2-22 事情
ただちょっと情報を得るためにベルテセーヌに近づこうとしただけなのに、とんでもないことになった。
「すぐに事情を聞かなくて良かったんですか? 姫様」
城に足を踏み入れるリディアーヌを丁寧にエスコートしつつ問うたフィリックに、どうしたものかと息を吐く。
「聞きたいけれど、ちょっとその前に私も頭を整理したいわ。まさか……キリィがいるなんて、思わないじゃない……」
「貴方方は昔から、ペステロープの兄妹に気を使いすぎです」
「そりゃあ気も使うわよ……」
彼らは力の足りない私達のせいで、親兄弟はおろか祖父母に小父小母、血の繋がる悉くを無残な方法で処刑されているのだ。それがどれほど、リディアーヌ達にとってトラウマとなったことか。
「マグキリアンがベルテセーヌにいたなど、到底ろくな話ではないと思いますが?」
「フィリックは昔からキリィに厳しいわね。嫉妬かしら?」
「ただの純然たる嫌悪感です。臣下でありながら主に助けられ見守られ、迷惑までかけるなど、まったく生きている価値もない人種です」
「貴方の斜めに尖った価値観で他人を測らないでくれる?」
ただでさえフィリックは狂臣じみているんだから。
そう雑談を交わしながら、日頃主が不在の大公家用の執務室に入ると、先んじて中で待ち構えていたイグラーノが「おっ」と顔を上げた。何でいるんだろう。
「やっぱり来たな、姫様」
「どうしてここにいらっしゃるの? イグラーノ様」
ちょっと呆れつつ、隣で申し訳なさそうにしているミッテラン伯爵にさっと手を挙げて座るように促した。伯爵は、ただ賓客の王子様に逆らえなかっただけの被害者である。
「なんだなんだ、もっと親しい感じに、イグラーノおじ様、って呼んでくれていいんだぞぉ」
「もれなくお養父様が殿下に大層なご無礼を働きそうなので止めておきますわ」
そう呆れた顔で苦笑しながら席に着くと、いつものように後ろに控えたフィリックがお茶の用意をするよう、フランカに促した。
「ひとまず、思いがけない時間にいらした理由は察せましたわ。面倒をおかけして申し訳ありませんでした、殿下」
「大した面倒ではない。ただ護衛船が二三、今にも沈みそうな有様になっている。ドックを都合してもらえると有難い」
「まさか本当に夜闇を航行なさるだなんて……よく本船がご無事でしたね」
「選りすぐりの海竜と水夫達を連れてきたからな」
「うちの航海者達が好きにドックに出入りして質問をする許可をいただけるなら、ドックだけでなく資材も職人も海竜のための良質な餌も、すべて都合致しますわ」
「よし、乗った」
軽い感じで進んでいく話に、二人の関係性をよく理解したらしいミッテランが苦笑しながら、さっさとその旨を手配する書類を用意しに向かってくれた。仕事のできる代官で助かる。
ミッテランが部屋を出ると、「さてそれで、その客人だが」とイグラーノが話題を切り出す。ミッテランがわざわざこの部屋ではなく席を外して書類を用意しに行ったのは、その件を話す時間を融通してくれるためであろう。
「まずはどうやら本物のアンジェリカ嬢だったようで安心した」
「確信もなく国の船に乗せていらしたんですか?」
「ちょっとした成り行きだったんだ」
イグラーノはそう言って、まずここまでの道中何があったのかを説明してくれた。
ベルテセーヌに入ってすぐは特に問題もなかったのだが、二つ目の寄港地であるラルジュでは王太子に対する反感的な噂が広まっていて、どうにも空気の良くない状況を感じたこと。そしてオトメールではすぐ近くで暴動が起きていて王太子率いる近衛軍と暴徒が激突しており、町中は町中で、駐在兵が“凶悪犯”などといって聖女アンジェリカを探し回っており、アルテンの王国船に立入検査までしかけたこと。
「何て愚かな真似を……」
思わずハァとため息を吐いたリディアーヌは、飲みかけのお茶に蜂蜜を溶かし込んだ。急激に甘いものが欲しくなったせいだ。
「あのアンジェリカというお嬢ちゃんは王太子殿下の許嫁と聞いているが、随分と王侯の社交に不慣れなようだな。我々をすっかり無害と認識したのか、少しも気にすることなく目の前でいろんな情報を漏らしてくれたぞ」
