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3-9 謁見(1)

 この迎賓館は、一館二棟ずつの二館仕立てになっている。客人の格や人数なんかによって使い方も変動するのだろうが、少なくとも四つの団体が同時に使用できる仕様だ。

 館ごとに共有のホールと、両館の間に四棟共有のスペースがあるが、階段を上がってそれぞれの棟に入ると、そこが独立した一つの建物のような構造になっている。

 階段を上がってすぐの広い廊下には、アルトゥールが言っていた通り、この棟の担当になっているらしい使用人達が十分な数並んで待っており、リディアーヌが顔を出すと綺麗にそろえて頭を下げた。


「ようこそお出で下さいました、ヴァレンティン公女殿下。この棟を担当させていただきます、エリーゼと申します」


 先頭で名乗りを上げた女性には見覚えがあった。四年前にこの棟に滞在した時も担当してくれたメイドだと思う。

 きつく結わえた髪は綺麗なグレーに染まり、おそらく初老に差し掛かろうかという年の頃なのだろうが、キリッと背筋が伸びている。元々皇妃様付きの侍女であり、アルトゥールの乳母をしていたこともあるという女性だったはずだ。


「見知った顔ね」

「ご記憶いただき、光栄にございます」

「殿下が気を利かせてくださったのかしら。今回も滞在中、宜しくお願いするわ。ただ、人が多いのは好まないの。上は基本的にうちの者達だけでまわさせるから、最低限のことだけお願いするわ。うちの侍女や侍従達の指示を受けてちょうだい」

「かしこまりました。どうぞ何なりとお言いつけ下さいませ」


 皆が指示通りに承る様子を伺いながら、ひとまず「こちらにどうぞ」と言われたすぐ傍の応接室に入った。荷を運び入れ部屋の準備が整うまでここで待つことになる。

 ロベルトに地階と二階、フランカに三階の差配を任せたので、文官達と護衛騎士、それにマーサだけ連れて入り、クロイツェンの者達には最低限の準備だけを頼んで下がらせた。

 するとすぐにマーサが手持ちのトランクを開けて、持参していた紅茶の缶とティーカップを並べ、お茶の支度を始める。

 リディアーヌは人一倍毒に敏感なので、用意してもらった水も使わない。エリーゼの案内に着いて行ったベレニーが水場を把握し持ってきてくれたので、それを使う。手間と時間はかかるが、リディアーヌに仕える者ならば皆が(わきま)えていることである。


「それで、フィリック。先ほどのメモは? 招待状が積みあがっているので調整したい、とのことだったけれど」

「こちらの迎賓館だけでなく大使館の方に向かったシュルトが持ち帰ったものもあります」


 そういうフィリックの視線を受けて、早速手紙の仕分けを始めていたマクスが銀盤にずらりと積みあがった招待状を差し出してきた。

 一応、重要度別に並んでいるはずで、一番右には紅い封蝋の封筒が。一番左はおそらく縁の薄いどこかの貴族からのものだろう。おそらく盤に乗る程度にはすでに取捨選択された後なはずだ。ただ、なぜか手紙の下敷きに、書類の束が見えるのがいつもと違う所だ。


「その書類は?」

「大使から預かってきました諸々の目録でございます。後ほどご確認いただけたらと。フォンクラーク、ベルテセーヌ、シャリンナ、セトーナ、リンドウーブなど王家。あとは各国大使や、遠くは南大陸の王族からも参っております」


 積みあがった招待状の名前は、つまり皇太子の結婚に駆け付けたついでにヴァレンティンとも(よしみ)を結びたがっている王侯貴族の名簿でもある。到底すべてを受けることはできないが、まずは一つとして逃すことなく名前を記憶していった。

 フォンクラークのものは、王弟セリヌエール公爵からの手紙だった。一つ格を落とした淡紅と一つ蛇の紋章の封。ベルテセーヌの方は濃い紅に国章であるグリフォンが押された封なので、ベルテセーヌ王室の直系として王子の号を授かったセザールからの手紙だろう。格という意味ではセザールの方が高くなっているはずだがフォンクラークからの手紙が一番上に置かれていた辺り、マクスの考える“重要度”は相変わらず冷静だ。


 すぐに封を切って中を閲覧すると、どれもおよそ想像通りのことが書かれていた。

 特にフォンクラークとベルテセーヌはどちらもできるだけ早くお会いしたいという類の面会の申し出になっていた。フォンクラークの方は、『先日の一件についてどうか謝罪とご相談をさせていただきたく』と、確かに優先度の高そうな内容だ。


