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2-23 キリアン

 イグラーノの配慮もあって、その日の正式な晩餐会にはアンジェリカも招いた。

 キリアンはすでに平民身分であるため同席できないが、アンジェリカの侍従という名目で呼び、正式に国と国という形で客人の引き渡しや謝辞謝礼の言葉を交わした。


 その翌日には、朝から本来の仕事である商談と外交関連の情報交換を行うため、イグラーノと会議室に籠った。

 何分、処理しなければならない問題が増えてしまったので、それを分かっているイグラーノも気を利かせ、手早く切り上げてくれた。

 元々はミッテラン伯爵にすべて一任するはずの内容であったから、公女が交渉のテーブルに着いただけでも時間は大幅に短縮できた。細かい内容はどうせこの後首都で大公様本人が交渉するので、プラージュで行うのは最低限のことだけだ。おかげさまで、必要な仕事は午前中だけで片付いた。


 首都に出発するのは明後日からの予定で、明日一日、イグラーノは奥方を連れて町の観光旅行を楽しむ予定らしい。晩餐にはお誘いしたが、幸いリディアーヌも一日の余暇が出来たので、今回の仕事のまとめ明日に回し、午後はアンジェリカ達に時間を割くことにした。

 先だってイグラーノからも情報は得られたが、アンジェリカ達本人の口からも情報を収集しておきたい。そういう意味では、決して後回しにできる仕事でもなかった。


  ***


「二人とも、昨夜は良く休めたかしら?」

「はい。久しぶりのちゃんとしたベッドで、とてもぐっすり眠れました」


 そう言うアンジェリカは、今日はヴァレンティン風のドレスに身を包んでいた。何しろ持ち物も何もない状態でやってきたものだから、昨日もカリーナ妃の侍女のサイズの合わない服を無理やり着ているような状況だった。それを見たハンナが見繕ったものだろう。何となく見覚えがある気がするから、おそらくこの城にあったリディアーヌの昔のドレスだ。

 キリアンの方は侍従のお仕着せを着せられていた。こうしてみると、昔のようで……けれど随分と雰囲気の変わった面差しと空気に、昨日、イグラーノがリディアーヌにひっそりと告げた言葉が思い起こされた。


『アンジェリカ嬢はいいとして……あのキリアンという男の方には気を付けた方がいい。うちの船でも徹底的に磨かせたが、あれには血の匂いが染みついている――』


 マグキリアンとキリエッタを引き取ったのは、ソレイユ自治国の商家だ。元々キリアンは王太子の側近候補として武術も嗜んでいたが、少なくともソレイユに行ってからは商人の子として育ったはずである。なのに血の匂いが染みついているなど、妙な話だ。

 しかし改めてキリアンの顔を見ると、なるほど……イグラーノの危惧していた通りである。到底、安穏と裕福な家で育ったお坊ちゃんには見えなかった。


「早速だけれど。まずはアンジェリカ嬢。一体どうして貴女がアルテンの船で私の所へやって来たのか。まずはその経緯から聞かせてもらえるかしら? 勿論……どこで、どうやってキリアンと知り合ったのかも」


 アンジェリカは少し言い辛そうに隣に座るキリアンを見たけれど、キリアンが「構わない」と頷くのを見ると、アンジェリカもまたゆっくりと頷いた。


「まず……私はここしばらく、クロード様に言われて、エメローラ領にいました……」


 それからアンジェリカが話し始めた内容は、多少話の筋道が理解しづらい箇所があったとはいえ、およそ曖昧だった情報を補填するに足りる内容だった。

 聖女生誕の地を理由に赴任していた怪しげな神父。村人達の様子。そしてやはり、アンジェリカがジュードに協力を求めることをも至った原因はセザールだったらしい。正しくは、セザールに誘導されたマリシアンだ。ただマリシアンもアンジェリカもジュードを頼るということの危険性についてはあまり理解しきれていないようで、話を聞きながら、“なんて安易な決断を”と頭を抱えてしまった。


「その……一応お兄様にも、危険性は説かれたんです」

「貴女の兄ということは……異母の兄よね? エメローラ伯爵家の」

「はい。私の四つ上で、ダリエルと言います」

「ん?」


 ダリエル? ダリエル……ダリ。ダリー?

