1-49 皇帝の判決(2)
「お久しぶりでございます……リディアーヌ殿下」
「……セザール……?」
セザール・メディス・ド・ネルヴァル。ベルテセーヌ貴族ネルヴァル伯爵家の姓を冠しているが、彼は紛れもない現ベルテセーヌ王シャルル三世の庶子である。
「幼い頃にお目にかかって以来です」
シャルル三世には幾人もの妾妃がいるが、子がいるのは現王妃アグレッサと、廃妃となったユリシーヌ、そしてこのセザールの生母であるメディナ妃の三人だけだ。
王籍から名を削られたユリシーヌの子供たちを除くとこのセザールが長子ということになるが、庶出であるため、アグレッサ所生のクロードが現王太子となっている。ただクロードとは少し年が離れているから、クロードが成人するまでは王太子の代わりに国王の政務の補佐も担っており、王子にも準ずる扱いを受けていたはずだ。
庶出なのでリディアーヌがベルテセーヌにいた頃にも公的な関わりはほとんどなかったが、彼は年の近いユリシーヌの子供達……廃太子リュシアンと元第二王子ジュードと仲が良かったから、かつてリュシアンに嫁いだ過去の有るリディアーヌにとっても決して縁のない人ではないのだ。
「驚いたわ。どうしてセザール様がこちらに?」
「昨秋から一年、こちらに大使として赴任しているのです。この春、大公殿下にはご挨拶したのですが……」
そう苦笑したセザールに、なるほど、とリディアーヌも呆れた顔をした。
叔父様め……頭から抜け落ちていたのか意図的に隠したのか知らないが、こういう大事な情報は共有して欲しいと何度思ったことか。
「そなたらは顔見知りであるようなので紹介はいらぬな」
生憎とこの場で、旧知を懐かしんでいる暇はない。さっそく切り出した皇帝に首肯した。
「さて、それで公女、此度は随分な計略を働いてくれたものだな」
「言っておきますが、八割方、アルトゥール殿下のせいでございますからね」
「……分かっておる」
だったら言わないで欲しいものである。
「して、そもそも何故リンテンとフォンクラークの王太子の一件にそなたが関わっているのだ。返答次第によってはヴァレンティンの越権行為であるが」
「ご説明いたします」
そういわれかねないことは無論承知している。その上で、ちゃんと理由だって考えてある。
「まずはセリヌエール公爵夫人。王太子の侍従から、そもそも王太子がリンテンに直接赴いた理由を聞いている事かと思いますが」
「はい、公女殿下。私からご説明させていただきます」
ナディアとは先日すでに、アルセール先生も交えて皇帝の諮問に対する流れを話し合っている。抜かりはない。
「皇帝陛下、並びに皆様方。身内の恥をさらすことを誠に恥ずかしく思いますが、この度問題を起こした王太子グーデリック殿下について、殿下には兼ねてより“リンテンの海の女神”と呼ぶ意中の方がいらっしゃいました。恐れながら、そちらのリディアーヌ公女殿下のことでございます」
「何?」
しょっぱなから皇帝が眉をしかめた。どうやらそんな情報は存じておらず、あるいはナディアがリディアーヌと計って謀ろうとしているのではと警戒したようだった。だが実に不本意なことに、これはただの事実である。
「陛下。昔、私が養父の不始末で帝国議会に呼び出されたことが有ったのを覚えていらっしゃいますか? 私がまだカレッジに在学していた頃のことでございます」
「あぁ、あったな。実に頭の痛い出来事だった……」
その節は叔父が大変迷惑をかけた。ついでに私も迷惑をかけられた。
「その帰路、急ぎリンテンから船でカレッジへと帰らんとしていた所を、どうやら十四、五の年頃の少女に興奮を覚える性癖らしいグーデリック王太子が見かけ、以来、口に出すにもおぞましい感情を抱き続けていたそうです。ご当人の口から聞きましたわ」
もれなく全員の顔が歪んだが、残念なことに嘘は言っていないのである。
「私は存じていませんでしたけれど、ヴァレンティン家に求婚状も出したことが有るとか。王太子は当時からずっと既婚なはずですから、ちょっと意味が分からないんですけれど」
そう冷ややかに口にしたところで、「重ね重ねなんとお恥ずかしいことか」とナディアが深いため息を吐いた。
「我々ヴァレンティンの目的はあくまで、聖別のついでに昨今北方諸国経由で多く入ってくるようになったフォンクラークや東大陸の物品の出どころを調べることでした。急激な価格の変動に国内も混乱していましたし、それにクロイツェン皇国がベルテセーヌ王国の孤立を図っている様子も見受けられましたから、ベルテセーヌとヴァレンティンの関係は変わりないことを示す目的もありましたわ」
