2-4 すみれ姫(2)
「姫様。アルトゥール殿下はヴィオレット嬢を、“どう使う”おつもりでしょうか」
フレデリクが熱心に書き写している間にも、フィリックがそう突っ込んだ内容を問うてきた。それは主とのただの意見交換というわけではなく、おそらくこの国でもっともアルトゥールについてよく知っている人物に助言を伺うものであろう。
「現状、クロイツェン皇国の威光はもはや帝国で他に比類することのないものになっているわ。その皇太子妃に据えるだけでも、かつてヴィオレット嬢を虐げ追放したベルテセーヌに大打撃であるのは間違いないわ」
それは、わざわざ言わずとも知れたことである。
「その上でトゥーリが何かを仕掛けるとしたら、まずはクロード王太子やアンジェリカ嬢に対する攻撃でしょうね。実際のところ、クロード殿下もアンジェリカ嬢もヴィオレット嬢に冤罪を着せているわけだから、突くのは容易いわ」
「しかし内政干渉は帝国法に反します」
「ええ。ヴィオレット嬢の生家が存在していなければ、そうでしょう。でもベルテセーヌにオリオール侯爵家は依然として権力を維持していて、しかもブランディーヌ夫人は王室に血を連ねているわ。“妻の家の事情に首を突っ込む”だけなら、それは内政干渉にはならないわ」
「……なるほど」
思わず頭を抱えるフィリックも、机に項垂れたいリディアーヌの心情を少しは理解してくれたようだ。フレデリクの訪問が、いいきっかけになってくれたようである。
「しかしそんな東大陸の覇者が西大陸の覇者を制するような行為……もはや一国の皇太子などではなく……」
“皇帝”のようではないか――。
そう口にしかけてはっと口を噤んだフィリックに、リディアーヌも頷いた。
「私は学生時代、トゥーリやミリムとくだらないことから真面目なことまで、色々なことを議論し合ったけれど、その中でも全く決着のつかなかった、つまりまったく意見の一致しなかった議題が三つあるの。そのうちの一つが、このグラン・ベザの“帝国制”の在り方についてだったわ」
意見の出し合いはいつものことで、すべてを覚えているわけでもないれど、かの議論については忘れたことなんてない。あの時のアルトゥールは珍しくも感情的に、一歩間違えればすべての選帝侯家をも敵に回しそうな発言をしたからだ。
「例えば、帝国の初期に多いベルテセーヌ系の皇帝は、いずれも皆、皇帝の仕事を“国家祭祀”と“王国間の調停”、“帝国外の国との外交”の三つに位置付け、過度な政治的な行動や干渉をしないものとしたわ。だから今でも、帝国といえども各王国公国は自国の絶対的な自治権を所有していて、皇帝の持つ権限にも多くの限定性が存在している」
「各王国同士は勿論、皇帝が直接王国に内政干渉できないこともその一つですね」
「ええ。“帝国の直臣”である選帝侯家によって皇帝を選出することも、王国間のバランスを維持するための手段の一つだわ。けれどアルトゥールは皇帝を選出するのではなく世襲の統一帝国とする構想を持っていて、皇帝権力をより強固とすることで国同士の小競り合いの抑圧を容易にさせればいい、という考えの持ち主だったわ」
「そういう見解を持つ王や皇帝が今までも無かったわけではありませんが……少し、意外ですね。アルトゥール殿下はもっと堅実で慎重な方だと思っていました」