 はて。以前はエメローラ伯爵家と聞いたところで、知らない家門だ、なんて言ったけれど、“ダリー”のことなら知っている。

 かつてリディアーヌはベルテセーヌに戻ってすぐ一年間だけ王立学院に通ったのだが、時にジュードが四つ上の学年に在籍しており、すでに卒業していたリュシアンに代わって何かと世話を焼いてくれた。

 ジュードは親しみやすい人柄だったから、学院でも多くの生徒がジュードを慕い取り巻いており、中でもジュードが特に目をかけて接している生徒達が何人かいて、その中の一人がダリーだ。

 リディアーヌの一つ年上。口数は少なく、がつがつと行くようなタイプでもなく、図書館に行けば大体いつも見かけるような勤勉な少年だった。珍しくジュードの方が積極的に構って可愛がっている子だったから、少し印象に残っているのだ。

 そんな“ダリー”が、あるいはエメローラ伯爵家の嫡男ダリエルなのではなかろうか。


 だとしたら、疑問点と疑問点が繋がる。学院ではジュードの一つ年下のセザールもいつも一緒に行動していた。セザールはジュードが殊更可愛がっていた弟であり、そのセザールもリュシアンとジュードをとても慕っていた。それは“ダリー”もよく知っているはずで、であれば、セザールがアンジェリカにジュードを頼ることを提案した時点で、ダリエルもセザールの意図には気が付いたはずだ。


 ただダリエルにとっては、クロードの失脚は妹の許嫁の失脚でもある。ダリエルは一応妹に対して、ジュードを頼ることはクロードにとって良くない事であることを忠告したようである。しかし結局は自らセザールの思惑に乗って、アンジェリカの提案に乗るふりをしながら、ジュードを免罪しに行く役を引き受けたわけだ。

 きっとセザールもダリエルも、すでにクロードに見切りをつけている……そしてジュードの復帰と……もしかしたら、その先の計画も、すでに。


 クロードはアンジェリカがさらわれたと聞いて自ら堅固な守りの王城を出てオトメールに出張ったと聞いたが、こうなってくると、“アンジェリカが(さら)われたから”ではなく、“アンジェリカがジュードを探させている”と聞いて、慌てて止めに出たのではという気もする。

 もしそうなら、クロードは何としてもアンジェリカを止めねばならなかったはずだ。だがアンジェリカは結局周囲に流されるがままにヴァレンティンに送り出された。つまり、アンジェリカをクロードから離そうという動きをした人達は全員、もれなくクロードの意を裏切ることになったわけだ。

 それは例えばセザールであり、あるいはダリエルであり、そしてくしくもマリシアンという王太子の最側近も、アンジェリカも、それに利用された。


 なんてことだ……くしくもベルテセーヌではすでに、王太子のひどく近い場所で、王太子下ろしが始まっているのだ。

 さすがにこんなことは……簡単には、アンジェリカに告げられない。キリアンは気が付いていて、アンジェリカと一緒にいるのだろうか? そういえば、まだどうしてキリアンがアンジェリカといるのかを聞いていない。