「個別に時間をお取りするとして、精々二つか三つと言ったところでございますが。如何いたしますか?」


 二つか三つか……なんて思っていると、「前夜祭のお仕度の時間をお忘れなく」とマーサが急ぎ口を挟んだ。

 予定より遅く着いたせいで、今日は予定が立て込んでいる。この後、皇王陛下に謁見をすると、夜には夜会なので、当然ながらそのための身支度に時間がいる。侍女様の前で、“適当に”だなどとは言えない。

 となると一つくらいしか面会できそうもない。今日の夜会にはおよそすべての来賓も出席しているだろうから、面会できない所とはここで立ち話をすればいい。だったら面会すべきは、じっくりと腰を据えて話さねばならない相手だ。


「だったらフォンクラークを優先しましょう。もし今少し時間が取れるようならうちの大使と情報の擦り合わせをしたいわ。セザールは……後回しね」


 フォンクラークを優先することはうちの文官達の意にも適ったようで、特にフィリックからも意見は出ず、マクスも「かしこまりました」と首肯した。


「マーサ、夜会の支度は謁見後すぐでも用意は間に合うかしら? 先にある程度仕度を終えてから、公爵夫妻はこの迎賓館にお招きしたいわ」

「急ぎ整えてお待ちいたしますが、それでしたら謁見には……」

「どのみちフィリックしか謁見の間には入れないわ。マーサとフランカはこちらで準備を優先してちょうだい」

「本来なら侍女も伴わず登城はなさるべきではないのですが……」


 仕方がありませんね、とマーサが頷いてくれたので、これでひとまずの予定は決まった。

 話している内にもシュルトが危急の用件に用いる品を詰め込んでいた手持ちのトランクから、便箋と封蝋の準備を整えてくれたので、この場でフォンクラーク宛ての招待状を書く。内容を確認したシュルトが、伝達と同時に大使館にも予定を伝えてくれるだろう。


「アンジェリカ嬢はどうします?」

「クロイツェン内でウロウロさせるわけにはいかないから、基本的には全ての行事に対して留守番よ。迎賓館の中はベレニーが仕切ることになるでしょうからベレニーに任せましょう。この棟を任されたメイド長のエリーゼ夫人は、まず間違いなくトゥーリに棟内の監視を任されているわ。極力婦人の目にも触れさせないよう、気を付けさせて」

「かしこまりました」

「こちらの警備責任をノードレットに任せるわ。エリオット、ノードレットにはクロイツェンのメイド達の動きにも目を配るよう伝えておいてちょうだい」


 そう今後の差配をしている内に、早くも三階から降りてきたフランカが「お部屋が整いました」と声をかけに来た。

 謁見の準備にも時間がかかるので、ゆっくりと話し合っている時間もない。皆には「遠慮はいらないから、三階にも好きに出入りしなさい」とだけ言って、情報の速度を優先するよう申し伝えておく。

 ただし三階はリディアーヌだけでなく他の側近女性達も部屋を使う。うちの男性側近達のことは信頼しているが、くれぐれも彼女達の部屋には押し入らないよう、マーサの旦那であるエリオットにしっかりと言いつけておいた。


 迎賓館の二階と三階はほぼ同じ作りで、一番奥にメインルームがある。夫婦でも泊まれるような部屋だから、ベッドもテーブルも大きく、部屋も広い。居間と寝室は軽く仕切りで部屋が区切られているだけのワンルームだが、水回りとドレッシングルーム、広々としたクローゼットルームなども付随していて、内扉で寝ずの番用の小部屋と、奥の部屋とも繋がっている。

 奥の部屋は何ならメインでも使えそうな広さで調度品も格式高くそろえられた部屋だが、今回はここを侍女の責任者であるマーサが使う。

 あとは前の廊下に面してある部屋の内、広い部屋をイザベラとフランカ。小さめの部屋をベレニー。まだ二つほど部屋数には余裕が有ったので、ベレニーに、隣をアンジェリカに使わせるよう指示しておいた。残りは第一騎士団から連れてきた護衛騎士用か。


 四年前とは少し趣きの変わった部屋に、すでにフランカが日用の品を各所に配置してくれていて、クローゼットルームにも持ってきた服がずらりとかけられていた。トランクに詰めてきたものなので、すぐに使うものだけも早急に皺伸ばしをする必要がある。

 フランカがそれに従事している間にも、ベレニーがクロイツェンの下働き達に指示を出して湯を運ばせ、浴室を整えてくれていた。湯が溜まりさえすれば、あとはマーサとベレニーだけでいい。早々とクロイツェンの者達は下がらせ、お湯で旅の疲れを癒す。

 謁見用のドレスは柄のないシンプルなものが基本だ。それから今回は大公代理として招かれているため、国章のあしらわれた紫紺の最も格式高い色のマントを堅苦しく肩にひっかけ、大公家に代々受け継がれている大きなブルーサファイアがあしらわれたブローチで留めた。

