3-2 新年(2)
「ベルテセーヌからの参列が誰になるかといったような情報は入ってきていないのかしら?」
「まだ分かっていません。というより、かなりギリギリまで揉めている様子です。ただフォンクラークの方はセリヌエール公がいらっしゃるご様子です」
「まぁ」
ということは、必ずパートナーに公爵夫人のナディアが来るはずだ。これは益々、クロイツェン旅行が“同窓会”になりそうだ。それにセリヌエール公には一度会ってみたいと思っていた。いい情報である。
「“ペステロープ”の件をお話しするいい機会ですね」
だがすぐにもフィリックの口にした言葉に、気が重たくなった。
アンジェリカについてはうるさく言わないのに、相変わらずキリアンが気に入らないらしいフィリックは、二人を引き取ってからこの方何度もこんなことを口にする。そろそろ諫めるのにも疲れていた頃合いだ。
確かに……キリアンのことは、最終的にはバルティーニュ公かセリヌエール公かに任せるべきだとは思っていた。セリヌエール公が来るのであれば、いい機会なのかもしれない。
それは分かっているけれど……。
「姫様。お聞きになりたくないのは承知していますが、それでもマグキリアンはフォンクラークにおいて、正当に裁かれるべきです。両公爵は現国王の名誉を失墜させたとしてマグキリアンに温情をかける可能性もあります。処遇を相談するにしても、引き渡すにしても、セリヌエール公にと提案するのは私なりの譲歩です」
「……分かっているわ、フィリック」
フィリックは正しい。いつまでもそんな火種をリディアーヌが匿い続けることに焦燥感を抱いていることも、臣下としてこの上なく真っ当な反応だ。だからその諫言は、受け入れるべきなのだ。
「“公女殿下”」
今一度そう言われ、リディアーヌもか細く吐息をこぼした。
ヴィオレットの従士のように目され、アルトゥールに使われていたキリアンだ。それを重罪人としてフォンクラークに引き渡せば、少なからずアルトゥールとヴィオレットへの打撃になる。ヴァレンティンにとってはバルティーニュ公達に恩を売ることにもなるし、先のグーデリックの一件と併せても、この上ない手駒だ。
分かっている。分かっているのだ。
「……連れては、いかないわ。でもセリヌエール公とは他の件も含め、時間を持ちたいと思っているわ」
「かしこまりました。優先的に調整いたします」
まだフィリックの視線が厳しかったけれど、それには何も答えずに口を噤んだ。
フォンクラークに到着するまでの間に、自分も覚悟を決めねばならない。ペステロープ家だけでなく、兄が守ろうとしたたった二人の生き残りの内の一人を、私は私のせいで、自ら突き放さねばならないのだ。あぁ、キリエッタになんと言い訳したらいいのか。
「他には? 今の内に言っておくことが有る人はいないかしら?」
若干投げやりにそう問うたところで、皆が遠慮がちに首を横に振るのとは対照的に、フィリックは淡々と、「姫様はご学友のこととなると随分と気を抜かれるとの噂ですが……」などと、怒涛のお小言を始めた。
こ、こいつ……調子に乗って。
だが悔しいことに、言われることのほとんどが図星なのがなんとも言い難い。
「ですのでくれぐれも自制をしていただいて、公人としてのお立場で……」
だらだらと続くお小言に、リディアーヌばかりでなく皆揃って失笑気味になってくる。
「姫様、聞いているんですか?」
「もういいわよっ、フィリック! どうせそのお小言、到着までずっと続くんでしょう?!」
「よく分かっておいでですね」
なんだかリンテンの一件からこの方、乳母かよというほどに口うるさくなった気がする。やはりあの事件は色々と不味かったか。
「もうっ。そんなに口うるさいなら、貴方、置いていくわよ?! フィル!」
「は? 私を?」
「……」
