卿だったな」
「この度はお招きを感謝いたします、両陛下。ヴァレンティン大公家筆頭分家アセルマン侯爵家のフィリックと申します。公女殿下の補佐を担っております」
「補佐? そうか。公女がパートナーを連れてくるというから何事かと思っていたが」
「あら、ちょうどいい婿がねであることは事実ですわよ。友人の御祝い事に当てられて、もしかしたら私もふとそんな気分になるかもしれません」
「殿下」
コソリとフィリックが窘めるように口を開いたけれど、皇王とはすでに多少の砕けた会話を許される間柄なのだ。皇王の方だって、本気にはしていない。
次いで、皇王はリディアーヌに上座へあがるよう促した。恐らく先程マクシミリアンが同じ対応を受けたのだろう。上座の一段下に両陛下に向かって置かれていた椅子に腰かけた。
皇王はすぐにフィリックのための椅子も置かせたが、そこはうちの臣下が頑として譲らず、いつも通りにリディアーヌの後ろに控えることを選んだ。
これではパートナーではなくただの腹心だ。リディアーヌも人のことは言えないではないか。案の定、皇王陛下には苦笑された。
「公女殿下はこの四年でまた益々お美しくなられましたこと」
「皇妃陛下も、お変わりなくお麗しい限りでございますわ」
「まぁ、有難う。でもこの帝国にヴァレンティンの青薔薇姫ほど高名な美姫はいなくってよ」
「一体その呼称はいつ、どこで、誰が名付けたのでしょう。気になっております」
この皇妃様から“青薔薇”だなんて呼ばれるのは少々気まずい。もう間もなくこのお城の皇太子殿下が妃に娶ろうとしている令嬢は、“すみれ姫”だなんていう愛称で呼ばれていた姫なのだ。なにやら、対比されているみたいじゃないか。
「皇太子にはもうお会いになったかしら? あの子ったら、勝手に迎えを寄越したようね」
「ええ、会いましたわ。マクシミリアン公子もですが、この四年で二人ともすっかり大人になっていて驚きました。近衛を派遣くださった件には驚きましたけれど……おかげで襲われた被害が軽微ですみました。きっと殿下はそれを見越して、迅速にご対応くださったのでしょう。この場をお借りして皇王陛下にも御礼を申し上げます」
「いや、道中警備の不手際を侘びる。なんでもフォンクラークの元王太子派が逸ったものだったようだな。皇太子によく取り調べるよう命じてある」
「すべては皇帝陛下のご決断。今回の件も、皇帝陛下と皇王陛下にご裁断いただけましたら、私から申し上げることは何もございません。ただ一件の当事者として申し上げるなら、元王太子派と無関係なセリヌエール公爵夫妻がこの件で害を被らぬよう、私から申し添えさせていただきます」
「寛大な言葉を感謝する。フォンクラークの公爵夫妻には無論、疑いの余地などない。むしろ警備を手厚く配慮させていただく所存である」
よかった。ここで二人が罪人扱いされてフォンクラークの内情までぐちゃぐちゃにされては困るからね。
「公女殿下は皇太子の婚約者とはもう顔を合わせたのかしら?」
「いいえ、皇妃陛下。殿下には先んじて紹介したいとお招きいただいたのですが、式前に城内で花嫁にお目にかかるわけにはいきませんもの。ご遠慮させていただきました」
「はぁ……親しい間柄とはいえ、式の前日では花嫁も緊張しているでしょう。負担をかけてはなりませんよと言ってあったのですが。公女殿下にご配慮いただき感謝いたしますわ」
この様子だと皇妃様は、あるいはリディアーヌにあまりヴィオレットを引き合わせたくないのだろう。紹介とやらが反故になってよかったと言っているかのようだ。
本当に、ただヴィオレットを気遣っているだけなのか。あるいは皇太子の“女友達”であり“元求婚相手”という微妙な立場であるリディアーヌを警戒しているのか。
「良い機会ですから、少々お伺いしてみたいことがあるのですけれど」
「何かしら?」
顔を見合わせた二人の内、皇妃陛下が答えた。相変わらず、この夫婦の力関係は皇妃陛下が上のようだ。
「私は友人の結婚を喜んでいますし、邪魔するつもりも嫉妬する予定も全くなく……」
「あら、嫉妬はくらいはしてあげてくださいな」
ごほんっ。
「する気はないのですが。とはいえ、一体何故、殿下はヴィオレット嬢を選ばれたのでしょう?」
その問いには、皇王がたちまちしどろもどろになり、皇妃の方はじぃっと何かを見定めるかのような静かな視線を投げかけてきた。こうやってみると、やはりアルトゥールは皇妃様似だ。黙った顔がよく似ている。
「何故、と仰いますか? そうですね……それは私共も、我が子ながら皇太子に何故と問いたいですし。むしろ公女殿下の方が何かあの子から聞いているのではないかしら?」
「それがどうしたことか。“真心に絆された”、だなんて言うんですよ。はぁ……“利益に目が眩んだ”と言われた方が納得できるというものです」
「……」
さすがに皇妃様も言葉が無かったようだ。
「そのあたり、どうお見えになられているのか聞いてみたかったのですが……」
「それはきっと、見た方が早いでしょう。中々、似合いなのですよ?」
ふむ。じゃあ質問を変えようか?
