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2-17 誘拐と逃亡(4)

side アンジェリカ

「町に入る前にお兄様達に合流出来たら……」


 一番いいのだけれど、と言いかけたところで、カタンとどこかから聞こえた物音に、はっとして息を潜めた。

 ギシリギシリと鳴る古い教会の床板の音。とても小さな音だが、子供の足音ではない。とても慎重で、ゆっくりと。だが的確にこちらに向かってくる音だ。

 ひっそりと柱の影に身を寄せ、先ほど武器代わりにと思って持ってきていた燭台をぎゅっと握りしめる。


「いるのは分かっている。出て来い」


 案の定声はキリアンの声で、すぐにもアンジェリカを制した教区長が柱の影を出た。


「教区長様……」

「大丈夫です、アンジェリカ様」


 そう言いながら一歩、一歩と柱を離れた教区長は、剣に手をかけるキリアンをじっと見ながら、自分は武器を持っていないことをアピールするかのように両手を軽く広げた。


「マグキリアン・ペステロープ。待っていました。少し、私と話を致しませんか」

「必要ない。大恩ある先王陛下を裏切った背信者め」

「……背信、ですか。(いわ)れのない言葉です」

「黙れ、裏切り者! 王女殿下を死に追いやったお前に生きている資格などない!」


 王女? 王女って……リディアーヌ公女?

 何が何だか意味が分からずにアンジェリカがおろおろと首を傾げている内にも、教区長は深い吐息を吐きながら、「なるほど」と呟いた。


「確かに……ヴァレンティン大公家から聖女殿下を王太子妃としてお迎えするよう国王陛下に申し上げたのは私です。ですからその罪は私にあるといえましょう」

「えっ?!」


 思わずアンジェリカは驚きの声を漏らしたが、誰もそれを気に留めた様子は無かった。

 無視かよ、お前達。腹立つな。


「しかしであればマグキリアン殿。貴殿が“ヴィオレット派”などに加担なさっているのはどういうおつもりか」

「っ……言う必要などっ」

「いいえ、聞いていただきたい。ヴィオレット嬢……かのご令嬢は真っ先にエドゥアール殿下を裏切った国王陛下の忠臣オリオール侯爵家の令嬢。しかも令嬢は今、“皇国”に通じているというではありませんか」

「黙れ。お前に俺達の何が分かるッ! これは復讐だ。俺から家族と親族、仕えるべき王とその最愛の妹君、ありとあらゆるものを奪った現王室と簒奪者達への!」


 その言葉を聞いてようやくアンジェリカは悟った。彼は知らないのだ――リディアーヌ公女こそが、リディアーヌ王女であるという、その事実を。


 だがそんなことを教えたところでどうなるというのか。

 “簒奪者”。実に謂れのない中傷であり、だが多分、それが彼にとっての事実だ。アンジェリカとて他人事ではなく、彼に恨まれることは“クロード王太子の許嫁”である以上、きっと避けては通れない誹謗でもある。

 それにアンジェリカは“聖女”になってしまった。非業の死を遂げたとされている前聖女の死を裏付けるかのような、新たな聖女だ。間違いなくそのことも、彼の恨みを買っている。

 でもどうしたらいいのか。そうじゃない。リディアーヌは生きているのだと、言えばいいのか。いや、言っていいのだろうか?

 そんなアンジェリカの迷いとは裏腹に、至極落ち着いた教区長は、嘆かわしいと言わんばかりに首を横に振った。


「だから、国王陛下とオリオール侯爵家に見捨てられたヴィオレット嬢に共感なさって、このような真似を働いたと? なんという愚かな真似を。他でもない、先王陛下の御命を奪った黒幕こそが、皇国であるというのに……」

「ッッ……」

「なっ……ッ!」


 キリアンばかりでなくアンジェリカもまた驚嘆に、我も忘れて柱を出てしまった。

 何だと? 何と言った? 先王を、シイした……シイシタ?