「それで、エメローラからオトメールに向かう途中……私や教区長様を襲って攫う指揮をしていたのが、キリアンです」


 話を続けるアンジェリカの言葉の中にようやくキリアンが出てきたところで、リディアーヌは思わず眉根を寄せた。

 予想はしていたけれど……やはり、“ソッチ”に落ちてしまっていたのか……。


「キリアンは、その……王女殿下が、亡くなったと思って……その」


 言い辛そうに口ごもったアンジェリカに代わって、「いい。自分のことは自分で話す」と、キリアンが口を挟んだ。


「そう。じゃあ聞かせてもらいましょうか……馬鹿な貴方の所業を」


 リディアーヌの言葉の厳しさに、キリアンも覚悟をしているのだろう。一度きゅっと口を引き結んでから、淡々とこれまでのことを語り始めた。


「ヴァレンティンでの葬送の後のことはご存じのようですから……その後のことからお話しします。妹に(さと)された俺……私は、一度はベルテセーヌへの憎しみに蓋をしました。ただ気持ちばかりは納まらず、むしゃくしゃと当たり散らすことが増えて、妹にも何度も迷惑をかけていました。妹が腑抜けた商家のボンボンと恋仲になったことも、妹が幸せであるのは嬉しいはずなのに、気に入らなくて……ひどい、喧嘩になってしまったんです。トール……妹の婚約者にも、怪我を負わせてしまいました」

「……」


 思った以上に情けないことになっていた。いや……かつては王国で無二の名門であったペステロープ侯爵家の嫡男だったのだ。親族諸共が憂き目に遇い、唯一残された主からも解雇されて妹と二人守られるだけの穏やかな場所に遠ざけられて。ただでさえやるせなさが溜まっている中、自分が守らなければと必死になっていた妹が、自分の力で幸せを見つけ、かつてであれば絶対に許されないような身分差の相手と結婚したいというのだ。さぞかし迷い戸惑うたことだろう。

 そしてキリアンには、それを相談できる相手もいなかった。


「幸いトールの怪我は酷くはならず……ただ私は妹に向ける顔が無く、この感情をどうにかしようと、ヴァレンティンに向かったんです」

「ヴァレンティンに?」

「かつてベルテセーヌで、エドゥアール様とリディアーヌ様に何があったのかを知りたくて、ヴァレンティンの町をうろついていたんです。そこで公女殿下の名もリディアーヌ様と仰ることを知り、もしかしてと……そんなことも」

「でも貴方はそうではないと思ったのね」

「私は葬送で確かに王女殿下が埋葬される所を見ました。そう……思っていました。それに公女殿下はカレッジで皇国の皇太子や他の選帝侯家の公子らと親しんで楽しく過ごされているといったような噂も聞いて……私の知る王女殿下とは違う気がして」


 確かに、実際に目にしなかったらそう思ったことだろう。

 ベルテセーヌという排他的な国で大人たちに囲まれ、“学生”なんてものとは程遠い生活を送っていたのが、リディアーヌ王女だ。ただそこら辺のただのご令嬢のように学校生活を楽しむ年相応の女の子の噂が、それに結び付くはずもない。


「調べてみても、ルゼノール家がその素性を明言していて、皇帝陛下も承認している。となれば、やはり別人なのだと」

「……えぇ」


 そういう風に、画策していたのだ。キリアンは見事、それに嵌ってくれたわけである。


「結局私は、それからしばらく当てもなく旅をして、カクトゥーラからクロイツェン。それからヘイツブルグを経由して……三年ほど前に、フォンクラークへ入りました」

「……貴方、フォンクラークにいたの?」

「はい。クロイツェンにいた頃、クリストフ二世陛下を暗殺した本当の黒幕はフォンクラーク王であったという話を聞き、真実を知りたく、海を渡ったんです。すでにフォンクラークは代替わりしていましたが、現国王や王太子が呪いを(こうむ)っているというような話もあって、じゃあ彼らとペステロープ家に関係が有ったのか無かったのか。どうやって先王陛下を弑したのか。本当のベルテセーヌ内の裏切り者は誰だったのか……」

「……それで。何か、分かったの?」

「確かに、フォンクラークが手を引いていて、現国王もそれに加担していたことは掴みました」

「断言するのね。一応、現国王の方は関係ないことになっているはずだけれど……」

「情報を得る過程で知り合った集団がいるんです。彼らに証拠になり得るものも見せてもらいましたから、間違いありません」

「集団?」

「“神の呪い”という集団です」

「……ん?」


 なんだそのあまりにも安直な名前の集団は。いや、だが中々馬鹿に出来ない名前ではないか? 何しろ幽閉処分を受けていた前王の不審死から、現王と元王太子の妻子がバタバタと亡くなってばかりいることを、世間ではまことしやかに“神の呪いを被った”などと噂しているのだ。

