2-11 エメローラ伯爵家(2)
「ダリエル……お兄様? どうしてここに?」
異母兄とは特に仲が悪いというわけではないが、どちらかというとお互いに不干渉というに近い関係だ。それがどうしてこんな寂れた、用もない田舎の農村にいるのか。
「まだいたのか。お前に客が来ているからさっさと戻りなさい」
「私に?」
それでわざわざ兄が呼びに来てくれたと?
そのことに首を傾げていたら、「伝言はついでだ」と言われた。
「ちょうどいい。昨今、この村の再開発の話が上がっているが、お前はどう思う」
「え? 私、ですか?」
そんな内政的なことを他人に問われるのは初めてで、思わずびっくりして辺りを見回してしまった。だがここには自分しかおらず、兄は確かに自分に問うているらしい。
「あの、再開発と言われても。こんな、何の特産もないような村で、何を?」
「聖女誕生の地を盛り上げたいそうだ。ところで、ヴィヨー家というのはあのボロ小屋か?」
引っ込んでいた神父様が咄嗟に何かを口に出しかけたけれど、それにはアンジェリカが間髪入れずに「あのボロ小屋ですわ」と言った。
「聞いていた以上の荒れ果て具合だな。父上はあのような場所で君の母を見初めたと?」
「さぁ、よく知りません。というか、お父様は最初からあそこに王様の庶子が住んでいると知っていたのでしょう? 私はそう聞きました」
「驚いたな。王室にそんな事実を正しく教えてくれる人がいたことも、あるいは君が正しく理解をしていることも」
この人、思っていたより大概失礼な人だな。嫌いなタイプだ。
「急な里帰りだったが、その様子だとクロード殿下に愛想をつかされたわけではないのか」
「いくらお兄様でも失礼が過ぎるわ」
興味ないとばかりにヴィヨー家の前への道を歩き出す兄に、教会から離れたかったアンジェリカも急いでその後ろを追った。
チラリとも振り返らない無関心ぶりに、我が兄ながらため息が出てしまいそうである。
「父上としては、王太子の許嫁の生家があまりのボロ屋なのは体裁として不味いと思っているようだ。辺り一帯を町として整え、屋敷も相応のものに建て替えさせて、今後はエメローラ家の別荘として扱うようにとの指示を受けている」
「ふぅん。そうですか」
「……いいのか?」
チラリとこちらを見た視線に、何の感情も浮かばなかった。
いいも悪いも……もとより、この家は好きではない。そしておそらく自分が里帰りするのは今回が最初で最後。もう二度と、こんな不愉快な場所に来るつもりもないのだ。
「もしかして、お義母様が私に墓参りに行くよう言ったのは、私がこの村の人達に嫌われていることを知っていてのことなの?」
「さぁ。あの人ならやりそうだが。そうか、嫌われているのか」
まぁ自業自得だろうな、なんて優しさの欠片もないことを言いながらヴィヨー家を一覧した兄は、「大体の規模は理解した」と、早々と踵を返した。どうやら本当に、この辺りの立地を見に来ただけのようだ。
「用は済んだ。お前も、用が済んだなら早く帰れ。客が来ているのは本当だ」
「お兄様、私の馬車に乗るといいわ。来たばかりなのにすぐ引き返すだなんて、馬も可哀想でしょう」
そんなことを言いながら馬車の扉を開けたアンジェリカに、兄は否定の言葉を口にしかけたようだが、少し逡巡すると間もなく仕方なさそうに「いいだろう」と頷いた。
愛馬を慮ったせいでもあるけれど、アンジェリカがわざと村人に見せつけようとしていることに気が付いたのだろう。そのくらいの気は利いてくれるようだ。思っていたよりは、悪い人ではないらしい。
「あの家は、好きにしていいわ。でもお兄様。私、あの村に富んで欲しいとはちっとも思っていないわ。生家なんて領都のエメローラ家の離れってことにすればいいじゃない」
「だったらあのボロ小屋を取り壊して、更地にしてもいいと?」
「ええ。あ、お墓くらいは一応改葬してね。ついでにヴィヨー村なんてひどい名前を付けるのもやめて欲しいわ」
「そうか」
言葉は簡潔だけれど、この調子なら本気で取り潰してくれるかもしれない。そうなればついでに、あの教会も取り潰して、神父もどこかにやってしまってくれるといい。
ついでにヴィヨー村なんてひどい名前もどうにかして欲しかったが、それについては父に掛け合えと言われてしまった。どうやら父が発案した案件らしい。
「面倒臭い」
「まったくだ」
こんなことで気が合うだなんて。
同じ馬車で家に帰るだなんてらしくないことを提案したけれど、思いのほかいい収穫になった。
