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1-47 ナディア

 リンテンから皇帝直轄領までは、陸路と海路の二つの道がある。

 直線距離的にはリンテンの領都から竜車で行く方が近いが、外部との陸路はいずれも警備上の都合から道が狭く湾曲しているため、船を用いて港から入り、整備された大街道を通って帝都に行くルートが一般的だ。実際、船を使った方が断然早い。

 ゼーレマン卿らと面会した二日後、罪人を護送しているとは思えないほどに迅速に港町へとやってきたクロヴィスは、弟アルセールに何度も念入りにリディアーヌの体調が悪くないのかを確認した上、わざわざ罪人護送用とは別の船を用意させ、皇宮までの道中を整えてくれた。

 帝都は船で一日半。そこから陸路で三日の距離だ。


 クロヴィスはどちらかというとリディアーヌとは殆ど面識がない人物なのだが、皇帝陛下の直臣として、帝国議会中には養父が最も親しくしている人物であり、頼りにしている人物でもある。

 リディアーヌが思っていたよりもはるかに甲斐甲斐しく、それこそ本当に妹の世話を焼くかのように気を配ってくれた上に、ついていこうとしていたクロレンスをあっという間に陸地に押し留めた手腕も、罪人らを微塵もリディアーヌの目に入らない場所で後続の船に押し込めたらしい手腕も、なるほど、流石はアルセール先生のお兄様だった。

 聞けば、クロヴィスとアセルマン家の長男でありフィリックの兄であるマドリックとはカレッジ時代の同期で、昔から親しくしていたらしい。思いがけない昔のマドリックの話なども聞けてしまったから、道中、まったく退屈しなかった。


 皇宮に来るのは、成人式以来三年ぶりだった。

 皇帝直轄領はこの大帝国グラン・ベザの中心でありながら、のどかな景色が多く、大街道沿いと帝都の城下町こそ賑わってはいるが、いずれも決して贅を尽くした造りではなく、清廉とした街並みだ。

 皇宮なども教会建築に似て白を基調としており、シンプルながら細部の豪奢さで厳かさを醸し出した雰囲気をしている。

 皇宮の敷地は広大であり、皇帝の私的な空間を最奥に、そこから広々とした議事堂と、表に内皇庁の政務棟、東に帝国議会棟、西に選帝侯議会棟、付随して教皇庁の出先機関や大聖堂と、さらにそれらの周りには七王家五選帝侯家の別邸以下、いくつもの建物が立ち並び、さらに直臣達の邸宅が立ち並んで、城下とは一線を画す独特の雰囲気を築いている。

 リディアーヌが滞在をするのは、選帝侯議会棟の傍にあるヴァレンティン家の離宮である。リンテンにあるようなこじんまりとした別邸などではなく、こちらはヴァレンテイン家の威光を示すような立派な作りをしており、もはや城と呼んで差し支えない規模のものだ。

 ただヴァレンティンの本城であるフォレ・ドゥネージュ城とは違って平地の城なので、外観は大分違う。渡り廊下などで四棟を繋ぐ四階建てで、議会中の政務機関と直轄領に滞在する大使の邸宅や、人を招けるサロン、広々とした池を設けたもはや森と呼んで過言ではない庭なども併設している。

 この敷地内はヴァレンティン大公国の治外法権地帯である。なのでこの場所に入ってさえしまえば、外聞を気にする必要はない。ここは皇帝陛下であろうがどこぞの皇太子殿下であろうが、ヴァレンティン家の許可なく手出しできないのである。


 そんなヴァレンティン家の直轄領邸に最初に招いた客人は、他でもない我が友――セリヌエール公爵夫人ナディア・ジュディエナ・ド・セネヴィルであった。


  ***


「久しくお目にかかります、リディアーヌ公女殿下。こうして再びお会いできた幸運を心から嬉しく思います」

「よく来てくれたわ、セリヌエール夫人。さぁ、お掛けになって」


 昔と変わらない。いや、すこし精悍さを増して大人びた様子の友人は、昔と変わることなくとても丁寧に腰を低くし礼を尽くし、許しがあってなおすぐには席に着くこともしなかった。


「いいえ、殿下。私にそのような資格はございません。この度は私のせいで、なんというご迷惑をおかけしたことか。私は今日こちらに、断罪を求めにやって参ったのです」


 その表情は真に悲痛を象っており、そしてそれがどれだけ本気なのかは、ナディアが後ろに連れ添ってやってきた男が縄でぐるぐる巻きにされ、目隠しされ、今にも首を落とされそうな様子で跪かされていることからも明らかだった。