 そんな偶然とは思えないような名前の一致する集団がいて、しかも現国王がクリストフ二世暗殺事件に関与していた証拠まで持っていただと? そんな偶然……。


「っ……待って。その集団って、まさかッ……」

「彼らは先王や現王の悪事を暴くことを目的に掲げていますが、その活動の大半は、その名の通り……“神の呪いをもたらすこと”です。彼らは、王と王太子の周辺に、“呪い”をもたらす集団でした」


 何てことだ。いや、確かに変だとは思っていたのだ。いくら何でも現王と元王太子に関わるほぼ全ての女性や子供が死んでいるなんて、自然な現象ではない。

 それにリディアーヌは先日リンテンで、“神”というものと対話した。その様子を思い返してみても、神がフォンクラークの王族に呪いをかけるような存在とは到底思えなかった。神々はそんなことに微塵も関心は持っていない。彼らはただ誓約の通りに、正しい王が立つことだけを望んでいて、愛し子と呼ぶリディアーヌの不幸さえも、まったく認知していなかったのだから。


「キリアン……貴方、そんなにその集団について詳しいだなんて。まさか……」

「……隠すつもりはありません。見知った顔の一人が国王の妾妃を馬車事故に見せかけて暗殺する現場を目撃したんです。その頃から、彼らのアジトに出入りをするようになって……以後四度。私が初めて手にかけたのは、前王の(らく)(いん)と噂されていた少年でした」

「ッ……」


 思わず額に手を当てて深く俯いたリディアーヌに、キリアンも(しば)しぎゅっと口を噤んだ。

 良かれと思って傍から離した……なのに彼こそが誰よりも深いかつての恨みに囚われてしまっただなんて。そして噂されていただけのような少年の命を無為に奪うだなんて。

 信じたくなくて、でも信じざるを得ない……庇いようもない、罪だった。


「当然の報いだと、思っていました。だって……そうではありませんか? ペステロープ家は親族郎党、他家に嫁いでいた大叔母やいとこ、はとこ、顔も知らない親族に至るまで、全員が処刑されたんです。まだ言葉もおぼつかなかったような、私の小さい……弟妹もっ」


 アンジェリカが隣できゅっと息を飲んだ。

 だがそれが事実だ。ペステロープ家は乳飲み子からただ近侍していた家令やメイドに至るまで、計四十三名が無為に命を奪われ、正しい埋葬も許されず、遺体は山に野ざらしにされた。

 あまりにも非人道的過ぎるという教会の抗議によって後に土が盛られ墓標が立てられたが、そこに個別の墓石はなく、遺体も棺に入れられぬままにただ土の下に埋まっている。

 きっとキリアンにとって“神の呪い”という集団は、“ペステロープの呪い”と同義だったのだろう。彼が自ら手を汚したのは、他でもない彼なりの“復讐”だった。


「私が連中のやり方に(はん)()を抱いたのは、奴らが関係のない子供を標的にした時でした」

「関係のない子供?」

「王太子……あ。いえ、確かこの夏、廃太子になったと聞いているのですが」

「あぁ、グーデリックね……」


 口に出したくない名前なのだが、一応確認しておく。


「そのグーデリックに、庶出の子供が一人いることは知っていますか?」

「ええ。唯一呪いを被らなかったという子供ね。もう十を過ぎるのにすくすくと育っていて、まことしやかに“グーデリックの子ではないのではないか”という噂があることを聞いているわ」

「噂ではなく、事実なんです」

「……なんですって?」

「生母は夜会の折、殆ど乱暴紛いに()()めに遭った子爵令嬢で、その一夜限りの関係で生まれたのがパトリシオ王子です。王太子は子爵令嬢の出産を知って強引に後宮妃に迎え入れ、パトリシオを実子として公表しました。けれど子爵令嬢には他に恋人がいたんです」

「グーデリックではない……恋人の子だと? 証拠があるの?」

「集団はパトリシオ王子について徹底的に調べていたんです。王子の瞳の色は母親にも似て見えますが、おそらく本当は父親譲りです。それに細かいことを言うまでもなく、王子は日に日に面差しが“父親”に似てきています」