そうセザールを窺ったところで、「変わることのない関係でいられることを嬉しく思います」と恭しく頷いた。
セザールの方はどうやらきちんとその手の情報を仕入れていたらしい。この状況についてもすでに色々と察しているのだろう。余計なことも言わずにリディアーヌに態度を合わせてくれている。
「あとはこの計略にフォンクラークも絡んでいるのかと探りを入れたく思っていたのですけれど、調べ始めてすぐ、セリヌエール公爵夫人から、王太子が国の許可なく専売できない品を流しているらしいとの情報を得て、より精査するつもりでいました。私共も違法で取引された品が北方諸国に流れ込むのを黙って受け入れるわけにはまいりませんから」
「たしかに……もっともである」
まぁ本音を言えば、そもそもフォンクラークに港の使用権を与えたのはクロイツェンであり、その責任者がアルトゥールだったことから、フォンクラークの不正を摘発することでクロイツェンの打撃になるだろうとの目論見だった。
まさかフォンクラークの王太子の目的がリディアーヌ当人だったなんて思いにもよっていなかったからこそ、こちらから王太子に接触を図るような真似をしたのだ。今になって思えば、あれは愚策だった。
「こちらに接触してきたのはグーデリック王太子の方です。私はあくまでルゼノール家やリンテンの警備隊に情報を融通し、北方諸国やヴァレンティンへの計略に利用されないよう警告するだけのつもりだったのですけれど……」
はぁ、とため息をついて見せたところで、「私もまさか、王太子の目的がそもそも殿下であったとは思いにもよらず」とフィリックが言葉の後を継いだ。
それが、事がここまで大きくなってしまった原因だ。まぁ、ナディアの“お願い”もあったので、あわよくばとか思っていなかったわけではないのだが。
「私はただ“よかれ”と思って公女殿下に、王太子の行いが国とかかわりない物であることをお知らせしたのですけれど……まさか殿下が酷い目に遭わされようなど。分かっていたなら、あのような手紙はお送りいたしませんでした」
ナディアの言葉に、セザールが「酷い目?」とわずかに眉をしかめた。どうやらそこまでの詳しい話は耳に入っていないらしい。まぁ、敢えて懇切丁寧に説明することでもない。
「調べている内にもパヴォの密輸のことが出てきてしまいました。リンテンは北方諸国とベルテセーヌ、そしてこの直轄領との重要な結節地点。ことは直轄領にも無関係ではありませんでしたから、アマーテオ卿にはすぐにも皇帝陛下へのご謁見の申し入れを伝言をいたしました。そのことは陛下もご存じかと存じます」
「あぁ、確かにそのような報告があった。しかしそれがなぜあのような大事件にとってかわったのか」
「それは不可抗力という物です。いえ……アマーテオ卿のせいでもあります」
皇帝もその件については報告を受けているらしい。コンコンと指先で悩ましそうに額を打った。
「なるほど、話が繋がった。つまり公女はあくまで穏便に情報の収集のみに従事するはずだったのだな?」
「ええ。知ってしまった以上、帝国の直臣、大公家の公女として見過ごすわけにはまいりません。確かな証拠を手に入れ次第、皇帝陛下に謁見しご対処をお願いするつもりでいました。思いがけず私自身が渦中に巻き込まれることになったせいでご報告が後となり、また多少ヴァレンティンの者が過ぎた行動を取ったかもしれませんが、ただし越権となりすぎぬよう、その後の処理はすべてリンテンの警備隊、ひいてはルゼノール家に一任してあります」
「確かに、相違なかった。しかし……ふむ。そうか。グーデリック王太子の私的な行動のせいとな」
まだ疑っているのだろうか? 王太子がいかに気持ち悪かったのかなど、わざわざ語りたくはないのだが。
「その点に関しては私共フォンクラークが証言いたします。一部始終を目撃していた王太子の侍従をこの場に引き出しても構わないのですが……恐れながら、公女殿下のご名誉にも関わります。わざわざ公に証言させるものでもなかろうと、連れて参っておりません。お疑いがあるようでしたらどうぞ、獄中のグーデリック殿下に直接お尋ねください。フォンクラーク王室は王太子の処分に、何ら口を挟むつもりはございません」
「それについても真であったか。国王は何と言っている」