ありえない、みたいに鼻で笑う余裕面よ。だが実際、うちの側近たちにとってフィリックは頼れる上司なのだ。たちまち皆がおろおろと“それは困ります”みたいな顔をしだしたのがなんとも悔しい。
「くっ……」
「それでは、注意事項の続きですが」
「まだあるの?!」
もう止めましょうよ、と、音を立てて椅子を引き立ち上がったところで、ガチャンとノックもなく扉が開いたものだからはっと全員の視線が向いた。
その視線の先で、扉を開けた張本人……うちの大公様が、「ん?」と一つ目を瞬かせる。
「取り込み中か? だが悪いが、こっちも緊急だ」
「お養父様? こんなところまで、どうなさったんです?」
取り込み中どころか、天の助けだ。
とはいえ、叔父がリディアーヌを呼び付るならまだしも自ら公女府にやって来るなんて早々ないことだ。しかも先触れもなく、追従の者もいない。それでいながらただの散歩といった様子は微塵もなく、むしろ険しい面差しで一つの封筒をひらつかせた様子はただ事ではない。
大公様本人が届けたものなので、すぐに自ら叔父に歩み寄って封筒を受け取った。
白い封筒。金の縁取り……何やらつい最近見かけた招待状とよく似た意匠の封筒に、切られている封蝋は最も格式高い紅。ただし捺されている印章はクロイツェンの獅子ではなく、翼の生えたグリフォンだ。
「ベルテセーヌ?」
「先ほど使者が持ってきた」
先ほど? こんな時期に、こんな立派な王室の正式な文章を届けるための封筒で?
「拝見します……」
立ったまま封筒を開いて便箋を抜く。便箋はシンプルにたったの一枚。分厚く箔の推された立派な便箋だ。
開いて最初に目に待ったのは右下の仰々しい国王の署名と印章で、それに何事かと目を瞬かせながら目を通した紙面に……。
「……はぁ?」
思わず盛大に眉をしかめ、怒りとも呆れともいえない複雑な感情を乗せた低い声を漏らした。
何かの間違いではないのかと二度、三度目を通し、天井を仰いで目をほぐし、四度目を通す。
だが間違いない。
『余、ベルテセーヌ王シャルル三世の名のもとに、王子セザール・シャウル・メディス・ド・ベルテセーヌと、ヴァレンティン大公国国主ジェラール殿下がご嫡女リディアーヌ公女殿下との結婚を願い出る――国王ルベールス・クライセル・レイテ・ド・ベルテセーヌ』
うん。何かの間違いだ。
セザール・シャウル・メディスなんとやらさんなんて名前は知らない。リディアーヌの知っているシャルルの息子はセザール・メディス・ド・ネルヴァル。ネルヴァル伯爵令嬢の子で、王子の称号も持っていないはずの庶子だ。そんな名前の王子はいないんだから、これもきっと何かの間違いに違いない。
うんうん。だよね。こんなバカみたいな話、ないよね。
なのでそそくさと便箋を折って、何事もなかったようにニコニコと封筒に戻す。戻して。戻して……。
「意味が分かんないっっ!」
思わずその場に膝を折って机を叩いたリディアーヌに、うちの側近達がギョッと驚いて飛び上がった。
ただ内容を知っている叔父だけが心から同情するといった様子で自ら身をかがめ、リディアーヌの肩を叩き、立ち上がらせてくれた。生憎と、一人で毅然と立てる精神状態じゃない。
「叔父様、これは、何です? 何の冗談なんです?!」
「まぁ、なんだ。気持ちは非常によく分かる……」
「どっきり? これが噂のどっきりというやつなの?!」
「残念ながら、使者は正式な駐在大使で、国章も印章も紛れもない本物だ。すでに五度、側近中に確認させた。アセルマンにも七度確認させた」
「十度お願いしますッ」
そう叫んだところで、父の名前が出てきたことに反応したらしいフィリックがつかつかと歩み寄り、「失礼します」とリディアーヌの手から封筒を抜き取った。
許可も待たず便箋を開いたフィリックは、リディアーヌ同様見た瞬間からピシリと深く眉を寄せ表情をこわばらせたかと思うと、しかしやがて深いため息とともに「なるほど」と呟きながら、そそくさと手紙をしまった。