「世迷言をッ! そんな(ざん)(げん)に……」

「貴殿があれからどうしていたのかを私は存じておりません。だがこの国を出たのであれば、いくらでも知る機会はあったでしょう。なのになぜ貴殿は知らぬのか、逆に問いたい」


 いや、知りたいのはアンジェリカの方だった。

 ベルテセーヌにおいて、先王暗殺の黒幕はフォンクラーク王であったというのが暗黙の了解だ。その上で、共犯者でありフォンクラークを手引きした国内の裏切り者として処断されたのがペステロープ侯爵家だったと。だがそれが冤罪であることは、先んじて知ったばかりだ。

 しかし教区長はあろうことかさらに、その先にさらに皇国がいるというのか? そんなのはあまりにも荒唐無稽ではないか。


「違うッ! すべてはフォンクラークのッ」

「そのフォンクラークを操ったのが、クリストフ二世陛下の御崩御によって帝位を得た御方……皇帝クロイツェン七世陛下だと申しているのです。貴殿は先程、王女殿下を王太子妃として呼び戻した私のことを非難なされた。しかしそれをお受入れになられたのは、王女殿下ご自身です。貴殿はその理由を考えなかったのですか?」


 そういえば、そのことは手記に書かれていた。

 両親と故郷を懐かしむ言葉と、幼く拙い感情の数々。そしてそんな中に一際異質であり、衝撃的だった一言。


「次の皇帝は、必ずベルテセーヌから出さねばならない……」


 思わずアンジェリカが呟いた言葉に、コクリと頷いた教区長が、どこか悲痛をも孕んだ様子で視線を投げかけてきた。


「御年わずか十歳にして、王女殿下はご自分の価値を理解していらっしゃいました。ご両親の死の真犯人をどれほどご存じだったのかは分かりません。しかし皇帝戦の謀略の中で亡くなられたことはご存じだった。殿下はご自分と兄君から居場所を奪った現国王陛下への深い恨みを抱きながら、しかし“聖女”として、自らご降嫁あそばさったのです。父君が得るはずであった帝位を、ベルテセーヌが取り戻すために」


 何てことだ。

 十歳だ。十歳なのだ。なのに私怨ではなく、国を選んだと? それだけの覚悟で、聖女の肩書きを背負っていたと?


 私は何て愚かだったのだろう。同じ聖女の肩書きがあるのだから、許嫁のクロードにも同じだけの後ろ盾を与えられるはずだ、なんて。愚かにも程がある。自分と彼女とでは、背負っている覚悟も意思の強さもまるで違う。

 私はもしもクロードの兄弟の誰かがクロードを罪人に貶めたとして、じゃあその兄弟の身内の婚約者になれるかと言われたら、絶対になれない。むしろ復讐してやると思う。

 でもかつての王女は、そうしたのだ。“ベルテセーヌの聖女”として。


「教区長様……教区長様が私を受け入れてくださったのは、そんなリディアーヌ殿下が、私を聖女として認めてくださったから……なんですね? リディアーヌ殿下は私に、ベルテセーヌが皇帝戦を戦い得る存在になるよう、その役割を託した……」

「そうです、アンジェリカ様。貴女が本物であろうが偽物であろうが、そんなことは私にとってどうでもいいのです。“公女殿下”が貴女様に“聖女の鍵をお授けになった”。それだけで、充分です」

「待て……ッ、待て、大司教ッ。どういうことだ!」


 カンと投げ飛ばされた剣が床をはねた。武器を捨て、だがカツカツと駆け寄ってきたキリアンは教区長の服の胸ぐらをつかみ上げた。咄嗟にアンジェリカも足を踏み出そうとしたけれど、それは教区長の手が制した。

