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2-24 憧憬というやつ

「リディアーヌ公女殿下」


 しばらく庭の片隅でぼうっと空を見上げていたら、いつしかアンジェリカが声をかけてきた。

 先ほどの部屋では、途中からすっかりと無視して話を進めてしまった。耳にした内容は、こんな世界とはついぞ無縁だった世界からやってきたアンジェリカにとってさぞかし衝撃的な内容だっただろう。気が利かなかった。


「キリィはどう? 少しは落ち着いたかしら?」

「はい……ただ、その。しばらくは一人でいたいようだったので」

「そうね……当然だわ。かつて計略によってベルテセーヌに悲劇をもたらした皇国に、よもや自分が加担して、再びベルテセーヌに計略を起こしていたのだもの」

「皇国の皇太子というのは、随分と怖い人ですね……」


 実に率直なアンジェリカの感想に、思わずクツクツと肩を揺らした。


「確かにね。でも一つ誤解があるとするなら、トゥーリ……皇国の皇太子は、“知らない”のよ」

「知らない?」

「私がベルテセーヌの元王女であることも、自分の祖父がベルテセーヌ王を殺した本当の黒幕であることも。何も知らない彼に、何も語らぬまま、私は彼を“友人”と呼んでいるの」

「ッ……」


 どうやらまだ頭が整理できていなかったらしいアンジェリカは、その端的な言葉で、ようやくリディアーヌと皇国の皇太子の関係を理解したらしい。そしてどうしてキリアンが“何故”という言葉を振り絞ったのかも。


「公女殿下は……その。すべて知っていて、皇太子殿下と親しくなったんですか?」

「ええ。でも驚くようなことじゃないわ。アンジェリカ……無知で真っすぐな貴女には想像できないかもしれないけれど、王侯たる者、親を殺した相手だろうが子を殺した相手だろうが、平然と手を取り、親し気に言葉を交わすなんてことは日常茶飯事なのよ」

「そんな……」

「それに、アルトゥール自身に恨みがないというのは本心よ。祖父の罪を孫が背負う必要はないでしょう? でないと私も困るわ」

「困る? まさか、公女殿下にもそんな心当たりがあるんですか?」


 そう問うたアンジェリカに、リディアーヌは呆れた顔で苦笑してやった。


「貴女、私の祖母レティシーヌ王妃が一体何人の夫の妾や庶子に手をかけたと? 貴女のお祖母様が私の祖母に殺されていないのは奇跡なのよ?」

「あ……」


 さっと顔色を変えて気まずそうに視線をそらしたアンジェリカに、クツクツと笑い声がこぼれてしまった。まったく……気の抜けるお嬢さんだ。


「まぁ、お祖母様とて無意味やたらにすべてのお祖父様のお相手を害していたわけではないけれど」

「ハァ……近頃、私の周りではこんな話ばっかり。公女殿下……どうしてあれもこれも、冤罪、冤罪、冤罪、って。酷い話ばかりなんでしょう。もう何が真実で、何が正しいのか」

「他でもない冤罪によってヴィオレット嬢を国外に追放した貴女がそれを言うの?」

「うっ……」


 うん。ちゃんとその自覚はあるようで何よりだ。

 さて。いい機会なので、こちらにいらっしゃい、と、近くのベンチにアンジェリカを誘った。

 少ししたら戻るつもりだったけれど、キリアンの様子を聞く限り、今しばらくここでアンジェリカと時間を過ごすのも悪くない。


「貴女から聞いていた話が途中になってしまっていたわね。といっても、その後のことはイグラーノ様からおおよそ聞いたわ。教区長様の言葉で迷いを抱いたキリアンを連れて、貴方達はオトメールに向かったのね」

「はい……オトメールがどっち派になっているのかなんかは、キリアンも知らなかったみたいなんですけど」

「アルトゥールは慎重な人よ。素性の知れない新参者のキリアンにすべての計画を打ち明けたりはしないわ。それにキリアンのフォンクラークでの経歴くらいは調べていたでしょうから……買われたのは暗殺者としての腕で、任務が違っていたのでしょう。本当に……馬鹿な子」

