3-7 マクシミリアン(3)
そのまま一階の食堂を出て階段を上りすぐ傍の応接室に入ったところで、早々とフィリックが人払いした。
この館の者やクロイツェンの者がいつ入って来るとも分からない食堂という共有の場所と違い、応接間は取り次ぎなしに関係のない人間は入って来られない。イザベラが扉の外を守り、エリオットが中を守り、あとはマーサとフランカ、フィリックがいるのみだ。マクシミリアンも、最側近の他は部屋の外に出させた。
向き合ってソファーに座るや否や、「失礼します」と声をかけたマーサがお茶の準備をするべく、二人のメイドを伴って入ってくる。
カートを押しているのはベレニーで、その後ろから入ってきたのは……リカと名乗っているアンジェリカだ。
ベレニーがお茶を淹れる中、アンジェリカは必死に背を向けようと立ち位置を調整しながら、盆にミルクと砂糖を並べる。淹れ終わったお茶は、普通は補佐をしているリカが持ってくるべきものだが、そこは機転を利かせたマーサが自ら受け取り、手慣れた所作でテーブルに置いた。
相手の身分を慮ったと思えば、侍女が自ら給仕を行ってもおかしくはない。お茶を置いたマーサはそのままメイドの二人に退出するよう促した。
きちんと頭を下げて、ベレニーに連れられたアンジェリカが部屋を出て、パタンと扉が閉まる。
閉まってから……。
「というわけで。先程の必死に背中を向けてバレないよう頑張っていた茶色のウィッグのメイドが、ベルテセーヌ王子クロード殿下の許嫁のアンジェリカ嬢よ」
「……」
キョトンと目を瞬かせたマクシミリアンに、嘘は言っていません、とばかりにしれっとした顔をしていたら、ぎゅん、と彼の視線がマーサを向いた。何故マーサに再確認するのだろうか。解せない。
取り合えずマーサもコクリと頷いた。
「リディ……君が聡明であることは疑いようもなく私が良く知っているんだけど。これは何かな? えーっと。どうしたものかな。君の考えがちっとも読めないんだけど」
「誤解しないで欲しいんだけど、私が連れて来たんじゃないわ。あろうことか下働きに扮して、“潜り込んでいた”のよ。ちなみに乗る竜車を間違えて、貴方が昼間救助に助力した“荷馬車”側に密航していたらしいわ。私もついさっき知って、今は“気が付いていないふり”を鋭意努力中よ」
「というかどうして君の所に彼女が?」
「色々とあったのよ……まぁ、何というか。基本的に全部、“トゥーリ”のせいで」
「私達はちょっとお互い、包み隠さず情報整理をした方がよさそうだ」
「ええ、そうしましょう。私もそうしたいと思っていたところよ」
そうとりあえずお茶を一口飲んで唇を湿らせたところで、改めて互いに背筋を伸ばした。
「私が知っているのはせいぜい、トゥーリが最近派手にベルテセーヌにちょっかいを出してヴァレンティン家を引きはがそうとしていることと、フォンクラークで見つけたらしいベルテセーヌの厄介の種を皇太子妃にしようとしていること。そのついでにまたベルテセーヌを何かと追い詰める算段に明け暮れていることくらいなんだけど」
「大体その通りよ。そういえば、ザクセオンに“クロード王子廃太子”の情報は入っているのかしら?」
「何? そこまで話が進んでいるのか?」
どうやらまだだったようだ。
アルトゥールはクロードの失脚もシナリオに描いているものと思っていたが、ヴィオレットの存在感を印象付けるためには成婚後にまで廃太子劇は引きのばしておきたかったはずだ。東大陸でクロードの情報が広まっていないのは、クロイツェンが敢えて口を噤んでいることも一因かもしれない。
「ベルテセーヌで今、ヴィオレット派とかいう集団が暗躍していることは手紙で知らせた通りよ。アンジェリカは騒動に巻き込まれて逃亡する途中、偶然居合わせたヴァレンティン行きの船に保護されて、うちに転がり込んできたのよ。クロード王子の方はそのままヴィオレット派と武力衝突になったという情報を最後に行方不明になっていて、本人不在のまま廃太子宣言が行われたわ。次の王太子は決まっていなくて、今回の婚儀には国王庶出のセザール王子が出席する予定だそうよ」
