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2-5 ヴェラー卿の来訪(1)

 フレデリクからの進言を受け取った養父は、忙しいながらもその日の内に話し合いの時間を持ちたいと、合間を縫って訪ねてきてくださった。

 その養父と頭を悩ませながら書き上げた手紙を、一つはアンジェリカへ。そしてもう一つをアルトゥールへと出した。

 ベルテセーヌ現王室の無能さを思えば、アンジェリカ相手に滅多な情報を書くこともできない。ただヴィオレット嬢という人に関して知りたいことを書き綴って、ついでにクロード王子とセザールに託して欲しいと、彼らに宛てた助言の手紙を同封した。

 クロードがどれほど王子としての能力を携えているのかは知らないが、少なくともセザールのことは信頼している。そもそもヴィオレットのことはセザールが教えてくれた情報でもあったから、そのお返しとして、皇国方面とブランディーヌ夫人の監視を密として欲しいことなどを婉曲に伝えた。これで、理解してくれるかどうかは分からないけれど。

 クロードに宛てては、ヴァレンティン家は内政干渉できないが、聖女を守ることはできることだけを暗にほのめかしておいた。

 アルトゥールへの手紙には、昨今面倒なことにばかり巻き込んでくるものだから、ほとほと(へき)(えき)している、というような愚痴を書き綴った。

 ただ友人から友人に宛てた当たり障りのないような文面で、しかしはっきりと“ヴィオレットとの関係の隠れ蓑にするだなんて”と綴ることで、アルトゥールの反応を見るつもりだ。

 そしてその手紙への返信は、まったく思いがけない形で届いた。


  ***


「公女殿下。クロイツェン皇国皇太子殿下からのご使者をお連れ致しました」

「入ってちょうだい」


 応接間の扉から現れたのは、よく見知った顔の“ご使者”だった。

 直接会うのは三年ぶりだけれど、いつぞやの皇帝陛下からの使者と違ってリディアーヌをよく知っている人物であるからこそ、その人は入室早々顔をほころばせ、緊張した様子もなく礼を尽くした。

 マックス・ヴェラー卿。クロイツェン皇国皇太子アルトゥールの筆頭侍従であり、かつてカレッジにも同行していた人物である。なのでリディアーヌも彼のことはよく存じていた。幼い頃からアルトゥールについている側近中の側近。まさに腹心である。

 そう。アルトゥールはリディアーヌからのおよそ半年ぶりの手紙に対し、返書ではなく自らの最側近を送りつけてきたのである。

 一体いつから計画していたのか……。


「ごきげんよう、ヴェラー卿。お久しぶりですこと」

「久しくお目にかかります、公女殿下。この度は突然の訪問でありながら、快くご面会いただいたことを感謝申し上げます」


 快く……であるかどうかは、分からないけれど。


「それで、トゥーリの最側近がわざわざ何事なのかしら。さっそく、用件を伺いたいのだけれど」

「はい。この度は我が主にしてクロイツェン皇国第一皇子アルトゥール皇太子殿下よりの書状を持参いたしました。お受け取りいただけますでしょうか」

「受け取りましょう。マーサ」


 促すとすぐにマーサがヴェラー卿の差し出した手紙を受け取り、危険が無いかを確認した上でリディアーヌへと差し出した。

 一国の皇子の名を出して、使者が直接持ってきた手紙だ。わざわざそうする理由はたった一つで、他の誰かの目に入らないようにという配慮以外にない。

 普通公女宛の手紙はすべて公女府の文官が受け取り、封を切られる。その後、差出人や内容によっては府長が下読みして、公女の目に通す必要が無いと判断したものは侍女長であるエステルに届けられ、それ以外がリディアーヌの手元に届く。

 リディアーヌと親しい友人であることを知られているアルトゥールやマクシミリアンの手紙であれば、相手の身分も慮り封のみ切ってリディアーヌに届けられることになるのだが、途中で誰かが抜き見る可能性が全くないとも限らない。そういう事態を回避するためには、こうして直接届けるしかないのだ。