「……」


 もご、と何かを言いたそうにして口を噤むアンジェリカに、リディアーヌは再び声を漏らして笑ってしまった。


「貴女、この数ヶ月、妙な慎み深さだけ覚えてきたの? 一体何度、躊躇っては口を噤むのかしら」

「っ、気づいていたなら言ってくださいッ!」

「ふふっ」


 思わず笑っていると、リディアーヌの周りの空気が落ち着いたことを察したのだろうフランカが歩み寄って来て、「お外は冷えますよ」と、リディアーヌとアンジェリカに暖かいケープを差し出してくれた。有難く肩に被いて、ほぅと冷たい空気に吐息を吐く。

 心地よい、肌寒さだ。


「公女殿下は、皇国の皇太子殿下のこと、避けたり、嫌ったり、そういう気持ちにはならなかったんですか?」

「さぁ……私は選帝侯家の公女。相手は次期皇帝を狙っている皇子。元々皇帝陛下は厚顔無恥にも私をアルトゥールとくっつけようとお考えだったから、最初は、会ったらどうやって恥をかかせてやろうかとか、それらしいことは考えていたわよ。多分」

「……いきなり、感想に困ることを言わないでください」

「そういうものだといったでしょう」

「はぁ……」


「でも……そうね。そうだわ……きっと、ミリムのせいね……」

「えーっと……ミリム、嬢?」

「あだ名は可愛いけれど男性よ。私達の同級生で、もう一人の友人。彼の屈託のない人柄が、色々とすさんでいた事情や感情を馬鹿馬鹿しく思わせてくれてね。彼はアルトゥールのことを友として慕っていたけれど、同時にその友人が皇帝たりうるのかを冷静に見ているような人だったわ。あぁ、こういうやり方もあるのかと……随分と私の心を軽くしてくれた。その代わり、公人として確執だらけのアルトゥールを友人だなんて呼ぶことになって、その分だけ余計な感情や気苦労も背負うことになったけれど。でも、後悔はしていないわね」

「ふぅん……よく分りません」

「貴女は本当に正直な子ね」


 でもだからこそ、こうして思わず口が軽くなってしまうのかもしれない。


「それで? 貴女は私に、クロード殿下を助けて欲しい、って、そう言っていたけれど。その話はもういいの?」

「……」


 黙りこくったアンジェリカに、「今更、馬鹿丸出しなことを言い出したところで驚かないわよ」と言ったら、むすっとした可愛い顔が返ってきた。


「その……なんというか。公女の顔を見た瞬間、気が緩んで、思わず口走ってしまっただけなんです。分かってますっ、こんなこと頼めたことじゃないことくらい」

「気が緩んだって。ふふっ、何よ、それ」


 リディアーヌを見て気が引き締まった、なら分かるが、どうしてそこで緩めてしまったのか。身内や友人以外の他人にそんなことを言われたのは初めてだ。


「私だって、色々と勉強したんです。その上で……私がベルテセーヌを出ることが、皆のためになるって。認めたくないけど、そうなんだって理解して……」

「では少し賢くなったアンジェリカ。貴女が私にクロード殿下のことを頼めないと思った理由を聞かせてくれる?」

「私を馬鹿にしてるんですか?」

「貴女を推し量ろうという問いよ。真剣に答えることをお勧めするわ」

「……そんなの。もう、聞くまでもないじゃないですか。私はクロード様が大切だし、大好きだし、助けたくて、支えたくて……でもそれは私にとってのクロード様で、公女殿下からみたら、クロード様は王位を奪った王様の子で、それに……その。お兄様を殺したかもしれない誰かの、おそらくとても近しい人……なんですよね?」

「……本当に。随分と勉強したのね」

「お城にいる間はちっとも、誰も何も教えてくれなかったんです。エメローラ領に戻って、クロード様と離れて色々な話を聞いて。お兄様や教区長様……二人が初めて、ちゃんと私に真実を教えてくれた人です」