「なんてこと……」


 まさかこんな形で、噂の真相を知るとは思わなかった。


「しかしそうと知らない王と元王太子は、自分達が呪いを被っていない証拠としてパトリシオを利用しました。それで“神の呪い”はパトリシオを殺す……それもこれまでにない残酷な方法で殺すべきだと言い出したんです。私はそれを許容することができませんでした」


 そのわずかに残されていた良心に、感謝をするべきなのだろうか……いや、そんなことで償えたものではないだろう。それにキリアンはおそらく……。


「それで代わりに、その集団の方を根絶やしにしたの?」

「……ええ、そうです。私が。すべて……」


 思わずこぼした深いため息に、フィリックがそっと肩に手を添えた。その肩にのしかかった重みが、何とかリディアーヌに次の言葉を引き出させる。


「それで?」

「“神の呪い”は非人道的な集団だったとはいえ、その情報収集能力は無視できない物でした。集団を潰してからというものの、私は新しい情報を仕入れることが出来なくなり、無為に過ごしていたんです。そしてこの春……城下で、新しい標的を見つけました」

「……ヴィオレット」


 呟いた言葉に、キリアンは深く頷いた。


「ありとあらゆる情報を精査した限り、おそらくペステロープ家の仇敵……あるいは殿下の仇として最も上位にある家が、オリオール侯爵家です。その娘が、私の目と鼻の先に現れたんです」


 アンジェリカが、ガタンッと椅子を鳴らして驚嘆したのが分かった。

 今にも口を挟みたそうにパクパクと空気を食み、物言いたげにキリアンと、黙って口を閉ざすリディアーヌを見比べる。そんなアンジェリカがひとしきり驚ききり、ぎゅっと口を引き結んで俯いたのを見てから、キリアンは再び口を開いた。


「王女……公女殿下は、驚かないのですね」

「心外だわ、キリィ。私とお兄様が、ペステロープ家の冤罪を晴らさんと、何の努力もしなかったと? 貴方達を遠ざけたからといって、その恨みを忘れたと思っているの?」

「っ……」

「確かに、私達にはそのための時間が足りなさ過ぎた。でもお兄様はね……亡くなられる直前、私に大切なことをすべて話してから逝かれたの。ベルテセーヌの王妃になるのであれば、私が最も気を付けないのが誰であるのか。かつて私達の大切な幼馴染に悲劇をもたらしたのが誰なのか。私達は一瞬たりとも、貴方達に悲劇をもたらした者を探すのを諦めたことは無かったわ」

「エドゥアール様が、そんなことを……」

「考え続けていたお兄様と、ベルテセーヌに戻り情報を集めていた私。二人の情報を整合して、それでお兄様が真っ先に名を挙げたのが、オリオール侯爵家だったわ。当然よね。ペステロープ侯爵はお父様の腹心。そのお父様の嫡男であるお兄様を裏切って真っ先にシャルルに尻尾を振ったのが、オリオール侯爵だもの。ペステロープに対する断罪はシャルルの不安の表れでしょうけれど、その苛烈さはブランディーヌ夫人の気性を窺わせるわ」

「私も同じ見解です」


 あくまでも中途半端なままに終わった憶測だった、キリアンがそう言うとなるとリディアーヌも確信を深めざるを得ない。

 オリオール家は決して国王暗殺の実行犯として手を染めたわけじゃない。その点は紛れもなく、フォンクラークの刺客だった。だがそれを利用しペステロープ家に悲劇をもたらした中に……きっと、オリオール家がいる。


「だから貴方は、ヴィオレットを監視し始めたのね?」

「はい。最初は、いつ殺そうか。どんな無慈悲な殺し方をしようかと……ただヴィオレット嬢は見れば見るほど、本当にあのオリオール家の娘なのかという……その。なんと、いうのか……」

