3-1 新年(1)
ヴァレンティンの冬は雪深く、およそ外界から隔絶された季節となる。
帝国にはヴァレンティンよりも雪深い国もあるが、何分ヴァレンティンは国土の多くが山岳地帯なため、一層寒々しい雰囲気が漂うのであろう。
地竜は寒いと動きが鈍るため、雪の積もる季節は竜車を用いるような大きな商団が来ることも減る。町中が真っ白になると人々はあまり外出しなくなるし、すると事件もトラブルも減る。フォレ・ドゥネージュ城も、さながら一年で最も静かな時期となる。
そのかわり、雪が溶け始めてからは慌ただしい。
社交シーズンに合わせて各地の代官貴族や封領貴族が戻り始め、春からの新たな配置についての話し合いも本格化し、滞っていた情報や問題が一気に流れ始め、年越しと年明けのための儀式や夜会の準備、新成人のための祝いの準備、また春の終わりの帝国議会に向けた仕度も始まる。城に閉じこもっていながら城の中が慌ただしくなっていく様子はもはや風物詩さながらである。
とりわけ来年は春の初めの慌ただしい季節にクロイツェンに出向く用事がある。
普通、七王家五選帝侯家の直系の婚礼は帝国議会の直後の初夏に行われることを慣例とするのだが、アルトゥールがわざわざ初春にそれを選んだのは、晩春の帝国議会で皇帝やベルテセーヌにケチを付けられるのを避けるためなのだろう。婚約が発表されてからたったのひと季節。あまりにも早く、急いた結婚だ。おかげで慌ただしいことこの上ない。
年末、教会で大々的なミサが行われそのまま年を越すと、大人も子供も、城から城下、農村に至るまで、皆が夜通し夜明けを待って賑わい騒ぐ。帝国では年明けとともに皆、年齢を一つ重ねるから、これは年明けの祭であると同時に誕生の祝いでもあるのだ。
日が昇ってから少しの仮眠をとると、午後からは謁見になる。今年は初めてフレデリクも参加して、国内の貴族やヴァレンティンに駐在している外国の大使などからの謁見を受けた。それが終わると、今年新たに十六歳になった貴族の子女子弟の拝謁とお披露目が行われる。次いで彼らのお披露目を兼ねたデビュタントが催される一方、別の広間では無礼講となり、皆は思い思いの恰好をしながら、中には仮装じみた恰好で、また夜まで騒ぐのだ。
この賑わいの中なら皆も気にしないだろうからと、アンジェリカもベレニーに付き添われて新年の宴に参加させた。一応ベールで顔は隠させたけれど、アンジェリカも久しぶりに肩の力を抜いて楽しめたようだった。
年明け二日目には、新成人の配属と人事異動などが発表される。個々には予め通達されている事なので、流れは例年通り滞りなく進み、それが済めば各部署ごとの顔合わせになる。リディアーヌも自分の公女府内に新たに赴任した者達に目通りを許し挨拶を受ける。
とりわけ今年は学校を出たばかりの令嬢が三年間の行儀見習いとして入府する予定になっていた。
「この度は行儀見習いとしてお仕えすることをお許しいただき感謝申し上げます、公女殿下。ベイエレン伯爵家の長女クレーテと申します。以後、宜しくお願いいたします」
「成人おめでとう、クレーテ。これから三年間、宜しくお願いするわ。えーっと? たしか、私の側近文官のシュルトの許嫁なのよね?」
「はい。年が離れているので、本当ならすぐにでも式を挙げるべきなのでしょうが……私も公女殿下にお仕えし、夫に見合う女性になれるよう、自分を磨きたかったのです」
「向上心のある子は好きよ。それにすぐに分かるでしょうけれど、シュルトは優秀だから、つい私も使い勝手よく頼みごとばかりしてしまうの。結婚してからも度々帰りが遅かったり長期間帰らなかったりするでしょうけれど、私が色々と任せすぎているせいなだけだから、安心してちょうだい。三年の間にその様子をよく見ておくと、中々帰ってこなくても浮気の心配が必要ないことが分かって、夫婦円満の助けになるんじゃないかしら」
「まぁっ」
ふふっと闊達に笑ったクレーテの向こうで、いつも寡黙で無表情なシュルトが背を向けたままいそいそと資料を棚に戻す作業に勤しんでいる。どうせまたすぐ使う資料をしまう必要なんてないのに、恥ずかしがっているのだろうか。微笑ましい。
「ではエステル侍女長、後の指導はお願いね」
「はい、お任せください」
「フィリック、ケーリック、それから……シュルト、無駄な片付けはもういいから貴方も、会議室に集まってちょうだい。クロイツェンでの内容について詰めるわよ。それからエリオットとマクス、ニールス、エステルも同席を。マーサ、ハンナ、皆の分のお茶をお願い」
さっさと指示を出して立ち上がると、片付けを無駄と言われたシュルトが恥ずかしそうに資料を机に起き、そのままぞろぞろとすぐ傍の会議室に入った。