「アンジェリカ……でもそれは決して、“真実”ではないわ」

「え?」


 この子はまだ成長の途中で、そしてその成長を待っていられるほど、もう時間は存在していない。それがよく分った。

 でもできる事なら、この子が不幸にならないでいて欲しいと思う。

 湯水のように学んで、それでいて疑うという事を知らなくて。来る事なら何も知らず、そのまっすぐな気性を持ち続けて欲しいと思う。

 でも彼女は知ろうとしている。ちゃんと、理解しようとしている。だったら、教えてあげるべきだ。せめて、自分で考えられるだけの情報を与えてるべきだ。


「貴女は本当に、素直ないい子ね。でも覚えておきなさい。物事には、十人いれば十通りの見方があって、十通りの意見と、十通りの真実があるの。その二人は貴女にとって、想像もしていなかったような“印象に残る”言葉で貴女に影響を与えたわ。でも印象に残った言葉だけを信じていたら、貴女の真実を見落としてしまう。その言葉は、ただその人にとっての“事実”。その人が信じているだけの、十の真実の中のただの一つよ」

「お兄様達が……嘘を、言っていると?」

「嘘ではないわ。でも彼らは貴女に、貴女の考えを都合よく導く言葉しか告げていない。貴女が貴女の真実を決めるには、情報が足りていなさすぎるのよ」

「……公女殿下は、他に何を知っているんですか?」


「セザールが、どれほどリュシアンとジュードという兄達を慕い、愛おしんでいるのかを」

「っ……」


 それが、リディアーヌの知る事実であり真実だ。


「お兄様も、言っていました。ジュード殿下を頼ると、クロード様にとっては不都合なことになる、って。でもマリシアンも、私が上手くジュード殿下を制御できればいい、って……」

「そんな都合のいい言葉を信じてしまうのが、貴女のまだ幼い所ね」

「うっ……」

「貴女はまず、“人を知ること”を覚えなさい。貴女にとって、セザールはどんな人? 貴方のお兄様は? 教区長はどんな人? 彼らの表向きの言葉ではなく、彼らがどういう立ち回りで、どういう言動をとる人なのか。彼らがどんな経歴を辿って来て、どんな考え方を持っているのか。そういう物を一つ一つ知った上で、判断すべきよ」

「そんなにあれこれ考えないといけないんですか……?」


 うっと顔を歪めるアンジェリカに、「それが王室に入るという事よ」と(さと)す。


「あの……この考え方は、普通ですか?」


 思わずそうおずおずと後ろを振り返ってフィリックに問うたアンジェリカに、フィリックはひとつ目を瞬かせ、そのまま沈黙を選んだ。その様子に、リディアーヌは「貴女ったら」とため息を吐く。


「アンジェリカ。私は貴女を一介の伯爵令嬢ではなく、クロード王太子の許嫁、ひいては次期王太子妃として、公女である私と対等と()()して話をしているわ。ただし今はまだ、私の方が上位者である。その自覚はあるのかしら?」

「は、はいっ。勿論です」

「王侯の会話に王侯以外の下の人間が割り込むのは無礼なことよ。まぁフィリックはうちの筆頭分家筋だから王侯の一員として許されなくはないけれど、でも私が自分の臣下に発言を許すことはあっても、現状下位者である貴女が私を介さず私の臣下に声をかけるのはマナー違反よ。私とは話す価値がないと、私を侮っているという意味に取られかねないわ。許可もなく私の臣下が勝手にそれに返答しようものなら、私は私の臣下を主に対する侮蔑罪で罰さなければならなくなる。まぁ、時と場合にもよるし、私の側近にそんな愚か者はいないけれど」