 直接届けられた以上、この手紙は宛名にある人物以外が見てはならない手紙である。それこそ、一国の皇子の名誉にかけて。

 なのでマーサを介して受け取った手紙は、その場でリディアーヌ自身が封を切り手紙を取り出した。使者の目の前で、確かにリディアーヌ本人が開封したことを見せる必要があるからであり、それにリディアーヌもさっさと中を見てしまいたかったからだ。


『親愛なる青薔薇姫、リディアーヌへ』


 癖のある流暢な書体。親しみを込めたいつもの書きぶり。面倒ばかり引き起こしてくれた友人に怒っているはずなのに、つい頬がほころんでしまったことには、自分で自分に反省する。だが、こんなにも長らく手紙が途絶えたのは初めてだったのだ。自分は思いのほか、この文字への執着を持っていたのだと気が付いた。

 ヴェラー卿の来訪はあまりにも早すぎたため、あるいはアルトゥールはリディアーヌの手紙を受け取る前にヴェラー卿を派遣したのではとも疑っていたのだが、手紙の内容を見る限り、どうやらそういうわけではなかったらしい。

 手紙には、リディアーヌが聞かせてもらいたいと願った“ヴィオレット嬢”についてのことがちゃんと書かれていた。しかも、思いがけないほどに具体的にだ。


 いわく、自分はフォンクラークの郊外で衝撃的な出会いをしたこと。複雑な生立ちの女性であり、君が聞けば首を傾げるような話かもしれないが、自分は真心から彼女を欲したこと。計略を疑うかもしれないが、決して彼女は故郷を亡ぼそうとしているわけではなく、自分を追い出したあの国に愛着を持っているらしいこと。愛しい人を追い詰めたあの国に思う所はあるものの、自分もそんな彼女の意思を尊重していること。そしてそんな哀れな彼女の為に……どうか我が親愛なる友リディが、彼女の良き友となってくれたならと――。


「……ハァ?」


 思わずため息……ではなく、怒気のこもった声をこぼしてしまった。

 すぐにヴェラー卿の存在を思い出して口を閉じたけれど、ちょっと肩をすくめてハラハラしているヴェラー卿を見る限り、遠慮は必要なかったようだ。

 まぁ彼も、学生時代から忌憚(きたん)なく言い合っていた主と友人の関係を知っている。多少リディアーヌが公女としての仮面を崩したところで気にはしないだろう。だがさすがに、『トゥーリは頭が湧いてしまったの?』だなんていう喉から出かかった言葉だけは何とか頑張って飲み込んだ。

 なんだこの手紙は。馬鹿にするにもほどがある。


「ヴェラー卿。この手紙、一体何の冗談なのかしら?」

「あの……申し訳ありません、公女殿下。私は内容を存じませんので」


 ヴェラー卿は非常に困った顔で答えたけれど、そんな顔になるということは、およそどういう内容であるのかは察しているのだろう。つまり、純粋やら誠実やらといった言葉が断じて似合わないアルトゥールが、上っ面な作り笑顔で書いた手紙である、と。

 語学の試験であれば高い評価を得た手紙だったかもしれないが、生憎と本来のアルトゥールを知っているリディアーヌにしてみれば、『真心とか書いちゃうくらいいい拾い物をした』。『ベルテセーヌを潰したいんだけど、彼女が頷かないからとりあえず賛同したふりをしている』。『君が邪魔をしないでいてくれたらいいんだけど』と言っているようにしかみえなかった。

 良き友、なんて言っているけれど、ようはとっとと自分の味方に付いて、後見を失っている彼女にヴァレンティン公女の友人という後ろ盾をやってくれ、ってことでしょう? 図々しい! いや、分かっていて書いているんだろうけれど、実に図々しい!


