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2-10 エメローラ伯爵家(1)

side アンジェリカ

 一体どれほど王子様が忙しいのか知らないが、王子妃宮の裏手の使用人出入り口からひそかに馬車に乗るアンジェリカを、セザールだけが見送ってくれた。それが一層、不愉快だった。

 その割に、クロードは多くの護衛を付けてくれた。自分の筆頭護衛騎士であるヴェルノーまでだ。

 もしかしたら護衛というより、逃げるのではとでも危惧されたのだろうか。この城で親しくしていた侍女が一人も同行を許されなかったことも気に障る。


「侍女達までいなくなってしまったら、アンジーがいないことがすぐにバレてしまうから」


 ヴェルノーはそうアンジェリカを宥めたが、まったく納得することはできなかった。

 とはいえ、馬車が城を出てからこの方、あるいはずっと城に閉じ込められているよりはマシだったかもしれないとも思い始めていた。

 城にいては知ることのできなかった町の様子を目にできたからだ。

 城の者達は皆口をそろえて、ヴィオレット派なんて大したことない、ちょっと煩わしいだけだと言ったけれど、町中はかつての記憶の中に比べても随分とすさんだ雰囲気になっていて、『真実の究明を』『慈悲深きヴィオレット様の無罪を晴らせ』という板木を持った群衆が道を練り歩きながら、馬車の家紋をギロリと睨むのを見た。

 思わず恐怖に馬車の真ん中に飛び去ったけれど、それには同車するヴェルノーが「閑職の男爵家の馬車を借りているから、襲われたりはしない」なんて(とん)(ちん)(かん)なことをいった。

 この期に及んで、自分の身の心配しかしていないと思われているのだろうか。

 あぁ。なんて情けない。


 ヴェルノーはこの国の王国第二騎士団団長の長男であり跡継ぎだ。城門には話が通っていたらしく、ヴェルノーが顔を見せると検問もなく城門をくぐることができた。

 そこから、町中の目立たない宿を点々と経由して八日。およそ四年ぶりとなるエメローラ領は、幸いにして昔と何ら変わること無い穏やかな様相をしていた。


「俺はすぐに、殿下のもとに戻らなければならない」


 到着早々そんなことを言ったヴェルノーに、引き止める言葉は思い浮かばなかった。


「そう。早く帰るといいわ」


 ただそうそっけなく答えて、昔懐かしいエメローラ家の屋敷に足を踏み入れた。


 すぐにも見知った顔が何人も出迎えに出てきてくれたけれど、かといってそれに親しみを感じることも、懐かしさに絆されることもない。確かにエメローラ領はアンジェリカの故郷だけれど、この屋敷にいたのはせいぜい半年足らず。

 今でこそ聖女と認められたアンジェリカを皆が媚びた顔で出迎えてくれるけれど、かつては“どこの誰とも知らない庶子”と、冷たくあしらわれた記憶しかない。

 もしかしたらそれはアンジェリカ自身が卑屈になっていただけなのかもしれないが、「ようこそ遠い所を、お嬢様」「ご立派な淑女になられましたこと」などと口にする彼らに、そんなことを言われる(いわ)れがないことだけは確かだった。


 エメローラ家の本邸には、伯爵の正妻と長男が住んでいる。昔は二人とも王都の屋敷に住んでいたが、長男はアンジェリカが王都に来るのと入れ替わりに領地経営のためという理由で領地に帰った。伯爵の正妻もこれに着いて行った。はっきりとは口にしていなかったが、アンジェリカと同じ屋敷で暮らすことが耐えがたかったせいだろう。

 だからエメローラ家に帰ってきたところで、ここはアンジェリカにとって居心地のいい場所ではない。“兄”であり次期当主であるダリエルに一応の挨拶はしたけれど、すぐに離れを使う許可をもらい、離れに引っ込んだ。

 離れも十分に立派な邸宅だし、人も少ない。このくらいが自分にはちょうどよかった。


 エメローラ領に来たところで、何かすることが有るわけでもなかった。数日をぼんやりと過ごした後は、庭を散策し、書庫で物語を探し、それすら飽きてきたところで、庭で遭遇した義母が「ヴィヨー家の墓参りくらいは行ったの?」と言うのを聞いてようやく、その必要性を思い出した。

 我ながら、十二歳まで育ててくれた祖母に対して薄情だとは思う。けれど爵位に縋りついて村で爪はじきにされる原因となっていた祖母も、いいように伯爵に血筋を利用されて、挙句一人で死んでしまった母も、どちらもアンジェリカにとっては肉親として死を悼むほどに情を抱く相手ではなかったのだ。