「恐れながら陛下、この件に国王陛下のご意思は関係ございません。リンテンという陛下のご直臣が管理なさる教会領にて、選帝侯家の公女殿下にとんでもない不敬を働いた、ただの罪人です。身内の恥に平伏して謝罪することはあれど、一体どこのどなたがそのような痴れ者を庇えましょうか。そうではございませんか? 司教様、司祭様」
ここで教会の者に同意を求めるのはさすがはナディアで、リディアーヌを聖女と知る司教やアルセール先生がそれに深く同意しないはずが無かった。
「まったくでございます。本来ならば教会で裁きたいほどのこと……」
「最も、教会で裁かれようとも皇帝陛下に裁かれようとも、その末路は何ら変わることはないでしょう。首を晒す場所が変わるだけのことです」
駄目押しにアルセールがそんなことを言って笑みを浮かべたものだから、隣で実の兄がひくりと頬を歪ませた。
「よかろう。フォンクラーク側の意思は確かに承った。実害を受けたのは公女であるが、公女もまた、それでよいのだな?」
「陛下が公正に、そして忖度なく厳しい裁きを下してくださることを信じております」
「分かっておる」
教会が睨んでいる。それにここでグーデリックを極悪人として裁かねば、フォンクラークに港の使用を許したクロイツェンにも罪が派生しかねないのだ。
皇帝にとってもそれは不本意であろうし、おそらく言うまでもなく極刑に処すはずである。
これで、少しは溜飲も下がるというものだ。
「して、公女。パヴォの一件、目的は“ベルテセーヌ”であった、との報告を受けたが、それはどういうことか」
その報告が、この場にベルテセーヌの大使として駐在していたセザールがここに呼ばれた理由だろう。
「いかにグーデリック王太子とはいえ、皇帝陛下の直轄領に麻薬を流すなど無益なことはなさらないでしょう。王太子はリンテンで問題を起こすことで私を引っ張り出すつもりだったと言っていましたから、目的は北方諸国かベルテセーヌ……しかし北方諸国を通過する行商は青の傭兵との契約を必須とする難所ですから、フォンクラークには介入することが出来ませんでした」
「となれば、必然的に目的地はベルテセーヌになると……」
口を挟んだセザールにコクリと頷いて見せる。
本当は、グーデリックが聖女信奉者であり、アンジェリカ嬢への反感からベルテセーヌを標的にしたらしいとの情報もあるのだが、それはあえて隠しておいた。いかにこの場にいる皆がリディアーヌの事情を知っているとはいえ、あまり皇帝にリディアーヌが聖女であることによる問題意識を刻みたくないし、アルトゥールの標的がベルテセーヌである以上、皇帝にまでそちらに干渉されたくない。
これはベルテセーヌのためではなく、ヴァレンティンのためだ。
「本当であれば今少し情報が集まったところでベルテセーヌ側にも警戒を促すつもりでいたのだけれど……」
「期せずして殿下に救われました。ベルテセーヌの名のもとに感謝を申し上げます、殿下」
「良いのです。ただ、すでに流れた麻薬もあるでしょう。ベルテセーヌで蔓延などしてはヴァレンティンとしても困りますから、その点は早急に対策を考じていただけたらと思いますわ、セザール様」
「承知しております」
どれほどすでに流れてしまったのかは分からない。幸いヴァレンティンにまで麻薬は及んでいないが、リンテンからほど近いベルテセーヌとの国境、エレムス公国やシオス公国などはどうなっていることか。精査を急がねばならないことだろう。
だがそれはリディアーヌが手を伸ばす必要もない、管轄範囲外の話だ。
まぁ、シャルルやらクロードならともかく、根が真面目で堅実なセザールなら上手くやってくれることだろう。
「して、フォンクラークはこの騒動にどう責任を取るつもりか」
セザールを和気藹々とされるのは快くないのだろう。断ち切るように言葉を投じた皇帝に、そのあからさまな“責任”という言葉に対してもよくできた温厚な面差しを向けたナディアは、「勿論誠意を尽くす所存です」と答えた。
ただ下手に出るつもりはないようで、「手始めに」と言葉を続けて主導権を握る。
「このような事態を引き起こしたのです。国内における“リゼット”の違法化と取り締まりを進めることは勿論、パヴォの取り締まりについても一層警戒を強めねばなりません。我が国の国王陛下はリゼットに関して消極的な方針でありましたが、この度の件を理由に、皇帝陛下からもお叱りの御一筆を戴けましたら心強く、厚かましくもお願いする所でございます」
「ほぅ?」