「呆れた……トゥーリったら、私を煽っているのかしら? これを読んで、一体私がどう思うか分かって……」


 いるはず……と続けようとした言葉が、手紙の最後の一枚を追っていた視線に気を取られ、掻き消えてしまった。


『リディ、私のただ二人の親友の内の一人リディアーヌ。君達と語らう時間は私にとって、いつでも唯一無二の時間だった。それがただただ愛おしく、流した噂に君がいつも通り腹を立てることに安堵し、君が決して頷かないことを知りながらも人々がそれを噂することを慰めにしていた。そして愚かなことに、もし君が事情を知り、仕方がないとため息をつきながらも頷いてくれたなら、と。そんな淡い期待も抱いていた。

 だが半年ぶりの君の手紙に、それがどれほど浅はかな夢であったのかを思い知った。君は良い意味でも悪い意味でも、驚くほど変わっていなかった。いや、分かっている。君はそういう人だ。そして私はそういう君のことが好きなのだから。ただ叶うならば……せめてこれからも、君が変わらず私の最愛の友でいてくれたならと願うばかりだ』


 アルトゥールという友人に、真心なんていう可愛らしいものは存在しない。私達友人は日頃からそう言って彼を揶揄(からか)ったけれど……不覚にも、その内容には動揺した。

 お堅い西大陸の殿方と違って、東大陸の殿方はなにかと紳士的で、まるで挨拶のように女性を持て囃し、気を良くさせる。まるで口説き文句のような挨拶も、親友といいながら近すぎる距離感も、一緒に過ごした学院時代に充分に身に沁み、慣れたはずだった。

 この手紙の最後の言葉だって、なんてことのない友人のいつもの挨拶に変わりなくて、きっと“最愛の友”という言葉の本心は、誰を選んでも私は変わらずヴァレンティン選帝候家の票を欲しているというアピールにほかならない。ヴァレンティン家に喧嘩を売るつもりはないのだという、ただそれだけの言葉だ。そうだと分かっているのに……胸がぎゅっとしてしまったのはどうしてだろうか。

 嘘偽りなくただただ楽しかった過去を回顧しているのは、アルトゥールだけじゃない。それに付け込んだような、なんともアルトゥールらしい嫌な締めの言葉じゃないか。


「姫様?」


 黙り込んだリディアーヌに何を思ったのか、フィリックが声をかけてくれたおかげで我に返ったリディアーヌは、すぐに便箋を折り、封筒に戻した。

 なんて心臓に悪い、手紙だったのだろう。

 そしてなんて嫌な、友人なのだろう。

 まぁ……お互い様だけれど。


「トゥーリの言い分は分かったわ。それで、ヴェラー卿。わざわざ私にとっても既知の貴方が自ら来たのだもの。このまま私が何も言わずに放免してくれるだなんてことは思っていないわよね?」

「すんなりと放免……していただけたら有難いのですが」


 そういいながらもすぐに、「殿下から許可されたことだけでよろしければ、お話しさせていただきます」と続けたあたり、最初からアルトゥールもある程度の情報を流すことを見越していたことが分かる。まぁ、当然である。


「とりあえず、トゥーリは他に何か言っていなかったのかしら?」

「その……“いつもの通り”としか」

「つまり、相変わらず、隙あらば懐柔してこいとか、様子を探ってこいとか、私の考えつきそうなことを一通り指示されたということね」

「むしろ公女殿下には、殿下がお考えの事などすべて見通しているはずだから、察してもらえ、といったような指示を受けております……」

「ちょっと。面倒を省略するにもほどがあるわよ」


 つまり、アルトゥールが何を言いたいかなんて悪友なら察するだろうから、そう言われたと思って考えておいてくれ、という、実に投げやりで適当な指示があったわけだ。

 これを、アルトゥールからリディアーヌという悪友への信頼といっていいのか。思わず連続でため息をついてしまうのも仕方がないことである。

 でもそういう事なら、遠慮なくズバズバ聞きたいことを聞かせてもらおうじゃないか。

 それこそ、後でアルトゥールが困るくらい、率直に。


「だったらまずはとりあえず、このフォンクラークでトゥーリを“(ろう)(らく)した”とかいうやり手のお嬢さんについてお聞きしようかしら?」


 しょっぱなから悪意ともとられかねない単語を用いて問うたリディアーヌに、ヴェラー卿の顔が(わず)かに強張った。リディアーヌがこの一件について快からぬ感情を抱いていることを主張したも同然である。つまり、返答次第によってはリディアーヌのヴェラー卿に対する態度も変わるということだ。