「いきなり情報過多だな。そのヴィオレット派の裏にはトゥーリがいるという話じゃなかったか?」
「どこまで関与しているかは分からないけれど、少なくとも何かしらの加担はしているわね。アンジェリカ嬢と一緒に情報に通じた昔馴染みを一緒に拾ったから、おおよそ何が起きていたかは把握しているわ」
「今更トゥーリが他人をどう扱おうが驚かないけど、それで実際に廃太子が起きたということは、ベルテセーヌは元々煽られれば簡単に折れるような状態だったということだろう?」
「それについては言葉も無いわね。こちらからも散々情報をあげたのに……」
国王やクロードにそれを活用できるだけの地力はなく、セザールなんてそれをいいことにヴィオレット派を半ば躍らせたまま兄達の復権の計略なんて働いていた。
思い通りに行ってくれない上に厄介事と心配事が増えただけで、まったく予定外だった。
「ただベルテセーヌの暴動の原因とやらについては少し思う所があるの。アンジェリカに引き合わせたのは、私の持つ情報が彼女自身から得た情報であると証明するためよ」
「というと?」
「ヴィオレット嬢個人の性格なんかは会えば分かるでしょうから割愛するわ。とりあえず話しておきたいのは、ヴィオレット嬢とリベルテ商会のこと。その商会でヴィオレットが何をしていたのか。それから追放に至るまでの話ね」
それから、以前アンジェリカから聞いた話をいくつか掻い摘みながら説明した。
ヴィオレットが王太子の許嫁とは思えないような、何なら反逆を疑われかねないような偽善という名の危険行動をとっていたこと。最終的に国内に大きな自分の腹心達という爆弾を残したまま去っていったこと。どうやら最初から“王太子なんていらない”と発言していて、婚約破棄と国外追放を見越した行動をとっていたらしいこと――。
極力私情を挟まないよう事実だけを述べるよう気を付けたが、それでもリディアーヌが何を懸念しているのかは伝わったはずだ。
案の定、黙って話を聞いている内にも、日頃温厚すぎるほどに温厚を装っているマクシミリアンの面差しはどんどんと険しくなっていった。
「といったところかしら」
「……なるほど。君が懸念するわけだ」
「アンジェリカの話を聞く前からちょっと意味が分からない情報が多かったのだけれど、聞いてから益々困惑しているわ」
「ベルテセーヌの混乱にはトゥーリだけじゃなくヴィオレット嬢も一枚噛んでいると?」
「どうかしら? 彼女を知る人の大半が復讐なんて考えそうな人じゃないというし、ましてやアンジェリカなんて、“嬉々として出て行ったのはヴィオレット嬢なのに、どうして復讐なんて話になるのか?”って首を傾げるんだもの」
「嬉々として……というのが引っかかってならないな。その頃からトゥーリと通じていて、計画済みだったとか?」
「それはないと思うのだけれど。ヴィオレット嬢がトゥーリと出会ったのはフォンクラークのパン屋で、最初は互いに互いを誰とも知らなかったらしいことには証言があるの」
「……パン屋?」
「パン屋よ」
「パン好き……なの?」
「ええ。作る方らしいけれど」
「……そういえば最近クロイツェンで何やら変わったパンが流行っているとか」
「ヴィオレット嬢の功績でしょうね」
「……皇太子妃はパン職人か何か? え? いや、でも。え?」
混乱甚だしいマクシミリアンが珍しくも狼狽えた様子を見せるものだから、「気持ちはものすごくよく分かるわ」と頷いた。リディアーヌも、話を聞いた時には全く同じ反応をした。
「リディ……馬鹿なことを聞くけれど、実は本物のヴィオレット嬢はすでに死んでいて、トゥーリはただ姿形がそっくりなパン屋の娘をヴィオレット嬢に見立てて利用しようとしているだけという可能性はない?」