「ですが仮にもベルテセーヌを混乱に陥れた張本人でございましょう? よくお受入れになったと驚いているのです。どうしてなのでしょう? あぁ、批難しているのではありませんわ。ただ未婚の公女として、親の意見というものをお聞きしてみたいのです」
これには二人が再び視線を交わした。
さぁ、どんな返事が返って来るのか。そう待ち構えていたのだけれど、どうしたことか、それには皇王陛下の「どうにもこうにも」という言葉と重たいため息になって返ってきた。
「リディアーヌ公女。そなたが原因ではないか」
「はい?」
何故?
「これまでも何度もあったことだが、昨年はどうやら手酷くうちの皇太子の求婚を断ったと聞く。それで自暴自棄にでもなったのだろう」
「お待ちください、皇王陛下。ちっとも話がみえません。求婚? 手酷く断った? 全く身に覚えのない話です」
「皇帝陛下から直々に、何を言われようとも公女は求婚を受けぬそうだから諦めろ。二度と求婚を繰り返すことは許さない、といったきついお言葉があった。皇太子も何やら言い諭されたらしい。そなたが陛下にそうするよう言ったのであろう?」
「……はい?」
なんですって? いや、まぁ確かに、皇帝陛下とそんな話はした。少々怒りに任せ、絶対にありえないと断言した。だがそんなきつい物言いになったのは、皇帝陛下があまりにも恥知らずに自分の罪を棚に上げてリディアーヌを手駒にしようとしたからだ。それがどうして、リディアーヌのせいみたくなって、勝手にクロイツェン側に指示が出ているのか。
「取り合えず誤解があったことは分かりましたわ。確かに昨夏、皇帝陛下とそのようなお話はしました。でも私から指示だなんて、そんな恐れ多いことは致しませんし、そんな手酷い拒絶の仕方もしていませんわ。きっと私の意志が固いと判断した皇帝陛下のご判断なのでしょう。そもそも、私が陛下とそのようなお話をしていた頃、殿下はすでにフォンクラークでヴィオレット嬢のもとに通い詰めていたと聞くではありませんか。私が原因と言われるのは納得いたしかねます」
それは、と再び顔を見合わせた両陛下の内、今度は皇妃様が頬に手を当て吐息をこぼした。
「私達もあの時は一体何事かと思ったものですよ。初めて紹介された時には、彼女があまりにも貴女に似ているから、皇太子もついにおかしくなってしまったのかと」
「私と似ている? そういえばヴェラー卿もそんなことを言っていましたけれど」
「今思えば、そんなに似てはおりませんわね。表情や雰囲気がまるで違いますし、公女殿下は本当にお美しくご成長あそばされましたもの。ただ髪の色……いえ、横顔? 後姿、かしら? そっくりではないのだけれど、やはりどこか近い系統だとは思うの」
「まぁ、ヴィオレット嬢と私は遠縁に当たるはずですから」
本当は従姉妹なのだけれど。とはいえ、似ていると言われてもピンとこない。
リディアーヌの実父とヴィオレットの母は父親が同じだが、特にうちの父の方は百人が百人認めるほどの母親似なので、母親違いのブランディーヌとはまったく似ていない。だったらリディアーヌがヴィオレットと似ているというのも気のせいだと思うのだが。
「あの子は私達でも何を考えているのか理解しきれないところがあります。でも公女殿下以外にまったく見向きもしなかったあの子がようやく結婚などと口にし始めたものだから、つい手放しに認めてしまいましたわ」
「そうでもしないと、本当に、一生独身でいそうだったからな」
つまり妥協だったと? いくらなんでも自国の皇太子、それも皇帝戦に出そうと期待をかけている皇子の相手に適当が過ぎないだろうか。
皇王はともかく、根っからの謀略家である皇妃がそんなことで結婚を認めるはずがない。アルトゥールの意思を確認した上で認めたはずだ。
だからこそ“どういうつもりなのか”を聞きたかったが、やはりそう簡単には口にはしてもらえないか。
「まぁ……そう仰るのであれば、そういうことにしておいても宜しいですけれど。ただ両陛下は、彼女がヴァレンティンにとって少なからず心証の良くない人物であることは、ご承知の上でお認めになったのですよね?」