「求めるまでもありません。教会は選帝侯家に害を及ぼした薬物を合法とは決して認めません。セリヌエール公爵夫人、その点は我々教会を頼っていただきたいところです」
皇帝が何か駆け引きを考じるまでもなく口を挟んだアルセールに、ギロリと皇帝の目が向いた。だが隣でうんうんと頷く司教様もいるとなると、下手に口は挟めないようだ。
「無論、帝国としても薬物の取り締まりには力を入れる所である。しかし国王が消極的であるというのはどうしたものか。公爵夫人は先ほどからフォンクラークの全権代理者とは思えぬ発言を続けているが、果たしてそう認めたまま話を続けてよいものか」
「言うまでもないことでございます、皇帝陛下。国王陛下は肉親の情からも王太子殿下には酌量を願い出たいお心でしょう。それを分かっていて、私情のない私を全権代理者として遣わしたのでございます。陛下からの委任状は先に提出させていただいたはずでございます」
「確かに確認はしたが……」
「でしたらどうぞご容赦を。それ以上は内政干渉です」
「……若く未熟な王室の末席かと思っていたが……なるほど。歯に物を着せぬか」
「いつもであれば何重にも着せ、目立つことなく慎まやかにすべき立場であることは承知しています。しかし恐れながら陛下……私は今回の一件を、心から遺憾に思っているのです」
「ほぅ?」
ちょっとナディアさん? どうしちゃったの? と目を瞬かせていたら、そのナディアの視線がリディアーヌを見やった。とても申し訳なさそうに、またどこか愛おしそうに。なんだか同性ながら、そんな風に見られたらちょっとドキドキしてしまうじゃないか。
「教会からの信頼を失って久しいフォンクラーク王室にとって、教会との関係の深い公女殿下は数ある選帝侯家の中でも最も大切なお方でございます。なのに王太子の愚行が私達と教会との溝をさらに深めたのです。しかしフォンクラークは本来、ベルテセーヌにも並んで信心深き国。どうしてこのままでいられましょう」
ふん、と息を吐くロドリード司教様の様子を見ても、教会のフォンクラークに対する心証は確かに悪いようである。ナディアが悪いわけではないのだが、仕方のないものだ。
「“フォンクラーク”は、現王室の愚行を改めねばなりません。私の態度はその意思の表れと思っていただきたく存じます」
一見謙虚な物腰と口調だが、相も変わらず言葉には覇気がある。皇帝陛下にもそれは分かったのだろう。これ以上多くを言うことはせず、「そうか」とだけ答えた。
皇帝にとって現国王は、かつて自分と共謀して皇帝戦で暗躍した一派であるはずだ。それを覆し、教会との関係を取り戻したいなどというナディアとその背後に入るであろう一派は、次期皇帝戦を考えても好ましくないはずである。かといって皇帝という立場柄、そうというわけにもいかない。これはナディアから皇帝に対する、事実上の宣戦布告である。
ただ、悪いやり方でもない。フォンクラーク側の全権代理者がこれほど罪の意識を重くしていることを示せば、むしろ国王にもこれ以上帝国側から強く抗議はし難いというものである。ナディアは毅然とした揺るがぬ態度を取って見せることで、国王をフォンクラーク自身が裁く権利と、皇帝からの横槍を阻み七王家としての権威を保つこと、そして溝の深まっている教会に対して好印象を与えるという、そのすべてをこなしているのである。
加えて被害者となったリディアーヌがそれに対して口も挟まず許容した態度を取っているものだから、皇帝もこれ以上は介入できない。
まぁリディアーヌも分かって利用されてあげているのだが……まったく。公爵夫人という肩書きになってからこの方、かつての親友は随分と成長してしまっていたらしい。驚いてしまったじゃないか。
「相分かった。これ以上、余が何かを言う必要は無いようだ。教皇庁、ベルテセーヌ、そしてヴァレンティン。いずれもそれで良いか」
「構いません」
「はい。問題ございません」
そして勿論、ヴァレンティンも。
「セリヌエール公爵夫人を信頼し、すべてをお任せしますわ」
セリヌエール公爵夫人ナディアを。彼女を選んだ、セリヌエール公とバルティーニュ公を信頼して。
「宜しい……」
タン、と机を叩いた皇帝に、皆視線を寄越して姿勢を整える。
「では話は以上だ。皆、下がりなさい」
その言葉に、一人、また一人と席を立つ。本来は“下がれ”と言われたとしても、そのまま礼を尽くして皇帝の退席を待つのがセオリーなのだが……。
「公女は残りなさい」
続く一言に、呼び止められた。