年が明けると普通は少しの休暇の後、帝国議会の前まで社交シーズンになるのだが、今年の春は少し違う。もう間もなくリディアーヌはクロイツェンに出立せねばならない。クロイツェンの王都まではヴァレンティンからだと半月以上かかるから、その準備も大詰めなのである。
「まず今回の同行者は文官にフィリックとシュルト。私の留守中の机のことはケーリックに任せるわ。ケーリックはまだ不慣れでしょうから、ニールス、貴方が手伝って、帰ってきた時にフィリックが倒れないよう、頑張ってちょうだい」
「くくっ。はい。今回も極力減らしておきます」
「頑張ります!」
「シュルトは許嫁が就任早々、長期出張でごめんなさいね。クレーテは生憎とお留守番よ」
「……姫様」
御勘弁ください、と肩をすくめたシュルトに苦笑で答える。配慮してあげたいところだが、クロイツェンという本丸に乗り込む以上、外交手腕に長けた優秀な側近であるシュルトを置いていくという選択肢はない。机の心配をしなくていいなら、本当は今年文官補佐から正式な文官に昇格したばかりのケーリックですら連れて行きたいくらいなのだ。
「フィリックは基本的に私に追従してもらうけれど、シュルトの役目は情報収集よ。行動に制限は課さないから、この機会に広く顔を繋いで、いいように動いてちょうだい。特にこの機会に駐在大使との情報交換を徹底して、滞在中の大使館への人の出入りも確認しておいてもらいたいわ。マクスは私が連れ歩くことが増えるから、私宛ての招待状や誘い関連の差配も貴方に任せるわ。クロイツェンの王族や他の選帝侯家からの誘いがあった場合は優先してちょうだい」
「かしこまりました」
「護衛騎士はエリオット、オルフ、スヴェン、イザベラ。セルリア以外は皆連れてゆくわ。セルリアは留守の間の公女府を任せるつもりだけれど。エリオット、いいかしら?」
「まだ若く経験不足の感は否めませんが……公女府の警護責任はいい経験になるでしょう。出立までにしっかりと指導しておきます」
「頼むわ。その他の従士はエリオットに人選を任せていたけれど、決まったかしら?」
「はい。公女府からの従士は以前からお伝えしていた通りですが、近衛騎士団とも話し合い、騎士十六名、従士六名で総数二十二名となりました。内訳はこちらです」
「二十二名……お養父様、また随分と“ぶっこんだ”わね……」
「これでもなんとか半分には削減していただいたのですが……」
苦笑するエリオットに、よく頑張ったと言ってあげたい。
今回はリンテン行きの時と違って堂々と大勢の従者を引き連れて出かけられるものだが、いくら何でも騎士だけで二十名以上は多すぎる。これに護衛騎士を加えると二十六名。帝国中、はては帝国外からも祝い客が詰めかけるであろうクロイツェンにも迷惑をかけるのではなかろうか。まぁそんなことを気にするリディアーヌではないけれど。
「でも流石に……もう少し削れないかしら……」
「ひとまず我々含め二十以内に収められないかと、そのように騎士団長にお伝えします」
「頼んだわ」
さて、これだけ護衛を付けられたとなると、侍従の方は少数精鋭だな。
「マクス、侍従はロベルトと二人になるけれど、足りるかしら?」
「はい、構いません。宜しければ適宜公女府から追従する従士を手伝いに使わせてください」
ちらとエリオットを見ながら言ったマクスに、「承知した」とエリオットも頷いた。これで多少不足する分は補える。
「侍女は今回もフランカを……」
「姫様」
言いかけたところで、会議に最中している侍女長の後ろできりっとした顔をしながらこちらを見るマーサの顔に口を噤んだ。
何を言いたいのかは分かっている。前もって相談を受けていたのだ。
「マーサ……でもエリオットも連れてゆくし、子供が……」
「留守中は実家の義姉が面倒を見てくれると言っています。うちの子も多少は寂しがっていましたが、私の両親もいますし、従兄達とも仲が良いですし、ひと月半などあっという間です」
「……エリオット」
「姫様。宜しければ、マーサも今回の追従の一人に加えてあげてください。リンテンでの一件で、随分と後悔をしているのです。それに私共も、マーサが姫様のお傍にいてくれると助かります」
うーん……と少し悩まし気に考え込んだものの、正直、カレッジにもついてきてくれていてアルトゥールにも免疫のあるマーサがいてくれると非常に心強いのだ。
「エステル……」
「公女府の方は侍女が一人二人抜けたところで問題ございませんよ。それに私も、マーサが姫様に着いて行ってくれると安心です」
侍女長にまでそう太鼓判を押されてしまっては、断る理由がない。
「分かったわ。ではマーサとフランカ。二人を連れて行きましょう。マーサ、出立前に長めにお休みを取っていいから、家にいてあげてちょうだい」