「見事なまでのド素人なのです。危なっかしくて、困ってしまうわ」
そう言いながらも思わず口元が緩んでしまったせいで、イグラーノには「気に入っているんだな」なんて言われてしまった。
「こほんっ。それで? イグラーノ様の前で、一体どんなことを漏らしたのかしら?」
「さて……どうしようか」
叔父と旧知とはいえ、一国の王子。さすがに、ベラベラとは情報はくれないか。
だが正直その情報は、イグラーノにとっては大して価値のない情報であるはずだ。だったら対価も、“安価”でいいはず。
「あら、いつもなら面白おかしい船旅のお話を沢山して下さるのに、今回に限っては随分ともったいぶるんですのね、イグラーノ“おじ様”」
「くっ。もったいぶって良かったッ」
おじ様と呼ばれて何が嬉しいのだろうか……非常に不思議である。
ごほんっ。
「それで?」
「アンジェリカ嬢を拾ったのはうちの奥さんの方でな。あれはこっちの大陸には不慣れだから、アンジェリカ嬢が十二、三歳の子供に見えたんだろう」
「そこまで童顔じゃありませんわよ、私達」
「いやいや、あのキリアンとかいう男、聞けば二十代半ばだと? さすがに驚いたぞ。詐欺だろ」
そういうものだろうか?
「だがどうりで、大した落ち着きぶりだった。こっちの素性もすぐに見て取ったようで、無害な顔をしてぬけぬけと……最初から俺達にヴァレンティンに連れて行ってもらうつもりだったようだな。おろおろしているアンジェリカ嬢のおかげで、そのあべこべぶりが逆に面白おかしかったが」
「どうやらキリィについては妙なことになっているようですわね」
「アンジェリカ嬢とは元々別口で、偶然一緒に行動していただけだそうだ」
そういうイグラーノは、アンジェリカから聞いた話、それからそのアンジェリカがロマネーリ教区長と交わした会話の内容まで、すべて余すことなく話してくれた。
「教区長様が、アンジェリカ嬢と?」
「随分と親し気にみえたぞ」
「そうですか……」
良かった、というのか、驚いた、というのか。何と表現したらいいのか分からないが、とりあえず安堵した。どうやら教区長ともあろうお人が随分と大変な目に遭っていたみたいだが、幸いにしてイグラーノが遭遇した時にはすでに安心できる状況だったようだ。
「それより問題は、アンジェリカ嬢が書いたというその証書ですわね……」
はぁ……まさかそんなことになっているだなんて。
「ジュード兄様だけならまだしも……廃太子を利用しようだなんて」
「アンジェリカ嬢も何やら心配をしていた。リスク覚悟ということだろうが、正直余所者の私にはよく分らなかったな。まぁ、廃太子の助力で問題を解決しようものなら今の王太子が困る、くらいのことは誰でも分かるが」
それだけ分かっていれば十分です、と言いたい。
「今こっちでは、ベルテセーヌ王太子が一方的に婚約破棄した元許嫁が、よりにもよってクロイツェン皇国の無慈悲で鬼畜な皇太子とくっつきそうで、面倒くさいことになっているんです」
「あぁ、姫の“悪友”の」
「ぐっ……」
言葉もない。
「つまり、あれか? 帝国の何やら小難しい制度の……皇帝戦がどうのこうのとかいうやつに絡んだ騒動なのか?」
「ええ。元許嫁のヴィオレット嬢に代わって新たに王太子の許嫁となったアンジェリカ嬢が聖女の承認を受けたことで国内の混乱は治まるはずで、そのために私も聖女の承認に協力をしたんです。けれどヴィオレット嬢がクロイツェンなんぞに取り込まれてしまったせいで再びベルテセーヌは不安定になっていて……」
「それが今ベルテセーヌを騒がしている“ヴィオレット派”か。そういえばラルジュで、そのヴィオレットという令嬢を庇護する内容が書かれたビラを受け取ったぞ。興味なかったんでその場で捨てたが、印刷の技術が随分と良かったんで、まだ誰かが研究がてらに持っているかもしれない。後ほど探させよう。確か、リベルテ商会……とかなんとかいう商会が配っていたようだが」
「リベルテ商会……」
聞かない名前だ。少なくとも、リディアーヌがベルテセーヌにいた時に有名だった商会ではない。アンジェリカならば何か知っているだろうか。