「ヴァレンティンにとって、ですか?」
そもそも皇妃は昔からリディアーヌのことを警戒していた。皇太子の友人として、また選帝侯家の公女として特別に遇されていたし、大事にもてなされてきた自覚はある。だが同時に、おそらく皇妃は義父である皇帝陛下が犯した罪の事を知っていて、リディアーヌがそれにどんな感情を抱いているのかを知っている。だからリディアーヌを皇太子妃とすることについては反対派だったはずだ。
だからアルトゥールがヴィオレットを連れてきた時、リディアーヌでないのならばと手放しに歓迎したことも考え得る。しかしそれをリディアーヌが、アルトゥールと親しいリディアーヌやベルテセーヌの王女であったリディアーヌではなく、ヴァレンティンの公女として遺憾だと言うとは思っていなかったようだ。
やはり皇妃もまた、ヴァレンティンがどれほどヴィオレットの残した混乱に迷惑をしているのか……そして彼女の生家とヴァレンティンが抱えている確執を、理解しきれていないのだろう。
だが国と国の関わる大事である以上、“知らなかった”で済ませられるものではない。今更、安直に決めました、なんて理由も通用しない。そしてようやくヴァレンティンにとって好ましくないことを知ったところで、今後、彼らがヴィオレットを庇うことはあっても放逐することは無い。すでにそうは出来ないだけの祝い客が、この皇城に集まってしまっている。
だからこれは、覆すことのできない今後の影響に対する忠告だ。
「彼女がきっぱりとベルテセーヌと縁を切るというのであれば、私共も何ら遺憾に思うことはありませんわ。私も、友人の結婚で友人と疎遠になりたくはありませんから。ただ彼女がクロイツェンの人間になりながらも旧縁を利用してベルテセーヌを搔き乱さんとするのであれば、長年ベルテセーヌを庇護してきたヴァレンティンの心証がどうなるのか。語るまでもないかと」
「……そう、ですわね」
「そのあたり、果たして、ヴィオレット嬢はどう考えているのか……皇妃様が正しく皇太子妃殿下をお導き下さることを期待しておりますわ」
「公女の忠告は、心して受け取りましょう」
本当に。心から、皇妃様にはしっかりと嫁指導をしてもらいたいものである。
まぁ、ヴィオレットのせいでクロイツェンがどうなろうが……そんなことは、知ったことではないのだけれど。
「それでは、私はこれにて失礼させていただきますわ」
「あぁ。どうか、滞在を楽しんでもらいたい」
「そうそう。ベネディクタが随分と公女殿下にお会いするのを楽しみにしていたのですよ。今夜の夜会で是非とも声を掛けたく思っているようでしたから、宜しければ付き合ってあげて下さいませ」
「私も皇女殿下にお会いするのをとても楽しみにしていました。色々と贈り物も持って来ておりますから、是非お声を掛けさせていただきますわ」
幸いにして退出の挨拶は和やかな雰囲気で出来た。
とはいえ、謁見室を出るや否や、象っていた笑顔はヒュンと消え去った。
「皇妃陛下は分かってとぼけていらっしゃるのか、実際に知らぬ情報を吟味されていたのか。中々読ませてはくれない御方ですね」
「でも少なくとも息子のやっていることを分かっていながら黙認しているようだったわ。トゥーリには私の怒りが伝わってくれていないようだし、今少し、皇妃様方にも私達がヴィオレット嬢に対して不信感を抱いていることは印象付けて行きましょう」
「そうですね」
ポソポソと小声で会話をこぼしながら謁見室前の長い階段を降りて行く。
分かってはいたけれど、ただの挨拶なのにすでに疲労感を禁じ得ない。
「さぁ、早く帰って次の支度を……」
「あっ……」
その上、あと少しで扉という所で、不意に耳に届いた女性の声がリディアーヌの足を止めさせた。
思わずくるりと振り返ってしまったのはこの疲労感のせいなのか。
リディアーヌは振り返ってすぐ、それを後悔することになった。