「感謝いたします、姫様」
ほっと表情を和らげたマーサが一礼して、そのままお茶を配るという仕事を終え退出しようとしたが、折角なのでそのまま同席しておくよう求めた。
「エステル。今回はメイドも随伴させることになるわ。統率役として貴族階級で未婚のベレニーを連れて行くから、ベレニーの留守中はアメリーにアンジェリカを任せてちょうだい」
「かしこまりました。あの、姫様。ということはアンジェリカ様はこちらに残しておいでなのですね?」
「ええ。私の留守中は警備も手薄になるでしょうから、くれぐれもアンジェリカの周辺をよく守るように」
あとはこれに料理人と幾人かの下働きを連れて行くのと、春は竜の動きが活性化する時期なので、用心のため北方諸国群を抜ける間は傭兵も付ける。持って行かねばならない荷物も贈り物も大量だから、いつぞやのアルテンの王子のことなど言えないほどの行列になる予定だ。
「この人数だと、早駆けの竜車なんかで一気に駆けるわけにはいかないかしら?」
「その件ですが、贈り物などの荷の類は別ルートで先発させます。こちらは身軽ですから、リンテンまでは早駆けで参りましょう。騎士団の方も騎竜してまいります」
「騎竜? まぁ。騎士団長が奮発してくれたみたいね」
地上歩行する地竜は身体が大きく頑強で、馬より早く持久力もあるので馬車の十倍近い速さで進める。なので遠出の際には竜車を用いるのが一般的だが、中には早駆けといわれるもっと足の速い竜種もあり、これに牽かせる竜車もある。ただこの場合、竜車に追従する騎士達が置いてきぼりを食らう可能性もあり、行列には向かない。
一方、単騎で竜に騎乗する竜騎兵であれば、早駆けの馬車よりも早く迅速に移動できる。ただここの騎乗用の小柄な地竜は騎士団の正規軍の中でもごく一部だけが乗ることを許されている貴重な軍事資源でもあるため、早々国外に出すことは無い。
竜種の豊富なヴァレンティンであっても騎竜の数は多くはないし、何よりその調教手段は国外には門外不出にもなっている軍事的なアドバンテージでもある。それを早駆けの竜車のお供に惜しみもなく出してくれるというのだから、養父の過保護が爆発しているといっても過言ではない。
「それなら随分と時間が短縮できるわ。それで出発の日程がギリギリになっていたのね」
「早駆けで参れるのはリンテンまでです。通常の騎竜に合わせるとなると早駆けの竜車でも一日に進める距離は落ちますが、それでもリンテンまで十数日かかる所を七日で着けます。そこからは海竜の高速船で、フォンクラークを経由して六日。クロイツェンのロレック港から皇都まで竜車で八日というのが一般的なルートですが……」
チラリとフィリックの方を見たエリオットに、フィリックがコクリと頷く。
「やはり護衛としては、フォンクラークには極力寄港しないルートを提案します」
うん、ですよね。同感である。
「困ったわね……でも流石に、皇帝直轄領から陸路でクロイツェンの王都を目指すには時間がかかりすぎるでしょう? さすがに直轄領やクロイツェンの国内を騎竜では進めないわよ」
「はい。なのでリンテンまでの日数を短縮した代わりに、ヘイツブルグへの直行船で、ヘイツブルグを経由してドレンツィン教会領から陸路に入るのは如何でしょうか。船で七日。陸路で教会領を二日。国境から皇都まで五日。途中のイレギュラーを想定するとしても、リンテンから十五、六日ほど有れば十分です」
「その方が安心ね。ベルテセーヌとも被らずに済みそうだし」
そういえばそのベルテセーヌからは誰が祝いに出席するのだろうか? 通常の例として国王自身が出席することは有り得ない。大使程度となると他の国との兼ね合い的に舐められかねないし、であれば年嵩の王族か成人している王子王女が妥当なところだが、国内が混乱している今、誰が出るにしても難しい。
クロードの廃太子の報からこの方、まだベルテセーヌでは次の立太子の話は聞こえてきていないが、可能性のあるザイード王子は未成年だ。ならば庶出と雖もベルテセーヌの国政に関与している王の子という意味でセザール辺りが妥当だが、現状、セザールのおかげでなんとか保てているベルテセーヌの状況からして、セザールを出すのは苦肉の策だろう。
あと身動きできるのは、クリストフ一世の弟のベランジュール前公爵とその息子の現公爵だが、前公爵は老齢な上、元々クリストフ二世派で現国王とは関係が良くない。現公爵は政治からは身を引いている立場だが、その分、ブランディーヌ夫人などと親しくしているという噂もある。
国王にとってみれば、どちらも安易に国外に出してクロイツェンと接触などさせたくない身内だ。