 あれは多分、フォールだろう。フォールであると確信するのは、その背格好云々ではなく、こんな状況にあってデレデレと口元が緩んでいるせいだ。


「原因は全てグーデリック王太子とトゥーリのせいだから、貴女が気に病む必要なんて全くないわ。どうか座ってちょうだい、ナディア」


 呼び方を変えて砕けた様子で話しかけると、どうやら“トゥーリ”の所に反応したらしいナディアがなんとも冷ややかな目つきですぅっと腰を起こした。


「……公女殿下。今、何と仰いましたか? トゥー……何とかと聞こえましたが」

「ええ、そのトゥーなんとかさんよ」

「……どうやら詳しくお話を聞く必要がありそうです。どうか、私のご無礼とこの厚顔をお許しください」

「ええ、許します」


 そう笑って見せたところで、ようやくナディアもほっとした様子で立ち上がり、フランカの引いた椅子に腰かけた。

 ようやくちゃんと、顔が見られた。


「本当にお久しぶりね、ナディア。会えて嬉しいわ」

「私もです、リディアーヌ様。改めまして、この度は多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、心よりお詫びせねばなりません。一体どれほど私が急いで参ったことか……」

「もういいのよ、ナディア。むしろ貴女が送ってくれた“とんでもないお手紙”がとても役に立ったわ。ただそうね。問題があるとしたらただ一つ……」


 チラリと見やった先に、ナディアも深いため息をつきながら頭を抱えた。


「私も、まさか“アレ”があんなにも使えないだなんて存じませんでした。本当なら今すぐにでも爪をはいで手足を折り舌を抜いてしまいたいのですが……残念なことに私が何をしても、“ご褒美です”としか言わない、困った性癖なのです」

「……そ、そう」


 ちょっと想像していた以上のヤバイ男だったようだ。

 ナディアさん、よく平然とそんなことを。


「ただ目をえぐると言った時だけは意味の分からないことを言いながら強く抵抗したものですから、あの通り、ぐるぐる巻きにして塞いでおります」

「ついでに耳も塞いであげたらいいんじゃないかしら」


 多分あの男は、ナディアの姿を見られない事を嫌がったのだ。ついでに声も聞けなくして、なんなら一生ナディアに会えない場所にやってしまうのが一番の罰になる気がする。


「ナディア、私が言うのもどうかと思うけれど……傍に置く人間はもっと選別した方がいいと思うわ」

「ええ、私もアレがグーデリック王太子の信頼を得てさえいなければ、使ったり致しませんでしたわ。でももうその王太子も断罪されることですし。これでもう、役立たずですわね」

「ッ、ナディア様ッ!」


 フォールの声が聞いたことのないような悲痛の声色をしている。


「貴女の旦那様はアレを見ても何も言わないの?」

「まぁ、ふふっ」


 リディアーヌが旦那の話などするから、妙な心地がしたのか。少しくすぐったそうに笑ったナディアは、フランカの淹れてくれたお茶に感謝を述べて受け取りながら、「あれでも、私には指一本触れないであろうことへの信頼があるのですよ」などと言った。

 つまりフォールは狂信的だけれど、それゆえにナディアには絶対に手を触れず、危害も加えない、と。なるほど……うちのフィリックともまた少し違う感じだ。


「まぁ……ベルブラウの花茶。懐かしいお味です」


 ナディアはフランカの淹れてくれたお茶に、ひとしきり嬉しそうに顔をほころばせ、とても大切そうにカップを傾けた。

 カレッジ時代にはよくリディアーヌが自分のサロンで女友達に振舞っていたお茶だ。あまり外には、とりわけあまり関係の良くなかったフォンクラークなどには輸出していない品であるから、リディアーヌの所でしか飲めない、と、ナディアがとても気に入ってくれていたお茶なのだ。