「大変残念なことに、間違いなく本人よ。本人を知っている人物がすでに確認しているわ」
ペステロープ家のマグキリアンを見知っていた時点で、そのパン職人はただのパン職人では有り得ない。そして少なくとも半年以上ヴィオレットの傍にいたマグキリアンが彼女をヴィオレットであると言った以上、やはり本人なのである。
「聞く限り、ただの凡庸で甘ったれたお嬢ちゃんかな、くらいにしか思っていなかったんだけど。それはそれでトゥーリの神経が分からなかったが、リディのおかげでさらに分からなくなってきた」
「後払いでも十分な見返りになったでしょう?」
「あぁ。十分すぎて、どうしたものか……」
「ついでにもう一つ、最新の頭が痛くなる情報があるのだけれど」
「これ以上に?」
「ええ。きっと貴方もこれを聞けば、表情すら取り繕えなくなってくれるんじゃないかというくらい、衝撃的な」
「……いいよ。聞こうじゃないか」
まぁこれは、どうせ断るつもりの話なのだけれど。
「ベルテセーヌの王室は混乱に混乱をきたした上に次の王太子も決められず、この通りアンジェリカまで“行方不明”状態でしょう? そんな中、よりにもよってヴィオレット嬢の結婚式に招待された」
「あぁ。冷遇は確実な中で。実際、トゥーリはすでに手を打っていたしね」
「だからベルテセーヌ王はクロイツェンに喧嘩を売るべく、クロイツェンがご執心の相手を味方につけて権威を保とうとしていてね」
「……ちょっと待って、リディ。すでにものすごく嫌な予感が……」
「出掛けの直前、よりにもよってヴァレンティンに、今回の使節になっている王子からヴァレンティンの公女への求婚状が届いたわ」
「はぁぁぁ……」
ほらね、言った通り。
顔を両手で覆い隠して天井を振り仰いだマクシミリアンは、それからしばらくの間黙りこくった。
しかし待てど待てど、中々マクシミリアンは顔を下ろさず、天井を仰ぎ続けている。
大丈夫かしら。この人。
「えーっと。ミリム?」
「……無理。何か、もう色々と。無理」
「……」
こんな反応は初めてだ。ちょっと色々と想像の度を越えたようである。
「正直……君が巻き込まれているといったって、君のことだ。トゥーリとこじゃれている程度のことだろうとか……そんなくらいにしか思っていなかった」
今なお顔を覆ったまま呟くマクシミリアンに、「まぁ、仕方がないわね」と肩をすくめる。ザクセオンとヴァレンティンには、それだけの物理的な距離がある。
「でも今実感した。この上なく、実感した……」
「私がどれほどトゥーリに煩わされているのか?」
「リディ。こう言っては何だけど、多分トゥーリ本人も気付いてないよ」
「え?」
ふぅと息を吐いてようやく視線を下ろしたマクシミリアンは、頗る同情するといった様子でリディアーヌを見やった。
「自分の仕掛けたベルテセーヌへの計略に、そこまで君が巻き込まれていることに」
「いやいや、まさか……私がこの一年、トゥーリのせいでどれだけ大変な目に遭っていると?」
「気付いていたらそんな愚策は打たないよ。確かに私達の悪友は悪友という名に恥じない皇子様だけど、悪友なりに君が大事なんだから。自分の計略のせいで、まさか自分が歯牙にもかけていないような相手と君が結婚するかもしれないだなんて悪夢……有り得ない」
ぞっとするような低い声で呟いたその言葉は、アルトゥールがそうだと言っているのか、それともマクシミリアンが“有り得ない”と思っているのか……あまりに冷ややかな声色だったものだから、つい聞きそびれてしまった。
「それに君を怒らせると恐ろしいことになるのは、君の悪友達が一番よく知っているんだ。いくら何でも、トゥーリもそこまで怖いもの知らずな計略は立てないよ」
素の出てしまった声色を取り繕ったつもりなのかもしれないが、実に余計な附であった。
誰が怒らせると恐ろしいって?