「そのビラとやら、是非見てみたいですわ」
「それがヴィオレット派とやらに関係があるのは間違いないだろうからな」
「ええ。それに聖女アンジェリカを狙うとしたらヴィオレットの母親……それに教区長様まで狙われたということは、アルナルディ正司教も関わっているでしょうね。ラルジュやオトメールにまで噂が飛び交っていたということは、王都だけでなくベルテセーヌ各地に工作員が潜り込んで扇動しているということ。ブランディーヌ夫人にそこまでの手駒は無いでしょうから、ヴィオレット本人か皇国の工作の可能性がまた高まりましたね」
「ははっ。あのお嬢ちゃんは、黒幕を引きずり出すための囮がどうのこうの言っていたが、どうして国外にいる君の方が詳しいんだか。不思議だなぁ」
「はぁ? 囮?」
こんな分かり切った問題に、一体彼らは何を手をこまねいているのだろうか。セザールやクロードにもしっかりと皇国に気を付けるよう念を押しておいたはずなのに。
その上、考えた末の結果がどうして“ジュード”や“リュシアン”なのか。まったく、微塵も意味が分からない。
「そんな顔をしてやるな、お姫様。当人達は至極真剣なんだから」
「どんな顔か存じませんけれど、呆れもしますわ。こんな暴動ひとつ収められず、ジュード達の力を借りようだなんて。それで収まったところで、クロード殿下の復権なんて……」
言いかけたところで、思わず口を噤んでしまった。
いや、おかしい。いくら何でも……この状況は、おかしすぎる。
「どうした? 姫様」
「……イグラーノ様。アンジェリカ嬢は、セザールに言われてジュードを頼ろうとしていたと。そう仰いましたよね?」
「はっきり聞いたわけではないが、話の流れとしてはそういうことかと思う。うちのカストルは記憶力がいい。何なら教区長との会話を一字一句違わず紙におこせるが」
「いえ、ジュードという名前が出てきただけでも、セザールの関与を疑えます。少なくともジュード兄様と縁の薄かったクロード殿下や、ましてやアンジェリカ嬢の発想でないことは確かです」
だがセザールは、そこまで愚かではない。
確かに独力でこの騒動をどうにかしたり、保身せずに状況を指揮できるような人間ではないけれど、この状況でジュードやリュシアンを担ぎ出すのがどれほど愚策なのかくらいは分っているはずだ。
しかもセザールは、ジュードとリュシアンの現状を良く知っていた。ジュードが南方にいることも、リュシアンが青の館にいることも。
いくらかつて弟として可愛がられていたからといって、仮にも罪人とされた王子達のことだ。セザールが探ろうとすれば目立ったはずで、なのに危惧されることもなくそれらの情報を仕入れて、しかもリディアーヌにわざわざ伝えにまでやってきたのだ。
そんなセザールが、果たして何も考えずに、アンジェリカ達にジュードを頼れなど指示するだろうか?
「……何てこと……」
昔からとんと無欲な顔をして、王子などとは思えない謙虚さで身を引き影に徹してきたセザール……それがまさか、この騒動を利用してクロードを失脚に追い込もうとしているのか?
「忘れていたけれど、あぁみえてジュード兄様にとても可愛がられていた“弟”なのよね。無欲を装っているけれど……きっと誰よりも兄様達を貶めた人達を断罪する機会を狙っていたはずよ。有り得ない事ではないけれど、そんな甲斐性のある人だとは思ってなかったわ」
「ひどい評価ですね」
思わず突っ込んだフィリックに、「私が知っているセザールは、八年前までのセザールなのよ」と肩をすくめた。少なくともあの頃までは、ただただ純粋で無欲なジュードとリュシアンの弟だったのに。
「情報は役に立ったみたいだ」
「ええ、イグラーノ様。感謝いたしますわ」
「感謝?」
感謝とは? とニコニコこちらを見るイグラーノに、一つ呆れた顔で嘆息する。
「はいはい。とっても感謝しておりますわ、イグラーノおじ様」
「うーんっ、やっぱりいいね。おじ様と呼ばれるたびに、我が悪友の嫌そうな顔が思い浮かんで気分がいい!」
そんな理由……だったんですね。王子殿下。
私の悪友も大概だが、叔父様の悪友も大概である。
※明日は更新お休み。次は15日に。