「えっ。あっ……なるほどっ。ごめんなさい」


 慌てて誤ってキョロキョロと後ろを振り返ったアンジェリカに、フィリックが珍しいよそ行きの笑顔をニコリと浮かべて見せた。

 まぁ会話の内容によっては“文官”が口を挟むことは許されるのだけれど、今の状況では褒められたものではない。さすがうちの筆頭文官様は、アンジェリカの問いにも冷静に“答えない”ことを選んだ。どうやらアンジェリカにもその意図は伝わったらしい。


「姫様。そちらのご令嬢の疑問にお答えすべく、少し口を挟んでも宜しいでしょうか」

「……宜しくない、って言いたいんだけど。まぁ、いいわよ。何かしら? フィリック」

「アンジェリカ嬢。うちの姫様は、“かなり”特殊です。目標とする分にはいいですが、まったく同じことをしようなどというのはまず無理なので、気を落とされませんように」

「あ、はい。安心しました」

「……」


 フィリックめ。やっぱり黙らせておけばよかった。


「こほんっ。それで、アンジェリカ」

「はい」

「私が理解している限りだと、貴女達はクロードにも内緒で、ジュードを頼ろうと考えたそうね。貴女はそのため、かつて国王が下した罪状を取り下げるジュードへの免罪符を、貴女のお兄様に持たせた」

「そうです」

「貴女が囮となってヴィオレット派の黒幕を炙り出すこと自体はマリシアン卿の策だったけれど、ジュードを頼ることはセザールの提案だったと」

「はい」


 少しも迷うことのない返答が、リディアーヌに眉をしかめさせた。


「まぁ、いいわ……それで、アンジェリカ。貴女まさか、それ以上のことはしていないでしょうね?」

「はい……あの。それ以上って?」


 セザールがジュードを表舞台に引きずり込もうとした……それは分かった。だがセザールが本気だとしたら、彼の目的はジュードではないはずなのだ。その本当の目的はおそらく、彼の兄……。


「まさかジュードみたいに、“リュシアン”に対する免罪符なんて書いていないでしょうね」

「あ」


 ちょっと、何よその顔!


「アンジェリカ……貴女、まさか」

「めっ、免罪符は書いていません! 決して!」

「じゃあ何をしたの? もう洗いざらい話してしまいなさい」

「っ……その。私はただ、教区長様に言われて……」


 その名前に、もれなくピクリとリディアーヌの眉が引きつった。


「教区長様が公的に、そのリュシアン殿下を訪ねることを許す、みたいなものを……」


 ハァァ、とこぼした深いため息に、アンジェリカも自分が何かをしでかしてしまっていることを理解したのだろう。もごもごと口ごもって小さくなった。


「どうやら教区長様も、セザールに加担したみたいね……」

「……?」

「まだ気が付かないの? アンジェリカ。貴女、完全にセザールに利用されているわよ」

「……」

「……」

「……え?」


 さぁっと顔を青ざめさせたアンジェリカも、どうやらようやく事の大きさを理解したらしい。


「ま、待ってください……セザール様は、そんなこと……第一、発案者はマリシアンで」

「マリシアン卿の発案自体はまぁいいわ。でもそこにここぞとばかりにジュードやリュシアンを絡めてきたのは紛れもないセザールだわ。あのポヤンとした顔に騙されたら駄目よ。あれでも王子なんだから」

「姫様」


 言葉が過ぎます、と小さく窘めたフィリックに、「今は口を挟んでいいと許可していないわよ」と苦言をこぼしておいた。まぁ、臣下が主を窘めるのに時と場所は必要ないのだけれど。


「公女殿下……もしかして、私……クロード様を追い詰めているんですか?」

「だからそう言っているでしょう? アンジェリカ、貴女は誘拐された後自力で抜け出して、その後誰かに自分の行き先や行動を知らせた?」

「……いいえ」

「なのにどうしてクロード殿下は近衛を連れて“オトメール”に現れたの? そこに貴女がいると知っていたから?」

「ッ……いい、え。違う。違うッ。だって、私がいるなんて知らなかったはずだわ。え? どうして? どうして、クロード様はオトメールに……ッ」

「それって、マリシアン卿がジュードを頼ろうと王都を離れ、オトメールに向かったことに気が付いたからじゃないの? 偶然にもそこに貴女の失踪も重なってしまったけれど……多分目的は、ジュードを頼るのを止めさせるためだわ。そうされたら“困る”から」