「私達にとって教会や保守派は私達を尊重し支えてくれる存在だけれど、アルトゥールにとっては、幼い頃から何から何まで否定し抑圧してきた私欲にまみれた存在よ。彼の意見に私はまったく賛同しないけれど、皇帝権力の名のもとに彼らを押さえつけたいと思うようになった気持ちは、まぁ分からなくはないわ」
「ですがそれはクロイツェンの自業自得です。特に、現皇帝陛下の」
だが現皇帝は失った教会からの支持を取り戻し平穏な治政を行うため、現状維持を選んだ。その苦慮する姿すらも、アルトゥールにとっては“抑圧”だったのだろう。彼も彼なりに考えた末の“改革”なのだ。
その上で、アルトゥールは選帝侯家を”真の皇帝の直臣”として遇する構想を説くことで理解を得ようとしたが、しかしヴァレンティン家はそれを決して支持しない。無論、ザクセオン家のマクシミリアンとて、その議論をした時にはリディアーヌ同様“支持できない”と明言した。
だからあれから少しくらいはアルトゥールも考えを変えてくれていると期待するのだが、まったく無くなったなんていうことは無いだろう。
現皇帝は、そんなアルトゥールの考えを一体どこまでご存知なのだろうか。狡猾なあの人のことだ。気が付いていないはずはない。先だってまみえた皇帝の様子や、アルトゥールとヴィオレット嬢の件に怒号が飛び交ったという情報からみても、快からず思っているのではなかろうか。
正直意外ではあったけれど、これは唯一の喜ばしい誤算かもしれない。
「対応を考えましょう。姫様はどう動くおつもりですか? それによって私達側近も、動き方を考えねばなりません」
さて、どうしたものか。
内政干渉が禁じられている以上、ヴァレンティン家とて無意味やたらに他国王室の“家族問題”に首を突っ込むことは出来ない。なので端的に言えば、ベルテセーヌなんて知らないとばかりにアルトゥールの謀略を無視をするか、いや隣国でそういう騒動は困ると、正式な国と国との関係性から、皇帝陛下を味方にして介入するかの二択ということだ。
前者の場合、このヴァレンティン領にも及ぶであろう影響を考え、また次期皇帝戦を見据えた今後の派閥の動向についてを苦慮せねばならない。後者の場合、アルトゥールに全面的に喧嘩を売ることになり、長期的に面倒をしょい込むことになる。かといって、安易にアルトゥールにヴァレンティン家の保守派票を与える気も毛頭ない……正直、いずれにしても面倒な上に意に染まないやり方だ。
「一番面倒が無くて簡単な方法は何だと思う?」
「姫様がクロイツェンにお嫁ぎになり、皇太子殿下を尻に敷いてしまうことでは?」
傍観に徹していたはずのマーサの実に率直な意見に、皆の視線が向いた。向いてから……。
「姉上、やっぱりお嫁に行ってしまうんですか?」
絶望したといわんばかりの顔で姉を振り仰いだフレデリクに、「あっ」と慌ててマーサが口を閉ざした。この思いがけない援護射撃に、ついいつもの倍増しでフレデリクの頭を撫でまわしてしまった。
おー、よしよし。
「行かないわよ。この間もそう言ったでしょう? デリク」
「よかったです。クロイツェンは遠いですから」
そう安心したように机に向き直ったフレデリクだけれど、その物言いがなんとも引っかかる。この子、無邪気な子供のふりをしながらも、実は色々と裏の事情だ何だを理解しきって、わざと無邪気に振舞ってみせているのではなかろうか。
私はもしかしたら、“幼くてかわいい弟の我儘”という体裁で、この小さなフレデリクに守ろうとされているのかもしれない。
うわっ。頬が熱いっ。うちの子がとっても素敵ですわ、お兄様!