「ここに滞在している間、毎日でも飲みに来てくれて良いのよ、ナディア」

「まぁ、殿下ったら」


 クスクスと笑いながら、でもこそっと声を潜めながら「勿論お言葉に甘えます」なんて囁いた様子に、お茶を淹れたフランカも笑い声を潜めながら肩を揺らした。


「そういえばナディア。先日はフォンクラークから、沢山のお見舞いの品を有難う。アルセール先生が薬の類を一つ一つ見聞しながら、とても感激していたわ」

「当然のことでございますが……あの、アルセール先生がこちらにいらっしゃるのですか?」


 首を傾げたナディアに、コクと頷いて見せる。


「まぁ。フォールから、リディアーヌ様がパヴォとリゼットを盛られたと聞きとても心配していたのですけれど、どうりで、ごかんばせの宜しいはずです。先生は素晴らしい薬師でもいらっしゃいましたから」

「アルセール先生の調合した薬は医務室の先生方が奪い合うほどだったものね。でもおかげで毎日毎日、実験でもされているんじゃないかというほど薬を飲まされているのよ」

「どうか先生の仰る通りにお飲みくださいませ。パヴォもリゼットも……本当に。とても、とても恐ろしい薬なのです」


 そう顔色を濁して拳を震わせるナディアを見る限り、おそらく彼女はリディアーヌが思っている以上にそれらによる被害を実感しているのであろう。まだリゼットが合法であるというフォンクラーク国内では、一体どれほどその被害が深刻であるのか。これは、リディアーヌも配慮が足りなかった。


「ナディア、そんな顔をする必要はないわ。貴女はもうただの侯爵令嬢ではなく、王室に連なる方の夫人なのですから、もっと毅然として、この件を存分に利用する方法を考えなさい。そちらの王太子はよりにもよって選帝侯家の公女にリゼットを盛って大事件を起こしたのですから、これは貴女にとっての“チャンス”です」

「……公女殿下」

「必要なら証言もしてあげるわよ。こんな危険なものが合法ですって?! フォンクラークの王は何をなさっているの?! と、そこら中で大騒ぎしてあげてもいいわ」

「まぁ……」


 ようやくナディアの顔に笑顔が戻ったことで、リディアーヌもほっとした。


「バルティーニュ公は貴女と同じ、薬の取り扱いを厳としたいと望むお立場なのかしら?」

「はい。それは間違いなく」


 リディアーヌが会話の方針を変えたことに気が付いたのだろう。ナディアもまた真面目な顔色をして、しかと頷いた。


「公爵殿下にはただ一人、姫君がいらっしゃいます。ご存じでしょうか?」

「ええ、そういえば。確か、少しお年を召されたからの一人娘でいらっしゃったはずよね?」

「はい。とても可愛らしい、御年十一の姫君です。私を姉のように慕ってくださっているのです」

「まぁ」


 言葉の端々からも、ナディアが心からその姫君を可愛がっていることが察せられる。


「ですがその姫君のご生母は、麻薬のせいでお亡くなりになられました。王太子殿下の後宮で、愚かな妾妃気取りの者達に盛られ、そのまま抜け出せなくなりご自害なさったのです」

「……」


 あぁ、なるほど。それが、バルティーニュ公が重たい腰をあげた理由なのか。

 そしてその手始めに、同じことを繰り返す王太子に鉄槌を下した。今回はくしくもリディアーヌが手を下す形になったが、本来なら自ら手を下したかったであろう。でもそうであるなら、皇帝陛下の呼び出しにバルティーニュ公がいらっしゃらなかったことは少し不思議でもある。まぁ、今は国を空けられないという事情も察するが。

 だがそんなリディアーヌの様子を見て取ったのか、ナディアは少し口元を緩めると、「本当は公爵殿下が自らこちらにいらっしゃる予定だったのですよ」と言った。


「あぁ、やっぱりそうなのね。ではどうして……」

「まぁ! 私以上に、リディアーヌ様を心配している者がいるはずないではありませんか。ましてや王太子の犯した所業を思えば、女である私以上にリディアーヌ様をお慰めできる者もおりません! どうして私が候補から外されねばならないのでしょう。公爵殿下には国許でやることも沢山あるのですから、私以上に適任などございません!」