「少なくとも……私の目には、あの方に悪意があるようには思えません」

「そう。別に甘いパンでトゥーリを釣ったわけではないのね。てっきりアルトゥールは餌につられて飛びついた犬に成り下がってしまったのかと思っていたのだけれど」

「断じてそのようなことは!」


 無論、冗談である。悪意のある、冗談である。


「それで? トゥーリははっきり書いていなかったけれど、その女性の名はヴィオレットと(おっしゃ)るので間違いないのかしら?」


 一瞬身じろいだヴェラー卿は、しかしこれについては隠す気はないのだろう。「その通りでございます」と頷いた。

 リディアーヌの手紙の書きぶりから、どうやらアルトゥール側は、リディアーヌが完全に確信しているものと認識したらしい。本当はまだセザールの主観による判断でしかなかったのだが、これで確実となった。なってしまった。


「ハァ……貴方に聞くのもどうかと思うけれど。他国の、しかも七王家の一つであるベルテセーヌ王国王太子の元許嫁。それも、不祥事を起こして婚約破棄され国外に追放された女性よ。それを(めと)ろうとするだなんて、トゥーリは正気なの?」

「恐れながら、公女殿下。殿下が我が皇子と懇意であることは存じておりますので、ただのご友人へのお言葉として受け取らせていただきます。しかしヴィオレット様は殿下がお選びになった方です。それ以上のお言葉はご友人といえども、謹んでいただきたく存じます」

「へぇ……」


 なるほど。ヴェラー卿の本心がどうかは知らないが、少なくともアルトゥールの家臣達は主にそういう態度を求められているわけだ。であれば、アルトゥールのこの(たわ)(ごと)も、まったくただの戯言というわけではないのだろう。

 あぁ、困った。これはもしかしなくても、アルトゥールはすでにヴィオレットを使った計略を始めているということではなかろうか。すでに周りがとやかく言えないほどに。


「いいわ。そのヴィオレット嬢のために散々私のことを利用してくれたことに怒りが収まらないところではあるけれど、それについては貴方に当たっても仕方が無いものね」

「そのことは……その。心よりお詫び申し上げます」


 謹みがたい言葉を言いたくなるほどこっちも迷惑を被ったんだけど、という遠回しな苦言は伝わったらしい。ヴェラー卿の口から出たのは感謝ではなく謝罪だった。当然である。


「それで? そうはいってもヴィオレット嬢が罪を犯して追放になったことに違いはないはずだけれど。貴方達はそんな彼女をなんとも思わないのかしら?」

「無論、はじめは我々もアルトゥール殿下をお(いさ)め致しました。しかしすべては誤解だったのです」

「誤解?」

「公女殿下……どうか、殿下も噂に惑わされませんように。ヴィオレット様は、罪を犯してはおりません。件のベルテセーヌでの一件について、ヴィオレット様は確かにアンジェリカという令嬢に厳しい指導はしたものの、一方的に追い詰めたり脅したり、ましてや暗殺を目論んだりなどという話はとんだ冤罪だそうです」

「貴方達はそのヴィオレット嬢の言葉を信じたと?」

「そもそも断罪の場において大きく問題とされたアンジェリカ嬢が階段から突き落とされた事件については、ただの事故であったと当時すでにそう認められていたにもかかわらず蒸し返された問題であったというではありませんか。そのことは周囲の証言からもすぐに分かりました。それにヴィオレット様は幸い、罪に問われた場で証拠として出されたアンジェリカ嬢を脅す手紙の数々を回収しており、我々に対して自分とは筆跡が違うことも証明してみせました。これは明らかに、王太子側の計略です」


 えーっと。えーっと? は?

 なんだかよく状況が分からないのだが、ヴィオレットは自分が断罪される場で、冷静にその場に提示された証拠品をいそいそ回収して、それを持って逃げたという事?

 それはつまり、隙あらば復讐をしようと考えています、という意味にしか聞こえないのだが、どうしてヴェラーは平然としているのだろうか?