「リディ、考えて欲しいんだけど。今回の件で君は間違いなく、トゥーリへの心証を損なっている。それは手紙からも十分伝わった。でもその損なった原因は、何?」
「そりゃあ相変わらず、いいように私との噂を利用して、それを隠れ蓑によりにもよってベルテセーヌのヴィオレット嬢を手駒にベルテセーヌで混乱を……」
「前者については、いっちゃあなんだけど、“いつも通り”だ」
「……ええ、いっちゃあなんだけど、ね」
それにはマクシミリアンも苦い笑みで頭を抱えた。
「そして後者については、“ベルテセーヌに対する計略”だ」
「ええ。だからそのせいで私は……」
言いかけてすぐ、ふと口を噤んだ。
そう。確かにそれは、ヴァレンティンではない。ベルテセーヌに対する計略だ。
ヴァレンティンでは、周辺の皆が当たり前のようにリディアーヌとベルテセーヌの間の“事情”を知っている。だから、頭の中からその結びつきを外すことが難しかった。
でもマクシミリアンは知らない。だからこそ、リディアーヌの言葉の“奇妙さ”が引っかかったのだろう。
その言葉にはリディアーヌばかりでなく、フィリックもまたハッとして目を瞬かせていた。
「確かにヴァレンティン選帝侯家は代々ベルテセーヌ王室を後見していた家柄だ。でもリディにそんな話が舞い込んでいるなんて事情を聞くまで、私も、どうしてリディがそこまでベルテセーヌの件に巻き込まれているのか、あまり理解できていなかった」
「まさか……トゥーリも?」
「トゥーリがどれほど理解しているのかは知らなけど……でも多分、そこまで君を怒らせていることに気付いてないと思う」
「でも私、トゥーリからの使者にどれほど迷惑しているかを散々伝えて、ついでに意地悪に追い返したわよ?」
「いや、それは結構、“いつも通り”では?」
「ちょっと」
その言葉については心外である。だがマクシミリアンの言わんとしていることは伝わった。なるほど……まさか認識にそんな齟齬があっただなんて。
言われてみれば確かにそうだ。リディアーヌがこの件で何に煩わされているのかというと、“廃太子妃”であり“聖女”であるという、“リディアーヌ王女”の事情が大きい。
国王との関係しかり。ブランディーヌ夫人との関係もまたしかり。
一応手紙ではヴァレンティンはベルテセーヌと深い関係であることをアピールしたし、度が過ぎればこちらも度の過ぎた対応をすると忠告した。その上で、一度決めたのなら精々ヴィオレットを最後まで責任もって遇するようにと、ちょっと余計なことも書いた気がしないではないが、ベルテセーヌにリディアーヌも無関係ではないことは主張したつもりだ。
しかしそれでは言葉が足りなかったのかもしれない。
思えば使者としてやってきたヴェラー卿にも、自分がどう困っているのかなんていう話は全くしていない。あの時はとにかくヴィオレット嬢の情報収集を優先していたから、執拗にヴィオレットがどんな人物なのかを聞き出すことに注力していた。
リディアーヌにとってはそれで充分、リディアーヌがヴィオレットのことやベルテセーヌのことを憂慮しているアピールだったのだが、あるいはヴェラー卿には、突如恋人の存在をほのめかした友人のお相手に嫉妬し、リディアーヌが二人のことを根掘り葉掘り聞きたがっていただけにみえたのかもしれない。
あぁ、なんてことだ。それは大いなる誤解だ!
「ところでリディ。そのベルテセーヌとの縁談は……」
「保留中よ。分厚い苦情はすでに送った後だけれど」
「保留……」
「ミリム、貴方もしクロイツェンの内政がガタガタで他国からの計略に振り回されるくらい情けない状況になっていたとして、命からがら助けを求めてきたクロイツェンをすげなく見捨てられる?」
「……いいや。そんな浅い関係じゃないからね」
「でしょう? うちとベルテセーヌもそうよ。伯母様はベルテセーヌ王室に嫁いでいるし、曾お祖母様はベルテセーヌの王族だし、先代の大公の妹もベルテセーヌの王弟殿下に嫁いでいる。他国とはいえ、普通に“身内”でもあるのだし」
「君の所は随分と“濃い”よね」
うちはそこまでじゃない、というマクシミリアンを見るに、やはり感覚にズレがあるのも確かなようだ。
「むしろ今までベルテセーヌとの縁談がなかったのは、クロードに婚約者がいたからよ。それをかき乱したのがトゥーリなんだから、“貴方のおかげで”とばかりにヴァレンティンとベルテセーヌの蜜月ぶりを見せつけておくのは当然の仕返しよね」
「……リディ」
「まぁ、クロイツェンから出た瞬間、お養父様が貴方達に送り返したのと同じ返事をベルテセーヌ王に送り返すでしょうけれど」
「今激しく、安心ではなく同情をしたよ……」
ちょっと、どういう意味かしら? ミリムさん。
「よかった……取り合えず、受ける気は無いんだね?」
「少なくとも今のところは……あぁ、そういえばミリム。貴方……」
百回目のプロポーズについて色々と計算している所なんだったか。
それを冗談のように茶化そうとしたのだけれど、生憎とその先は口を突いて出なかった。
何故だろう……何となく、茶化してはいけない気がした。
今更だけど……百回にも及ぼうかというようなプロポーズを繰り返してきた人を前に、平然とこんな話をしているのはどうなのだろうか? 流石に自分……無神経なのでは?