「では二番目に面倒が少ない方法にしましょう。正直私はトゥーリを敵に回すことほど厄介なことはないと思っているわ」
「同感です」
「では沈黙によってアルトゥール殿下にご協力なさるのですか? ベルテセーヌに外患を引き入れることになりかねませんのに」
マーサの言葉には、暗に“リディアーヌの故郷に”という意味合いが込められているように思った。
リディアーヌとて、現王室に思う所がないわけではないものの、ベルテセーヌという国自体を厭うているわけではない。あの国は、かつて父と母が愛し、守ろうとした国であり、そして彼らの目指したものは皇帝という立場の先にある。それを痛い程よく知っている。
だけど……。
「私は“ヴァレンティン”よ。私は公女として、ヴァレンティンと、ヴァレンティンが抱えるすべての民にとって最善である道を考えるわ……」
それが、私を救ってくれたこの国への恩返しである。
同時に、自分がヴァレンティンである以上、それ以外の方法はないのだ。
リディアーヌはもう、ベルテセーヌに口を挟める立場ではない。いや、むしろたとえどれほどそのことに焦がれようとも、近づくことすら許されない立場だ。それを選んだのはリディアーヌ自身なのだから。
「ただ幸いなことに、ベルテセーヌには“アンジェリカ聖女”がいるわ。教会派のヴァレンティンにとって、ベルテセーヌ王室の問題には関与できないけれど、聖女に関してであれば多少なりとも口を挟めるでしょう。“聖女様の御身の安全が気にかかっている”と言えば、情報を仕入れる理由くらいにはなるはずよ」
「現に大公様はその理由でベルテセーヌから“聖女”を誘拐してきた実績がありますからね」
「誘拐って……」
まぁ間違ってはいない。誘拐というには丁寧すぎるほど丁寧に扱われて匿ってもらったのだが、対外的に見れば誘拐だったかもしれな。思わず肩を揺らして笑ってしまった。
「それに姫様はそのアンジェリカ嬢と、随分と親しくなられたご様子」
「ちょっとフィリック。別に、親しくなったつもりはないわよ……」
ただあまりにも幼く素直なあの子に、少し絆されてしまっただけで。
「姫様、如何です。その既知を利用して、アンジェリカ嬢から直接情報を仕入れてみるというのは」
「私に幼いあの子と文通をしろと?」
「姫様の文才なら、あのくらい簡単に転がせるのではありませんか?」
「まったく……デリクに変な話を聞かせないで欲しいものだわ」
だが悪い意見ではない。少なくともヴィオレットという人物を知るのにアンジェリカほど詳しい人はいないはずだ。とりあえず頭の片隅に、アンジェリカに手紙を書く、という予定を刻んだ。
「ちなみに私的な興味として一つお伺いしたいのですが」
「何かしら?」
「クロイツェンにベルテセーヌへ干渉されたくないのは勿論ですが、現ベルテセーヌ王室がこれまで失策を重ねてきたことも事実です。その辺、正直な所ベルテセーヌをどう思っておられるのか、姫様の“私人”としての本音は如何なものなのかと」
そんなのは、考えるまでもない。
「追い出した娘に復讐されるとかすごくいい気味だから、ある程度放置して追い詰めるだけ追い詰めたところで手を差し伸べてあげたりして、私に感謝して平伏叩頭するシャルル王と宰相にザマァ! って高笑いしたい」
「……」
「冗談よ」
本心である。
「ごほんっ。まぁ、私が私人としてベルテセーヌをどうこうする気はないわ。ただそうね。公的な関係性を考えないでいいというのであれば……少なくとも、ベルテセーヌの国民が困らないでいてくれることが一番だわ。あそこには、“お父様とお母様”が眠っているの。すでに他国の人間になったからといって、お二人に恥ずかしい私は見せられないわ」
思わずシンと鎮まってしまった部屋に、「でも公人としては中々難しいことだから、考えるだけ無駄ね」と話を切り上げた。ただ一人何かを考えふけっているフィリックの様子は相変わらずだけれど、「お茶を淹れなおしましょう」と言ってくれたマーサのおかげで、気持ちは切り替えられた。
「フィリック、無駄なことを考える必要はないわ。そんなことより、アルトゥールの出方を知ることと。それからこれに乗じた宰相家……ブランディーヌ夫人がアルトゥールと共謀しないよう、対策を考えて……」
「……」
「……」
ん? んんっ?!
ただポロリと口からこぼれただけの言葉だったはずなのに、自分で言った言葉に自分で待ったをかけてしまった。今何かものすごく最悪なシナリオが頭によぎった気がするのだが。
「ま、待って。今の発言は、その……気が付かなかったふり、というのは」
「なるほど。もし先々王陛下の血を引くブランディーヌ夫人がアルトゥール殿下の後ろ盾を得てベルテセーヌの内乱を主導しようものなら、夫人が“女王”になる可能性も無くはないわけですね。となると、ヴィオレット嬢は“ベルテセーヌ王女”になるのでは?」
ええ、気づかなかったふりなんてできないわよね。分かってる。分かっていますとも。でも言わないで欲しかったッ、その可能性!