「パン屋でパンを焼いて暮らしていたと聞いたわよ。なんでも次々と珍しいパンを売り出して、一躍時の人だったとか」

「……」


 次に頭を抱えたのはキリアンの方だった。どうやら噂は本当らしい。


「私はペステロープとしてヴィオレット嬢と面識はなかったはずなのですが、彼女はなぜか私のことを知っていました。あろうことか“悲劇の一族”扱いまでされて。それに始めは随分と腹が立ったのですが、彼女がオリオール家の罪を何も知らないことはすぐに分かりました。それから探るつもりで、店の護衛を引き受けていたんです」


 そうして、ヴィオレットを監視していたわけだ。なのに……。


「いつの間にか……邪気を、抜かれてしまったんです。私も侯爵家から平民に身をやつした身です。気持ちの切り替えも生活習慣の変化も、平民になるというのがいかに難しいことかを知っています。なのに彼女は驚くほど自然に平民として馴染んでいて、なのに慈善活動に精を入れるところなどだけはいかにも貴族で。グーデリック王子に城に召喚されたこともあったんですが、貴族ならそれがどういう意味か、どう対処すればいいのか分かっているはずなのに、よりにもよって荷物を纏めて夜逃げをするなど……危なっかしく、目が離せなくて。私もそれに、同行を申し出ました」

「完全に(ほだ)されてるじゃない」

「……」


 くしくもそうして、キリアンは自分の意思で、ヴィオレットを守る方を選んだわけだ。


「ただこれは私がどうこうするよりも、常連の……ええ。つまり、皇国の皇太子殿下が手を貸して、私とヴィオレット嬢はそのまま皇国に渡ったんです」

「ここで出て来るのね……“アレ”は」


 まさかキリアンがそこまで深くヴィオレットに繋がっているだなんて思わなかった。ここまで来ると、どうしてキリアンがベルテセーヌにいたのかも、すべてが読めた。


「ハァ……寄りにもよって、アルトゥールの犬になるだなんて」

「っ……」


 棘のある言い方と同時に、大国の皇太子を呼び捨てたリディアーヌに、キリアンは緊張の面差しで身を固くした。

 多分キリアンの方からも色々と聞きたかっただろうが、彼は流石によく身に沁みついて分かっている。圧倒的下位であるキリアンから、不作法に公女に質問なんてできないことを。


「そういえば貴方は先ほど、ヴァレンティンで、公女が皇国の皇子と親しくしているという噂を聞いたと言っていたわね」

「はい。ヴァレンティン公女殿下は、エドゥアール殿下とリディアーヌ殿下の()(まい)だった方……その公女殿下が親しくされていた方であれば、ヴィオレット嬢の十分な庇護者になるはず。そして私も皇太子という後ろ盾を得られれば、ベルテセーヌで起きた事件の真相究明に今一歩近づけるずだと……迷っているヴィオレット嬢の背を押し、クロイツェンの皇太子殿下を頼らせたのは、私です……」

「……」


 もう、何てことだと頭を抱えるのにも疲れてきた。

 だが言いたい。言ってやりたい。“あぁ、何てことだ……”。

 こんな悲劇……あっていいのだろうか。よりにもよって、どうしてキリアンが、そんな(いばら)しかない道に導かれてしまったのか。

 真実を知った時……彼は、どうなってしまうのか。


「キリィ……あぁ、キリィ……なんてことなの。私はどうしたらいいの……? 貴方の恨みの深さを知っているわ。他でもない私自身が抱く恨みと同じなのだもの。でもキリィ……マグキリアン。貴方に真実を伝えずただ遠ざけようとしたことを、今、とてつもなく後悔しているわ」

「……ベルテセーヌでの道中、ロマネーリ大司教が私に言いました。何故、皇国なのかと。他でもない……クリストフ二世陛下の御命を奪ったのは、皇国の王なのに、と」

「あぁ……」


 なるほど。アルトゥールの手駒としてベルテセーヌに送り込まれ、ヴィオレット派の裏で暗躍していたのがキリアンだ。彼のこれまでの経歴を聞けば、それがいかに()(やす)かったのかは想像に難くない。