「何? リディ」
「……いえ。まぁ、その。そういうわけだから、ミリムが来てくれたことに本当に感謝をしているわ。おかげで、無駄にトゥーリを恨まなくて済むもの」
「いや、恨んでいいよ。うん、恨んでいいと思う」
「もう、ミリムったら」
軽口に少し気がまぎれたところで、窓の外が随分と暗くなり始めたのを見やった。
それを察したように、「そろそろ戻らないと誰かしらが扉を蹴破りそうだ」なんて言いながらマクシミリアンが席を立った。
なのでリディアーヌも席を立とうとしたら、当たり前のように手を差し伸べられた。カレッジにいた頃はそれが当たり前だったのだけれど、久しぶりだと何やら少しくすぐったい。
「相変わらず、東大陸の作法は接触過多ね」
「そう? これも駄目なんだっけ?」
「いいえ。エスコートを有難う、ミリム」
「どういたしまして」
「あ、別れのチークキスは駄目よ。それは“過剰”ということになったはずだから」
「忘れるはずがないよ……ヴァレンティン大公の前でしでかしたトゥーリが酷い目に遭ったのを見ていたからね」
「えぇ……あの時の惨劇は繰り返せないわ」
だからこれだけね、と言いながら手の甲にキスをしたマクシミリアンに、「へっッ」と間の抜けた声を出したフランカが顔を真っ赤にしてオロオロしているのを見てしまった。
フランカは学校もヴァレンティン国内出身の、生粋の西大陸人だ。東大陸ではただの軽い別れの挨拶でも、フランカからみれば十分に艶事なのだろう。後で弁明しておかないと。
「ふっ。ははっ。昔のリディを思い出すな」
「私はもっと冷静に対処していなかった?」
「表情はね。でも内心はあんな顔だったんだろうなと、今しみじみ実感してるよ」
「やめてちょうだい……」
もう帰って帰って、と背中を押すが、こんなスキンシップも本来なら有り得ないものだろう。すかさずマーサに、「姫様」と咎められてしまった。
ちょっと懐かしさに、リディアーヌも色々と行動がバグっているようだ。
ひとまず今宵は遠縁に当たる侯爵邸に泊まるというマクシミリアンを見送ろうと部屋を出たが、しかし階段を前に「ここでいいよ」と止められた。
噂にしないためというよりは、ただ夜風に当たらぬようにとの気遣いだろう。
「じゃあまた明日、リディ。うちの騎士達もわらわら集まって来たみたいだから、今夜は安心して休んでいいからね」
「ええ、気遣いを有難う、ミリム。お休みなさい」
互いに友人同士らしく手を振ったところで、そんな年でも外見でもなくなっているにもかかわらず思わず昔のようにしてしまったことに揃って苦笑を浮かべた。
ここまでずっともやもやと重たかった気持ちが、このほんの数時間で随分と和らいでいる。やっぱり……今も昔も、彼は不思議な特効薬だ。
「随分と心の和らいだお顔になりましたね、姫様」
「揶揄うのはよして、マーサ」
「揶揄ってなどおりませんとも。ただやはり……カレッジ時代を知っている私としては、ここの所のご様子に心が痛んでおりましたから。安心したのです」
「……えぇ……そうね」
でもマーサ。やはりもう一人の友人に関しては……こんな風に再会を楽しめるとは、思えないわ。
※明日は連載お休み。次は1日に。