「何てこと……早急に、ヴィオレット嬢の人柄と現状を知らねばならなくなったわ。ブランディーヌ夫人は王位に興味があっても皇帝位には興味が無いでしょうし、そのシナリオはよりにもよってアルトゥールにとって最上のシナリオだわ……」
「そして我々にとっては最悪の」
どうか頼むから、それだけはやめて欲しい。
正直、もしもそんなことが起こるようなら……私は、この身を張ってでも、それを止めるだろう。止めねば、ならないだろう。
ブランディーヌを女王にだけは出来ない。絶対にだ。
「トゥーリに、手紙を出すわ……」
この数ヶ月、無視に無視を重ねてきた相手への言葉に、はっと皆の視線が向いた。
でももうこれ以上、無視だけしているわけにもいかなくなってしまった。
「私は何としても、その内意を知らないといけない。それから……」
それから万が一という時……アルトゥールが、どちらを選ぶのか。
ヴァレンティンに計略が利かないからと、内政干渉によりベルテセーヌの失墜を選ぶのか。それともベルテセーヌへの干渉を辞めて、ヴァレンティンとの平和的な友好を選ぶのか。
だがそのどちらにしても、リディアーヌは……。
「姫様。どうか、内容はご慎重に。“万が一がある”などという様子を見せても、付け込まれるだけです。無論、聡明な姫様にはお分かりのことかと存じますが」
いつにないフィリックの助言が、下手を打ちそうだったリディアーヌを冷静にしてくれた。
ふぅと深くため息を吐きながら、暖かいフレデリクの肩に凭れて、そのふわふわの髪を思う存分に撫でまくる。
「えっと。あの……姉上……」
「大丈夫よ。デリクが大きくなるまで側にいる、って、約束したものね。それに自己犠牲なんて偽善は趣味じゃないわ」
フレデリクは首を傾げたけれど、フィリックには伝わったらしい。ほっとした顔で、「その言葉をどうか胸に刻んでいただきますよう」と言われた。
「さぁ、課題のまとめよ、フレデリク。最善の状況と最悪の状況……最善の状況は、ヴィオレット嬢が実はとても聡明で、アルトゥールを尻に敷いて自らベルテセーヌを守ってくれることね」
「……」
「……」
「……えっと」
あぁ。フィリックやマーサばかりではなく、フレデリクにまでキョトンとした顔をされてしまった。ええ、分かっているわ。ここにいる全員が、分かっている。そんなことは絶対にありえないのだと。
「それから最悪の状況は、どうやらアルトゥールがブランディーヌ夫人と手を組んで、夫人を女王にすることのようだわ。残念なことに、これは課題というには留まらせておけない問題よ。デリク、貴方はマドリックに課題を提出する前に、このことをお養父様に知らせてくれるかしら?」
「っ、はい。分かりました!」
公女といえども、大公に会うとなればそれなりに面倒な手続きや面会の予約が必要になる。だがまだ子供で、課題に必要だという理由で養父のもとに出入りできるフレデリクがいれば面倒をすっ飛ばすことができる。それが分かっているのであろう。フレデリクはすぐにリディアーヌの膝から降りると、「今すぐ行ってきます」と張り切ってくれた。
あぁ、ちょっと残念だ。でも仕方がない。
「任せますよ、フレデリク」
「はい!」
任されたことが嬉しいのだろう。頼もしい様子で頷いたフレデリクは、きちんと礼を尽くすと意気揚々と部屋を出ていった。
あぁ、癒しが去ってしまった。
「……ハァ……まったく。面倒ごとばかりだこと」
「何しろ、姫様の“近親”と姫様の“悪友”ですからね」
「……はぁ」
もはや反論する気力さえ、湧いてこない。
ねぇ、エドゥアールお兄様。やっぱりお兄様は、とってもずるいと思うのよ。こんな面倒ごとを残して、先に逝ってしまうだなんて。
今ここにお兄様がいたら、何て言ったかしらね。
お兄様は妹の前ではとても見栄っ張りだったから、きっと妹をうんと甘やかして、頼もしい様子で『任せておいて』と安心させてくれたことでしょうね。
でもお兄様はもういないから。
だから代わりに、私がフレデリクを守るわね。
どうか私に『任せておいて』。
私もお兄様みたいに、頑張ってみるから。