「お兄様は昔から、ことごとく私に無関心だわ。お父様にもお兄様にもそれなりに頑張って媚を打っていたつもりだけれど、お兄様はちっとも靡いてくれなかったし」
「媚びている自覚はあったんだな」
「自覚なくあんな恥ずかしいこと出来ないわよ!」
そこは誤解しないで、と呆れた顔で言ったら、何故か兄はわずかに口元を緩めた。始めて見る顔だからびっくりした。すぐに元の無表情に戻ってしまったけれど。
「別に無関心でもいいわ。でも利用しようともしないのは、昔からちょっと不気味だったわ。私は聖女にも認められたし、王太子殿下の許嫁なのよ。こんな田舎に引っ込んでいないで、それこそお父様みたいに中央で社交活動をしたり影響力を持とうとは思わないの? お兄様ならクロード様の側近にだってなれるでしょう?」
年齢的にも、王太子の四つ年上。少し年上というのは今のクロードの助言役としても適任だろう。なのに頑なに領地の経営を理由に中央に出てこない兄に、アンジェリカもクロードから何度か疑問を投げかけられたことがあった。その度に、『お兄様は権力なんかに興味はありませんから』なんて適当で当たり障りのいい言葉で誤魔化してきたが、実際の所、どうなのだろう。
「逆に聞くが、何故王太子の側近が“いい”んだ?」
「え?」
だって貴族なんて皆、そういうものでしょう? そう思って首を傾げたアンジェリカに、「お前が王太子妃では益々クロード殿下に未来はないな」なんていうものだから、カッとした。だが自覚はあるから、反論もできない。
「だったらお兄様は、セザール様派なの?」
「セザール様?」
思わず口を突いて出た言葉に兄は首を傾げると、間もなく、「あぁ、なるほどな」と小馬鹿にしたような顔でアンジェリカを鼻で笑った。
「無い頭なりに考えた答えが、セザール様か。ご当人が聞いたら大笑いするだろうな」
「面識があるの? 私は最近までお会いしたことも無かったのだけれど」
「カレッジ時代の先輩だ。俺が良く知っているのはセザール様より、そのもう一つ上のジュード殿下だが」
「ジュード殿下?」
知らない人物名に首を傾げると、兄がさらに呆れた顔をした。
だって知らないんだから仕方がないじゃないか。
「王室に入るのなら知っておけ。ユリシーヌ廃妃所生の元第一王子リュシアン殿下と、その同母弟で元第二王子のジュード殿下。このお二人の失脚無くして、クロードなどという四男の立太子は無かった」
クロードに対する不遜な物言いに腹が立つよりも、その言葉のニュアンスの方が引っかかった。
「お兄様は……その廃太子派、なの?」
アンジェリカにとって廃太子は、物心つく前に断罪された過去の人物だ。だからピンとこないのだけれど、アンジェリカの言葉にいつにない冷たい眼差しでじっとこちらを見据えた兄の視線に、急いで口を噤んだ。
多分、口に出してはいけなくて……そして兄にとってその人は、決して過去の人ではないのだろう。
どおりで、アンジェリカが嫌われるはずである。
「……リディアーヌ王女の……夫、だった方でしょう?」
ただ好奇心に勝ってポツリと問うた言葉には、しばし沈黙を選んだ兄も、やがて仕方がないような鼻息をこぼした。馬鹿なことは聞くなと言わんばかりの様子だ。
「知らないんだから、聞くくらいいいじゃない。流石に、今の王様やクロード様には聞けないでしょう?」
「それを陛下や殿下に聞かなかったことだけは褒めてやる」
でしょうね……。
「王室内のいざこざに、いち地方の領主家が口を出す、ましてや介入するなどあってはならないことだ」
「でも貴方の妹はクロード様の許嫁だわ」
「ハァ……だったら尚更、肝に銘じておけ。王女殿下と廃太子殿下のことは国王陛下と王妃陛下にとって消し去りたい過去だ。下手にその名前を口にするだけでも、クロード殿下を追い詰めると思え」
「それほどに影響力のある方だったのね……」
リディアーヌ王女は聖女だ。聖女の夫にそれだけの力があったというのであれば、どうして今、アンジェリカはそれだけの力をクロードに与えてあげることが出来ないのだろう。そのことがもどかしくも悔しい。
「ん? そういえばお兄様って、私の四つ年上なのよね?」
「今度は一体なんだ……」
「だったらベルテセーヌにいた頃のリディアーヌ殿下のことも、知っているのよね?」
「……」
嫌そうな顔をされたが、否定の言葉は無かった。
どうして失念していたのだろう。同い年でこそないが、兄はリディアーヌの一つ年上。もしかしなくても、あの公女の昔のことを良く知っているのではないだろうか?