「ッ……」


 真っ青な顔で唇を震わせたアンジェリカは、しばらく困惑しきったように視線を(うつ)ろわせたかと思うと、「私……もしかして、とんでもないことを……クロード様に……」と、声を絞り出した。


「まぁ……聖女の身辺をジュードに守ってもらおうという考え自体は悪くないわ。ジュードは元々王位に感心がないから、上手に扱えたのなら、クロードとしても後ろ盾を固くすることができるもの」

「私も、そういうものだと思って……」


 まぁあくまでも、上手く扱えたなら、なのだけれど。


「リュシアンの存在を目立たせることで厄介な暴動を抑止しようというのも、決して無価値ではないわ。けれど貴女達……少なくとも貴女は、それを利用してセザールが兄リュシアンの復権を目論んでいること……それを理解した上で加担している人達が貴女のすぐ身近にいることを、理解しておかねばならないわ」

「まさか……お兄様も……」

「無論、クロード殿下に王太子としての素質があるなら、自分で自分が利用した兄達を抑え込んで、自力で自分の強みにできるでしょう。でももしそれが出来ないのであれば、それまでということよ。そしておそらくセザールは、クロードにそれが“できる”とは思っていない。だからこんなにも大胆に貴女達を利用できるのよ」

「ッ……」

「貴女がベルテセーヌから遠ざけられたのは、確かに貴女を危険から遠ざけるためだったでしょうけれど、同時に、貴女が書いた証書を貴女が取り消せないよう、そしてクロードが貴女に接触できないようにと、(はか)られたのよ」

「わ、私……私……」

「王位争いとはこういうものよ。いい勉強になったわね」

「公女殿下ッ。私、どうしたらっ」


 知らないわよ、と言ってしまいたいところだが、まぁこの件に関してはリディアーヌも全く無関係というわけにはいかない。もしそれで、“彼”が復権なんてしたら……そんなの、考えたくもないことだ。


「残念だけれど、一度ヴァレンティンに来た以上、危険と分かっていながらみすみす貴女をベルテセーヌに送り返すことはできないわ。早晩、クロイツェンにもその情報は洩れるでしょうし、クロイツェンの計略は私達ヴァレンティンも他人事じゃないの。貴女を皇国に使われるわけにはいかないわ」

「ッ……」

「それにすでに免罪符が出てしまった以上、貴女に中途半端にジュードやリュシアンと接触されるのが一番迷惑だわ。だったらここで、貴女をヴァレンティンに匿っていた方が私達にとってもずっといい」


 とはいえ利用されていたと知って、じっとしているなんて……アンジェリカでなくとも、できはしないだろう。

 なんとかぐっと口を引き結んで我慢しているようだけれど、本心では今すぐにでもベルテセーヌに戻って、自分の失策を撤回したいことだろう。だが生憎と、そうはさせてあげられない。

 うかうかと国に帰っても、待っていましたとばかりにヴィオレット派に捕まるのが関の山だ。そんなことで、無為にアンジェリカの命を奪わせるわけにはいかない。


「その上で、アンジェリカ。今貴女には、三つの選択肢が有るわ。一つは、下手すれば邪魔になることも覚悟の上で、今すぐベルテセーヌに戻り自分の不始末を帳消しにする道。まぁ、これはもう実現不可能と思ってもらった方がいいけれど」

「……」

「もう一つは、暴動が治まった後クロード殿下の地位を盤石とするためにどうやって動くのかを考えながら過ごす道。そしてもう一つは、クロード殿下が王太子でなくなることを受け入れた上で、そのクロードと、今後どうやって共に生きていくのかを考える道」