 髪は上品に結い上げて、髪飾りは服に合わせた青のレースだ。この、やや紫がかった深い青が、選帝侯家の象徴色であり、帝国の禁色でもある。


「はぁ……やはり姫様は、シンプルながらもこういった気品のある装いが一番お似合いになりますね。私も()()れてしまいます」


 うっとりしながらもテキパキとドレスの裾を整えるフランカに、「それは有難う」なんて言いながら、最後にマーサから紺の羽のあしらわれた扇子を受け取って、パサリと開いた。

 我ながら……どこぞの悪役か黒幕のようである。ごほんっ。


 部屋を出て階段を下りるとすでに正装したフィリックが待ち構えていた。本来ヴァレンティンの筆頭分家であるアセルマン侯の子息というのは本人が使節になってもおかしくない身分なので、今回はリディアーヌと同様に使節として知らせてある。そのため皇王陛下への謁見にはフィリックも同席することになる。そのための正装だ。

 大公家の直系ではないから紫紺は纏っていないが、色を落とした青の綬が、彼が選帝侯家の一員であることを示している。

 普通、未婚の女性は婚約もしていない結婚適齢期の未婚男性をパートナーにはしないのだが、事実上、マクシミリアンと約束していない場所ではフィリックがパートナーという事にもなる。また妙な誤解が増えそうだが……まぁ、フィリックなら問題あるまい。


 馬車で皇城内を進み本城の正面で降りると、仰々しい出迎えがリディアーヌを中へと誘った。この城でクロイツェンの皇王に謁見するのも二度目だから、勝手知ったるものである。

 謁見室前のホールにやってきたところで、ちょうど中から同じような紫紺のマントと宝飾を纏ったマクシミリアンと行き合った。彼の方が先に謁見していたようだ。


「やぁ、リディ。深い紫紺に銀の髪が映えて、一段と美しいね」

「ミリムこそ。堅苦しいその装いが、やっぱり一番貴方に合うわ」


 軽く言葉を交わしたところで、すぐにも扉前の侍従がそわそわとリディアーヌを見た。皇王がお待ちなのだろうが、かといって極度にそれを配慮せねばならない家柄でもない。


「先ほどは誘いを断るのに乗ってくれて有難う」

「いや。断ってくれてよかったと、私も文官に色々と押し付けられたよ。こっちの縁戚がわらわらと押しかけてくるようだ。リディは?」

「私はとりあえずフォンクラークね」

「ふふっ。ナディ?」

「友達の顔を見たいからって選んだわけじゃないわよ?」


 そう口にはしたものの、セリヌエール公爵夫妻と面会するということは、友であるナディアに会うということでもある。それを思うと、少しくらいは楽しみも感じるかもしれない。


「てっきりベルテセーヌかと」


 そうひんやりとした笑みを浮かべたマクシミリアンに、軽く笑ってその肩を叩いた。


「彼は心配しないといけないような相手じゃないわよ。また後日、紹介するわ」

「そうして貰いたいね」

「今夜はエスコートしてくれるのでしょう? 待ってるわ」

「喜んで」


 行き交う人たちがチラチラとこちらを見ている。謁見室の前だなんて、ちょっと通りがかるような場所じゃないはずなのだが……流石に“紫紺”が二人も固まっていると目を引くのだろう。そろそろ別れるべきか。


「じゃあ後で迎えに行くよ。また後ほど」

「ええ、また」


 簡単に別れの挨拶をしようとしたところで、さっと手を取られ、甲に口付けられた。

 まるで見せつける様ないたずらに、「また……」と呆れた顔をする。案の定、きゃっ、わっ、とざわめいた人たちが慌てて顔を背けて霧散していった。

 あぁあぁ……きっと今すぐにでも、アルトゥールの耳に入るだろうな。

 ひらひらと手を振って去る後姿に苦笑をしつつ、改めて、「待たせたわね」とフィリックを見やる。

 この数日でフィリックもいい加減、東大陸男の馴れ馴れしさには免疫ができたらしく、もう表情すら変わらない。ただ「隙を見せすぎなのでは?」とだけ呟いた。

 心外である。隙とかではなく、彼らはごく当たり前のような雰囲気でそう誘導してくるから厄介なのだ。

 そしてその雰囲気に慣れてしまっている自分もいる。どうしようもない。


「ん? そういえばミリム、パートナーを連れていなかったわね」

「最初から、うちの姫様以外エスコートする予定が無いと言わんばかりですね」

「……」


 謁見の間で一体マクシミリアンは何を皇王陛下と話したのか。

 詳しく、聞いておくべきだっただろうか。






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