おかげでこっちまで冷静になる。
「このような時期に、嫌な手を打ってきますね。この様子だと、ベルテセーヌはクロイツェンにセザール殿下を寄越す算段なのでは?」
「あぁ、恐らくそうだろうな。箔付けのために、これまで頑なに庶出扱いしていたセザールに王子としての名と地位を与えたのだろう。だが息子を廃太子されたばかりの王妃にはさぞかし面白くないことなはず」
「そんな折にセザール殿下が国を留守にするとなると、国内の乱れは進行するでしょう」
「だがそのセザールがうちの愛娘に求婚中となると、話は別だ」
求婚?! と、事情を察したうちの側近達が顔を見合わせた。
「通常なら、気に留める必要など微塵もなく早々と断ってしまえばいいだけのものですが……今は姫様もクロイツェンに向かう仕度をしている最中。クロイツェンの目的がヴァレンティンとベルテセーヌとの関係を絶つことであった以上、ここで申し出を断った上でお二人がクロイツェンに行かれることと、申し出を保留にした状態で変わらぬ蜜月をアピールしたままクロイツェンに行かれること……どちらが得策かというと……」
「明らかに後者だ」
いやらしすぎる。ヴァレンティンにとっても、これは“保留”にせざるを得ない事態だ。
まったく、どいつもこいつもどいつもこいつもっ。もっと平穏に、のんびりと生きることはできないものなのか!
「姫様? 思考が膠着していらっしゃるんですか? それともしょうもないことを考えていらっしゃるんですか?」
「おだまり、フィリック」
ハァと深いため息を吐きながらフィリックから封筒を奪い返すと、そのまま叔父に突き返した。子供の結婚を決めるのは親の仕事だ。この手紙をどうするのかは養父次第である。
「保留……で、いいんだな?」
「保留にするしかありません。でも言っておきますが、受けるつもりは毛頭ありませんわよ」
「こっちだって、うちの愛娘をあんな腹黒な肉食野兎にはやらんさ」
「それを聞いて安心……しました」
安心……安……肉食野兎?
こほんっ。とりあえずもう一度だけ深くため息を吐いて頭の中をすっきりさせると、腕を組んで、コツコツと指先で腕を突いた。
「私がクロイツェンから帰り次第、速攻で返事をしてください。過去の所業を激しく後悔して膝が崩れるくらい気の利いた返事をご用意していただけていると有難いですわ」
「君がクロイツェンを出たと聞いた瞬間、送りつけてやるから安心しなさい。ふぅ……よかった。君が余計な頭を巡らして、いい案だ、なんて言い出さなくて」
「いくら何でもそんなこと言いませんわ」
そういう手が無いわけではないとは思うが、いくら何でもセザールとだなんて想像もつかない。いや、そもそもベルテセーヌに嫁ぐということ自体が、すでにリディアーヌの中では“皆無”な可能性だ。シャルルだってそのくらい分からないではないだろうに、まったく、嫌らしい。一体どれほどこっちを煩わせれば気が済むのだろうか。
シャルルにとって、リディアーヌは未だに“庇護者を失った自分の姪”なのかもしれない。ヴァレンティンの公女だと思っていないから、こんなことが出来るのだ。聖別の儀での恩義もすでに忘れたとみえる。耄碌しやがって。
「ただクロイツェンでセザールと睦まじくして見せる余裕なんてありませんわよ。蔑ろにはしないけれどくれぐれも面倒はかけないで……という手紙を出してもいいですか?」
「言われるまでもない。分厚めに送ってやれ」
ベルテセーヌはいい加減、自分達で追い出した元王女を頼るのを止めるべきだ。
聖別からこの方、リディアーヌが味方になってくれたとでも勘違いしているのだろうか。甚だ心外である。
クロイツェンから戻ったら、必ず……ベルテセーヌには落とし前を付けさせよう。