 それでも、墓参りには行った。思う所はあるけれど……でも婚約の報告くらいはするべきだと思ったからだ。


  ***


「伯爵家の馬車よ」

「何しに来たんだ……あいつ」


 ヴィヨー家のあった村の様子は相変わらずだった。

 田舎とはいえここにも色々な噂は流れてきているはず。けれど村の人達は相変わらずアンジェリカを村に馴染まないヴィヨー家の不義の子としか思っていないし、そこに伯爵家の落胤だの王太子の許嫁だの、あるいは聖女だのといった肩書きが増えたところで、彼らにとっては厄介者の厄介度が増しただけなのだろう。

 アンジェリカもそんな村人たちと親しむつもりは毛頭ないから、すっかりと荒れ果てて雑草に覆われたかつての生家に足を踏み入れることもなく、裏手の墓地の周りを綺麗にすることもなく、ただ庭師が用意してくれた花束を適当に置いて、感慨もなく空を仰いだ。

 こんな場所でも、ちょっとくらいは懐かしいと感じるのだから、不思議なものだ。


「あれがせいじょだって」

「知ってる。あの荒れ小屋の聖女だ。神父さまが言ってた人」


 そんな中、こそこそと聞こえてきた幼い声に、ふと視線を巡らせる。伸びきった雑草の中に、三人ほどの子供が隠れてこちらを伺っているようだった。

 見たことのない顔だけれど、きっとこの村の子供なのだろう。四年以上も留守にしていたし、元より、この村の人達とはほとんど交流をしてこなかったから、知らなくて当然だ。

 だがそんな誰とも知らない子供にでさえ……。


「聖女は偽物だって、母ちゃんが言ってた」

「知ってる。“しょしゅつ”ってやつだから、って」

「神父さまがプンプンしてたね」


 こんなド田舎の子供にまで、偽物だなんて言われているのか。まったく……聖女なんて肩書き、何の役にも立たないのだから。


「貴方達、聖女の悪口を言うと(たた)りを受けるわよ」


 いっそ分からせてやろうと意地の悪い言葉を投げかけたら、バレていないと思っていたらしい子供達がワッと飛び跳ねて、こちらを恐ろしそうに見るや否や逃げ去っていった。

 何とも酷い態度である。


「お嬢様……」


 同行していた騎士が困ったように声をかけてきたけれど、今更子供のあんな態度に傷つくほどヤワではない。自分もなんだかんだいって城の中でしっかりと周囲にもまれ、頑丈になっていたようだ。


「気にしてないわ。少しも」


 でももうこの村に用事もない。さっさと帰ろう。

 そう(きびす)を返して生家の脇から道に出ようとしたところで、また遠くからこちらを見ながらひそひそとしている大人達と目が合ってしまった。

 目が合うとすぐに気まずそうに逸らされたけれど、「王太子様を(たぶら)かしたんだそうよ」「聖女様を(かた)るだなんて……恐ろしい子」「たかだか元騎士爵が」だなんて、わざと聞こえるように口にしているのであろう言葉の数々が耳に入った。