「……」

「と、私が言葉で丸め込んだからですわ」

「……貴女ったら、昔と変わっていなさすぎて安心するわ」

「公女殿下も」


 それはどういう意味かしら? まったく。


「バルティーニュ公の信頼を得ているのね、ナディア」

「ええ。有難いことに」

「いつぞやは自分とフォンクラークは無関係ですと強く私に言っていた貴女がね」

「リディアーヌ様にお気に召してもらうには、いっそ今の王権を(ほろ)ぼしてしまう方がいいかもしれないと心変わりをしたのです」

「貴方を心変わりさせたのはセリヌエール公なのかしら?」

「うふふ。いかが思われますか?」

「セリヌエール公に対する好感度がまた一つ上がったわ。是非一度ご挨拶したいものね」

「私も、私を選んだ夫に私の最も敬愛するお方を紹介したくてたまりません」


 どうやら夫婦仲は睦ましいようだ。その……少し、恥ずかしい物言いをされたけれど。


「そういうリディアーヌ様は、如何なのでしょう。わが国ではもう長い間、ヴァレンティンの姫君が例のお相手のどちらかをいつお選びになるのかなどと騒いでおりますが、そんなことが有ろうはずもないことを存じている私は、フォールから聞いた“リンテンでいつも殿下のお傍にいらっしゃった麗しい殿方”の噂が気になって仕方がありませんの」

「麗しい殿方?」


 何の話かしら、と思ってすぐに、ぱっとフィリックのことを思い出した。

 なるほど、フィリックとベタベタして見せていた様子はフォールを通じてナディアにも知らされていたらしい。


「あぁ、フィリックのことね」

「フィリック卿と仰るのですね、リディアーヌ様のご本命は」


 うっとりと言うナディアに、思わずお茶を吹きかけた。

 この子……分かっていて揶揄(からか)っているんじゃなかろうか。


「ナディア……フィリックは縁戚だから確かに国内で一番の婿候補だけれど、そのような関係からは最も遠い“腹心”よ。そのことはヴァレンティンの皆が存じているわ」

「まぁ……つれないお言葉ですこと。ですが先だって港では、その麗しいお方に大切そうに抱きかかえられ船を下りたとお聞きしましたが」


 どうやらすでに噂になっているらしい。まぁ、それはいい。わざとである。


「トゥーリの流した噂の払拭に、わざと見せつけているのよ。私、いい加減、最近のトゥーリの裏工作に腹が立っているものだから。もっとも貴女はもとより誤解なんてしていないでしょうけれど」

「そんなことだろうとは思っておりました。あの身の程知らずの殿下にはとても効果的なのではないかと存じます。宜しければ私にもご協力させてくださいませ」

「ナディアは相変わらずトゥーリが嫌いなのね」

「ええ、大嫌いです」


 ここまではっきり断言するのは珍しい。どうやらよほどご立腹のようである。


「その皇太子殿下が、直轄領からほど近いクロイツェン国境のスイツにご滞在中とのお話は存じていらっしゃいますか?」

「ええ、こちらに着いてすぐ情報を仕入れさせたわ」

「今回の件では公女殿下に私が多大な迷惑をかけてしまいましたから、どうかこの滞在中、私にできることが有ればどんな迷惑でもかけてくださいませ。全身全霊をもって、私が殿下をお守りいたします。無論、バルティーニュ公にそのためのお墨付きもいただいて参りました」

「ナディアったら……」


 今回ばかりは言葉の気迫がいつも以上だ。まぁアルトゥールの自業自得であるけれど。


「それで、リディアーヌ様。本日の本題なのですが」

「え?」


 本題? 今までの話は全部余談?


「あそこの役立たずを、どういたしましょう。私、処分は公女殿下のご判断にお任せしたいと思って、失礼ながらも引きずって参ったのです」

「……」


 まさかの本題は、フォールさんの処分についての話だった。

 なんかもう色々と面倒で、「どうにでもしていいわよ」と言ってみたのだけれど、ナディアの怒りはそれでは収まらなかったらしい。

 自分が何をしてもフォールにはご褒美になってしまうので、くれぐれもどうぞお好きに煮るなり焼くなりしてください、と言われてしまった。


「でも私もいらないのだけれど」

「まぁ、素晴らしいです。ではどうぞ、そのままこちらで生ごみとして捨ててくださいませ」

「あぁ、ナディア様ッ。放置プレイもご褒美です」

「……」

「……」


 そのあまりの気持ち悪さに、リディアーヌもつい「処分は受け持つわ」と言ってしまった。このままナディアの元に置いておくのは危険すぎる男だ。

 正直私は私の狂臣だけで手いっぱいなのだけれど……同じ狂臣同士、何が一番苦痛になるのか、是非ともフィリックに相談した上で、しっかり調教してからフォンクラークに……セリヌエール公に、送り返して差し上げようと思う。






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