「あ……」


 アンジェリカ自身の気持ちという意味では、聞かずとも分かる気がした。ただクロードのことを思えば、アンジェリカもその結論をすぐに出すことはできないだろう。それでも、出さねばならない結論だ。


「貴女がどれを選ぶにしても、私はひとまず貴女をこのヴァレンティンで守ってあげるわ。そして貴女が望むのであれば、こうして貴女がより多くの思考を巡らせられるよう、少しだけ手助けするわ」

「……」


 きゅっと拳を握って黙り込んだアンジェリカは、そっと背もたれに背を預けて空を仰いだリディアーヌと、しばしの沈黙を共有した。


「……あの。公女殿下。一つ、聞いてもいいですか?」

「何かしら」

「公女殿下には、私にこんなに色々と教えてくださるメリットは、無いですよね?」

「まぁ……まったくないとは言わないけれど。貴女には過分なくらい尽くしてあげているとは自認しているわよ」

「どうしてですか?」


 相変わらず、すがすがしいくらいに率直だ。

 どうして、だなんて。そんなの、貴女がそんな調子だから、としか言いようがないのだけれど。

 でも、そうだな。未熟なこの子が、何となく放っておけなくて。そんな未熟なこの子に、ちゃんとした言葉でそれを教えるには、どんな言葉を選ばいいのか。


「自分のことを、本当の意味で無知で愚かだと理解できている人は、好きよ」

「……え?」

「貴女は足りないところばかりだけれど、自分がどれだけ駄目な人間かを知っていて、良くも悪くも助言を素直に受け入れて、至らなかったところをすぐに謝れる素直さを持っているわ。それは王侯の在り方としては正しくないけれど、でも素直に自分を成長させる姿は、つい手助けしてあげたくなる。貴女を見ていると、きっとクロードもこんな気持ちだったのかしらって、なんだか微笑ましくなるの」

「ほほえ……」


 かぁと頬を赤らめる素直な感情表現も、きっとクロードの心を突き動かした原因だろう。

 何の計算もないから、それが素直に心に響く。


「貴女とクロードの関係は、絶対に自分には起こり得ないものだわ。だからかしら。貴女が幸せだと、なんだか私の中の何かも救われるような気がするの。もしかしたらこれは、“(しょう)(けい)”というやつなのかもしれないわね」

「し、憧憬?! そんなまさか!」

「あら、私だって他人を(うらや)むことくらいあるわよ」


 アンジェリカにクツクツと笑って見せてから、さて、そろそろいい時間になって来たか、と、ベンチを立ち上がった。

 もう、キリアンとの会話で溜まった鬱々とした気分は晴れている。いつどんな状況でも自分を保って自由な思考回路でいられるアンジェリカは、まったく、羨ましい性格だ。やはりこれは、憧憬なのだと思う。決してそうなりたいわけではないけれど、私もそうあれたらいいのにと……そういう人がいるのだという事実に、どことなく救われる心地がする。


「ちょ、ちょっと、公女殿……」

「ところでアンジェリカ。貴女、私がずっと呼び捨てているのに、咎める気配の一つもないわね。いつ気が付くのかと待っていたのだけれど……そろそろ何か言っていい頃よ?」

「え、今更?! というか、その方がしっくりくるというかっ……」


 本当に。不思議な子。


「貴女に、私を名で呼ぶことを許してあげる。リディアーヌ、あるいはただ公女と呼んだらいいわ。あ、でも一応、“様”くらいは付けておきなさいよ?」

「え? それって……」

「そろそろ晩餐にしましょう。キリィはどうなったかしら?」

「ね、ねぇっ、それってっ! ちょっ。ちゃんと言ってくれないと私、分らないんですからっ。ねぇっ」

「さぁ」

「言ってよ。言ってよーっ、リディアーヌ様!」


 たまには、こんな裏表無い友人もいい――。

 リディアーヌはベルテセーヌの冷たくドロドロとした計略に直接手を突っ込むことはできないけれど。

 でもどうかこの子とクロードが、幸せでいられる未来が来ればいいと願っている。






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