 だがそんなキリアンがどうしてアンジェリカに同行し、その逃亡を(ほう)(じょ)することになったのか。それは教区長の告げた、その言葉のせいだったのだろう。

 だとしたら、隠すことはできない。たとえそれが彼をとてつもない後悔に貶めるとしても。


「キリィ……私は確かに、ヴァレンティンの公女となって程なく通い始めたカレッジで、アルトゥール皇子と友人になったわ。“すべてを承知した上で”、彼に近づいたわ。私は彼を恨んでいないし、彼のことは、対等に議論を交わせるだけの聡明な友として認めているわ。けれどそれは彼個人に対する私の私人としての感情であって、皇国と、そして皇国の皇太子に対する感情ではないわ」

「……」

「教区長様が貴方に言った言葉は事実よ。お父様とお母様に暗殺者を差し向けたのはフォンクラークの王だったけれど、そのようにフォンクラーク王を誘導したのは、現皇帝クロイツェン七世陛下――その人に他ならないわ」

「ッ……何故ッ」


 ダンッと机を叩いたキリアンに、アンジェリカが脅えたように肩を跳ね上げた。

 当然だ。それだけの強い感情のこもった、嘆きの一言だった。


「何故、皇帝の孫を私が友と呼ぶのか? 何故、恥知らずにもアルトゥールが私に近づいたのか? あるいは何故、ヴィオレットがアルトゥールに気を許したのか? それとも……何故私が、皇帝陛下に懇願してまで、リディアーヌ王女を殺したのか……かしら?」

「すべてですッ。知っていたのなら、どうして!」

「勘違いしないで、マグキリアン・ペステロープ。私は王女リディアーヌを殺したけれど、私の矜持まで死なせてしまったわけではないわ。クリストフ二世が皇帝を志したのは何故? お父様が望んでいた帝国とは何?」

「ッ……」

「もしもこの場に皇帝陛下がいて、その人は何の権力も持たないただの老人だ。好きにしていいと言われたのなら、私は迷うことなくその首を掻き切り、全身を切り裂き、野に放り出すわ。この恨みに、微塵の迷いもない」

「……っでは……何故ッ」

「けれどその老人は皇帝なのよ。それを(くつがえ)したところでどうなるの? 今、クロイツェン七世に代わって帝国を治められる器の王が他にいる? 私は、シャルルにだけは絶対に皇帝の錫杖を与えないわよ……お父様とお兄様のものを奪ったあの男にはだけは、絶対に」

「っ……」

「私は、元王女であり、選帝侯家の公女よ。私情で帝国の君主の首は斬らないわ」


 貴方とは、違って――。


「……」


 固く拳を握って打ち震えるキリアンに、重たく……深い深い吐息をこぼした。

 嫌な話をしてしまった。できる事ならば自分の胸の奥深くに押し込めておきたかった本音。口にしてしまえば、きっと誰かを打ちひしがれさせるであろう、毒のような本心だ。その毒は、リディアーヌ自身をも傷つける。

 そんな他でもない自分自身を宥めるためにも、リディアーヌはカタンと椅子を引いて腰を浮かせた。


「少し……時間を置きましょう。このまま話し続けたら、きっと私は心無いことを口にして貴方を傷つけるわ」


 こんな話、したくなかった。

 胸の内に納めているからこそ、我慢できているのだ。口に出してしまうと、忽ちに恨みに飲み込まれそうになってしまう。だからそれをぐっとこらえるように口を引き結んで席を立ったリディアーヌに、そっと、フィリックがエスコートの手を差し伸べてくれた。

 その手に引っ張ってもらいながら重苦しく打ち沈んだ部屋を出れば、窓の外の美しいヴァレンティンの景色がリディアーヌを(さと)してくれる。周りに心配そうに集まってきた私の愛おしい側近達が、この毛羽だった感情を(いさ)めてくれる。

 だがキリアンには、そんな人がいなかったのだ。

 いなかったばかりか……。


「ヴィオレット……」


 私の大切なものをことごとく壊してゆく、ブランディーヌの娘――。

 この溜まりに溜まった血の噴き出すような感情を、一体私は何処に向ければいいのだろうか。






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