「元はと言えば、学院という大人の目のない空間において、アンジェリカ嬢の貴族社会にまみれていない爛漫とした性格がたちまち周囲の目を引き付けるようになったことに端を発するそうです。特に王太子殿下の関心を引き、瞬く間に高貴な方々の中心となったと。しかしヴィオレット様という婚約者のいる立場での王太子殿下のお振る舞いに苦言を覚える者達も多く、学院を二分する対立となったようです。ヴィオレット様はその対立派閥の(はた)(がしら)に祭り上げられてしまっただけなのです」

「……まぁ、そうでしょうね」


 すでに神々によって利用されていたアンジェリカという人物を見知ってしまっている以上、それについてとやかく言う気はない。

 アンジェリカは確かに婚約者のいる人物に惹かれる罪を犯したが、彼女もまた被害者と言って過言ではなく、ヴィオレットのやり方に非が無かったとも思っていない。その上で、苦言を言うべきは王太子に対してだ。

 正直リディアーヌはアンジェリカに同情を禁じ得ないが、王太子に対しては、いっそ痛い目にでも合えばいいと思って止まない。


「ヴィオレット様は元々王太子殿下との関係を政略的なものとして割り切っていたため、せめて殿下の外聞に傷がつかぬよう、アンジェリカ嬢を節度ある範囲で嗜めようとしておられたそうです。しかしその悉くが利用される形で悪評へと()()えられ、ついにはアンジェリカ嬢に味方をするすぐ上の兄君にまで裏切られる始末であったとか」


 あぁ、そういえばそうだった。リンテンでも宰相家の三男が妙に王太子とアンジェリカにべったりだった。ブランディーヌに対する警戒をしているだけかとも思っていたが、どうやらただ感情的な行動であった可能性もありそうだ。

 やれやれ。王太子も王太子なら、その側近も側近か。常に影に徹してきたはずのセザールがわざわざヴァレンティン家に立ち寄ったり、頭を抱えていたのも無理ないことである。


「そして王宮での茶会の日にアンジェリカ嬢のカップに毒が盛られる事件があり、主催者側の一人であったヴィオレット嬢が犯人に仕立てられたそうです。しかしヴィオレット嬢は、お茶を淹れたのは王宮の侍女であり、カップを配ったのは自分だけれど皆の目の前で行ったことで、毒を仕込むなんて出来るはずもない、と言っておられました」


 つまり追い詰められるだけ追いつめられて、さらにダメ押しで暗殺未遂まで罪を着せられたわけだ。憐れだとは思うが、あのドロドロとしたベルテセーヌの宮廷社会で生きていくならそのくらい自分で何とか出来ねば生きてはいけない。毒を用いた暗殺……それを利用した冤罪――それを防げなかった自分の未熟さを誰よりも知っているリディアーヌだからこそ言える、“不適格の烙印”だ。

 これなら少なくとも、汚い策謀であることを承知の上で、苦渋を噛み締めながらも自分の幸せのために努力をしたアンジェリカの方がまだ向いている。残念ながら、アンジェリカにはそれ以上の、自分で智謀を働くための知恵の方が足りていないようだったけれど。

 それにしても、ヴィオレットがすでに集めていたという証拠を用いなかったことや、その後平然と国を出ていったとかいう事前情報には妙な違和感を禁じ得ない。


「時に、実行犯として捕えられた侍女がナイフを振りかざし、それがきっかけでアンジェリカ嬢が“聖女”の資格を持つ者であったことが分かり、その瞬間、ヴィオレット嬢は自分が不要なものになったのだと察したのだと……そんなことを仰っておいででした」


 最初にヴェラー卿にヴィオレットについて問うたのは自分だけれど、あまりにもベラベラとヴィオレットを庇い続けるヴェラー卿を不思議にも感じ始めていた。だがその哀れみに満ちたような声色が、リディアーヌを納得させた。

 どうやらヴェラー卿は思いのほか、そのヴィオレット嬢に好意的な感情を抱いているようだ。少なくとも敵対視はしていないし、アルトゥールが自分の妃にすると言っていることに対して不安はあるかもしれないが反対はしていないのだろう。

 だからこそ、アルトゥールが最も警戒している好敵手であり、先だってその策謀を防いだばかりのリディアーヌに、なんとか言葉を凝らしてヴィオレットを認めさせようとしているのだ。


 マックス・ヴェラー。アルトゥールが重宝するだけあって優秀な男だけれど、残念ながら感情が透けて見えてしまっている。

 こんな調子では、リディアーヌは懐柔(かいじゅう)できない。






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