 キリアンの面差しは変わらず険しいままだけれど、そこには教区長を殺そうというような意思は見えない。彼は今、真実を知りたがっている。


「どういうことだ……公女……殿下、だと?」

「マグキリアン・ペステロープ。リディアーヌ殿下は、生きておいでです。ヴァレンティン大公家の、いと青く深き森に守られて」

「違う! そんなはずがない! ヴァレンティンの“リディアーヌ公女”は()()()ではない!」

「何故そう思われるのか。同じ年、同じ名前、同じ性別、そして同じほどに名高いあの方をそうと知らぬのは、こちらの情報に疎い東大陸の者達くらいなもの」

「そん、な……だが、珍しい名前ではないっ。大公家にもッ……」

「ええ。“聖女リディアーナ”の御名は、ベルテセーヌにおいて知らぬ者もいない歴史上有名な聖女様の御名であり、先王王女リディアーヌ殿下の御名の由来にお成りあそばされた方です。それにあやかって、リディアリア様、リディアンヌ様、ディアーナ様、ディアンヌ様……歴代の王女殿下にも由来する御名が多く付けられてまいりました。血縁の深いヴァレンティン大公家でも」

「どういうことだ……王女殿下は確かに、身罷られたと。それに、私はその葬送をこの目で見た! 我が王子と共に並び埋葬されるところを、確かに!」

「であれば、ご当人にお会いになればいい」

「ッ……」


 そうだ。そうすればいい。事情はよく分からないが、彼は少なくとも“リディアーヌ王女”の敵ではない。だったら、まだ味方にできる。


「キリアン……様? 私達は、オトメールに行きます。オトメールからは、南北に船が出ているのでしょう? だったら貴方は、北に行けばいい」

「き、た……?」

「ヴァレンティン家の公女に会って、話をするといいわ。私が紹介状を書きます。私から手紙があったと聞けば、公女は貴方に会ってくれるわ」

「何故……偽物のお前が……」

「私を聖女と認めてくれたヴァレンティン家の公女殿下こそが、リディアーヌ王女その人だからよ。私はリディアーヌ殿下に、聖女として、ベルテセーヌを頼むと言われたの」

「嘘だ……嘘だッ! 仮にッ。もし仮にあの方が生きておられたとして、ベルテセーヌにどれほどの仕打ちを受けたか! あの方がベルテセーヌを頼むなどとッ」

「だから本人に聞けばいい! それとも怖いの?! リディアーヌ様が“頼む”といったベルテセーヌに、貴方はこんなひどい混乱をもたらしたのだものっ。それを咎められるのが怖くて、嫌だというの?!」

「違う!」

「じゃあ私達と一緒に来なさい!」


 そう言い切ったアンジェリカに、ポカンと言葉を失ったキリアンが、やがてゆるゆると教区長の服から手を下ろし、トツ、トツと後ろに引き下がった。


「有り得ない……そんなはずはない。だってアイツは……“ヴィオレット”はそんなこと……」


 ヴィオレットーーその名に思わずピクリとアンジェリカの眉根が寄った。

 一体、この男は彼女とどう繋がっているのか。


「生きて……ベルテセーヌを、守ろうとしている、だと? 今の王室を?」

「そのご真意を、私は存じません。けれど少なくとも貴方の今の姿を御覧になったなら、殿下はさぞかしがっかりとなさることでしょう」

「……」


 その表情にはまだ混乱が強く、だが戦意は失っているように見えた。

 いともたやすく人を殺め、暴力を振るえる人間だ。なのに今の彼は、すべてに迷いを抱いているかのようだった。

 彼にとってのリディアーヌ王女……エドゥアール王子とは、どんな人だったのだろうか。先王暗殺の犯人として断罪されたペステロープ家とは、一体、どんな家だったのだろうか。


 彼を見ていれば分かる。やはり、“冤罪”なのだ。

 どうしてだろう。この国には……この帝国には、冤罪が溢れている。

 そしてアンジェリカもまた、その冤罪を“かけた側”だ。

 自分はいい加減、その責任を自覚せねばならない。






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