「どんな方だったの? リディアーヌ殿下のことなら聞いてもいいでしょう? 私、私的にお手紙をもらう程度には親しくなったのよ」
「王女殿下は身罷られた。君は幽霊とでも友達になったのか?」
「もうっ! そういうのは今はいいから!」
プスと頬を膨らませたところで、兄からは何度目とも知らないため息をこぼされた。
「どうもこうもない。お前は公女殿下にお会いしたんだろう?」
「そうだけれど」
「だったらその通りだ」
「だから、そういうんじゃなくてっ」
「何も変わらない。玉座と聞いてまず思い浮かべる方。それが先王女殿下だ」
「……あ」
どうしたことか。そのたった一言で、理解させられてしまった。
分かる。非常によく分かる。確かに、今も昔も同じなのだ。
「とんでもない美人だったわ」
「当然だな」
「え……お兄様がそんなことを言うなんて」
「先王陛下はこの国に存在するすべての言葉で褒め称えられたレティシーヌ先々王妃陛下の生き写し。先王妃アンネマリー陛下はかつてヴァレンティンの至宝と呼ばれ、数多の王侯貴族を袖にしてベルテセーヌ王室に嫁いでこられた伝説の持ち主だぞ」
「そんなに美人だったの?」
「らしいな」
「他には? 私、お城の噂で、今の国王陛下と先王陛下は同母のご兄弟なのにあまり似ていない、っていうお話を聞いたの。本当?」
「……」
「お兄様が教えてくれないとクロード殿下にお伺いするわよ?」
「……殿下はお前を甘やかしすぎなのでは?」
それについても自覚がある。でも馬車という閉ざされた空間で、兄も暇にしているのだろう。「確かにそう聞く」と答えてくれた。
「国王陛下は父君の先々王陛下に似たが、先王陛下は母君の先々王妃レティシーヌ陛下に似たと聞いたことがある。もっとも、どちらも縁戚で噂の信憑性など知らないが。君は王城に出入りできるんだから、王家の肖像画が並ぶ赤の回廊にでも行けばいいだろう」
「そんなものがあるの? 知らなかったわ」
呆れた顔で嘲笑われるのにも段々と慣れてきた。こういう人だと思えばあまり気にならない。
「ん? ちょっと待って。先々王陛下って、つまりクリストフ一世よね? 私のお祖父様なんじゃない?」
「今頃か……」
「自覚が無いんだから仕方がないじゃない」
つまり何か? もしかして、私もそれなりに国王様とは似ているのか? なんて呟いたら、今までで一番不遜な態度で、兄に鼻で笑われた。
えぇえぇ……分かっていますとも。馬鹿なことを言ったって。
「何よっ。残念なことに、お兄様が大好きな廃太子殿下も超絶美人なリディアーヌ殿下も、皆お兄様が嫌いな私の“イトコ”なんですからねっ。残念でした!」
「はんっ」
きぃーっ!
「……あ、あの。若様……お嬢様……」
おっと。いつの間にか、馬車が屋敷の前に着いてしまっていたようだ。気が付かなかった。
その……兄との会話が思いのほか楽しかった、なんてことは……ない。ごほんっ。ない。
「お前、自覚が無いようだから言っておくが」
「何よっ」
「周囲には、俺とお前はよく似ている、なんて言われているからな?」
「……」
か弱い妹のエスコートもせずさっさと馬車を降りて、言葉もなく去る後姿に、わなわなと口にすべき言葉が思い浮かばぬまま口を歪ませた。
何てこと。何てこと! 父親しか同じじゃない兄と、似ているですって? それじゃあ二人とも父親似ってことになるじゃないか。あの、ぶくぶくして不遜なブ男に似てるだと?! ひぃぃっ!
「お、お兄様の馬鹿っ! そんなの信じませんからねっ!」
情けない捨て台詞に、その人がどんな顔をしていたのかは分からない。
ただ何となく、さぞかしいい嫌みな顔でほくそえんでいる気がした。
大晦日から正月2日までは更新お休みです。次は3日に。
良いお年を。