 昔みたいに無視してくれればいいものを、わざわざこんな村はずれまで来て噂話とは暇なことだ。一体どんな心境でそんなことをしているのか、教えてもらいたいくらいだ。


「母親も母親なら、子も子ね。三代続けてふしだらな……」


 ただその言葉だけは、カッと頭に血が上ってしまった。

 この国の王室のことなんて、何一つ知らないくせに。


 祖母はしがない騎士爵家からお城に奉公に出た下働きだった。それが天と地ほどに身分に開きのある国王様を前に、どうして拒めただろうか。

 母もそうだ。王様の血を引いているとはいえ、この田舎で周囲の冷たい視線の中世間知らずに育てられた母に、領主である伯爵家の若様を拒む力なんてなかった。

 どちらも、生みたくて生んで子供じゃなかったはずだ。

 私はいい。私は自分の意思で王太子に近づいて、自分の意思で聖女を選んだ。でも祖母と母は、ただの被害者だ。


「貴女達っ、それ以上は王室不敬罪でっッ」


 だからたまらず声を荒げようとしたところで、「失礼なことをっ、貴女達!」と、飛んできたよれよれの聖職者が間に割って入った。


「神父さまっ……」

「一体なんです、突然。私達は別に何も……」

「珍しく空き家に人がいるから何事かと思ってきただけですよ」


 チラチラと顔を見合わせつつ気まずそうに下がってゆく夫人達に、「だったらもう満足したでしょう。さぁ早く畑に戻りなさい!」と、神父が彼女達を追い払った。

 余計なことをしてくれる。


「あぁ、ヴィヨー村にようこそ、聖女様! こうしてお会いできるとは光栄です!」


 さらにそう飛んできた神父に、若干引き下がりそうな心地を覚えつつも、「ヴィヨー村?」と、気になった単語について聞き返した。


「はい。この村は先だって、ヴィヨー騎士爵嬢アレット様のご令孫が聖女となられましたことを寿(ことほ)ぎ、ヴィヨー村と改名したのです。あぁ、お屋敷を荒れ果てたままにしてしまい申し訳ありません。着任からこの方、お綺麗にしようとは思っていたのですが、私のいる教会の方も中々のものでして。まだ手がまわっておりませんでした」


 そう神父が指し示したのは、ヴィヨー家の先、やはり少し村はずれになる場所にある廃教会だった。

 この村はさして人も多くない小さな村だから、アンジェリカが知る限りそこに聖職者が常駐していることは無かった。せいぜい秋の収穫祭の季節に、近くの町から神父様がやって来て祭祀を行ってくれるくらいだ。

 なのにこの寂れた村の教会に神父がいるというのは、あるいは教会が聖女と認められたアンジェリカのことを調べたせいなのかもしれない。正直、あまりいい気分ではない。


「この村常駐の神父様なのですか?」

「はい。この秋に赴任したばかりです。あぁ、聖女様にとっても懐かしい教会でしょう。お茶をお淹れいたします。さぁ、どうぞ」


 少し強引ではないかと思うような誘い文句だったが、たかがお墓参りに随分と体が冷えた。教会に懐かしさなんてものは感じなかったけれど、一休みするのは悪くないかと誘いに乗った。

 教会は外観ばかりでなく、内装も随分と綺麗になっていた。あくまでも田舎の小教会だが、小物が随分と綺麗で、床も机もすべて綺麗に磨かれ、古い石畳にも綺麗な絨毯が敷かれていた。正直、造りには不釣り合いなでチグハグな印象を受ける。


「このような粗末な椅子で、しかも聖女様がいらしているのに出迎えられるのが私ただ一人など、申し訳ないことです。本来であれば村をあげて歓待すべきですのに、村の者達ときたら……聖女様の身に起きた類まれなる神の恩寵に、嫉妬をしているのでしょう」


 お茶を淹れる神父は、こちらから何かを聞くまでもなく、実にべらべらと喋った。


「それどころか聖女様が偽物だなどと神をも(おそ)れぬ(ざん)(げん)まで広まって。まったく、王太子殿下は何をなさっておいでなのでしょう」


 さらには口さがなく、クロードまで(おとし)めて。


「ですがどうかご安心ください、聖女様。聖女様のことは私が、そして教会が必ずお守りしてみせます。あぁ、いっそ頼りにならない今の王室ではなく、他の御方をお頼りになるのは如何(いかが)でしょうか」


 挙句の果て、王室全体への批判にまでなってきたところで、黙って聞いていたアンジェリカはたまらずバッと席を立った。


「ど、どうしました? 聖女様。あ、今お茶が入りましたから……」

「結構よ」


 不愉快だ。とんでもなく不愉快だ。

 昔も今も聖職者は苦手だけれど、少なくとも今まで自分が出会ってきた聖職者達がいかに敬虔な信仰心の持ち主であったのかを、この数分で理解した。この神父を名乗る男は、心から聖女を信奉し慮っているわけではない。ただ聖女に取り入りたいだけの俗物だ。

 しかも何だと? 他の御方をお頼りに? もしかしなくても、彼は今の直系王室とは別の傍系王室と繋がっているのだろうか。

 そんな危険なことをベラベラと……彼もまた、アンジェリカがチヤホヤされればそれだけでいい気になる無知な人形だと思っているのだ。どこに行っても、故郷に帰っても、これだ。皆、同じ。

 だがそんな神父のどんな態度、どんな言葉より、彼がクロードを貶したことが最も許しがたかった。


 何も知らないくせに。

 どんな思いで、アンジェリカを守ってくれているのかも知らないくせに!


「お待ちをっ。お待ちください、聖女様!」


 ツカツカと教会を出ていくアンジェリカを神父は追いかけてきたけれど、教会から出るや否や、偶然そこにいた男性が馬から飛び降りるのを見るや否や、神父はビクリと身をすくめて扉の影に引き下がった。


「ダリエル……お兄様? どうしてここに?」






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